様々な想念観察

人間の想念は100人が100人、少しづつ違った反応をします。その中で全く同じ思いもありますし、
同じだと思っていても、実は全く違っていたと後になって気付く事もあります。想念の内容は正に無限の
変化を持っています。その無限の変化を持つ想念を観察し、整理整頓して行く事は、う〜〜んとうなり
たくなる時もありますが、慣れると結構面白い事も出て来ます。
熟達してくると、想念が《宇宙の在り様》まで語ってくれます。それはそれは壮大なものです。しかも
全て只です。月謝要らずです・・・と言う事で、これから数人の方々の想念観察の学びのプロセスを
紹介していきます。その中で、自身が理解しやすい言葉の解説を読まれて、実践の足場を組んでいって
下さい。
想念観察は実践しない限り、糞の役にも立ちません。つまり、料理の本を読んだら、料理を作って食べ
てみて下さいという事です。本を読むことと、本当に料理してみる事とは全然違います。
料理の本はあなたの肉や血液を作りません・・・お判りでしょう?
 
 

想念観察入門

貴方は理想的な人生を送っていると満足していますか?
殆どの人がちょっと考えて「いいえ」と答えるでしょう。
その人の《理想的な人生》が、経済的に恵まれている状態をいうのか、社会的有名人である事が理想な
のか、満足のいく芸術作品を仕上げる事が理想なのか、平凡で和気あいあいの家族に囲まれる事が理想
なのか・・・それぞれに《理想的な人生》があると思いますが、それらを実現出来る人は、何%いる
でしょうか。

何故出来ないのでしょうか?
答えは簡単、貴方は自分自身を自由自在に運転できる《人間運転免許証》を持っていないからです。
つまり貴方は人生を無免許で運転しているというわけです。無免許運転では事故が起きない方が不思議
です。理想的な人生街道を走る事は出来ないという事です。

自分の人生街道を運転するのを他人に頼む事は出来ません。ですから自分自身で《人間運転免許証》
を取得しなければなりません。一般の自動車免許取得と違って、道路標識など多くの法規を学ぶ必要は
ありませんが、人間の心を支配して居る《システム=自然法則》は熟知する必要があります。《人間運転
免許証》を取得するコース(方法)はたった一つしかありません。
《想念観察》というコースで、すべて実技(実践)が基本です。
このコースにより、自分(人間)がどのようなメカニズムで成り立っているかを知るようになります。
そしてその操縦方法も会得するようになるのです。

一つ質問しますが、貴方は自分自身を知っていますか?
貴方はどこから来て、どこに帰るのか知っていますか?
「○○県から来て、これから家に帰ります」・・・と言う答えを聞いているのではありません。
生まれる前、貴方はどこに居たのでしょう?
死んでから、どこへ帰っていくのでしょう?・・・・

 ・・・貴方は何一つ自分の事を知らないで・・・生きています。
今迄は、知らなくても良かったのですが、《理想的な自分の人生》を造り出したいという望みを持った
今は、今迄どおりの生き方では希望を実現出来ません。
自分の内容(装備)をしっかりと知らなければ、理想的な操縦が出来ないから・・・という事です。

さて、自分は一体どういう内容(装備)を持っているのか・・・それを知るために、まずは【装備観察】
の旅に出かけねばなりません。人間の持つ【装備】とは、【想念・感情】に相当します。つまり、【想念
・感情】のメカニズムを解明し、操作方法に熟達すれば、人生は意のままになるのです。

観察の出発にあたって、最初に「想念観察はとても簡単で、とても難しい」・・・と断っておきます。
やり方は簡単で誰でも出来ますが、継続が難しいかも知れないからです。
でも貴方が真に《理想的な自分の人生》を造り出したいなら・・・心からそれを求める人であれば・・・
想念観察の旅のプロセスで得られていくものに、何ものにも替えがたい喜びを感じるでしょう。

この想念観察の詳細な指導は、数千年の間、地球人には開放されなかった方法です。何故なら、
今迄の地球人では、この教義を理解できる器が出来ていなかったからです。今、21世紀を目前に
して、やっと私達は学べる状態に入ったという訳です。
さて、出発しましょう!
 
