南フランスのボルドーで本当にあった話。
なんと、動物園のカバが20年来飼育していた担当のおっちゃんを食べちゃったの。
あのね、カバがガバーッと口を開けて人間を食べちゃったのよ、本当に。
カバがガバーッと口を開けてバカを食べちゃったというならシャレみたいな話だけど、
このおっちゃんは決してバカではなかったようだから、真紀子も不謹慎な言い方は慎むわ。
それにしても、凄い事件よね。なんとも恐ろしいわ。
だけど、この逆のケースは、人間が「ごく当たり前のこと、
日常的に必要なこと」としてやっているわけだから、
このおっちゃんには気の毒だったけど、
希にあったからといって単純にカバを恨むことは出来ないような気がするわ。
動物保護団体とか自然保護団体は、人間が動物を殺すことに対してギャーギャー喚くけど、
あれって真紀子に言わせれば全く矛盾した主張ね。
だってそうでしょう?
他のテーマでも書いたけど、有名なグリーンピースの面々は、
人間による動物の殺戮禁止を訴えた集会を終えた後の食事は、血の滴るようなステーキですからね。
自然界では、弱肉強食が当たり前。
それは、他ならぬ己が生きるためであり、この連鎖が乱れると優れた種も途絶えてしまう、
いやいや、優れていようといまいと種そのものが消滅してしまうわ。
人間と食用動物も全く同じ。
素手で殺し合うか、弓矢で殺すか、ライフルで殺すか、いったん飼育してと殺場で殺すか、
手段方法は違うにしても己の都合で、己が生きんがための餌を手に入れるため相手を殺すという構図は、
弱肉強食のそれと全く同じなのよ。
希少野生動物を保護するために行う殺戮禁止措置は、この際別の話よ。
とにかく、豚は殺しても良いがキリンはダメとか、
牛は食用にしても良いがパンダはダメとか、
馬(桜肉という)は食べても良いけど犬や猫を食べてはダメ等というのは「意味無いじゃん?」
いえね、殺した動物を食用にするでもなく(人間が生きるために殺すのではなく)
単に殺すことを楽しむとか、殺した動物をそのままゴミとして捨ててしまうとか、
自然界の動物がやっていないような無駄で不真面目な殺戮は、
人間の奢りであり断じて許されないルール違反よ。
仮に、仮によ、人間が食用として動物を殺すことが許されないなら、人間は絶滅するわよ。
動物性タンパク質欠乏症症候群。
それだけじゃぁないわ。
動物がダメなら植物だって命があるんだからこれもダメじゃん!という話になるわ。
イスラムの社会では食することを許されている肉は鶏肉だけよ。
インドでは(たぶんヒンズー教だと思うけど)牛が神の使者としてあがめられ、
乱暴な取扱いさえ禁止されているわ。
このようにキチンとした宗教とか毅然たる哲学があっての主張ならまだしも、
単に、「人間が動物を殺す権利がどこにあるんだ!」ごとき盲論には、
真紀子、全く耳を貸すつもりが無いの。
北海道かな?熊と人間の共存共生ですってよ。
真紀子に直接関係ないから「どうぞご自由に・・・・やったら!」という感じたけど、
真紀子の常識に基づいて分類すれば、この発想は「お笑い」というジャンルにスッポリ収まるわ。
人間が人間の都合で動物を殺す。
動物は、人間に負けじと必死に反撃する。
結果、希にはカバに人間が食われて死ぬこともある。
自然だわ、これ。
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