アラン メッセ−ジ(前半)
 
 

  1.鏡についての考察
  2.誠実について
  3.愛について
  4.旅の始まりにおいて希望すること
  5.宗教について
  6.禅的発想
  7.恋愛について
  8.所有について
  9.輪廻転生について
 10.超能力について
 11.祈りについて
 12.集中と熱中について
 13.芸術について
 14.信じると言う事について
 15.奉仕について
 16.美について
 17.善と悪について
 18.レベルについて
 19.謙虚と言うことについて
 20.平和について
 21.もう一つの旅
 22.奉仕活動から到達へ
 23.感情について
 

  
鏡についての考察

鏡に写っているものに夢中になっているのが現在の貴方達です。けれど貴方達が本来鏡そのものであることを思い出すべきであり,これから貴方達のしなければならないことは,鏡に写る映像の正体を,或いは意味を理解し,その後,鏡そのものが何であるかを知っていくことに尽きるのです。

  
誠実について

誠実が理解を導くというのは誤りであると ,敢えて私は言おう。真実を通じての誠実は,理解の後に副産物のようにして現れるものであり,それ以前での誠実とは努力という言葉以外に,それに当てはまる言葉は無いよう に思われる。真の平和が理解の後に得られる副産物であることを思い出して欲しいのです 。そしてもう一つ思い出して戴きたいのは,三度眠りこけたイエス・キリストの弟子のエピソ−ドです。理解以前のエゴ体は,ただ誠実でありたいという希望を持つことがあって も,真の誠実が生じてくる根源を知ることは無いのである。

  
愛について

地球上で愛と呼ばれている事柄について話し てみよう。まず愛とは感ずるものではないこと愛そうと努力するものでもないこと。失ったり,得たりするものではないこと。愛とは,初めからそこに存在している「状態」であ る。人と人との関わりがどの様な形であろうとも,それはそのまま完全な状態であり続けるもの,イエスの言った「汝の敵を愛せ」と言う言葉は,この愛に辿り着くために与えられた一つのヒントであると私は言いたい。敵を前にした時,貴方達の愛は生き続けること が出来ない。貴方達の愛をしっかり吟味してください。それが何処から生まれているのかを深く洞察して欲しい。そしてもしその正体を見極めることが出来たのなら,れが貴方の旅の始まりになるかも知れない。そして貴方は旅の途中で多分突然に愛を知るようにな るだろう。

  
旅の始まりにおいて希望すること

まずは貴方達が瞑想の旅の友に,常に持ち歩いて欲しい便利なものを挙げたい。それは無限という言葉以外の何ものでもないのだが,これこそが常に貴方自身と,その道を明るく照らしてくれる灯火と なってくれることだろう。瞑想の中で出会うこと,又自分自身の状態を常に無限の灯火で 照らし出して,それをよく吟味しなさい。そしてもし貴方の目が無限の灯火そのものにな ることが出来たら・・。有限と無限,これに注意することは貴方達のしつこい夢を打ち破 るとても良い方法となるでしょう。無限分の有限−>この成り立ちことのない数式につい て考察してみるべきでしょう。もう一つの餞別として,私は貴方の頭をスッキリさせるキ ャンデ−を上げたいと思う。これは実に有効であるし,幾つ味わっても決して虫歯になら ないから,好きなだけ持って行きなさい。それは例えば貴方が30才であるのなら,70年後に生きている確率は非常に少なく,恐らくは小さな壷に骨となって入り,墓の中に納 まっているであろう事実です。またほんの31年前には,貴方という存在は芥子粒ほども 無かったという事実です。想像力は時に非常に役立つことがあるものです。心を未来に飛 ばして,貴方の墓をしっかり見ていらっしゃい。又過去に心を飛ばして,貴方など何処に も居なかった事実をしっかり見ていらっしゃい。これが貴方に上げる私のキャンデ−です 。幾度でも味わってみることを勧めます。

 
宗教について

私は宗教を否定するつもりは無いのです。 ただ地球に存在する殆どの宗教が,夢の続きであると私は言っておきたい。そして夢は夢 であって,いつかは醒めるものであることを。しかしながらその宗教という夢も一つの駅であり,貴方達はそのいずれかの駅を降りていって,いずれは有り難いテキストになるで あろう多くの土産物を背中に背負い込み,又汽車に乗るために戻ってこなければならないでしょう。人の迷惑にならないのなら,お題目なり,祈りの言葉なり唱えなさい。けれど ,それをいい加減な態度でしないことを勧めます。全力で行うことです。これがその駅に 滞在する時間を短くすることにつながります。又二度とこの駅に降り立つことの無い識別を貴方に与えることになるのです。

 
禅的発想

私はある日本人の書いた本に,こんなエピソ− ドがあったことを思い出します。若い血気盛んな修行僧達が,ある年老いた禅僧に呼び止められ,こんな問題を投げかけられる。「そこにある石は,貴方の内にあるか,外にある か」と。若い修行僧達は,よく考えた末に「私の内にある」と答える。するとその老僧は ,すかさず「それではさぞ重かったろうな」と答えたというのだが,さて,その答に戸惑った若い僧達は,その答を探すために,長いことその地に留まったと言うものだ。その老僧が求めていたであろう回答を私はいま,その若い僧侶に成り代わって答ようと思う。そ してその答そのものが,今度は私から貴方達に贈る問いかけのプレゼントです。石は私であり,私は石です。内も外もありません。石の重さについてですが,自分の小指の重ささえも感じることの難しい鈍感な私に何故石の重さを感じることが出来るでしょう。石の重さを完璧に感じることが出来るのなら,私はここに存在してはいないでしょう。

