七つの水仙物語
ブラザース・フォアの日本での最大の人気曲「七つの水仙」を辿ってみた。
 
「七つの水仙」の登場
それは1964年東京オリンヒックの年に発売された。収録されたLPアルバム「SING OF OUR TIMES」(日本語タイトル「風は激しく」)は1964年9月の正に東京オリンピックの直前に発売されましたが、多分、シングル盤はそれより数カ月先行しているのではないかと推測します。
写真クリックでユーチューブ演奏
 
「七つの水仙」の音楽的特徴
曲名の醸しだすイメージ、純粋な恋心、ちょっぴり愁いを秘めたマイナー調・・・日本人の好きなアイテムが豊富に入っている(入っていればヒットすると言うわけではないが・・・)。そして以前の「グリーン・フィールズ」「遙かなるアラモ」「北京の55日」のようなコーラス曲ではなく、ほとんどがディックの美声により成り立つ曲です。コーラスは入っていますが、重厚なものではなく、柔らかくつけられており目立ちません。
 
どれだけヒットしたの?
日本での最大の人気曲「七つの水仙」ですが、どの位ヒットしたのでしょうか?残念ながら詳細な記録はありません。当時の電話リクエスなどでは頻繁に流れたような気がしますが、ネット上のある記録では1964年の日本洋楽年間ランクでは86位という記録がありました(ここ)。思ったよりは全然高くありませんね。ちなみにこの年の44位には「北京の55日」がランクされているので、それと比べても「七つの水仙」はたいしたことありません。両方とも上位とは言えませんが、年間2枚のシングルがランクインしているのはあまりなく、トータルとしてブラザース・フォアは人気あったといえるでしょう。
ブラザース・フォアの「七つの水仙」は順位はあまり振るわなかったようですが、特に女子大生や若いOLには抜群の人気曲でした。よって、男子大学生を中心としたブラザース・フォア・スタイルのバンドでは必須のレハートリーとなりました。「七つの水仙」は上に書いたようにディックの美声で成り立っているのでコピーバンドとしては難題です。しかし、自分たちの人気も維持するためちは歌わざるを得なかったという事情だったでしょう(笑)。
 
コンサートでの演奏の変遷
この曲が日本公演で初めて演奏されたのは1965年9月でした。発売年1964年にも来日していますが、曲発売前だったので演奏していません。今は無き丸の内のサンケイ・ホール。テレビでも録画放送されています。「七つの水仙」の部分の録音はここにありますが、前奏が始まった途端に女の子が「ワー、キャー」で人気の具合がわかります。
以降はコンサートの必須曲目となって現在に至っておりますが、幾つかの変遷がありましたので、辿っていきたいと思います。
 
謎の外国語歌詞
1966年は来日がなく、1967年の来日となりました。この時「七つの水仙」の2番の歌詞が何やらラテン系言語の歌詞で歌われ、ファンは「あら~、なんじゃこれ!?」となったものですが、その歌唱は1970年まで4年間続きました。何語だったのかは最近判明しました。1971年からは英語に戻り、その後はこの謎の外国語で歌われることはなくなりました。謎の解明は下の方で。
 
前奏の変化
レコードに入っている前奏はギターのポンポンポン・・で、確かに1965年はそれと同じ形式で曲に入っていった。1967、68年もその形です。しかし、1969年からは最初にベースがボーンと入り、それからレコードとは違う旋律でのギター演奏が入っていくという形になりました。それはその後もずっと続くことになりました。
前奏の変化というわけではありませんが1973年、 何を思ったのか全曲メドレー構成のコンサートがありました。前の曲「遙かなるアラモ」はDm~Dで終り、その後DmのアルペジオをひいたあとC#mのアルペジオに移調するという奇妙な展開が入りました。後にも先にも全曲メドレーはこの年だけ。
 
ディック退団しちゃった!
1990年頃、「七つの水仙」でソロをとっていたディックがブラザース・フォアを退団!!ディックさん退団直前の七つの水仙はここ 。ディックの声で持っていたともいえるこの人気曲は大きな危機を迎えました(まあ、ブラザース・フォア全体も危機を迎えたわけですが)。
しかし、新メンバーのブラザース・フォアとしては歌わないわけにはいかない。誰にソロを歌わせるのか?1991年のメンバーはオリジナルがボブとジョン、途中参加のピアソンとディックの穴に入った新メンバーのテリー。深い検討があったのか、あっさり決まったのか、結論としてはオリジナルメンバーのベーシストで低音部担当のボブが歌うことになった。ディックとは全然違います。演奏スピードも年齢もあり従来3分少々だったのだ3分半位までになることもありました。動画はここ 。全く異なる「七つの水仙」の誕生です。
 
