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図1ガザ、西岸管理地区を含むイスラエル 1.ヘルモン山 2.ピリポ・カイザリア(バニアス) 3.ティベリア 4.カナ 5.ナザレ 6.ハイファ 7.テルアビブ・ヤッフォ 8.エルサレム 9.ガザ |
北部巡りの拠点都市・ティベリア (図1の3番)
「ところが、ほかの小舟が数そうティベリアスから、主が感謝の祈りを唱えられた後に人々がパンを食べた場所へ近づいて来た。」 (ヨハネ6−23)
エルサレムの中央バスステーションからティベリアまでは途中の休憩時間も含めて3時間弱、バス代は約1200円です。(34シェケル=1996.12月)
ティベリアのツーリストインフォメーションはシーズンオフは閉鎖となることが多いので、エルサレムや空港のツーリストインフォメーションなどであらかじめ地図等を入手しておいた方がいいと思います。
ティベリアに宿泊すると、イスラエル北部のほとんどの場所に日帰りができます。北のゴラン地方はもちろん、カナ、ナザレ、タボル山、メギド、そして、ハイファ、アッコなどの海岸地方も路線バスで日帰りが可能です。
湖畔にはたくさんの高級ホテルが並んでいます。安宿は、ホテル群の北のYH協会のユースホステル、南のホテルAvivなどがあり、1泊2千円以下で宿泊できます。大きな食品スーパーも近くにあり、自炊をすれば物価の高いティベリアでも安い経費で滞在できます。その他クリスチャン・ホスビスがあり、中級ホテル並みの料金でかなり良い施設を利用できます。
湖畔のレストランでは名物「ペテロの魚」の料理を食べることができます。
「ペテロの魚」はガリラヤ湖で採れる淡水魚です。
ガリラヤ湖の周囲
| 図2 ガリラヤ湖周辺
1.祝福の山(山上の説教)
2.カペナウム
3.タブハ村
4.ベッサイダ |
現在でもガリラヤ湖畔は周囲のほとんどが畑と荒れ野のままで、静かなところです。
ティベリアから湖のほとりの各地へ行く交通機関は、バスと船がありますが、便数は少なく、バスの通っていないところがかなりあります。また、船はシーズンオフは欠航となります。バスで容易に行けるのは上の図の9,8,3のマグダラ、ゲノサレ、タブハです。
タブハからは上図1,2の山上の説教の山、カペナウムへは数キロですので、徒歩で可能です。その他はタクシー、レンタカーを利用しないと行くことができません。辺ぴな所ばかりですが、ガリラヤ湖畔は静かでたいへん素晴らしいので、是非どこか一個所静かな湖のほとりでしばらくの時を過ごしてみてください。
ティベリアの湖岸の船着き場近くに船の運行会社、貸しボートなどがあります。船は主に団体用ですが、窓口で聞いてみると乗船可能な時間を教えてくれます。私がかつて行った時は、カペナウムに団体客を迎えに行く船に乗せてもらえて、大きな観光船に私一人で乗ってティベリアからカペナウムへ向かいました。
ガリラヤより北はバスの本数がかなり少なくなります。資金的に余裕がある場合はレンタカーの利用が便利です。道路はすいていて整備されています。ティベリアのメインストリートにはレンタカー会社が軒を連ねています。
タブハ
タブハまではティベリアからバスまたは乗合タクシーで20分から30分です。バスの停留所に降りても周りには何も無く、戸惑ってしまうかもしれません。
| ←図3 タブハ
バス停から湖方向に向かう道を行くと簡単に2つの教会は見つかる
ペテロ召命教会前の坂の小道を登ると祝福の山(山上の説教)
カペナウムへは道路に沿って2.5km程歩く |
路線バスに乗ってティベリアからタブハのバス停に着くと、バスは幹線道路を北へ向かって走り去るので、その方向に向かって右側=東の湖方向に向かう道路を歩いて行きます。周辺には一軒の民家も一軒の商店も、何もありません。200mほど歩くと、大きなオレンジ色の道路案内標識が出ています。案内標識の表示は「タブハ1km、カペナウム3km、ヨルダンパーク11km」と表示されています。
さらに10分ほど歩くと右側に教会の入口が見えてきます。これが5つのパンと2匹の魚の教会です。教会は簡単に見つかります。この教会と隣のペテロ教会以外には、周囲には何もないからです。
「すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために讃美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群集に配らせた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった。」(ルカ9−16,17)
