エリ−ナ メッセ−ジ(後半)

自己観察の詩

1.貴方の感情が乱れた時,鏡に映る貴方の顔を良く見て欲しい。その顔が自我なので す。そして笑ってください。心底笑えるまで続けてください。そしてもう一度鏡に映る貴方の顔を良く見てください。その顔が絶対自由を求める顔かもしれません。

2.環境を変化させながら,一つのテ−マ(自己観察)を求めて行きます。環境が変わる度にテ−マ(自己観察)を変えるのではなく,変化の中でより深くテ−マを求めていきます。そうすれば自我はすぐ表面化するでしょう。自我が恐れる事は変化です。安住する事なく時を生きてください。
貴方がもしそれを求めるならば・・。

3.言葉のコミュニケ−ションがうまくいかない相手(外国人)に出会った時,その相手 の笑顔が無条件に嬉しいのです。言葉が通じないので,互いに行動でそれを示す。貴方は言葉のコミュニケ−ションが旨くいかない相手よりも,実は言葉が通じる相手とのコミュ ニケ−ションの方が全く成り立っていない事に気付いてください。これは便利さの中の不便かもしれません。我々から貴方に質問を送ります。貴方の前にいる。その人の笑顔が無条件に嬉しいですか?

4.貴方は今まで人生と言うものを,判った振りをして生きてきました。しかし貴方が もし人生とは判らないと言う言葉(価値放棄)を口にした瞬間から,貴方の人生がもしか したら始まるかも。

5.貴方はこの道を歩めば歩むほど疲れてきます。疲れて,疲れて,疲れきるかも知れ ません。その時,その疲れこそ自我である事を知るでしょう。もし貴方がその疲れから逃 避せずに,その疲れの真の意味を知りたいと言う要求に駆り立てられたらの話ですが・・ 。

6.貴方は自我(善悪)を卒業する前に,自我(善悪)を理解しなければなりません。 貴方に帰るため,貴方はそれを理解する。

7.もっと楽しんでください。ありとあらゆる事を,もっと笑ってください。深刻な貴 方を演ずる必要はありません。貴方が考える以上に,現実はもっとシンプルです。

8.疑問を解決する必要はありません。疑問の内容が判らなくても,それでいいのです 。その混乱した状態を良く観察してください。その瞬間,貴方の疑問に対する答が見つかるかも知れません。

9.観察すると言う行為,行動を,特殊化する必要はありません。それは日常生活のどの部分よりも身近な事なのです。

10.先の事を考えようとする貴方は,どの様に考えても満足する答は得られないでしょ う。全ては不安を隠す為の焦りから生まれた巧妙なトリックである事を理解してください 。

11.自我エネルギ−が純化していく過程において,それは表面的には混乱の様に見えるかも知れない。言葉を用いてその状態を整理,また納得させようと自我は行動するが,最 終的にその行為すら無意味に感じる時がくるかも知れません。そこから自己観察の旅が始 まるのです。

12.ドア(観察する目)を開けなさい。閉めてはいけません。貴方の元に訪問者(自我 )が訪れます。貴方にとってそれは正にショックかも知れません。しかし心配する必要はありません。貴方と言う貴方が,ただ消えていくだけなのですから・・。

13.論理は貴方の理解に対してのステップにしか過ぎません。いずれそれを卒業しなけ ればなりません。理解は次のステップの観察について学ぶ為に必要ですが,それ以上の意味はありません。貴方は非論理の世界に生きながら,論理を同時に扱って行くのです。く れぐれも理解,また認識といった現象に心を奪われないように・・。

14.貴方は自己観察を真剣に行っているかも知れません。観察する事を意識すれば,それが気になって,実際観察しているのではなく,観察している事に対して熱中(盲目的) している訳です。その証拠に,貴方は貴方自身の行動が,周りの人をどれだけ不愉快にさ せているかと言う観察以前の事さえも全く気付かないのですから。観察を貴方の暇つぶし に使わないでください。勿論どうしようが貴方の自由ですけど・・。

15.貴方のプラス面(長所)も人を指導する場合において,マイナス面(欠点)になる ケ−スがある。又貴方のマイナス面(欠点)が人を指導する場合,プラス面(長所)にな るケ−スがあります。この問題は人を理解する上で,とても大切なポイントになるかも知 れません。

16.自我とは,一体どう言うことなのか,分からない人々もいるでしょうから。貴方が もし真剣にそれを知りたいのであれば,まず社会生活の中で苦手のタイプの人間と接触す る事を行ってみてはどうでしょうか?。 また苦手な事に取り組んでみてはどうでしょう か? その状態の中で,貴方は何を考えているかを,良く調べてみてください。貴方が無 限なる宇宙から離れ,暗闇の宇宙に埋没しているのを発見出来るかも知れません。そうす れば貴方は,貴方ではない貴方の行動が,実は朝から晩まで自己中心的行動の上に成り立 っていると言う事を知るかもしれません。無限なる存在は,貴方の納得,妥協(自己観察 において)などを必要としていません。貴方の自覚のみを求めています。そして自覚を持 つのも持たないのも,全て貴方の自由なのです。全て,全て貴方の自由なのです。どうな ってもそれは貴方が選択した人生なのだから・・。

17.無限宇宙において,貴方が求めたものは全て与えられます。しかし貴方はこの様な人生を求めたつもりはないと言うかも知れませんが。貴方と言う人間に対する本質的理解 を求めるならば,その答は見つかるでしょう。どの様な人生であろうと,貴方に与えられたものは,全て貴方が求めたものなのです。

18.もし貴方が「全て教師である」と言う知識を真剣に求めたいのであれば,大自然の 全てが,貴方にある事を教示することでしょう。雲は変幻自在に変化します。しかしその 変化の瞬間,瞬間の出来事は,実は貴方の内的状態,つまり貴方の心の動きを教示してい ます。貴方がなにげなく空を見る,又花を見る。貴方は常に何かを見ています。その何か から,貴方は多くの事を学ぶ事が出来るのです。貴方はその体験によって,貴方と言う人 間を客観的に学ぶことでしょう。雲という無限の貴方が,それを見ている貴方に,貴方の いまの状態,そしてこれから学ぶべき事柄,進むべき道を教えているのです。それは貴方 の無限存在に対する感謝の深まりによって,自然に理解されていきます。

19.自己観察(想念)の大切さを少しづつ理解してきた貴方が,自己観察に興味を持ちながら,まだ徹底性がなされていない理由の一つとして,想念を観察することにより,罵 じ雑言,不平,不満,不安,利害,焦り,苛立ち,虚しさ,打算,憎しみ,被害者,加害 者意識,自己正当化と云った自己中心的エネルギ−が,現実化してしまうのではないかと いう恐怖心がありますから,理解,認識と云った理屈に逃げてしまうのです。自己観察を 行いながら,必然的に与えられる理解,認識こそ重要なのです。それ以外の道は全て自己 中心的行動から生まれた逃避であることを理解してください。現実には様々な問題が起こ り,それに対して貴方が「私は何故この様な問題に苦しむのだろうか?」と言う疑問が貴方の中に生まれたならば,その疑問こそ真実の疑問であり,真理なのです。貴方が,観たくない,知りたくない想念エネルギ−は,現実化します。現実化と言う方法を通して,無限なる存在が貴方に,貴方から離れようとしない偽りの貴方を理解させてくれることでし ょう。そこから自己観察,つまり無限宇宙の理解の旅路がスタ−トするのです。

20.見えないから自我であり,見えれば自我ではありません。気付かないから自我であ り,気付けば自我ではありません。感じられないから自我であり,感じられれば自我では ありません。理解出来ないから自我であり,理解出来れば自我ではありません。知りたく ないから自我であり,知れば自我ではありません。底辺に眠り続けているから自我であり ,表面に浮かんでくれば自我ではありません。自我が判らないから自我であり,自我が判 れば自我ではありません。貴方の見えない自我は,周りの人には見えます。見えるから指 摘されます。指摘されて貴方は反発するかも知れません。反発する自我が貴方には見えて いません。真に感謝すべき相手に,感謝出来ないと言う偽りの貴方を発見したくない。知りたくないという自我に気付かずに,真理を求めているふりをしている貴方がいます。周 りの人からそれを指摘されます。その瞬間,貴方の内面に起こる感情,それが貴方を支配 し続けている偽りの貴方なのです。エネルギ−,エネルギ−,エネルギ−です。この体験 こそ無限宇宙の遊びであり,パ−ティであり,実に楽しき瞬間であると言う事を少しづつ 学んでいってください。それが出来ない貴方も偽りの貴方であり,錯覚であり,エネルギ −,エネルギ−,エネルギ−なのです。

