最近、面白い事に、“百匹目の猿”現象が頻繁に起こっているようです。電話してく
る人、会う人皆、共通した話題が多いのです。テーマとしては、『愛と情の区別』、
『想いは実現する』『足元の大切さ』『自分が変われば皆変わる』『淡々と一人作業』
等々でしょうか。今度の昴会もどんな流れになるか楽しみです。
5月の昴会大和
《第3土曜日》
日時: 平成10年5月16日(土) 午後1時スタート
場所: 神奈川・昴会大和の場(日本アーステック内)
(会員の皆さんへ)
お願い: 伝言板の発送について色々とご提案をありがとうございました。今の時期、
伝言板のような内容もあまり必要ないようにも思われますが、発送については
下記のように決まりましたので、皆様のご協力の程宜しくお願い致します。
昴会はボランティア運営ですので、現在の発送件数にもなると一人での作業は
なかなか大変なものがあり、先月からは3人で流れ作業をしています。
※ 封筒は、リサイクルします。毎回そのままお返し下さい。セロテープと切手はうまく
剥がれると思いますので。(新しい80円切手を貼ってもらっておくと有り難いです。)
※ これまで皆様から寄せられたカンパと80円切手も今回で全て使い切ることになりま
した。今後の通信費(コピー、用紙、電話、FAX、切手、備品、管理等に必要な費用)
を、お一人300円/月とさせて頂きますのでご理解の程よろしくお願い致します。
就きましては、約3ヶ月分として1000円をお送り下さい。管理上、それ以上の金額
をお送り頂いた場合は、会へのカンパとしてキープし活用させて頂きますので、ご了承
下さい。
添付: ・ハイヤーセルフ 『地球を視ながら』 4月14日受信
・ハイヤーセルフ及び霊的存在『様々な疑問』 4月29日受信
その他、数多くのチャネルメッセージが入ってますが、省略させて頂きます。
昴会 大和 松 田 武
E-mail: earth-t@mvj.biglobe.ne.jp
『地球讃歌』: http://www2s.biglobe.ne.jp/~earth/earth/index.html
Q:今私は萠え出ずる春の野辺で地球を眺めています。
でもリアルタイムに地球のどこかでは、夏であり、氷点下の冬を迎えている。
私の内にある春の概念とは何なのだろう? 自分で作り上げた想像上のイメージ
なのだろうか? こうしたもろもろの概念を視ていくと、様々な誤解や錯覚で造り上げ
られて来た自身の意識に戸惑い、困惑することばかりです。
ハイヤーセルフさん! 今日は独り言を綴っていきますので気付いた事があれば
補佐をお願いいたします。
H:貴方の声はいつでも私達に届いています。 心の赴くままにどうぞ・・・
Q:では遠慮なく語ります。 様々なメッセージの中にこの地球は宇宙の中でも希にみる
自然と調和に溢れた惑星だと聞いております。しかし、穿(ウガ)った私の感性でとらえ
ている現在の地球の姿とは、共食いの惑星であり、表皮1枚の世界であり、上空僅か
10kmの存在空間であり、吹けば飛ぶような惑星にしかみえないのです。
この星のどこにパラレルワールドなる霊的空間が無尽蔵に存在するのか?
一皮剥けば、マグマが燃えたぎり、地球を飛び出せば7分で真空世界、この大地で人が
存在出来得る生活空聞は僅か3〜4km。 この狭い空間で存在達は輪廻転生を繰り返し
まさに地球を存在を食い尽くし、己自身をも餌にしてこうして生きながらえている。
共生という耳障りの良い言葉も、共食いと表裏一体一共食いは万物一体を可能にする
ものなのか? だとすれば死という既存の概念は意味を成さないことになる。
存在はいつか淘汰され元素、原子に戻り、そして再び形成され誕生し、存在として
生き続ける。 今思うに、存在とは生きて、生きて、多次元を生き抜いて、
そして又生きる・・・そこには死はなく、あるとすれば変容する存在の変転性・・・・
何故、地球は燃え滾るマグマを包み、その姿を自然美で覆い隠し続けようとするのか?
それほどまでに地球本体は醜く残酷なものなのだろうか? 美とはまやかしか?
