ときどき日記




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2019年12月1日




 上の写真は千畳敷カールから見た南アルプスの主峰北岳。富士山に次いで日本第2の高山だ。この千畳敷カールにもケーブルカーを利用すれば誰でも簡単に行くことができる。
 日本にも、こうした場所がもっと増えるといいのにね。ここからひと登りすれば、木曽駒ヶ岳の頂上まではわりと簡単に登ることが出来る。
 僕が木曽駒に登った時は霧が深く眺望を得ることが出来ず残念だった。もう一度行ってみたいが、最近は体力的に自信が持てなくなった。これも、1年ほど前の古い写真で失礼!
 最近、景色を写す機会がめっきり減った。自然のなかにあまり出歩かなくなったことはよくないことだ。

 最近の、政治をはじめとした数々の不祥事、あきれてものも言う気にならないお粗末なものばかりだが、それを報道するメディアの腰の引けた姿勢というものもそれに輪をかけてきわめて嘆かわしい状態だった。とくにテレビがひどい。
 政治や世の中がなにかおかしいと思いながら、経済を優先させてそれとなれ合った結果のっぴきならない戦争に巻き込まれ、とんでもない目にあった経験を我々日本人は持っているはずだ。
 いま、それと似たような状況が現在進行中だ。一度は反省したはずのメディアが、いま、その反省を忘れ、現状となれあってはいないか、政権に忖度してはいないか、今一度原点に立ち返ってみる必要があるのではないか。

 最近、新聞を読まなくなった世代が増えているという話をよく聞く。僕の周囲にも、ネットやスマホの情報で充分だから新聞はいらない、といっている人たちがけっこういる。
 僕は、長いこと新聞を読んでから一日が始まる、という生活を続けてきたから、新聞のない生活は考えられない。でも、一度だけ、最近の新聞にもの足りない不満を感じて、新聞を購読するのをやめようか、と思ったことがあった。
 退職してから収入が減った関係で、少しでも生活の経費を縮小して、その分、趣味などに使う資金を確保したいと思ったことがきっかけだった。自分の生活を見直して、必要のない経費を削減しようと思い、そのひとつとして新聞の購読をやめる、ということをかんがえたのだ。
 なにか、単なる習慣として読んでいるにすぎないのではないか、権力や社会悪を監視し糾弾するところにジャーナリズムの存在意義があるはずなのに、なにか腰が引けた正論ばかり聞かされても、ストレスはたまるばかりで、読後の爽快感、というものがまるでない。お金の無駄だ、と思ったのだ。
 でも、1週間無料で試し読みできる、という特典のある、他紙よりも購読料の安い新聞を試し読みして、考え直した。ほとんどが記者名の書かれた署名記事で、そこからは記者の肉声や不正や不条理に対する怒りがじかに伝わってくる。その姿勢に貫かれた紙面に親しみを覚えた。それ以来、その新聞を現在まで継続して読んでいる。
 ああ、自分より若い記者たちも自分と同じように政治の腐敗などに対して怒りをもって記事を書いているんだ、と思えることで安心できるのだ。そのことが他人の書いた文章を読む意味の原点だ。それがなかったら、他人の書いた文章を読む意味がない。最近の他の新聞の誌面からは、そうした人間くささというものがまるで伝わってこないのだ。

 今月末、その新聞を読んでいて、ある、小さな記事に目がとまった。
 それは、時々乗る電車から見えるある小さな台地が、実は古代の古墳跡だったという記事だ。何げなく見ていて、気にもしていなかった場所が歴史的遺跡だったことに少し驚き、感動した。
 ただそれだけのことだが、新聞を読んでいると、自分が普段あまり関心を持っていなかった事実を思いがけなく知ることがある。これも新聞や雑誌のような雑多なことがらを等距離で伝えるメディアの持つ魅力のひとつなのだろう。
 いまは、デジタル全盛の時代である。たしかに、デジタルには検索機能という優れて便利な機能があって、これにはアナログはどうしても太刀打ちできない。便利さ、という点ではデジタルが優れていることはたしかだ。
 しかし、新聞や雑誌というアナログな紙のメディアの持つ特性というものは、便利さ、ということからは得られない優れた効果を我々の脳に与えてくれていると思う。
 それは、開いたページ全体をいっぺんに俯瞰することができ、そこに書かれた、それまで気づかなかった情報に接することができる、という点だ。
 人間は、誰でもが偏向した興味や関心を持っている。それに特化して深く追求するにはデジタルが優れているかもしれない。しかし、偏向した興味や関心の埒外にある問題に気づかせてくれ、広く目を開かせてくれる力は、やはり、アナログの方だろう。
 近頃の世の中を見ていて感じるのは、人々がデジタル的な視点でものを見ることが多くなり、アナログな広い視野に立って物事を見ることができにくくなってきているように感じることが多い。簡単にいえば、広い視野でものを見ないで、視野が狭く偏狭になってきている、ということだ。
 もしかして、パソコンやスマホ、辞書など、デジタルなものに人間が依存するようになったことがその大きな原因ではないのか、それは人間の脳にとっても、また総合的な視点でものを考えるという点でも、あまりいいことではないな、と思ったりもしている。なにかちまちましていて、おおらかさというものが感じられないのだ。