エリ−ナ メッセ−ジ(前半)
 
 
 1.意識体・エゴ体
 2.不自由さについての認識
 3.創造との一体感とは
 4.理解について 
 5.習慣的反応について
 6.徹底性について
 7.感謝について
 8.感覚について 
 9.学ぶことについて
10.楽しむと言う事について
11.疲れ(ストレス)について
12.矛盾について
13.誠実さについて
14.創作全般について
15.言葉について
16.感情(対象)について
17.行動について
18. 一体感(悟り)について
19.遊びについて
20.要求について 
21.感性の詩
 

 
 
意識体・エゴ体

意識体とエゴ体,その認識は本来同一エネルギ−から生まれており,分離的認識は無意味である。何故なら,その認識を理解することにより,意識体を強く求めようとするエネルギ−作用を起こし,エゴ体及びそのエゴ の表現に対し,否定的にならざるを得ないからである。マイナス現象の重要性を理解しているのであるならば,(芸術,科学,スポ−ツ,生活,全般)におけるエゴ表現は,本来 意識体としての表現形式であるはずである。つまり,どの様な表現であろうと,そこには無限からの光の顕在化された世界が常に表現されている。充満エゴ,及びその表現形式か ら多くの意味を学んで欲しいのである。それこそ完全意識体(受動体)であるからだ。無限からの発信者(表現形式)に接した貴方達は,今一度充満エゴ(表現形式)は無限からの光の顕在化された世界であることを理解して欲しいと我々は願うのである。常に2つの表現形式を学んで欲しい。1つは意識体としての完全表現された世界(受動)。1つは 充満エゴ体としての完全表現された世界(能動)。その両者が同一エネルギ−から成り立 っており,充満エゴ体(表現形式)も実は完全表現された(受動)世界であることをんで戴きたい。
 
 
不自由さについての認識

不自由さについての認識。貴方 達を観察していると不自由さを好まない傾向がある様に感じる。行動する事によっり不自由な状態を感じると言う事は,創造の立場に身を置いて理解してみると,自我意識の行動 パタ−ンでは全く通用しない状態であると言える。貴方達の目から見て不自由な状態とは ,創造の目から見ると,誠に自由な状態なのだ。その自由さは自我意識が全くない状態だ からだ。不自由さに対しての行動パタ−ン,つまり納得と言うべきものが入る余地が無い のである。そこでは創造からのアプロ−チが速やかに行われるだろう。不自由さと言う抵 抗は,まさに貴方が,貴方から旅立ちを始める素晴らしき瞬間である我々は貴方達にその チャンスを無駄にしない事を願う。創造を理解する上で不自由さと言う抵抗,その環境は 奇跡なのである。限りなきノックは続くだろう。

 
創造との一体感とは

創造との一体感を求める貴方がたは ,旅路の何処かで迷路に入り込む。創造との一体感とは 貴方たちの側に居る人々との一体感を言うのである。しかし貴方たちはそれを無視し続け創造を求める。我々は貴方 たちが,貴方たちと価値観の異なる人々との一体感,又その存在理由を知ろうともせず, 創造を求め続ける姿に疑問を感じてしまう。我々は貴方達に問いたい貴方達は一体感をど の様に理解しているのか?。貴方達の側に居るその人が創造である事を理解しているのだ ろうか? もう一度考えてもらいたい。創造とは人であり,人の奥の本質であり,全ての本質が創造であり,その本質の顕在化が人である。その一体感こそ創造との一体感であり ,また感謝の本質であるのだ。貴方達はその事を既に知っている。しかし忘れさせられて しまう。創造との一体感を求め続ける姿勢も,また自己逃避であり,現実逃避である。

故東林メッセ−ジ: 自我が無くとも,あんた,生きていけるよ。地獄に落ちても東林 は東林,そこで学べば東林は光。光に帰っても東林は東林,そこで学ばなければ,東林は ただの馬鹿。

