先週、ソニーのDVD・HDレコーダーを買った。
電子番組表がうまくとれない。修理を頼んだ。人がきた。バージョンアップが必要とのこと。
無停電電源ユニットを買った。嫁が台所でヒーターを入れたり電子レンジを使ったりするとすぐブレーカーが飛ぶので、導入してみた。
地域にもよるが、電源は基本的に汚れていて電圧降下や過電圧・各種ノイズが混じっていると考えるべきである。つまり、無停電電源ユニットの導入によって電源を一度蓄電池に貯め、クリーンな電源を取り出す効果がある。その効果は僕が期待していたよりはるかに強く出た。
モニタが同じ設定であるにもかかわらず、より明るく、そしてにじみがまったくなくなったのだ。
ちなみに8000円ぐらいの一番安いやつを買ったのだけど、サージ・ノイズフィルタがついているようだ。
無停電電源ユニットの導入は、メンテナンスも必要になるためなかなかためらわれるところだけとれど、ユーザビリティとして結構お勧めのアクセサリといえる。Pen4をセレロンにして浮いたお金で買う価値はあると思われる。
午後に修理の人がもっかい来た。バージョンアップしたけど、番組表が取れなかったのは時刻設定のAMとPMをまちがえていたことが理由だったこと判明。恥。
2月20日(金曜日)
あ、ジャストネット(現ソネット)3月末をもってjustnetドメインのホームページサービス終了。
ここ、移動しないといけませんな
12月11日(水曜日)
お肉が安かったので、ちょっと遠出して頑張って4パック買ってきた。
奥さん曰く。
『もう一人では買い物に行かせない。』
いやね、だからさ。いまいっときの赤字なんであって、長期的視点に立ってみれば、いい買い物なんだってば。
12月10日(火曜日)
ゆびわ
いままで指輪文化がなかったので、ほとんど初めて指輪をずーーと付けているのだけど、最初は違和感があったけど、最近はそうでもなくなった。
でもねぇ、ふとしたときに無意識にいじっていたりして、さらに手が滑って指からすべり落ちることしばしば。
そのたびに奥さんが睨むんです。。。
ま、あたりまえか。
12月6日(金曜日)
一日1000円。
とりあえず、2人分で一日1000円の食費とした。
まあ、出来ればクリスマスには鳥の足でも食べたいので、一日1000円弱にしてクリスマスにはもうちょっと使えるようにしておかねばならない。
とりあえず、今のところジャスト1000円で移行中。このままではクリスマスに鳥の足が食べられない。。。
12月4日(水曜日)
奥様不満。
ネトゲで遊んでたら奥さんが不満そうだった。
別に飽きたわけじゃなくて、環境の変化とかでもなくて、ただ単にひとり遊びが得意なだけで、僕としては十分に2人の時間も作っている予定なのになあ。
調光機の修理。
基板はなんとか作って、動作も確認。
いつも思うんだけど、本当の工作はここからなんだよねぇ。アルミを削ったりケースに穴あけたりってのに時間かかる。
夜中に高専ロボットコンテストやってるけど、アイデア対決というよりはやはり、機体設計で優劣がついているように見える。アイデアの質よりも、その実現率が勝敗を分けているし、もっと言えば、その確実性が勝負の世界ではモノを言うのだろう。
リスクマネジメント。
つまり、失敗したときに次の手段があるかどうか。リスタートが容易かどうか。メンテナンス性に優れているかどうか。
具体的には、2輪駆動より、4輪駆動。さらに6輪駆動。機体の旋回性や加速力,減速力。目的地に相手よりはやく行くこと。操作性。目的地で細かい微調節が出来るかどうか。あるいは曖昧な位置でも目的を達成する仕組み。
メンテナンス性。配線ミスなどでまず起動しない等の事態をどの程度回避できるか。一部にミスがあってもそれで全滅しないこと。
そんな事を考えた。
僕が作っている調光機は趣味の工作ではない。現場にもっていって一回きりの本番で使うものだからだ。
どこかがショートしても全滅はしないこと。
安全であり、堅牢であること。
不測の事態に対してリカバーが可能なこと。
複雑でなく、機能的。
工業とはつまり、そのバランス感覚なんだと思う。
12月1日(日曜日)