21.統一性が取れていないエネルギ−(自己中心的)が起こるには,何かの原因があっ て起こるのだと考えていますが,原因が無くとも自己中心的エネルギ−は簡単に起こりま す原因を求めてしまうと,常に原因に逃げてしまい,貴方を,又相手を無意識に裁き続け てしまいます。原因が無くとも自己中心的エネルギ−は起こされるのだと言う事を覚えて おいてください。

22.自我を自分の力で発見しようとせず,貴方の周りの人々に発見(指摘)して貰った 方がはるかに楽なのです。我々の世界において,子供の時にその自我(自己)発見の指摘 ゲ−ムを互いにさせ,自己成長の助けにする場合があります。このゲ−ム(遊び)は無限 宇宙の統一ゲ−ムです。貴方がこのゲ−ムに興味を持つのであれば,指摘する側ではなく ,指摘される側を学んでいってください。そのプロセスを通して,偽りの貴方が少しづつ 消滅していき,貴方の内面は暖かさと,感動に満たされることでしょう。その無限なる存 在から与えられた感動は,貴方の意識なんか無関係に突然訪れるかも・・・・雨の雫が大 海に溶けるがごとく,無限感謝のひたすらなる継続を通して・・・。

23.貴方は想念エネルギ−(思考)の流れを観察していればいいんだと思っているよう ですが,それは頭隠して尻隠さずです。エネルギ−は形であり,形はエネルギ−です。想 念エネルギ−は目に見えない現象と考えないでください。貴方の表情,行動,仕種さの一 つ一つが,想念エネルギ−の結晶です。自我エネルギ−は貴方の肉体を通して,表情を通 して,そのエネルギ−を現象化(表現)します。貴方がそれに気付かなくても,周りの人 々は,その貴方の自我エネルギ−から生まれる表情,仕種をよく知っているのです。例え 言葉でそれを知らそうとしなくても・・・。真理を求める貴方は,貴方が気付かないまま ,周りの人々に不愉快な印象を与え続けているという自覚を持てますか? その自我をよ く理解したいという気持ちがありますか? 宇宙は常に二つの道の統一を求めています。 想念は肉体の結晶であり,肉体的は想念の結晶であり,光と影の関係にある事を忘れない でください。陰湿なエネルギ−を相手に送る事は止めなさい。そうしないと貴方がいつか それを受け取ることでしょう。自己観察とは,全ての全てであり,限定された観察は存在 せず,貴方の想念,思考,顔の表情,仕種,行動の全ての全てが自己観察の対象である事 を忘れないでください。そしてそれは本当に愉快な遊びであり、貴方が無限宇宙に統一さ れていくのを,身体全体で感じ取っていくことでしょう。貴方がもしそれを体験したけれ ば・・・。

24.判らない事柄を無理に理解しようとすると,自我エネルギ−はあらゆる知識を使い 貴方を納得させようとします。その納得は焦りから生まれた現象であることを学んで下さ い。焦りから生まれたエネルギ−は,いずれ貴方に苦痛を与えることでしょう。しかし貴 方はその苦痛という無限なる存在からの愛を感じることが出来るかも・・・。

25.貴方が理解出来ることを,より深く学んでください。様々な変化を通して,その理 解を多面的,多角的,多層的に学んで欲しいのです。それが無限なる存在を理解する道で あり,その理解が与えられたと言う理解を得ることにより,無限なる存在の愛を噛みしめ ていくことでしょう。その理解とは,日常生活の全ての部分から感じ取ることが出来る理 解を言っているのであり,決して特殊な事柄を指しているのではないと言う事を覚えてお いてください。

26.変化,変化,変化こそ全てです。ありふれた生活の中に変化は常に起こっています 。目を閉じないで・・・その摩擦によって混乱する貴方をよく観察してご覧なさい。貴方 は貴方の馬鹿さ加減,無能さに気付いたその瞬間から無限なる存在に,貴方は貴方の全て を,生命を委ねることが出来るのです。そこに無限なる存在の愛を知るかも知れませんね 。もしかしたら・・・。貴方は何も出来ないことを知ってください。そして情熱的行動を 起こしてください。その矛盾さこそ愛なのです。

27.一つの方向性,一つの見方は限定の限定を産み出します。常に第三者の意見を大切 に,縦横無尽な方向性,見方を学んでください。そして学んだことは忘れないでください 。貴方が学んだことを,絶対的な事として理解してしまうと,その理解と言うエネルギ− は停滞し,そこから限定の限定が生まれてしまうのです。しかし貴方は理解を得ることに よって,自己満足に浸っているのかも知れませんね。

28.大自然のサイクルを注意深く観察してご覧なさい。貴方は注意力に欠けていますか ら,その訓練を積み重ねて下さい。与えられた事として感謝の中で。全ては休みなく,止 まることなく,変化し続けています。貴方が寝ているその瞬間も,呼吸は休みなく活動し ているでしょう。そこに真理の深遠さを感じられますか? そこに無限なる感謝を行えま すか?

29.大自然を通して感じる美しさ,偉大性,輝きは誠に素晴らしい感覚ですが,大自然 を離れればその状態も消えていくでしょう。その素晴らしい感覚状態を継続するには,大 自然という無限なる存在から常に学び続ける姿勢を保ち続けることなのです。どこにいて も,どの様な状態下に置かれようとも。そうすれば全てが驚きの連続であり,その驚きこ そ,貴方が長い間忘れていた貴方であることを思い出すことでしょう。

30.無限感謝,無限感謝なのです。絶対降伏の無条件なる感謝,無限感謝なのです。貴 方は知識としてそれを知りながら,強情な自我エネルギ−を離そうとしません。どの様に 状況であろうとも,それは無限なる存在から与えられた愛として,絶対なる感謝が必要な のです。そしてその行動こそ絶対肯定に通じて行く道であり,妥協,納得の上に成立した 偽りの肯定ではないのです。このメッセ−ジに貴方がもし疑問を感じるのであるなら、そ れはそれでよいのです。最大の苦痛を貴方が体験した瞬間,それが理解出来るかも知れま せんね。しかし貴方はその苦痛を感謝の中で理解出来るかも。それまで貴方は生きていな がら,自覚なき死人として生きていくのです。どれだけ豊かさの中に生きても,どれだけ多くの人から尊敬を集めても,どれだけ悩める人々を救ったとしても,貴方でない貴方に 支配されたまま,貴方は貴方でない,貴方の人生を生きていくのです。

31.真理は唯一で,しかもその表現(価値基準)は無限です。その無限なる表現(価値 基準)は,唯一である真理に統一されて行きます。絶対価値である無限なる存在によって ,その全ての異なる表現(価値基準)は統一されていくのです。全てが同一価値というの ではなく,矛盾なる価値同志が,無限なる存在によって,対立することなく,絶対統一さ れるのです。少しオ−バ−に表現しましたが,家族,友人,夫婦,兄弟,その身近な与え られた状態の中で,上記のメッセ−ジをよく学んで下さい。それは当たり前過ぎるくらい ,当たり前の世界なのです。

32.「 有り難う」その言葉は,貴方が考えているような,社会習慣,一般常識,気休め などではないのです。有り難う,その言葉が世界の混乱を生み,恐怖を生み,憎しみを生 みだしました。貴方が考えている常識的価値感,そこに「有り難う」その言葉は存在して いないのです。

33.「有り難う」その感謝は,マントラであり,宇宙であり,絶対であり,永遠であり, 至福であり,荘厳であり,光明であり,中心であり,創造であり,無限であり,愛そのも のなのです。

34.「有り難う」その深遠さを理解せずに真理を求めても,貴方が理想とする理解は決し て見つからないのです。貴方が理想としている理解,それはどの様な理解なのでしょうか 至高なるそして普遍的真理,その偉大性に満ちた,溢れんばかりの絶対理解(愛)は,シ ンプルな(それ)の中に眠っているのです。それが貴方に見えますか?