 
理解について

貴方達は我々のメッセ−ジを読み理解する 。しかし我々が貴方達に理解して戴きたいのは,そのメッセ−ジに対する理解ではなく,貴方達は何も判らない,又判っていなかったと言う事を真に理解して戴きたいのだ。理解 に対する知識を理解する事により,何も判っていなかったという理解を得る。そしてその 重みを感じ取っていく姿勢,これこそ真理なのである。知識が重要なのではなく,何も判 っていなかったと言う理解,これこそが重要な知識なのだ。その自覚を起こすことにより ,真我に目覚めていくのである。貴方達は常に人に対して無意識に自己中心的行動を行っ てきた。我々のメッセ−ジを読み,理解した人間でさえそうなのだ。何も判っていないの である。その意味,重みと言うものを本当に深く理解して戴きたい。これは我々からのお 願いである。貴方達は何も判っていない。又判らない。つまり何一つ判断出来ないのであ る。特に人間関係においては,その重要性を理解することこそ,真の理解なのである。我 々は貴方達にもう一度言う。貴方達は何も判らない,判っていないと言うその理解を,真 に理解して戴きたい。

 
習慣的反応について

貴方達は習慣的反応を自覚する必要 がある。貴方達は常に眠り続けて起きていないのだ。自己観察を行う人達は,まずその習 慣的反応を卒業しなければならない。つまり貴方達は集中力が散漫な状態なのだ。その状 態の中で自己観察は成就しない。何よりも集中力の訓練が必要になってくる。貴方達が歩 いている時,歩いていると言う事に意識を集中しなさい。貴方達が身体を洗っている時, 洗っている部分に意識を集中しなさい。貴方達が対象を見ている時,その見ている対象に 意識を集中しなさい。その状態が起こされている事を常に自覚しなさい。特殊な方法は好 ましくない。日常生活の中でそれを行いなさい。その訓練を継続する事によって,貴方達 が如何に自覚なき行動を続けてきたかを自覚出来るのである。そして何よりも素晴らしい 出来事は,今迄の貴方達が如何に眠りの中で偽りの自己観察を続けてきたかと言う事を、 自覚出来,貴方達の観察が実は多くの偽善の上に成立しているのを自覚させていただける のである。想念(心の動き)を観察しているが,実は一面的観察しかしておらず、それも 実に散漫な状態の下で行われているのだ。貴方達はその訓練によって,全てに無駄がない と言う意味を,又一つ理解させられていくのだ。その体験を通し,無限なる存在(貴方と 価値観の異なる人々)に対しての感謝を,更に深めていく事になるだろう。

 
徹底性について

貴方達は制限の徹底性にかけては,宇宙 のどの生命よりも進化していると言えるだろう。これは皮肉ではない制限の徹底性は複雑 化を生むが,実は単純化の奥深さを理解するために重要なプロセスである。しかし制限の 徹底性は,ただそのままの状態で肯定する訳にはいかない。貴方達はこれから制限を超え る徹底性を学んでいく内に,ワナに陥る。それは制限をより一層強化すると言う事だ。貴 方達はもう制限された状態さえも理解出来ない位,その環境に染まっているのである。そ れほどまで錯覚の意識に支配されているのである。その理解の徹底性が重要なプロセスな のである。つまりワナに陥るという体験を通して,制限された貴方というものを深く理解 出来るのである。貴方達は自由自在に満ちた徹底性を求めても,それは永遠に実現出来な いことを知りなさい。貴方達がすべきことは,ただただ制限に自縛された貴方を,徹底的 に理解していくことに尽きるのである。そこに真の自由がある。

