1998年7月22日(日)

わたしたち家族は三度、ここロシアの土を踏んでしまいました。 (ことばのあやというものでしょうが、わ
たしにとっては、この表現がぴったりなのです。このロシアでまたどんな難題をふっかけられて、バカバカしいこ
とに多大なエネルギーを使わせられるかわかったものではありません。)
きっと今日のドゥニャンは、両肩に思いっきり力を入れて、鼻息も荒くロシアっていう巨人に向かって必死な形
相になっているだけの無力な生物のようなものに違いありません。
だから、力無力な力士がしこを踏み外すように、ズッデンともののみごとに、もんどりを打って倒れてしまうかも
しれませんし、霞にうっちゃりをかまされるかもしれません。そんなところなんです。ロシアって・・・。
ああ、平和な我が家の日常よ。コレニテ、おさらば。

上のむすめはきっとロシアの中学校に通うことになるでしょう。入学するまでにどれだけの許可証と書類を用意
しなければならないか、今から、しこを踏まずにはいられません。(ロシア人にとって無料でも、日本人だという
だけでどれくらいお金がかかるかわかりません。交渉しだいではタダにもなり、巨額の授業料を払わされたり
もします。)

これから、2年間住むことになるアパートだって、全くめどうがたっていません。
日本は経済大国だ、日本人はみんな金持ちだろう。だから、日本人からはどんなにぶっかけてもかまわんだろ
う。と、いうのがロシア人のメンタリティなのです。(もちろん、悪い人ばかりではありません。それどころか・・
・。わたしたちを全的に受け入れ、何くれとなく助けてくれるのもロシア人なのです。)
ロシア人にとってのお金の計算式はとっても大まかです。「200・300は金のうちじゃあねえ」みたいな雰囲気
を平気で醸し出すのです。200・300といってもドルでですよ。日本円に直すと今だったら、少なくとも140倍は
しなければなりません。どんなに大きな桁になるか、考えてもみてください!!

日本人も日本人です。わたしはロシア人なんかとちがいますです。とばかりに言い値を払ってしまうのですか
ら・・・。押したり引いたり、引っ張ったり、もっと交渉を楽しんでいただかないと、わたしたちのような貧乏日本
人は本当に困ってしまいます。
 
 
 

大韓航空機でシェレメーチェボに着いたわたしたちの荷物はすごい量でした。一台のタクシーには載
せきれる量ではありません。

大きなスーツケース3つに小さめのキャリヤーが2つ、それぞれのバックパックと両手に手提げの
袋。バックパックといっても一つには10キロにもなるドゥニャン手製の味噌がしっかり入っています。それ
に子どもたちの教科書やおもちゃなど、小山にもなろうかと思うほどの手荷物です。全部で250キロは軽く超え
ていたと、思われます。
 

どうしようか・・・。日本を出る頃からの心配は荷物のこと。
 
 

ところが、タクシーの運転手さんはちゃんとそれを心配なく、わたしたちと共に一台の乗用車に載せ
てしまったのです。(さすが!!) だけど、シェレメーチェヴォ空港から、40キロくらいのおばあちゃんのア
パートまで75ドルもしたんですけど・・・。 75ドルも払うのは馬鹿だけど、インツーリスト(外国人専用の旅行
社、基本的にロシア人用料金とは少なくとも5倍になってしまうとと考えてもいい)のタクシーを2台雇ったら、
100ドルになります。なにせ、ここはシェレメーチェヴォ2空港。外国に対する空の玄関口です。安いわけがぁな
い!!安全のことを考えると2台に別れて、タクシーに乗るのは危なすぎました。これは保険と考えました。

 

なんとか、懸案の荷物も一緒におばあちゃんの家につきました。去年の夏以来、一年ぶり。

久しぶりに会う大家のおばあちゃんは老け込んでいました。

「この一年、おばあちゃんのご一家は元気に過ごせましたか?」
「いいや、そんなにこの一年はよくなかったんだよ。」

白内障の手術を8月下旬に控えていること,手術にはちょうど500ドルかかるということです。

近頃、モスクワではいい医療を受けようと思ったら、けっこうな金額を支払わなければなりません。(共産主義
政権時代は、表向きには、全ての医療費は無料であることを約束されていました。)仕ごとがなく、ほとんどお
金とは言えない額の年金しか収入のないおばあちゃんにとって、この出費はとても痛いものです。

「そう、おばあちゃんのこの一年は大変だったのね。」
「いやいや、もっと困ったことがあったんだよ。」
と、おばあちゃん。
 
実は、去年暮れ、双子の孫のかたわれ、アレークが暴漢に襲われて、手を折った挙げ句、片目の視神
経をやられてしまって入院中だというのです。
モスクワでは、一方では、ノーブイ・ルスキイと言われる一握りの金持ち層がここ数年で自分たちの経済的
基盤を着実に実らせつつあるのに比べ、一方では、社会主義崩壊に伴う一種の社会基盤の崩壊からくる社会
の激変と価値観の変化についていけない人々の間での心理的喪失感が根強く、置き去りにされた極貧層に
位置させられた老人と、いわゆる不良という若者が増えているのも事実です。
ロシア・ナショナリズムのネオ・ファシスト党のリーダーであるオルカショーヴは、その価値喪失してどこに行っ
ていいのかわからなくなっているこのような若者たちの間で徐々に力を持とうとしています。
ロシア・ナショナリスト団結党と名づけて、党員たちのことをオルカショーフツイ(オルカショーフの仲間たち)と称
して強い団結力を持たせようと試みています。
ロシアでは、国旗以外の旗やエムブレムを、政治団体などが持つことを禁じているのですが、このロシア・ナシ
ョナリスト団結党は写真のようなエムブレムを勝手に持って強がっています。

暴力とグループへの帰属意識で自分がまるで強いかのように錯覚している若者の集団に罪もないアレークは
やられてしまったのです。去年、夏、ダーチャで会ったアレークは明るくさわやかな風みたいな若人でした。彼
の目がこれ以上悪くならないように祈ります。
 

もう一つ悪いことにはおばあちゃんの50歳になる一人娘タチアナさんが、企業から定年退職を昨年言
い渡されて、失業中です。 いずこも同じで、求職には年齢制限があります。アレーク君の療養にたくさんお
金がいるのですが、仕事につきたくてもなかなかいい仕事にはつけません。
タチアナさんは、元は軍の原子力関係の技術者だったから、能力に自信もあると思います。

おばあちゃんにとっては大変な一年だったにちがいありません。

ダーチャに一人帰って行くおばあちゃんを見送りました。おばあちゃんは、道路の段差でまごついて
いました。よっぽど目の調子が悪いのに違いありません。

なつめやあびとのモスクワのおばあちゃんとして、元気で長生きしてもらいたいものです。
 
 
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