1ヶ月ほど前になるんだけど、ある人の通夜に行ったのよ。

お経が終わってお坊さんの説教になったら、なんと、延々と35分間続いたのよ。

内容も、訳の分からないこと、何を言おうとしているのか分からないこと、

くだらないこと、当夜の通夜に全く馴染まない話・・・・等々。

会葬者は、雑談を始めたり帰りだす人がいたりしてすっかり白けてしまったわ。

いやいや、白けるなんていうものじゃぁなかったわ。

口にこそ出す人がいなかったけど「このくそ坊主、いい加減にしろ」というのが全員の思いだったはずよ。

どうしたわけか昔から、お坊さんのやることに逆らう人はいないものと相場が決まっているわよね。

それほど絶対的な権限を持っているのよ。

だから、「お経が長すぎる」とか「お説教をもっと短く」等とは、

思っていても決して口には出せないものと思いこんでいるのが普通なのよ。

しかし、問題は、お坊さんの側にあるの。

つまり、それほどの絶対的な力を持っているのであればあるほど謙虚にならなければならないはずよ。

もっと驚いたことは、その坊主、会葬場がざわつこうが席を立つ人がいようがいっこうにお構いなしなの。

批判的な態度、視線など何処吹く風で、文字通り延々としゃべりまくっているのよ。

後で聞いた話だけど、その坊主をよく知っている人は「いつもそうなのよ。

ある時、檀家の代表が申し入れたこともあったが全く聞き入れてもらえず今日に至っている」とのこと。

しかも、通夜の時ばかりでなく初7日から35日、49日・・・・と、自宅にきてもらってお経をいただく時も、

その都度、ご多分に漏れず長時間説教があるとのこと。

ある意味でこれは凄い坊主だと思ったわ。

なかなかいないぞこれほど太い坊主は・・・・とね。

この坊主の親は、普通の坊主だったというから、

途中からこの2代目坊主の世話になることになった檀家こそ気の毒、いい面の皮ね。

檀家は、コロコロお寺さんを変わることができませんからね。

坊主よ。そこのところを分かって非常識なことはやるやよな〜っ。

迷惑ということを考えろ〜っ。

お釈迦さんだか何だか分からないけど、「他人に迷惑をかけるな」ということを教えてくれなかったの?

もう一度、本山で修業をして出直してきてよ!

それと、むしろこちらの方が重要なことなんだけど、説教の仕方を基礎から勉強し直してきて!

時間が少々長くなっても内容的に人の心を打つ「いい話」ならば、我慢もするし、いやいや失礼、我慢どころか喜ぶというものよ。

この坊主、両方ともダメなのよ。

引っ込め、くそ坊主。

真紀子は、絶対お主の檀家になぞなってやらないからな。

何? そちらも真紀子が檀家になることを望んでなどいないって?

クシュン

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