僕が結婚なんてしたくないわけ



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いやあ、実家に帰ったら色々言われてしまいまして。もう23だしね。あ、24か。なんで結婚したくないかって、めんどくさいからです。

・縛られたくない
・幾つになっても無茶したい
・寂しがりじゃないやいって格好つけたい

そんなところです。

結婚しちゃうと、配偶者のことに気を配らなくちゃいけないんですが、人に気を配るのって、現代人・都会人としてしなくちゃいけないとは思うんだけど、めんどくさいんですよね、実際。
そういった作業はどうしても好きになれない。というか、他にもっとしなきゃならないことやしたいことがあるので、後手に回してしまいたくなる。

無茶したいってのは、けっこう冒険小説などを読んでいた影響なんてしょうか、冷静にする無茶というか挑戦が好きなんです。実際半丁博打みたいな人生がいいなあと思っているので、そんな人生にあんまり深く他人を巻き込みたくないとか考えてるんです。もっとも、そんな人生を進むのを、他人に止められたくないって事の方が強いのかもしれませんが。
寂しがり屋じゃないよと格好つけたいっていうのは、ちょっと分かりづらいかしれない。結局友達が多いって、寂しがりやって事じゃないですか、男友達、女友達に限らず。そんな風に思われたくないですよね。クールに構えていたい。
ネットでバトルに発展する時に聞かれる応酬で、「おまえ友達少ないだろう」ってセリフがあるんですが、いつから友達が多いのがいいことだって認識になったんでしょうか?いや、これはマジで訊いています。友達は、マブダチに限る。少ない方がクールで格好いいと思っていたんですが。ごちゃごちゃとわけのわかんない友達がたくさん居るよりもね。いや、のび太とドラえもんの様な濃い友達関係が礼賛された環境で育ったからなんでしょうが。今は、ピッチやベルの発達に見るように薄く広くが好まれるようですね。
でも、今現在そんな濃い関係を人とつくっているかというと違うんですけどね。刷り込まれてはいるんだけど、そこまで濃い関係はつくれない。つくりたいと思わせる人とも何回か巡り会いましたけど、なんか縁がなかった。縁を維持しようという努力が足りないのかもしれないけど、なんかそういう濃い関係も苦手としてるようです。そんなわけで、友人がなかなかに少ないワタクシなわけですが、友人が少ないのを寂しがらないクールな自分を売り込んで格好いいと思わせて新たな友人を得よういう作戦なのかしらん。
「なのかしらん」というのは、今改めて分析しているけど、普段はほぼ無意識にやっているからです。(ここまで意識して行動を決めていたら怖いよなあ。というか、意識してるんだったら、こんな回りくどいコトしないって)
結局、友達が少なくてマブダチを持っているのが格好いいという意識はあるものの、現実としてマブダチというのは持っていなくて、友達が少ないのは寂しいという対立する自我があるわけです。
となると、寂しがり屋じゃないって格好つけたい、格好つけて注目されて、友達がたくさん欲しい、などというよく分からない意識が生まれてくると。格好つけたいって時点で、すでに寂しがりやだっちゅうの。



まあ、そんなところが心理面での結婚したくない理由のいくつかなんですが、他にも理由はありまして、例えば、これ以上地球の人口を増やしたくないってのもあります。そんなもん、結婚したって子供を産まなきゃいいじゃんと言われればそれまでですが、結婚しなければより確実なわけで。というか、結婚したら子供を産むのは当たり前という感覚があったので、「子供を産まない」=「結婚しない」なんですね。んで、「結婚しない」=「女性とはつき合わない」というのもまた、当たり前の感覚としてあったので、女性からは意識的に逃げてきましたし、これからも逃げていくんでしょう。
明らかに地球の人口は多すぎると、今までいろんな統計に触れて思うんですが、何故それが今まで社会問題にならなかったのかと不思議でしょうがなかったんですが、どうも、その事実を意図的にもみ消している存在に気がつきました。いわゆる資本主義という奴です。
資本主義において、人口増加というのは、経済の正常な状態、つまり右肩上がりの成長の絶対的な条件なわけです。僕はこの「右肩上がりの成長」というのがくせ者だと常々思っています。今ある全ての問題は、「右肩上がりの成長」を止めれば、かなり解決するように思うんですが。止めるということは、経済の自由な発展を阻害するということですね。食べる分と減価償却以上に儲けるなということです。これはつまり社会主義に移行するということなのかもしれません。
社会主義は社会主義で問題があると思いますが、その大半は社会主義ではなく、ファシズム的体制に問題があるのではないかと僕は思っています。計画経済を、ある「寛容性」を持って運用しつつ、不正の温床とならない監視体制を完備する。そうすれば、社会主義ももっと上手くいくのではないでしょうか?資本主義の適当にやっていれば「見えない手」が導いてくれるという非科学的・宗教的なものより、社会主義の計画経済の方がよっぽど上等なもので、高度であると思います。人類が次のステップを目指すなら、こちらを選択すべきだと思うんですが、残念ながら崩壊してしまいましたね。計画を「守らせる」という点において、ファシズム的になってしまったのが問題であったのでしょう。短期的にはファシズムは有効だと思うんですが、長期的に見るとファシズムは反発が大きくなってしまいます。ドーピングみたいなモンでしょうか。そこで、ファシズム的にならない社会主義として、計画経済をある「寛容性」を持って運用しつつ、不正の温床とならない監視体制を完備するというのを構想するワタクシなわけであります。

