昴会大和   12月の伝言板  (発行:平成9年12月25日



日時: 平成9年11月22日(土) 午前10時30分スタート

場所: 神奈川県座間市 谷戸山(やとやま)公園



● 11月10日  河口湖−浅間神社での一日、お礼を込めて

A:ハイヤーセルフさん! 今日は!
 コノハナサクヤ姫様、神々に感謝申し上げます。
 11月9日の河口湖−浅間神社へのお導きありかとうございました。
 久し振りに悠久の一刻を過ごせた事、心より感謝しております。
 富士据野、河口湖畔、その壮大なパノラマの中での一日は、
 この場所へ誘われて来たとはいえ、府抜けた意識に一括を与えられ、
 流れ行く時の変化の中での、意識の変換を計られたような気がいたします。
 総勢13人(男8人、女5人〉が、時を同じうして集り、深山幽谷を思わせる
 境内へと足を進めると、鬱蒼と茂る千年以上の杉、檜の古木が私達を包みこむように
 そしてその奥にいかにも歴史を感じさせる社が建立しておりました。
 この場だけが、時が止まっているかのようです。
 少し膚寒い中、風は動きを止め、見上げると古木の隙間から垣間見る青い空、
 まったくもって用意されていたかのようなすじ雲と云われる龍雲の流れ、
 そんな雰囲気に囲まれながらの浅間神社への参詣が始まったのです。

 段を上り詰め、賽銭箱を隔てたその奥に二十畳程のひなびた座数があります。
 その又奥にコノハナヒメ様、そして縁ある神々が鎮座しておられる主神が
 祭られております。
 座敷に座った私達は、礼を述べつくし、しぱらく全員押し黙ったまま、
 黙想をしておりました。しばらくして小桜さんの指導により、一人づつ御前にて
 挨拶を交わす事になり、先達として今日初めて私達と合流したUさんが神々からの
 詔を口頭チャネリングにて私達に伝え告げてくれたのです。
 まず、間き覚えのある壊かしい唱歌が社中に響き渡ったのです。

   ♪♪そろたでそろた早苗がそろた−−−♪
   −−−米は宝、だん宝の山よ♪−−−ササに黄金の花が咲く−♪♪
   こんなような歌詞、詔?が降りて来たのです。
   ‘‘小桜をはじめとし、よくお集まりくださいました12神将達よ”一云々と続きました。

 その意味するところは、各々が考えることとして、それに続きそれぞれ個々が
 想いを込めて合掌と礼をつくし、つつがなく神事は終わりました。
 幽玄なそれでいてピンと張り詰めた緊張感の中での出来事でした。
 これもいわく因縁の成せるものとして、私は解釈しております.
 その後、境内での談笑の折り、小桜さんから、各々に神々より玉、剣、如意棒をど
 個々に見合った宝物(ほうもつ)が授けられたことを伝えられました。
 授けられた者達は、その宝物の意味合いを心にかみしめながら、神々ヘ再会をきし、
 浅間神社へ別れを告げました。その後皆で新たなる新地、フジ日本の地を訪れ
 しばらく散策し、温泉、食事と懇談の内に帰途へ着いたのです。
 貴重な一日を過ごせた事、感謝にたえません。ありがとうございました。
 
 ハイヤーセルフさん、玉や剣、如意棒の持つ意味合いを伝えて載けないでしょうか?
 私なりに思考してみたのですが、もうひとつ腑におちないところがあるのです。
 何かありましたら、お願いいたします。

H:ごくろうさまでした。この流れはすべてあらかじめ用意されていたものです。
 人智を越え、時空を越えた仕組みが、今、貴方がたの現実となって現れたのです。
 少なからず、あなたがたの思惑の中に、今日こうなること、予知的な意味合いを
 無意識に感知していたはずです。
 時は流れ通りに進行しています。
 もはや躊躇すら出来ぬところまで動いてきております。
 貴方がたが今日授かったそれぞれの宝物(ほうもつ)を有効に使われることを願います。
 本来、宝物とは飾り物ではないのです。
 その隠された力を使ってこその宝物であり。
 使ってこそ、その輝きに益々磨きがかかり、力が増していくものなのです。
 懐(ふところ)で暖めていてほいけません。錆び付かせては、神々が嘆きます。
 御玉とは、光りの玉であり、知恵の玉であり、愛の玉であり、そのカは七重八重と
 玉の中にすべてのカが凝縮されているのです。
 その力は貴方の意志によって、いかようにも引き出され、
 その持てる変幻自在の能カを発揮できる程、創造神からの絶えまないカを取り込み、
 放出することが可能なのです。
 それはこの御玉を貴方が意識し、いかしきることによってのみ輝きを増していきます。