 
恋愛について

はっきり言って,貴方達のそれと,私達のそれの在り様は全く違っている。貴方達は彼、又は彼女の肉体が,そして心そのものが何であるかを知らない。それにどんな意味があり,何故存在しているのか知らないままに囚 われていく。そこには肉体的又精神的に非常に自慰的な要素が含まれている。貴方達は長 いこと本当の親を知らない親無し子できた。何故か分からないまま飢えに苦しみ,殺されもし病のうちに死んでも行った。暗闇の中を多くのものにぶつかりながら歩いてきたから ,貴方の本当の姿はあざだらけ,傷だらけと言う状態だ。(貴方も知っている通り,傷も あざもエゴを生み出す特効薬です)そして今貴方達は,彼又は彼女にしがみつく魅力的な 彼又は彼女の中に永遠の安らぎがあるのではないかと希望を抱く。貴方が彼又は彼女を得るために何もかも捨てる覚悟が,実はこのエゴから生まれていることに気が付きなさい。 さて結果はどうだろう。癒されなければならない傷だらけの人間が二人しがみついている 。貴方はここに救いが在ると思うだろうか。彼等は自分の傷の重さから逃げ出したくてい るのに,お互いの傷の重さまで感じてしまい,後には多分へきえきする様になるだろう。 貴方は相手に対し,目を閉じ,鼻をつまみ耳を塞ぐことだろう。もういらないと,しかし 貴方達には生活がある。子供も育てなくてはならない。やらなければならない雑用も数多 くある。(これらはお互いに必要とさせることの他に,煩わしさの作用を持つ)それに離別は新たな傷を,自分に又相手にも負わせるに違いないだろうと思う。頭の良い連中は, ここで見せかけを始める。日本に狐と狸の化かし合いと言うのがあるが,正にそれだ。そ してその方法が結構お互いの気持ちの良い慰めになっていく。これが地球上にある殆どの 「愛の暮らし」であると私は言おう。貴方達はこの芝居から抜け出すべきです。彼又は彼女の肉体が,あるいは心が何であるかを知りなさい。何故存在しているかを知りなさい。 それを知った途端,貴方は真の愛に目覚め,もうしがみつきたいなどと思わなくなるだろう。そして更には相手に対し,目を閉じることも,鼻をつまむことも,耳を塞ぐことも止め,相手の傷の意味を,あるいはその存在理由を知り,ある感謝をもって受け入れるようになるだろう。

 
所有について

結論から先に言おう。貴方は何物も所有す ることは出来ない。貴方自身が所有していると信じて疑わない,自身の肉体或いは心でさ えも所有するは出来ない私が言わんとしている事は,いずれ好むと好まざるに拘らず ,全て放棄しなければならない日が来ると言う事だ。貴方が日頃自分のものであると思っ ているものについてもう少しクリア−な目でご覧なさい。例えば貴方のライタ−をテ−ブ ルの上に置いてじっと見詰めなさい。貴方のものと言う実感がどれくらい掴めるだろうか 。それはそれを必要としている貴方に近付き,又通り過ぎているものでしかない。期限付きの(期限付きの所有権),それを現すのに一番ピッタリの言葉を貴方に教えてあげよう 。それは「縁」だ。縁以外の何物でもない。貴方が日頃なにげなく使っているこの言葉に ,実は非常に深い意味が隠されていることを考察しなさい。さて所有と言う事について, 又違った角度からお話することにしよう。それは所有欲についてです。殆どの人が身の周 りのものを集めることに熱中している。その度合いにいくらかの違いはあっても(まずマネ−だ)と貴方達自身の品質表示に太字で示されている。私が地球においてコンタクトし ,ある程度の理解に導くことが出来た人間ですら,その品質表示の字を,やっと細字に変 えられたくらいだ。私は彼女を「もっとさん病」(もっともっと欲しい病)にかかっている。さて病気であるのなら,まず第一に病原菌を突き止めるのが利口なやりかたと言うも のだろう。ここでも結論から先に言ってしまうと,これは僅かな期間存在するだけの肉体 を絶対視すると言う錯覚から,貴方達の心が始まり,又育ってきたと言う事に尽きる。た だここから先は言わないことにしよう。貴方を過保護にすることが余り好ましい結果をも たらさないことを,私は知っているからだ。ただ処方箋だけは示しておくことにしよう。 それは瞑想において無限性或いは永遠という言葉と親しく付き合うことです(彼等ほど副作用の全く無い特効薬は無いように思われます)そして彼等は貴方の持つ種々の病を直す万能薬でもあるのです。貴方達は彼等と付き合っていくことで,イエスの言った(霊)から生まれなさいと言う真の言葉の意味を,又釈迦の使った八正道の真の意味を知ることに なるだろう。

