ハルマゲドンの話 9


 

 9. 1章   キリストであるイエスについて 

 1章ではまず初めにこの文書(ヨハネの黙示録)がどのような内容のものとして書かれたのかが記されます。序章に当たるわけですが、この1章にあるそれぞれの言葉を解明するだけで聖書全巻の中心的なことがわかってしまうほど、多くの重要なことが書かれています。

  1章の主な記述は以下の4項目です。

 ヨハネの黙示録は、

  1. イエス キリストからの啓示である。
  2. 近未来の事が記されている。
  3. 当時のアジアの7つの教会の指導者に向けてのメッセージを含む。
    (ここでのアジアとは、現在のトルコのエーゲ海の東側)
  4. イエス キリストからの直接の命令によって書かれた。

 そしてヨハネの黙示録は次の文で始まっています。

イエス・キリストの黙示。」    …1章1節 

    ここからスタートしましょう。


   9-1 イエス キリスト

 ヨハネの黙示録の主題または主人公は「イエス キリスト」です。ヨハネの黙示録だけでなく、聖書全巻の主題は「イエス キリスト」です。この「イエス キリスト」とは一体何者なのでしょうか。

     9-1-1  名 前 

 〈 イエス キリスト 〉と書くと、多くの外国人の姓名のように、イエスが名(ファーストネーム)、キリストが姓(ファミリーネーム)だと考える人もいるようです。実際にはそうではなくて、イエスだけが個人を表す名前です。

 当時のイスラエルには姓に相当するものはありませんでした。今日のような姓での区別は、父親の名前や地名を名に附して「彦左衛門の子吉太郎」とか「箱根山の吉太郎」と呼ぶことによって区別していました。

 イエスという名は珍しい名前ではなく、ごく普通にあった名前です。日本ではイエス、イエズスと発音されています。英語ではジーザスと発音、聖書の書かれたギリシァ語 'Ιησουsの発音はイェスースとなります。しかし、2000年前のイスラエルでは、ギリシァ語が話されていたわけではなく、日常会話ではアラム語が使われていました。アラム語というのはあまり聞かれない言語ですが、ヘブライ語にかなり近く、かつてのペルシァの公用語で、当時のイスラエル地方では広く使われていました。現在でもダマスカスから車で一時間ほど行った所にあるマアルーラという町の周辺で話されている言葉です。
 残念ながら私はアラム語についての知識は皆無で、当時日常会話のアラム語で彼がどんな発音で呼ばれていたのかはわかりません。

 ヘブライ語の発音ではイエスはイェホシューァ(普通ヨシュアと音訳される)です。アラム語はヘブライ語に近いと言われていますので、アラム語の発音はこれに近いのかもしれません。

 このイエスという名は、イエスの生前に、マリアの夫となるヨセフに神の使者が現れて「その名をイエスと名付けなさい」と命じられて付けられたものです。(マタイによる福音書1章20節)

 一方、キリストというのは固有名詞ではありません。もともとは王に与えられる称号で、それが救世主の称号に変わったものです。それは、次のような言葉の変化によります。

 ヘブライ語でマーシャハ、これは「油を塗る」という意味です。この言葉からマーシーアッハ(普通メシアと音訳される)という言葉が派生しました。マーシーアッハとは「油を塗られた者」という意味で、これはイスラエルでは就任に際して頭に油を塗られる「王」に与えられる称号でした。マーシーアッハは、亡国を体験したユダヤの民の中では「やがて来るべき日に我々を解放しイスラエルを再興する王」の称号であり、そして救世主の意味となります。

 ヘブライ語のマーシーアッハ(メシア)をギリシァ語に訳す際に、ギリシァ語のχριωクリオー(油を塗る)という言葉を使って造った造語がΧριστοs、発音はクリストースです。

 ギリシァ語でクリストース、英語でクライスト、そして日本ではキリストと発音されています。キリスト=メシア=救世主、救い主という意味です。

「イエス キリスト」=「メシアであるイエス」=「救い主イエス」

となります。

 

