宮武外骨解剖




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★外骨関連ニュース★      2019年8月1日更新



<2019年のニュース>

NEW!●下欄の「寄稿欄」に、「外骨に関するちょっといい話、プラスα」を掲載しました。今後も、話題が続く限り、外骨関連の文章を掲載していきたいと思いますデス。(8月1日)

●ご招待いただいてワンダーランドの公演「宮武外骨伝」を鑑賞してきました。外骨を現代によみがえらせ今のジャーナリストと絡ませるという演出と、主演俳優などの演技力によって2時間の上演時間を飽きさせずに舞台に引き込む力はさすがだと感心しました。初日ということもあってか観客席は満員。聴衆の方々も外骨の生涯のアウトラインと、現代のジャーナリズムに対する問題提起に共感をもって納得したような印象でした。久々の演劇鑑賞でしたが、楽しい時間を過ごさせていただきました。(7月1日)

●本欄下部の「寄稿・お便り欄」に「永井荷風と外骨」を寄稿しました。ね!予告通り、努力しているでしょ!(今のところはね!)(7月1日)

●南伸坊さんの新著「私のイラストレーション史」(亜紀書房・1800円)が出版されました。小学校6年時代から「ガロ」編集長時代までの20年間にわたる自伝的エッセイ集です。デザインに興味がない人でも若者の生き方ということを考えさせられる本です。特に赤瀬川原平さんなどが登場する美学校時代は外骨フアンには必見です。(6月1日)

●このページの下部、「寄稿・お便り欄」に「滑稽新聞のキャッチコピー」という寄稿を掲載しました。(6月1日)

●6月5日〜9日まで、演劇集団ワンダーランドの第46回公演で「過激にして愛嬌あり 宮武外骨伝」が上演されます。詳しくはワンダーランドのHPをご覧ください(外部サイトに移動します)。
 外骨の生涯を紹介しながら、外骨が現代の雑誌社にタイムスリップし、弱腰の編集者たちに活を入れ活躍する、という話。おもしろそうですよ。(5月1日)

●このページ下部の「寄稿・お便り」欄に前回の、「外骨と熊楠の喧嘩 その後(1)」に続き(2)を掲載しました。この稿はこれで完結し、次回は別の論考を掲載予定です。
 また、「外骨の乗った自転車」の写真を掲載しました。(5月1日)

●このページ下部の「寄稿・お便り」欄に、「外骨と熊楠の喧嘩 その後(1)」を掲載しました。関心のある方はご覧ください。2回に分けて、今月と来月の掲載になります。
 この欄は本来、本HPのメインになるべきものですが、残念ながら会員の自主的な投稿もなく、編集者の怠慢もあって、ほとんど機能していませんでしたが、今後は充実させるべく努力していくつもりでおりますデス。(ホントかな?)(4月1日)

●以前にもこの欄で紹介しましたが、外骨の精神に共感してボランティア運営で調査報道を続けるウエブマガジン「ウオッチドッグ」に、「滑稽新聞とはどんな新聞だったのか」と題して寄稿しました。興味のある方はご一読ください。「ウオッチドッグ」では『滑稽新聞』の記事の一部を読むこともできます。



★お知らせ・広告欄★


香川県綾川町生涯学習センター展示室。




入口を入ってすぐ左側の展示室に、郷土ゆかりの菅原道真,、彫刻家の池田勇八などと一緒に外骨の展示コーナーが設けられており、綾川町が所蔵する「滑稽新聞」、「スコブル」、「此花」、「震災画報」など約8点が展示されています。

    ー琴電の滝宮駅下車徒歩3分、町役場隣ー

 ー入場無料、月曜日、第4木曜日休館。駐車場ありー




平凡社の「別冊太陽」の一冊として「宮武外骨 頓智と反骨のジャーナリスト」が2017年4月24日に発売されました。160ページ、定価2,400円+税。外骨に詳しい多彩な方々の寄稿と、豊富な図版で外骨の全貌が伝わってくる内容です。外骨の入門書としても最適です。ぜひご購読ください。