35.感謝する気持ちになれない時,「有り難う」を無限なる存在に言ってご覧なさい。 それを,その行動を継続出来ますか? その状態の中で,貴方の内面は暖かい愛に満たさ れますか? 答は(NO)です。貴方が(YES)を理解出来たとき,貴方が「有り難う 」と言える貴方に対して「有り難う」を言えるのです。その送り手に対して,何者か判ら ぬ,その送り手に対して。

36.貴方が何かを理解したとします。仮に「不安」と言う問題を,貴方が観察し,学習 し,完全に理解出来たとします。しかしだからと言って理解したことを,貴方が完全に判 っていると言う事にはつながらないのです。「山」と言う言葉があります。その「山」と 言う言葉は一つしか存在しません。しかしこの地球上には無数の山々が存在し,その個性 は実に変化に満ちたものです。更にその山々には,動物,小動物,植物,微生物が,互い に関連を持ちながら生息しています。貴方の理解は微生物の段階であり,いずれその理解 は植物の段階に入り,そして小動物,動物に移行し,変化して行き,全てを普遍的に統合 しているその「山」の理解に至ります。しかし貴方が理解している「山」は,全体の一つ としての「山」に対する理解であり,それ以外の「山」の個性に出会うと,貴方はすぐに 善悪の世界に埋没し,自己正当化,自己中心的行動を無意識に行うのです。真実の理解と は,貴方が無知であると言う理解であり,その無知である貴方こそ,貴方でない貴方の振 りをした自我エネルギ−なのです。貴方が無知に対する徹底した理解を学習することによ り,無限なる英知の足音が貴方の耳元に響くことでしょう。突然に。突然に。 無知を求め てください。無知を。

37.無知を理解した瞬間,自我エネルギ−はその無知の中に逃げ込むでしょう。息を潜 めながら静かに・・・快楽という方法によって貴方を支配する。

38.「どうせ私は馬鹿だから」「どうせ私は無知だから」「これ以上私にどうしろと言う の」・・・これらの言い訳(へ理屈)自己中心的行動を,貴方はもしかすると行うかも知 れません。貴方という貴方でない貴方は,どこまでもどこまでも自分の力を過信し,無限 なる存在に貴方の全てを預けることが出来ないのです。貴方は生まれる時期も,死ぬ時期 さえも,貴方が決定することは出来ないという知識を知りながら,それが理解出来ないの です。貴方が無知を理解した瞬間,宇宙が少し貴方の目に見えるかも。

39.普遍性こそ全てであり,その普遍性を完全表現する絶対性こそ無限なる存在であり ,その力の力に満ちた永遠なるエネルギ−こそ,愛であり,その愛こそ貴方,貴方,貴方 なのです。

40.地球滅亡と言う事が叫ばれていますが,死ぬ先のことを心配する時間があるなら, 生きている今この瞬間を大切に大切にして欲しいのです。そうでなければ,貴方は自己逃 避のまま人生を終えてしまうでしょう。今現在を真剣に考える人間が,未来を考えること が出来るのです。生きるために学ぶのです。生きるために。生きるために。貴方は目を開 いて生きていますか? それとも目を閉じて生きていますか?

41.神社,仏閣の中に真理は存在していません。しかし神社,仏閣と言う個性を通して ,真理は無限絵巻のごとく,普遍性を保ちながら全てに浸透して行くのです。流動的に・ ・更に高度に・・,この暗号が貴方に解けますか?

42.暗黒の中で悩み苦しみについて考えないで下さい。太陽の明るさの中で,悩み苦し みについて考えてください。ではどの様にすれば,明るさの中で悩み苦しみについて考え る事が出来るのでしょうか? この様な質問を貴方が受けた時,貴方は答えられますか?

43.「自分を見詰めなさい」この言葉を貴方は聞いたことがあるかも知れません。では「 自分自身を見詰めなさい」という真理を,分かり易く具体的な方法を用いて人に説明出来 ますか? 貴方は出来ません。その出来ない貴方を「見詰めなさい」その無能さを,しっ かりと「見詰めなさい」それが真理かも,もしかしたら・・・。

44.教える前に,教わることを学んでください。貴方が教わることを学ばない限り,教 えることも出来ないでしょう。この真理の旅を,5年,10年歩んで来た人を対象に言っ ているのです。貴方は既に人に説明出来るだけの知識があるかも知れません。知識がね? 教わる事が教える事なんです。

45.貴方は誰かの相談を受ける。その人は知識という知識を持っていない。しかしその 人は貴方以上に真理を体得しているかも知れません。無限なる存在から試されているのは ,相談者ではなく,貴方かも・・・。無知なる裸の大将は誰でしょう? まだ眠りから醒 めませんか?

46.「私とコンサ−トに行きませんか?」「今日は誰が演奏するのですか?」「恐怖とい うグル−プです」「・・・・・」全ては夢なんですよ。夢・・夢・・夢なんですよ。

47.悩みのゲ−ムをしてみませんか? 苦しみのゲ−ムをしてみませんか? 貴方は興 味がないですか? もしかすると貴方は怖いのですか?  それでは恐怖のゲ−ムをしまし ょう。永遠なる大河で,我々と共に・・・。

48.貴方が悩んでいるなら,苦しいのなら,無限切符を買って旅行しませんか? 今見 た風景も,次の瞬間新たな風景に変化して行くでしょう。旅行するように,全てを景色と して,悩み,苦しみを,貴方は楽しみたくないですか? 早く無限切符を買ってください 売り切れてからでは遅いですよ? しかし貴方はこの様に考えるかも知れませんね。「本 当に悩み苦しみを楽しめるのですか?」貴方がそうしたければね。本当に求めているのな らね。

49.「このメッセ−ジは本当に素晴らしい」誰かがその様に言っても,我々は嬉しくない のです。このメッセ−ジから学んだことを実際に行動に移し,貴方が身体全体で,独学で それを体験し,深く,深く,理解出来たことを,捨てる勇気が貴方の中で確立されたその 瞬間,我々は本当に嬉しいのです。そしてその体験し,得た理解を,与えられた事として ,無限なる感謝の炎の中で,それを知るのです。貴方にもそれが出来るのですよ。本当に ,本当に。

50.たまには童話か児童文学でも読んでご覧なさい。そこにはきらめくような真理の宝 石が表現されています。しかし貴方はそこで現実とのギャップに悩むかも知れません。そ の悩みこそ正にきらめく様な真理の宝石なのです。

51.貴方が,貴方という人間に対して不快感を感じ始めた瞬間,貴方は光明の人生を生 きることになるのです。その時,貴方はある事を求めて叫ぶかも知れません。その不快感 という統一性のない自我を卒業したいと言う叫びを・・・。一度貴方自身の不快感をチェ ックしてみては如何ですか?

52.その人から受ける印象は,人夫々異なるものであり,それは当然の事だと貴方は考 えるかも知れません。貴方が当然だと感じる事柄も,我々の目から見ると,貴方は当然と 言う言葉で不安を安心感に変化させているとしか見えないのです。つまり貴方は身の置き どころがないという,その判らない状態を楽しむことを恐れているのかも・・・。貴方は 何も判っていない,理解出来ていないのですよ,それが貴方には判りますか?