 
輪廻転生について

私は輪廻転生を受け入れている人々だ けを対象としている。何故なら,これを受け入れられない人々に無限性も永遠も無意味となるからだ。ただこれを受け入れている人々であっても、それはただの漠然としたもので ,それが理解への一つの道標であることを見逃している。頭の中の棚でほこりだらけになっているこの言葉を取り出して磨いてご覧なさい。そうすることで貴方の真の意味での正体が何であるか,その輪郭だけでも掴み取る事が出来る筈です。磨き方は非常に簡単で貴方の想像力を使うのです。(以前もお話しした通り,この想像力は理解への道において,かなりの貢献者となる筈です)何でも良い,特に良いのが性(性別)をポイントにしたも のであるように思われるが,その条件を自分の中で設定しながら次々と転生を演じていくのです。ただこの時もし貴方が男性であって,女性に転生したと設定するのなら,出来る限りの注意力を払って女性になりきらねばならない。又貴方が現在金持ちであって,貧乏 人の元に転生すると設定したのなら,これも完璧になりきらねばならない。そして周りを キョロキョロ見回して見る事です。この試みは多くのものを貴方にもたらす筈ですが,貴方の真の意味での正体の輪郭を掴むことが出来れば成功したと言えるでしょう。

 
超能力について

貴方達はある憧れの気持ちをもって,こ れを見るに違いない。エゴ体は常により強い力を欲しているからだ。だが旅を始めたばかりの,或いは始めようとしている貴方達にとって,この存在は非常に強力な罠になるであろう事を言っておく。貴方はこれに囚われ,又うず高く夢を積んでしまうのだ。それ程遠 くない未来に貴方達は皆これを表し,又駆使する様なことにもなるだろう。しかしその時にはもうそれは超能力ではなく,普通の力でしかないのだ。憧れる気持ちがどこから来るのか,よく観てご覧なさい。その正体を見つけ,それにしっかり対処することが出来た時 ,それは一番良い形で,雲間からこぼれる陽光の様に,貴方に表れるだろう。久保田さん のことについて,Kさん,小さなことで貴重な友人を失ってはいけません。アダムスキ−はある意味でとても貢献しているのです。貴方自身がもし彼のものを読んでいないのなら ,又久保田さんがマイヤ−を読んでいないのなら,共に読み比べ,先入観を捨て,その内容が地球人に何をもたらすのか,又どんな影響を与えるか,又何を意図してそれを教義と しているのか,分析してください。貴方達はある意味で,偏ることで自身を安定させることを好むようですが,実際には全てを受け入れ,それを分析した上で安定させることが, 一番安全だと言う事を話しておきます。私は何星人などと言う言葉を好まないのですが, 今はあくまで地球人という立場を取り,貴方達自身で分析を行ってください。貴方がこれをよしとするのなら,久保田さんにも私のメッセ−ジを伝えてください。

 
祈りについて

貴方達の心が肉体から生まれている以上, その祈りはそこから出ていくことは出来ません。夢の中で生きる貴方達はより高い夢を望み,祈る,それだけのことです。ですから例えば公明正大そうな平和への祈り・・と言う のが,実は如何にナンセンスなものであるか,貴方達は気付きようもないし,その結果祈 りと戦争を果てしなく繰り返していくのです。真の祈りは理解の後に現れますが,これは ある深い感謝と喜び以外のなにものでもなくなるでしょう理解を得ることです。まず理解 を得ることです。宇宙平和という文字を強く意識しながら,百回から二百回書いてみると ,その真の深い意味が判る時がある・・・とのことです。

 
集中と熱中について

集中と熱中という言葉を,貴方は頭の中ではっきり分けて認識しておくべきです。この二つの言葉はとても似通ったような印象を貴方に与えるかも知れませんが,実のところそれは非常にかけ離れた意味を持ってい るのです。まず熱中についてお話することにしましょう。これはエゴ体が対象事にすっかり囚われ,身動きすら出来ない状態を示します。(これは対象事の周りを衛星のようにグ ルグル回るというイメ−ジでもって解釈して下さい。)そしてこの状態が,ある場合にお いて非常に危険な状態を呼んでしまうことがあると言う事を貴方に言っておきます。これ は捉えられている自己を管理することが非常に難しいこと,又中心の星は貴方の知らない間に危険地帯に侵入していくかも知れないと言う事です。簡単に言ってしまえば,自己と対象事,又第三者に対し,貴方は殆ど責任が持てなくなると言う事になるのですが,この危険性は特に集団においては,極端な場合は大量殺りく,集団自決等と言った結果になっ て表れ,個人レベルであるのなら,発狂ノイロ−ゼ,自殺,肉体上の様々な病気等となっ て現れるでしょう。さて今度は集中についてですが,貴方は是非ともこちらを選ぶべきで す。熱中が受動であるのに対し,こちらは能動であるからです。貴方はこの中において, 決して自己を見失うことなく,自身が中心の星となり,対象事は衛星となります。これは 貴方と対象事の両方を,把握,コントロ−ル出来る状態にあり,その結果両方に,又第三者に対し責任の持てる状態となるのです。ただここで貴方に言っておかなければならないことは,地球上の殆どの人達が集中と熱中の境を意識の中に持っていないと言う事であり 、又集中を行うについてはある種の訓練(瞑想)が必要であることです。