寓話
成功事例というのはひとつの寓話だ。成功した会社の社長がセミナーを開いてもっともらしい話をする。こういう事をした。信念を持って行動したから成功した。
3番目にくだらないベストセラー「チーズはどこに……」と同じ。
素直すぎるよ……ほんと。
11月30日(土曜日)
最近、奥さんの目を盗んで、ネットゲームをやってる。
はやくも夫婦間の溝!というわけではないと思うけど、部屋が汚くなっているのに片づけもしないでそんな事をやっているわけで、それはまあ、申し訳ない。
11月29日(金曜日)
2人暮らし雑感。
2人暮らしをして最初に衝撃だったのは、トイレットペーパーの減りの早さだった。
汚いハナシだけど、男性は大だけの使用に対して女性は入るたびに使っているわけで、2倍以上というか、4,5倍の早さで減るわけだ。
2人暮らしをして何が楽しいって、とりあえず今は、料理を作るのが楽しい。
ナベいっぱいのカレーを作っても、2日もあれば食べきってしまう。一人だと一週間近くカレーと付き合わなければならなかった。
特に誰かを呼ばなくてもナベとかが出来るのも、冬にはいい。
今までずーっと一人だったし、特に女性と付き合うということをしてこなかった僕がいきなり共同生活を始めたので、もうちょっと不便を感じるかと思ったけど、それほどでもない。いまのところは。
11月22日(金曜日)
東京の(神奈川の)新聞社は優しい。
前住居人が残していった『セールスお断り』の札をみて勧誘に来るのを躊躇したり、古新聞は回収してくれるし、今日などは包丁の刃研ぎサービスやります。のビラが入っていた。
11月14日(木曜日)
本日ようやくネットに繋がった。
ヤフーBBにネットから申し込んだので、工事状況の連絡が全てe-mailになり、非常に往生した。
申し込んでからひとつきかかったことになる。
10営業日で開通させるといってはいるが、サポート体勢にははやくも不安がよぎる。
とりあえず昨日で引っ越してから1ヶ月が経った。
まあ、共同生活や新しい土地にもようやく慣れてきた感じ。
まだ求職活動をしていないので(そろそろ始めるつもり)寝て起きてご飯を食べるだけの生活。
今までどの辺の時間で本を読んだり仕事をしたり台本を書いたりしていたんだろうか?というぐらい時間を無闇に消費している。ま、そんな日々があってもいいかな。
8月13日(火曜日)
久しく更新していませんでしたが、結婚することになりました。
たぶん、結婚に関するあらかたの障害は解消され、あとは時が来るのを待つばかりだと思います。時が来るまでに何事も起こらなければ、結婚するでしょう。
それと、8/24.25.26で芝居やります。
7月9日(火曜日)
ロケに行ったら3時間で仕事が終わった。
3ヶ月分の家賃と光熱費を払ってきた。10万円ぐらい。
あと、バーバ服部(静岡大学D棟203)にて散髪。
7月8日(月曜日)
僕は自分が嫌いだ。
一週間前の続き。
ナルシストは、それが表現される(ナルシストと認識される)からナルシストである。その表現とは具体的に、自分のすばらしさをアピールすることである。
何故アピールするかというと、それを認めて欲しいからであり、つまり、自分に自信のない、自分を愛することが出来ない状態である。
本気ナルシストは他者からの評価では一切、自分への評価を曲げないが、それもつまり、自分をあまりに愛せないあまり、過剰防衛に陥っているだけといえる。
本気で自分を愛せるとき。
僕自身その域に達しているとはいえないのであくまで想像でしかないが、その時その人はどうなるか。
まず、他者に対して惑わされなくなるだろう。確固たる愛すべき自分がそこに在るから、自分探しをする必要がない。自分探しとは結局、他者の中にいる自分を選り好んでいるだけだと思う。探すべき自分が他者の中にいないのは明白だ。自分は自分の中にしかいない。そういう意味では、他者からの評価を拒絶するだろう。
例えばテストなどに落ちたとき、あるいは誰か(何か)から拒絶されたとき(失恋とか就職に失敗したとか)そのものに固執はしない。
そのことと自分の喪失は別のことだと認識するからである。