53.正しさを求めることは簡単なことです。正しさを求めるためには,正しさを見つめ ることです。それは無自覚に正しさの主張を行い,人々を裁き続ける,その貴方自身を見 つめる事なのです

54.貴方の姿を貴方の目で見てご覧なさい。そこには情熱が見えますか? 生命力を貴 方の中で見ることが出来ますか?もし貴方にそれが見えなければ,周りの人にもそれは見 えません。貴方の知識,言葉は虚しい空論にしか過ぎないのです。

55.哲学的な言葉を使うと深遠さがあるように感じるものです。当たり前の言葉(日常 語)を使うと,深遠さが無いように感じるものです。貴方が当たり前の言葉の中に,もし 深遠さを発見することが出来たならば,それは宇宙なのです。それが見えない内は,貴方 は知識盲者として人生を生きるかも知れませんね。

56.過去の貴方の人生を否定(後悔)する事について考えてみましょう。運動場の中に 過去の貴方という子供達が遊んでいます。その子供の一人が,現在の貴方を見つけ「遊ぼ う」と貴方を誘います。しかし貴方はその子供に対して「私は貴方の様な子供は好きでは ない」と言う事を言ったならば,その子供の心はどれほど傷つくことでしょうか。その傷 ついた心が,実は未来の貴方が体験する人生そのものなのです。

57.何かを知れば知るほど,行動出来なくなってしまいます。一つの知識から100の 実行実体験を行ってください。貴方は確実に貴方の無知に気付くことでしょう。その無知 を身体全体で感じれば感じるほど,貴方は喜びを体験することになるのです。しかし無知 を感じても喜びを体験することが出来ないのであれば,貴方はまだ自惚れ,高慢さという 自己中心的な貴方を見詰めることが怖いのであり,その自己中心的な貴方という無知に気 付かないからなのです。

58.貴方が自由を求めるその姿の背景には「私は自由を求めている,そしてそれが必要 である。しかし私は学びたくない。教育されることを望んでいない」しいう逃避から生ま れた自由を求める旅をしている貴方自身を,貴方は理解出来ますか? 貴方は負担感,苦 痛を基準に教育を学ぶと言う事を無意識に考えてしまうのです。だから行動が出来なくて ,すぐに飽きてしまい,持続性が保たれていないのです。その負担感,苦痛のエネルギ− をしっかりと見詰めなさい。感謝の大海に身を委ねて。

59.「全ては体験してみなければ判らない」という知識を手に入れた瞬間,貴方はもう体 験したつもりになってしまっているのです。貴方に何を教えても,貴方は常に判ったつも りの人間を演じ続けることでしょう。哀れなピエロの貴方が,貴方自身には見えないので すか?

60.貴方の体験ほど当てにならないものはないのです。今この瞬間,貴方は何を体験し ましたか? そしてそこから何を学びましたか? それを我々に教えていただけますか?

61.貴方は様々な人生体験を積んできたかもしれません。しかしその体験に対する誠の 理解が欠けているのなら,その体験は自惚れ,増長慢に変化していくかもしれませんね。 肯定的に受け止めることは簡単なのです。しかし無限存在から与えられた体験として,肯 定的に受け止めることは難しいのです。

62.貴方は真理を求めていない。貴方の求めているのは,貴方の自我を満足させようと する優越感,その環境だけなのです。残念ながら貴方にこの言葉は理解出来ないでしょう ね。

63.全ての想念に感謝なのです。ひたすら想念を観察し続け,最後の最後に残るもの, それが感謝なのです。感謝しか残らないのです。想念を発掘し続け,最後に残るものが「 ありがとう」なのです。この感覚領域こそ,宇宙が私で,私が宇宙そのものです。

64.議論とは,貴方の正しさを証明するためにあるのではなく,貴方の正しさを捨てる ために必要な場にしか過ぎないのです。貴方が行うことは自己主張ではなく,その自己主 張をひたすら観察することなのです。相手の話を聞きながら,貴方に流されてくる心の動 きをよく観察してください。

65.「沈黙は金なり」この言葉は観察者の立場を学ぶことにより理解されて行きます。貴 方の意見(主張)ほど当てにならないものはないと言う事を学んでください。もし意見( 主張)を言いたい貴方が出てきそうになった時,それにストップをかけて下さい。想念( 自我)は確実に表面化してきます。それをしっかりと観察してください。貴方は常に意見 (主張)に溺れ易い傾向にあると言う事を自覚出来ますか? それは真理を求める人間の すべきことではないのですから・・・。

66.学び合うことは大切なことですが,貴方が貴方の考えを捨てることが出来ないので あれば,それは学びではなく,学んだ振りをしながら自我の貴方の足元に膝まずいている 貴方の姿であることが見えますか? 見えませんか? つまり自己欺満慢の貴方でない貴 方が,理解出来ますか?

67.どの様な状態であっても感謝,そこに理屈というものが一切入らない感謝,しかし 貴方にそれが出来ません。出来ない貴方を,貴方は自覚出 来ますか? もし出来るのなら ,その自覚を与えられたことに感謝なのです。人間は無意識に「こうあらねばならない」 と言う思考に添って行動しますが,その逆の状態が訪れた時,貴方は感謝を見失ってしま うのです。貴方の感謝とは,どこまでもどこまでも,自我の言いなりであると言う事が理 解出来ますか? それが理解出来るのなら,その理解が与えられた,それに感謝なのです 。

68.貴方は常に感情に振り回されています。常に,常に。今,冷静だと感じるならば, その冷静な感情に振り回されている貴方を,その状態を観察してご覧なさい。

69.常に(自惚れ)を注意しながら,貴方は道を真剣に求めているかも知れません。そ の自惚れを注意しようとしている自信過剰な貴方が見えますか? 貴方はただ自惚れを見 るのが怖いのであり,その事で貴方自身が傷つくことを恐れているのです。ですから貴方 は自惚れているのですよ。その状態を感謝の中でさりげなく見ることです。さりげなくさ りげなく。

70.日常生活の仕事,その中に絶対存在を見ること,又感じることが出来ない内は,ど れだけ素晴らしい体験を貴方がしていたとしても,それは自己逃避だと言っておきましょ う。常に現実を見失い,蜃気楼を求めているのが貴方です。

71.つまらなくもないし,楽しくもない,その様な状態に貴方がいる時,その感情状態 に溺れている貴方をしっかりと観察してください。そしてその感情(状態)を感謝の中で 絶対宇宙の海に返し,その行為(セレモニ−)を楽しんでください。もうつまらなくない し,楽しくもないと言う中途半端な貴方は存在していません。貴方がどう感じようとも。

72.貴方は瞬間,瞬間,何かの感情に溺れて(執着)います。どの様な感情であれ,溺 れているという自覚が重要なのです。知識としてではなく,実感としてです。そしてその 感情に溺れ続けている貴方でない貴方を,しっかりと瞬間,瞬間観察している状態,これ こそ重要な自覚なのです。あくまで知識としてではなく,行動を通して,実感として得ら れるそのことを言っているのを忘れないでください。

73.貴方は会話をしていません。貴方の口から流れるその言葉は,どこまでもどこまで も漢字の羅列であり,死言葉なのです。つまり貴方は生きていません。死んでいるのです よ絶対宇宙から流されてくる「生」言葉を話したいと思いませんか?

74.視覚を通して,ある象徴,神秘的光を見るかも知れません。聴覚を通して高次元の 情報を聞くかもしれません。我々は貴方にこの様に伝えます。それが如何なるものであろ うとも,貴方の目の前に存在しているものは,貴方と無関係であり,それ以上でも以下で もないと言う事を。つまり貴方が見ている聞いているそれは,貴方が体験している訳では なく,貴方の外に存在している,ただ単なる放浪者であると言う事を。

75.貴方が何かの理解を得ます。理解を得ることにより,情熱的な人生が少しづつ展開 されていきます。その体験を通して絶対存在に一歩一歩近付いていくことでしょう。しか し貴方はただその時,「理解という環境」に放り込まれただけなのであって,その「理解 という環境」は,次の瞬間,もう貴方の元から去っていくべきものなのです。貴方が理解 したのではなく,「理解という環境」に放り込まれることによって,その気にさせられて いると言うだけの事なのです。判りますか?