社会主義の不備の1つとして労働意欲の減退という言葉を聞きますが、労働を評価されれば働く意欲が増す人っていうのはどれだけいるのでしょう?そういった向上心をもった人ってそんなにいないと思うんですが、それは僕のまわりだけなんでしょうか?評価されれば、まじめに働くという人はむしろ少なく、ほとんどの人は、評価されてもされなくても、出来れば楽をしたいと思い、楽をしたいけど評価が下がるという葛藤から、「このくらい働こう」というネガティブな選択をしているだけではないでしょうか。評価が下がってもいいから楽をしたいという人と同じぐらいしか、頑張って評価を上げたいと思う人はいないんではないかと思うんですが。それが統計的にも「いい感じ」ですし、僕のまわりの体感としてそんな感じだと思うんですが。
という事は、重要なのは働かなければ評価が下がるという罰則規定の方で、そこさえしっかりしていれば、評価が上がる、つまり右肩上がりであるというのはそれほど問題ではないのではないかと思います。評価は常に上がり続けなければならないという資本主義の呪いから、早く誰か解放(改革)して欲しいと思うんですが、今の日本に革命が起こるきっかけはないように思いますね。そうすると、雨だれが石を穿つようにコツコツと変えていくしかないのかなあ。結局国民の大半がサラリーマンの日本では、思想が目先の金至上主義の企業に取り込まれてしまって、その枠でしか思考できなくなってるんですよね。企業に取り込まれたサラリーマンこそ、企業の枠の外からの視点を養わないと、身も心も部品と化してしまうと思うんですが、皆さん部品でいいと考えているんでしょうか。部品は嫌だと思うのは僕だけなんだろうか。結婚嫌だというのと同じぐらいサラリーマン嫌だというのも昔から言っていたんですが、まわりは確かに、そんな私に批判的であれ、肯定してくれる人はいなかったですがね。頑張って「てつろう」になろうよ。機械のからだを求めて旅をしようぜ!
いやいや。
そんなわけで改革が必要だみたいなことを言いつつ、改革しようとは微塵も思わないワタクシですが、改革といえば、政府の政治改革って実際のところ実体はなんなんでしょう?かなり実体が見えないんですが。要は倹約するぜって事なんでしょうか?
政府って大きな石なんですよね。大きな石は小さな力じゃ動かない。動かすには大きな力がいるけど、それを使うと、次は大きく動き出して止まらなくなっちゃう。動かすのに必要な力がF=μmgで、止めるのに必要な力が、F=1/2mv^2だから、m(質量)が大きくなるほど、どちらの力も大きくなるって事ですからね。(そんなモンは経験的に明らかだけど)
だから二者選択なんですよ。動かさないか、大きく動かすか。政府の政治改革なんていう、改革なんて銘打ってある割に小さな変化っていうのは、もし実際にやるのなら、頑張って石を動かして、動き出したと思ったら、今度は反対側に回って頑張って止めなきゃならない。そんなこと出来ないでしょ。実際動かすのに何年もかかってるんだからして、その上に止める時のことも考えないといけないんだから。政治改革をしないしないって言うけど、実際にしたらしたらで、また大変だと思うわけです。
んでは、頑張って評価を上げたいという実に人生に前向きな、地球と人類全体の利益にとってはた迷惑な人達はどうすればいいかといいますと、これは文化の面で平和的に競っていただきたい。経済で競うのは、国同士が競うよりも平和的ですが、死者が出ないというだけで、かなり熾烈なことになっているのは間違いない。少なくとも地球には優しくない。いずれ人類の英知ヒューマニズムが、経済戦争の是非を戦争の是非のように語る日が来るでしょう。今や誰も戦争をいいことであるとはいいません。それと同じように、いずれ経済発展がいいことであるとは誰もいわなくなるハズです。
その時は次の戦場として文化で競うのです。すでに小室哲也氏と彼みたいな人達が音楽で、あるいは文壇では中間小説と呼ばれるものが、絵画ではCGデザイナーと呼ばれるものが、消費されるためだけの文化として根付いてきていますが、そういったところで各者熾烈に戦って、己を高めていけばいい。僕は文化は戦ったり競ったりするものではないと思うので、蚊帳の外で独りよがりに文章を書き散らしたり、芝居をやったりする予定ですが。いや、そういった消費されるための文化を否定しているわけじゃなくて、小室哲也氏と彼みたいな人達や、中間小説作家や、CGデザイナーをけなすわけでもありません(って文面からは喧嘩売ってるようにしか見えないか、やっぱり)僕も、こういった消費されるための文化を消費するために消費したこともありますし、これからもあるでしょう。積極的に消費した日もあるし、これからも積極的に消費するハズです。ただ、僕は工場労働者より、昔気質の職人に憧れているというだけのことでして。でも修行が厳しそうなんで、ちょっと躊躇しているという情けない状況にいるので、何も批判する権利がないんですが。若いもんで、それでも批判したくなってしまうんですよね。それ言っちゃお終いだという、身も蓋もない事書いてますが。
まあ、おとなしくオリコン戦争や絵画戦争をやっていれば、人的被害の他に地球的被害も少なくなるので、このまま経済戦争を続けるよりはいいんではないのでしょうか?他にも、スポーツで仮想戦争をするって言うのも手ですね。この際、経済戦争止めて、本格的にサッカーで戦いましょう。誰もサッカー選手になりたがらなくなるかもしれないですが。なんかGガンダムみたいな感じになってきました。(見てはないですが、往年のガンダムファンの面目として、内容については多少知っている)



