1999年3月3日(火)

今日は、お雛祭りだ。女の子の日である。びーびーに言われるまですっかり忘れきっていた。
日本では、女の子のいる各家庭では、お雛様を飾ってケーキを食べたり、桃の花を飾って、菜の花のお吸い物をすすって・・・。
ちょっと、山を散策するとホーホケキョと、うぐいすの雛鳥がへたくそに鳴いているのかもしれない。



外はまだ冬景色。最近はお日様がやっと元気を取り戻して来たようで、日向に佇んでいると、重いコートを通して光がチクチクと気持ちよく肌を刺す。

ここはロシアだ。




春の光を見ても、ドゥニャンは、どうしても憂鬱である。淋しいし、悲しい。


隣りのアミールが、
「ドゥニャン、うちのアイーダに何かいい仕事はないかい。」
と、たずねて来たのだ。

アイーダは、世が世ならば、建設省次官のお嬢様だっただが・・・。今は昔のお話。


去年の夏のルーブルの暴落以来、アミールの給料の遅配がずっと続いている。
どうにかして、アミールとアイーダの力を合わせて二人の可愛い娘さんたちにちゃんとした教育を受けさせたいと切実に願っている。


アイーダはとても優しい。本当の意味で、いいお育ちの人なのである。
びーびーの友達であるアミールたちの下の娘さん(イルミーラ)の誕生日、そのお祝いのパーティにびーびーは招かれていった。
ドゥニャンもイソイソと、ヴィデオカメラを持って、ちょっとそのパーティを覗かせてもらった。


アイーダのイルミーラへのはなむけの言葉。

「イルミーラ。わたしのいい子。いつもいつもいいお友達に囲まれて、今のままのあなたでいて欲しい。イルミーラ。あなたの楽しみはわたしの楽しみなの。わかる?ママはいつも一緒にいるわ。それが、わたしの一番の大きなお願いでもあるの。」


絵にあるマリア様のようなまなざしを彼女に真っ直ぐ向けて、優しく語り掛けるアイーダをファインダーを見、その言葉を聞いていたら、思わず鼻の辺りがムズムズしてきて、目頭が熱くなってしまう。


ヴィデオで取られているという意識も無しに、ただただ、イルミーラに素直に語り掛けるアイーダ。





何か美味しいものを作ると、月に1・2回、負担にならない程度に、おすそ分けをしてくれる。心のこもった手作りの料理だ。

異国の地で、長い冬を過ごす寂しさを感じた時、隣りのドアをノックしてみる。アイーダはいつも暖かく出迎えてくれ、お茶を入れてくれる。10分と長居をするわけではないが、ホっとする時間である。



そのアイーダを、わたしは一時間3ドルの仕事に出そうと懸命になっている。


わたしは、アイーダの働けそうなところを見つけてしまった。


ここロシアでは、人件費は安い。日本人駐在員夫人たちの多くがロシア人のお手伝いさんを使っている。

そしてまた、ロシア人の方でも日本人のお手伝いさんとして働いて少しでも家計の足しにしようとしているのだ。

ロシア人にとって、今、確実にドルが手に入る仕事は貴重である。8月の経済危機以降、中流の人々の生活は目に見えて苦しくなってきている。
アミールの家もそうなのだ。

「ヨシコサアン、ヒロシサアン、今日は3時間、白タクをして70ルーブル(420円)稼ぎました。結構、いい収入になりました。」
と、アミールは言った。



「今日、とうとう、うちのテレビが壊れてしまったよ。今までなら、ブヌコボ航空で働く同僚に修理を頼んでいたんだが、奴もやっぱり俺と同じように白タクを流してるからな。
ただでやってくれとは、言えんだろう。」




日本人駐在員の多くは、お手伝いさんを雇い、日本では見られないような素晴らしい芸術家たちによるバレエやオペラを安い値段で鑑賞し、習いごとにふけり(もちろん、それが悪いわけではない)、ロシアでしか買えない素晴らしい手仕事のものを買って帰る。(当然の事だ。)



だが、一つだけ、ドゥニャンからのお願いがある。


どうか、どうか、
「うちのメイド」
「うちのドライバー」
と、呼び捨てにするのを止めて欲しい。


それって、懐の深い素晴らしいロシアの人々を友達に持つドゥニャンを哀しませるのです。
「あなたたちって一体、どれだけのもの??」
って、思ってしまうのです。

せめて、お手伝いさんと言って欲しい。
運転手さんと呼んで欲しい。



お願いします。

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