●外骨の戦中の「日記」を編集者が読解した「外骨戦中日記」が発売中です。河出書房新社刊、定価(2,000円税別)



編集者(吉野孝雄)著「文学報国会の時代」、「外骨戦中日記」の記述の訂正は本HP「編集者のページ」の「編集者の著作紹介」のページにあります。ご購読いただいた方は恐縮ですが、ご覧の上、ご訂正をお願いいたします。他にも、判りしだいその欄でお知らせいたします。

●編集者の「宮武外骨」が「宮武外骨伝」とタイトルをかえて、河出文庫に入りました。書店店頭または注文で購入できます。



●河出文庫には、ほかに外骨著「滑稽漫画館」、「面白半分」、「明治奇聞」、「猥褻風俗辞典」の4冊が収められており、書店の店頭で購入できます。店頭にない場合はご面倒ですが注文で取り寄せてもらってください。
「面白半分」、「明治奇聞」は随筆的文章、明治の歴史関係の文章をそれぞれ編集したもので、外骨の同タイトルのオリジナルではありません。「滑稽漫画館」は「滑稽新聞」からの抜粋、「猥褻風俗辞典」は「売春婦異名集」と「猥褻廃語辞彙」のオリジナルを合冊したものです。

ちくま学芸文庫には、「震災画報」と「アメリカ様」が収められています。




★寄稿・お便り欄★

外骨に関するチョットいい話、プラスα


                                                              吉野孝雄


 毎月送っていただくいくつかの雑誌や会報のなかのひとつに近代文学館発行の「近代文学館会報」がある。ずっと以前に会の会費を払っていた時期があり、その関係で続けて会報が送られてくるものらしい。

 その会報に「文学の風景」という欄があって、作家の中島たい子の「体で書く」というタイトルの文が載っていた。まあ文学というものはなんとなく、頭で書くのではなく「体で書く」ものだろうと思っていたが冒頭にいきなり「漢方小説」という言葉が出てきて、「なにそれ?」という感じで読み進めた。

 前半はその「漢方小説」というタイトルで作家デビューしたいきさつが書かれていて、それが彼女のテーマらしい、ということを初めて知った。

 断っておくが、僕は、現代のトレンドというものにまったく関心がなく、相手の人物が有名人かそうでないかについてもまったく無知なのだ。だから、そうした相手に対してそういう種類の敬意や忖度などないので、失礼なヤツだ、と思った相手も多いに違いないが、そういう人に限ってそれはすぐ態度に現れるから、それを感じ取った相手とはその後一切関係を持たないようにしている。

 もっとも、それはこっちの勝手なセリフで、相手は、はなから僕のようなヤツを相手にする気はまったくないから、まあ、お互い様、といったところかもしれない。

 というようなわけで、中島女史についても、それまではまったく名前すら知らなかった。でも、近代文学館会報の巻頭に文章を書くからにはそれなりに知られた人なんだろう、という想像はついた。

 その、会報の文章の後半に外骨に関する次のようなことが書かれていて、まず近代文学館との違和感にちょっと意表を突かれ、読み終わって、とてもいい話だと感動したので、ここにその部分を全文引用させていただき、遅ればせながら僕も中島女史に対してエールを送ることにした。


 (略)近代文学館に一番通い詰めたのは、明治の異端のジャーナリスト、宮武外骨という人を主人公にして、映画用の脚本を書いていた時だった。実際に彼が編纂した「滑稽新聞」その実物を閲覧することができて、大変に感激した。脚本の方は結果、私の技量が及ばず、映画化の夢はかなわなかったが、名残惜しくて、文学館で複写させてもらった「滑稽新聞」のモダンで粋な表紙絵のコピーに自分でビニールを張り、しばらくスケジュール帳のカバーにしていた。

