『 手づくりの赤い月を抱えた薄暗闇のほどよい水面(みなも) 』 作・えび きゃすと 男(ひろし) 24歳、美大の院生。彫刻家を目指す。女とは付き合って4年目。 女(ゆみこ) 24歳、美大卒。絵画専攻。物語開始時は中堅企業の総合職。 [ …… 空行表記について この脚本では、セリフの一連の応答をひとかたまりのブロックとして考えています。 この記号『[』は、そのブロックの間に挿入され、実際にプリントアウトしたときに、改ページと空行が重なったときにそこに空行があることを明確にするものです。 幕開け。犬の遠吠え・いかづち・大音量のシンフォニー・うねる重低音・ドライアイスなどを派手に振る舞う。 ドライアイスが引くと、そこは少し殺風景な二人部屋。オープニングの喧噪を引き継ぐようにもみ合う男女。二人はある紙を奪い合っているらしい。そのむやみに強靱な紙は、二人の間にいて、一向に破れない。お互いに死力を尽くして、紙を奪おうとしている。その姿はまさにケモノ。そしてコミカルである。むしろ、ばかばかしい。何をやっているのか、そう思いながら、手を離すことが出来ない。ちなみに、二人の間にある紙は浄水器の契約書である。そう、いわゆるアムウェイに代表される無限連鎖商法である。 そしてそんな2人が最高潮に達したとき、壁を叩く音。 【暗転】 荒れた部屋を片づける二人。 男「なあ。 女「何? 男「ん、いや…… 女「言いたいことがあるなら、はっきり言えば? 男「……ん。 [ 女「あ。 男「何? 女「ちょっと、これ。 男「ん。 女「壊れちゃってる。 男「…あ。 女「力の加減しなさいよ。 男「…はいはい。 [ 男「のど乾いたな。 男、冷蔵庫に行き、ウーロン茶を取り出す。 女「(そのまま飲もうとする男を見て)コップ。 男「あ。 女「もう。 [ 男「あ、(割れたコップを手に)これ。 女「あ、割れたんだ。 男「君がこんなの投げるから。 女「そんなとこに立つのが悪いんでしょ。 [ 男「(ぼそ)お茶飲めないじゃん。 [ 男「これしか飲めるのがないな。 女「何? 男「缶ビール。 女「飲むの? 男「いや、別に。 また片づけを始める。 女「あのさ、さっきの話だけど。 男「飲むの? 女「何を? 男「何でも。 [ 女「(契約書を指し)アレ。 男「ああ。 女「私のお金の事よ。 男「ん。 女「私たち、結婚してるわけでもないんだから。 男「そうだね。 男「結婚してたらいい、という事でもないけどね。 女「そうよ。結婚してたらなおさら、お金のことはキチンとしないと。 [ 女「結婚しようって言ってるんじゃあないからね。 男「分かってる。 女「そう。 [ 男「やめた方がいいよ。 女「えっ? 男「浄水器ビジネスなんてさ。どう見たって儲からない。 女「そんな事ないわよ。 男「お金? 女「何? 男「お金がほしい? 女「そんなこと言ってないでしょ。私はただ、浄水器が欲しいだけよ。 男「それじゃ、一個だけ買えばいいじゃないか。 [ 男「こんな喧嘩までして、馬鹿馬鹿しい。 女「私が悪いの?あんたがいちいち…… 男「オレ? 女「そうよ。 男「そうかな。 [ 男「ん。売れないと思うよ。君じゃあ。 女「売れるわよ。 男「売れないよ。たぶん。 女「売れるわよ。絶対。 男「売れないね。いや、そういうことをここで言い合っても、しょうがないんだけどね… [ 女「売れば売るほど儲かるのよ。 男「売れなければ売れないだけ在庫を抱えるんだよ。 [ 男「売れるわけないと思うよ。20個は。 女「大丈夫よ。名簿だってもらえるし。 男「この前まで勧誘の電話がうっとおしいって言っていたのに、今度はかける側になるんだ。 女「……仕事よ。 男「いいわけだよ。仕事だったら何してもいいわけじゃない。 [ 男「僕は別に、君が君のお金で浄水器を買うのはかまわない。 女「だったら… 男「ただ分からないのは、何でそんな副業みたいな事やる必要があるのか。ということさ。今の僕たちの収入で十分やっていけてる…… 女「私の収入ね。 [ 女「私が言いたいのは、そういうことじゃなくて、健康のために浄水器を買いましょうって言ってるの。いい。健康はまず水からよ。体のほとんどは水なの。体を作っているのは水なのよ。体の何パーセントが水なのか知ってる? 男「いや、もうその話は聞いたから。 女「そうよ。もう何回説明させるのよ。 男「何回も説明すればいいってワケじゃないと思うよ。 女「なによ、さっきから。だいたいねぇ… 男「何だよ。 壁を叩く音。 沈黙 男「ごめん。 女「別に。 男「明日にしようか? 女「ん。 [ 男「あ、これゴミ。こっちは割れ物。 女「何? 男「ん。だから続きは明日に…… 女「出すの? 男「ん? 女「ゴミ。 男「仕事に行くついでに 女「明日は? 男「何が? 女「あした。 男「俺? 女「そう。 男「学校だけど。 女「何時から? 男「10時。 女「出してよ。 男「オレ? 女「朝は忙しいのよ。 男「……なんで、俺の朝の時間きいたの?10時じゃ行っちゃってるよ。 女「早起きすればいいでしょ。 [ 女「いい? 