 
芸術について

基本的に芸術とは,一つのエゴ体と,外にある事象とのセックス・出産の過程であると言おう。この様な考え方は当然エゴ体のありようによって,その芸術品の間に違いを表すことにつながるのだが,我々のそれと,地球上のそれにおいてもかなりの違いを見ることが出来るので,その違いについて記しておく ことにします。この場合,説明していく上で,一番理解しやすいと思われるのが音楽であ ることから,我々のものと地球上のものの違いについて話していきましょう。まず地球上の音楽をお話するについては,非常に重要な要素があります。それは肉体から生まれたエゴレベルにおいての共感です。貴方はレコ−ドに針を下ろします。すると音階の連なりが現れ,それが今度は貴方の心のレコ−ド盤に針を下ろすのです。体験と言う題名の付いた 心のレコ−ドは,その針に触れ,内容において非常に複雑な様相を表しながら,情景を醸 し出していきます。そして貴方は音階の連なりに気持ち良く乗りながら,すっかり情景を 楽しむことが出来るという仕組みになりす。貴方はその中において,登山も,旅行も, 恋愛も,失恋さえも体験する事が出来るのです。ここでもう一度思い出して戴きたいこと は,その音楽自体が,あくまでも肉体から生まれたエゴ体と事象の間に生まれた子供であると言う事です。貴方がある目覚めから旅を始めることになり,その過程が進んでいくとそれ迄楽しんでいた貴方達の音楽に違和感を感じるようになります。そしてその違和感は 次第に重さを増し,失望を感じるようになるでしょう。そしていずれその重さを感じさせるものの正体が,凝縮されたあるエネルギ−であると理解するようになるのです。その時 には,貴方は違う音楽が必要であり,違った種類の共感が必要となります。このタイプの音楽は地球上においては,ごく希にしか見つけることが出来ません。必要を敏感に感じ取 っている一部の人々だけが,生み出しているに過ぎないからです。しかし全く無いと言う ことではないのですから,これはもう貴方の耳で探し出すより方法はありません。我々の 音楽についてもうお話する必要はないでしょう。

 
信じると言う事について

信じると言う事について,私は これを貴方がたに是非とも忠告しなければならない。地球に住む貴方達に驚かされることには慣れているのだが,特に信じるという言葉を厳密に扱っていないと言う事については ,驚きと共に非常に危惧をもって見ざるを得ない。貴方はこれをうやむやな状態にしてお いてはいけない。貴方自身が確かめられない事については,それを(そうである)と決して言ってはいけない。私は彼の人柄を信頼しているし,彼の言ったことについて80%く らいは信じている。でも最終的な結論を言わねばならないのなら,判らない・・とだけし か言えない。貴方はこの様に言うべきである。確かめられないことを積み上げたものに注意しなさい。それを受け入れ,それについて考えることは構わないけれど確かめられない ことは,貴方の中においてあくまでフィクションに留めるべきだ。私のこれまでのメッセ−ジを読み,それを確かにそうであると受け入れている人々に聞く。「私は宇宙人ア・ラ ンである。アンドロメダ星雲の中心から1万光年離れたバラ星が私の星であり,他の良く ない宇宙人から貴方達を守るべくしてやって来た。私の年齢は3500才であり,貴方達の精神レベルと私のそれとの間には,10万年ほどの開きがある。私は宇宙の法則に従っ て,真実しか言う事を許されていない。またそれ以外のことを言うつもりはない。」・・ ・この様にもし私が貴方に話したとしたら,貴方がたの何%の人間が,「彼はそう言って いるけれども,私には彼の存在すら確かめる術は無いし,結果的にはその真偽は判らない 。けれどとにかく真理だけは私にとって必要なことは確かだから,頂いとくわ」と言える だろうか。確かめることの出来ないことを積み上げているものに注意しなさい。貴方は正確に思考すべきです。信じること,信頼することについて,反対しているのではなく,実際の在り様を厳密に捉えていなさいと言う事です。大切なことは真理以外にはなく,それ以外の確かめられないことは,あくまでもフィクションとして,貴方の中に保留しなさい 。

 
奉仕について

奉仕という言葉を貴方はどの様に捉えてい るだろうか。この言葉にはそのレベルにあった様々な意味合いが付け加えられて存在しており,地球においてもその純粋な意味を追及する者は希である。そこには何らかの感情が混ざり,良い行いであるとすること,又愛という言葉の雰囲気に囚われることで,貴方の エゴ体が満足させられ,本来の意味に余計な意味合いを付け加えている。奉仕は貴方のエゴ体のためにあるものではない。それは「当然為されるべき貴方の仕事」なのである。貴方は食事を作り,掃除をし,電話をとり,計算することに対し,「良いことをしている」 と感ずることがあるだろうか。又もし貴方が「私は奉仕する事で多くのものを得ている」 と言うのであるのなら,それには体験と言う言葉の方が似合いはしないだろうか。私は貴方達の奉仕について,揚げ足を取っているのではない。ただ本来の意味に気付くことから 得られる多くの事柄について考察する事を希望するのだ。