中途半端ナルシストは、負の評価を消化できずに、自分の評価を下げて相手に合わせようとする。本気ナルシストは、これ以上自分への評価を下げられないので、その評価をなかったことにしようとする。
真のナルシストは、なんというか、普通の人がそうするように、その事をあきらめたりするわけではなくて、そういうもんだと理解するのである。たぶん。
能力が足りなかった、タイミングが悪かった、その他、状況を認識し、分析し、評価できる。
人は第三者に対してはわりとそういったことが出来る。
つまり、自分を愛することが出来るとは、自分を第三者化し、冷静に物事を見つめられるということかもしれない。
んーー、そういうとなんだか違う気がする。
6月29日(土曜日)
自己愛。
ナルシスト(自己愛性人格障害)とは自己愛が欠乏している状態である。というテキストを読んだ。なるほど。
カンペキに自分を愛することは難しい。世の中は自分の思い通りにならないことの方が多いし、自分の能力は、足りないことの方が多い。誉められるより、けなされることの方が多い。
人は傷つくことの方が多いし、自信を失うことの方が多い。
特に若いうちは。
表現としてのナルシストはつまり、そうやって傷ついた自己の尊厳を、誰か癒してくれ。というサインである。
少し違うが、自分を説明する人も多い。
自分は○○だから。
本当にそうなのかもしれない。
へえ、すごいねぇ。と言って欲しいのかもしれない。
○○である自分を受け入れてくれ。こんな自分でも注目されたいということかもしれない。
本気ナルシスト。
の存在を考えてみる。
本気ナルシストは、世界には自分一人。自分以外の人間は石か木ぐらいにしか思っていない。自然が自分をどう思っているかを一般に人は気にしないように、本気ナルシストは、他者からの評価によって自身が傷つくことはない。
ところで、人は本当に自然が自分をどう思っているのかを気にしないのだろうか。現代社会ではもちろん、自然に対して気を配らなくても生きていけるが(しかし、他者に対して気を配らなければ生きていけない)文明を持たなかった頃は、生け贄や祈りを捧げ、自然を畏れたり、自然の恵みに感謝したりしていたはずだ。
本当に自分を愛している。つまり、死にたくなければ周囲からの情報を受け入れて、自分を変えていかなければならない。(寒くなったら南に移動するとか)
自己愛を生存本能と書き変えれば、生存本能に反しても守りたい。つまり、それほど自分に自信がない。自分を愛していない。と導ける。
そういうことを考えると、やはり自己愛不足による過剰防衛ということになるのか。
このこと事態はただの説明であり、何の解決も示さない話だが、基本的に人が生き物である以上、入力して、反応して、フィードバックを得る。という行動をとるはずだ。この、「認知・判断・行動」のどこの段階に障害があるのか。僕は、「判断」だろうと思う。外から見て、どんなに聞こえていないように見えても、物理的に耳が機能しているなら、必ず聞こえているはずだ。
それは、「覚えていない」と「思い出せない」の違いを考えればいい。人間の脳は、それまでに見たほとんどすべての風景を覚えているが、覚えている風景のごく一部しか思い出すことが出来ない。
記憶はされているが利用されていないだけ。と考えるべきだろう。
とりあえず今日はこの辺で。
6月28日(金曜日)
飴。
飴ってのは結局、砂糖を舐めるための口実に過ぎない。
したいんだけどはばかられる行為を正当化する。だってさ、子供じゃあるまいし、砂糖壺に指突っ込んでぺろぺろってわけにはいかないでしょ。
どうでもいいけど、サンダーバード(玩具菓子)についてきたラムネはまずい。
6月27日(木曜日)
会話においてはたいがい、相手が何をいったのかではなく、自分が何をいったのか。に関心がある。
6月22日(土曜日)
人が出会うためには、出会う力が必要だ。
6月20日(木曜日)
消える指輪。
実家から強奪してきた指輪物語を読んでいる。
映画を見て、久しぶりにまた読みたくなったのだ。
さて、透明人間の科学的考証はSF好きには既に飽きた話題だが、指輪をはめたときの映画の表現が、僕は過剰に思えたんだけど、よく考えると、なかなか的を射ているような気がしてきた。