76.「私はまだ未熟です」と貴方は言うかも知れませんが,口で言うほど貴方は自身の未 熟さを理解している訳ではありません。それは謙虚さを装った自己欺満です。貴方でない 貴方の恥部を観察することを恐れている,貴方でない貴方に気付かないまま,自己欺満の 人生を貴方は生きているのです。

77.貴方はもっと苦しめばいいのです。もっと悩めばいいのです。苦しんだ振りをする のではなく,苦しむのです。 そこに自己観察の扉が開き,苦しみが実は絶対存在の愛その ものであることを理解するのです。貴方はまだ「自分は苦しんでいる」という自覚すら持 てないまま,真理を求めている夢遊病者なのです。貴方は自分が夢遊病者であることを自覚出来ますか?

78.真理とは,生命を賭けて学ぶべき道なのです。平凡なる日常生活を通して,生命を 賭けて学ぶべき道を求めていくのです。平凡な,平凡な・・・ 日常生活を離れた場所に断 じて真理は存在しません。

79.貴方が我々のメッセ−ジを分析するのは貴方の自由なのですから,それはそれなり に結構なことだと思いますが,これは忘れないで下さい。分析とは,納得であり,知識の 延長であり,自我の謀略であり,呪縛であると言う事を。

80.朝から晩まで「有り難う」感謝を絶対存在に対して言ってご覧なさい。心の中で静 かに・・貴方の環境は全て絶対存在から与えられたのですから。最も感謝すべき身近な自 分達かな人,人,人に 感謝出来ないのが貴方です。その貴方が絶対存在に感謝出来る筈 がないでしょうね。我々の言っている感謝とは,貴方の都合に合わせた感謝ではありませ ん。そこには一切の思考がなく,分析がなく,理屈がなく,分断がなく, ただ行う・・た だ行う・・。

81.有り難うのかけらも言えないのが貴方です。その自覚を早く起こしてください。こ れ以上のパワフルな言葉はないのですから。貴方が行っている「有り難う」はどこまでも 貴方の都合です。都合・・都合・・都合・・。何が貴方は欲しいのですが?

82.貴方が相手(第3者)を通して感じる印象(心象風景)は絶対的に貴方の反射体( 自我)である貴方でない貴方の自我像を,貴方は見ているのです。相手が気になるのは, 反射体として存在している,非存在(自我)の貴方なのです。

83.自我それは非存在の象徴と表現してもいいのですが,その非存在(自我)は決して 非存在ではなく,確実に存在しているのですが,ただ自己主張によって対立する意識が生 まれ,自らの立場(環境)は絶対存在によって与えられているものであるという認識に欠 けているのです。全ては与えられたのであり,手に入れた訳では断じてないのです。だと すれば,絶対存在に対して貴方のとるべき行動(姿勢)とは?。

84.「判断しないでください。そうしないと貴方は偏りの中で理解を深めてしまいます」 教科書の中にはよく書かれている言葉ですが,あくまで言葉です。判断しない状態の重要 性を実感出来ないうちは,貴方は常に善悪の渦の中で,貴方自身を浸し,裁きのテ−マの 人生を送っているのです。そこに不快感を感じられませんか? 何とかしたいともがく貴 方が見えてきませんか? 人は瞬間,瞬間に変化(再成)している訳ですから,同じ印象 を持って貴方がその人を見ている内は,貴方がどの様な理屈をつけようが,善悪のしがら みに呪縛されているのです。その理解,実感・・・その手応え。

85.その人が判断しているからと言って,その人が善悪に呪縛されているとは限りませ ん。言葉で言わなくても判断(裁き)を徹底的に行う人間もいれば,判断しているように 見えても,判断(裁き)の世界に生きているとは断定出来ないのです。つまり表面だけで は何も判らないと言う事です。「あの人は判断している」と貴方は言うかも知れませんが ,その様に人を判断している貴方をよく理解してください。判りますか?

86.目に見えるもの(人間)さえも信頼することが出来ない貴方が,目に見えないもの (存在)を信頼することが果たして出来るのでしょうか? 我々の目には,それは自己逃 避としか写らないのですが・・・,貴方の目にはどの様に写りますか? 人を信頼するこ とが出来ない貴方が,どの様にして生まれたのかよく理解することです。

87.貴方の中に,常に人の言動に対して反論し続ける部分があるなら,そこに強力な自 我が眠っています。その反論は正に正論と言えるかも知れませんが,その正論を捨てない 限り貴方の目は盲目のままなのです。その反論し続けるエネルギ−の強さをしっかりと噛 みしめてください。もし反論(発言)しなければならない状態が用意された場合,どの様 に行動すればよいのでしょうか? 人間として出来ることは,貴方の行動を絶対存在に全 託し,仮に貴方の発言が正論であったとしても,貴方がその価値観の世界に安住しないこ とです。純粋感謝の中でそれを受け取ればよいのです。

88.本来不安定な状態のものを,安定した状態のように錯覚しているのが貴方です。感 情とは不安定の連続であり,そこに一貫性がなく,思考しているのではなく,思考に呪縛 され,考えて話しをしているのではなく,刺激に対して反応しているだけなのです。それ を無理矢理安定させようとしているから,貴方は脆く弱いのかも知れませんね。不安定な 状態は不安定な状態として,貴方はただ素直に認めればよいのです。それには自己観察し かありません。

89.目の前にいるその人から肯定的な何かを感じるのであれば,それは貴方が未来にお いて体験する貴方そのものであり,その人から否定的な何かを感じるのであれば,それは 貴方が今現在隠し続けている錯覚する現在の貴方そのものなのです。否定的に感じること は決してマイナスではありません。ただ貴方が,貴方自身の価値(固定観念)を絶対的な 事として,それを切り捨てることが出来ない・・・そのことに問題があるのです。その価 値(固定観念)を捨てた振りをしながら,それにしがみついている虚ろな貴方をよく観察 してご覧なさい。

90.尤もらしい疑問,問い,そして回答,理解,それらはとても重要な事柄ではあるの ですが,ある時期が来ると,それらの理解を全て(へ理屈=机上の理論)として放棄する 日が必ず訪れるのです。その・・訪れる・・という理解,この理解がとても重要な理解な のです。そしてその後に・・訪れる・・理解とは?

91.エネルギ−を敏感に感じる人がいますが,それはそれで結構なことだと思います。 我々が疑問に感じることは,エネルギ−に敏感ならば,自我エネルギ−,つまり貴方の中 の分裂した善悪の対立意識,感情,人格,思考,都合,その不快感と言うエネルギ−を, 敏感に感じとれないのはどうしてなのでしょうか? 我々の素朴な疑問なのです。明解な 答を誰が教えてくれませんか?

92.善悪に囚われているエネルギ−を強く貴方の中で感じ取ったことがあるでしょうか? 強く,強く実感したことが・・・。非常に残忍な想念が流れてきたとします。貴方は自分 を傷つけるかもしれません。その時,貴方は「自分を傷つけている」と,その状態を客観 的に観察する必要があります。「それは私ではない」と強く強く断言して下さい。しばら くすると,その状態にも慣れてきますから安心するように。更にしばらく経つと「自分を傷つけることは絶対に正しいのだ」というエネルギ−が流れ込んでくるようになるかも知 れません。自分を傷つけることは何のプラスにもならないし,実際そうであることは貴方 自身が一番よく理解している訳なのですが,「自分を傷つけることは絶対に正しいのだ」 というエネルギ−が流れ込んでくると,もう貴方はそのエネルギ−に翻弄され,力尽きて 倒れてしまうのです。善悪の呪縛,そのエネルギ−の力強さ,重圧感に,貴方は打ちのめ されるのです。その打ちのめされた貴方を,貴方は客観的に観察出来るようになります。 その時です。貴方が打ちのめされた瞬間,貴方は生命を体験するのです。そうして貴方は 本来の貴方に少しづつ帰っていくのです。力尽きた貴方を体験することにより,力に満ちた貴方を,貴方は体験するのです。

93.自己観察を通して自我(分離エネルギ−)と決別しようと貴方は行動しています。 しかしその行動はまだ矛盾に満ちているかも知れませんね。
  何故なら,貴方は常に自我(分離エネルギ−)の味方をしている事に気付いていますか?
  自我(分離エネルギ−)の嫌がる行動パタ−ンとは?
  自我(分離エネルギ−)が拒絶する行動パタ−ンとは?
  自我(分離エネルギ−)が隠れ蓑にする行動パタ−ンとは?
  自我(分離エネルギ−)が逃げ道にする行動パタ−ンとは?