しかし、2013年頃になるとボブの声も限界を迎えてきたのか、2014年からは2012年から参加したカールのソロになり、現在に至っている。カールは高音パートの人なので聞きやすい。

と変遷してきているが、これだけは言えるだろう。ボブはもとより、カールの歌であっても1964年にヒットすることは無かっただろう。
 
「七つの水仙」が歌われなかった!!
ベンチャーズと共に来日公演が多いブラザース・フォア。「グリーンフィールズ」、「遙かなるアラモ」と共にもちろん「七つの水仙」も毎回歌われる必須歌ですが、唯一歌われなかった年が1972年だったようです。その理由は・・・不明です。
 
海外での「七つの水仙」
海外では東南アジアも含め「七つの水仙」は殆ど受けなかったようです。「七つの水仙」のヒットは日本特有でした。しかし、二つだけ英語以外の歌詞の「七つの水仙」を確認しています。
 
一つは1967~70年に日本では2番の歌詞で歌われた謎のラテン系の歌詞。彼らの発音が正確かどうかも疑問があり、スペイン語?ポルトガル語?ラテン語?オランダ語?イタリア語と探ってみたが確認はできなかった。最近になり、良質の録音が見つかり、またグーグル音声翻訳なども進化してきたので、強引にそれに聞かせてみたりして、徐々に分かってきたのはイタリア語だった。その歌詞は以下のようなものでした。正確性はちょっと怪しいところもあります。
E quando fu l'autunno
そして秋になると
le piante sfogliare
植物達は眺める
un grande tappeto gianro
大きな黄色い絨毯
il nostro amore avrai
あなたが持つ私たちの愛、
corredionati mondo
自分の世界を正す、
ma non non granché
しかし、それほど多くはありません
E sette narcisi...不明
そして七つの水仙・・・
 
日本では2番だけがイタリア語で歌われましたが、1~3番全部がイタリア語で歌われたものがあるのかどうかは確認できていません。もしかしたらイタリアではそのようなレコードが販売されたのかも知れません。
 
因みに「七つの水仙」は各国語では下記の様になります。似ているようで結構違いますね。
英語  seven daffodils

イタリア語 sette narcisi
スペイン語 siete narcisos
フランス語 sept jonquilles
ポルトガル語 sete narcisos
ラテン語 septem daffodils
 
もう一曲の非英語の「七つの水仙」は1~3番まで全部非英語で、その録音にはレコードの針音が入っているので販売されたのかも知れません。この曲は比較的早くスペイン語ではないかと推測されていました。しかし、この歌唱には上の七つの水仙という単語が聞き取れませんでした。さて、どんな内容だろうと、これもグーグル音声翻訳に強引に通していくと以下のような歌詞が見えてきました。
 
Yo no tendré riquezas
私は財産を持っていない
para brindarte a ti,
ni tampoco con palacio
rodeado de un jardin
あなたと乾杯するための庭に囲まれた宮殿もありません
has tengo alma no ve,
que te ofrezco a ti
también puedo darte flores de jazmín
私には心があります、見えませんが、あなたに差し上げます
そして私はあなたにジャスミンの花もあげることもできます
 
内容的には正に英語歌詞と通じるものがありますが、花の名前が何と「ジャスミン」(ハスミンと発音される)の花なのでした。
 
海外で「七つの水仙」のシングル盤がどこまで発売されたのか不明ですが、アメリカ、カナダ、ノルウエイでは発売されました。下はノルウェイで発売されたシングルです。海外発売でのB面はSan Francisco Bay Bluesです。
 
スタジオ録音の種類
コンサートではいろいろなバージョンの「七つの水仙」が演奏されましたが、スタジオ録音として残っているもので確認されているものは次の3つです。
1964年 Sing of Our Times
オリジナルでシングル発売もされた歌唱  ブラザース・フォアの「七つの水仙」と言えばこれ。

1971年 Love Srory
前奏はオリジナルレコードの音階を使っているがオーケストラなどの音で構成。ソロはディックのままだが、なぜ、この編曲バージョンが必要になったのかは不明。ちょっと目新しさを出したかったのか?残念ながらインパクト無い。

2003年 Born In Seattle
ボブのソロによる「七つの水仙」。