透明人間の不便のひとつに、モノを見られないというのがある。つまり、透明だから可視光線を神経で受けて信号に換えるということが出来ないのだ。光線は網膜を含む身体のすべての部分をすり抜けるからね。
ここで、あえて可視光線と書いたのがポイントだ。
アレはつまり、X線か何か、可視光線の範囲外の光を受けているのだ。もちろん、可視光線はすり抜けさせて。
透明人間における他の不便をどう解決しているのかは、メンドクサイから考証しない。
つくづく、ついてない。
6月18日(火曜日)
香川から帰還。
6月16日(日曜日)
兄と弟
6月15日(土曜日)
香川の実家がADSL。
6月13日(木曜日)
なんか、さらにこのページの存在がバレたらしい。
6月12日(水曜日)
書き直した台本について、結局最初のと違いが分からない。と言われた。
6月11日(火曜日)
中継。
光学マウス。
6月9日(日曜日)
DVDドライブに換装。
6月8日(土曜日)
銘茶のフレバーティ 2
6月7日(金曜日)
銘茶のフレバーティー。
6月6日(木曜日)
中継に行ったらメロンもらった。
台本を書き直したら、一番最初のが一番いい。と言われた。
6月4日(火曜日)
今日スーパーで買い物をしたとき、駐輪所の屋根の梁で頭を打った。音はそれなりに響いたものの、大してダメージはなかったのだが、それを見ていた隣のおばさん(おばあさん)曰く。
忙しくもなんともない、むしろ暇なときに、「お忙しいところスイマセン」とか言われると、忙しくないのが悪いことのようで、気が引ける。
盗難届を出そうと、昨日借りた原付で駅前に向かっている途中で、一時停止無視を取られてしまった。−2点。−¥5.000。
もう、ブルー。暗黒のブルー。
してみると、駅前の無料駐輪所に置いておいた原付が盗られていた。
バイト仲間のTに車で迎えに来てもらい、さらに彼の使っていない原付を借りることにした。
ありがとう、田力くん。
これで君のファニーなマイカーに乗るのは2度目だね。
兄弟というのはやはり、人格形成期を一緒に過ごすため、どこか三位一体のところがある。と思う。
姿は似ていても、どこか、不足していたり過剰だったりする部分が、つまり、凸凹がぴったりとはまる存在、最強の片割れ、最も遠くて近い存在なんだろう。
ぶっちゃけた話、足して3で割れば、普通の人間になると思う。そういう不足と過剰のあり方。似ていて、似ていない。
兄弟というのは、最初はやっぱり、いやな存在だよな。
よくいうように、両親の愛情を分けあわなければならないし、そういうメンタル面だけでなく、おやつなんかの物理的リソースも分け合わなければならない。いなければ独り占めできる。最初のライバルだろう。
だが、そのうちに家庭内で役割を占めるようになったとき、それを分けあう存在でもあるのだ。そういう、自分が選ばなかった役割を代わりに担う、仲間、いや、自分の分身、もうひとつの自分の可能性。
もちろん本人に、誰かの代わりとしての自分をやっているという意識はないだろう。僕も自分のために自分をやっているし。ただやはり、兄弟の人生を眺める視線は、他人を眺めるそれとは決定的に違う。
家族という集団の構成員を自覚したとき、家族の一員としての役割を果たすために、自我が、家族という他人とのインターフェイスが作られる。
自我を、今の自分を作っていった過程で、たぶん生命としての本能的機能だろうけど、同じものを選ばない。つまり、僕が選んだ性格は、弟や妹は選ばない、選ばせない。生命は多様性を最大限にするように行動する。とすると、すべての可能性から選ぶことの出来た長男である自分と、残り物から選ばざるを得ない末っ子である弟。
ん、、まあいいや。選んだからにはやり遂げるだけだ。
それは誰だろうと、どんな立場だろうと、どんな状態だろうと。選択肢の自由度なんて考えはきっと、ナンセンスなんだろう。多かろうと少なかろうと、けっきょく自分で選んでいることに違いない。
弟が選んだであろう弟の人生を、一つ一つ消化している姿は、兄として、同じ皿のひとつのパイを分けあった片割れとして、ただ、喜ばしい、うれしい。吾が事のように。