というわけで就職しないだの結婚しないだのというのも、理屈を付ければこんなところなわけで、適当な理屈ですが、これが私の23年間(24年だって)の全てでありまして、そういうわけですので家族や親戚の皆さんにはよろしく御理解のほどを、って絶対家族も親戚も見てないだろうけどさ。
エビスイ家ってなんか男の子供って僕と弟だけになっちゃったとかで、僕が結婚しないとか言い出すと、弟が結婚して男の子を産まないと(旧来のシステム的には一般に)エビスイ家が途絶えてしまうわけですが、僕らは残念ながらあんましそういうの気にしない世代になってしまっているのです。そんなことより、地球の人口問題の方が深刻だと思うし……。名前が偉そうなので(「戎」って恵比寿の昔の字らしいから戎さまが居るという意味なのか)昔は由緒があったのかもしれないけど、すでに辿れないようだし、辿ったところで、今はそんなに由緒があるわけでも地域から一目置かれているわけでもなさそうなので、まあいいでしょ。

2025年には水すら不足し始めるという話も聞くしね。あと10年以内には、地球の人口は減少し始める必要があると思うし、そのためには後進国支援をより積極的に行い、出生率(合計特殊出生率=女性が一生の間に産む子供の数)を2以下(つまり将来的に人口が減少が確約された状態)に持っていく必要がある。

というか、出生率が出たときいつも疑問に思うのは、マスコミ各社から有識者までそろって「これは憂うべき問題だ」というコメントをしているように思うけど、んじゃ年寄りを殺して人口を減らすのか?と言いたくなる。人口を減らさなきゃならないのに、ますます長生きするようになってるんだから、子供を産まないようにするしかないじゃないか。
この辺は資本主義の「右肩上がり信仰」の悪しき呪縛だと思うんだけど、子供が減れば人口が減って消費が減るから経済がマイナス成長になると言う理論で憂いてるわけなんだよね。でも、その経済が潤すべき人口も減るんだから、売り上げが減ったっていいんだよ。なんでこういう風に単純に考えられないのかねぇ。
年寄りが多くなるんだろ。だから経済が成長しないと支えきれないって言うんだろ。でも、年寄りってのはいつまでも増え続けるのかね。40年もすれば、ベビーブームの年寄り化も一段落するだろ。(ちうか俺もその時64だから定年退職で年寄り化するけどさ)そしたらもうあとは年寄りだって減る一方だよ。どっかで馬鹿な世代が頑張ったりしなければね。支えりゃいいだろ、頑張って。しょうがないじゃん。無限に増えるわけにはいかないんだから。どっかで自制しなきゃいけないんだよ。それとも戦争して人口減らすのか?

まず最初になくなるのは石油だと思うんだよね。んで、食料で水。日本は水は豊富にあるけど、石油も食料もないので、水が枯渇する前に死滅するかもね。あるいは水が枯渇し始めた頃には、どっかの石油のある国か、食料のある国に占領されるかもしれん。
これから都市に住もうって人はよく考えた方がいい。真っ先に食料がなくなるのは都市部だよ。今までさんざん税金を絞り上げては農村に配っていてなんだけど、農村から都市には食料は行かなくなると思うね。誰だって自分の身が可愛い。
僕はどうなっても生きていく自信も多少あるけど、駄目だと思ったらいつでもいける覚悟もしてあるよ。なんといっても今一番欠けてるのは、そういうサバイバラスな危機意識なのかもね。もっと危機感持てよ。自分自身の存在理由にさ。存在していることが当たり前みたいに感じてるんじゃないのかな。そういう面の皮の厚いようでは生きていけないよ。





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エビスイからの返事希望


  
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