喫茶店のある街          えび  きゃすと 男 マスター。作者的には細身で長身の人にやって   貰いたいと思っている。年齢不詳。 女 マスターの昔なじみ。25〜30ぐらい A 喫茶店に溜まる学生 B 右に同じ C 営業マン 若くはないが、おじさんとは呼べないぐらい 舞台には上手にカウンターと調理場(これは見えなくて良い)下手にテーブル席の一般的な喫茶店。テーブル席はAの部屋にもなるので、そういった汎用性のある作りが望ましい。舞台中央はほとんど使われない。芝居は主に上手、あるいは下手に偏って行われる。 マスターはカウンター。AとBはボックス席にいる。Aが下手側。 A「あ、マスター、レコード終わりましたよ。 B「なあ。おまえも来いよ。 A「いいよ、めんどくさい。 男「(大儀そうにレコードを換える) B「だって、向こうには、男四人って言っちゃったんだよ。 A「知らないよ、そんなこといわれても…… B「……… A「あ、いい曲。知ってる? B「知らないよ、昔の曲だろ。 A「聞いたことあるようなないような……マスター、なんて曲ですか? 男「(レコードのジャケットを示す) A「……………… B「(ぼそ)なあ、あのマスターって、喋らないね。 A「ん、まあいいんじゃない。 B「(ぼそ)喋れないの? A「(ぼそ)ただの無口でしょ。電話とか、さすがに喋ってるよ。 B「ふーーん。(ずずっ) A「(曲を聴いている) B「それじゃ、まあいいか。 A「………………………………………………………………えっ?何が?? B「えっ、何? A「何がまあいいの? B「だから、さっきのコンパの話。 A「ああ。……他の誘うんだね。行きたいっていう奴ならいっぱいいるでしょ。 B「だから、そのいっぱいいる中から、おまえを誘ったってのに…… A「……ん、……オレそういうの、興味ないし。 B「はいはい。 沈黙 Aは曲を聴き、Bは雑誌を読んでいる。マスターはと見ると、たぶんこの店での最高のリスニングポイントで、こちらも曲に聴き入っている。 B「そういや、おまえ就職どうする。 A「(無視する)………… B「……………………(また雑誌に戻る。読んでるのはどうも就職雑誌らしい) A「なあ。 B「ん? A「こういうの、いいよねぇ。 B「……そうだね。(ずずっ)……ふう。 A「………… B「ただ時間を潰すためだけの営み。刻の流れに身を任せて………… A「喜多君、こういう時は、黙して何も語らず、ただ静かにふけるものだよ。君はまだまだ俗物だね。 B「ああ、さいですか。(ずずっ) A「飲み物に手を付けすぎ。 B「飲まなきゃ冷めちゃうじゃないか。 A「違うね。熱いの温かいのぬるいの冷たいのその全てを味わうのさ。(ずずーー)ん、ぬるいのもまた味わいがある。 B「何言ってんだか。……そういや、昨日の講義に出た? A「………… B「出たなら、ノート見せて貰おうと思ったんだけど…… A「出てないよ。昨日は1日ここにいたから。 B「……藪に見せてもらうか。アイツなら出てるだろうから。 A「あとでオレも…… B「そういうのも俗物っていうんじゃないの? A「いいじゃないか、ちょっとぐらい。 B「僕は会社説明会で出れなかったの。こんなとこでのんびりしてたおまえとは違うんだよ。 A「…………まあな。 B「それで、ここでおまえ何してたの? A「ぼーーっと、時間潰してた。 B「…………はあ。もっと真剣になんないと、行くとこないよ。今年はとくに厳しいんだから。 A「まあ、たまにはね。別に毎日そうしてるわけじゃないんだし…… B「………… A「普段は、けっこう忙しくしてんだぜ。 B「ホントかよ。 A「たぶんね。 B「…………まあ、たまにはこういうところでボーとするのも悪くはないわな。 A「だろ、だからここを紹介したお礼にオレにもノート。 B「何それ。 A「当然だろ。 B「なんだよ。 A「ギブアンドテイク。 B「…………わかったよ。 A「(ずずーー)ふう。 B「(ずずーー)……ふう。 A「なあ、そういうのギブアンドテイクっていうのか? 男「(こぽこぽこぽ)………… B「(マスターに)あ、もうそろそろ僕、帰ろうかと………… A「いいだろ、もうちょっとぐらいいても。なんかあるの? B「いや、何もないけど……いいか。 A「あ、マスター、僕も。(ずずーー) 男「…………(了解という仕草) A「気にしなくていいよ、どうせお代わり自由なんだから。 B「そうなの? A「そうなの。 【暗転】 映像。男が歩道橋を見上げている。そこには鳥がいて、やがて自由に空へ舞い上がる。 OPタイトル映像挿入。 照明がつく。そこはAの部屋。ここではAが上手側に付く。テレビでドラマをやっている。 A「よう。 B「上がるよ。 A「おう。 B「ここに来るのも久しぶりだな。 A「そういや最近あんまし会わなかったね。何やってたの? B「就職活動だよ。 A「ふーーん。 B「どっかの誰かさんみたいに、喫茶店でだらだらしたりしてないから。 A「心外だなあ、そういう言い方。 B「おっさん。 A「うるさいな。君は、行ってないのかよ? B「………行ってるよ。 A「そうだろ、やっぱり。 B「おまえみたいにだらだらしてないけどね。 A「………… B「…………あんましおもしろくないね、これ。替えていい? A「いいよ。 B「(ぴっぴっびっ)どこもいいのやってないな。木曜日ってなんかあったっけ? A「さあ?最近テレビ見ないから。 B「ニュースも? A「今の首相が誰かも知らん。 B「(テレビを切る)それでよく受かったな。 A「自分でもビックリ。 B「やれやれ。 A「あれ、最後にあの2人くっつくよね。 B「何が? A「さっきのドラマ。 B「ああ。そうなんじゃない。 A「ありがちだね。とりあえず本命が死んで悩み苦しみ、その時慰めてくれた女をいつのまにか、と。ありがとう、君のことは忘れないよとか言ったりしてさ。二人で墓参りとかするんだよ。デリカシーのかけらもないよなあ。切り替え早いよねぇ。なんか、嘘くさいよ。人間はそう簡単に切り替えられるのもじゃないよ。 B「いつのまに受けたんだ?教えてくれたっていいだろ。 A「えっ? B「教員採用試験。 A「んーー、まあ、なる気なかったからね。 B「教師に?なのに教採受けたの? A「教育実習やったからね。教採は受けるのが義理かなあと。 B「そしたら受かっちゃったの? A「まあね。 B「教員になる気がなかったのなら、何になるつもりだったの? A「何って、イロイロだよ。 B「イロイロって、例えば? A「んーー、…………小さい頃はパイロットかな、やっぱり。 B「やっぱりじゃないよ。何だよ、言いたくないなら、別にいいけどさ。 A「いや、別にそんなつもりじゃないけど。 B「………… A「まあ、……普通のサラリーマンとか? B「就職活動とかしたの? A「ちびちびとはネ。 B「ちびちび…… A「まあ、そんなもん。 B「んで、いいところなくて、教師に? A「そんなんじゃないよ。そんないい加減なアレじゃないけど。 B「ふーん A「何か飲む? B「ん、何があるの? A「紅茶 B「他には? A「紅茶 B「紅茶だけなのね A「そうともいう。飲む? B「いいや、もらう。 A「どっちだよ。 B「ん? A「いいや、もらうって、飲むの、飲まないの?いいやもらう、あ、飲むのか。日本語は難しいのう。(キッチンへ) B「………… A「こだわる人?味に。 B「まあ、色が付いてればなんでも。 A「じゃあ2回目でいいね。 B「うん。 A「いつもは、一杯しか入れないから、もったいなかったんだ。 B「んじゃあとっとけば? A「それはいや。 B「ふーん。 