6月5日(土)

日本で中学1年生の1学期を終えたばかりの娘は、9月1日、わたしと共に学校の玄関をくぐった。
まだ、木々の葉は本格的には色づいてはいないものの、8月下旬の寒さにカサコソと音の鳴るような乾いた枝を私たちに見せていた。
新学年を迎えるには、不思議な光景だった。
新一年生の入学式に続いて、上級生からの出し物が講堂で大々的に出されていた。10年生・11年生が演じる演劇や歌の披露など、玄人はだしで、堂々とした演技ぶりに舌を巻いた。
まだ小さい下級生たちも上級生を支えて一生懸命その会を盛り上げていた。

学生たちから先生に花が手渡され、おのおのの先生の両手は花が抱えきれないほどいっぱいだった。

なつめは大学進学にもねらいを定めた人文科学(日本で言う文系)クラスに入れられた。
そこには、もう学校の初等部を終え、少し大人に見えるように成りすました緊張した面持ちの子どもたちの顔があった。

クラス替えが終わった後、校長先生でもあり担任の先生であるパーヴェル・パーヴロヴィッチのクラスに振り分けられた娘は柔らかい秋の光の射す教室の中の一番前の席があてがわれた。隣りには先生の息子さんがなつめの世話をするために座らされていた。

話の中で、7年生からの数年間、子どもたちは知的な世界へと自分たち自身で広がっていかなければならない。大学進学クラスとして作られたこの人文クラスの中で思う存分勉強に励み、本当の知性の意味を少しでもわかってもらいたい。
学者になるとか、弁護士になるとか、医者になるとか、目標を持つことも大切ではあるが、勉強を手段とだけとして見てはいけない。
人生の中での教養とは自己を見詰め、自分を助けるものでもある。自己形成のために役立てるものとして受け取れるようになりたいものである。
それには知識に対して真摯であることが大切であるとおっしゃった。
また、教養のある者は、人間を知り、公正であることが一番大切なことであるとも言われた。

教育とは人間形成の一助をになうということである。人間というのは深く優しいものである。そうした人間理解を深めるものとしての教養を養うことを7年生、12・3才の子どもたちに今年度から身を以って君たちに教えたいのだ。思春期の青年期前の子どもたちにとって、これからの勉強がどんな意味を持っているのか、これからそれがいかに子どもたちの役に立っていくのかを強調していらした。


この素晴らしい先生のお話を聞きながら、わたしはほっと安堵の息をついていた。この先生に一年間娘を託することを決意したのは間違いではなかった、と。

むすめは分かるはずもないロシア語の長い話を身じろぎもしないで聞いていた。どんなことを考えているのだろうか。この新しい学校で彼女は何を学ぶのだろうかと、期待と不安が入り交じった顔をしている娘の顔を見詰めていた。

翌9月2日から、普通の授業が始まった。

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