東京スカパラダイスオーケストラ

1999 Club Tour 「荒野を走る」

1999年5月24日 新潟フェイズ


追悼・青木達之

 「青木達之自殺」このニュースにどれほど衝撃を受けたことか・・・
 自分の大好きなミュージシャンが、現役バリバリのままこの世からいなくなる、という事実はなんと悲しいのだろう。しかも、日本を代表すると言っていい敏腕ドラマーであると同時に優れたDJでもあった青木達之がいなくなってしまったのだ。日本の音楽シーンにとって非常に大きな損失であり、もちろんスカパラにとってもバンド存続の危機と言える事態でした。今はただ青木達之の冥福を祈るとともに、彼のためにもツアーを敢行することを決断したスカパラの勇気に拍手を送ろう。


ブランキー・ジェット・シティー恐るべし

 さて、10カ月ぶりの新潟公演。チケットを買った時はまさかこんなことになるとは思わなかったよ。万感の思いを胸にフェイズに入ると、残念なことに客の入りはイマイチ。キャパの3分の2くらいでしょうか? 周りの客の様子を見ても、みんな冷静というか、「追悼公演」的な湿った雰囲気はない。開演前から「青木さ〜ん!」などと泣き叫ぶ少女が続出か!?と予想していたので、残念なような安心したような不思議な気分でした。
 ステージにはまず今回のサポート・ドラマーである中村達也(ブランキー・ジェット・シティー)が登場し、軽くドラム・ソロを叩きます。青木達之に捧げるという意図があるはずのこの演出には感動しました。そして、メンバーが気合いの入った表情で登場してきます。これだけでもスカパラの「走り続ける」という意志は十分伝わってきました。冒頭は5曲くらいアップ・テンポのナンバーを続けて演奏。その迫力は壮絶でした。私のスカパラ史上でも最高の演奏。
 日本屈指のパンク・ドラマーとはいえ、あの中村達也がスカをどう叩くのか!?というのは、結構心配でもあったのですが、イケイケの曲に関しては結果オーライですな。青木達之のドラムとは全くタイプは違いますが(青木が「タカ・トン」なら、中村は「ドスッ・バシッ」という感じ)、中村のドラムのアグレッシブさがいい方向に作用していて、あんなに攻撃的なスカパラは初めて聞きました。さすがにミディアム系のスカ・ビートの曲はちょっとノリが合わないかな?という感はありましたが、この短期間であれだけの演奏を作り上げた彼らの力はやはり素晴らしい。


苦難の歴史をもつバンド

 それにしても、リーダーASA-CHANG の脱退、ギムラの死去、冷牟田の瀕死の交通事故、そして今回の青木の死。凄い歴史を持ったバンドになってしまいました。私はギムラが入院して以降のスカパラしか見ていないので、ギムラの死がどれほどの喪失感を彼らにもたらしたかはよく分からないが、今回はドラマーという最も基本的ななポジションを失っただけに、今後の活動には大変な困難が待っていると思う。青木達之に代わるドラマーというのはそうはいないでしょうから。
 しかし、こんな大変な時でも最高の演奏をできる彼らは、まさに日本最高のライブバンド。これからも応援しますから、この危機を乗り越えていってください。青木達之のためにも・・・

 



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