A「親父がさあ、学生時代は一つのティーパックで10回以上出したとか言うもんだからさ。なんか、なあ。ちょっと後ろめたかったんだよね。 B「ふーん。 A「はい。 B「ありがと…………そっちの方がやっぱ美味しいのかな。 A「取り替えようか? B「いや、いいよ別に。味が分かるわけじゃないし。 A「(テーブルについて一息つく)………… B「やっぱあそこのマスターも二回ぐらい入れてるのかな。 A「(すずーー)はあ。 B「(ずずーー)ふう。 A「というか、ティーパックなんか使ってないんじゃないの? B「やっぱり? A「ちゃんとした喫茶店だからな。あれでも一応。 B「あのマスターって、ホントしゃべらないね。 A「オレ、あの人の肉声聞いたの2回だけだもん。 B「あ、いいなあ。俺まだ聞いたことない。 A「君とは年期が違うからな。 B「だっておまえ、二年の時から通ってた喫茶店を、今になって教えてくれるか?はかない友情だよ。 A「いいじゃないか、教えたんだから。 B「まあな。それで、かろうじて友情は保たれたよ。あくまで、かろうじてな。それにしても年一回ペースでしかしゃべらないのか。なんか、極めてるね。それで、いつ? A「ん? A「しゃべったの。 A「一回目は電話の時。2回目は皿を落としたとき、「あっ」て。 B「ふーーん。なんかさ、不自然だよね。 A「何が? B「あそこのマスター。意地でもしゃべらないって感じで。ただ寡黙ってのじゃない迫力みたいのがあるよなあ。 A「さあ……(ずずーー) B「なんかあったのかなあ、過去に。 A「………………そりゃ、あったでしょ。 B「知ってる? A「わけないだろ。でも、本人に聞くわけにもいかないしな。 B「そうだよねぇ。 A「何かさあ。 B「ん? A「何か…………そんな喫茶店にいりびたってる俺らもあれだよな。 B「………… A「マスターってどう思う? B「どうって? A「マスター。 B「……いい人じゃない。喋らないけど。 A「おまえにかかると何でもいい人だなあ。 B「いいだろ、別に。 A「………… B「まあでも、敢えて言うなら、自分に酔ってる人かなあ。 A「なんだよそれ。 B「そんな感じしない? A「さあ。 B「ん、嫌味な感じじゃなくてさ。 A「ふーーん。 B「ほらさ、一人でコーヒー飲んでる時って、絶対自分に酔ってると思うんだ。 A「………… B「僕はそうだよ。疲れた時とかさ、自分の価値がすごくつまらないものに思えてこないか?だからコーヒーでも飲んで、ゆっくり自分を取り戻していくのさ。 A「言ってて恥ずかしくないか。 B「おまえだってそうだろ。絶対コーヒー飲んでる時ってかっこつけてるよ、お前。不自然だもん。 A「不自然? B「そ。 A「……ん、そうかもね。 B「あ、いや別に悪い意味じゃなくて。 A「んじゃ、どういう意味? B「………… A「ま、「だばだー」が似合うようなあれじゃないからな。 B「は? A「いや、いい。 B「………… A「(ずずーーー) B「あ、そだ。明日のテストの勉強した? 【暗転】 映像。マスターが朝の準備をしている、その前をトラックが過ぎ去る そのトラックの向こうから女登場 女「おはよう、もう開いてる? 男「………………(手早く準備を済ませ、準備中の札を営業中にする) 女「この辺もだいぶ変わったわね。昨日は夜だったから、気づかなかったけど。 男「………………(店内に入る) ここまで映像。うまく繋ごう。 女「(一緒に入る。独り言のように)相変わらず………… 店内に入り、マスターはコーヒーを入れはじめる。 女は、マスターのコーヒーを入れる手元を見ている。 男「(こと) 女「ありがと。あ、それとモーニングお願いできる? 男「(頷く) 女「(ずずー)ふう、今日はクライアントのところに直行だから、ゆっくりしてられるわ。 男「(ばたん、こんこん、じゅーー) 女「あ、目玉焼きなら両面焼いてね。 男「(頷く) 女「ここの営業所の所長がさ、あんまり直行っていい顔しないのよね。前の営業所なんて毎朝社員の半分は直行だったのよ。会社に顔出したってすることないのにさ。馬鹿みたいに会社は9時に出勤するもんだって言い張っちゃって。だいたいさ、頭堅いのよね。今の時代は合理化よ、合理化。(ふとマスターを見ると、聞いているのかいないのか、黙々と調理をしている) 女「…………はあ(コンパクトを取り出し、化粧の具合などを見る) 退屈な時間がながれるが、やがてモーニングができあがる。 男「(コト) 女「ん、いい匂い。 男「(LPが終わる。次のLPを選んでかける) B「(カラン)おはようございます。モーニング1つお願いできます? 男「…………(準備に取りかかる) B「(がた)へえ、目玉焼きか、あ、マスター、じゅくじゅくの半熟で。 男「…………(こぽこぽこぼ) B「今日はいつもよりはやいっしょ。午後からテストなんだよね。しょうがないから守と悪あがきしようかってことになってさ。ん、やっぱりまだ来てないな。まったくさ、アイツがやばいっていうからこっちはつき合ってるっていうのに。 男「(ばたん、こんこん、じゅー) B「マスターって、ほんとLPたくさん持ってますよね。昔はバンドとかやってたんですか? 男「(カタ) B「どうも。砂糖は…… 女「……あ、ここだわ。はい。 B「あ……どうも。 女「どういたしまして。 B「(かちかちかち、ずずずーー)ふう。あ、マスター。食べ終わったらさ、あそこの机で勉強させてもらってもいい? 男「(頷く) B「よかった。あいつもそろそろ来ると思うんだ。(ずずーー) 男「(かちゃかちゃ) B「あいつまたさ、堅いんだけど、芯の方は少しトロッとしてるぐらいで、とかわけのわかんない注文するのかなあ。まあさ、それを焼くマスターもすごいんだけど。そうそう、あいつ昨日言ってたよ。俺は目玉焼きがうまく焼けるヤツと結婚するって決めてたのに、それが、こんなおっさんだったなんて、俺が結婚出来なかったらどうしてくれるんだぁってさ。 女「(ぷっ) B「…………(見る) 女「…………ん(急いで食べ終わる) 男「(コト) B「ん、うまそ。いただきます。 男「(コト) 女「あ、ありがと。…………ねえ、学生さん。食べ始めたところを悪いんだけど、砂糖まわしてくれる? B「あ、はい。 女「どうも。(かちかちかち) B「よく来るんですか? 女「……ええ。(ずずー)ふう。そうね。 男「(じゃーーー、かちゃかちゃかちゃ、きゅっきゅっ) B「へえ………… 女「(手帳になにやら書いたり、仕事の準備をしている。) B「…………(もぐもぐ) 女「さてと、そろそろ会社に行かなきゃね。お金、入れて行くわよ。(勝手にレジを動かして、千円札を入れ、釣り銭を抜いていく) B「(ちょっとびっくり) 女「ごちそうさま。(カラン) B「…………(もぐもぐ) B「ねえ、マスター。さっきの人って、僕は初めて見たんだけど、やっぱりここの常連の人なの? 男「………… A「(カラン)おはよう〜 B「やっと来たか、遅いぞ。 A「いやあ、わりいわりい。 B「おまえ、単位とる気あるのか? A「まあ、いちおう。すごいもの見ちゃったよ。目の前で車とバイクが交通事故やってね。 B「え? A「車が右折しようとしててさ、ここにトラックがいてこいつはこっちに曲がりたくて止まってたんだよ。んで、その影からバイクが来たんだけど、トラックで見えないんだよね。オレがここにいてさ、だからぶつかる前から、ああ事故るなあと思ってたら、やっぱり。 B「へえー。 A「バイクの人は5メートルは吹っ飛んでたね。それから10メートルぐらい道路を滑っていって、最後はガードレールに激突。 