94.想念観察,そして瞑想を通して貴方の心は静けさに満たされるかも知れません。それはそれで素晴らしい体験です。しかし静けさ・・その(静)なる状態は,新たなる活動・ ・・その「動」なる状態へのステップにしか過ぎません。

95.想念が停止した状態,想念が全く流れてこない思考なき状態,貴方がそれをもし求 めているのなら,貴方は確実にあるものを手に入れます。それは永遠という,至福という ,自己逃避の世界・・・。貴方は成長しているのではなく,動物に退化していくのです。 勿論,それも一つの成長には違いないのですが,全ては「汚いものには蓋をしろ」の観念 から生まれた発想なのです。貴方はただ自分の恥部を知ることが怖い臆病な人間であり, それが知識亡者の典型的なパタ−ンです。

96.波動・・・その言葉はいかにも宇宙を連想させ,貴方を酔わせます。しかし波動= 言い訳,自己正当化,高慢さ,と言う自己主張を,貴方は「波動」と言う言葉を使うこと によって,ひたすら自己主張という逃避行を続けていくのです。一つの価値構造(既成概 念)の部屋をグルグル回り続けて,その部屋から一歩も外に出られない鎖につながれた自由を,与えられたと錯覚している貴方をよく観察してご覧なさい。新しい言葉を覚えると 言う事は,そこに常に逃げ道が存在しているのですよ。

97.知識が貴方のもとから離れていきます。誰かを裁くために,誰かを責めるために, 誰かを欺くために,貴方はその自覚を持っていません。知識を貴方の前に置いて置きなさ い動かさずにしっかりと。貴方がその知識と同化出来るまで,知識と心中してご覧なさい 。そうすれば判ると言う事が,判ってくるでしょう。

98.人は常に何かを求めています。求めると言うエネルギ−を突き動かすエネルギ−と は,どの様なエネルギ−なのでしょうか? それは不安と言うエネルギ−です。そう,不 安です。求める対象が真理であろうと物質であろうと,全ての行動は不安と言うエネルギ−によって起こるのです。今貴方はこのメッセ−ジを通して,不安と言う信号を受信して います。それは何れ確実に浮上(表面化)していきます。そう,貴方は不安なのです。  しかしそこから離れようとしない。貴方好みの不安を貴方は離したくないから。

99.「私は本当に不安の中で生きている」貴方はこの言葉をいずれ完全なるレンズとして ,反射体として観察出来るようになります。私と言う意識を持たずに,そのためには貴方 がどこまで不安を,自覚出来るか,知りたいかに掛かっていると言えます。平和な環境( 状態)が,決して不安の無い状態ではなく,満足出来る環境(状態)が,決して不安の無 い状態ではなく,豊かな日々,その環境(状態)が決して不安のない状態ではないのです 。貴方は不安なのです。ただ知りたくない,それだけです。不安と言うエネルギ−は,貴 方の回りを常に旋回し続けており,環境が整えば,その不安と言うエネルギ−は実現化し ます。くれぐれも負担感の大きい実現化は避けて欲しいものです。

100.貴方が今所有している存在物(物質,精神)は,不安(恐怖)からのプレゼントと 言えます。その存在物(物質,精神)から,真理のエッセンスを抜き取れば,もうその( 物質,精神)は,貴方にとって不必要なものであるかも知れません。失うべきものは真理 ではなく,奪われるべきものは真理ではなく,貴方が真に所有出来るものは,貴方が生ま れる遥か以前から存在し続けている「存在」・・それなのです。それは所有を決して許さ ず,そして認めず,ただ在り続けるもの,存在し続けるもの,それが貴方なのですよ。

101.厳しい忠告(叱責)をしてくれる人が貴方の側にいるのなら,貴方は真理です。も しいなければ求めてください。求めることが出来ないのであるなら,貴方は不安の海に溺 れなさい。

102.一つの部屋(固定観念,知識)に閉じ込もっていないで,ドアを開け,表に出てご 覧なさい。そこには別の部屋(固定観念,知識)があるはずです。その部屋にも閉じ込も っていないで,ドアを開けてご覧なさい。また別の部屋(固定観念,知識)が必ずあるは ずです。そしてありとあらゆる部屋を駆け回り,貴方があることに気付かされた時には、 貴方はもう死んでいるかもね・・・焦らないでください。そして焦ってください。

103.日常生活の当たり前の仕事を汗をかくまでやってご覧なさい。流れてくる想念を( 私ではない)と退け,絶対存在に感謝し続けながら,日常生活の当たり前の仕事と一体化 してご覧なさい。何か発見(真理)出来るかも知れませんよ。

104.中国の黄河は泥水であることはご存知ですね? その泥水によってありとあらゆる 生命が生かされています。正に自我(分離エネルギ−)の肯定的働きを見るようですね。 澄んだ水のみが生命を生かしているのではありません。水を感情に例えて考えてください 。全ての感情(表現)は必要があって与えられています。しかし現在貴方が生きている価 値観(呪縛)の部屋の中に貴方が安住している限り,結局どの感情もその価値観の部屋か ら出ることはなく,決まった答しか得られず,分離,破壊,混乱,対立した感情しか手に 入れることしか出来ないのです。しかし貴方にはその自覚がありません。「生命の感情」 ・・その状態の中で貴方が生きるには,全ての感情をひたすら放棄(私ではない)し続け ,宇宙の濾過(純化)作用を通して,再び貴方に与えられる感情,それこそが「生命の感 情」であり,それは当たり前に,泣き,笑い,怒り,喜び,悲しむその感情なのです。し かし貴方(自我)の意志において,又貴方(自我)の思考回路をどの様にいじっても,そ の感情を手に入れることは絶対に出来ないと言う事を知りなさい。当たり前の感情が貴方 の中で,貴方を当たり前の様に導く日が必ず来ることでしょう。貴方が今の貴方の感情に ,もし疑問を感じ始めたのなら。

105.初対面の人から,いきなり厳しい忠告を貴方が受けたとしたら,貴方はそれをどの 様に受け止めますか? もし腹が立つのであれば,その呪縛された感情を(私ではない) と宇宙の海に投げ帰してください。そして腹が立つのは良くないことだと言う呪縛された 感情が浮上してきたら,それも(私ではない)と宇宙の海に投げ帰してください。それ以 外にも様々な感情が浮上してくるでしょうから,全て(私ではない)(私には判らない) と感情の放棄を行ってください。そしてその後に具体的行動を起こすのです。忠告を受け るには,受けるだけの自我(分離エネルギ−)を貴方が自分の所有物として貴方が気付か ないまま,貴方はそれを絶対的価値とし,その所有物を懐にしまっているのですから,そ の発見に全力を尽くすことです。忠告をしてくれた相手という対象は消滅し,そして貴方 と言う対象も消滅し,そこには自我(分離エネルギ−),その存在のみが明らかにされて いきます。貴方の中の(絶対なる貴方)が,相手の中の(絶対なる貴方)に全託し,相手 の中の(絶対なる貴方)から,その貴方に忠告という縁を通して宇宙の表現活動が行われ ,対立エネルギ−が瞬時に統一エネルギ−に変換し,それは宇宙歓喜であり,貴方のまっ たく預かり知らぬところで,必然的にその行動を展開し続けそして貴方の中の(絶対なる 貴方)は,その事を知っているのです。忠告と言うプログラムは,貴方の中の(絶対なる 貴方)と,相手の中の(絶対なる貴方)が決定し,そしてそのプログラム通りに貴方は忠 告というレッスンを受け,相手の中に見えるマイナスエネルギ−(悪)を貴方から切り離 していくのです。誠に感謝すべき相手に,感謝出来ないのが貴方です。