教会の正面祭壇の床にたいへん有名なパンと魚のモザイクがあります。この教会は5つのパンと2匹の魚で男だけで5千人の人々の給食をした各福音書の記事を記念して建てられたものです。実際に5千人にパンと魚を配ったのはガリラヤ湖の東岸の可能性が高く、この付近であった可能性はあまりありません。
「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた。」(マタイ4−18,19)
「三度目にイエスは言われた。『ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。』」(ヨハネ21−17)
5つのパンと2匹の魚の教会の隣にペテロ教会があります。ここはマタイ4−18のペテロの召命の場所、ヨハネ21−15のペテロが「わたしを愛するか」と3回聞かれた食事の場所だと言い伝えられています。実際にそうであったかどうかはわからないのですが、現在でもたいへん静かな美しい湖のほとりの場所に教会と記念像があって、当時を偲ぶことができます。
「イエスはこの群集を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。『心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる。…』」 (マタイ5章)
ペテロ教会の前に道路を隔てて土手があります。そこからは全く見えませんが、この土手にある急な坂道を上がると、祝福の山、山上の説教の山に出ます。人だけが歩ける急な小道ですが、土手を上がるとすぐに眺望が開け、そこからはなだらかな畑の中の道が続いていて、山の頂に美しい山上の説教の教会の建物が見えてきます。
団体ツアーの場合、普通は山上の説教の教会へはバスに乗って丘を迂回して4km位走って行くのですが、この畑の中の小道を歩いて上って行くと15分程度で着きます。湖や祝福の山の斜面を見ながらの大変素晴らしい小道ですので、是非歩いてみてください。上の図中青色の線がその小道です。とにかくペテロ教会前の土手を上がればあとは上に向かうわかりやすい道です。
周辺は畑ばかりが続く静かなところです。斜面と見下ろす湖はたいへん美しく、山の斜面の小道はほとんど人も歩いていませんので、ゆっくりと落ち着いて周囲を巡り歩くことができます。
山上の説教の教会の湖に面した側の少し下の畑からなだらかな下り坂の道が東に向かっています。これを歩いて下って行くと、カペナウムに出ます。
カペナウム(カファルナウム)
「そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに住まわれた。」(マタイ4−13)
「また、カファルナウム、お前は、天にまで上げられると思っているのか、陰府にまで落とされるのだ。…」(マタイ11−23)
カペナウム(カファルナウム)はイエス様の宣教の本拠地とも言える町で、イエス様はここに住み、安息日にはここにあった会堂で教えたのでした。カペナウムには当時の会堂の跡が残っています。もちろん建物は残っていませんが、紀元数世紀まであった会堂の土台のさらに下の層に、二千年前の会堂の土台石が残っています。
また、マルコ1−29の記事によると、カペナウムにはペテロの家がありました。現在カペナウムの遺跡の中央部に「ここがペテロの家の跡」とされている場所があって、家の土台石の上に記念館が建てられています。ただし、2千年も昔の一般庶民の家の場所が特定できるわけはなく、これは発掘された一つの家の跡です。
カペナウムは現在は廃虚となっていて、遺跡とギリシァ正教の修道院があるのみです。キリスト教徒の旅行者だけが訪れる場所で、カペナウムまで行く路線バスも出ていません。タブハから徒歩で行くことになります。または、ティベリアから船があります。船はシーズンオフは不定期です。
ベッサイダ、コラジン、マグダラ、ゲノサレ、クルスィ
ガリラヤ湖畔にはこの他に、マタイ11−21のコラジン、同じくマタイ11−21、マルコ8−22の盲人の目を直したベッサイダ(べトサイダ)、ルカ8−26の豚が崖から湖に落ちた場所だと言い伝えられているクルスィ、ルカ8−2に出てくるマグダラ、マルコ6−53他に出てくるゲノサレ(ゲネサレト)などがあります。図2参照
ヘルモン山 (図1の1番)