 剣とは、意識を高め、広げていくためのひと振りです。
 この剣を意識することにより、更に貴方の意識は深まり、その言葉や活字はよりカを
 持つことになります。その剣は実直です。まぎれもなく人の心を刺していきます。
 現世においては、ペン、に匹敵するでしょう。
 使い用によっては、人の意識を瞬時に変換する程の力を帯びています。
 そして、己自身をも変えてしまいます。
 使い手の意識が重要な鍵となります。
 また、次元通信の手だてとしての役日も担い、果てなしの能力を秘めています。

 如意棒とは、読んで字のごとし、意のままに変化し、
 自在無碍に行動することを意とします。
 持ち手が小さな意識であれば、それなりにそれだけの変化しか出来ぬしろもの。
 この如意棒は使い用によって、創造神への架け橋となることを心得て下さい。
 宇宙の果てから果てまで、そして小さき人の心の深くへとつなぐことくらい、
 たやすい事です。しかし、この持ち手が子供のような純真さを失い、
 いつまでも檻の中での自由を味わっている限り、
 その能カを発揮させることはないでしょう。
 なぜかといえば、その長さを持て余し、貴方の心の中で痞(つか)え棒になって
 しまうからです。
 如意棒を使いこなす技は、純真さです。
 そして強固で柔軟な意志です。
 恐れを知らぬ『真』と、貴方の秘められた『勇気』です。

 鏡とは、バランスを意とします。調和を意とします。
 中庸の神髄は、無色透明であり、総てのすべてを写し出します。
 それは主の要(かなめ)であり、幽遠の広がりをみせます。
 持てる者は、濁り無き無垢の存在にして、初めてその力を司ります。
 禊ぎにて己を払い清め、清浄なる心身に努めること、それこそが持ち手の努め。
 このものは、次元往来のはたらきも可能となるでしょう。

 笙笛とは光りの波動であり、癒しの波動であり、揺らぎであり、
 その音色は幽遠にして、悠久の響きあり。
 微に入り細にわたり、遍く響き渡り活を促します。
 この音色を聞くには、素となり朴となり、感じなければなりません。
 持ち手の意識は虹色の輝きと、大いなる呼吸
 次元の笛は字宙を生かしつづけます。

 神々達からの贈物は、それぞれ鍵が重要なポイントとなります。
 その鍵は、貴方自身がすでに持っているものです。
 悠久の時を経て栽い戴いたこの宝物を携えて、千里の宇(そら)を翔いて下さいね。
 私の貴方よ輝きなさい!時空を越えて翔んでください!
 

     
              <浅間神社前>                           <FUJI日本 河口湖センター予定地>

     
       <FUJI日本河口湖センター予定地>                        <センター近辺上空 1>

     
         <センター近辺上空 2>                             <左写真 上部拡大>

       当日は、何体も龍に似たすじ雲が現れました。
 



● 11月12日PM3:00  ハイヤーセルフ&爺さま? 『感じよ』

A:ハイヤーセルフさん!今日は!
 私は今、何故か判らないまま大和にある浅間神社に導かれて来ました。
 とりわけ神々にお伺いをたてることも無く、参拝を済ませ、しばらく散策して
 いたのですが、何も変わりはないし、帰途につこうと車に乗り込んだ所、
 以外な物を発見?散策をしている間には気付かずにいたのですが、
 この角度から狛大を見ると、その背中あたりにくっきりとどなたかの顔が
 浮き出ているではないですか、鼻はダンゴ鼻、威風堂々としたその輪郭、
 立派なヒゲ、厳しい顔をしていますが、どこか憎めないその丸顔、
 私はしぱらくジッと見詰めていました。
 (見ようによっては、こんな事例はどこにでもあるもの、顔面木、顔面鯉、平家ガニ
 等々、)そんな思いがするものの、どうもその対象物が気になるのです。
 しばらく沈黙が続き、何かメッセージでもあるのだろうかと、私はこんな質間を
 してみました。
 『今日の私は、祈願の為にきた訳でもないし、ただ何となくこの地へ導かれてきました。
 その訳は判りませんが、何かあるのでしょうか?・・・何も応答無し・・・
 それでは帰ります。用もないのにお騒がぜして申し訳ありません。』
 私は帰路につき、車を走らせながら何も考えてはいませんでした。
 ふっと脳裏に流れてきたのは『無垢でいよ! 感じていよ!』という言葉でした。
 その後の会話をここに記します。男性の声で誰だか判りません。

N:一刻たりとも、我らから眼を離すでない。
 常に常に感じおれ。訳など知る由も無い。
 ただ、感じることのみ眼を向けよ。

A:感じる事ですか、何を感じよとおっしやるのですか?