 
 

想念観察初心者コース

まず【あなた】を観察しましょう。【あなた】とは一体、どこを言うのでしょう?
・・・あなたの体が【あなた】ですか?
・・・それとも心(個性)が【あなた】ですか?

・・・・【あなた】とは、心=個性=想念=意識・・の事であると考えても間違いではないでしょう。身体は
心(個性・想念・意識)を表現する材料でしかありません。つまり【あなた】は『個性を持つ想念又は意識体』
というわけです。厳密には『全てを知覚認識する意識体』であると説明されています。あなたの本質は肉体
ではないのです。もし肉体ならば、たった百年足らずで【あなた】は全く無くなってしまうのですから、あぶく
のようなもので情けないと思いますか? 永遠の生命が【あなた】であるとすれば、あなたは嬉しいでしょう
か?・・・それとも、永遠に成長していかなければならない宿命も背負う事になりますので、しんどいですか?
・・・でも短い命を選択してもいいのです。それは人間の自由にまかされていますから。

さて、【あなた】を知る為には、【想念(心)観察】と言う事になります。科学は観察する事から始まります。
【想念観察】も科学です。科学者の目が理想的な条件です。
 

《自分》を知るための
 想念観察(瞑想)の方法
      【あなた】は想念(心)ではないという事を知るための初歩コース。

想念(雑念、感情、思考、心の動き)を、全く感情を入れずに観察する。
例えば、憎しみ(あいつ、死ねばいい)、うぬぼれ(私は頭が良い!、私は善人!、私は謙虚、その他)
など、様々な考え(想念)が心に去来しても、決して自身を反省したり、喜んだりせず、ただ、それらの
想い(想念)をじっと目だけになって、観ているだけ。もし自分を責めたり、反省したりする想念が起こさ
れても、それらの反省の想念や自己嫌悪の想念をじっと観ているだけにする。どのようなプラスやマイナス
の想念が心の中を流れても、決して流れの中に巻き込まれずに、つまり感情の中に入らずに客観視に徹
すること。

想念観察瞑想は二四時間体制で行えますので、常に意識して、想念を観察するようにして下さい。最初、
この「客観視」は訓練を要しますが、そのうち習慣になります。日中、行動しながら行いますと、かなり
意識が散漫な状態ですので、出来れば一日のうち数分でも、座禅して集中的に想念観察を行って下さい。
慣れたら、なるべく多く集中的に観察を行って下さい。
 
 

 想念の例題

例えば、この文章を読んで、“想念観察って、どうやるのかな?”と考えたら、“想念観察って、どうやる
のかな?”・・が、その時流れている想念という事になります。

例・「あいつ、いやな奴だ、死んじまえ!」という思いが来たら、「あいつ、いやな奴だ、死んじまえ!」
という想念が流れて来た・・・と気付いていれば良いのです。
そして、それを確認していれば良いのです。つまり、その時に流れている想念を観察していれば、
“想念を気付いている”事になります。
例・「こんな観察方法で、理想的な人生がつくりだせるのかな?」と考えたら、「こんな観察方法で、理想
的な人生がつくりだせるのかな?」という想念が流れていることに気付いていれば良いのです。つまり、
観察出来ていれば良いのです。

例・「ダメかも知れないから、やめよう」と言う想念が流れて来たら、「ダメかも知れないから、やめよう」と
言う想念を、ただ見て 気付いていれば良いのです。そして流して下さい。
流すとは、「ダメかも知れないから、やめよう」と想念して、もしやめてしまったら、それは想念の虜になる
ということです。つまり、想念の中に入ってしまう状態です。
流すとは、想念に影響を受けない事を言います。この場合、“ダメかも知れないからやめようという想念が
流れて来た。 有難う、さようなら”とバイバイして、何事もなかったかのように、次に流れてくる想念観察を
続けるのです。 想念に振り回されない状態と言えます。