「我々はそのとき、アルノン川からヘルモン山に至るヨルダン川東岸の二人のアモリ人の王の領土を手中に収めた。」(申命記3−8)(その他ヨシュア記11−3,17、12−1)
「わたしの魂はうなだれて、あなたを思い起こす。ヨルダンの地から、ヘルモンとミザルの山から」(詩篇42−7)
「ヘルモンにおく露のようにシオンの山々に滴り落ちる。」(詩篇133−3)
ヘルモン山は図1のイスラエルの最北端にある標高2800m位の山です。聖書の中には何度もこの名前が出てきます。また、聖書の中ではシルヨンとも呼ばれています。
1年中頂上には冠雪があり、冬期には山麓にあるスキー場が賑わいます。
マタイ17−1などに出てくる変貌の山「高い山」がこのヘルモン山だという説もありますが、私はそうは考えていません。あまりにも高すぎるのです。マタイ17章の「変貌の山」は、おそらくタボル山かギルボア山だと考えられます。次に記すピリポ カイザリアはヘルモン山のふもとですが、17−1の「六日の後」という期間を考えると、弟子たちを引き連れてピリポ カイザリアから6日でタボル山、ギルボア山まで歩くことは可能です。
ヘルモン山は高い山なので、ゴラン地方に行くとどこからでも北に山頂を眺めることができます。
ピリポ カイザリア(フィリポ カイザリア)・ダン
「イエスは、フィリポ カイザリアに行ったとき、弟子たちに、「人々は人の子を何者だと言っているかとお尋ねになった。」マタイ16−13
「イエスは弟子たちとフィリポ カイザリア地方の方々の村にお出かけになった。」(マルコ8−27)
「彼はよく考えたうえで、金の子牛を二体造り、人々に言った。『あなたたちはもはやエルサレムに上る必要はない。見よ、イスラエルよ、これがあなたをエジプトから導き上ったあなたの神である。』彼は一体をベテルに、もう一体をダンに置いた。この事は罪の源となった。民はその一体の子牛を礼拝するためにダンまで言った。」(列王記・上12−28,29)
ピリポ カイザリアはヘロデ大王の息子ピリポによって拡大された町です。カイザリアと命名したのですが、同名の港町カイザリアと区別するためにピリポ カイザリアと呼ばれました。もともとのアラビア語の名前はバニアスです。
現在はピリポ カイザリア(バニアス)には町はありません。古代の街の跡の遺跡が残っており、ここにギリシァの牧畜の神「パン神」の神殿跡が残されています。この近くから清流が湧き出してたいへん美しい流れとなって緑濃い木々の間を流れて行きます。2km程のところにバニアスの滝があります。このあたりはバニアス国定公園となっていて、たいへん美しい所です。私の住んでいる長野県にはたくさんの美しい渓流や清流がありますが、それらとは比べものにならない位の美しさです。水は澄み、周囲の木々にはリスやハイラックスが楽しそうに走り回っています。
バニアスから5km程南西にダン国定公園があります。ここには列王記12章のヤロブアム王が金の子牛を置いた神殿の跡があります。ダンもまた美しい清流のある美しい公園です。キブツ ダンの北2km位の所にあります。
バニアスとダンはイスラエルの北西の隅(図1の2番)で、たいへん交通の不便な所です。タクシーを借り切るか、レンタカー、またはティベリアのホテルやバス会社で企画しているツアーに参加しないと行くのは難しいところです。
私の初回訪問時は、レバノン国境に近いテル・ハイに宿泊してそこから一旦2.5km南のキュリアット・シモナから路線バスでダンに向かいました。しかしバスはダンのキブツ入口までで、そこから先はヒッチハイク以外に手段はありませんでした。夕暮れになってきてバニアスまで到達できませんでした。このあたりはバスの便が悪いので、ヒッチハイクは誰もが用いる方法らしく、一人で道をとぼとぼと歩いていると、合図をしなくても後ろから来た車が声をかけてくれることがありますが、往来する車の数もあまりありません。
二回目の訪問時は、ティベリアからエゲットバスのツアーに参加してバニアスに行くことができました。
カナ(図1の4番)
「三日目にガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。」 (ヨハネ2−1,2)
ティベリアからハイファ、ナザレ方面に向かうバス(バスNo.431)で約25分のところにカナがあります。ヨハネ2章の最初の奇蹟、水をぶどう酒に変えたところです。何も無い街道沿いのただの村なので、正しくバスを降りるのは初めてだと戸惑うかもしれません。ギリシァ正教会の独特なドームと十字架のある教会と、カトリックの塔と十字架の教会が並んで建っているのを目印に降りることもできますが、バスの運転手に予め頼んで教えてもらうとカナで正しく下車できます。
