明けても暮れても新聞・テレビは行政改革の報道で 賑やかなこと、騒々しいこと。
そして、その内容も転々と変わり、延々と続く。
それが、真に改革のための議論をした結果の変遷ならまだしも、
どうみても役人の縄張り争いや利権がらみの力関係がもとになっているように見えてならないのよね。
真紀子は、行革をするために必要なのは 「国・役人の仕事を減らすこと」が原点だと思うの。
仮に、今、行政が行っている仕事が100あるとする。
スタートは、これを減らすことだと思わない?
どうしても国家公務員を配置して、直接国が実行しなければならない仕事ってそんなにたくさんあるのかしら?
というアプローチがとても大切だと思うの。
それが無くて、ただ、100の仕事をどうやって実行するか?
という着眼だと、結局のところ、省庁を再編・整備と言えば聞こえはいいけど、
要するにあれとこれをくっつけて、組織の名前を変更して、という「駒いじり」で終わってしまったじゃぁないのさ。
国民は、○○庁が◎◎省に格上げ?されようが、その逆がなされようがあまり関係ないのよ。
ましてや、大蔵省が財務省に名前が変わろうが、運輸省が国土交通省と呼び名が変わろうが
それって行政改革とは評価しないわよ。
要は、国・役人のやるべき仕事をキチンとやってくれればよいわけよ・・・最低限の人数で。
こんなまやかしを大問題ととらえて躍起になっているのは、当の役人達とそれに踊らされている国会議員だけなのよね。
確かに、現状のやり方には無駄が多いという側面があるから、
それを効率化して少人数で行うようにするというのもひとつの改革でしょうけど、
思い切って仕事を手放さなければ抜本的な改革など到底出来ないわよ。
許認可とか行政指導とか公益・公共事業など、絶対、民間に委ねることが出来ない業務には何があるのかについて、
うーんと時間をかけて国会や専門家達で論議してほしいわ。
その議論の段階では、行政(省庁)の役人を排除するくらいの強い姿勢で臨まなければ
国民の求めるような結論など期待できないと思うの。
有識者の意見とか諸外国の実状とか地方自治体の意見等を大胆に取り入れて100を減らす方向で検討し、
次に、どのような手段・方法で実施するかという順序で検討すべきよ。
ひと頃「小さな内閣」という考え方があったわよね。
あの考え方って素晴らしいと思うの。
くどいようだけど、100の仕事が減らない限り改革には自ずと限界があるわ。
ところで、仮に100の仕事が60に絞り込まれたとしましょうか?
この場合、当然「ヒト」も余ってくるわけだけど、この公務員の扱いはどうする?
難しいのはここよね。
法律で身分が保障されているヒト達であり、それにあこがれて懸命に努力し、
やっと入庁したヒト達に対して「国の仕事を減らすことにしたから、貴方は必要なくなった。やめてもらいます」
とはならないから・・・・そういうことを考えると、行政改革って1年や2年で成せるシロモノではないのよ。
それだけに、昔、橋本総理大臣が「火だるまになってやる」と言っていた改革も、
あまりにも短兵急に過ぎたことから、結論は、やっぱりまやかしで終わってしまった。
皆さんに提案します。
今の省庁の名称と、そこがやっている仕事の内容を全部正確に言えたら、
真紀子、貴男に濃厚かつ熱烈なキスをプレゼントします。
たぶん、省庁の名前が難しくて舌がもつれてしまい、レロレロになるでしょうから、
その貴男の舌を優しく吸って機能を回復させてあげるわ!
いかがでしたか? 貴方のご意見・ご感想をお寄せ下さい。