 
美について

貴方は美をどの様に捉えているだろうか。貴方の中にそれを美しいと感ずる心が存在して,初めて美が現れるのであるが,それは貴方の持つ一つの性質である。何故その様な性質が貴方の中にあるかと言う事については,も っと深い考察が必要であるのだが,ここではそれ以前の美に関する現象の在り様について 「美とは力である」と言う捉え方でもって説明していきたいと思う。まずは力というもの について,非常に単純な形で捉えて頂きたい。例えば「人間がある物体を動かす」と言う 場合を考えてみたいのだが,これはある基本的エネルギ−が物質レベルのエネルギ−に変化し,そのエネルギ−がエゴレベルのエネルギ−に変化し、これが又物質レベルのエネルギ−に変化すると言った,エネルギ−の変化を辿り,特殊な場合を除いて,その物質レベ ルのエネルギ−がもう一つの物体を媒介とした時に,初めて貴方が認識している力と言わ れているものになり,対象の物体を動かすのである。さて今度は,エゴ体がエゴ体をある方向に動かすと言う事を考えてみたいのだが,これも基本的なエネルギ−が物質レベルのエネルギ−に変化し,そしてこれがエゴレベルのエネルギ−に変化するというエネルギ−の変化の過程を辿るのだが,この場合,エゴレベルのエネルギ−は,対象のエゴ体の持つ複数の性質が夫々敏感に反応するものを媒体として,「力」と言われるものになるのであ り,その結果,対象のエゴ体をある方向に動かす事が出来るのである。(私は敢えてこの様な説明法を行ったのだが,もし貴方が注意深くこの説明を捉えるのなら,非常に簡単に一つの重要な事実を見つけるだろう。)さて,ここでやっと主題に入っていくことが出来 るのだが,美に感ずる性質は,エゴ体において非常に大きなウエイトを占めるもので,言 い替えれば,非常に力を受け易いものなのである。地球上の女性が常にかなりの執着を表 しながら,自らに美しさを求めるのは,ただ漠然とした美への憧れからではなく,実はこの美というカラクリを力として利用出来ることを知っているからである。

私は力についての説明の前に「美とは力である」と書いたのだが,貴方達も既に気が付いているように,この言い方は正確ではない。美現象は既存の性質であり,力ではないからだ。だがこの性質にエゴエネルギ−が加わった場合,それは力となり,貴方に多大な影響 を及ぼすことになるのである。まず,これほど多くの支配者達がこの力を貴方達に使用出来る理由は,貴方達が「美」と言う言葉の意味を深く捉えていないからだと言っておく, 日常貴方達は,殆どこの「美」に警戒心を示さない。ただ漠然とした形で憧れていると言 うのが一般である。だがそのお陰で,それはあらゆる場において利用され,大きな効果を挙げているのだ。例えば,その効果が特に顕著に現れるのは,宗教であると言えるが,貴方達の寺院は何故あれほどまでに美しく飾られているのだろうか。何故美しい音楽が,又 絵が使用され,その教えの中に美を持ち込むのだろうか。私はこのことについてはっきり 断言するのだが,それは単にその教義の内容がパワ−不足であると言う事だ。貴方達の一番基本的な性質は,進化するというものである。その性質が敏感に反応するものは真理なのだ。そしてその真理には絶対的なパワ−があり,パワ−不足と言う事はあり得ない。 ( さあここでも,もしこのことを深く考察するのなら,非常に重要なものを掴むことが出来る筈であり,これ以上話すことは差し控えたい。)貴方の師がもしその教義の中に,「美 」或いは「美意識」を持ち込んでいるのなら,まずは警戒しなさい。それは全くの偽物で あるか,或いはその教義の中にほんの少ししか真理が含まれていないかの,どちらかであ るからだ,そしてそれ以外に考えられるとしたら,貴方自身が依然として全くの分からず屋の状態にある言う事だけである。美について考察しなさい。美に反応する性質を楽しむのはいい。それは恩恵であるだろうし,悪いことではないからだ。だがその在り様をしっ かりと認識していかなければならない。

