エイフマン劇場 ドンキホーテあるいは狂人の幻想
2000年1月19日(水)
配役- ドンキホーテ:アレクサンドル・ラチンスキー、キトリ:アリーナ・ソロンスカヤ、バジル:ユーリー・アナニアン、ガマシュ:セルゲイ・ジミーン、サンチョパンサ:アルマズ・シュムィラリエフ、ロレンツォ:ヴァジム・ドマルク、医者:ヴェラ・アルブーゾヴァ
演出:バリース・エイフマン
はじめて見るエイフマンの演出。「ドンキホーテあるいはある狂人の幻想」という題名が付いている。
ドンキホーテが狂人役をやるのに間違いはないだろうが、どんな狂人を演じるのか、そしてそれをどうやってバレエとしてみせていくのか、興味のある所である。
テープによる音楽で幕が上がった。
後ろにはバルコニーに似せた窓のあるセットが置いてある。白と青の光に舞台全体が照らされている。そこに白い衣装をつけ白い丸いぴったりと頭により沿う帽子というか頭巾をさせられた精神病院の患者達がバケツを振りかざしながら、出てくる。
踊りはアト・ランダムで脈絡をはずしている様子が良く分かる。
この脈絡に外れながらも舞台としての統一が取れている。なんと言ったらいいのだろう。確かに、ここは異常な世界。しかも正常な意識の世界から外れた病的な世界である事が一目で分かる。
そこへ肩をいからせた女医がホイッスルを持ってやってくる。
患者達のアト・ランダムな動きは、突如、恐怖に満ちた整列へと変わる。しかしその整列もどこか常軌を逸している。
その患者たちの中に、自分はドンキホーテであるという幻想に囚われている患者がいる。サンチョ・パンサも同じ精神病院の患者。
その患者の見る幻想は、現実味を帯び、カラーで彩られスペインの風景の中に押しやられている。
すぐに町の広場でキトリとバジルやそのともだち達が陽気に踊っている場面にうつる。
しかし、その幻想は束の間。容赦なく恐ろしい女医がホイッスルを吹き鳴らし、その幻想を打ち破る。
それでもまたいくらかすると、ドンキホーテであると思っている患者は妄想の世界に返っていく。
そこはスペインはバルセロナ。チャーミングなキトリは父親によって金持ちの男と婚約させられそうになっている。ドンキホーテである狂人は、ここでキトリを父親のロレンツォの計画から救い出さなければならないとの強迫観念に完全に支配される。そして彼は自分がハンサムなバジル青年になってしまうのである。彼のイメージにはどんなくびきもない。自分のなりたいようになれるのだ。
そこでまた、情け容赦のないドクターのホイッスル。
ドクターは、自分の出来るなら正常な心を取り戻させるため、ボール遊びを幻想にともすればふけっていく患者に命ずる。それで患者は遊ばざるを得ないしかも恐ろしい女医からの命令から逃れる事は出来ない。
その現実を確認した所で一幕が終わる。
2幕。ある夜。ここは精神病院。どんな事故でも起こりうるような予感に満ちている。2人の仲良し(ドンキホーテとサンチョ・パンサ)は病院から脱走する事を試みる。もうここでは我慢できない!そんな心が二人を支配してくる。
さて、精神病院から抜け出した二人の回りには、厳しい現実が待ち受けている。
現実の世界を赤いモダンな衣装で表現し、その市民達は切り込むようなモダン・バレエを通して現実の厳しさとしたたかさを表わす。しかもその中に入って心を病む二人の病人にとっては残酷ですらある。
現実世界に適応できる人々の中で自分は騎士ドンキホーテとサンチョ・パンサであると思って無駄なほどの威厳をたたえている二人は馬鹿にされ翻弄される。
ある一人の優しい女の子がその優しさ故に二人を救い出す。
その女の子こそ狂人の幻想の中でまたもやキトリとなって変わっていく。
ここはふたたびバルセロナ。ロレンツォとガマッシュが現われる。ロレンツォはまだキトリににやけた金持ちガマッシュと結婚する事を望んでいる。キトリはバジルと結婚したい。
バジルも然り。しかし、それはかなわないと見てバジルは剣を胸に突き刺し自殺をするふりをする。ここがなかなか面白い。割合と長くこのバレエではこの描写を採っている。何度も笑わせてくれる。バジルは死んだ振りをしているが足が上がっては頭が下がったり。頭が下がったら、足が勝手にあがってしまったり。
それを可哀相と思ったドンキホーテはロレンツォに二人の結婚を許すように説得する。若いカップルは、ロレンツォから結婚を許され、グランバ・ド・ドゥに入っていく。
しかしながら、最後にはやはり無慈悲にも本当の現実に脱走した狂人達は直面せざるを得ない。精神病院の囲いの中に女医によって取り込まれてしまうのである。
それは金属製のフラフープのようなサークルに囲まれる事によって表わされる。どうしても現実の円環から抜け出る事が出来ない。それをそのサークルは表現しているし、また病院の不自由さをもそれが表現してくれる。
エイフマンのドンキホーテの演出は素晴らしいものだった。
モダンバレエとしても素晴らしい出来だと思うし、また、古典的なバレエも見せ場は決して落とす所なく見せてくれる。
また、バレエの水準も立派なものである。特にコールドが著しく素晴らしい。モダンバレエを見る時の気恥ずかしさを感じさせないのがいい。モダンというより、これでしか表現できないなにかぎりぎりの線をみせてくれる。
古典バレエの場面でのキトリは粗いながらもなかなか立派なプリマである。
振りが大きい。ちょっと繊細さにはかけるかもしれないが、表現、技術どれをとっても一級である。
今回のエイフマン。とても楽しませてもらった。
また、その中に人間存在という哲学的な命題もあったような気がする。
どこまでが狂気でどこまでが正気なのか。或いは現実世界こそまた狂ったものである。
というところも・・・。
エイフマンの演出の立派さに目を見張った。
それに古典の部分とモダンの部分の衣装の対比。
どの衣装をとっても考えられた素敵なものだった。
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