 
     9-1-2 2000年前に人として実在した人物 

 「人として実在した人物」という表現は奇妙なのですが、これ以外に適切な表現はありません。もともとはヒトではなかったからです。2000年前に実際にこの地上にこのイエスという人は実在していました。キリスト教に反対する立場からこの史的実在性を否定する研究もなされましたが、不成功に終っています。当時の歴史家ヨセフスの書いた歴史書の中に、ユダヤ教に反抗して処刑された人物として載っている中の一人はこのイエスのことだろうと判断されています。

 

 今日ではキリスト信仰の中心であり、「世界一有名な人」なのですが、当時は世界の片隅の、植民地化された小国、しかもその小国でも田舎のガリラヤ地方を歩き回っていた、全く目立たない人でした。活動期間もわずか3年でした。

 

 いつ生まれたのかはわかっていません。処刑されたのは、西暦30年4月7日金曜日と推定されています。処刑時の年齢は33歳ないしは34歳と推定されていますから、生年は紀元前3年か4年ということになります。なお、現在クリスマスとして定められている12月25日は、キリストの誕生を記念する日ですが、誕生日そのものの日付ではありません。

 

 イエスが30歳位になるまでのことはほとんど何もわかっていませんが、ナザレという田舎町で家業の手工業の営みをしていたようです。日本語聖書では「大工」と訳されますが、今日のような住宅の建築だけをする職業ではなく、家具その他いろいろなものも作る職人だったようです。

 

 30歳位になった時、家を出て洗礼者ヨハネ(当時のユダヤ教のエッセネ派の修行者。このヨハネはイエスの従兄弟であるという説もある)のもとに行き、ヨルダン川で洗礼を受けます。ここから「公生涯(こうしょうがい)」と呼ばれる、人々の間で活躍した期間が始まりました。
 しかしそれは、エルサレムで処刑されるまでの間のわずか3年位の短い期間でした。この期間のことは、新約聖書の4つの福音書『マタイによる福音書』『マルコによる福音書』『ルカによる福音書』『ヨハネによる福音書』に記されています。福音書を是非お読み下さい。

 

 もし、タイムマシンに乗って当時に戻ることができたとしても、ほとんど誰もこのイエスという人物には気がつかないだろうと思います。表面的に見ると、わずか3年のイエスの活動は、実にささやかなものだったからです。都市を巡り歩いて大演説会を開いていたわけでもなく、寺院や神殿に座していたわけでもなく、教団を作ってその長として名をあげていたわけでもなく、政治的・経済的な実力者でもありませんでした。住所不定・無職。

 田舎の湖(ガリラヤ湖)のほとりを中心に歩き回って、主に地方の村落在住の下層の民衆を相手に、神の国の訪れ、喜ばしき音信=福音を宣べ伝えていました。

ガリラヤ湖
ガリラヤ湖畔  現在でも湖畔のほとんどは静かな畑と原野

 映画や絵画などにあるような真っ白の服を着た人ではなく、薄汚れた衣服を着て、住む家も同居する家族もなく、財産もなく、いつも歩き回っていた人でした。今日テレビや週刊誌などで目に付く立派な格好をした宗教的指導者の姿(例えば池田大作氏や麻原彰晃氏)とはかけ離れた姿で、形容が良くないかもしれませんが、今日ホームレスと言われている人たちの姿に近い状態で約3年間の活動をしていたと思われます。

 そして、一時期は多くの人々に支持されたものの、ユダヤ教の異端者として非難されることになり、最後には逮捕され、犯罪人と一緒に死刑にされてしまいました。

 イエスと同様の十字架の処刑はひんぱんに行われていましたし、また同じような嫌疑で十字架で処刑された人物はたくさんいましたから、当時としては特別に記録に残るような事件ではありませんでした。

 表面的に見ると、まことにささやかな生涯、小さな事件でした。

 