フランシスコ会とギリシァ正教会がカナのぶどう酒の奇蹟を記念して教会を建てています。小さな集落なので、教会の場所はすぐにわかります。フランシスコ会の教会の中には壷がたくさんおいてあります。近所にはぶどう酒を売る土産物屋もあって、壷を看板とともに並べてあるので、こちらの方が目に付き易いと思います。
カナはまた21−2に出てくる弟子ナタナエルの故郷でもあります。
カナは小さな村で、時々クリスチャンの団体バスが来る以外にはあまり人通りもないようなところです。カナの教会を見に行った後、次のバスまで時間がだいぶあって街道をぶらぶらしていると、雑貨を売る店のアラブ人のおじいさんが家に招いてくれました。言葉は全く通じなかったのですが、本物のアラビック コーヒーを御馳走になって、そこにいた子どもたちと空手の真似をして遊んで時を過ごしました。世界のどこでも田舎の村の人たちは人情が厚いものです。
ナザレ(図1の5番)
「六ヶ月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。」 (ルカ1−26,27)
「親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。」 (ルカ2−39)
「それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。」 (ルカ2−51)
ナザレはヨセフと母マリアの町で、イエス様は公生涯に入るまでは両親の家のあったナザレに住んでいました。その後、故郷ナザレの会堂で聖書を朗読し、語ったのですが、人々は憤慨し、イエス様を捕らえて山の崖から突き落とそうとしました。(ルカ4章16−30節)
ナザレには聖書の記事を記念する教会がたくさん建てられています。受胎告知の場所だという伝説の場所にフランシスコ会が建てた大きな教会が受胎告知教会で、円錐の大きな塔は遠くからでもたいへん目立ちます。その隣にヨセフが大工をしていた場所という伝説によって建てられたヨセフ教会があります。
ギリシァ正教会が受胎告知を記念して建てたのがガブリエル教会、ルカ4章のイエス様がイザヤ書を朗読した会堂だという伝説の場所にあるのがシナゴーグ教会です。その他にも聖書の記事を記念する教会がいくつかあります。
ナザレは小さな町なので、すべての教会にナザレのバス停留所から歩いて行けます。いずれの教会の場所も伝説に基づいたものであり、確実な聖書の記事そのものの場所ではありません。
ナザレはティベリアからハイファ方面へ向かうバスに乗って約40分、上に書いたカナの少し先です。大きな教会の円錐の塔が目立ち、混雑した街路にバスは入って行きますので、ナザレではバスから降りるのは難しくありません。

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図4 エズレル・サマリア地方
少し見づらい図ですが、 |
メギド
「タナクの王一名、メギドの王1名」 (ヨシュア12−21)
「王たちはやって来て、戦った。カナンの王たちは戦った。メギドの流れのほとり、タナクで。」 (土師記5−19)
「ソロモン王が主の神殿、王宮、ミロ、エルサレムの城壁、ハツォル、メギド、ゲゼルを築くために課した労役についての事情はこうであった。」 (列王記上9−15)
「ユダの王アハズヤはこれを見て、ベト・ガンの道を通って逃げた。イエフはその後を追い、『彼も撃ってしまえ』と命じた。アハズヤは、イブレアムの近くのグルの坂を行く戦車の中で傷を負い、メギドまで逃げて、そこで死んだ。」 (列王記下9−27)
「…ヨシア王はこれを迎え撃とうとして出ていったが、ネコは彼に出会うと、メギドで彼を殺した。」 (列王記下23−29)
「その日、エルサレムにはメギド平野におけるハダド・リモンの嘆きのように大きな嘆きが起こる。」 (ゼカリア12−11)
「汚れた霊どもは、ヘブライ語で、『ハルマゲドン』と呼ばれる所に、王たちを集めた。」 (黙示16−16)
メギドは古代から交通の要衝であり、何度もの戦いが行われた地です。そして、黙示録にはキリストの勢力と戦うために王たちの集合する場所として書かれています。
現在はメギド国定公園となっていて、長い地下水道トンネルで有名な古代都市メギドの遺跡を中心に整備されています。
