これもhpを立ち上げた当初のテーマです・・・古くてごめんなさい!
でも、古いモノがあるから新しいモノも生まれるのです・・・なんちゃって!
第2次橋本内閣の組閣で、
ロッキード事件で有罪判決を受けた佐藤孝行を総務庁長官に起用したことについて、
前代未聞のことでもあり新聞やテレビで甲論乙駁。
橋本総理は、
1 人間は一度過ちを犯すと生涯それを背負って生きていかなければならないのかと言っていた。
「執行猶予期間が過ぎたのだし償いは終わった」と言う人もいたわね。
また、総理は、
2 過去の過ちを償うべく精一杯働いてほしいとも言い、更に、
3 国民から批判を受けることは承知の上での判断だ・・・・とまで言い切った。
それに対して批判派は、
一般の会社であれば懲戒免職となっているはずの人だと猛反発し、
外国のマスコミ等は「こんな犯罪人を大臣にしなければ他に人材がいないのか」
と驚愕するとともに皮肉を込めながら強烈に批判していたわよね。
政治家に潔白さを求めるのは、極めて重要なことなので真紀子も意見を言わせてもらうわ。
まず、総理の@発言は、とんでもない勘違いに基づく暴言だと言いたいわね。
つまり、一度犯した過ちを生涯背負って・・・・と言う主張は、多分、
刑期を終えて出所してきた人に対して世間は冷たすぎる。社会復帰の機会を与えないのはおかしい・・・
との一般論を逆手にとった意見だと思うのだけど、それとこれとは明らかに違うわよ。
何が違うかというと、世間から社会復帰を受け入れてもらうためには、
まず、司法の判断(判決)を尊重するということ。
これが大原則・出発点であるにもかかわらず佐藤孝行は、判決を批判し続け、
あまつさえ司法批判の本まで出版しているのよ。
総務庁長官になるや、手のひらを返したように突如として謝罪をし始めたけど、
これは、彼の腐りきった性根を世にさらけ出したものと言わざるを得ず、
犬畜生以下の卑しさと、ウジ虫並の醜さを国民に見せつけたことになると断じたいわ。
ある新聞に識者の意見として載っていたけど、これが許されるなら、
有罪判決を受けた一般の公務員も謝罪すれば復職できることになるわよ。
まったくそのとおりね。
また、橋本総理は「自民党内部で党役員をやっているよりも、
大臣として国民の視線の下で仕事をしてもらう方がより良い」
という意味のことを言っていたけど、これまたエライお粗末な話ね。
これが一国の総理大臣の言うことかと我が耳を疑ったわ。
こんな人に日本の舵取りを任せるのかと思うと情けないわね。(案の定、失墜したけど・・・ね)
国民監視の下でなければ何をやらかすか分からないような人を大臣にするなどもってのほかよ。
しかも、その役職たるや公務員の規律・倫理を指導・監督する役所である総務庁の長官よ。
また、一部で報道されているように「中曽根の身代わりで罪を一身に被った」というのが真相なら、
そういう力学が働く永田町の体質改善が先決なのかもしれないわね・・・。
ともあれ、佐藤孝行本人も、橋本総理も、
中曽根も、やっていることが滅茶苦茶で国民を愚弄しているわよ。
あの佐藤孝行という男は、総務庁長官のポストを降ろされないためなら何でもやるんじゃぁない?
例えば、橋本総理や中曽根が「肩をもめ」と言えば何時間でももんでいるだろうし、
パンツを洗えと言われれば、プライドも見栄も信念も全てかなぐり捨ててそれをやりとげるだろうね。
【ここからは、余談】
真紀子のパンツも洗うだろうか?って・・・・うーん、それ、難しい質問ね。
どういうわけか、結構、汚れが激しいからなぁ・・・最近の真紀子のパンツは。
【余談・・・ここまでで終わり】
もっと言えば、
橋本総理から「総務庁長官のままでいたければ、今度は、私のためにロッキード事件の時のようなことを
もう一度やってくれ」と頼まれれば、迷わず「はい、わかりました」と答えるのじゃぁないかしら。
何のことはない。
彼は、全く反省などしておらず心の中では、国民に向かってアッカンベーをしているのね。
Aについて、佐藤孝行の行政改革に対する優れた手腕を評価したという話も聞くけど、
冗談じゃぁないわよ。
橋本総理が自ら言っているように「燃え尽きる覚悟で」やろうとする行革なら
他にいくらでも手足となって働く有能な人材はいるはずよ。
橋本・佐藤ラインでなければ行政改革ができないというのなら、
総理大臣の指導力のなさを自ら世間にさらけ出していることになるだけよ。
ことの真相は「中曽根からゴリ押しされて屈した」にすぎないのよね。
Bについてだけど、橋本総理よ。
まさか「一人くらいならよいだろう」という考え方ではないでしょうね?
国民は、人数の問題じゃぁなく、
有罪判決を受けた議員を大臣に起用するというその神経を疑い暴挙を批判しているのよ。
総理があくまで「自分のやっていることは間違っていない」というのであれば、
全ての大臣を有罪判決を受けた議員で構成しても何ら問題ないということになるのよ。
それをやった場合でも、世間の批判に対抗できるというの?
国民の批判を覚悟してやるということは、そういうことなのよ。
国民をナメてはいかんぜよ。
いい加減なことを言ってもらっては困るぜよ。
「総理大臣の暗殺」は、決して死語ではないぜよ。
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