106.仲の良い友人の事を批判的(悪口)にもし言われたら,貴方の感情はどの様に変化 するでしょうか? 言葉とは面白いもので,同じ批判でも言葉のニュアンスが少し変わる と嬉しく感じたり,また吐き捨てる様な言い方をされると腹立たしく感じるものです。そ の時々でどの様にでも変化し,一貫性のかけらもない相手からの言葉(貴方も含む)に対 して,感情は揺れ動き,苛立ちを感じたり不愉快さを感じたり,取り留めのない状態が続 くものです。相手(対象の言葉)がどうであろうとも,そのマイナス(感情)エネルギ− に貴方が振り回されていることが,貴方にとってどれほどメリットがあるかと言う事であ り,貴方がもしその様な環境の部屋に放り込まれたのなら,それは間違いなく絶対存在か らのプレゼントなのです。貴方が現象に振り回されず,ただマイナス(感情)エネルギ− ・・・その一点に集中し,相手(相手と貴方)と言う対象を全く見ず,ただ分離したマイ ナス感情エネルギ−を貴方がキャッチする度に,貴方は消滅していくことでしょう。消滅 は再生であり,誕生であり,明かなる生がその瞬間から始まるのです。

107.過去から現在にわたり,地球は様々な困難に満ちた時代を歩んできましたるそして 問題が起こるたび,その原因について考え,解決策を見出し,新たな困難を防ぐ努力をし てきた訳ですが,それはとても大切なことなのですが,地球人にとって今だ解決されてい ない問題は,その混乱が起こされ,生み出される真の意味についての理解なのです。混乱 を防ぐ努力は必要なのですが,真の理解を得ていない段階においては,混乱を排除すると 言う事が「絶対的善」であり,そして混乱そのものを,又その混乱を起こす原因を作った (国家,思想,価値,人々)を「絶対的悪」とする価値が基本になっており,それは予期 せぬ出来ごと,予期せぬ展開,予期せぬ結果,に対して,必要以上に人々はおびえ,異常とも思える不安(恐怖)エネルギ−を増幅することになったのです。つまり不安(恐怖) エネルギ−が全ての発信源となった為に生まれた現象(混乱)と考えられます。予期せぬ 出来事,予期せぬ展開,予期せぬ結果を,我々は絶対なる愛として,それを深く噛みしめ ,喜びと感謝に満たされるのです。それは絶対宇宙とは全ての存在価値を肯定する(肯定 し直す)世界であり,無限であるからなのです。貴方が所有することから卒業し,「全託 =与えられる」ことの重要性を深く噛みしめていくに従って,自然にその事が理解出来, 一寸先は闇と言う言葉が,貴方の中から遠のいていくことでしょう。自由に満ちた環境( 錯覚)が貴方にとって命取りになる場合があり,又自由のきかない環境(錯覚)が貴方を 危険から守ってくれる場合があり,その不自由(ジレンマ)さが,実は・・実は・・絶対 自由のかすかな匂いを漂わせている「存在」であることに,貴方が気付く日が必ず訪れる でしょう。「存在」とは,全託する喜びに他ならないのです。

108.想念観察を行っていく内に,貴方の心の鍵に変化が起こってきます。それは呪縛さ れているという自覚を感じとることが出来なかった貴方が,呪縛された貴方を確実に感じ とっていくことなのです。しかし貴方は更に抵抗を続け,自分,自分,自分という自己過 信の呪縛をなかなか自覚することが出来ず,それは貴方が,貴方の人生,その全てを絶対 存在に全託(帰依)することが出来ないと言う事であり,貴方は(所有エネルギ−)から なかなか脱皮出来ず,絶対存在を貴方だけの所有物として「所有」し続け,独裁者の姿を 隠し続けながら,貴方は全託(帰依)の振りをするのです。「無限の存在に貴方を浸し, 無限の広がりに貴方を限りなく全託してください!」どの様な環境であろうと、どの様な 不都合があろうと,どの様な結果であろうと,それは間違いなく絶対存在から与えられた 「存在」そのものであり,貴方がその現象を通し,肯定的意味を確認し続け、その確認し た事を更に全託することなのです。貴方が唯一所有出来うるものは「全託」それだけなの です。「全託」「全託」・・唯それだけなのです。全託する行動をとることにより,限定 された貴方,呪縛された貴方を理解出来るのです。

109.想念観察の過程において,様々な貴方を貴方は体験していきます。私は人より優れ ているという「貴方」を貴方は体験するかも知れないし,私は常に人から尊敬を受けたい という「貴方」を貴方は体験するかも知れないし,私はあの人より進化しているという「 貴方」を貴方は体験するかも知れないし,私は多くの人から学びたいと言いながら,相手 から尊敬を集めることを望む打算に満ちた「貴方」を貴方は体験するかも知れないし、  私はあの人に一歩でも近付きたいと努力しながらも,その人の粗探しをしている批判に満 ちた「貴方」を貴方は体験するかも知れないし,学んだ知識を判っている訳でもないのに ,人に伝えなければと小賢い正義感を振りまく貴方を貴方は体験するかも知れません。そ の想念(心の動き)を貴方が確認出来るのであれば,貴方はその分離(混乱)した想念の 世界には絶対に住んでおらず,それは貴方とは一切無関係な出来事なのです。貴方が自我 (分離エネルギ−)に呪縛されていると言う事は,分離した想念を貴方が体験したから貴 方が自我(分離エネルギ−)に呪縛されていると言う事にはならず,分離した想念を私は (絶対に知りたくない),その事が自我(分離エネルギ−)に呪縛されていると言う事な のです。その貴方を純粋感謝の中で貴方が確認(全託)出来れば,もう「貴方」と貴方は 宇宙そのものであり,どの様な過去の否定的出来事も,全て宇宙に絶対肯定され,それは 貴方が「存在」として変容することであり,その貴方とは「錯覚する自己」である貴方な のです。

110.一つの摩擦混乱を体験し,その体験の中で確認した自我(分離エネルギ−)を排除 し,絶対存在に純粋感謝を通し全託を行い続けても,やはり「私は絶対に正しい」という 「錯覚する私」に振り回されるものであり,「錯覚する私」の想念観察に慣れてきたとし ても,その慣れた状態も実は「錯覚する私」のモ−ション(演技)であることにはなかな か気付かないものです。(慣れとは=自己逃避である!)息付く暇もないほど,内面的外 面的摩擦を体験し続けることが最も安全なのかも知れません。その時には摩擦という苦し みが,貴方にとって最も信頼出来る友「存在」になっているかもね。

111.「滅ぼすことを学ぶのではなく,生かすことを学ぶのです」貴方の極端な思考には我 々も驚いてしまいますが,二元論の世界(善と悪,神と悪魔,天国と地獄)の価値の中で 生きている貴方にとって,その全ての存在価値に真理を見出し,全ての価値に存在する喜 びを与えるという一元論は,理解しがたい概念であるかも知れませんが,これこそ最も自 然で無理の無い生き方なのです。「否定することに問題があるのではなく,貴方自身を絶 対的に正しい立場に立たせ,否定することに問題があり,貴方はその愚かさが自覚出来な い哀れな人間なのです」貴方が二元論の対立世界を絶対的な価値として生き,そこに疑問 (どの様な疑問であろうとも)を感じたからこそ,この道を歩み始めたと言う事を思い出してください。宗教も組織も必要だからこそ存在を許されているのであり、ただ存在の基 本となっている価値が二元論(分離エネルギ−)なのか,一元論(全託,統一エネルギ− )なのかの違いだけなのです。全ては必要だからこそ存在を許されているのに,貴方は生 かしきることを学ばずに,滅ぼすことしか知らないのです。それは安易な妥協であり,矛 盾に対する自己逃避であり,自己正当化の典型的な思考パタ−ン(人間)と言えるでしょ う。仮に貴方の両親が貴方と相入れない価値観を持っていたとすれば,貴方はその両親を 滅ぼすのでしょうか? 貴方の子供が成長すれば,貴方と異なる価値観の世界に当然生き ることになるのですが,貴方はその子供を滅ぼすのでしょうか? 貴方の価値ほど当てに ならないものは無いと言う事を知りなさい。全ての価値を絶対存在に全託し,再び貴方に 与えられるその価値を大切にしてください。しかし貴方はその与えられた価値の海に埋没 し,自分を見失い,その与えられた価値を再び絶対存在に全託することが出来ないかもね 。「貴方は何も知らない,何も判らない何も出来ない,貴方が理解出来ることは何もない のです。しかし貴方は・・・」