B「うわーー。 A「あれはすごかったね。手とかこんなになってたからね。 B「ふーーん。 A「そんなこんなでね。 B「救急車を呼んだりとかしてたの? A「いや。見てただけ。 B「野次馬だなあ。 A「違うよ。横目で見ながら通り過ぎただけ。 B「ん? A「野次馬なんかしないよ。他の人も、意外と無関心だったね。何事もなかったように通り過ぎてたから。あれだろ、素人が下手にいじっても困るからね。救急車が来るのを待ってるしかないじゃん。結局ね。電話はトラックの人がしてたし。そしたら、もうすることなんか無いじゃん。興味はともかく、いたってしょうがないからね。しかも、こんな朝の忙しい時間だし。 B「まあそれもそうかもなあ。 A「でもあれだよな。そうやって便利になっていく中で失われたものって大きいよなあ。怪我しても誰も手を貸してくれないわけじゃん。見方を変えれば。あんなに人がうようよしているっていうのにさ。 B「まあ、そういった社会問題はおいといてだ、それじゃあなんで遅れたんだよ。 A「ああ、 B「どうせ寝坊したんだろ。 A「そういうのが、近代の希薄な人間関係を生むんだよ。交通事故だぜ。それはもうしょうがないってものだよ。(がた……女が座っていたイスに座る)…………ん?何これ? B「だから事故現場を通り過ぎただけだろ。通り過ぎたときにはもう、おまえは遅刻してたんだよ。 A「いや(Bの方に見せる) B「何? A「手帳。 B「ああ、さっきの女の人のだ。 A「女の人? B「そう、会社に行くって言ってたから、たぶん駅だな。ね、マスター。 男「(頷く) B「貸せよ。届けてくる。今から走っていけば間に合うだろ。 A「そんなに美人だったの? B「何言ってんだよ。(取る) A「あ…… B「んじゃマスター、ちょっと行って来るよ。(カラン) A「そんなに美人だったのか。二度寝しなきゃよかったかな。あ、マスター、モーニング1つ。 男「(頷く)…………(ぱたん、こんこん、じゅわー) A「今日は目玉焼き?ちょうど昨日、ここの目玉焼きの話をしてたとこなんだよね。あのさ、あの芯だけトロッとしてるヤツでお願い。 男「(頷き、すでに作っておいたらしいコーヒーを出す) A「あ、早いね。(ずずー)ふう。 舞台暗くなる。無音の映像。駅。女が写っている。Bは……写らない。 A「ごちそうさま。ふう。あいつどこまで追いかけたのかなあ。 男「(コト) A「(ずずー)ふう。この食後の一杯が旨いんだよね。 B「(からん)ふいーー、ただいま。 A「あ、どう、渡せた? 男「(ぱたん、とくとくとく) B「おう、ばっちり。ギリギリ改札を出るところでさ。 A「へえ 男「(コト……グレープフルーツジュースみたいなの) B「え? 男「(すすめるしぐさ) B「あ、いいの?マスターのおごり? 男「(頷く) B「やりっ(ごくごくごく) A「あ、いいな。 B「ぷは〜 A「一気だな。 B「走ったからね。 A「やっぱさ、美人だったの? B「そんなんじゃないって。 A「ふーーん。まあ、いいからそれ早く食べちゃって、勉強しようぜ。 B「ああ、そうか。 またもや暗くなる A「これ…… B「ん? A「やっぱ全部覚えなきゃ駄目だよね。 B「そうだね〜 A「うーーん B「講義に出てれば、勝手に覚えるだろ。 A「出てればね。 B「(もくもく) A「あ〜あ。 C「(カラン)いやあ、暑いねぇ。 男「………… C「アイスコーヒー一つ、いや二つもらえる? 男「(頷く) C「(無言なのにちょっとびっくりしながら腰を下ろす)暑い暑い。 A「(ひそ)あの人、ここ初めてだね。 B「(ひそ)びっくりしてたねぇ。 C「(ピッ)あ、もしもし、部長ですか?ええ、今、例の取引先に回ってきました。いえ、以外とすんなり会わせてもらえましたよ。手応えアリですね。やっぱりアレが効いてるんじゃないですか。これから、B社とC社回ります。この分なら期待できると思いますよ。 男「(コト) C「ああ、ありがとう。それで、報告書は夜にでも書いて、明日のアサイチで出しますから。ええ、じゃあそういうことで、よろしくお願いします。(プッ)ふう(ごくごくごく…………)ぷはーー(おしぼりで顔を拭きはじめる) 男「(コト) C「(首なんかも念入りに拭いている)やれやれ、しかし暑いなあ。(メニューで扇ぎはじめた) 男「(LPが終わりそうになったんで、次を選びはじめた) C「あっ、リクエストしていい? 男「(頷く) C「【なんかテキトウに、ちょっと意外な趣味を披露するとか】みたいなの、かけられる? 男「…………(頷く) C「今時LPなんて、貴重な店だね。好きだよ、俺。あ、雑誌ある? 男「(奥を目配せする) C「ああ…………(がた)………………あれ、学生さん。テスト勉強かい? A・B「……………… C「いやあ、けっこうなことだ。やっぱり学生は勉強が本分だからね。 A「はあ。 C「最後の悪あがきってやつ?まあ、がんばりなよ。(自分の席に戻って、アイスコーヒーをちびちびやりながら、雑誌をバラバラめくる) B「(ひそ)あの人、この店で浮いてるよな。 A「(ひそ)忙しいサラリーマンが来る店じゃないよ。この店は。 A「あ、ところで、ここ訳した? B「ん、どこ? A「29Pの上の段のあたり B「ん(ぱらぱら)、したよ。 A「みせて B「はい A「さんきゅ B「(また、自分のことをやる) A「ありゃ、やっぱり B「ん、どした? A「意味が違ってた。どうりで後ろを訳してて、変な感じになると思った。アヒルの話から、詩人の話になるからさ、おかしいと思ったんだよ。人名だったんだな。 B「……いや、それ以前にグースはガチョウだぞ。 A「……がちょーん。 C「(ぴろぴろぴろ)ん?(メールが届いている)なんだよおい、10時に駅って、今そんなこと言うなよなあ。しかもメールかよ。まったく、もうちょっとゆっくりさせてくれよぉ。ちっ、しょうがねえなあ。マスター勘定おねがい。 男「…………(がちゃがちゃ) C「…………450円?2杯だよ。 男「(頷く) C「? A「……お代わり自由なんですよ、ここは。 C「あ、そうなの? 男「(頷く) C「ふーーーん。それじゃあ、はい。 男「(釣り銭を取り出す) C「あのさ、一杯目と2杯目と、味とか変えてたでしょ。一杯目は氷も少なかったし、味もちょっと薄くて一気に飲みやすかった。2杯目は、氷をちゃんと入れてゆっくり飲んでもぬるくならないようにしていたし、味も濃くて味わえるようになってた。違う? 男「(釣り銭を渡す) C「…………(困って学生二人を見る) B「………あの、マスターはいつもそんな感じなんで、気にしないで下さい。 C「…………まっ、そういうわけでさ、おいしかったよ。ごちそうさん。 C「(カラン)………………あのさ、また来るよ、近くに来たときは。この店気に入ったからさ。それじゃ。(コロン) B「また来るんだって。 A「意外な常連の誕生に立ち合っちゃったな。 B「うん。 A「あ、それでここの訳なんだけどさ。 【暗転】 閉店後の喫茶店。マスターと女がいる。テレビが付いている。Aの部屋で見ていたのと同じドラマが流れている。 女「(消す)いいのやってないわね。 男「(レコードをかける) 女「待ってましたとばかりに音楽をかけるんだから。 男「………… 女「…………何年かぶりに会ったっていうのに、相変わらず無口なのね。 男「………… 女「男は日に三言っていうけど…………あなたの場合、一言もしゃべらない日もあるんじゃないの。 男「…………(新しいコーヒーを入れはじめる) 女「転勤でね。またこの近くに来たのよ。驚いたわ。