N:その疑う想いを捨てよ。次元の眼を開くことだ。
 見ることも、話すことも、聞くこともあたわず。
 五感を越えたところにつながりがある。

A:そんな事を言われても、雑事に追われている私はついつい忘れてしまいます。
 常に今を懸命に生きているつもりなのですが、それではいけませんか?

N:五感のみで生きてゆくは、実にならぬ。
 五感の発する気を感じおれ。己の理屈を捨てよ。
 そなたは感ずるまま、ここへ来た。
 それでいい。理由はないが、道はある。

A:せっかくメッセージを戴いているのに、申し訳ありませんが、難し過ぎて判りません。

N:何故にそう思考する。何故に己を否定する。
 その思考から離れよと言っておるのだ。
 疑心は己を信じぬところから始まる。
 強いては神々を愚弄することになる。
 感門を開くことだ。その門は思考を越えたところにある。
 力はいらぬ。 叩けばおのづと開かれる,
 無垢でいよ。 担壊であれ。
 感じていよ。  己を感じていよ。 次元を感じていよ。 宇を感じていよ。

A:何か判りませんか、“はい”と返事をしておきます。

N:それでいい。 すべてを認めたことになる。
 その瞬間に宇はそなたのものとなる。
 人智は宇の元にあると心得よ。
 人それぞれの宇に従い幕らすことだ。

A:ありがとうございました。
 お名前をお間かせ願えないでしょうか?

N:こだわるでない。
 いつでもそなたの宇の元にある。



● 11月18日PM0:00  ハイヤーセルフ 心の麻痺

A:ハイヤーセルフさん、今日は!
 この頃の私は、何か物ぐさで何をするにも気カが湧かないのです。
 そんな自分が嫌で自身を叱咤する毎日なのですが、何か重たい、何故だか判らないけど
 重たくてやるせない。ジッーと解決のつかぬ己を視つめる日が続きます。
 私自身が満腹なのだろうか?  不安定でも現在の生活にドップリと浸かり過ぎて
 いるからなのだろうか? はたしてこのままでいいのだろうか?
 事あるごとに周りの存在達に感謝の念を棒げているつもりなのですが、
 今ひとつ、心の底から感謝心が湧きでてこないのです。
 この指も身体も食物も連鎖する私の周りの群ての存在達によって、生かされ続けている
 ことが頭では判っているつもり(いや、判っていないからこんな状態に追い込まれるの
 かな?)なのですが、そんな自分の感謝心さえ疑わしくなってしまうのです。
 心の奥にベッタリと張り付いている正体不明なもの、これは何なのだろう?
 想念観察をし続けても、その正体がつかめずにいます。
 ハイヤーセルフさん、このままでは私はどうなってしまうのでしょう。
 どうにか成るなら、どうにかしてくれ!と叫びたい心境です。
 何かお気付きの点がありましたら、どうかメッセージなり、叱咤激励なりお願いします。

H:焦らないでください!自分を責めないでください!
 性急さからは、より良き思案も解決も生まれてきません。
 ましてや自分を責める事など、もってのほかです。
 私達を含め、全てが一つである存在達を責めることにもなります。
 様々な葛藤が起きることは、何も貴方だけではないのです。
 でもそれを逮択し、呼び込んでいるのは紛れもなく貴方です。