もし地球意識がそうならば、輪廻に拘わる私自身も潜在的に美醜を抱えていることに
なり、地球との一体感を今更意識せずとも、すでに共にあるということではないだろう
か。 地球と共にあるということは、卓上の絵空事ではなく、すでに私の根源意識とし
て認識し、美醜清濁合わせ持った己の存在を地球そのものと思わざるを得ない。
この先地球は大時の流れに変容しながら、自身も存在達も巻き込み燃え尽きるまで
そのエネルギーを燃焼しきるに違いないだろう。
美化された地球の裏腹は、非情なまでに存在と消滅を繰り返してきた。
生き残った私は地球の歴史そのものであり、地球意識を持つ存在として、今ここにいる。
共食いとは、存在が多様に進化し生き続けて行く為の手段としての行為に過ぎない。
既存の意識では計り知れない程の大いなる愛のカが、私を生かし続ける・・・・
H:貴方の言葉だけでは、想う事の万分の1も表現しきれないでしょう。
しかし、貴方の意識は私達に鮮明に伝わってきます。
本当に地球は、はかなく脆い惑星です。 外宇宙から眺めると存在があってない
ような、地球は微星物です。 唯一存在を示す証は、貴方の意識すなわち地球意識。
貴方の意識は、存在を知らしめる為に確実に地球上から発信しているのです。
霊的空間は貴方の中に常に存在し、貴方なりのパラレルワールドを創造し続けています。
貴方は美を語っていましたが、この地球の自然美も貴方の内的パラレルワールドが、
現実化したに過ぎず、破壊も又同様の意識レベルから発信したものです。
私達は地球の別名を中庸惑星と呼んでいます。
これほどまでに創造がそのカを余すことなく顕現された惑量も珍しいのです。
創造が凝縮された星、すなわちバランスの惑星である地球は、中庸が生命であり、
個性です。ですからそのバランスを失えば、命取りになりかねません。
元の原子に戻り再生するまで、生命無きただの星屑となることでしょう。
貴方は引力と遠心力のバランスを思考したことがありますか?
何故地球は自転しているのに、内側に引力が働くのでしょう。
少しでも自転速度が速まれば、その関係を保つことは出来ません。逆もまたしかりです。
大地とマグマの関係もそうです。その連係をもって存在連鎖の思考を続けると、無限に
近い能力が必要となり、もう貴方の頭ではこのバランスの妙は、思考の及ぷ所ではない
ことに気付くはずです。 それが理解出来ればいいのです。
その事実が理解出来れば貴方は自身を理解していることになるのです。
その理解カをベースに今の地球を眺め現実を視て下さい。
貴方の霊的空間は無限の創造の為に用意された意識空間です。
地球意識をベースにパラレルワールドを創造して下さい。
日の前に広がる地球上の春をもっともっと造り出して下さい。
Q:はい、判りました。地球にそして自身に光の瞑想を送り続けます。
創造を忘れたこの臆病な地球破壊者一それは私自身。
その地球がもがき苦しんでいる姿は、紛れも無く私自身の姿なのだ。
自ら破滅の進化の過程を招いた無知なる者の罪は、光の世界を創造することにより
救われるのか・・・・
しかし、それさえも超越して存在達を生かし続けてきた地球意識とは・・・、
寛容と非情さを兼ね備え、創成期以来のドラマを人間そして生きとし生けるもの達に
託し続け、非道の限りを繰り返してきた存在達を、今も尚包み込んでくれている。
“地球は貴方自身ですよ”と言う言葉の代わりに萠え出ずる春を提供し続ける地球意識
に心から讃歌を捧げたい。 ありがとう・・・・・
1998年4月14日 昴会 大和 受信
(1)“もう”と“まだ”
Q:“もう6時”と“まだ6時”の相違は何?
H:時とは広がりであり、収縮です。 時を実感したければ、瞬きのみです。
同時刻を有する2つの言語は、その意識において全く時の流れが異なる事に気付く
ことです。 6時という時刻は、地球上誰にも均等に配分されていますが、この時刻
さえも貴方の固定観念で刻まれている錯覚に注目し、貴方が今いるこの場の時刻でし
かない事実を知ることです。刻の観念は貴方が造りだしている事に気付いていますか?
その意識によって貴方の持ち時間が決まるのです。 人生という時間は文字通り貴方
の意識時間を示しています。 ですから深い瞑想を習熟した人々は、無時間から永時
に至るまで様々な刻を体得することが出来るのです。
(2)約束とは
Q:約束とは責任を果たし守ることですか?