まだここがあったなんて…………あのとき、ここもつぶしたんだとばっかり…………。 男「………… 女「………… 男「…………(コト) 女「ありがと。(かちゃかちゃ) 男「………… 女「ねえ、わたしまたこの近くにアパートを借りたの。前のところじゃないんだけどね。だから…………また、時々は、ここにコーヒーを飲みに来ることもできるわ。 男「………… 女「いいかしら、またここに来ても。 男「………… 女「わたしは、あのことはもう終わったと思ってるわ。そりゃあ傷跡が残らなかったといえば嘘になるけど……過去のことになったと思ってる。上手くいえないけど、もう昔のことなの。 男「………… 女「とにかく…………(迷う)あなただって、昔のことから逃げてるだけよ。だから………… 男「………… 女「明日も来るわ。 男「………… 女「…………それじゃ。 女去る。 誰もいない店内(と舞台)、マスターはふと引き出しの中から写真を取り出す。 そこには、マスターと女、そして見知らぬ(この芝居には出てこない)女性がうつっている。(とかいうのは観客からはたぶん見えないだろうけど) 【暗転】 明るい店内、A以外の登場人物が全員いる C「なあ、聞いてくれよ。ワシなあ、今、恋しとるんやって。 B「へえ、おじさんが恋? 女「どんな人なんですか? C「それがな、今の会社の経理の子なんやけどな。顔はまあ、10人前なんやけど、声がな、かわいいねん。もう、なんつうかな、鈴を転がすようなちうか……。それでな、その声で毎日おはようございますゆうてくれるともう……(感無量で言葉が続かない様子) B「へえ。 C「なあ、女性としての意見を聞きたい。どうしたらええと思う? 女「えっ、わたし? C「そう、どうやろうなあ。正直に言うとな、その、女性と、あの、つきあうゆうんは、あれや、あんましないんや。経験がな。そやから、どうかなあと。なあ、学生さん、どう思う。 B「どうって、どう? C「そやけん、魅力あるかな、ワシ。 女「仕事をしてる女性としては…… C「ん? 女「やっぱり仕事の出来る人って見てますよ。ちゃんと。 C「そうかあ、でもなあ…… 女「何か? C「いやあ、見てないねん、たぶん。ワシの仕事ぶりな。経理やろ、こっち営業やからなあ。 女「でも、話題になるでしょ。デキル人って、課が違っても。 B「そういうのって、やっぱり給湯室で? 女「そう、給湯室で。 B「イヤな上司には、ぞうきんの水でお茶を入れたりとか………… じりりりりりりん、じりりりりりりりん、じりりりりりりん、じりりりりりりりん 一同「(…………) じりりりりりりん、じりりりりりりりん、じりりりりりりん、じりりりりりりりん 一同「(マスターを見る) 男「…………(がちゃ)…………………………………………………… B「(ひそ)マスターしゃべらないのかな、電話なのに。 C「(ひそ)このままやったら、逆いたずら電話やな。 男「…………………………はい。(ちん) B「(ひそ)なんか、……すごいですね。 C「(ひそ)電話で一言しかしゃべらないってのも、あれだな。あれで先方とちゃんとコミュニケーションとれてるんか? B「(ひそ)ですよねぇ。というか、僕初めて聞きましたよ、マスターの声。 C「(ひそ)そうなんか。あんさんいつから通っとんや? B「(ひそ)なんだかんだでもう半年近くは。 C「(ひそ)それで初めてか。 男「……(コト) C「あ、ありがと。 女「ヨシヒロさんの電話って、あんなモンよ。 B「え? 女「私が電話したってあんな感じよ。 男「………………(エプロンを外しはじめた) C「あれ、マスターどっか出かけるのか? 女「すぐ帰ってくる? 男「(頷く) 女「そう。じゃあ、私たちここで留守番してるから。私、あと1時間ぐらいはいるつもりだったし。 男「(頷く) 女「コーヒー、勝手に入れて飲んでるわよ。 男「(頷く) マスター退場 C「そうかあ、今日は彩ちゃんの入れたコーヒーが飲めるんかあ。それはそれでラッキーやな。 女「やあね。自分の分は自分で入れて下さいよ。 C「なんや、きついなあ。 B「あ、僕入れましょうか? C「ええ、ええ。コーヒーにはちょっとこだわりあるねん。学生が入れるコーヒーなら、自分で入れるわ。 B「ひどいなあ。 C「よっしゃ、ワシが彩ちゃんの分も入れたろ。ほら、貸し。 女「あら、でも悪いわ。 C「なんでやねん。この中やったら、ワシが一番コーヒー入れるの上手いねん。自信あるで。どうせ飲むんやったら、旨いコーヒー飲みたいやろ。ほら、学生もかさんかい。 B「あ、それじゃあお願いします。 半ば強引に女のカップも取って、カウンターへ。 C「職場でもな、ワシがコーヒー入れとるんや。つうても、外回りやからほとんど会社にはおらへんけどな。上手く入れられるヤツが、入れればええ。女の子にいれさすようなとこは、これからは通用せんからなぁ。これが男女平等や。 B「へえ、進んだ職場なんですね。 C「ええか、学生。男女平等やゆうて、ほしたら、今度は男が茶を入れるんかゆうたら、それは違う。暇なヤツが入れればいいし、暇なヤツらの中でも、上手く入れられるヤツが入れればええ。ワシはそういう考え方やねん。 女「いい考え方ね。 C「そやろ。 女「うちのハゲ頭に聞かせてやりたいわ。 C「やっぱりお茶くみやらやらされよんか? 女「お茶はさすがにセルフよ。建前上はね。でも、結局お茶くみとかやって上司にアピールしないと、仕事が回ってこないのよ。男の子には、黙ってても仕事をまわすくせにね。 B「やっぱりそういう職場って、多いんですね。 C「まあ、でも、男にも事情があるからな。女に家庭にいてもらいたいゆう。 女「あら、どうして? C「女があんまし仕事、仕事ゆうと、結婚せんようになるやろ。いや、それは結局、男社会やから、仕事するためには、男になるしかないからなんやけど、つまり、会社の方としては、女は結婚したら退社するから、仕事は任せられんとなるし、ほやったら、女の方は、私、結婚しませんとなる。実際、仕事がおもしろくなるんは30ぐらいや。それまでがんばってきて、さあ仕事がおもしろくなってきたゆうところで誰がやめるねんな。あんまし男女平等いいよったら、子供がおらんようになってしまうで。おっと、もうええか。 コンロの火を止める C「ええか、学生さん。コーヒーゆうんはな、いや、料理にしたって、愛情だとかそういう非科学的なことゆうとったらあかんで。これからの時代はな。愛情とかいう女はな、向上心がない。いうなればこれは化学反応や。そやからな、きちんと勉強して、今このポットの中では何が起こっとるのか。それを想像するんや。そうすれば、火加減や抽出時間は自ずとあきらかや。 B「へえ〜 女「慣れてるわね。 C「使ことる道具がうちにあるんと一緒やからな。 B「へえ。 C「ほい。 B「あ、どうも。 C「さっと。 女「ありがと。 C「飲んでみいや。 B「いただきまーす。(ずずーーーー) C「どや、旨いやろ。 B「あ、ホントだ。マスターのと同じ味だ。 女「(ずずっ)あら、そうね。 C「おいおい、素直に旨い言えよ。(がた←自分のイスに戻った音) 女「ねえ、土橋さん。黄色っぽい表紙の、「美味しいコーヒーとは」って本知ってる? C「へ? 女「出版はどこだったかなあ。 C「凸凹(でこぼこ)出版か? 女「そう、その変な名前の出版社の外人の作者のヤツ。 C「よう知っとるがな。でも、あれそうとう古い本やで。 女「ふーん、それでか。 B「なんですか? C「わしな、それ見てコーヒーの入れ方勉強したねん。 女「ヨシヒロさんも、ここ開くとき、それ見て勉強したっていってたわよ。 B「へえ、偶然ですね。二人して同じ本を読んでたわけかあ。 