 
善と悪について

間違いだらけの貴方達の世界において, 決定的に間違いと思われる事がある。それは人間というエゴ体全般の性質を,善と悪に分 けてしまうことである。そしてこの間違いは,これまで多くの宗教が利用してきたワナで あり,貴方達はこのワナから自由にならない限りそこから抜け出すことは出来ない。この間違いは地下部の根の部分を全てカットし,地上部だけを見て,それを植物であると判断することに似ている。貴方達は遠い過去からの経験から,ある性質が喜び(エゴレベルに おいての喜び)や幸福をもたらすことを,又ある性質が苦しみや悲しみ,破壊や死をもたらす事を知っている。これは殆ど初期の体験的知識であるのだが実際には更に進んだ段階 にいてもいい多くの人々が,その知識の段階に留まっているのである。それてその様な状況を作り出している足かせが,この善と悪の分離思考なのであって,この思考法はある努力を貴方に強いることで,その先への思考をストップさせるのである。その努力とは,自身の中にある悪を自身に,又他人に対して隠蔽工作することであり,又その相対関係にある善をクロ−ズアップさせることによる目くらまし工作である。今既に貴方達はこの胡麻 かしのエキスパ−トになっている。だかそれはあくまでも胡麻かしであり,実際には何も解決されていないのだ。善悪二つの花を咲かせている木の根を掘っていきなさい。注意深 く掘り下げ(これは心と言うものを注意深く観察する以外に方法は無い)それが深い所で 一つにつながっている事を見付け出すことだ。すると貴方は(個意識)という言葉を手に 入れることになり,それが実は肉体を自己同化した時から始まっていることに気が付く。 それでは何故過去において真の覚醒達者が,この善と悪,神と悪魔といった分離を貴方達 にもたらしたのであろうか。それについては一つの理由と一つの目的を見つけることが出 来るのだが,その理由とは心を殆ど分析することなく衝動的に行動する貴方達には足かせが必要であったと言うことだ。そしてその目的とは,単純なエゴ体の複雑化である。だが 今地球において,その足かせを必要としなくなっている人達は多い。にも拘らず,宗教その他多くのグル−プはその人々に対しても,依然として善と悪を説くのである。それはそれ以上,貴方達を利口にすることを食い止める防波堤であることを,意識的に又無意識的 に知っているからなのである。もしそれ以上に利口になってしまったら・・・これ以上に 彼等が脅威に感ずることは無いはずである。何故ならその時には,殆どの宗教及びグル− プは店を閉めなくてはならないからだ。分離思考から抜け出なさい。貴方達においてのそれの持つ役目は十分に果たし終えているのだから。そして今それは貴方達の進化を遅らせるという足から以外の何ものでもないのだから。貴方達はこれから善も悪も無くなる世界 への旅を始めるのだ。

 
レベルについて

レベルと言うものについて考えてみよう 。レベルとは,それについて喜んだり落胆したりすべきものではない。又貴方達の旅の達成はどのレベルを抜いてもあり得ないことであり,夫々に深い意味が込められているので ある。貴方がもしそのレベルを卒業せず,もっと先のレベルでのレッスンを行ったとしても,それは非常に無駄なしかも非常に危険を伴う遠回りにしかならず,結局は又元のレベ ルに戻って来なくてはならないだろう。この様な理由から,貴方がたの多くの師は「秘密 」を実行してきたのだ。さてこのレベルは,非常に細かく分けられるものであるのだが, ここではその全体を大きく二つに分けて夫々説明することにしよう。と言うのは,これを 読む貴方達の多くが,この二つのレベルの狭間近くにいるからだ。まずは貴方達が正に卒業しようとしているレベルについて話してみよう。これは旅について、又旅の目的地につ いて全く理解を得ていないレベルである,そのレベルにおいての「目的」は,あくまでも エゴレベルに留まり,エゴそのものが何であるかを知ることが無い。そして彼等は無意識の内にエゴを成長させ,又そのエゴに合わせた環境(多くの意味において)を、整える事に努力の全てを当てるのである。これがそのレベルの在り様であるが,次はこれから貴方達が入っていくことになるレベルについて話してみることにしよう。そのレベルにおいては,貴方達は旅そのものに対する理解を得,又その目的地に対する理解を得るようになる。この事はエゴの正体を知り,それをどの様に扱っていくかをはっきりと知ることにつながり,それを実行していくことになるのだが,ここにおいて努力は全てそれに当てられると言ってもよいと言える。この努力は先に話した二つの理解をより深く明確にしていくため のものであり,又その副産物として,真の感謝の深まりを体感していくことになるだろう 。簡単にレベルを二つに分けて話してきたが,貴方にもう一度言っておきたい事は,レベルはそれについて喜んだり落胆したりするものでは無いと言う事だ。もし貴方が自らのレベルに優越の意識を持つものであるならば,それを無限時間の中に置いて見なさい。そしてもし貴方が自らのレベルに劣等の意識を持つならば,傍らの草を眺め,それが自分に対 し劣等の意識を持つ必要があるかどうか,考えてみることだ。

Kにメッセ−ジ:貴方この様に理解すべきである。それは我々がメッセ−ジしている事柄について,それは大層なことであると印象を与えているものは,その内容にあるのではなく、貴方がた自身の内容にあると言う事だ。貴方がそれをごく普通に当たり前として受け取られるようになった時,それを記された紙は,貴方達の世界にある広告のチラシよ りも意味が無くなるのだ。

 
謙虚ということについて

理解を得ていないエゴ体に「謙虚」はあり得ない。もしあると言うのであるならば,それはエゴの本質を知識として知っているものが,謙虚に美意識を感じ,相手のものに,又自分自身に対しそれを印象付ける ために演ずる芝居であり,これは真の「謙虚」とは言えない。又非常に優位にあるものに対し,「謙虚にならざるを得ない」であるのなら,それは劣等意識以外の何ものでもなく,もし優位にあるものを超えることになったとしたら,その意識は即座に消え,その代わ りに優越意識が現れるだろう。これも真の謙虚にはなり得ないのである。それでは真の謙虚とはどう言うものであるのだろうか。これも理解の後に副産物として現れるものなのである。貴方がエゴ体の正体を知ってしまったら,もうそれを相手に印象づけることにも, 又見せびらかすことにも,何の意味も感じなくなる。「自分」は,真実ありがたいものだが,出来ればさっさと消えて欲しいものであるという状態になるからだ。貴方はそれを錘のように感じ,それを引きずって歩く自らの姿に対し,弱々しく笑うことしか出来なくな る。そしてここに謙虚が生まれる。正にこれが真の謙虚なのだ。この謙虚には能動は混じらない。非常に淡々とした(状態)だ。これについて是非考察してください。