    9-1-3  そのイエスなる人物が…

 そのイエスなる人物が誰であったのか、何物であったのか、何者であったのか、そしてその後どうなったのか…それらについては聖書をお読みになるとはっきりとわかります。

 


 

   9-2 黙示録1章のイエス キリスト 

 ヨハネの黙示録を含めて聖書全巻の主題はイエス キリストです。

 旧約聖書、福音書、新約聖書の書簡では、人間の僕(しもべ)として人間の救済のために下に降り下ったキリストの姿が描かれているのに対し、黙示録では絶対的な支配者としてすべての上に君臨しているキリストの姿が加えられて描かれています。

    9-2-1 十字架・復活・昇天・再臨・三位一体 

 ヨハネ黙示録1章のイエス キリストについての記述をまとめてみます。

 イエス キリストは―――

  1. 過去から現在にわたって常に存在している(生きて活動している)。そして未来において人間世界に再び来る。…4節、8節、17節
  2. 信頼できる(真実な)証人であり、死者の中から最初に(永遠に続く命へと)よみがえった。…5節、18節
  3. 地上の(人間世界の)支配者の支配者である。…5節
  4. 人間を愛して、自分の血をもって(死によって)人間を罪から解放した。…5節
  5. 人間を神のための神の国の民とし(=王国とし)、祭司とした。…6節
  6. すべての人の目にわかるような形で再び来る。…7節
  7. 全能者であり、神である。…8節

 これら7つは、キリスト教の用語「十字架・復活・昇天・再臨・三位一体」の中に集約できます。これらを全て理解できれば、黙示録を含めて聖書全体を理解したことになります。 

 

 以下に上の言葉を簡単に概説します。表面的なことしかここには書けませんので、是非聖書本文によってこれらのことについて正しい理解をしてください。

 

     9-2-1-1 十字架 

 十字架とは、ローマ帝国が用いた支配国(占領地)の犯罪人を極刑に処する処刑方法です。当人に大きな苦しみを与えて殺すことの他に、他の大勢の人々への見せしめの目的がありました。この十字架刑の方法や材料は、厳密な規定も物資の供給も十分でない時代でしたので、一定してはいませんでした。基本的には「木に磔りつける」処刑。木は一本の杭の場合もあり、普通は二本の木を交差させたものでした。当時の釘で手足を打ち付けたり、弦(つる)や縄(なわ)で縛りつけたりしました。現代のような、丁寧にかんなで加工された板や、まっすぐな光った金属のクギはもちろん使われていませんでした。

 イエス キリストはこの方法によって処刑されました。場所は当時のエルサレムの郊外のゴルゴダ(どくろという意味)と呼ばれていた丘でした。この十字架刑についての記事は、4つの福音書の最も主要な記事となっています。自らは何の罪もない身でありながら、人間のすべての罪を負い、罪人として神に見捨てられ、苦しみと絶望とともに暗黒の死の中に落ちて行ったと聖書は記しています。

 

     9-1-1-1-1 贖罪 

 一人の人の十字架による処刑が何故人間に罪からの解放(=救済)をもたらすのでしょうか。

 旧約聖書の時代、モーセを通して与えられた神との契約の律法では、人が罪を犯した時には子羊などの獣や鳥が罪のための生け贄として殺され、血が流されなければなりませんでした。そうすることによって神に赦され罪が浄められる条件が整いました。預言者であった洗礼者ヨハネが初めてイエスを見た時、彼はイエスを指してこう言いました。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。」(ヨハネによる福音書1章29節) この言葉通り、最終的な罪の取り除きのための生け贄(いけにえ)の子羊として、イエスは殺され血が流されることになりました。

 実に背理的なことなのですが、神は自己と同一のひとり子イエスにすべての罪を負わせ、これを見捨てて悪魔の手に委ね、その肉を裂き血を流して殺すという方法を、人類を救うために用いたのです。
 人であり神であったイエスはその救済の使命ために自己の全てを忠実にささげました。
 

 