C「なるほどな。どうりで懐かしい味がするわけだ。(ちょっと、微かに、しんみり) 女「私たち、ずいぶん実験台にされたもの。(ちょっと、微かに、しんみり) B「マスターも、最初からコーヒー入れるの上手かったわけじゃないんだ。 C「当たり前や。何事も勉強やで。学生。 B「でも、なんか意外ですよね。 C「誰でもな、努力して今がある。 女「そうよ、学生さん。 B「そんな、学生学生って。 C「ま、学生やからな。かわいがっとるんやないか。 B「それはそうと、マスターってヨシヒロって言うんですか? 女「え? B「さっきからヨシヒロさんって言ってるのが、ここのマスターのことなんですよね。 女「ああ、そうか。みんな名前なんて知らないもんね。 C「あの通りやからな。名前どころか、年も星座も血液型も知らんで。ま、男やゆうんははっきりしとるけどな。 女「うーーん、私も血液型はしらないなあ。 C「上もしっとるんか? 女「ん、大熊だと思うけど。わたしも滅多に名前なんて呼ばないもんだから………… B「大熊ヨシヒロ…………へえ。 C「何となくそれっぽいな。 女「なによそれ。 B「あの、ついでにもう一つ………………もう長いんですか? 女「ん? B「つきあってから。 女「ああ……そうね。なんていうか……長いわね。今でもつきあいのある人たちの中では一番長いかもね。 B「え? 女「なんだかんだで15年……もっとかなあ。中学校の頃からだから…… C「へえ……中学が15年前で………… 女「ちょっと、数えないでよ。 B「友人…ですか? 女「え? B「いえ、だからその…………僕はてっきり………… 女「? C「いや、ワシもな、いつ結婚するんかと思いよったぐらいやで。 女「なによそれ。 C「いや、なあ。 B「ねぇ。 C「この前、彩ちゃんのおらんときにカケしたんや。わしら二人は、付き合ってるにかけとったんやけどな。 女「残念でした。ぜんぜん違うわよ。私にとっては、…………いいお兄さんって感じかな。 B「あれ、同い年じゃないんですか? 女「失礼ね、喜多くん。一体私をいくつだと思ってるのよ。 C「いくつや? 女「………… B「だって、中学の頃からってさっき………… 女「知り合ったときは、わたしが中学生だったの。もう、どうしてそれが同い年になるのよ。そのときはあの人、もうここをやってたわよ。 B「あ………………すいませんでした。ああ見えてマスターって意外と若いんだとか思って…………その彩さんの年齢のことを言うつもりはなかったんです。 C「ほら、マスターって年齢不詳やからな。見ようによっては、意外に若こう見えるやん。な。 B「そうそう。 女「…………もういいわ。 C「ということは、今はいいひととかはおらんわけや。 女「どうせ、こんなところにコーヒーを飲みに来るような暇人ですよ。 C「へえ、それやったら、ちょっとワシもがんばらんとな。 女「何を? B「経理の声のかわいい子はどうするんです。 C「あかん。しもうたな、その話するんやなかった。 B「してなかったら、二股かけるんですか? C「それが男の性や。男はな、あちこちに自分の安らぐ場を求めるんや。そうでないとな、夜もよう寝られん。いつまでたっても、ハナタレなんや。それがええんや。 B「そんな、情けない………… C「ま、社会に出て、厳しさに揉まれたら分かる。今はまだ学生やからな。 B「………… C「そうか、こら、ええコト聞いたわ。 女「土橋さん、先に言っておきますけど、私、だれともおつきあいなんてする気ないですからね。無駄ですよ。 B「え? C「なんで? 女「なんでって。いいじゃないですか。 C「仕事一筋か。 女「そんなもんです。 C「ああ、あかん。このままでは日本の人口はどんどん減っていってしまう。ほら、学生もびっと何か言うたれや。 B「え………… C「(ぴろぴろぴろぴろ) B「あ、鳴ってますよ。 C「なんや(ぴっ)はいもしもし。はい、そうですが。あれ、ないですか?いえ、僕の机の…………はい。 B「…………あ、そうだ。それじゃあマスターは、誰かつきあってる人いるんですか? 女「…………しらないわよ。 B「そうですよねえ。 女「………… B「でも、何か女嫌いって感じですよね。マスターって。 女「そうでもないんじゃない。 B「昔はあったんですか? 女「え? B「誰かとつきあってたとか………… 女「………… B「意外とファンとかいそうですよね。あの寡黙なところがクールで格好いいとかいって、毎日通ったりとか。バレンタインデーにチョコレートを渡したら、黙って受け取って、駄目かと思ってたら、その日のコーヒーにちょっと何かついてるんですよ。クッキーとか、ケーキとか。ああ良かった、喜んでくれてたんだぁとか。一喜一憂ですよね。相手がああも寡黙だと。仕草から読みとるしかないですからねぇ。大変だろうなあ。よっぼと好きじゃないと、駄目ですよね。 女「……………… C「え、やっぱり駄目?いえ、ですから上から2番目の引き出しの奥ですよ。丸いケースに入ってるんです。赤いのじゃないです。黒いやつ。小さいですよ。こんぐらいです。あ、いや、手のひらの半分ぐらいの大きさのやつです。 B「…………何か、大変そうですね。 C「分かりました、これからすぐ社に帰りますから、ちょっと待ってて下さい。(ぴっ)……………いかん、やっぱり電話じゃ駄目やな。おふたりさん、ワシちょっと用事が出来たよって、お先に失礼するわ。 女「しょうがないわね。(レジの方へ)それではお客様、お会計450円になります。 C「コーヒー入れたやん、アルバイト料は? 女「450円になります(にこにこ) C「かなわんなあ。(千円札を出す) 女「それでは、550円のお返しになります。 B「なんか、手慣れてますね。 女「昔ここでアルバイトをしてたことがあるのよ。 C「こんな暇な店で、バイトなんかいらんやろ? 女「昔はこれでも流行ってたのよ。美人の店員さんもいたしね。 C「まあ、駅も近いし、もっと流行ってもいいよなあ、この店は。 B「美人の店員さんって彩さん? 女「私は、忙しい時間だけ来るアルバイト。昔はいたのよ。美人の店員が。 B「………………(聞きたいが、聞いてはいけないような気がする) C「……なんや、その頃から来とればよかったなあ。そしたら両手に花やったやんか。 女「その頃は土橋さん京都でしょ。もう何年も前のことだもの……。それより、いいの?行かなくて。 C「おっといかん、忘れとった。じゃあ諸君、またな。(あわてて退場) いちど暗くなる 女「あら、美味しいじゃない。 B「でも、土橋さんやマスターのと比べると全然ですよ。 女「そんなことないわよ。喜多君の味ね。ヨシヒロさんのとは違うけど、美味しいわよ。 B「(照れる)………でも、彩さんが横浜ファンだったなんて意外でしたね。 女「そう?私に横浜を語らせたら長いわよ。一晩中喋っててもまだ話し足りないぐらい。 B「え……。 女「あ、それよりさ、君のお友だち最近見ないけど、どうしてるの? B「守ですか? 女「そう。 B「さあ、最近は学校でも見ないなあ。 女「ふーーん。 B「どうかしたんですか? 女「ちょっと前に来たとき深刻な顔してカウンターに座っててさ、悩みでもあるのかなあと思ってたら、最近こなくなったでしょ。気になってね。 B「大丈夫ですよ。そうやって気を引くのがあいつの得意技ですから。彩さんも気をつけてください。 女「ぷっ。そうかあ、私なんかでも、まだ彼の守備範囲なんだ。 B「……………… まあ、仮になんか悩みがあったって、周りがそんなに心配するほどのものでもないですから。あいつはいつもそうなんです。