1999年9月22日(火)

ヘンヘンの国際学会があるということで、ドゥニャンたちも腰巾着よろしくクラスノダールへ行くことになった。
航空会社はクバン航空。この航空会社はあまり聞いたことがないと思う。
ドゥニャンたちもはじめてだった。
ロシアの南西部のクバン地方に因んで付けれらた名前だから、知るよしもない。

飛行機は小さな小さなヤーコヴレフ42型機。(それでもジェット機)

グルジアやアゼルバイジャン、クラスノダールなど南方へ向かう飛行機が発着するこれでも国際空港ブヌコボ空港からの出発となった。(だって今ではグルジアもアゼルバイジャンもロシアではなく、外国なんだもの。)

空港でのチェックは厳しい。クラスノダールは国内なのに出国並みの審査である。
パスポートを見せ、スーツケースを広げさせられ、金属探知器ゲートをくぐる。
ヘンヘンなど、金属探知器に引っかかったら困るということで、探知器ゲートの横にカギや財布などを置いての第一歩だった。
もちろん探知器には引っかからないが、審査官がその挙動をおかしいとみたのか、ヘンヘンのお粗末な口髭が災いしてか、隅の方にある部屋へ入れと言われる。
「何も持ってませんよ。」
「いや、入るんだ。」
却って密室となる取調室に入れられるのが、なにやら怖い。
日本のパスポートを見せて、何も持っていないと、ポケットを示すが、審査官はどうしても密室にヘンヘンを入れたい様子。
入ってから出てくるまで、1分。
だって、怪しいものなど何にもないんだモン。


さて、搭乗ゲートに行ってみるが、まだ飛行機までのバスが来ていない。
「あと、2分で来ます。」
搭乗ゲートの女性係官は随分細かいことをおっしゃる。

本当に2・3分待ったら、バスが来て、待っている乗客を乗せて出発した。

飛行機にはタラップは付いていない。お尻の方に穴が空いていて、それが階段となっている。
10段ほど上ると、そこは乗客の大き目の手荷物でごった返している。それを乗り越えて、やっと席に着くのだが、自由席だから、勝手に空いているところに座れと言われる。
でも、チケットにはちゃんと席番が書いてある。そんなもの何の効用もないらしい。


かなり古い機体である。窓を見るとガラスと壁の間は隙間があき、寒風が吹きすさんでくるような感じ。

でも、何とか出発と相成った。機体が上昇をはじめる時、ある一定のリズムでフワ、フワ〜と、持ち上がる感じがある。これで安全が確保されるのか。一抹の不安が残る。

飛行機に乗ったら、必ず救命ベストの着用の説明があるものだが、今回それはなし。普通座席の下に救命ベストなどの装備があるべきだが、中はすっからかん。その上、緊急時の酸素マスクなどの装備もない。
「大丈夫かな。」
上の娘が心配そうな声で夫に確認している。
「大丈夫だろう。自動車事故より飛行機事故の件数は絶対的に少ないから。」
全然、説明になっていない。

さて、水平飛行に差し掛かった時、2時間あまりの飛行時間があるのだから、機内サービスが始まるだろうと期待したが・・・。

スチュワーデスさんは、例のワゴンを持ってきて、お菓子や飲み物などを運んでいた。どれが欲しいと聞いている。
そしてしっかり料金を言っているのだ。
ソーセージやチーズの乗ったオープンサンドも持ってきてくれるのだが、それも有料。
スチュワーデスさんはウェートレスさんに早変わりしたわけだ。
そして、新聞や雑誌なども配っているが、もちろんお金を取る。

なかなかの商魂である。



なんの機内サービスもない飛行機の中はとても手持ちぶさたである。小さな円形の窓から外を眺めていると、整然と長方形に整備された茶色い耕地が続く。
日本の一枚の田んぼを想像してはいけない。なんせ上空何千mという高さからみても一区画の畑は広い。
時々、小さな町並みも見えるが、その町より、一つの畑の大きさの方が大きい。

最初のうちその大きさにうなってしまっていたが、それがクラスノダールに着くまでの2時間あまり、同じ景色がずっとずっと続くなんて想像だにできなかった。

とにかく、飛行機で2時間下を向いていても見渡す限り耕地につぐ耕地。
どんなことをしても耕地。
どっちを向いても耕地。荒れ野がちっともない。
とにかく長方形がとことん続く大地なのだ。

日本がすっぽり入ってしまうほどの広さではないか。それが全部耕地なのである。

ロシアは豊かな国である。莫大な穀物倉庫をこうしてモスクワ南部にズズ〜イと持っているわけだから。
シベリアが荒野であろうと、苔しか生えない永久凍土の土地が続こうと、この黒土地帯と言うものがある限り、人々は食べるのには困らないであろう。

日本からシベリア経由でタイガが8時間も続くのには参ったが、人間が手を入れて、その土地をすべて穀物庫にしているこの大地に再び驚かずにはいられない。
なんともでかい。

時々見える町の人々がこの馬鹿でかい耕地を耕しているのに違いないが、日本のようにトラクターでいや鍬鋤でと言うわけにはいかないだろう。やっぱり、小麦の播種は飛行機でするのかしら・・・。
それとも大型トラクターでやるのかしら・・。
どれだけの労働量か・・・。飛行機から覗いて見たパラパラとしかない小さな町の人工ではさぞや大変だろう。


外国から借り入れたお金を返せないロシア経済を思うと、この黒土地帯が不思議である。限りなくあるということが、人々をのんびりとさせてしまうのか、別の言葉で言うと人は鷹揚になってしまうのであろうか。

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