男「会社に行く前にちょっと寄るだけじゃん。 女「分かってない。 男「何が? 女「社会人の女の朝ってものはねぇ…… 男「あ。 女「何? 男「もういいよ。分かったから。 女「そう。 [ 男「あのさ、ゴミのためにオレは早起きするの? 女「そうよ。 [ 女「不満? 男「いや別に。 女「よろしくね。 [ 男「明日の朝、隣のオネーサンに見つからないようにしないとな。 女「(声真似)そんなに喧嘩ばっかりしてるんなら、もう別れちゃいなさい。 男「そうだね。 女「ちょっと、どういう意味よ。 男「ほら、もう寝るんだからヒートアップしない。明日起きられないよ。 女「そっちから突っかかってきたんでしょ。 男「起きられなきゃ、僕に文句言うくせに。 女「そんなことないわよ。 男「しーー、そのうち壁が抜けるよ。お隣さんとこと開通したくないでしょ。 女「むう。 男「お風呂、先に入りなよ。 女退場 男、作りかけの彫刻を手に取る。作り始める。 女、風呂から出てくる。ま、もし風呂上がりの色っぽさを出したければ、いわゆるサービスシーンという事で。 女「また、それ? 男「うん。 女「好きね、そういう細かいの。 男「まあね。 女「お風呂、入るの? 男「あ、と…… 女「お湯、捨ててないから。入るなら早くしないと冷めちゃうわよ。 男「うん。 女「私はもう寝るから。私の布団に入る気なら、お風呂に入ってからよ。 男「うん。 女「お風呂に入らないんだったら、自分で自分の布団出して寝てよね。 男「頑張るよ。 女「頑張るんじゃなくて、絶対そうして。冷たいのもキタナイのもいやなの。いつも言ってるでしょ。 男「はいはい。 女「私の布団にその木くずを持ち込まないでよね。 男「わかったわかった。 女「ほんとにもう。 しかし女は自分の部屋には行かない。 女「ゴミ。私が出すから。 男「ん? 女「明日の朝。 男「え、あ。……そう。 女「うん。 [ 男「悪いね。 女「ん。 女「それ、だいぶ形になってきたね。 男「ん。 [ 男「どう思う? 女「いや、その状態で見せられても、まだ何とも言えないけど。 男「そりゃそうだ。 女「何彫ってるの? 男「さあね。 女「ひとつ分からないのは、 男「ん。 女「どうしてそういうことを秘密にするの? [ 男「木彫りの本質は、木に何かの形を当てはめるのではなくて、木の中にある何かの形を掘り出すということだから。 女「…建前ね。 男「ん。そうかもね。 女、まだ男の手元を見つめる。 男「何か? 女「何が? 男「いや。 [ 女「あんまり気持ちの悪いもの彫らないでね。この部屋に飾るんでしょ、それ。 男「でも君の絵も、けっこう気持ち悪いよ。 女「なによ。 男「僕のは、たまに訳が分からないとは言われるけど、気持ち悪いとは言われないな。 女「何が言いたいのよ。 男「卒展のとき女の子が泣いてたのは確か、君の絵の前だったよーな。 女「何よ。 男「別に。血で絵を描くって、単純に面白いと思うよ。グロいけど。 女「ただのヤケクソよ。絵を描くために出した血じゃないもの。 男「そう。 [ 男「明日、ちゃんと斉藤さんの所に行って断るんだ。 女「断らないと、別れる? [ 男「試してるの? 女「何を? 男「別れないよ。 [ 男「その事ではね。 女「そう。 男「そう。 [ 女「……湯冷めしちゃった。(手近の上着を取る) 火花一閃。ブレーカーが落ちる。 男・女「わっ。 女「今、なにか火花が光らなかった?服を取ろうとしたら、そこで。 男「ん。 女「なにか、焦げ臭くない? 男「ん。 女「どうしたの?何があったの? 男「うん。あのさ。 女「何? 男「服が伸びる。(女が思いっきり男の服を引っ張ってる) 女「あ、 男「なんかショートして、ブレーカーが落ちたのかな。ちょっと見てくる。 女「ねえ。 男「ん? 女「実はさ。 男「うん。 女「電気なくても、けっこう明るい。 男「そだね。 女「川に落ちたら実は足がついた。ってかんじ。 男「うん。 女「月、かな。 男「かな。 [ 女「(窓の方へゆく)月だ。綺麗だよ。 男「ん。 [ 女「あのさ。 男「何? 女「……怒ってる? 男「何が? 女「ん。いやまあ、何がと言われても。 男「ん。 [ 女「奇麗ね。 男「そうだね。……絵になる風景だね。 女「えっ? 男「そう、絵。 女「ふふっ 男「何? 女「別に。 男「そう? 女「うん。 [ 男「描かないの? 女「ん。仕事あるしね。 男「そうだね。 女「あなたも、学生のうちにいっぱい彫っておくといいわ。 男「そうだね。 [ 男「あ、この前、学校に鈴木先輩が来てたよ。 女「ああ、一郎君? 男「そう。イチローさんも言ってたな。 女「何しに来てたの? 男「さあ。 女「そう。でも懐かしいねー。 男「そう? 女「一郎君かあ。 男「それで、そのイチローさんも、 女「あ、どこに就職したんだっけ。 男「さあ。 女「知らないの? 男「うん。 女「で、何しに来てたの? 男「さあ。何か先生と話してたけど。 女「会社の営業だったりしてね。 男「かもね。 女「えっ、そうなの。 男「いや、しらないけど。 女「大変だねぇ。 男「同じ社会人として共感する? 