人を頼ったり相談したりするのが嫌いなんですよ。何だって一人でさっさと決めちゃうんだから。だいたい行くとこだってもう決まってるのに、悩みだなんて贅沢だ。 女「あ、……まだ決まらないの? B「決まりませんよ。僕は守みたいに要領よくないですから。 女「……………… B「あ、ちょっとトイレに行ってきます。(一時退場) からん、ころん。 マスター、荷物を持って帰ってくる 女「おかえり。 男「(頷く) 女「………………ねえ。あした、どうするの? 男「………… 女「……まだ、決めてないの?わたしは……行こうと思ってるんだけど… 男「…………(がさがさ) 女「ねえ。 B「(じゃーー)あ、マスター、もう帰ってたんですか。 女「…………それじゃあ、わたしもう行くわ。 B「あ 女「そろそろ課長がおかんむりだと思うしね。 男「………(レジを操作する) 女「はい。 男「……(お釣りを出す) 女「あ、そうだ。土橋さんの分、もらっておいたから。 男「(頷く) 女「それじゃあ、また。(からん) B「………………(がたん) 男「(こぽこぽこぽ) B「……………… 男「(かた) B「あ、……ありがとう、マスター。(ずずー)やっぱり、僕が入れたのより美味しいなあ。 男「……………… B「………………(鞄から本を取り出した) 男「(イスに座って音楽を聴き始めた) B「(本を読んでいる、今ひとつ集中しきれないように見える) 男「……………… B「………………ねえ、マスター。変なこと聞いてもいいですか。 男「……… B「最初は女の人と二人でこのお店を出したって、それやっぱりマスターの奥さんかなんかだったんですか? 男「……………… 音楽が終わる 静寂 B「あ、その…………すいません。変なこと聞いちゃって。 男「(無言のまま、新しいレコードを選んで、かける) B「………… 男「(イスに座って、何事もなかったように音楽を聞く) B「…………(また、本を読み始める) ゆっくり照明が落ちる B「あ、もうこんな時間だ。マスター……お勘定。 男「………(がちゃがちゃ) B「はい。(ちょうどだったらしい) 男「……… B「それじゃあ、マスター。……………あの………それじゃあ。(からん・ころん) 【暗転】 A「ふーーん、まだ就職決まらないんだ。(うわのそら) B「うん。 A「ふーーん。 B「……何やってんの? A「ちょっと……(それはすごく下らない他愛もない何か) B「………何やってんだか。 A「けっこうはまるぜ。 B「それより、人の話ちゃんと聞けよ。 A「はいはい。(止めようとしない) B「……決まった人は余裕だね。 A「…………… B「…………… A「……余裕だよ。 C「(からん)うーー、さみー。 男「(こぽこぽこぽ) C「こういう日も外回りとは、サラリーマンはつらいね〜。 A「でも、こうしてここでさぼれるんだから、いいじゃないですか。 C「さぼっとるんやない。英気をやしなっとるんやって。 A「はいはい、そういうことにしておきましょう。 C「ようゆわんわ、人の苦労もしらんと。(がた)………なにやっとんや。 A「ん…… C「くだらんことやっとるなあ。 A「意外とはまりますよ。 C「あれ、久しぶりやな。 B「そうですか? C「何しとったん、最近は。 B「ん……就職活動……かな。 C「へえ、ほんでどうなったん。どっかええとこ見つかったか? B「…いえ、まだ。 C「うちの会社くるか? B「ははは。 C「そうか、まだ決まっとらんのか。でも、もう決めんと、ぼちぼち締切りとちゃうんか。 B「そうでもないですよ。まあ、最後の悪あがきに近いモノはありますけど。 C「ほんで、内定はいくつもろとんや? B「……1つ。 C「行くんか? B「…………… C「まあ、行くんやったら、もう就職活動なんかせんわな。 B「………嫌いな職種じゃないんですけどね。 C「まあ、試験やら面接やらも受けたわけやからな。 A「行く気もないようなとこの面接なんて、なんで受けたんだ? B「……………… C「まあ、ほら。押さえゆうか、滑り止めゆうか。選びたいやろ。どっちみちそこにはいかんにしても、数をそろえて、選んだっていう気持ちがあるからな。ま、ワシもそうやったし。もっとも、ワシの場合はバブルの頃やったから、内定が二桁行く奴とかもおったし、今は大変やんなあ。 B「………………… A「変なシステムですよね。内定とか。 C「え? A「仕事を決めるのに、そんな細々としたシステムに振り回されてるのって、なんだかすごく滑稽だ。 B「喧嘩売ってんのか? C「は? 男「(こと) C「あ、ありがと(ずずー) A「滑稽だと思うから、おかしいなって言っただけだ。なんでそれが喧嘩を売ってることになるんだ? B「………! C「まあ、おちつけよ。 A「そっちが勝手にいらいらしてるだけだろ。当たるなよな。 C「言い過ぎだって。 B「帰る。マスター、ごちそうさま! 男「……(レジを操作する) B「………(お金を渡し、退場) A「…………… C「………君たちのことに口出しするつもりはないけど、もうちょっと言い方に気を配った方がよかったんじゃないか?友達なんだろ。 A「……………… C「謝った方がいい。彼は就職が上手くいかなくていらいらしてるんだから。 A「………………土橋さん…… C「ん? A「しゃべり方、普通になってますよ。 C「………あのねえ。 A「大丈夫ですよ。お互い子供じゃないんだから。 C「………君の方も、何かあったのかい? A「……………… C「……………… A「…何もありませんよ。 レコードが終わる 男「………(取り換える) A「ベタベタしたの嫌いなんです。顔色をうかがって、気を使って…… C「それはしかたのないことだね。君も就職したらわかるよ。社会に出れば……教師だっけ。それこそ、人間関係を仕事にしてるようなもんだ。 A「それ、脅しに聞こえますね。 C「え? A「それって脅しですよ。 C「………まあね、僕は君と議論するつもりはないよ。ここには休憩に来たんだ。(コーヒーを持って、ボックス席へ) A「……… Cは週刊誌を読み、Aは下らないことを続ける。 C「君のは甘えだ。 A「……… C「僕が脅したとすれば、君は甘えてる。 A「そうかもしれません。 沈黙 A「ねえ、土橋さん。 C「ん? A「……… C「……なんや? A「……時が流れても変わらない人間関係ってあるんでしょうか。(質問ではなく独白的に) C「…………なんやいきなり。哲学か? A「………茶化さないで下さい。 C「(ふう)時がどないしたって? A「僕がこうしていられるのもあと数ヶ月なんだなあと思って。そしたら、このお店には来れなくなるから。 C「ワシはまたいつでも来れるけどな。(意地悪に) A「…………… C「でもまあ、ここに来たら君らや、彩ちゃんやら、読書老人やら、花屋やら、セイさんやら、そんでマスターがおって、静かにコーヒー飲んで、たまに騒いで…………君らがいなくなれば、ここも変わるわな。せやって、ワシが来る前は、また違った雰囲気があったやろうし、君らが来る前だってそうや。変わらずにはおれんよ。どこで変わったというのを受け入れて、過去を手放すかゆうことや。同じ様に見えて、毎日変わっていきよる。あとは踏ん切りの問題や。ここやってな、夏ごろとはずいぶん変わった。まず花屋が来るようになった。あのクソぼけが、露骨に彩ちゃんをくどくよって、せっかくの店の雰囲気がぶちこわしや。それを読書老人が…………そういや読書老人は最近みかけんな。 A「(緊張がゆるむ)息子さんちに引っ越しました。この前、挨拶に来てましたよ。山形の米沢だそうです。 C「そうか。 