適量ならば、これは美しき兄弟愛と呼んでいいものだろう。
過剰だったり不足だったりしたときは、、、足して3で割れば適量になるように調節されるのが自然の摂理だろう。
どの程度表現すればいいものか、ちょっと考えている。
だった。
こんなことなら、メール環境をもってくればよかったよ。
今日は弟の結婚式。
ま、最近は何故か、いろいろなロボット型の検索エンジンがこのページを登録しているので、いつかバレルだろうなあとは思っていたけど。
はじめた頃はインターネットなんてまだ誰もやってなかったし、本名が当たり前の時代だったわけで、そのころから連綿と続けていると、本名を外すタイミングを逃してしまったのだ。
最近しかし、いろんな人にバレてるな。。。
僕はもう次の台本を書くよ。
なんかサッカー場で、観戦に来る人を中継。ワイヤレスカメラで中継やるとか言って、背中に送信機を背負って二宮金次郎状態に。
しかも、やたらスタジオからふってくるモンだから、休憩も出来ない。雨降ってるし。
しかも。YQが死んで、モトローラーが死んで、無線が死んで、最後は携帯で中継車と現場がやりとりしてたよ。みんなテンパってるし。その間、二宮金次郎は、なんか携帯電話ってスゲーと思ってたよ。
うん。
平成の二宮金次郎は、そりゃあハイテンションでしたよ。通りすがる人にはとりあえず、「いえーー」とか「うおーー」とか言っておいた。現場がテンパってる脇で、いかにして背中の荷物から意識を逸らすか。つまり明治の金次郎は本を読み。平成のは叫んでいた。と。
買った。スゲーつるつる。すべるすべる。すげー。
今まで使ってたやつは、ホイールの回転が悪くなって、もちろんその程度であきらめるエビスイではないのだが、グリスを注油したり、磨いたり、削ったりしても改善しなかったのだ。
とりあえず、何事もなくホイールが回るのだが、こんどは、小さい。(ということを声を大にして言いたい)
なんかさあ、小さいマウスってよく売ってるジャン。便利なのかなあと思ってさ。
マウスが手に合わないと悲惨なので、買い直そうかな。
さっそく、唯一の所有タイトル「アマデウス」をみる。
なんか、時々遅れるし、荒い感じがするし、画面が暗いし、字幕も少し潰れてる。
やはり、810チップセットのオンボードグラフィックとセレロン600では、再生環境に無理があるのか。
あと、静かな場面ではパソコンのファンの音がうるさい。
PS2でも買うかな。
つまり、こういうことだな。
クズ茶を美味しく飲むために、花や果汁で香りを付けたところ、むしろその果汁付きの方が人気が出た。そうなると、より美味しいフレバーティを求めて、原料を厳選する、つまり銘茶のフレバーティが生まれる。
そう考えると、料理というのもつまりは、何でも生でそのまま食べていた時代。食糧難であまり美味しくないものを食べざるをえないときに生まれた工夫といえよう。
銘茶のフレバーティ。
確かに、厳密に考えるとその存在に疑問を感じるが、こういう行ったり来たりが、人間の発達の過程なのだ。たぶん。
美味い紅茶なら、そのまま飲めばよろしかろう。わざわざ人工的に味と香りを変造する愚。
僕は、間違っていると思う。
が、そんなこといったらミルクティだって、味と香りの変造には違いない。
生で美味しいものを何故料理するのか、といった「美味しんぼ」的命題に発展しそうだ。
3つぐらい……(ゲプ…
泣いてやる。
「私もそうだけど頭が薄くなると、痛いのよねぇ」(目線やや上)「大丈夫?血は出てない?」
曖昧に返事をしつつココロに深い傷を負った、たそがれどき。
アタマは大して痛くもないんだけどねっ。
たぶん、なかなか電話に出なかったりして、そういうのから忙しいと思うんだろうけど、それはただ単に、一般人とは異なるリズムで寝てるだけだったりする。むしろ、8時間とか10時間とか惰眠をむさぼっていたりして、「いや、もうぜんぜん暇だから」とか言うわけにもいかず「いやいや」とか、中途半端に濁したりして、ますます悪いことをしている気分。
スイマセン、忙しくなくて。
だって、フリーターだし。