ジュニア・イーグルスは、龍太郎が2年生の時まではE区だけの編成でしたが、龍太郎が3年生になるとき人数が足りずEF区と合併して「ファイヤー・イーグルス」と名を改めました。

 しかし、それも2年後の5年生になるときはまた、人数が足りないということで連合と合併して「毘沙門台ファイターズ」となりました。

 5年の時からは、監督を湯浅さんが引き受けられて子供が卒業した次の年からは、星野さんが監督を引き受けられて現在に至っております。

 現在は、毘沙門台学区にソフトボールチームは2チームだけとなり球技大会も2チームだけの大会となり寂しいものとなっています。