宮武外骨解剖





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外骨の代表的雑誌



 頓智協会雑誌 明治20年4月〜22年3月
           28号 30ページ 定価10銭


 最初の本格的雑誌。最高部数4千部。28号記事の挿画で不敬罪に問われ3年8ヶ月入獄する。以後の外骨の文筆活動の原点を形成した雑誌。

画像にマウスをあててみてくださいな。



 滑稽新聞 明治34年1月〜41年10月
        173号 月2回発行 20ページ
        定価6〜7銭


 最盛期には月8万部を発行した代表的雑誌。薬屋の誇大広告、役人、警察、裁判官、検事、政治家、僧侶などの不正を次々と告発し、数々の筆禍に見舞われる。表紙絵、挿画、タイポグラフィなどその後の雑誌表現に多大な影響を与えた。最盛期に自殺号を出して廃刊。



 ザックバラン 大正4年5月〜7月 2号
         40ページ 定価10銭


 この年の3月、「政界廓清、選挙違反告発候補者」を名乗り総選挙に立候補した。その際の選挙違反告発記事が内容のすべて。結果は259票の得票で落選。この時期、部落差別問題、普選要求運動などの政治的課題を追求、9月に上京し普選要求運動に本格的に取り組み始める。



 スコブル 大正5年10月〜8年2月 27号
       45ページ 10〜20銭

 「滑稽新聞」とともに外骨を代表する雑誌。この雑誌に共感した堺利彦が原稿料なしの寄稿を友人知人に呼びかけたはがきが残されている。タイトルのスコブルが当時の流行語になり、東京の根津にスコブル堂というお菓子屋ができたという新聞記事がある。



 男女性学雑誌・迷信研究雑誌 大正7年1月
           創刊即廃刊 8ページ 10銭


 この雑誌は1枚の紙の両面に印刷して8折にしたもので袋入りの「袋雑誌」などとともに外骨の奇抜な新案雑誌。一方を廃刊したらそこに新雑誌を補い永久に新雑誌を続刊できる妙案だと自慢している。しかし、組み合わせをみれば、一方を発禁にしたとき他方をどうするのだという謎かけに見える。



 面白半分 昭和4年6月〜11月 6号 
        60ページ 30銭


 「滑稽新聞」が代表誌といわれる以前の代表誌で、昭和47年から55年まで出された野坂昭如編集長などの「面白半分」はこの雑誌のタイトルからとられた。「4畳半襖の下張り」の裁判を闘った雑誌としても知られるが「臨終号」を出して終刊するというスタイルも外骨流だった。本誌の方は、タイトルの奇抜さにくらべ、内容はもうひとつ精彩を欠いている。