 
感謝について

奇跡的出来事が感謝を生むのではない。そ れは偽善だ。感謝をどれほど行っても深さが判らない。又感じられないその体験の中で, いらだち情けなさ,不甲斐無さを貴方の中で見るかもしれない。そこに真の感謝が生まれ るのだ。その感謝の蓄積を通して,生かされている,育てられているという意味が理解さ れていくのだ。貴方は何かの認識を得る。それによって心の霧が晴れるだろう。それに対 して感謝を行うかも知れない。しかしそれも偽善である。それは能動的感謝である。真の 感謝とは,認識が得られない状態,貴方の中で疑問に対しての整理が出来ない状態,どの様に道を選んでよいのか判らない状態,つまり非常に不自由な状態下におかれているその 瞬間に,感謝を行える人々が,真の感謝を体得している人々であり,それは貴方の隣にい る,貴方が関心を持っていない人々が,それを無意識に行っているのである。貴方達は感謝を通して感謝を学んでいくのです。

 
感覚について

瞑想体験を通して,貴方達はある種類の感 覚が来るのを待っている。そしてそれらしい感覚(認識を含む)を体験するかも知れない。我々にとって,感覚とは,それがいかなる感覚であろうとも徹底放棄を行い,その道程 の中で無限なる存在の愛を通し,錯覚する自己に気付かせて戴いたという,その体感的感 覚状態という意味において理解している。

 
学ぶことについて

貴方達は学ぶと言う事に楽しさと正反 対の感情,苦痛を感じるのであれば,その苦痛についてよく学んで欲しい。貴方達は,私は学ぶ事を楽しんでいると言うかも知れない。我々にとっての学びとは,不自由さを通し ての学びなのである。その不自由さとは,環境を変化させることによって生まれてくるの ではない。今現在の無限なる存在から与えられた環境の中でそれは発見出来るのである。 一見自由に見える環境も,実は非常に不自由な環境であり,そこから多くの愛を体験させ て戴けるにも拘らず,錯覚する自己意識に支配されている貴方達には,それが見えないのである。無限なる存在は,その環境を通して,貴方達に錯覚する自己意識から目覚めよと 無償の愛を送り続けても,それが認識出来ないときには,どうしてもそれが判らないので ある。その時無限なる存在は,第三者(真理とは全く無縁の人々)を通して,貴方にその 事を教えようとするのだが,それすらも認識出来ないくらい錯覚する自己意識に支配され ているのが貴方達なのだ。錯覚する自己意識の重み,重圧感を身体全体でしっかりと感じ取って欲しいのである。そしてそのプロセスは永遠に続くのである。宇宙意識に達すれば それで終わりではないのである。それから真の旅が始まり,錯覚する自己意識のエネルギ −を,より一層強く感じ取っていくのである。それが学ぶことの本当の意味なのである。 貴方達に学ぶことについて,学ぶと言う事を真剣に考えて戴きたい。

 
楽しむと言う事について

楽しむという観念が,貴方達の 心の中で成長(自己分裂)を始めてから,貴方達は楽しむと言う事を出来なくなってしまったと言う事を理解して欲しい。子供の頃,全てが楽しく,例外的な楽しめない出来事は あまりなかった筈である。その理由としてあげられるのは,まず楽しむと言うその意味が 理解出来なかったこと,そして何よりも重要な理由は,楽しむと言う観念を教わってから ,楽しむのではないと言う事である。つまり初源の統一的エネルギ−は,楽しむと言う事 を知っているのである。しかし人間は年を重ねる毎に,制限化(楽しみについて)が始ま り,楽しむと言う事が分裂的エネルギ−に変化していくのである。即ち楽しめない現実( 錯覚)を,貴方達が積極的に作り上げてきたと言う事である。その結果,貴方達は楽しみ 形を通して求めるようになり,ただ行う(参加)と言う事が実は真の楽しみである事を忘 れてしまったのである。人生を楽しもうとする貴方と,楽しめない貴方を徹底的に理解し ,その環境を与えられてことを無限存在に対して無条件に,そして徹底的に感謝し続ける しか無いのである。つまり,馬鹿になりなさい,そしてそれを愛しなさいと言う事である 。これこそ真の理解であり,この理解を得るために,貴方達は尤もらしい認識の旗を掲げ ,いい気持ちになりきっている哀れな錯覚する貴方を,よく観察しなさい。楽しむことは 素晴らしい。しかしその楽しみを失う。又奪われたときの不安をよく観察してみて欲しい 貴方達がその楽しみを奪われることに不安を感じるのであれば,その楽しみ(錯覚)はい ずれ貴方の元から消えて行くだろう。貴方の意志とは無関係に。そして貴方達が奪われる 楽しみを真に理解された時,絶対的楽しみが貴方達の目の前に現れるだろう。涙の枯れたその瞬間に,それは起こるだろう。