 今、貴方の精神も肉体も麻痺しています。まるで蝋人形のようです。
 貴方はあこがれを抱き続けたこの精神世界に、もっと違う世界を夢みていたのでは
 ないのですか? 常々、貴方は想い悩んでいたはずです。
 自分自身の物足りなさから入門した精神世界への願望。
 霊や未知の世界への異常なまでのあこがれ。
 そして煩わしい生活から離れたいとする現実逃避意識。
 いつまでも依存していたい救世主願望。
 しかし、貴方はこの真の教義を学べぱ学ぶほど現実に、今へと導かれ、
 しかも、自身の一番望まぬ世俗世界の真っ只中へと引き戻されてしまったのですから。
 そうではないですか? 今立っているのは自分の思惑とはまったく正反対の現実世界。
 貴方は霊の世界を誤解し、夢をみていたのです。霊の世界は逃げ場ではないのです。
 霊の世界がもっとも必要とするところ、それはこの現実世界。
 すべてが自分である事を学んだ貴方はもう、逃げようにも逃げられない。
 貴方の頭の片すみには、『今を生きよ』と言う言葉に呪縛され身動きが取れない。
 しかも今の貴方は想念親察を実践しているのに、その現実に対処する方法が、
 生き様がみえない、判らない。 自分の方向性すら見失っている状態です。
 そうではないですか? 貴方の溜め息ばかりが聞こえます。
 貴方は諦めかけてはいませんか? 自身を投げやりにしていませんか?
 その前にちょっと待ってください。
 私達はそんな貴方を育てるために、今の今まで教示してきたのではないのです。
 宇宙の方々、イマヌエルの教義、神々からの神示、それはどれひとつとっても
 生きる故の掛け替えのない教えであり、智恵であり、人類の財産です。

 貴方は完壁ではないのです。不完全でいいのです、いえ不完全なのです。
 これらの教義は、あくまで不完全な貴方自身のための気付きであり、
 この教義のみに囚われるのではなく、貴方の現実を生かすための、今を生かしきるため
 の教義なのです。 不完全だからこそ大いなる気付きの元に生きられるのです。
 不完全だからこそ、そんなに短絡的に教えが身につくものではないのです。
 自身の進化が心眼で確認できるほど、人の進化とは目覚ましいものではありません。
 遥か大時を逆かのぼり、今在ることを視つめた時、始めて己の微々たる進化が垣間見え
 るのです。それほどに人の進化とは遅々たるものなのです。
 宇宙のなりわいとはそうしたものなのです。 焦らないでください!
 貴方の悠久の時聞は、まだまだ貴方の創造カではつかみ得るものではありません。
 貴方の怠惰な生活も否とはいいません。 それも貴方にとって今、必要ある事。
 貴方の不完全な能カでは思惑通りにいかないのが必然。 それが今の貴方の姿なのです。
 貴方のあこがれである夢や願望は、今貴方が立っている所(現実)で徹底的に自身を
 生かしきることこそが、その夢を叶える一番の近道かも知れません。
 その結果として、貴方のいう心底からの感激、感謝心が湧いてくるのではないので
 しょうか?そのときはもう貴方の胸の内はスッキリとしているはずです。
 私達からのメッセージを貴方自身の為に惜し気もなく使って下さい。
 ゆっくりでいいんです。慌てず、焦らず、根気よく。
 自身を生かしきる術は、もうお判りですわ? ここで貴方を視つめ直してください。
 貴方の心身は確かに生きているのです! 生かされているのですよ!
 貴方が貴方自身の為に必要としているのです。 全体の個として必要とされているのです。
 すべてのすべてが貴方の成長の為に用意されているのです。 お判りですか?