112.自我(分離エネルギ−)に24時間振り回され続ける状態を,貴方も通過するかも 知れませんが,それはかなり苦しい体験だと言えるでしょう。感謝瞑想と全託瞑想を通し ,統一(リラックス)状態を学ぶことはとても重要な事であり,その統一(リラックス) 状態の中で,想念観察を行う事が安全な道だと思われます。しかしその統一(リラックス )状態さえも,実は不安の逃避場所として貴方が利用し続けており,いずれその統一状態 を剥奪されるプロセスを貴方は体験するかも知れません。想念観察も慣れてくるに従って ,貴方は解放感(自由)を体験することでしょうし,その開放感(自由)は回りの人々に も良い影響を与えることでしょう。しかしその開放感を貴方が奪われることに不安を感じ るのであれば,その開放感はいずれ貴方の元を去っていくかも知れません。しかし貴方は 「私はその開放感が去って行く事に不安を感じていません。それはただ単なるエネルギ− ですから」と断言するかも知れませんね。想念観察を行い,自我(分離エネルギ−)に振 り回される状態を貴方が体験したとき,貴方は間違いなく,その開放感を引きずり下ろし たい衝動に駆り立てられ,そこに安住を求め,それを離したくないという自我に振り回されていることに気付かずに,貴方は囚われの身となるのです。想念観察を行うと一つの成 果として収穫が必ず生まれます。その成果,収穫をいずれ人を裁く武器として貴方が利用 する日がやってくるのです。「理解こそ悪の悪である。納得すべき理解はより強力な悪で ある。そして知識によって得る知的理解は悪の権化と言えよう。」理想とすべき想念観察 の型(パタ−ン)にいつの間にか引きずり込まれているのが貴方です。それは幻想であり ,貴方はその理想とすべき型に自己逃避の安心感を求め,貴方は貴方なりの理想像(絶対 自己)に向かってまい進し続け,その理想像(絶対自己)も実ははかない幻想であること を知らされる時が必ず訪れるのです。

113.「私は想念観察の徹底性がまだ出来ていない」という立場に貴方自身を常に位置付け続けることは重要なことであり,人間は慣れるに従って「もう私は想念観察が出来ている 」という自己過信に支配されるものです。「いいえ,私はまだそこまでは出来ていません 」という想念が流れてくること自体,「もう,私は想念観察が出来ている」と言う高慢な 貴方を証明しているのです。貴方が「私はまだ何も判っていない」という立場の徹底性を 求めれば求めるほど,傲慢,自己過信,優越感に支配(錯覚)されている貴方を体験して いくことになるでしょう。つまり「謙虚」を求めるほど,正反対な高慢,自己過信,優越 感に支配された貴方を白日の元に晒すことになり,その求める気持ちとは裏腹の貴方を体験し続けるという「ギャップ」に貴方は苦しむのです。そしてその「ギャップ」こそ,真 実それそのものであるという理解が訪れる日が来るでしょう。そしてそ の理解に貴方は振 り回されるのです。

114.貴方が誰かに出会ったとき,貴方がその人から受ける印象は全て自我(分離エネル ギ−)である事を明言しておきます。印象ほど当てにならないものはなく,印象=幻想= 固定観念=呪縛なのです。仮に自我(分離エネルギ−)に翻弄されている人に出会ったと き,貴方はその人から不愉快な感情を受けるかも知れません。そして無自覚に「あの人も あの欠点を直してくれたらいいのに」とか「時期が来ないとやはり気付かないのかしら」 とか「どうしてあんな風な人間になってしまうのだろうか」とか「私ならその様な行動は とらない」とか,それらの尤もらしい考え方を貴方はするかも知れません。しかしその全 ては自我(分離エネルギ−)なのです。その様な想念が出現して来ない状態が素晴らしい のではなく,明かなる状態こそ素晴らしいのです。ではその「明かななる状態」とは,ど の様な状態なのでしょうか? その気にさせられているのを,自分の所有物として考え違 い(錯覚)をしてしまうから,混乱が起こるのです。=> 無判断の重要性。

115.無判断とは,判断が生まれない状態ではなく,判断に囚われない状態を言うのです。 判断に囚われないためには,判断に囚われる心の余裕が必要だと言う事であり,もし判断 に囚われている貴方を体験したい勇気?が,貴方にあるのなら,貴方と異なる意見を持つ 人の言葉にいちいち反論し,貴方の尤もらしい主張(自説)を述べないことです。それで も貴方は下らない主張(自説)を述べたくてウズウズしているかも知れませんね。勿論, 貴方にその自覚(認識)は生まれていません。それが判断に囚われていると言う事です。 議論(ディスカッション)とは,貴方の主張(自説)を多面的に学ぶためにあるのであっ て,貴方の主張(自説)を揺るぎないものとして強固に誇示(固持)するためにあるので はないのです。多面的に学ぶとは,貴方の主張(自説)を客観的排除し続けることであり ,そのポイントを貴方は全く理解していません。そこで貴方の中にある感情が浮かんでく るかも知れません。それは「私は今迄その様な事を知らないのだから理解出来なくて当然 でしょう」と言う自己主張(自己中心的)であるかも知れません。だから貴方は自我(分 離エネルギ−)の盲目的奴隷なのです。

116.自己観察を行い,全ての感情,思考,想念を,自我(分離エネルギ−)として受け 入れ、そこに一切の意味を与えず排除するというのは,貴方を客観視するために必要な訓 練なのですが,いずれ貴方は大きな壁にぶち当たる事になります。それは想念を排除(客 観視)するという行動を突き動かすエネルギ−の存在に出会うのです。そのエネルギ−と は「???」。貴方は自己観察しているのではなく,自己観察をさせられているのであり ,その自己観察させられている行動は,まだ純粋観察には至らず,「???」エネルギ− が黒幕として貴方に自己観察の振りをさせているのです。黒幕として存在する「???」 エネルギ−を理解したとき,貴方はパラドックスを体験することになり,貴方の無能さ無知さを身にしみて知ることになるでしょう。それは栄光の瞬間であり,その体験を通し全 託の偉大性を理解し,貴方は本来の本来の貴方に目覚めていくことでしょう。

117.人と人との繋がりには,ありとあらゆる形があります。その形が幸福に向かうのか ,それとも憎悪の方向に向かうのか,誰にも判りません。如何なる形であろうとも,形と いう現象に一切の意味は無いと言う事を知って下さい。現象にまとわり付く意味(固定観 念)を基準に現象というものを考えてしまうと,結局導き出されてくる答は2つしか無い のです。幸福な人生を歩む人は幸福に見えるかも知れませんし,憎悪の人生を歩む人は不 幸に見えるかも知れないという,短絡的理解の中からしか答を導き出せないのです。それ は決して肯定的思考とは言えず,それこそ善悪に支配された自己中心的思考なのです。貴 方が一切の現象に意味を求めず,正確には現象にまとわりつく意味を貴方とは無縁のもの として理解し,そこから絶対宇宙の肯定的働きを学びたいという意欲があるのなら,自ず と「宇宙の理」が見えてくることでしょう。「現象とは無常ではなく,存在感に満ちた現 実であり,そこに存在が存在しているのです」我々は貴方に最後の言葉を送ります。自己 観察とは,好奇心に満ちた赤子のような透明な観(目)であり,全ての感情表現が,喜び に包まれた驚きの連続であり,それこそ絶対宇宙の遊びなのです。怒り,憎悪,悲しみ, 悲嘆,嫌悪,その変幻自在に満ちた感情表現が,貴方の「外」に降り注がれたとき,貴方 は誠実さに貫かれた偉大なる愛を突然知ることでしょう。その偉大なる愛こそ,貴方なの です。それでは又お会いしましょう。
貴方という絶対宇宙の創造者へ,ア・リ・ガ・ト・ ウ」− エリ−ナ・グル−プ