想念観察の重要性!

                            北海道  M氏

これまで想念観察してきたつもり? の私が、想念観察は「私にと
って重要」だったのが、ここに来て「地球にとっても重要」と思い
始め、とにかく書いてみることにしました。
“今の私からみた想念の働き”と言うことになり、勿論これは幻影
であり、以前の私のそれとも違ってきているし、他の方々から見る
それとも異なっているのかもしれませんが、今こうして表現するこ
とで、この見え方(想念)の役割は終了していくのだと思います。
私達の本質は、ちょうど地球の核のように光輝き、それを覆い隠す
かの様に自我が取り巻き、大気圏にあらゆる想念が漂っているとイ
メージ出来ます。私達は必要なときに必要な想念を引き寄せ、エネ
ルギーを頂いたり、エネルギーを与えて増幅したりしています。
でも中立の状態では、内に在る本質からのエネルギーにより、外部
のエネルギーへの依存率が減少し、むやみにエネルギーを搾取しな
いですむのではないかと思うのです。さて、必要な時に必要な想念
を引き寄せるという事から、とても貴重な事を知る事が出来ます。
その想念が自我の輪郭の変質を見せてくれているのです。
その想念こそ、その時の私そのものを写しているのです。そして、
想念を観ている事で、それまで輪郭のはっきりしていなかった部分
(潜在意識)が見えてくるのです。つまり想念観察とは、自我を知
る為の、自分にしか修正できない変質を知るための、適切な診断書
とも言えると思います。
では、その変質を修正するにはどうしたらよいの?・・・ですが、
変質を変質と気付くだけで、同時にそれは修正されてくる様です。
ただ、なかなか気付けないときもあります。
「枠」や「囚われ」といわれる状態は、変質より強固にしているよ
うなもので、その理念を増幅しているようです。増幅させると気付
きやすくなるからです。
宇宙では、使われないものは消えて(減って?)いくように見えま
す。もう必要がなくなっていた、役割を終えたものは根源に帰るの
でしょう。使われるものは、必要とされているうちは、依存し続け
るようです。さきほどの「囚われ」の状態は、特定の変質状態と想
念を一定期間継続して使用している事であり、想念は必要とされて
いるものとして存在し続け、変質が修正されるまで、繰り返し現れ
るのです。例え修正が容易でなくても、必要に応じて宇宙が届けて
くれたのですから感謝するのが当然です。だから、ありがとうござ
います、さようなら・‥なのだと思います。そうしている内に、
きっとその「枠」に気付くときが必ず来ます。だって私達は光なの
ですから。私達は枠ではないのですから。
もし友人に手紙を書いたなら、或いは日記を付けているのなら、内
容を見るだけで自分の変質具合が判るようになっています。それは
友人に宛てたものではなく、つまり自分自身に宛てたもの、自分が
言われている事になります。もしかしたらチャネルも特別な場合を
除き、その多くが自分に対してのメッセージなのかも知れません。
ハイアーセルフは言います。「本人から頼まれてもいないのに、そ
の人の事をなぜ本人以外の人に伝える必要があるのですか? どの
ような内容でも、それを受けたのは貴方です。貴方がその内容を必
要としていたからではないですか?」と。
優れたチャネラーの方々は依頼者の自覚や無自覚に関係なく、依頼
者の望み通りの答えを出してくれているのでしょう。
又、先日、義母が畑のニラをみて「いいもんなかなか増えないっつ
ーけど、ホントだよ」というので、それに対して私は(それ善悪判
断してる、そういうこというからダメなんだよ・・・)と頭の中で
善悪判断し「悪いものぼかり増えるってかい?」と返し、その太く
生き生きとしたニラを二人でみながら「立派だね〜」と誉めていま
した。この二人は鏡です。無自覚な部分を互いに見せあっています
二人が引き寄せ使用したこれらの想念は、善悪判断や責任転嫁や優
劣意識を生かし続ける機会を創ってしまいました。もし多くの人が
これらの想念を必要としなくなれば、元の純粋な波動に戻るのでは
ないかと思うのです。見方を変えれば、宇宙に遍く存在する純粋な
波動「愛」を変質させているのは、私達一人一人ではないかと思う
のです。純粋な波動が私達というフィルターを通過する際に、その
フィルター自体がいびつであるために変質してしまうのではないか
と・・・・純粋な波動を自分に必要な想念に創り変えているのは、
自分なのではないかと‥・でも、いくらいびつになった想念でも
愛に違いない。
次に反応についてですが、存在への執着(消滅への恐れ)の根底に
は、人間の一体感の喪失が横たわっているように思います。
そのため数々の防衛反応、攻撃反応、自己正当化・・・等々の分離
エゴの反応を繰り返しています。だからもし、何かを判断したとし
ても、そこには己自身を知る(変質状態を知る)手がかりが隠され
ていることを知っている人は、批判したり対立したりしている暇な
どないのではないでしょうか?
反応が起こされた時、その反応がどのような価値観に基ずくものな
のか、何が根拠になっているのかを、遅れながらでも観ていくこと
により、無自覚な自己の輪郭を潜在意識を表面化することが出来ま
す)だから、エゴは理解以前の宝なのだと思います。
又、反応の強弱はエゴに比例するようにも見えます。その場の雰囲
気や態度、相手の言葉、それらの反応が自今の周囲で、或いは内部
で激しく展開されるとき、それは自分のエゴの強烈さそのものなの
です。例えば、相手がエゴに対して強い敵対心を持っていると見え
たなら、エゴは宝だ、愛なのだ! と「エゴに敵対する強烈エゴ」
に敵対している「自分のエゴの強烈さ」があります。
二つのエゴはバランスをとろうとしているかのようであり、二極分
離にエネルギーを注いでいるかのようです。
そして時には、一人が出口となる事を選択している事もあります。

