宮武外骨解剖
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★外骨関連ニュース★ 2012年5月更新
●外骨の郷里香川県綾川町に、図書館に併設した、郷土ゆかりの人物を紹介する施設「生涯学習センター」が完成し4月1日にオープンしました。著作だけでなく、今後は外骨が「自伝」編纂のために所持していた資料類も所蔵し、東京大学の「明治新聞雑誌文庫」とともに、外骨を研究する際の拠点として活用されることが期待されます。7月下旬から外骨を紹介する企画展が開催予定です。編集者による講演会もあります。
●3月30日に落成式が行われ、編集者も出席しました。写真はそのとき撮影したものです。入口を入ってすぐ左側の展示室に、郷土ゆかりの菅原道真,、彫刻家の池田勇八などと一緒に外骨の展示コーナーが設けられており、綾川町が所蔵する「滑稽新聞」、「スコブル」、「此花」、「震災画報」などが展示されています。
琴電の滝宮駅下車徒歩3分、町役場隣、入場無料・月曜休館。駐車場あり。
●長い間絶版状態だった編集者の「宮武外骨」が「宮武外骨伝」とタイトルをかえて、今年3月に河出文庫より刊行されました。大幅な書き換えはせず、その後判明した新事実などを加筆したものです。当分の間、書店で購入できます。版を組み直したので、活字が大きく読みやすくなりました。
1980年初版刊行時の書評(3)
(前略)こうした生涯の輪郭に加えてふんだんに盛り込まれた人間味いっぱいの外骨のエピソードは、この評伝の肉付きをゆたかにしている。黒岩涙香、南方熊楠と柳田国男、それに折口信夫など、この奇人をめぐる人びとの思いがけない肖像画が披露されているのもたのしい。
この本をきっかけに、既成の価値体系の向こう側にある、知の世界の貪欲な探求者だった外骨の再評価が進められることを期待したい。(1980年9月5日付「朝日新聞」書評より一部を抜粋)
★寄稿欄★
2012年5月更新
今回、綾川町の落成式に行ったので、せっかくの機会だから外骨の生家のある羽床を訪ねてみることにした。30年以上前とその後もう一度訪れたことがあるので、今回はたしか三度目になる。
写真が、琴電の羽床駅だ。高松築港駅から約40分。畑の中の小さな無人駅だ。30年前と少しも変わっていないような気がする。
駅前といっても、民家が集まっている程度で商店街のようなものはなにもない。この日は東京から飛行機で高松空港まで行き、ほかの交通手段がないようなので空港からタクシーに乗った。車中、それとなく外骨のことを知っているか探りを入れてみた。
香川の知名人にはどんな人がいるか、と尋ねてみた。まず最初に挙がった名前が大平正芳。政治家の名前が挙がるようでは脈がないなとは思ったが、ほかにどんな人がいますか、と訊いたら菊池寛と壺井栄の名が出た。これはだめだと思ったので話題を切り替えてしまった。
ずっと以前に山口に行ったとき、観光バスのガイドが、長州出身の政治家の話ばかりするのが不愉快だったので、中原中也のことを尋ねてみたら名前すら知らなかった。日本人の文化意識とはそんなものなのかと、かなりがっかりしたことがある。故郷にいられなかった中也の気持ちがいたいほどわかった。政治や実業で名をなした人間だけがもてはやされる日本という国。山口。文化人の名が出る香川はまだましなほうか。それとも、山口ほど有名な政治家がほかにいないからか。
石川啄木も岩手では人気がない。宮沢賢治が尊敬されているのは、まあ、わかるが、東京出身の高村光太郎のほうが岩手県人の評判がいいのには驚いたことがある。石をもて追わるるように故郷を離れた啄木だから、岩手でしたことを思えば仕方のないことなのか。
外骨と、郷里の関係も、いままであまりよいものではなかった。とくに、土地の名家だっただけによけい、親戚のあいだでは、不敬罪の前科者ということもあって、名前さえ口にしたくないような困った人だったような気がする。そんなこともあって、タクシーの運転手さんが外骨を知らなかったのも、無理もない話なのだ。
故郷との関係があまりよくなかった外骨だが、両親の法事などで帰郷することはよくあったようだ。親バカといえるほど、外骨は両親に溺愛されていたからだ。とくに、母親の愛がなければ、いま我々が知るような希有の存在としての外骨は形成されなかったと思う。だから、外骨は両親に対する恩義だけは生涯忘れなかったことだろう。
琴電の琴平線が開通したのは大正13年頃らしいが、創業当時から羽床駅があったかどうかはわからない。でも、外骨も1度くらいはこの羽床駅を利用したことがあるはずである。
昭和7年3月発行の「公私月報」に、帰郷して小学校時代の校長だった秦市郎に60年ぶりに再会したという記事が出てくる。このとき、すでに86歳になっていた高齢の秦翁は、小雪混じりの寒風が吹くなか、65歳になった教え子の外骨を駅まで見送って別れを惜しんだという。
駅の名は記されていないが、秦翁は羽床在住と書かれているから、羽床駅がその舞台だった可能性が高い。ただでさえ寂しく人気のない無人駅である。年齢的に考えて、おそらく最後の別れになるだろう師弟の別離の場面は、想像するだけでせつなく胸をうつものがある。