● 11月22日 PM9:00  ハイヤーセルフ  林と孤独感

A:ハイヤーセルフさん! 今日は!
 昂会大和発足以来、初めて林の中での会合。雨にたたられましたが、そこは皆の気持ち
 を一つにし、霊力を使って晴れを呼び込む? 祈りから始まりました。
 ここしばらく雨の少ない日々が続さ、恵みの雨のはずなのですが、
 ここが人間の身勝手さか、雨の恩恵に感謝しつつも、自分達の場所だけ降らないよう
 にとの、複雑な思いでの祈りでした。
 幸いにも本降りにならず、しっとりと濡れた林の中の散策は、杉や檜、櫟(くぬぎ)
 樹木のフイトンチッドが漂い、晩秋にしては雰囲気のとても良い場所を提供してくれた
 事、周囲の樹木達に感謝しながらの一日を過ごさせて戴きました。
 そんな折り、ふと私の気持ちが滅入るのを感じました。
 こんな豊かなひと刻に言い知れぬ『孤独感』が私を襲ってきたのです。
 皆との楽しい懇談のなかで何なのだろう?
 今こんな気持ちに出会うのは、何故なのだろう?
 ふと、自分の周囲の事を振り返ると、私を本当に理解して<れる人がいるのだろうか?
 こうして意識を共にしてきた皆と集い、楽しんでいるのに真からの友がいるだろうか?
 そう想う反面、私自身、身近な人達、そして周囲の皆の事を真から理解し、判っている
 のだろうか? そんな想いに囚われていったのです。
 現に今、私が経済の仕組みから、社会の機構から、この求めてきた環境から外された時、
 私の周りには、どれほどの人達が残っているだろうか?
 人生を語り合い、手を取合える真の友と呼べる人達が、果たして残っているだろうか?
 私が今、空しく感じるのは、自身が求めた現実の結果なのだろうか?
 常々、生活し、生きる上でいつも人の為と思い、相手の事をおもいやりながら行動し、
 日々暮らして来たつもりなんですが、今現実を見るに私の周囲はいつもすれ違う人々
 ばかり、寂しさを通り越して、孤独感が付きまといます。
 人の輪廻転生とは、一人で生まれ、一人で死して行く、いつも一人ぽっち。
 そう思うと、日々、人々の中で生き、暮らす努力が空しくなる事があるのです。
 今を生きるという本来の意味さえも忘れる程、つまらなくなることがあるのです。
 妻や子と話しても、友と話しても、守護霊である私のすぺてを知っている貴方と話して
 いても、妙に現実感が無く、ふと遠い存在に感じる事もしばしはのことです。
 そんな時、折り折りに様々な教えが、心の声として感じているのですが
 軟弱な自分自身を叱咤激励し、日々過ごしている私です。
 樹木の中での瞑想中に『檜』との対話をここに記しておきます。
 私という存在のふがいなさ、礼儀の無さに、ただただ樹木達に頭を垂れるばかりです。
 溢れるぱかりのフイトンチッドをありがとう。
 瞑想中にふっと聞こえた言葉は、『我らの法に従って欲しい』
 私は近くの檜に問い掛けて見ました。その後の対話は、次ぎの通りです。
 

A:檜さん! 私達に何か言いたいことがあるのですか?
 いい機会ですので、おっしゃって下さい。今ならば素直に声が聞けそうです。

檜:森林の中に入って来た時は、我らの法と秩序に順じて欲しい。
 我らには、我らの生活がある。 勝手に踏み荒らさんで欲しい。
 君らは自分達の法には、従っておるのに、何故、我らの宇宙の法と掟には捉えんのだ。
 遠い昔、人と我らは、同法の元で豊かに共存しておった。
 人は地上の王として霊の王国を築き、総ての導きの担い手だったんじゃ。
 それがどうじゃ! いつの間にか人間の為だけの勝手な法を造り、
 この地上に二つの法が現れた。 それが我らの法と人間による法じゃ。
 我らは素直に宇宙の法と掟に従った。 そして人は皆、人間の法に従っていったんじゃ
 人はそのもてる知恵の巧みさから、次第にこの地上を席巻し、我がもの顔で君臨し、
 傲慢な王国を造りだしていったんじゃ。
 しかし、我らはわき見をせずに何十億年もこの宇宙の法に従ってきた。
 苦節もあったが、今その法が真実のものとして、証しがたてられた時、我らは勝利した
 君らの法はもう限界じゃ!
 我らは長いこと待ち続けたんじゃ、君ちが必ず戻り来る日を・・・
 遠い時を経て今、こうして君らは森の中にいる。
 だからじゃ! 君らがかってこの地上の王国に君臨しておった霊の王として
 その汚れなき意識が戻り来るまで、我らの法と掟に従って欲しいんじゃ。
 地上の王としての高き誇りを思い出して欲しいんじゃ。
 人が2度と同し過ちを繰り返さなければ、我ら樹木達、存在達は協力を惜しまぬ。
 又、我らと共に豊かな地上を造り出そうではないか!
 
 

A:ハイヤーセルフさん、久し振りで真の仲間連の声を見けたようです。
 私としては、子供の頃、山で遊び暮らした遠い記憶が戻って来たような
 そんな心地がいたします。 ハイヤーセルフさん、何かメッセージがありましたら
 お願いいたします。