A「嬉しそうでしたよ。 C「そらそやろ。やっぱり一番は家族や。 A「どんどん変わっていきますね。 C「せやな。 A「あ、時間なんで僕帰ります。マスター。 男「(レジを操作する) C「最近早いな。何かやっとんか? A「(Cに対して曖昧に笑った後、お金を払う) C「……………… A「話をしてくれてありがとうございました。 C「そうか。マスターじゃ、壁に話すようなもんやからな。 A「コーヒーにタバスコ入れられますよ。 C「ちゃうちゃう。誉めとんや。なあ、マスター。男にはな、黙って聞いて欲しいときがある。しかしま、おまえじゃまだ分からんよ。この気持ちはな。おまえの相手は、まだワシで十分、ちゅうことや。 A「はいはい。じゃあ、また。(からん・ころん) C「(カウンターへ)…………なあ、マスター。…………若いなあ。 男「………… C「いいよなあ、若いって。ああやって話せるってのはいいことだよ。もうどうしょうもなく苦しい悩みでも、ああやって人に話していけば軽くなる。ワシらみたいに話せなくなると…………ヘドロのように重く底の方に沈んだまま抱え込んで、日常の忙しさで埋め立てて見えなくしているだけで、消えることはなくなる。マスター、もういっぱいコーヒーをいれてくれるか。語れぬあの日と同じ味のコーヒーをな。 男「…………(こぽこぽこぽ) 【暗転】 暗闇の中、コーヒーをいれる音だけが響いている Aの部屋。Aがコーヒーメーカーの説明書を片手にコーヒーを入れている。 A「…………よし、これで出来上がりかな。どれどれ(ずずーー)うーん、美味しいのかなあ、これ。分かんないなあ。とりあえず、コーヒーの味はするけど…………。 ぴんぽーん A「ん? B登場 B「よ。 A「ん。 B「今ひま?上がっていい? A「うん。 B「あれ、コーヒー…………何これ?買ったの? A「ああ。飲むだろ。(かぽ……コーヒーの缶のふたを開ける) B「うん。 A「久しぶりだね。 B「…………… A「この前は………… B「いいよ、その話は。 A「ん。 B「土橋さんにも相談にのってもらってね。とりあえず行くとこ決めたんだ。 A「そうか(こぽこぽこぽ) B「…………最近来ないと思ってたら、自分で入れてたのか。 A「そういうわけじゃないけど、いろいろ忙しかったからね。 B「学校は?会わないけど。 A「まあ、最低限だけは行ってる。 B「ふーん。 A「どうしたの? B「東京に行ってるんだって?最近。 A「……まあね。 B「何しに? A「…………ちょっとね。 B「買い物とかじゃないよね。 A「…………まあね。 B「……何? A「誰に聞いたの? B「誰だっていいだろ。 A「…キョウコ?……………(座る)キョウコ、他には何か言ってたか? B「分からないって言ってたよ。(かちかち) A「………… B「苦しいって。(ずずー) A「僕は意外と苦しくない。 B「そう……それ、及川(おいかわ)さんに言ってやろうか? A「…………これ以上彼女を傷つけたいのか? B「!…………いいや。 A「怒った? B「怒らせたいのか? A「…………そういうわけじゃないんだ。 沈黙 B「君はもう、及川さんのことなんかこれっぽっちも想ってないんだ。そうだろ。 A「ああ。 B「かわいそうだよ、及川さんが。君が教採を受けて地元に帰ってくるって、信じ切っていたからな。おまえが受かったって聞いたとき、彼女、おまえよりよっぽど喜んでいたよ。何でおまえが喜ばなかったのか、不思議だったんだ。最初はおまえのいつものポーズだと思っていた。カッコつけてるだけだとな。でも違うんだ。ホントは落ちるつもりだったんだ。 A「そんなんじゃない。ホンキで思っていたよ。地元に帰って教員になるって。 B「言い訳はナシだ。知ってるよ。立木(たちき)先輩だろ。 A「……… B「東京に出て音楽をやってるとは聞いてたけど、まさかおまえと一緒にやっていたとはな。 A「へえ、誰から聞いたんだ? B「付き合ってる人が地元にいるって言ってなかったんだな。東京に来いって言ったら、即答だったって言ってたぞ。もしその話を知ってたら誘わなかったってさ。おまえ、このまえ帰省したときも、彼女と会ったんだろ。どういう神経してんだよ。そんなもん、ほとんど二股だろ。 A「……直接聞いたのか。どうりでこの前会ったとき、立木さんの様子がおかしいと思ったんだ。 B「…… A「そうだな、ほとんど二股だよな。 B「何考えてんだよ。おまえがそんなヤツだとは思わなかったよ。 A「………昔の記憶がね、ないんだよなあ。キョウコと何して楽しかったとか、事柄は覚えてるんだけど、まるで知らない人の手帳でも見てるような気分なんだ。何がどう楽しかったのか覚えてない。一緒にデートしたのは覚えてる。でも、その時の自分の気持ちや、あいつの表情なんかが思い出せない。手帳に赤丸がしてあって、キョウコとデートって書いてあるのが分かるだけなんだ。 B「だからなんだよ。 A「過去になっちゃったんだよ。あいつとのことは。 B「なあ、立木先輩の話って、教採の前なんだろ。それ、おかしいよ。及川さんと別れるつもりなら、何で勉強するんだよ。何で受かっちゃうんだよ。 A「………過去に義理を立てたのかな。 B「もう過去のことなんだな。 A「……そうだ。 B「もう、他人の恋愛話に口は出さないよ。おまえらの相談に乗ってやるには、僕は近くにいすぎたんだ。 A「………… B「おい、そんな簡単にすませちゃっていいものなのかよ。そんな急に過去になったっていったって納得しないぞ。 A「もうずっと、ずうっと前から過去になってたんだ。 B「遠距離だから駄目なのかよ。そんな根性なかったのか、おまえは。 A「…………根性じゃないよ、こういうことは。 B「…………とにかく、もうおまえらのことに僕は口を出さないから、好きにすればいい。 A「ああ。 B「………… A「冷めちゃったな、コーヒー。 B「…………ああ。 A「……それ、入れ直すか? B「ああ、そうだな。 【暗転】 映像。いつもと変わりない朝。マスターが開店の準備をしている。ふと道路に目をやると紙切れが道路を舞っていて、車が通るたびに踏まれたり、舞い上げられたりしている。それをじっと見つめるマスター。 映像。開店準備をやめ、歩き出すマスター。 映像。歩道橋にたどり着き、空を見上げるマスター。 女登場 女「あら、この札、まだ使ってたんだ。 そこには、女性の字で、可愛らしく「準備中」と書かれている 女「いつもなら、もうあいててもいい時間なのに。(がちゃがちゃ……鍵もかかっているようだ)……しょうがないわね、コンビニでも行くか…… ふと、気になってふりかえる。 女「………… Aが荷物を持って道を歩いている。ふと前を見る。歩道橋があって、マスターがいる。 A「(マスターを見つけて驚く)喫茶店以外で見るのなんてこれが初めてだ。………それで、最後なんだな。 男、実にあっさり飛び降りる。 A「あっ。 B「僕はそのときそこにいた。そしてただじっと見ていた。僕はその日、新しい会社の新人研修があるということで、いったん郷里に帰るつもりだった。そしてふと目を上げてマスターを見つけた。その時だった。 B「僕はびっくりして動けなかった。僕は……見間違いだったんだろうか?全然知らないおじさんで…………僕たちに何の関係もない…………立ちつくしている間に救急車が来てそして去っていった。僕は駆けだした。 B「その日、結局僕は帰らずに、喫茶店に行ってみた。そこには、泣いている彩さんと何人かの常連の姿があった。土橋さんがコーヒーを入れてくれて、みんなで飲んだ。守の奴は来なかった。 【暗転】 終章 Aからの手紙 そこはマスターが死んでから数日後の喫茶店。