 
疲れ(ストレス)について

貴方達は疲れている,本当に 疲れています。我々としても何とかしてあげたいのだが,それが出来ないのだ。その理由は,貴方達が疲れていると言う自覚を全く持っていないからだ。貴方達が自覚を持てない 以上,我々としても何も出来ないのです。つまり貴方達がそれを求めない限り,宇宙はモ−ションを起こせないのである。疲れから解放されたいのであれば,その疲れに対しての理解を深めていきなさい。喜びや楽しみの中に存在する疲れ,悲しみ,憎悪の中に存在す る疲れ,対象の中に存在する疲れ,その様々な疲れと言うべき感情(感覚)が全く整合されていないのです。疲れそのものが自己分裂を起こしている。貴方達に宇宙的な疲れ,真 の解放感から生まれてくる心地良い疲れを,是非体験して欲しいのです。本来疲れと解放 感は全く同質のエネルギ−なのです。自己分裂する事により,疲れ(ストレス)が成長し ていきます。しかしその原因について理解するには,貴方達がそれを求めない限り,錯覚 する自己意識に対しての理解,つまり私は救いを求めていると言う自覚を起こさない限り,何も変化しないのです。無限なる存在を求め続け,それに対して一歩でも近付き一体化 したいと言う事は,救いを求めると言う事なのです。そしてその自覚を起こして戴きたい のである。救いを求めると言う事は,それこそ永遠を求める真の叫びなのである。それは 無限なる存在からの宣言であり,絶対自由からの宇宙的叫びなのである。そしてそれは錯 覚する自己(エゴ)に対しての挑戦状と言っても差し支えないのである。もし救いを求め ていると言う自覚が持てないのであれば,貴方達は無限なる存在を決して求めてはおらず 退屈から逃れたい為に,一時的な刺激を求めているに過ぎないのだ。貴方達がその麻薬的 夢から醒めた瞬間,現実がそこに存在する事を理解し,真に無限なる存在,即ち救いを求 める旅を始める事が出来るのです。それを是非学んで戴きたい。

 
矛盾について

絶対矛盾こそ絶対真理であり,理解の中の 王である。貴方達の最も愛する世界に錯覚する自己(分離エネルギ−)は眠っている。愛 する人々との別れは辛い。そして愛する人々との出会いは更に辛い。錯覚する自己(分離 エネルギ−)を真剣に発見したければ,錯覚する自己の嫌がる事を進んで行えばそれは発 見出来る。その理解が重要なのだ。出来ないことを感謝を通して体験することが,出来る こと(夢,目標,計画)の達成に通じる道なのである。貴方達に真剣に悩む自覚を持って 欲しい。貴方達に真剣に悩んでいるという自覚を持って欲しい。今現在の価値構造から脱皮出来ない自分に対しての苛立ちを感じて欲しい。その自覚を起こさなければ,錯覚する 自己は,貴方達を支配し続けるだろう。そこに貴方達がもし気付いたのなら,感謝の炎が 止めどなく貴方達を満たすだろう。学んだことは捨てなさい。そうしないと道は塞がれて しまいます。もし学んだことを捨てた振りをした貴方が現れたら,つまり貴方の価値基準 を絶対的な事として無自覚に人々を裁き続ける貴方を発見したなら,貴方は真にその瞬間 学んだことを捨てることが出来るのである。私を私が批判している。私が私を責めている 。私を私が傷つけている。実にユニ−クな遊びであり,ハ−モニ−であり,真剣な楽しさ がそこに存在する。深刻さのテ−マ,それが貴方達を支配している。豊かな遊びの中で, 観察は成就する。