女「で、一郎君がどうしたの? 男「いや、同じこと言ってたなあって。その、学生のうちに彫れるだけ彫っておけって。 女「そう。 男「同じ事言うね。 [ 男「イチローさんの事、気になる? 女「別に。 犬の遠吠えが聞こえたりする。 女「犬が吠えてるね。 男「月に向かって吠えてるのかな。 女「何で? 男「えっ? 女「何で月に向かって吠えるの? 男「ん、 女「それは狼男よ。 男「犬だって吠えるんじゃない? 女「犬は吠えないわよ。 男「何で? 女「なんでって……犬が月見て吠えても、様にならないもの。 男「そうなのか。 女「そうなのよ。 [ 男「犬がかわいそうになってきた。 [ 女「(舞台が暗くなる)あ、雲が。 男「月明かりのいい景色だったのにな。 女「うん。 [ 男「ほら、犬も吠えなくなった。 女「そのうち吠えるわよ。犬はいつだって無闇に吠えてるもの。 男「むちゃくちゃ言ってるな。 [ 男「なんか、怒ってるね。 女「怒ってないわよ。 男「そう。 沈黙。 男「ぼちぼち電気付けますか。 女「うん。 男「手、放さないの? 女「ん? 男「手。 女「私、暗いの好きよ。 [ 女「脈を計ってあげる。 男「ん? 女「ちょうどね、ドクドクいうところを持ってるの。ついでだから計ってあげる。 [ 女、脈を計る。 男、女の首に手を当てる。 [ 女「○(ホントに計ればよろしかろう)回。 女「何してるの? 男「脈を、計ってる。 女「何だ、誘ってるのかと思った。 男「○(ホントに計ればよろしかろう)回。 女「勝った(負けた)ね。 男「ん、まあね。 [ 女「急に電気が消えてびっくりしたアトだからね。ちょっと速いのかな。(たぶん、舞台上だし、脈拍上がってるでしょう)普通って何回ぐらい? 男「60回ぐらいかな。 女「脈拍とか手の温度とかでさ、どっちの方が想いが強い、っていうおもちゃあるよね。 男「えっ? [ 女「今、私と手を合わせられる? 男「何で? 女「相手の手が冷たければ、自分の方が想いが強い。こんなに相手のことを想っている自分が、少し誇らしくなる。相手の手が温かければ、相手の方が想いが強い。こんなに自分のことを想っている相手に、純粋に感謝する。 男「合わせてみようか? 女「でも、 女「相手の手が冷たければ、自分の方が想いが強い。いったい相手は自分のことを何だと思っているのか。相手の手が温かければ、相手の方が想いが強い。自分ははたして相手のことを何だと思っているのか。 男「ネガティブだな。 女「ねぇ、今、私と手を合わせられる? 男「合わせるだけならね。 二人、手を合わせる。 女「人の手が温かいのは、血が流れているからよ。血。想像してみて。 男「もういいよ。 女「気持ち悪い? 男「何が? 女「私の血。今、見る?暗闇を流れる血。どんな赤だろう。 男「その血で赤い月を描く? 女「何、それ? [ 男「面白くないかな。 女「ん、 [ 女「あなたがあの絵を見て何を思っていても。 男「うん。 女「あれが私のすべてじゃないんだから。 [ 女「血なんて。意味はないのよ、大抵は。だいたい、月を見て血を連想するなんて。 男「何? 女「ありきたり。 男「血を言い出したのは君だよ。 女「そう? [ 男「なかなか雲から出ないな。 女「暗いの好きよ。 男「この闇はロマンスなのかホラーなのか。 女「どこからそんな話が出てくるのよ。 男「月夜で男と女だぞ。 女「男はすぐにロマンティックにしたがる。 男「その先に行きたいんだよ。きっと。 [ 男「……なあ、 女「ロマンティックにしたいなら、黙ってるのよ。 [ 女「しゃべりすぎる男は嫌われる。 沈黙が時を支配する。 男「暗闇でお互い黙っていると、いるんだかいないんだか分からないな。 [ 女「手を合わせているのに、いるに決まってるじゃない。 男「ん。 [ 男「そろそろ、いいか。 女「どうだったの?私の手は。 [ 男、外に出てブレーカーを上げる。シーンが変わる。 そこに女はいない。翌日、夕刻の喧噪。 男、オブジェのようなものを抱えている。 [ 男「ただいま。ん、……まだ帰ってないのか。 [ 男、部屋の片隅を片づける、というか場所を無理矢理つくる。壁があらわになる。そこには赤黒いシミ。それは血の跡。男、壁にある古い血の跡を眺める。 男「血は取れないってのは本当だな。どんなに時間が過ぎても、血の跡は血の跡だ。 [ 男「敷金は絶対に帰ってこないよな。これじゃ。 [ 男「まあ、いいけど。 男、その血の跡を隠すようにさらにオブジェを持ち込む。 男、冷蔵庫からウーロン茶を取り出し、コップを探す。ない。そのまま飲む。ウーロン茶をしまう。 男「さて、あと1往復か。(時計を見る)もう1時間かかるとして、いくらなんでもあいつも帰ってくる時間だろうけど、 男、出ていく。 【暗転】 玄関先から部屋の中に向かって、箱が積まれている。箱には浄水器と書かれている。 男、またもやオブジェを抱えて登場。 男「なんだこりゃ? 男、事態を理解する。 箱がじゃまで、室内になかなか入れない。が何とか室内に入る。 男「なんだよ、これ。 女「あ、おかえり。