「律法によれば、ほとんどすべてのものが血によって浄められ、血を流すことなしには赦しはなされない」
     新約聖書・ヘブライ人のキリスト教徒への手紙9章22節)

 

      9-2-1-2 復活・昇天・(聖霊降臨) 

 金曜日に十字架で処刑されたイエスは、脇腹に槍を刺して死亡が確認された後、当日の夕方までに墓に葬られました。遺体を引き取ったのは、アリマタヤ(地名)のヨセフという名の金持ちで、岩を掘って作った墓に遺体は収められ、墓の入口は大きな石で覆われました。
 当時のユダヤの豊かな階層の人の墓は、天然の洞窟や横穴を掘った洞穴式で、横に開いた入口は重い石の板で閉じられていました。もちろん、すべての人がそのような立派な墓に入れたのではなく、一般庶民は普通に穴を掘ってそこに埋葬されていました。

 現在、エルサレム旧市街の北に位置するアラブのバスステーションの隣に「園の墓」と呼ばれている場所があります。一部の人は、こここそがイエスの葬られた墓の跡だと言っています。実際のところは、中世の石切り場の跡である可能性が最も高いのですが、この「園の墓」には、当時のイエス キリストの葬られた墓の様子をかなり正確に再現したものがあります。(下の写真)興味のある方は「園の墓」Garden Tomb という項目でイスラエルのガイドブックなどに出ていますので、ご覧になってください。また、エルサレム旧市街の中に有名な「聖墳墓教会」があり、この建物の中央部にイエス キリストが収められた墓だとされているものがあります。こちらの方は、その墓のあった位置としては「園の墓」よりも可能性は高いのですが、当時の実際の墓とはかなりかけ離れたものが作られています。

園の墓写真
園の墓 

 イエスの十字架による処刑の場所、葬られた場所は現在となってはもはやわかりませんが、エルサレム旧市街の北西部のどこかであったことは確かです。

 処刑と埋葬から3日目の日曜日の朝、何人かの女たちが墓を見に来ました。ヨハネの福音書では、初めに墓を見に来たのはマグダラ(地名)のマリア一人だったと記されています。そこで女たちが見たのは、入口の大石が取り除けられて空になった墓でした。遺体はありませんでした。よみがえったのです。

 この復活は、旧約聖書に記されている預言がその通りに成就したものです。復活したイエスはエルサレム、エルサレム近郊、ガリラヤ湖畔などで、弟子やかつて一緒にいた女たちの前に現れ、神の国のことを語ったり、共に食事をしたりしました。

「最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、(旧約)聖書に書いてある通り私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、(旧約)聖書に書いてある通り3日目に復活したこと、ケパに現れ、その後12人の弟子に現れたことです。」
( 新約聖書・コリントの教会への手紙-Ⅰ,15章3,4,5節 )

 

 そして、復活から40日後、イエスは弟子たちに聖霊が地上の者たちのために降り下る(降臨)ことを予告して、エルサレム郊外のベタニアからオリーブ山の山頂に至る場所から背後世界に帰って行きました。(下の写真の山) その予告通り、10日後に弟子たち一同の上に聖霊が火のように降り注いだのでした。これらのことは、新約聖書・使徒の働き( 初期教会の使徒の活動の記録 )の1章、2章に書かれています。

オリーブ山
エルサレムとは山を挟んで反対側のベタニアから見たオリーブ山

 キリストの復活を記念する日がイースターです。クリスマスと比べると金儲けの種にならないため、日本ではあまり知られていませんが、クリスマスと並んで最も大きな重要な記念日です。ギリシァ正教会ではクリスマスよりもはるかに重んじられている記念日です。もともとはユダヤ暦による過越しの祝日に合わせて定められていましたが、現在では春分の日の後の最初の満月の次の日曜日と定められています。

 また、聖霊の降臨を記念する日はペンテコステ(50日めという意味)と呼ばれます。イースターから数えて50日目の聖霊の降臨を記念する日です。

 聖書の記述に基づくキリスト教の記念日(祝祭日)は、クリスマス(降誕節)、イースター(復活節)、ペンテコステ(聖霊降臨節)の3つです。

 

