2000年5月15日(月)

いや、実は先日、5年生のクラスのために特別に私に授業に出て欲しいとの話が日本語学科の先生からあった。
その先生の日本語はとかくややこしく、ちょっと詳しいことは分かりかねた。
もう一人先生が授業にでるのだが、どうしても日本人の先生が必要だということ、それはいつもの私の授業ではなく、別の全く違った枠内で授業をすることだけがわかったのだった。
5年生ということは、東洋学研究所ではもうすでに新聞の文章を読んでいたり、清少納言などの古典を読んだりしているから、これは綿密に授業の前に用意が必要だと、私は一週間前から、日本事典という名の日本の紹介書よりすこしばかり丁寧な本で、ああでもないこうでもないと頭を痛めていた。
それで、結局、日本人の「メンタリティとその行動」という名をつけて、
義理と人情、先輩・後輩、根回し、それに基づく礼儀作法について、日本人の形式的規範、そしてその行動についての講義準備にいそしんだ。

5年生、どれくらいのレベルなのか・・・。ドゥニャンのこの程度のにわか仕立ての日本論みたいなもので、満足が行くものかどうなのか。
突っ込んだ質問があればどうしよう・・・などと心配をいっぱいしながら、その日に臨んだ。


大学に行ってみたら、初老のおじさんが一人、入り口の前に立っていた。
「日本人、先生ですか。一緒にどうぞ、私と来て下さい。」
みたいなことを日本語でつぶやいたのだが、どうもわかりにくい。
でもそれは日本語らしかった。すると、ツカツカツカと指定された教室に入って行った。
学生が二人そこでは待っていた。
その老先生は、男性の学生に
「先生のコートをとりなさい。」
と、命じた。もちろん、日本語で・・・。
今まで大学の授業で、コートを脱がせてもらうような扱いは受けたことはない。
学生達は私のことを「ヨシコ」と呼ぶ。
不思議な不思議な状態だった。
今日は大講義室と行かないまでも、中講義室で日本文化について語るはずだったのではないのか。
それなのに、机3台しか並んでいない小さな教室に招かれて、しかも男性学生が私のコート脱ぎを手伝ってくれる。

「さあ、始めましょう。」
「これが試験の問題(ビレットと普通呼ばれあらかじめ問題が幾つか与えられている。しかもそれの答えをやっぱりここでも丸暗記する。)です。」
と、手書きの10問程の問題を見せつけられた。やばい!やばいじゃないか・・・これは!!
絶対にヤバイのである。ドゥニャンは手書きのロシア語を読みつけていない。しかもロシア語の手書きはすこぶる付きで読みにくい。ドゥニャンのロシア語の能力も問題だが、問題の意味も分からずに試験官をやっていいのか???
ナターシャ(女性の学生)の方は「〜だけ」「〜のみ」「〜ばかり」などの副助詞の細かい違いの説明のようだった。
そんなの前もって教えてくれないと日本語(!!)が覚束ない。困る、非常に困る。
男性学生の方は、尊敬語と敬語の違いをロシア語で説明しているようだ。

座ってはいるが、どうも心地が悪い。
先生の方をそっと横目で伺ってみると、ドゥニャンが横で座っているのを満足げに「ウンウン」とか、学生が間違えたら、口をパクパクさせて、何とか学生に高得点を取らせたそう。

2つ目の問題は教科書から2ページほどずらずらと続く日本語を読ませる。
3がロシア語からの日本語訳、4が日本語のロシア語訳(これは何とかわかる。細かいことはまぁ置いておいて、どんな内容を学生が言っているのが分かるくらいである。)
5が口頭試問。
これがまた、難題。ドゥニャンにどんなことでもいいから日本語で質問せよという。
そんなこと、前もって言ってもらわないと、試験官になるのなんて始めてだから、こっちが随分上がってしまっている。
何を言えばいいのか、サッパリわからん。どの程度のことを質問してもいいのか、或いはどんな話題に持っていっていいのか、実にとんとわからないのである。
先生は、
「さぁ、どうぞ。」
なんて、呑気に簡単そうにおっしゃるけど、ドゥニャンにとってこんなきつい試験官経験は始めてだ。

して、仕方がないので、将来の職業についてたずねてみた。それなりの答えが返って来て、ホっとする。5・6回の応答をして、もっと突っ込んでみようかなと、思った時、先生が
「これくらいでいいじゃないか。」
と、おっしゃった。
差し障りのないことを質問しただけで、学生達の日本語能力が分かったような気がしない。

でも、先生がこれでいいとおっしゃるのでこれでいいかと思った。

で、二人の試験が終わって、
「先生、どう思いますか。」
と、来た。
どうって・・・どうったってなんたって、さっぱり分からないというのが正しい。
どれくらいのことを5年生が要求されていたのかもわからないし、日本語の会話の能力も5・6回のしかも短い応答では分かりようがない。
ただ、1問目3・4問目がすらすら言えていた男子学生の方が良く勉強しているというのがわかる。
「ナターシャは3だと思いますが・・・。」
「はぁ、なるほど。」
「問題はイリューシャですね。先生はどう思いますか。」
「ん〜〜?」
なんで私にたずねるの〜〜〜!!

「どうですか。」
「難しいですね。」
「そうでしょう、3ですか。4ですか。」
えっ?!私が決めるの〜〜〜!!

しばし沈黙する。
「どうですか。」
「4でいいのではないでしょうか。」
とうとう答えてしまう。
「いや、ナターシャのは実は2を付けたいくらいなのですが、まぁ、合格もさせてやりたいので3にしました。イリューシャに4をあげるのは甘いようです。」
みたいなことを言う。
そんなことを言ったって他に比較したことがないのに分かるわけがない。
「どうですか。」
再び聞かれる。
「ナターシャを3にするのだったら、イリューシャは4でしょう。」
「はい、分かりました。それでは、ここに先生のサインと学生達の成績を書きこんで下さい。」
ナヌ〜〜?!ドゥニャンがこの学生達の主査なわけ〜?
いいの??こんないい加減で・・・。

「今回の試験を受けた学生の程度が低いので、私はとても恥ずかしいです。」
いや、こっちの方こそ・・・なにも分かっていないのに、成績まで付けるような先生にさせられて恥ずかしいです。

その後、帰りも学生はドゥニャンにコートを着せてくれて、ドアを開けてくれた。


試験を受けるのは嫌いだが、試験を受けさせるのはもっと嫌いだ!
あ〜、冷や汗かいた。

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