或る日の事、一人の人がいきなり大声で文句をいってきて、何を言
ったのかは判らなかったのですが、かなり怒っている事だけは確か
で、数々怒ったあげくに帰っていったのです。その近くにいた私達
4人は、「何あの人・・・何怒鳴りまくっているんだ・・・」と怒
りの想念を受け取り、充満させ始めました。仕事中だったので私語
は謹むべき状況でしたが、一人が「何よ!あれ! 頭おかしいんじ
やないの?!」と力一杯表現しました。すると残りの3人の怒りは
スーッと引いていったのです。出□を選択した人はその瞬間の役割
として機能していました。そのときは「へえ〜、面白いもんだなあ
〜」だけでしたが、あとでその変なおじさんに感謝すればよかった
と気が付きました。このときの出口は私でした。このような現象は
よくあることです。他の人が出口となり、そのオーバーアクション
にポカ〜んと呆気にとられる事もあります。また、想念に同調する
事なく、中和出来る事もあります。
たとえば、相手が見るからに機嫌が悪く、八つ当たりしてきた時、
「何イライラしているの!?」とむかつく反応が起こるのがよくあ
るケースですが、あえて笑い飛ばしたりして逆の反応を起こしてみ
ると、相手のイライラが解きほぐされ、ベラベラ話し出したりする
ような事です。
反応は単独では起こりません。それは、鏡、表裏、両極、バランス
人と人、人と想念です。でもそれらは元は一つです。何が二極性を
支えているのでしょう?・・・・それは、一体感の喪失なのだと思
います。
害虫なんてもともといなかった・・・そんな考えがふと、浮かんだ
日がありました。「この虫は私の大切な庭の木を、畑の作物を食い
荒らしてしまう害虫なんだ、私にとって都合が悪く、作物にとって
も悪い虫なのだ」の想念が虫たちをそうさせているだけ。
「害虫駆除」の想念や化学物質に反応しているだけなのかもしれな
い。つまり私たちが「害虫」を「増やした」のです。
彼等は土や木や草や森と、自然と、地球と一体となって存在してい
たのです。そして私達も・・・・。
想念の影響の凄さを少しづつ実感しつつある中で、願っている事が
あります。
正誤判断(あなたは間違っている、正しいのは私)、勝敗や競争心
(他と比較し遅れてるとか進んでいるとか)、責任転嫁(あの人の
せいだ、原因はあの人だ)、責め(自分または他人を責めたい)、
尊敬と軽蔑、一般的価値観(皆と同じであるべき)、支配と依存、
所有欲と放棄・・・等々これらが相互に係わり合い、地球上に現象
化しているもの、それが戦争です。
そして地域紛争、階層意識、競争原理、いじめ、自殺、殺人、飢餓、
裁き、罪、罰、法律、お金、権力、加害者、被害者、依存、美と醜
さ、無気力、死、事故、災害、病気、賢者と愚者、贅沢、不満と満
足等々・・・。あらゆる社会現象は想念の影響であり、自分の変質
状態の現れとして写し出されているのです。
想念に原画があるのではないのです。想念に囚われていることに、
自己の変質に気付いていない事が原因なのです。
気付きの為に、宇宙はそれをみせてくれているのです。皆が気付き
もうその役割を終え、その想念が不必要になったとき、それは根源
に帰っていくのです。だから、想念観察と感謝瞑想を一人でも多く
実践される事を願っています。
やり方は千差万別でしょうが、気付きや理解を検証(実践)しなが
ら歩めば、確実に実りあるものとなると思います。そして、想念を
元の光に戻すのに最も即効性があり、最も効果的で、最も常連で、
最もシンプルなのは「ありがとうございます」なのかもしれません
そして勿論「地球救済への祈りと宣言」もです。
これは、根源からこんこんと湧き出ずる光とともに、想念を元の光
にして地球に返すことができる素晴らしい祈りなのだと思うのです
貴方の本質をもっともっと使ってほしいのです。
使わなければ、使われないものは、消えてしまうかもしれないから・
・・・
その身体も、感知力も、内なる声も、内外からの導きも、そして本
質も、生(活)かしてほしい・・・と願っています。
貴方を生かすのも殺すのも貴方次第なのだと思います。
ただ、存在と非在の分離思考は自我特有のものであって、宇宙自身
にそれはないでしょう。生成も消滅も全く自然な現象であり、宇宙
の呼吸のようなものなのです。
貴方がなりたいもの、知りたい事、全ての可能性が、全ての原因が
全てが貴方の中にあります。それでも宇宙は貴方の求めに必ず答え
てくれるのです。
・・・と自分に言っているのかしらね。
以上が想念観察して私からでたうんちです。大変、失礼いたしまし
た。そして・・・・・ありがとうございます。