H:貴方がそこに存在するだけで、すでに約束を果たしています。
約束とは自身との永逮の契りであり、他との約束事ではありません。
自身の花を咲かせることにより責任を全うし、他との役割を果たしたことになり、
他もこれに習えばいいことです。 貴方のすべて、存在のすべてが約束事であり、
宇宙の生業とは、約束事を果たしている姿なのです。
(3)常識
Q:規制常識との相違はいかに?
H:常識とは本来自由無碍(自己制御を伴う)であるもの。
自身が束縛されたり、外部に従うは仕来りという狭い人間社会の慣例に過ぎません。
常識とは宇宙の法(生業)であり、掟です。 創造の法と掟を順守することです。
一歩、外字宙へ出れば上下左右無く、昼夜も無く、音も無くあらゆる現象そして観念
とても地球上の単位で計り知れるものではありません。地球上のあるべき姿を熟知し、
宇宙の生業から学ぶことです。 自身が光りの存在であることを体感し実感して下さい。
その素の姿にこそ本来あるべき常識が宿っているのです。
(4)水の意識
Q:単分子水とは?
O:水の主たる霊分子は火素子と水素子の融合体。水の中に火があり、火の中に水がある。
即ち、水の力は火であり、火のカは水である。 この両者のカは調和を現し、
この生なる惑星を生み、生なるものを育んできた。 水の神である龍神は好んで
光玉(火の玉)を携え、縦横無尽にこの玉(ぎょく‐地球)を翔び回る。
水があるからこそ、自由無碍に型を成し、その意識を姿として顕現していく。
この地球が生命の惑星といわれる所以はそこにある。
たとえ生命を生み出す意志があっても、水無き星は型を成すべき術がない。
水は底知れぬ火のカを運び、生物を人間を地球を産み生かしきる。
火はまた水を得ることにより、膨張し新たなる生命のカを意識を蓄える。
己が存在が火と水の化身であり、火と水が一体であることを認識することだ。
水の惑星である限り、龍神はこの玉(ぎょく)を守り、浄化し続ける。
玉〈ぎょく〉と共に絶え間無く生命を生産し、己が存在を微に至るまで現し続ける。
(5)進歩とは
Q:何もしなくても進歩するの?
O:進歩とは運命であり、進化とは宿命である。 運命は、自己改革によっていか様に
も変革をみるが、宿命は、定められたカによって運ばれて行く変容の理である。
人が持ち得る運命は、寿命によって全うされるが、宿命はそのカを、永時に渡り
存続し続ける。 すなわち進歩とは、人間に与えられた命であり、人の意識いかんに
よって更に更に向上していくものでもある。
人があり、そこに進歩がある一これは理である。
“もういい”“これでいい”は慢心につながり、停滞を意味するものでもある。
(6)保守
Q:自身を守ることは、停滞なのでしょうか?
O:自身を守りたければ攻めよ。されば守ることになる。 この世の理は変容にある。
常に変化し滞まることは無い。体細胞は休むことなく入れ替わり、意識も常に変化し、
霊もまた広がり続け、自然の生業に滞りはない。
守ることのみに執着するは、自身が立ち枯れ、己が存在を否定することにもなる。
大地に足をつけ風に両かって立てよ! 光に向かって立てよ!
果敢に己を奮い立たせよ! その意識こそが真に己を守る術となる。
(2)馬鹿とは
Q:生きる上で馬鹿になれと言われましたが?
K:それなりと言うことだ。 飾ることもない、プライドもない、肩書もない、人間で
いよ!と言うことだ。 重いものを担がなくても生きて行けるし、どう転んでも、気
取っても今以上のものは出てこんだろう。 生きる事を楽しむには健康で馬鹿が一番
じゃよ。その他に何が欲しいと言うのかね? 新しい情報かい? 超のつく能カかい?
そんなもの100年後になれば、徽臭いものだよ。
馬鹿になると言うことは『自分であれ』ということなんじゃよ!
馬鹿になることをあれこれ考えているようじゃ、うつけの大馬鹿じゃ!
馬鹿は楽しい! これが本物じゃよ!
1998年4月29日 昴会 大和 受信