 
誠実さについて

錯覚する自己についての理解,つまり利 害,打算,自己中心的行動(責め,裁き)から生まれた,その宇宙から分離した状態をひたすら観察し,今迄無意識に無自覚に行動し続けてきたプロセスを自覚していくことが, 誠実さに通じていくのである。別の表現で説明すれば,それが自己中心的行動から生まれ た行動であっても,貴方がその事に気付き,その体験を通して,無限なる存在に,貴方達 の姿勢としての善悪を超えた感謝を行い,自己中心的行動(責め,裁き)を行った相手, 及びその背後の無限存在に対して善悪を超えて詫びるその姿勢行動があれば,貴方達の自己中心的行動は,その瞬間に絶対的宇宙,永遠性の中で絶対肯定され,誠実さに変化する のである。誠実さを求め続ける,つまり無限なる存在を求め続けるその姿勢も,自己中心 的行動であると言っておこう。ある真理の教科書の中に書かれてある「統一性を持ったワクワク」とは,誠実と言う意味
である。

 
創作全般について

貴方がもし音楽が好きなら,その才能 は開花するでしょう。貴方がもし絵画が好きなら,その才能は開花するでしょう。どの様な表現形式でも自由なのです。貴方が好きだと感じる,又やってみたいと感じるその感覚的理解,それだけで貴方は才能に満ち溢れています。無限なる存在から与えられたその好奇心という感覚を大切にして欲しいのです。しかし貴方は常にこの様な言葉を使います。 「私はとてもその様なことは出来ません」と。これは間違いなく自己偽善であり,無限なる存在に対しての侮辱なのです。それをよく理解してください。貴方の中にある失敗に対 しての不安感,この観念をよく調べてください。貴方が絵画を鑑賞して,貴方なりに何か を感じるでしょう。感じるという感覚,これこそ宇宙的感覚なのです。その絵画から受け る印象を表面意識の言葉を用いて説明が出来なくても,貴方は無意識的に十分理解を得て います。そしてその理解は,現実の体験を通して,より一層深まっていくことでしょう。 つまり貴方はもう既に「そのこと・・・」を知っていると言う事なのです。我々は貴方が 自由に満ちた創作活動を,日常生活の中において表現することを望んでいます。しかし貴方が表現するのではなく,無限なる存在に貴方は乗っ取られる。そして貴方という個性を 通して,無限なる存在は宇宙的表現活動を行うのです。貴方がこれを理解したならば宇宙 はスム−ズに貴方を創作(表現活動)の愛の世界に導くことでしょう。その時貴方は貴方 を理解出来るでしょう。

 
言葉について

ありふれた言葉,聞き慣れない言葉,そこ に真理(無限なる存在)は胎動している。しかしそこに気付く人は少ない。貴方達は言葉を使う。しかし意味を知らずに,本質を全く知らずに話をする。まるで自分こそ正しいと 言う思い上がり,その自覚すら持たずに。我々から貴方達を見ると,それは自覚なき哀れ な奴隷,その様にしか見えない。宇宙には貴方しか存在しない以上,貴方の周りにいる人 々の事ではなく,貴方のことを自覚なき哀れな奴隷だと言っているのである。その自覚が 持てなければ,永遠に眠っていればよい。貴方,貴方,貴方自身の自覚が重要なのである 。その感覚的深さを感じ続けるのが,真理である。それすらも理解出来ず,言葉という武 器で人々を裁き,責め続ける。巧妙な手段を用いて,又その自覚すらもなく,このメッセ −ジを読んでいる貴方のことを言っているのだ。貴方達が絶対自由を体感していないとい う自信? があるのなら,このメッセ−ジの意味を,一度真剣に考えて戴きたい。言葉と いうエネルギ−は,まるで泥の中で沈黙し続けるダイヤモンドの様だ。言葉(無限なる存 在)という原石は,磨き続けてこそ,永遠なる光を輝かせるだろう。