遅かったね。 男「え、あ、うん。ただいま。 男、とりあえず冷蔵庫を開け、ウーロン茶を取り出す。 女「コップ。 男「ん? 女「そのまま飲もうとしてたでしょ。 男「ちがうよ。 女「コップ。新しいのあるわよ。 男「えっ? 女「きのう割れちゃったでしょ。 男「買ったの? 女「ないと困るでしょ。 男「いや、そうなんだけど。(自分の買ったコップを出す) [ 男「こういう話あったな。何だっけ、女に櫛を買ったら、髪を切ってたとかいうの。 女「ああ、ちょっと違うんじゃない? 男「かな。 女「そうよ。お互いにプレゼントをするのよ。女は髪を切って時計の鎖を、男は時計を売って女に櫛を。無駄になったけど、深い愛と思いやりに感動するって話よ。 男「詳しいね。 女「これは、ただ2人で同じもの買っただけ。愛でも何でもないわよ。 男「愛が足りない。と。 女「足りないのは言葉よ。ひとこと買うって言えば買ってこないのに。 男「ひとこと君が買うって言えば、僕だって買ってこなかったよ。 女「そういうの、いつも私がやってたじゃない。何で今日に限って買ってくるのよ。 男「(コップにウーロン茶を注ぎながら)もういいよ。 [ 女「(男のレシートを発見する)ちょっと何よこれ! 男「何? 女「どうして一個380円のコップなんか買ってくるのよ。 男「どうしたんだよ。 女「コップなんて100円で売ってるわよ。 男「何? 女「高すぎるって言ってるの。 男「そうかな。 女「そうよ。慣れないコトするから。 男「そうだね。それよりさ。これ、何? 女「何? 男「これ。 女「浄水器よ。 男「それは、見れば分かる。 女「さっそく今日一個売れたわよ。売れれば文句はないでしょ。 男「いや、そういうんじゃなくて、ん。昨日はやらないって事で話がまとまったんでなかったっけ。 女「もう注文してあったの。今日届いたのよ。 男「えっ? 女「取り消しはダメなんだって。もう一個売れてたから。大丈夫よ。すぐに全部売れるわよ。 [ 男「いや、ちょっと待って。展開が読めない。 女「だから、……昨日の時点でもう注文しあって、それが今日届いて、すでに一個は予約で売れちゃったから返品もできなくて、あとはもう売るしかないの。 男「なんで? 女「だから、もうずっと前に、あなたに相談する前から注文してあって、それが今日届いたの。それで、 男「あ、いや。もう分かった。 女「うん。 男「いや、分からないよ。何でそんな事したんだよ。 女「なんでって……それは、 男「いや、ちょっと待って。昨日のアレは演技? 女「……ん。 [ 男「そうか。分かった。 女「そう? 男「そういう風に言えっていわれれたのか。 女「えっ? 男「そう言えば、あきらめるからとか何とか言われたんじゃないか? [ 男「図星だな。 [ 男「じゃあ売れたっていうのも嘘か。 女「違う。本当に売れたの。一つは。 男「えっ。 女「本当に売れて、だからもう、本当に返品なんかもできないの。 男「うそ…… 女「それは嘘じゃないわ。 [ 女「どうしよう…… 男「どうしようって…… [ 女「あなたの言うとおり、断るつもりだったのよ。本当に。でも、まずは試してみてからっていわれて、一人だけ電話をかけてみたの。そしたらあっさり売れて、それで…… 男「それって、サクラなんじゃないの? 女「違うわよ、私の知り合いだもの。斉藤さんは知らない人よ。 男「いや、でもそれで契約しちゃったの? 女「うん。 [ 女「ねえ、どうしよう…… 男「どうしようって…… [ 男「そうだ。売れたって、誰に?僕の知ってる人? 女「……教えたくない。 男「知ってる人か。 女「いいじゃない。とにかく売れたの。 男「誰? 女「…… 男「お隣? 女「違うわよ。 男「じゃあ誰? 女「誰だっていいでしょ。 男、浄水器の箱を持ち上げる。 女「ちょっと、何するつもりなのよ。 男「誰? 女「暴力を振るうの? [ 女「……鈴木君。 男「いちろーさん? 女「うん。 男「(持ち上げた箱を降ろす)……買ったんだ。イチローさん。浄水器。 女「別に、押しつけたわけじゃないわよ。 男「はあ。 男、コップを片づけに台所へ。 男「あ、浄水器、ここにも付けたんだ。 女「そう。飲んでみる? 男「うん。 [ 女「どう? 男「生ぬるい。 女「そりゃ、浄水してるからよ。 男「もともと水に味なんてないし。 女「カルキ臭くなくなったでしょ。 男「だって、おれカルキの匂いなんて気にならない人だから。 女「…鼻が詰まってるのよ。 男「そうかもね。 男、戻ろうとして荷物につまづく。瞬間、怒。 男「はあ。 女「……ゴメン。 男「いちろーさんに言って契約を取り消して、それで、返品しよう。食料品とかじゃなければ、開封してたってクーリングオフが使えるんじゃないかな。とにかく、明日その辺のこと調べておくよ。 女「……どうしても? 男「えっ? 女「これ、売れちゃうかもしれない。 男「売れないよ。絶対。水がまずい東京とか大阪ならともかく、誰が買うのさ、浄水器なんて。 女「鈴木君は買ったよ。 男「……はあ。すでに洗脳されてるのか。 女「何よ、その言い方。 