2000年6月16日(金)

彼女はとうとうと語った。
オスマン・トルコの略奪、ヒットラーの侵略、そしてスターリンの強制収容所。
コソボの爆撃。
セルビアがセルビアであるための必死の努力。ビザンチンの血を受け継ぐ人々の力を!
セルビアの歴史は長い。
ちょうど、東西貿易の行路にあたっていたため、どんなに平和に暮そうとしても他民族の脅威を免れ得なかった。
彼女は祖国が通って来た歴史という道筋を冷静に見つめようと懸命である。
どんなことも恨むまい。どんなことも甘んじて流したい。
ひたすら、前向きにこの流れを見据え続けようとする決意がある。

それは彼女の根底をなす宗教の隣人愛の力による。

どんな宗教を信じていても、人間は人間、かけがえのない、隣り人なのである。
ロシアでは、少なくとも彼女の見たモスクワでは、チェチェン人がいる。ウクライナ人がいる。タタール人がいて、アゼルバイジャン人がいる。グルジア人も・・・。
それぞれ宗教は異なっていても、仲良くいさかいなく暮している。
ところが、彼女の住んでいたセルビアでは、ムスリム人とセルビア人が血で血を洗う闘いを繰り広げているというのである。
隣り人を愛したい。愛せるような祖国になって欲しい。

彼女の切なる願いである。

子どもを祖国に帰したい!
自分も祖国に戻って、穏やかな農村の合間にある3階建ての家の中で静かに暮したい。
そこでは全ての住民が彼女の知り合いである。
彼女にとって、知っている人は全て助けるべき人だ。

このロシアに来て、夫は大工の請負仕事をしている。決まった収入はない。
時に工事が終わったら、大きなお金が入る時もあるが、仕事が2ヶ月も全くないという時もある。
それでも、ユーゴスラビアから知人が彼女たちを慕って逃げてきたら、彼女は2部屋しかない小さなアパートの一部屋を明け渡す。
いつまでと、期限が決まっているわけではない。彼に仕事が出来て、このモスクワで生活のめどが立つまでずっとずっと面倒を見ながら、一緒に生活するのだ。
ついこの間まで、彼女の家には洗濯機がなかった。家族4人分とその知人のためにせっせと指先を荒らしながら、彼女は手で洗濯を続けていた。

セルビアに帰れば、立派な家もある。写真で見せてもらった家の中は素敵だ。
調度品も素晴らしいものである。赤い屋根の大きな一戸建てである。それを捨ててでも、モスクワへ来なくてはならないほど、アメリカ軍の爆撃によって、研究所や工場は壊滅的な打撃を与えられていたのだ。

ここモスクワへ来てからの生活はそんなに楽ではない。
夫の収入が不定期だからだ。去年、2ヶ月も仕事がなかった時もあった。
しかし、そんなことは小さな事なのである。
お金がなければないなりに、生活の方法があると、彼女は言う。

それよりも大切なことは、今、祖国の歴史を作りかえるために、4世代先を見つめて子育てをしなければならないという。
小さな現在の自分のあり方が、鎖で次々と繋がっていくように人と人は、横にも縦にも繋がっていく。
そしてその小さな自分が大きな鎖となっていくには4世代は必要だというのである。

彼女の中の遠大な歴史への憧憬。祖国への思い。
それがこの言葉の中に隠されてはいないだろうか。

平和で満ち足りた日本に帰る日が近づくにつれ、彼女の言葉を噛み締めることが多くなる。

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