 

     9-2-1-3 再臨 

 再臨とは、復活の後に背後世界に戻ったイエスが再び地上に実際の姿として現れることを言います。これは現在はまだ起こっていない、未来の出来事です。ヨハネの黙示録にはこの事が述べられるわけですが、再臨については黙示録で初めて述べられるのではなく、聖書の各書に多数記されています。それらは明確に記述されていて、例えばマタイによる福音書24章では、弟子たちの「あなたの来られる時や世の終りには、どんな前兆があるのでしょう」という質問に対して、イエスははっきりと再臨の時が来ることやその時の様子を詳細に語っています。

 

 「その時、人々は、人の子(キリスト)が多くの力と栄光を伴い、雲に囲まれて到来するのを見るだろう。」   ( マルコによる福音書13章26節 )

 

     9-2-1-4 三位一体 

 〈三位一体〉とは、「神は1つの本質であり、父と子と聖霊の3つの位格を持つ」ということになるのですが、これだけでは何のことなのかわかりません。これを説明しようとすると、かなりいろいろなことを論じなければなりません。しかし、聖書の記事をもとにすれば自然に辿り着く結論です。

 〈三位一体〉という言葉自体は聖書の中にはありません。325年のニケア公会議以降の古代教会の〈三位一体に関する大論争〉の末に、聖書の記述から導き出された神学上の述語です。

 3つの位格(ヒュポスタシス、人格 hypostasis=persona)を持つ1つの本質(ウジアousia)の神、などと言ってもよくわからないのですが、3つの位格の神である父も、子も、聖霊も、性質において同一であり、統一が取れていて同一の意志と働きをする一つの本質の神ということです。尤も、ここにある、父とか子とか聖霊とは何なのかが説明されなければ、何のことかまださっぱりわかりません。これから進む「ヨハネの黙示録」の4章に、父・子・聖霊の姿が書かれていますので、ここではそれらについての解説は省略します。先に進んで黙示録4章で判別が見えることと思います。また、黙示録以前の聖書でも三位一体については何度も書かれています。それらを読むと〈三位一体〉の父・子・聖霊の神についてははっきりとわかりますので是非お読み下さい。

 ヨハネ黙示録以外の聖書の中の三位一体と深い関係のある個所をいくつか列挙しておきますので、読んでみて下さい。

 ルカによる福音書1章35節     マタイによる福音書3章16節、

 初期教会の使徒の働き2章33節、 エフェソの教会への手紙2章18節、

 テトスへの手紙3章4,5,6節、  第一のペテロへの手紙1章2節

 また、具体的にイエス キリスト、聖霊、父なる神、という言葉は出てきませんが、旧約聖書の随所に三位一体の神を表す記述があります。
 


 

   9-3 7つの教会に書き送れ (1章9節~)

 パトモス島にいたヨハネが、「見たものを書き記し、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオデキアの7つの教会に書き送れ」との声を聞き、その声の主を見ようと振り向くとそれがイエス キリストであった、というのが9節以下の記述です。7つの教会当ての使信のことについては次の「10.2章、3章 7つの教会の指導者への使信」に記します。

 12節以降に、ヨハネが彼に語りかける声の主を振り向いて見た時のことが記されています。その声の主は、自ら「…わたしは、最初の者であり、最後の者であり、また現在生きている者である。わたしは一度は死んだが、見よ、今は永遠に生ける者である…」と宣言していることからわかるように、イエス キリストです。(8節の「わたしはアルファであり、オメガである」と同一の宣言で、これも三位一体の神であるイエス キリストのことです。)

 14節から16節にかけては、ヨハネが見たキリストの姿がひじょうに面白い表現で書かれています。そこに書かれている言葉通りの姿を絵に描くと化け物のような絵が描けます。これは、後の4章に見る、神の姿の描写と同様に、具象的な描写ではなく、かなり抽象的な表現になっているのです。



     


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