 
感情(対象)について

「言葉は消えても感情は残る」貴方 はこの言葉を聞いてどの様に考えるでしょうか?  実にシンプルな表現ですが,そこに貴方は無限なる存在を感じますか? 永遠性を感じますか? 貴方は常に対象(相手)を見 ています。そして対象(相手)との摩擦によって感情が生まれます。不愉快な感情を貴方 が体験した場合,その感情を与えた対象に問題があると考えるかも知れません。しかし真 理の立場に身を置いて考えてみると,問題は貴方にあるのです。無限なる存在はその体験 によって,貴方が対象を貴方の意識から消滅させ,感情エネルギ−を純粋なる状態でキャッチ(観察)出来ることを教えているのです。善悪,その対立した世界から生まれた根底 には,対象(相手)しか見えず,貴方自身がまるで見えていない結果なのです。今迄貴方 の感情はバランスが崩れていました。そしてその自覚も無かったでしょう。いま無限なる 存在を貴方が真剣に求めているならば,感情の奴隷になり,その自覚も持たずに自己主張 (善悪)をしてきた哀れな貴方を理解出来るはずです。これからすべき事は,不愉快な感 情,まだその原因を常に対象(相手)を基準に見ていたと言う偽善的習慣に気付きその錯 覚する自己(分離エネルギ−)の体感的理解を深めていくことに尽きる。注意して戴きた いのは,対象は見えなくなっても,その事で貴方自身を傷つけるのであれば,それは混乱 を起こします。貴方も対象なのです。いずれ対象は全く見えず感情エネルギ−を鑑賞出来 るようになります。そして真実感謝すべき相手が誰であったかを理解するでしょう。錯覚 する自己(分離エネルギ−)の立場で,大いに怒り,泣き,喜び,笑うのです。しかしそ れを貴方がするのではありません。瞬間,瞬間,絶対宇宙から必要な感情が送られてきま す。そのとき貴方は,感情の王として,絶対宇宙に再誕するでしょう。肉体を持った宇宙 として,貴方の行動は絶対肯定されるのです。全ての感情を徹底放棄(私ではない)した その瞬間,突然それは起こるでしょう。貴方はこれから,人間理解のため,全ての感情を 体験していくでしょう。「宇宙の始めと終わりに感謝ありき」この言葉は,真理を求める 貴方の,内面的姿勢(心の叫び)を言っているのです。

 
行動について

行動したくとも行動出来ないとき,何かを したいのだが,その何かが見つからないとき,貴方は苛立ちを感じる。そして不平不満の海に溺れるかも知れない。どの様にすれば行動出来るようになるのだろう。どの様にすれ ば,その何かが見つかるのだろう。この問題に対しての解決方法は実に簡単なのであるそ れは無限なる存在に対しての感謝の欠如,そこに問題があるように感じる。自分にとって 都合の良い事には感謝出来,都合の悪いことには感謝出来ないのが貴方だ。行動したい貴 方と,行動出来ない貴方が争いをしている。何かをしてい貴方と,行動出来ない貴方が争いをしている。それは実に不自然な姿なのだ。この対立のテ−マによって分離エネルギ− は,苛立ち,不平,不満である。貴方がそれをひたすら観察し,その体験に対して徹底的 に貫かれた感謝を,自発的に行えるようになれば,この問題は少しづつ錯覚する貴方の納 得などお構い無しに,解決していくだろう。逆の見方をすれば,貴方の前で停止状態にな っている苛立ち,不平,不満のエネルギ−をこのテ−マを通して確認出来る訳だから,誠 に素晴らしい体験であるのだ。停止状態になっている分離エネルギ−を宇宙に流してくだ さい。貴方がその体験を肯定的に受け止めることが出来るのであれば,貴方のやりたい, その何かが見つかるだろう。自発的に情熱的行動を起こして欲しい。そしてその情熱的行 動の送り手に対しての理解を,感謝の中で更に深めていって欲しい。貴方はいずれ,感謝 という行動すらも満足に出来ない貴方を発見することだろう。