男「だって、売れる気でいるんだろ。 女「悪い? 男「ふつう、売れるなんて思わないんだって。それが売れる気になってるんだから、洗脳だろ。 女「何よ。 男「何だよ。 [ 男「大体、この箱どうするんだよ。ここは生活をする部屋で、倉庫じゃないんだから。 女「すぐに売るわよ。 男「売れるまではどうするのさ。 [ 女「それじゃあ、アレ(男が持ってきたオブジェ)の説明もしてよ。 男「ああ、アレは…… 女「あなたのよね。 男「ん、ほら、前に卒展で共同製作するっていっただろ。米倉達と。とにかく大きいのを作ろうっていって、作業所を片づけたんだ、今日。それで、むかし作ったモノは各自持ち帰ろうということになって。 女「それで、ここに持ってきたの? 男「まあ、 女「他に置くところもないから、ここに置くと。 男「ああ。 女「どこかに持っていくアテはないんでしょ。 男「今のところね。 女「つまり、永久的にここに置くと。 [ 女「浄水器はすぐに売れてなくなるわよ。あんたの彫刻なんかはなくならないけどね。 男「しょうがないだろ。絵と違ってこういうのは場所をとるんだよ。君んちみたいに実家が広いわけでもないし。 女「捨てれば。 男「(カチン)出来るわけないだろ。何言い出すんだよ。 女「何のためにこの部屋に置くの?浄水器は売れればお金になるわ。冷蔵庫だって、電子レンジだって、役割があって、この部屋にあるのよ。でも、彫刻は、何も出来ない。 男「自分だって、描いた絵は捨てられないだろ。それも、役に立たないと思いながら、描いてたのかよ。 女「でも、自己満足よ。彫りたいものを彫って、描きたいものを描く。 男「そうかな。 女「そうよ。それで、満たされるのは作った自分だけだわ。他人には何の役にも立たない。 男「そんなこと… 女「何? 男「僕の作ったものは無駄だったと? 女「あなたの作ったものは結局、一番近くにいる私を癒すことすら出来ないんじゃない。 男「僕は別に、癒しを求めているわけじゃない。 女「そうよ。誰かを癒したいなんて、あなたの傲慢なエゴよ。いつも自分で言ってる事じゃない。 男「分かってるさ。 女「じゃあ、何のためなのよ。私のためじゃないんでしょ。 男「君を癒してやりたいと思うことが、ただの傲慢さだと思っているだけさ。癒しなんていやらしい目標だって言ってるんだ。だから僕はただ、君を…… 女「私をどうするのよ。そうやっていつも建前をいって、本質を見てないのよ。あなたの作品はいつだって、分かりやすい婉曲表現の向こう側に、いやらしい本質が透けて見えるのよ。誰かをどうかしたいと思う気持ちを否定すれば、それは形だけの癒しを提供する近代芸術作品の罠にはまってるって言うの。あなたは分かってないのよ。結局人は、干渉されて生きているんだって事が。干渉しない芸術なんて、ないのと同じよ。あってもなくてもどうでもいいものなのよ。 [ 女「きゃ 男、逃亡。暗転。 女、カミソリを手に持っている。 女、彫刻をカミソリで傷つける。彫刻から赤黒い血が流れ出る。 女、床に倒れる。男、入ってくる。 男、女の手を取って脈を診る。 女「手首は診ないで。 女「いくら末端をみても何も分からないわ。みるなら、ここ。(男の手を取り胸に当てる) 男「大丈夫か。 女「まだあたたかい? 男、女の手を止血する。彫刻からの出血も止まる。 男「イチローさんから電話があったんだよ。やばそうだって。さっきまで電話してただろ。 女「早かったね。きっともう、すごく遠くに行ってると思ってたから、もし連絡がいっても、絶対間に合わないと思ったのになあ。 男「薬も飲んだのか? 女「何? 男「薬も飲んだのかっ! 女「うん。 男「吐け。(男、女の喉に手を入れる) 救急車と女の吐く音。 【暗転】 浄水器はさらにいくつか売れたようだ。が、他にも基礎化粧品セットだとかが持ち込まれ、もはや舞台上の役者も埋もれてしまうほど。 女、何か編み物をしている。 男、何かを持って来る。 男「木彫りは一旦おいといてさ、ちょっと他の素材に挑戦してみようかと思ってさ。 男「スズキ先輩がさ。イチローさん。あの人がまた来てさ、もう使わないからって、道具一式を置いていったんだよ。誰も使わないみたいだったから、ちょっとやってみようかなと思ってさ。 男「あの人もね、卒業するときは、社会人になっても趣味で続けるからって言ってたのになあ。結局、今の仕事の方が面白くて、こんど会社の近くに引っ越すんだって。今まで、田舎の方の広い部屋に住んでたらしいんだけど、どうせ風呂入って寝るだけだからとか言って。 説明書を取り出して読み始める。 男「ふーーん。これを溶かすのか。 [ 男「イチローさん、よく真っ白になってたよねぇ。んで、溶剤のすごい匂いがしててさ。 女「(顔を上げる)吐く息まで溶剤臭いのよ。あれ、きっと肺の隅々にまで溶剤が行き渡っていたのね。 男「絶対、体によくないよなあって。 女「って言いながら、よく作ってたわよねぇ。 男「イチローさん、好きだったんだよねぇ。これ。 女「シンナー中毒になってるかもしれないって、心配してたのよ。 男「へえ。 [ 男「あ、モデルになってよ。 女「いいわよ。このままでいい? 男「この前言ってたやつ、もうやってるんだ。 女「遅いからね。私。 男「僕の誕生日まで、まだ1ヶ月以上あるよ。 女「それくらいでちょうどいいのよ。編み物は得意じゃないんだから。 男「すまないねぇ。手編みのプレゼントは夢だったんだよ。 女「いいわよ、別に。私だって喜んでもらえる物を送りたいから。でも、編んでるときにはあまり話しかけないで。すぐ編み目を間違えるんだから。 男「了解。毎年毎年、感謝してます。 女「まったくよ。 男「去年はマフラー編んでもらったんだっけ。模様がずれたって、何回もやり直してたよね。 女「そうね。 男「僕は別に、模様がズレててもいいよ。 女「隣を歩く私がイヤなの。明らかに私が失敗したってバレちゃうじゃない。あなたはいいわよ。寛容な彼氏って事がアピールできるからね。 [ 男「タイトルは「編み物をする女」かな。 女「全身作るの? 男「最初だから、顔だけにしようかな。 女「そう。 男「タイトルは、「編み物をしそうな顔」とか。 女「何、それ。 男「今にも何か編みださんという決意みなぎるところを、切り取ってオブジェ化。 女「こんな顔? 男「んーー、もうちょっと眉間に力がほしいな。 女「こう? 男「いいねぇ。 [ 男「んじゃ、その顔をキープ。 女「イヤよ。眉間にしわが出来ちゃうじゃない。 男、クロッキー帳を取ってきて、クロッキーを始める。 女「私をクロッキーするのも、これで何度目かな。 男「んーー、どうかな。10回以上100回未満だな。 女「ちょっとはクロッキー上手くなった? 男「ま、絵画専攻の君にはかなわないけどね。 女「分からないわよ。もう1年以上何も描いてないもの。 [ 女「私もまた、何か描いてみようかな。 男「それよりさ、これ早く売ってよ。邪魔だよ。 女「じゃあ、協力してよ。 男「何が? 女「あなたの高校の同級生とかにさ、 男「イヤだよ。だいたい、もう何年も連絡してないようなのばっかりだし。 [ 男「また、種類が増えたね。 女「やっぱり種類がいくつかあった方が、売りやすいのよ。その人が一番必要としている商品を提案する事が出来るし。 男「ふーーん。 男、立ち上がって台所へ。 女「お茶? 男「うん。 女「私も。 男、コップ二つにウーロン茶を入れる。 男「はい。 女「ありがと。 [ 男「今度さ、年が明けたらまた君の実家に行こうか。 女「また、うちの裏山で木を探すの? 男「うん。 女「それだけ? 男「ん? 女「卒業するのは関係ないの? 男「何? 女「だから、 男「あ、いやそういう意味じゃなくてね。 女「そう。 男「親はうるさい? 女「まあ、あなたが卒業したらそろそろそういう話も、とは言ってるわよ。 男「まあ、ぼちぼちとね。 女「いいのよ、ほっとけば。ただ、孫が早く欲しいだけなんだから。私、まだ子供とか欲しくない。だから、そういう話はなるべくしたくないの。 男「まあ、はぐらかすのは得意だから。 女「そうよ。 女「でも、行ったら絶対その話するわよ。 男「さみしいんだよ。 女「そんなの、まだまだ先なのにね。 男「……そうだね。 [ 女「あとさ。これの話もしないでね。 男「(浄水器を差して)これ? 女「そう。頭堅いからね、ウチの親は。絶対、口出してくるんだから。言ったら、ヤメロヤメロうるさいに決まってるわ。 男「心配してるんだよ。 女「この年で、もう、親は関係ないわよ。 男「そりゃ、そうだけどさ。 [ 女「あのさ。 男「何? 女「バイトは順調? 男「ん? 女「バイト、増やせる? 男「なんで? 女「んーー。 男「無理だよ。アレやってるからね。卒展の。一日中彫ってるともうへとへと。そのあとバイトなんかしたくないよ。ホントはね。 女「そうよね。 男「バイトがあるから体力を残しておかなきゃ。とか考えるのがイヤなんだ。 女「そうね。 [ 女「私ね。今の会社辞めようかなあって。 男「どうして? 男「ほとんど毎日5時上がりで、自分の時間がたくさん持てるからいいって言ってたのに。 女「うん。 男「何?やな上司に代わっちゃったとか? 女「そうじゃないの。 [ 女「あ、 男「何? 女「また、間違えてる。 男「やり直し〜 女「もう。あんたと話してたからよ。 男「オレは悪くない。 女、編み目をほどく。 女「ええと、ここまで編んだら、糸を変えて…… 女「ちょっと待ってよ。 女「…5…10…13。13よ。 男「は? 女「13、覚えていて。 男「はいはい。 [ 男「それでさ、何で会社辞めるのさ。 [ 女「今、模様のとこ編んでるから、ちょっと待って。 [ 男「タイトル、「模様に苦しむ女」と。 [ 男「絵は上手いのに、編み物の模様は苦手なんだね。 女「だから、努力してるでしょ。 男「うん。ホントすごいよ。 男「毎年上手くなるし。 男「最初にもらった手袋を見たときは、まさかこの人がセーターを編めるようになるとは思わなかった。 女「誉めてるのか皮肉を言うのか、どっちかにしてほしいわ。 男「もちろん、誉めてるのさ。 男「まだ持ってるよ、最初にもらった手袋。 女「うそ。 