OSK見聞録

(学生時代の手記より)

 大阪にこのような類の娯楽が宝塚以外に存在することを今まで知らなかったとは恥ずかしい話である。宝塚歌劇の名であれば知らぬ者はまずいないであろうし、宝塚を通してミュージカルを知る人も多い。宝塚を観ることでミュージカルというものに僅かでも触れることが出来、そのままミュージカルの世界に入っていく者もいれば、また、大部分の人達は、それで安心して二度と触れることはないか、あるいはあったとしても、第二第三の宝塚の世界にまで興味が及ぶ人達となると、かなり少なくなる筈である。
 かつて、京マチ子や笠置シズ子を生んだ、65年の歴史を持つOSK日本歌劇団とは果たしていかなる完成度の高い華やかさを見せてくれるのか、という期待はかなり大きいものだった。近鉄電車のホーム、上本町、難波、新大宮などで見るOSK公演のポスターは、阪急電車駅で見る、宝塚のそれと比較して、決して劣るものではないし、今春の「楊貴妃」の際には日曜祝日など、上本町近鉄劇場は切符がとれぬ程の盛況であった様だ。当然、今回の「マルコポーロ------」公演も、日曜日ということもあり、立ち見を覚悟していたのである。
 しかし、OSKの現況を知るためには、あやめ池円形大劇場の中へ入って、劇場内を見渡しただけで充分であった。幕が上がるのを待つまでもなく、中小映画館のような座席や古びた壁面、劇場全体の規模、そして何よりも客の入り具合を見ることによって、宝塚歌劇との雲泥の違いに侘びしさを感じるのだ。約1000人弱くらいの席があるだろう。その三分の一埋まっているとは見えないのである。特に中央部の通路を挟んで後ろ半分の席などは、人数をひとりひとり目で追って数えるのに充分である。
 宝塚の第一期生加入が大正2年であるから、それを追いかけるように大正11年に誕生し、同じ少女歌劇として似たような路線を走ってきたこと自体、宝塚歌劇と比較してくださいと言わんばかりである。そのわりには劇場そのものがまず物足りない。確かに円形劇場であるが、今日の劇場としては「大」をつけるほどのものではなく、円い形をした中小の映画館といった方が的を得るような気がする。今日日、映画館でも館内の内装に力を入れるようになっている。まして生の芝居をみせる器として、日本の代表的劇団のホームグラウンドとして、時代から取り残されていると思うのだ。観客にとって重要な、芝居前後の僅かな時間が、この劇場のこの空間では、洒落たオペラハウスの空間から芝居に入っていく場合と比べて、芝居に入る前の段階で格段の差がつけられてしまう。折角のショーが、器によって台無しになる、というのは、至極当然のことだ。
少ない観客、廃れた劇場、とくれば、芝居を観ずして大体実状はわかったのだが、辛うじて最後まで席に着いていられたのは、幕の上がる瞬間の興奮とフィナーレに関して、いずこも同じ、例の単純明快な派手さをもって、充分ミュージカル足り得るものだったからだ。何と表現すれば良いか、品というか格式というか、洗練された部分を持っていないのだ。ミュージカルのような娯楽も、やはり商売であるからには、客にうけなければならない。そのためには当然、時代の流れは無視出来ない。流行り廃りを気にもとめず、この人達は同じ所で足踏みを繰り返しているのではないか、とさえ感じたのだ。クラシックバレエのように、古いものを常に新しく感じさせる手だてだってあるにもかかわらず、新しい筈のものが古くさく感じられる事態に陥っている。惰性で公演を繰り返すようなことはしないだろうが、劇団の良し悪しを決定するのは、決して踊り手や俳優ではない。勿論、その時代時代にスターは必要だが、そのスターを生み出すのは時代であり、時勢に乗るための努力は企画側が馬鹿では出来ないのである。演出家や脚本家、監督、経営側が一体となって、いかに商売として成り立たせてゆくか、 である。本当のいい物を、客が好んで見に来るとは限らないのだ。客が悪いものを望めば、悪いものだって積極的に演じるべきだし、それによって、悪いものではなくなる。それはひとつの、商業ベースに乗ったポリシーである。
 今回、OSKを初めて観て、その他に細かい点を言えば、まだ色々な点に文句をつけられると思うのだが、基本的に、今のままのOSKでは駄目だ、と感じるのだ。宝塚路線はいい加減に脱却しなければならない。同じ少女歌劇であっても、まだまだ可能性がある筈だ。利用する手は全て利用していいと思う。マスコミを駆使してスターを二三人、促成栽培すればいい。上本町の立派な近鉄劇場で演じる際には、特に力を入れてアピールする。ラインダンスはそのまま残して、ストーリー性も重視し、やむを得ずブロードウェイナンバーを入れたっていいじゃないか。ブロードウェイがありきたりなら、世界各国からミュージカルに取り入れられるものは、あらゆる文化を取り込んでみる。日本の舞台文化の流行発信地にしてやろう、という意気込みがどうしても欲しい。そういう意気込みだけでも、充分人を惹きつける力になると思う。そして一方では、伝統的ラインダンスも見せ、宝塚路線もちらりと見せたりする。
 さまざまな手法でOSKが復活し、独自の展開によって発展するよう祈る。