例・「私はダメな人間だから、観察なんて出来ない」・見て・流す。
例・「やろうとしたけど、やっぱりダメだ」・見て・流す。
例・「あの人はとても上手く行っているのに・」・見て、流す。
例・「こんな事、変に見られないかな?」・・・・見て、流す。

以上の想念を、見て気付いて流さないと、次のような想念のパターンに陥りやすくなります。

「私はダメな人間だから、観察なんて出来ない。いつもいつも私は何も出来ない人間だ。だから皆にも
きらわれるんだ。親友も居ないし人生楽しくもない。何でこんな性質に親は生んだのだろう。他の人は
優秀なのに。あ〜〜あ、イライラする・・」等々

どんどん暗いイメージに引き摺り込まれます。良い想念も悪い想念も、初めは全て、見て、流してしまう
練習が繰り返し必要です。その訓練が進むと、やがて、想念が【あなた】では無く、単なる条件反応で
あることが理解されて来ます。
つまり、おいしければ「おいしい」という想念が反応的に流れ、痛ければ「痛い」と言う反応の想念が
流れます。痛いのに「気持ち良い」と言う反応は起きません。苦いのに「甘い」という想念反応はあり
ません。
条件反応は肉体の反応装置にインプットされたシステムで、【あなた】自身ではないことが、少し理解
出来たでしょうか?
このシステムの内容は、複雑のようでも結構簡単ですから、観察を常に心掛けて、精通して下さい。

とにかく、初歩の段階では、ただ単純に流れてくる想念を反芻して、確認(気付き)していれば良いだけ
です。自分ではないもの・・・プラスの想念にも、マイナスの想念にもあまり影響を受けず、自分とは関
わりの無いものとして、距離をおいて流す事が出来るようになっていきます。
そして想念(心)が自分ではない事に気付くことが多くなれば、もう大成功です!
「むずかしそうっ!」と思ったら、さ、今から、やってみて下さい。
想念が自分ではなさそうだと感じ始めることが出来たら、初歩コースは卒業になります。

中級コースは、想念の積極的な応用に入ります。応用する為には、真理の認識が必要です。何故なら、
応用する為に、基準となる尺度が必要となるからです。

例えば、真理の言葉に、《皆等価である。プラスもマイナスも無い。元々は一つ。あなたは私、私はあなた》
という教義があります。「あいつ、いやな奴だ、死んじまえ!」という想念が流れて来た場合、「あいつは私
である。いやな奴は私である。死んでしまえばいいのは私である」に置き換えてみるのです。するとそこに
自分の姿を見せられている事に気付いたり、「いやなあいつ」が妙に愛しくなってくるのです。
想念を観察して、流れている想念に気付いていると、想念の質が変わってくるのです。ただ気付いている
だけで、質が変わってくるようになっているのが、宇宙法則のシステムなのです。

「全ての現象は自分が創造する。」と言うのも、真理の大原則です。
ですから、「あの人のせいで、こんなになった」とか「この環境が私を悪くした」とかいうような責任転嫁の
想念が流れて来た時、「あの人は、私の責任転嫁を教えてくれた人」「この環境は私が造り出した。」と
置き換えてみると、あの人や環境に感謝したくなるのです。
責任を転嫁してイライラしていた状態が、その想念を認めて、真理の原則に当てはめる事によって、感謝
の想念に変わってしまうので す。