 
一体感(悟り)について

 貴方は真理を求める旅を始めた 。しかし貴方が何を求めているのか,正直言って貴方自身判っていないのである。一体感(悟り)の道には二つの方向性がある。一つは自己陶酔(宇宙的意味を含むの世界),も う一つは貴方と異論を唱える人々(対立する人間関係)との一体感である。我々が貴方に 示している道は,後者の道なのである。我々にとって貴方達は異論者なのである。その異 論者との一体感(永遠性)の中で,我々は真理を学んでいるのである。貴方は常に貴方自 身が何を求めているのかを,はっきりと貴方の中に確立させて欲しい。そうしないと分離状態のまま,貴方は二つの道の矛盾の中で苦しみを続けるからだ。(勿論貴方に,その自 覚はないだろうが)貴方と同じ価値基準を持った人々との出会いは誠に素晴らしい出来事 である。しかしそれが一体感ではないのである。確かに仲間とは暖かいものである。しか しその一体感は言葉の同意・納得・共通理解のベ−スが基準になった一体感なのである。 それは実にはかない事を良く考えて戴きたい。真の一体感とは共通理解があろうがなかろうが,言葉を通しての納得・同意などお構い無しに,感じ続ける事の出来る内面的感覚を 言うのである。貴方達がそれを求め続ける旅を始めることによって,錯覚する自己(分離 エネルギ−),つまり一体感と正反対の人生を生きている貴方を,しっかりと確認出来る のである。貴方が宇宙意識を達成すれば,一体感を得られると言う訳では絶対にない。宇 宙意識であろうが,なかろうが,人々との一体感を求め続ける貴方達の内面的姿勢があれば,それはもう絶対宇宙の一体感に包まれて生きているのである。貴方がどう考えようが 、エゴはとにかく言葉を用いて一体感のマネをするのである。言葉の中に一体感は存在し ないと言う事を理解して戴きたい。どこまでも,どこまでも無限なる存在は,貴方の内面 的姿勢を見続けているのである。それは永遠なる貴方が,貴方を見ているのである。貴方 自身の姿こそ,最も重要なのである。

 
遊びについて

真理を求め続ける貴方達は深刻さの鎖に繋 がれています。貴方達に欠けているのは絶対宇宙の遊びに対しての理解です。遊びとは日 常生活のストレスから逃れるためにあるのではなく、それそのものが宇宙的遊びの連続的 な体験であり,それが実感出来ないのは,貴方の中に「深刻さのテ−マ」が解決されてい ないからである。真剣さの何も「深刻さのテ−マ」は潜んでいるし,遊びの中にも「深刻 さのテ−マ」は潜んでいる。道を求めているその真剣さの姿勢の中に「深刻さのテ−マ」 が眠り続けているから,道を求めれば求めるほど,辛くなって行くのである。そしてその 辛さ(不快感)は重要な体験ですが,真の理解が無いのであれば,その辛さ(不快感)は ピ−クに達するでしょう。錯覚する自己(分離エネルギ−)は,最小限度でストップさせ た方が良いのです。(勿論貴方の自由ですが)貴方達は負担感をより一層広げる必要は全 く無いのである。無限なる存在もそれを望んでいません。しかし錯覚する自己(分離エネ ルギ−)の鎖に繋がれている貴方達は,何が錯覚なのか全く判らないから,その辛さ(不 快感)をぎりぎりまで体験し,目覚めるというプロセスを歩んできました。錯覚する自己 の観察こそ,実は絶対宇宙の遊びであり,永遠性に貫かれたパラダイスなのである。観察 する楽しさを求めてください。それを手中に収めるには「深刻さのテ−マ」これに対して の理解が重要なのです。感謝も宇宙的遊び,ハ−モニ−であり,真剣さの中に成立する調 和であることを覚えておいてください。