 そんなある日、やはり何かネタ探しに出かけた帰りだったと思うが、電車の中でその手帳を開いていると、隣りに座っていた六十代ぐらいの小柄の紳士に、

 「宮武外骨が好きなの?」

 と、いきなり聞かれた。私はびっくりして隣の人の顔を見たが、はい、好きです!と返した。彼は優しい笑顔で、

 「かんばって」

 そう言い残して、荻窪駅で降りて行った。なにを「がんばって」だったのか、よくわからないが、私ががんばってかいてこられたのは、その言葉があったからのようにも思う。降りた駅や風貌からなんとなく想像するに、偉い先生だったのではないだろうか。(略)


 なにか心がほっこりするような、とてもいい話だと思った。そういう、見ず知らずの人がかけたひと言がある人間の生きる力になったりする。小説家、という仕事がどんなにか孤独で大変な仕事なのか、仕事として小説を書いたことがない僕には実感としてわからなかったが、これを読んでなんとなく理解したような気になった。

 それと同時に、こうして外骨に関心を持って好きになった人がいるんだということを知ったうれしさ、というものもあった。大げさに言うと、何か突然同志に出会ったというような思いにもなった。好きだ、という思いが単純に素直に表明されているのもとても好感が持てた。この人とはすぐにでも仲良しになれる、そう思った。

 今まで、僕の知る限り、映画化やドラマ化の話は、たしか、6回ほどあったと記憶している。約30年ほどのあいだに6回だから、決して多い数ではない。すべて、企画倒れで終わっているが、それとは別にラジオドラマが1回、演劇化が2回あった。こちらのほうは3回とも実現した。中島女史の脚本の話は、その映画化の企画のひとつだったのかどうかわからないが、1回だけ、主演俳優まで決まっていてボツになった企画があった。

 その時は主演俳優の人選に疑問があって、その話をまとめようとしていた人と相談してお断りした。中島女史の企画倒れの脚本の話の部分を読んだ時、まさかあの時の話ではないよな、とちょっと気になった。中島女史は自分の力不足、と謙遜しているが、もし、そうだとしたら、何か悪いことをしたような、あなたの力不足ではありませんよ、とこの場を借りて、お知らせしたい気持ちだ。

 まあ、単なる取り越し苦労にすぎないと思うが、やはり、あの時の主演俳優の配役にはいまでも、ちょっとね、と賛成できかねる。僕たちの持つ外骨のイメージとあまりにかけ離れすぎていたからだ。その主演予定者はすでに故人になってしまったが・・・。

 もう一度は、これもすでに故人になったが、企画を立てた某有名プロデューサーの家族に外骨が雑誌で実名で攻撃した相手の子孫の方がいて、これは推測だが、どうやらそのことが原因でドラマ化の話が消えてしまったことがあった。まあ、もしそれがほんとうの理由なら、家族の方のお気持ちもよくわかり、まあ、これは、致し方のないことなのかも知れない。

 それにしても、外骨をテーマにした映画やテレビドラマがあったらさぞかしおもしろいだろうと思うのだが、実現しないのはなぜなんだろうか。

 僕にはおおよそは想像がつく。そのへんが日本社会の限界というか、日本のメディアの腰の引けたところなんだと思うが、アメリカ社会がすべていいとはまったく思っていないが、かの国では「忖度」というような権威に対するへつらいや追従などは一切存在しないようで、スポーツ選手や芸能人などもはっきりと自分の主義主張を世間に表明しているところなど、さすがというか、そういう個人が多数存在し堂々と生きていられるというのがほんとうの自由で民主主義の国なんだな、とうらやましく感じてしまう。ひきかえ、日本の現実は・・・。

 日本はやはり、個人や社会が未成熟で、そういう意味で後進国なんだな、と言わざるを得ない。未成熟な市民社会のもと、形ばかりの、小学生の学級会以下の、話し合いを抜きにした多数決ですべてが決まる、形式ばかりの「民主主義」の議会政治が行われている。


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