 
平和について

地球では何故平和が保たれないのか考えたことがあるだろうか。それは貴方達の「平和」が実際にはエゴ体の「都合」以上の何物でもないからだ。それは貴方達が何故平和を望むのか、レベルについてその理由を分析すれば明らかになることなのだが,それが「都合」である以上,「他の都合」に簡単にひっく り返されていまうのである。貴方達は平和を望む・・それは決して嘘ではない。だがそれ は戦争が環境破壊や多くの苦しみや悲しみまた死を呼ぶものであり,そんなものは実際「困る」事だからだ。これはエゴ体が基本的に持ってしかるべき「都合」だ。だが貴方達に 他の非常に重要だと思われる,しかも現実に直面している「都合」が来ると,それは脆くも崩れ去ってしまう。例えば経済だ。経済事情が思わしくない・・この程度であれば貴方達は話し合いを持って何とか解決の道を見つけ出そうとする。戦争は危険な賭であるし, 「起こしてはいけないこと」だからだ。だがそれが決定的に悪化すると,貴方達は話し合いを止めて結局武器を取らざるを得ないような状況を作り出すだろう。これが「都合」以外の何であるのだろう。過去に起きた宗教戦争にしても,唯一の神,唯一の真理が二つも 三つもあっては「都合」が悪かったのだ。彼等は偽物を破壊する必要があり,又実際なされ信じられないことだが,それは現在にも及んでいる。それではもっと個人レベルで話してみよう。貴方は「私だけは絶対に違う。都合などで殺し合いをする位なら,自殺した方がましだ」と思うかも知れない。がしかし残念なことだが,これもその多くは非常に簡単に崩れ去っていくだろう。確かに貴方からは決して人を殺したりはしないだろう。だが想像力を働かせてご覧なさい。例えば,経済事情のこじれから夫々が大義名分を掲げ,国レベルの戦争を始めたとしよう。貴方はプラカ−ドを掲げ,戦争反対を唱えながら仲間と共に通りを練り歩くかも知れない。だがそんな事にはお構い無しに,相手国の空からの攻撃を 受けることになるだろう。そしてこのただならぬ事態にはプラカ−ドは及ばないと知り,防御の対策を練らなければいけなくなる。だがそれにも拘らず,やがて殺りくは貴方の最愛の親,子,友,妻、夫,兄弟にも及ぶことになるだろう。貴方の深い悲しみは怒りへと 変わり,それは戦争そのものへと言うよりは,むしろ直接その人々を殺した相手に向けら れる・・「許せない」と。そして相手国の人々も同じ悲しみを受けているであろう事など ,同情すら及ばなくなる状態となるのだ。この様にして両国の一部の人間が始めた戦争は ,夫々の国民の間に確実に浸透していく。消極的な防御に変わり,それが更に戦争の炎を大きくする。これが貴方がたの多くが辿っていかなければならない過程なのである。貴方がたの平和は,是非にも「都合」から他のものに変質しなければならない。変質が無い限 り戦争は起こり続ける。その良い証拠に地球上にある国の殆どが軍を持ち,その時に備えて準備を整えている。変質は理解からだ理解以外に変質を起こす方法は無い。その理解とは,何故生命が存在し,又それが何故輪廻転生によって繰り返されていくのかを知ること だ。

 
もう一つの旅

無限エゴの世界を通る旅、旅のコ−スは実は一つだけでは無いのである。我々が貴方に提唱する旅は,まず知識から理解を得ること から始まる。それは長い時間をかけたエゴ体の変質であるのだが,しかし各駅を通過する度に新たな喜びの泉の現れを得て行くという,言ってみれば非常に静かな旅なのである。 だがこれから貴方にお話する旅は,最終的な到達地点は同じであっても,全く異質なもの となる。これは我々が極限エゴの世界と呼んでいる世界に入っていくもので,知識の段階を更に非常に長い時間を延長させていくのである。これは力をフォ−カスとしてエゴを極限まで成長させていくことになるのだが,これによりエゴ体は非常に赤裸々な形となって いく。しかしこの世界においても成熟レベルがあり,そのレベルにおいて初めて理解を得るのである。そしてその後我々と同じ真の到達地点を目指す旅を始めることになるのであるが、赤裸々な形のエゴ体に対する知識は,その旅の速度に加速を加えるのである。これ がもう一つの旅である。だが我々は貴方にこの旅を勧めない。いくつかの要因からどうしてもその旅を選んでしまうというエゴ体があるものなのだが,出来れば避けたい旅である 。エゴ体は元々個を基本とするものであるから,極限のエゴの世界は常に色々の形でし烈な闘争状態にあり,その中において貴方達の想像の及ばないレベルにおいての恐怖感,勝利感,不安,憎悪孤独感,執着などが渦巻いているのである。さて我々の言う極限エゴの 世界の同意語を貴方達の世界に見つけるとしたら,それは「魔界」という言葉になるだろう。もし貴方がこれを避けたいのであるのなら,「魔法」「念力」と言ったものの意味を深く洞察し,単なる好奇心,欲望などからそれらに入っていかないことである。