H:確かに人は一人で生まれ、一人で死んで往きます。
 承知のごとく現世においては真実の事です。 そして無常です。
 貴方が今、感じている孤独感は、感謝心を忘れたエゴそのものです。
 そして、今という現実をないがしろにし、自身が生かされているという事実から、
 眼をそらして、自我の世界のみに生きて来た、いい実例です。
 貴方の視点は基本をまだ、学び得ていない、証拠でもあります。
 『無知』である貴方にこの宇宙での真の孤独感が判りますか?
 無意味な孤独感に囚われているようなら、食するものを探して歩く浮浪者のほうが
 まだマシです。 いったい貴方は何を学び、どう実践してきたのですか?
 その眼を開いて、貴方の周りをよくご覧なさい!
 貴方のすべての思考と想像力を傾けて、目の前の存在達の在り方を探求してみなさい!
 幸いにも、貴方の目の前には、樹木達が生い茂っています。
 考える場はすでにあなたの足元に、いつでも提供されているのです。

 これらの草花樹木、そして微生物、虫や鳥獣達は大いなる生命連鎖にかかわり、
 豊かに活き活きと生きているではないですか。
 それらは今の貴方の眼では、一木一草皆、孤独にうつるかも知れません。
 しかし、その貴方の甘えた考えを改める為に、今この場で徹底的に彼らの事を
 知るぺきです。 彼らの隠れた声を心を済まして聞いて下さい。
 貴方が今、足元に踏み付けている20cm四方の宇宙を知っていますか?
 身方を生かし続けている何十億という存在達が、身勝手という土足で踏み潰されている
 事実に気付いていますか?
 その微々たる存在達も大いなる連鎖の中で、お互いに助力し合いながら生きていると
 いう真実を、熟考した事がありますか?
 貴方の知っていることを再度ここに伝えます。

 草花樹木は同化作用で元素を浄化供給し、自身を守る為にフイトンチッドを放出し、
 自身の種の保存の為に、華麗な花を咲かせ、より甘き実を熟し、昆虫鳥獣を養い、
 鳥は甘き実をついばむ事により種を運び、獣は実や緑を食し、排泄をそして自身の体を
 滋養として大地に還元していく・・・、
 更に更に気の遠くなるような大地の連鎖、大宇宙の連鎖・・・
 微々たる虫や菌や日に見えぬ存在達、空中に漂う数知れない原子元素の類達も
 例外なく、その連鎖に加わり、与えたり与えられたり、生かしたり生かされたり、
 驚くぺき事にそのすべての存在達が貴方の身体のすみずみまで侵人し、いき渡り
 貴方を生かし続け、そして自身も生き、貴方の成長の手助けをしている。
 何という壮大なドラマなのでしょう!
 貴方というひとつの身体の中に、微々たる存在から宇宙の塵に至るまで、
 凝縮され存在し、それぞれの力の限りをつくしている。

 更に意識は無意識という形をとって、この宇宙に存在する生命にすへてシンクロされて
 いるという連鎖を知っていますか?
 生さとし生ける存在達はすべてつながっているのです。
 それはどれひとつ欠けても連鎖は成り立ちません。 すぺてが一つなのです。
 それでも貴方は自分が孤独だと想いますか? どこに孤独がありますか?
 あるのは貴方の甘えと恥知らずな無智だけです。
 判って来ましたか? 私達はこのことは何回も何回も伝えてきたはずです。
 この地上で貴方が生かされているという事実を、どんな時にも決して忘れては
 いけないのです。連鎖からはみ出し、わがまま放題の人生はもう止めにしませんか!
 そして大いなる連鎖の中で、人として人間としてその輪の中でいかに貴方が
 大時を生かされ続けた借りを返し、共存してゆくか、その事に尽きると思います。

 微々たる存在までも、己自身を生かしきって、他も生かしていく。
 今、無知である貴方を生かし続けてきた存在達に『感謝』の他に何があるというの
 でしょう。
 つき詰めれぱ今を生きるということは、人々を始めとしてこの宇宙の連鎖という生業の
 中で自分の、いいえ人間のなすぺきことが視えてきませんか?
 調和ある宇宙の法の元に存在し、今の自身を生かしきること。
 その他に何があるのでしょう。 まだ、貴方に孤独感がありますか?
 そんな小さな自身の宇宙に閉じ。こもって楽しいですか? 活き活きと出来ますか?
 己を生かしきり、日々感謝の中に暮らしている人達に、もう孤独感は過去のものですよ。
 

A:ハイヤーセルフさん、ありがとう、
 軟弱な私の為とはいえ、いつもいつも同じことの繰り返し、
 でも私は諦めません。 遅々としていますが、進みたい。
 これからも、叱咤激励をよろしくお良いします。 ありがとう!
 

                                       以上  
 

“本質において一致し、行動において自由、全てにおいて信頼”

昴 会・大 和     松 田  武