女「もう捨ててよ。 男「捨てられないよ。思い出の品だし。 女「だって、目が詰まっててすごいでしょ。アレ。 男「次の年にもらった手袋を見て、努力家だなあと思ったもん。 女「だって、悔しかったし。 女「あ、さっき私、いくつって言ったっけ。 男「ん。 女「編み目、いくつって言った? 男「13じゃない? 女「13?絶対? 男「確か。 女「13ね。じゃあ次は14、と。 女「14、覚えていてね。 男「はいはい。 女「あんたのために編んでるんだから、協力しなさい。 男「してるよ。 [ 男「ところで、会社を辞めるって話。 女「ああ。 男「どうして? 女「どうしてって……。 [ 女「……これを売るのに専念したいの。 男「やっぱり。 女「反対する? 男「まあ。 [ 女「事務は嫌いじゃないけど、物を売るのがいい。事務だと毎日同じ人としか会わないから。物を売るっていうのは、ただモノが右から左に動くだけじゃないわ。そこにコミュニケーションが発生しているの。人と人がつながって初めて、そこをモノが流れるのよ。 男「だったら、普通にお店で働けば。こんなネットワークビジネスみたいな事しないでさ。 女「組織は嫌い。個人と個人で商売をやりたいの。 男「だからって、名簿を見て無差別に電話をかけたりしていいのか? 女「最初のとっかかりよ。探しているの。出会いを。強引な勧誘はしてないわ。 男「その言葉、信じたいけど、いや、分からないな。 女「何が? 男「分からなくなってくる。何が正しいのか。 [ 男「僕が一番心配しているのは、ん、また君が傷つかないか、ということだから。 女「どういう意味よ。 男「だいたいは君を守ってやりたいって意味さ。 [ 男「こういうのってさ。 女「何よ。 男「こういうの、言い方を変えれば、人間関係を売り飛ばしてお金にしてるようなものだよ。 女「そんな事ない。 男「一つの側面だ。それも正しい。君の言ってることも、一つの側面で正しいけど。 [ 男「何か上手く描けないな。 女「やめるの? 男「ん。先に風呂にはいるよ。 【暗転】 彫刻をする男のみ。 そこに電話。 男「もしもし。ああ。 男「何? 男「うん。 男「いや、彫ってた。アレ。いや、木彫りの方。うん、それはね、今学校に置いてある。あれはね、部屋じゃ出来ないからね。うん。そう。匂いもそうだけど。スプレーとか使うし。粉が舞うからねぇ。 男「うん。で、何? 男「うん。斉藤さん?ああ、あの人ね。どうしたの? 男「お金? 男「だって、君の退職金を使っちゃったら、家賃とかどうやって払うのさ。 男「僕の貯金って、当てにするほどないよ。もともと、必要最低限しかバイトしてないし。学費だって払わなきゃ。 男「だって、今からバイト探したって、実際にお金が手に入るのは、1ヶ月先だよ。 男「そんなこと言ったって。 男「ちょっと待ってよ、今どこにいるの? 男「今から行くから。うん。じゃあ、一旦切るよ。行くから、待ってて。うん。自転車。そう。20分かな。うん。そのくらいだよ。あ、もうちょっとかかるかも。うん。信号がね。捕まると次々に捕まるからね、あの道路。どうかしてるよ。あの信号の設定。うん。まあいいや。とにかく行くから。待ってて。うん、着いたら携帯に電話する。じゃ。 男、部屋から飛び出す。 【暗転】 もはや天井近くまで積み上がった荷物。部屋ではなくて倉庫。 机すら出せず、わずかなスキマに座って、コンビニ弁当を手で持って食べている二人。 女「ごちそうさま。 男「早いね。 女「うん(何かを探している) 男「ゴミ箱? 女「うん。 男「あの向こう側かな。外に出しておくしかないな。明日、どこかに捨てるよ。 女「うん。(外にでる) [ 男「ウーロン茶、もらうよ。 女「どうぞ。 男「コップ出せないから 女「何? 男「コップ、出せないから直接飲むよ。 女、戻ってくる。 男「直接飲むよ。 女「いいわよ、そんなの。別に。 男「そう。 [ 男「これしかし。 女「しょうがないじゃない。 男「まだ、何も言ってないよ。 [ 男「まあ、この山についてのコメントだから、その返答で合っているけどね。 ゴミを外に置いて、戻ってくる。 男「寝るとこ、ないな。 女「ここ。あれをこっちにどかして、この正方形の空間を長方形にするの。 男「一人分だな。僕は友達の所にでも行くかな。 女「いいじゃない。ここで一緒に寝れば。寝れるわよ。 男「ん、でも、そもそも布団が取り出せないよ。押入がふさがってるから。 女「どかせばいいじゃない。 女、立ち上がる 男「ちょっと待ってよ。これ食べたら僕も手伝うからさ。 二人でモノをどかす。 男「よっと。 男「ちょっと持ってて。 女「あ、これをそっち。 男「はいはい。 [ 男「ふう、何とか取れた。敷き布団は無理だよ。毛布を簀巻きにして寝よう。 女「そうね。(毛布を床に置く。)ふう。(毛布に横になった) 男「おりゃ。(女の上に、手に持っていた箱を置く)これを戻して、寝る場所を作るんだから。 女「むぎゅう。 男「さあ、働くんだ。(箱を女の上からどかす)これ、そっちに持っていくから。 女、荷物を押す。