追伸:力をフォ−カスとする極限の世界についてお話ししたが,存在否定を「フォ−カスとする」それも存在している。これは好むと好まざるとに拘らず,エゴ体が極端に否定された結果,それを行ったエゴ体を,それ以上に否定していくことだけを目的としてしまう者達の世界である。貴方達の世界において,「悪魔現象」と呼ばれるものが存在するが,これはその対象をエゴ体全般とする者達が起こしているものである事に気付くと共に,彼等の計り知れない孤独性について洞察してご覧なさい。

 
奉仕活動から到達へ

貴方は奉仕活動からも旅を始めるこ とが出来る。これについて地球的表現法を用いるならば、「愛の旅」と言ったものになるかも知れない,が理解以前に愛と呼ばれるものは「同情」以外に無く,これを正しく言い替えれば「同情の旅」となるだろう。この旅には理解はあえて必要なく,貴方達の多くがこれに向いていると思われ,又奬めたい旅である。まずは中心を同情においたエゴレベルの奉仕から入っていくのであるが,この時点でそれから貴方が得られるものは,エゴレベルの喜びを含めた体験的知識に留まる。だがこれを真剣な姿勢で繰り返していくうちに, それは貴方にとって理想的なしかし,非常に努力を必要とする瞑想となっていくのだ。こ れについて説明すると,貴方達の世界には「自己犠牲」という言葉があるが,貴方達は同情を中心に据え,これを自らに強いて行くことになるのである。だが元々貴方自身は個を 基本としているエゴ体であって,これはその中において,耐えがたいほどの葛藤も生み出 すはずなのだ。貴方は常にそこから抜け出したいという欲望に駆られるだろう。だがあく まで中心に留まるのなら,貴方はそこにおいて無意識のうちに集中(自己コントロ−ル) を学ぶことになる。そしてそれは限りなくエゴ体を希薄にしていくことになり,又中心を 必要としなくなることにもつながる。そして遂には中心は消滅する。貴方はこの時,自らの中に真の意味での「愛の現われ」を体験するだろう。愛とは,最も純粋化したエネルギ −の本質なのである。さてその後に行われる奉仕は,それまでのものとは異質のものとな っていく。つまりそれまでの能動体受動体共にエゴ体であったのであるが,それからの能動体は「純粋エネルギ−」となり,受動体は「エゴ体以前の存在」となるのである。ただ 今の貴方にはこの状態について想像することすら出来ないのであるが,これは遠い将来必ず到達されるべき過程なのである。そして貴方は今話してきた旅の果てに到達するという 意識もなく、到達していくのである。

追伸:この旅を始めようとしている,或いは既に始めている貴方に,これだけは言っておかなければならない。これはあくまでも中心を「同情=貴方達の愛」に置かなければ ならず,何か他のものに置くのであれば,それは貴方のエゴ体を成長させるだけの結果に 終わってしまうだろう。

 
感情について

貴方達の世界と同じ様に我々もこれを陰性感情と陽性感情に分けて捉える。が捉え方の基準において貴方達のそれとは違っており, 我々はそれをエゴ体の収縮・広がり(適当な言葉が見つからないので,あえて広がりとす る)現象に置くのである。収縮現象はつまり陰性感情を,広がり現象は陽性感情を生じさせるのであるが,実はエゴ体は常に呼吸のようにこれを繰り返し,バランスを作っている 。さて,ここで貴方は簡単な実験を試みて頂きたい。目を閉じ,心の緊張を取り除き,吸 う呼吸と共に心そのものが限りなく広がっていく状態をイメ−ジするのです。それが終わ ったら今度は心に適当な緊張を作りだし,吐き出す呼吸と共に心が限りなく収縮していく イメ−ジをしてください。貴方は感情を作り出すことに実はどの様な心的状況も必要ないという事実が認識出来たはずです。次に少し視点を変え,我々の認識している陽性感情に ついて説明することにしましょう。貴方達の世界において陽性感情とは=健康的な喜び・ ・と言う捉え方が一般のようであるが,我々の基準を(収縮・広がり現象)をもってこれ を捉えようとすると,その捉え方は適当でなくなってくることが分かる。判り易く説明すると「涙が出るほど嬉しい」と言った喜びは,陰性・陽性両方の感情に属するのである。 この様な喜びを作り出している(事情)について分析を試みて欲しいのだが。

Kにメッセ−ジ:今はまだ途中になっているが,感情についてのメッセ−ジを送ろう と思っているこれについて是非収縮・広がり運動を貴方に体感して頂きたく一つの瞑想法を試みて頂きたい。勿論それを行うについては,貴方の自由であるのだが,決して貴方の マイナスにはならないはずだ。その方法とは,座禅の姿勢を取り,自己を観察する(判断すると言うのではなく,ただ見ると言うこと),目だけを残し,全ての緊張を取り除くの である。見ると言う事以外,自らに起こるどの様な状況に対しても干渉しようとしてはいけない。この方法をしばらく続けることで,貴方は自らに対する新たな認識を得ることに なるだろう。(あまり長くはやらないこと。判断してはいけない。)