ときどき日記




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2012年5月1日




 この猫のことはずっと気づいていたんですが、谷中銀座の入り口の角にある「はつねや」という洋品屋?の軒先にいつも座っていて、街行く人たちの姿を眺めています。それこそ、雨の日も、雪が降っても、風が吹こうが嵐になろうが、いつもじっと座って身じろぎもせずに狭い通りを眺めているんです。少しも動かずに。
 雨や、嵐の日にはずぶ濡れになってしまっても、全く動かずに座っています。
 まるで、忠犬ハチ公の猫版みたいですが、それもそのはず、実は、この猫は彫刻で作られた置物の猫なんです。少しのあいだですが、読者をだましてしまってスミマセン。だますつもりはなかったんですが、写真を写してみたら、まるで、生きているように写っているので、ついこんな書き方になってしまいました。
 以前に、まえのバージョンのこのページで、漱石の旧居あとの置物の猫のことを書いたことがありましたが、千駄木から根津、谷中にかけてこうした猫のオブジェをたくさん見かけます。
 下町には猫が似合う、というわけか、谷中、根津、千駄木界隈には本物の猫もいっぱいいます。そこで、猫のオブジェもあちこちに、ということになったんでしょう。
 写真の猫は、実際に見るといかにも作り物という感じで、それらのオブジェの中で、ことさら優れている、とも思っていなかったんですが、写真に写してみてびっくり。そこで、ここに掲載することにしたわけです。
 「写真」といっても、必ずしも「真」を「写」すわけではないということは、人の顔写真が実物とはほど遠いものに写ってしまうことが多いということに気づいていた方も多いと思いますので、ことさら言うまでもないのかもしれませんが、この猫の写真の場合は、どう考えればいいんでしょうか。
 人間の顔などは、動きの一瞬を写すので、実際に目で見る顔と違って写ってしまうということが起こるのだと思いますが、彫刻などの場合は、じっと動かないわけだから、人間の顔などと同じように考えるわけにはいきません。たぶん、この置物は、実際に見るときは質感などやディテールがはっきり見えるために作りものだということが簡単にわかってしまうが、写真に写すと質感もディテールも曖昧になってしまうためにかえって、本物の猫のように見えてしまうのかもしれません。あるいは、この彫刻がとても優れた作品で、写真に写すとまるで生きているかのように見える、ということかもしれません。
 以前に、京都に行ったときに、太秦の映画村のセットを見て、実にちゃちな造りで、こんなもんなのかと少しがっかりしたことがありましたが、あれと同じで、映画や写真に写すと細かい欠点が隠れて、いかにもリアルに見える、ということなんだと思います。
 これと、全く逆な経験をしたことを、この文章を書いていて思い出しました。学生の時、大学の近くにある喫茶店で、偶然に吉永小百合と隣り合わせに座ったことがあった。映画で見ていた青春スターの頃吉永さんは、さほどきれいだと思ったことはなかったんですが(失礼!)、実物の吉永さんがそれはきれいだったこと!このとき、映画女優というものは、あらゆる角度のあらゆる表情を写されてもきれいなんだということを実感したわけです。
 あのとき、話しかけてみればよかったなあ・・・。でも、そんなことはミーハーだ
という雰囲気が当時はあった。ミーハーなんていっても、いまの若い人にはわからないだろうけど、軽薄なことが恥ずかしい時代だったんだ。あの頃は。まあ、いまはすっかりなくなってしまった、やせ我慢の時代だった。