ボリショイ劇場 スパルターク


1999年11月17日(水)

配役

スパルターク:ユーリー・クレフツォフ
クラス:マルク・ペレトーキン
フリギヤ:エリナ・パリシナ
エギナ:ナジェジュダ・グラチョーヴァ
剣闘士:アレクサンドル・ペトゥホーフ

原作:R.ジョヴァニオーリ

台本:ユーリー・グリゴローヴィチ

指揮:アレクサンドル・コプィロフ

演出:ユーリー・グリゴローヴィチ

舞台装置:シモン・ヴィルサラッゼ

作曲:アラム・ハチャトゥーリアン


古代ローマ時代の名高いスパルタクスの反乱を題材にとったバレエ。狡猾で残忍なローマの執政官クラスと、戦いに敗れ、奴隷となったスパルタークの自由を求めた戦いを対比させて描く。

ヴァシーリエフ主演の有名なヴィデオや吉田秀和による評(『音楽−展望と批評−』朝日文庫、1986年所収)という予備知識はあったとはいえ、何ぶんはじめて実演を見る上に、内容にふさわしくとても大きなバレエなので、個々の踊り手よりも全体の構造を追うので精一杯であった。

一部に紋切り型(クラス軍の行進の表現)、ときには滑稽でさえある踊り(クラスによる権力をみせびらかすくの字型のジャンプ)もあるが、官能の限りをつくしたエギナ(グラチョーヴァ)の踊りと、迫力ある戦士たちの群舞はそれらを帳消しにするどころか圧巻でさえある。また、大きなマントのような半透明の幕が効果的に使われていて、大人数による踊りからモノローグへとの舞台転換を劇的なものにしているところもみどころ。

自由への渇望(スパルターク軍)と圧制(クラス軍)の対比はバレエそれ自体からはでてこない。両軍ともローマ時代ということもあってか地味な色の衣装なので、視覚的にもはっきりとした区別はない(もちろん服装でわかるが)。でも肉体で表現しうる踊りの限りをつくしたものとして無言の迫力が前にでてくる。ハチャトゥーリアンによる激しい打楽器の連打を含んだ音楽を足場として、劇はその上で自在に繰り広げられる。音楽はソヴィエト的な単調なメロディーや金管軍のファンファーレを伴う単純な行進曲もあるけれど、自由への祈りを表現するメロディーには心の琴線に触れるものがあり、、特にコーダの静かな、しかし力強い赤い炎のような女性合唱にはじーんさせられた。

台本では、正義側二人(スパルタークとフリギヤ)対悪の側二人(クラスとエギナ)の対決を軸に描こうとしているようであるが、それを越えて、悪の勝者も含めた演技者全体=芸術家による、人間の運命をにぎるものとの対峙がテーマのようにみえてくる。が、こう思うのはソヴィエト権力下につくられたという事実が過剰な先入観となっているからだろうか。


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