その荷物が、壁の電灯のスイッチを押す。つまり、明かりが消える。 男「えっ。 女「何? 鈍い音。 男「いて。 女「あっ。 どうやら、おでことおでこがごっつんこ。という事らしい。 男「つーーー。 女「いたぁーーー。 男「あのさ、二人同時に動くのナシね。 女「うん。 [ 男「また漏電かな?それとも停電? 男、なんとか手を伸ばしカーテンを引く。 男「うちだけだね。消えてるの。 女「ビデオの時計はついてるよ。 男「あ、ホントだ。 男「じゃあ、電灯だけか。 男「だいぶ目が慣れてきたね。 女「うん。 男「どうして電灯が急に消えたんだ? [ 女「あ、スイッチ。 男「? 女「壁のスイッチ切ったんじゃない? 男「僕は切ってないよ。 女「だから、さっきそこに、もたれたときに。 男「ん、 男「ああ、そういえばこの先がスイッチだ。 女「もう一回押せば。 男「そうだね。この辺かな? 男「ん、ダメだなあ。 男、壁の方に移動。 男「なんとか手が入れば…… 男「…………無理。 [ 男「長いものさしかなんかで…… 女「いいよ、もう寝ない? 男「ん? [ 女「もう疲れちゃった。 男「…そうだね。 [ 男「まあ、あくまで寝られればのハナシだけどね。 女「大丈夫よ。こっち頭ね。ジグソーパズルみたいなもんよ。腰の凸と凹を上手く合わせて 男「あ、寝巻き。 女「いいよ。出せないし。 男「そうだね。 [ 男「ん。 男「まあ、足は伸ばせないけど、なんとか。 女「ね。 [ 男「やれやれ。 二人、寝る。 女「心臓の音も息する音も聞こえるねぇ。 男「意外と寝られるもんだね。 女「寝返りは無理だけどね。 [ 女「昔みんなで山に登ったときにね。山小屋でもっとすごい状況になったことがあるから。この部屋ぐらいの所に男女合わせて15人で雑魚寝。 男「一人半畳以下か。 女「誰と誰が付き合ってるのか、全部公開してね。付き合ってるんだからくっついて寝なさいって。 男「ひどい話だ。 女「付き合ってない人同士でも、あんた達は同郷だから、とか。鈴木と佐藤だから、とか。 [ 男「ふーん。 女「一日中登山で疲れてたからさ。まず寝るのが先決だったから。意外と眠れるものよ。 [ 女「明日、どうするの? 男「午前中、卒展の製作当番なんだけど、米倉にでも変わってもらうよ。 女「そう。 男「まずこの荷物をなんとかしないと、生活が出来ない。 [ 男「これからどうするの? 女「何が? 男「斉藤さん裁判だっていう話。 女「私は関係ないわ。 女「あの人の勧誘、強引だもの。いつかそうなる気がしてたわ。 男「そう。 女「むしろチャンスなのよ。 男「何が? 女「私が、あの人の地盤を引き継げそうなの。 男「ふーーん。 女「すごい事よ。 女「平社員が一気に部長になるようなものよ。あそこまで行くのが大変なんだから。 女「本部もね、斉藤さんのやり方に危機感を持っていたのよ。いつか事件を起こすんじゃないかって。だから私、色々根回ししていたの。 [ 男「……すごいね。 女「最近運がいいわ。今週の占いも絶好調になってたし。 男「そうなんだ。 女「たぶん上手くいくわ。 男「あのさ、ひとつ聞いていい? 女「何? 男「それって、またお金がいるの? [ 女「……退職金があるから。私の。 男「やっぱり、払うんだ。 女「責任も出てくるから。預かり金よ。 男「いくら? 女「明日、話しましょ。 男「でも、借金しないと無理なんじゃない?だって、退職金っていってもそんなに無いでしょ。何十年も勤めたわけじゃないんだし。それに、君の貯金はもう、ほとんど使っちゃったんだろ。 女「明日。今日はもう寝ましょ。 男「……そうだね。 [ 男「眠い? 女「あんまり。 男「疲れてるんだけどね。なんか眠れない。 女「そうね。私も。 男「久しぶりかもね。こうして寝るの。 女「あんたが、なかなか帰ってこないからじゃない。 男「卒展があるから。 女「浮気してない? 男「してないよ。ちゃんと帰ってきてるじゃん。 女「じゃあ、私のふとんに入ってくればいいのに。 男「君が、冷たいのはイヤだとか言うから。 [ 女「ねぇ。 男「何? 女「なんか、落ち着かない? 男「何が? 女「こういうの。 男「何が? 女「変な話だけどね。こうモノがぎっしりつまってて身動きがとれないの。逆に、落ち着かない? 男「そう? 女「広いと、不安になる。スキマがあると、埋めたくなっちゃう。 男「そうかな。 [ 男「そうかもね。 [ 女「最初に独りで住んでたときには広すぎるなあって思ってた。冬は寒かったし。だんだん物が増えて、それから二人で住むようになって……ねぇ。今、変なこと考えてるでしょ。 男「何が? 女「だって。 男「……まあ、しょうがないよ。これじゃあ。 女「私は別にいいわよ。 男「無理だって、これじゃ。何をするにしても、スキマがない。 女「それがいいのよ。 男「これ、崩れてきたら大変だよ。 女「そうね。 男「明日。この部屋を片づけたら。 女「明日になれば、気が変わってるから。 男「はいはい。 沈黙。 男「ねえ。 女「何? 男「あのさ。 女「うん。 男「もう絵は描かないの? −幕−