 
要求について

真理を求め続ける。それを何とか理解した い,判りたいという強い要求は,実に美しき姿だと言ってあげたいところだが,それによって生まれる錯覚する自己(分離エネルギ−)は,飢え,渇き,苛立ち,などの分離エネ ルギ−である。つまり真理を求め続けるその姿勢自身も,実は偽善的姿勢であると言えよ う。貴方が上記のことを理解し,分離エネルギ−を感謝の中で理解し,徹底的に切り捨て た,その後に訪れる求めこそ,真実の求めと言ってよいだろう。その求めは,無限なる存 在から与えられた貴重な贈り物である。静かに待っていても何も起こらない。時が来れば 全てが判るという。確かにその通りだが,時が来るまで貴方は何をしているのだ?  た だ眠っているだけなのか? 無限なる存在から与えられた要求という貴重なエネルギ−を 大切にして欲しい。それは求めてこそ望んでこそ,与えられるのだ。もし貴方が錯覚する 自己(分離エネルギ−)を本当に発見したいという要求が起こらないのであれば,その答 は簡単である。恐怖心それだけである。何に対しての恐怖心なのか? 貴方から錯覚する 自己(貴方)が離れることに対しての恐怖心なのである。つまり貴方はそれを,錯覚する 自己を離したくないのである。そして貴方の元から錯覚する自己が離れることを,貴方と 言う錯覚する自己が抵抗し続けているのである。その強い要求によってそれは起こされて いるのである。貴方はこれから,錯覚する自己を発見したいと言う要求を起こして欲しい 。そうすれば,その要求は必然的に,そして自発的に起こり,そして起こされるだろう。 何者かの手によって・・。貴方き恐怖を知らない無限なる存在のいとしき子供達なのだ。 それを思い出して欲しいのです。錯覚する自己は痛みの中に生まれるのではなく,麻酔的 快楽の中に生まれるのだ。だから見えない。しかし貴方がそれを真剣に知りたいと望めば 瞬時にそれは起こされる。無限なる存在を通して,その環境は与えられる。そしてそれが 見える。それが絶対宇宙の理である。一人で行わずに,真理を求める人々と,励まし合い ながら行ってください。

 
感性の詩

呼吸,その一瞬にエネルギ−き爆発する。永遠なる情熱がそれを起こすのだ。
生きているこの瞬間,この時間に,生きていると言う事を思い出して欲しい。
貴方は観る。しかし貴方の観ている世界は死だ。それが起こるのを待っている。し かしそれは起こらない。貴方がそれを起こすのだ。そしてそれを観る。そこに真実の生が ある。
モ−ションを起こせ。それは宇宙的メロディだ。
貴方は私を行いなさい。私は貴方を行いなさい。そこに情熱的愛が生まれる。
貴方が今幸福を感じる事は素晴らしい事だ。しかし良く考えなさい。それが失われた時の事を。そこに不安を感じるのであれば,貴方の状態は決して幸福とは言えない。そ れは休息なのだ。それが理解されたとき,貴方は幸福なのだ。
鳥の声,風の音に耳を澄ましてごらん。静かに目を閉じ感じてごらん。そして目を 再び開けたその瞬間,情熱的モ−ションが展開する。
身体が疲れた時,そっと疲れを覗いてみなさい。そこに虹が見えたらそれは変化す る。
森の中を歩きなさい。トンボや蝶が貴方の頬に触れる。手を差し出しなさい。トン ボや蝶がそれに止まる。貴方は忘れていた何かを思い出す。
情熱の中でそれを知る。永遠 は常に貴方と共に。
貴方は貴方の声に気付いていない。その声は習慣の中に眠っている。起こしなさい。 貴方の口から流れる声に集中しなさい。そのト−ンに永遠の流れを感じなさい。貴方はも っと素敵であってよい。楽しめない時,喜べない時,貴方の声に情熱のモ−ションを起こ させなさい。その瞬間,貴方から流れるその声は,永遠の声に変化する。それこそ宇宙の 共振音,バイブレ−ションである。