真紀子は、平等という真の意味をキチンととらえていない者が多い現代世相に対して怒りを押さえきれないでいるの。
男女平等を大声で唱える前に、平等とは何かについて議論し共通の認識に立とうとする努力がいかにも不足している感じがするのよ。
平等とは、AとBを比較した場合に、見た目なり現象面で双方が全く同じ状態にあることを意味するのでは決してないはずよ。
男と女は、生理的にも体型も体力も本能もそれぞれ大きな違いがあるけど、
真紀子は、それがこの世に両性が存在することの尊さ・良さであると信じているわ。
だから、お互いがそれぞれの性の持つ良さを認めあい表現しあうことが
人間としての生き方の原点であり社会秩序、平等の本質だと思うの。
最近は、マスコミ等で盛んに男女平等が叫ばれるようになったため、
官庁などの女性職員の間で「私はお茶くみをするために雇用されたのではない。」
との主張が顕著になりお茶いれボイコット運動が起きたという話を聞くわね。
確かに、年中お茶くみ、電話取り次ぎばかりやらされていたのではたまらないだろうし、
自分の持つ優れた能力を正しく評価されていないのだとすれば彼女たちの主張に一部理解できる面はあるわ。
だけど、それらの仕事は、必ず誰かがやらなければならないこともまた事実でしょう?
昔は「給仕さん(女性に限らず男の給仕さんもいたが)」がいてこうした雑用を一手に引き受けてくれていたと聞くけど、
今は、それもない中でどうするかという話になるわよね。
「それぞれ自分でやればよい・・・・」というのもひとつの意見ね。
しかし、真紀子は主張する。
「それも大切な仕事であり給料には、そうした仕事の報酬分も含めてあると理解してはどうかしら」
そう言えば女性職員達は「えっ?お茶くみや電話取り次ぎがそれほど大切な仕事なの」というのでしょう?
考えてもみてほしいわ。ここは日本なのよ。
駅の構内放送を女性の声にしたら利用客から大変好評だという話はご存じ?
テレビのニュースキャスターやレポーター等にどんどん女性が起用されるようになったのは、
女性の社会進出という意味もあるけど、美人女性を登場させればそれだけで視聴率がアップするという現実があるのよ。
(美人でなければダメだぞ、それは。うん、もちろんそうだ)
当の本人の意識はどうだ?彼女達は「私は美人だからこの仕事を任されている。
視聴者からも評判がいい。だから楽しい。やめられないわよ。」というのが本音なんだって。
「ざまぁ見ろ、ブスの女達よ悔しいか?」という優越感で身も心もはち切れそうなんだってよ。
世の男性諸氏から送られる熱い視線に酔い、女王様にでもなった心地でいるのよ。
女性の社会進出だ地位の向上だ国際化社会だと格好のいいことを言っても、所詮、現実はそんなもの。悲しい?
そんなに困ったこと、これは?
お主にとって何か都合の悪いことでもあるの!
真紀子は、「これはこれでいいんじゃぁない」というのが偽らざる気持ちよ。
ちょっと顔が知られるようになったからといって自惚れたり天狗になったりという本人の意識が低俗で軽薄なのは、
本人の問題として、美人(美女)を世間が求めているような形で起用することは、
これはこれで男女平等という基本的な考えに基づくものなんじゃぁない?
違うかしら。電話に応対してくれるのが女性の声の場合と男性のそれとでは、
会社に対する第一印象・イメージの良否を大きく左右するというのが現実。
来客者に対して50歳代の男のゴツイ手でお茶を出すより、
若くて美しい女性のしなやかな手で差し出すほうが断然相手に良い印象を与えるわよ。
理屈抜きにそういうものなのよ。
こういう風潮は、近代社会では改めなければならないことなのかもしれないけど
現実は現実。人間誰しも・・・・どちらを選択するかとなれば明白でしょう。
真紀子もれっきとしたOL・・・女性。
だから、女性にメジャーな仕事を与えるべきでないと言っているのではないわ。
全く逆よ。
持てる能力を正しく評価し積極的に社会進出の機会を与えるべきだと思っているわ。
だけど、男性がやるよりも女性がやった方がより効果的な仕事を女性にやってもらうことは、それがむしろ平等というものだと思うの。
真紀子の父の会社にバリバリのキャリァウーマンがいる。
その女性は、職場に来客があるとどんなに自分の仕事が忙しくてもすかさずお茶をいれてくれるんだって。
電話が鳴ると、誰より早く受話器をとってくれるんだって。
こういう状態は決して不愉快なものではないし外部から「男性が奢っている職場だ」という批判も受けていないし、
むしろ、常々お褒めの言葉を頂いているそうよ。
あまり、被害妄想的に考えすぎるのはよそうじゃぁないのよ。
そんなに男社会を攻めるんじゃぁないわよ。
な、ブス子ちゃん!
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