女とCがいる。自分でコーヒーを入れ、自分で音楽を流しているようだ。何故喫茶店に入れたのか?それはアルバイト時代にマスターが合い鍵を渡していたからだろう。 C「そうか、そういうわけやったんか。 女「そ。これで私の話はおしまい。次は土橋さんの番よ。 C「大して話すことなんかないで。昔好きやった女がな、好きやった男、つまりワシは片思いやな。その男がコーヒー入れよってん。家が喫茶店やっとったとかでな。旨かった。それまでインスタントばっかりやったからな、コーヒーゆうんはこんなに旨いモンなんかって感心したもんや。 C「三人でようそいつの部屋に溜まっとってな。彼女がそいつを好きやゆうんはわかっとったから、自分の気持ちは隠して、ええ友達としてやっていけたらと思いよった。(ずずー) C「ある日な、いつもは電話してから行くんやけど、近くを通ったときええコーヒーの匂いがしたから、何気なしにそいつの部屋に行って呼び鈴を押したんや。何も考えてなかった。いつものように、あの部屋でビデオでも見ようか、ぐらいに考えとったんやけどな。部屋に入ってから気が付いたわ、その部屋でワシが来るまでに何やっとったかな。何ゆうたか覚えとらん。いや、思い出したくないんかな。何かずいぶん長いこと何か叫んどった。それで、終わりや。何やったんかな、アレは。ま、苦い青春の思い出や。 女「……… C「ありきたりの、あほくさい話やな。こういう時でないと、よう話さんわ。あ、そうそう。そいつがな、そいつの親父にもらった本ゆうんがあの本や。今はワシのところにあるけどな。返しそびれてしもうてな。 女「そう。 C「なんだかんだゆうても、楽しかったと今は思もとる。ここへは、その楽しかった頃を懐かしみに来とったんかなあ。自分でもようわからんけどな。(ばつが悪くなって)そろそろワシ行くわ。またどっかで会うたら、お茶でも飲もうや。 女「そうね。 C「元気だしなよ。ほしたらな。 C「(からん)………なあ、彩ちゃん。こういう言い方するんもなんやけど、マスターがおらんようなって、彩ちゃんも過去から解放されたんとちゃうんか? 女「(曖昧にほほえむ) C「ま、花屋みたいなんには引っかからんようにせえよ。(ころん) 沈黙 女「(引き出しをあける)やっぱりここにしまってたか。 女、ポケットからライターを取り出す。しまう。写真を見る。写真もポケットにしまった。 B「(からん)やっぱり彩さんか。明かりがついていたから…… 女「あら。コーヒー、入れてあげましょうか? B「あ、すいません。 女「会社の方、どうだった? B「一応怒られましたけど、ほら、小さい会社だからそんなに気にしてないみたいです。最後には研修ったって大したことしないからいいよって言ってもらいましたよ。ただ、そのとき配属先を決めたらしくて、悪いけど君の行くとこは営業に決まったよって。 女「そう、悪かったわね。 B「何で彩さんが謝るんです? 女「………なんでかな… B「…そうですね。 女「営業じゃ、土橋さんと一緒ね。喜多君、営業向いてるわよ。きっと。 B「僕も、そう思います。土橋さんを見てると。 女「ああいう風にはなっちゃダメよ。 B「あの人、アレで意外とやり手なんですよ。 女「実は。 B「そう、実は。みんな、隠してるんです。本当のところは。まあ、喫茶店ですからね。 B「マスターなんて、隠していることすら隠してたんですよ。 女「ハイ、出来たわよ。 B「ありがとうございます。 女「どういたしまして。 ちょっと沈黙 女「来週には取り潰すそうよ。 B「え? 女「ここ。土地を担保に借金をしててね。 B「そうですか。 女「でもね。口実なのよ、それは。やるだけのことをやったという口実。 B「………お葬式はどこでするんですか? 女「ああ、もうやっちゃった。 B「えっ。 女「あの人、海が好きだったから、海に返してきたわ。 B「……… 女「……やっぱり驚くわよねぇ。 B「ええ、まあ。 女「あの人、家族ももうなくってね。付き合いのある親戚もなさそうだし、あっても連絡のとりようがないから……。役所に届けだけ出して、それで、残ったものをどうしようかと思ったんだけど、お墓を作っても管理する人もいないし B「そんなの彩さんが管理すれば…… 女「……… B「そういうわけにもいかないですよね。お金だってかかるし。 女「そうね。 ちょっと沈黙 女「私がお墓を作っちゃうと、なんだかヨシヒロさんをわたしのモノにしたような気がして。 沈黙。 B「彩さんこれからどうします? 女「どうもしないわよ。あとは不動産屋がなんとかするんでしょう。いちおう駅前だしね。何か建つんじゃない? B「いえ、そうじゃなくて、いまこれから。 女「ああ。 B「もうちょっといますか?ここに。 女「そうね…… B「あ、あの邪魔だったら帰りますけど。 女「そんなことないわよ。 B「じゃあ、あそこのボックス席借ります。 女「何かするの? B「いや、守からの手紙が来てたので読もうかと。僕の部屋は退去手続きしちゃったし、もうこの街には落ち着いて手紙を読める場所もないんですよ。 女「手紙?ずいぶん分厚い手紙ね。 B「ええ。 女「彼にはヨシヒロさんのこと教えてあげたの? B「いえ、まだ…… 女「…………そう。 Bはボックス席で手紙を読んでいる。女はカウンターで、コーヒーを飲んでいるが、やがて立ち上がる。 女「喜多くん、私もう行くから。鍵はここに置いておくから、出るときにかけて、外のポストに入れておいてくれる? B「あ、すいません。 女「いいのよ。 B「あの、これでお別れですね。 女「え? B「僕も今日この街を出るので…… 女「そう。……………それじゃあ、さようなら。 B「………さようなら。 女退場 手紙を読む。 A声「結局、君が立木さんに話したことがきっかけになったみたいだ。そういう意味では感謝している。立木さんは僕をいいかげんだと言った。僕と音楽を続けるのか、田舎で教師になって彼女と暮らすのかはっきりしろって言った。いや、言ってくれた。僕は見捨てられてないんだなあと思って、そして、少し涙が出た。 B立ち上がり、残っていたコーヒーを入れて、少し飲む。 B「(そっとつぶやくように)マスター、コーヒーのお代わりいいですか? B洗い物をする。 A声「いや、こうしてえんえんと書いてきたことは、実際ただの言葉遊びに過ぎないのかもしれない。僕がどう思おうと、僕が彼女を悲しませた事実は消えないし、僕のしてきたことは誰がどう見ても、不誠実なものにしか写らないだろう。事実は、僕がキョウコを捨てて東京に行ったということ、そしてマスターがいなくなり、あの場所はなくなってしうだろうということ。 A声「あの日、僕は誰にも別れを告げずに、この街を出るつもりだった。あの時、僕の少し前に君がいて、君は僕には気づいていないようだった。そして、その先にマスターがいた。彼が地面に落ちていくのをみたときも何も感じなかった。不思議だった。しばらくして僕はまた歩き出した。君のすぐ横を通ったのに、君は気づかずに立ちつくしていたな。そして僕は、駅に向かった。 A声「最後に一つ。こんな事を書くのはどうかと思うが、不思議なことに僕はマスターの死が悲しくない。だから僕は、立ち止まることなく、そのままあの街を出ていくことが出来たのだろう。マスターに何があったのかはしらないけど、全ては終わったことなんだ。そう思う。東京に来たときはいつでも寄ってくれ。今、いい雰囲気の喫茶店を探している。きっと見つかるだろう。それじゃあさようなら。 B、洗い終わり、手紙をポケットにしまう。 B「おしまい。 B、電気を消して退場。 【 幕 】