2000年1月8日(土)

今日はフィレンツェへ行く日だ。
列車の時刻は12時50分。それまでにまだ間がある。
「殺し屋」にするかそれともあの『ローマの休日』の最終シーンの美術館にするか。

「びーびー、殺し屋、行く?」
起きない。
「びーびー、殺し屋行くなら、もう起きないと。」
「う・むムム・・・」
いくら起こしても起きようとしない。疲れているのかな。

「『ローマの休日』のお城、見に行く?」
「うん!行く!!」
なぜか、こういうことになってしまった。

朝はどこのトラットリアにも寄っているひまはない。近くのピッツェリアでピッツァやパスタ、リゾットそしてサラダなどを5人前ほど買って、朝食にする。安い。
〆て2000円弱。


荷物はホテルに置いて、レッツ・ゴー。
タクシーに住所を言って、博物館の近くまで連れて行ってもらうが、なかなかコロンナ美術館は見つからない。3人に場所を聞いてみるが、(モチロン、その役はヘンヘン。)それぞれが別の事を自信を持って教えてくれる。
教えてくれた辺りを徘徊しても全然それらしきものは見当たらない。
もう一度と、大学から出て来た修道女に聞くが、その人も自信を持って、またもや全く今までとは別の方角を指す。
しかし、そこは敬虔、それに霊験あらたかな修道女。ちょっと場所を考え込んで言っていたのは、気にかかるがまずは行ってみようじゃぁないの。

ところが、そこはますますガイドブックに書いてあるとは違った光景となってくる。
近くにある土産物屋のオジサンのところで聞いてみる。

やっぱり逆の方向に来ていたんだ。
しかし、イタリア人はあっぱれだ。どんな人も間違っていようが自信がなかろうが、必ず聞いた事には答えてくれる。しかもわからないなぁってことは言わない。
他の人に聞いた方がいいわよ。とも、言わない。
とにかく外面では自信をもって断固として、あっちにあると、有らぬ方向を示してくれる。
しかもニコニコと親切なのには脱帽する。

行ってみると、小さな民家の入り口のような目立たない扉があった。
それがそれが『ローマの休日』の最終シーンの謁見の間になったあの場所なのである。
狭い階段を上ってあのアン王女が消えていく入り口へ達する。

皆さん!ごまかされてはなりません!
あのアン王女が消えていった場所は王女の居室へと続く優雅な廊下でもなんでもなく、ただの暗い階段なんですよぉ。
しかし、映画のスタッフというのは立派だなぁ。
あの後ろが、王女の泊まる迎賓館のあの部屋部屋に続くように見えるじゃない。


『ローマの休日』は予算の関係上、本当はカラーで撮りたかったらしいけど、それが実現しなかった。
私達の頭の中にはモノクロでインプットされている。

さて、その部屋を見渡すと、あるわあるわ絵画と装飾。それに天使が描かれたちょっとすすけた鏡。彩色されてギンギラギン。
「こんなだったっけ。」
「それにこんなに狭かった?」
「ここにあれだけの報道陣がどうやって並ぶわけ??」
などなどと、口々に好きな事をつぶやきながら(この博物館に来ている人は有名な絵を見に来ていて、すこぶる真面目に絵に魅入っていた。)、ホールを歩いている私達。 なんなとびーびーはアン王女に成り代わって、階段をしずしずとヘンヘンとドゥニャンが扮した報道陣の側に
「はじめまして」
「ごきげんよう」
を言うために降りてくる。
しかし、なんか違うんだなぁ。
入り口に繋がると思っていた所は、ただの壁(と言ってもいっぱい絵や彫刻が置いてあるんですけど。)。
ちょっと違う。
こんなに狭かったなんて、カメラワークがとてもいいのか、それともペテンだと思う。


モスクワの家に帰って早速、『ローマの休日』のビデオを見ておさらいをしてみると、確かにある。あの豪華な彫刻と絵画それに鏡。それにアン王女の玉座の後ろの柱。
間違いなくあそこであった。


博物館を出た途端、ドゥニャンは
「おなかすいたぁ。何か食べたい。」
と、呟きはじめる。
角を曲がったピッツァテリアに入ってみる。
おいしそうなサンドウィッチが並んでいる。生ハムのを買う。 挟んであったパンを圧して焼いてくれる。パンの外側がカリっとなってとても美味しい。
ヘンヘンと子どもたちはまだ全然お腹が空いていないという。
おかしい。いつもならヘンヘンの食欲に圧されてドゥニャンはいつもお腹一杯状態なのに・・・。
今回はどうしたことだ。
ドゥニャンは始終お腹が空いているのだ。

次へ
モスクワ日記の表紙へ
ホームへ戻る