中級コースでは想念を、真理の認識に照らし合わせて、整理・統一していくという内容が多くなっていき
ます。その他、進むにつれて「何故何故問答」の想念も増えてきます。「何故こんな想念が流れるの?」
「何故真理を学ばなければめざめないの?」というようなことです。
そしてその何故を掘り下げていく事によって、更に更にあなたの奥底に隠されていた、古い想念や予期
せぬ想念が浮上してきて、見る・流す(又は真理と照合して統一させる)を繰り返して高い意識に統合さ
れていきます。

又、次のような『想念との対話』も実験してみて下さい。想念に話し掛けてみると、返事が帰って来ます。
面白いですよ。

(1例)
私「あ〜〜あ、今日は会社に行くのいやだなあ・・・」
(おや、この想念は過去の想念かな?  現在の想念かな?  未来の想念かな?)・・・私「もしもし、想念
よ、会社に行くのがいやだなあ・・と言う想念は、過去・現在・未来のどこの想念ですか?」 想念「過去
の想念です」
私「過去の想念?!・・・ふーーむ・・・」  後は、それぞれ各自に違った想念の展開があるでしょう。

(2例)
私「この仕事はどうも苦手だし、あの人はどうも気に食わないし・・・」
(今、仕事が苦手という想念が流れて来たけど、本当の事か?・・・いつもお前はそんな消極的な事ばか
り流してくるけど、苦手かどうか、この仕事にぶつかっていってみよう・・・(実行)・・)
私「仕事思ったより、楽に出来た!・・自信もついた!・・・想念の嘘つきめ!」
想念「嘘吐きではありません。あなたは実践もしないで私の言う事に振り回されていたからですよ・・・私
はあなたを支配したい性質を持っています・・・実践しない人はすぐ私の捕虜です・・・ほとんどです・・・・
悪しからず」

初級コースと中級コースにはっきりとして壁がある訳ではありませんので、興味をもったら実験してみて
下さい。もし、応答や反応が無く、つまらなくなって自然とやらなくなった時は、まだ時期尚早と言う事か
も知れません。後日試す時が来るでしょう。なんども諦めずに挑戦すると、時期が早まります。

高級コースは言葉で説明出来ない認識状態を体感するコースとなりますので・・・当人の実践のみが扉
を開けていく事になり、独学独歩が多くなります。本からの知識は殆ど役に立ちません。ひたすら自己の
内面を見つめ、かすかな促しもキャッチして生かし切る事が主になって来ます。

全体を通して、初級コースも中級コースも、高級コースも、教科書はありますが、全て他人の体験談です
から、あまり役に立ちません。自らの毎日の積み重ね・・・日常生活の現象と、想念観察と、真理の言葉
をバランスよく検証しながらいくと、目覚ましい変化が見られるでしょう。
 

スポット

*他人に間違いを指摘された時、自分でチャネリングして聞く人がありますが、その答えは、エゴチャネ
リング(自分の望む答え)がきますので、厳重注意を要します。

*キツネ・タヌキのような動物霊や低級霊でも、人間をだますのは簡単に致します。特に、いわゆる堕ちた
・・といわれた人は注意して下さい。光、恍惚感(至福感?)などで幻惑させながら信用させ支配してきま
す。高級な事もチャネルして来ますから見抜くのは至難の技となります。
ですが全体的に検討してみれば、おかしな事に気付きます。しかし、このような状態に入りますと、ほとん
ど全体的な視点から判断するエネルギーはすっかり抜き取られていますので(つまり、中立的判断が出来
ません)ほとんど絶望的です。根底に、不安感から来る自己防衛本能、被害者意識、優劣意識があります。

例  FUJI日本では、4回の分裂騒動を体験していますが、3回目の時、いつものようにその人達はFUJI日本
の批判から始めました。そして活動拠点を長野に作ったのですが、その家を光で輝かせるのです。訪問者
はすっかり魅了され、信者になりました。1年半後、当人はぼんやりとFUJI日本にやって来ました。そして
「この1年、なんかキツネにつままれていたような生活だった」と述懐し、今は実家の手伝いに勤しんでいます。