メギドには現在は遺跡以外のものはありませんので、遠隔地からの直通バスはありません。メギドに一番近い都市アフラまで行って、ここでローカル線のバスに乗り換えます。アフラを通るバス路線は、エルサレム、テルアビブ、ハイファ、ティベリアなどイスラエル主要都市の中央バスステーションで容易に見つけることができます。
前述したようにメギドには遺跡があって国定公園となっていますから、
メギドの遺跡には土産物店、カフェテリアなどがあります。
タボル山
「…イスラエルの神、主がお命じになったではありませんか。『行け、ナフタリ人とゼブルン人一万人を動員し、タボル山に集結させよ。わたしはヤビンの将軍シセラとその戦車、軍勢をお前に対してキション川に集結させる。わたしは彼をお前の手に渡す』と。」 (土師記4−6)
「…タボル山、ヘルモン山は 御名を喜び歌います。」 (詩篇89−13)
<「聞け、祭司たちよ。心して聞け、イスラエルの家よ。耳を傾けよ、王の家よ。お前たちに裁きが下る。お前たちはミツバで罠となり、タボルの山で仕掛けられた網となり、シッテムでは深く掘った穴となった。わたしはお前たちを皆、懲らしめる。」 (ホセア5−1,2)
「六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。」(マタイ17−1) 「六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。エリアがモーセとともに現れて、イエスと語り合っていた。」(マルコ9−2,3,4) 「この話をして八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて祈るために山に登られた。(ルカ9−28)
エズレル平野の東にお椀を伏せた形をした山があります。標高は550mと低いのですが、平野の中に独特な形の山があ突き出ているので、かなり目立ちます。
タボル山は旧約聖書には何度も出てきます。また、マタイ17、マルコ9、ルカ9の、イエス様の変貌の山だという説があります。変貌の山はヘルモン山、ギルボア山という説もありますが、私はタボル山が最も可能性は高いと考えてています。
エズレル平野の東の方へ行くとどこからでも目に付く山ですが、バスの路線はアフラとティベリアを結ぶ1本だけです。山を見上げながら適当な所で降りればタボル山のふもとに着きます。
(サマリア地方)
サマリア地方は図4の水色の地域です。アブラハムが祭壇を築いたシェケム、ゲリジム山、エバル山、ヨハネ4章のサマリア女のヤコブの井戸など聖書と深い関係のある場所がたくさんあります。
しかし残念ながら私はサマリア地方には足を踏み入れたことはありません。今から10年程前、まだインティファーダが始まる前でしたが、投石事件が多発し、ユダヤ人の運転手はナブルス方面へ行こうとはしませんでした。それ以来、西岸管理地区の中央部であることもあり、交通の便が良くないこともあり、なんとなく行く気になれなくて今日に至っています。
カルメル山(ハイファ) 図1の6番
「アラメレク、アムアド、ミシュアルで、西の端は、カルメル、シホル・リブナトに達する。」 (ヨシュア19−26)
「エリヤは言った。『わたしではなく、主の戒めを捨て、バアルに従っているあなたとあなたの父の家こそ、イスラエルを煩わしている。今イスラエルのすべての人々を、イゼベルの食卓に着く四百五十人のバアルの預言者、四百人のアシュラの預言者と共に、カルメル山に集め、わたしの前に出そろうように使いを送っていただきたい。』」 (列王記上18−1)
「高く起こした頭はカルメルの山。長い紫の髪、王はその房のとりことなった。」 (雅歌7−6)
エリアがバアルの預言者と対決したカルメル山は、港町ハイファの後ろに並ぶ山脈です。ハイファは、イスラエル第三番目に大きな都市で、世界的に有数の先端技術の工業都市となっています。
ハイファまでのバスはたいへん便が良く、ティベリア、エルサレムからも日帰りが可能です。また、ギリシァから船でイスラエルに入る場合は、このハイファが上陸港となります。
カルメル山まではイスラエル唯一の地下鉄に乗って行けます。
テルアビブ・ヤッフォ(ヤッファ) 図1の7番
テルアビブは20世紀になってから主に帰還したユダヤ人によって建てられた新しい町です。テルアビブの南に隣接するヤッフォ(ヨッパ、ヤッファ)は聖書の中にも登場する古い港町です。
テルアビブは現代イスラエルの商業の中心地で、また地中海に面していてヨーロッパからの交通の便も良いので、海岸部はリゾート地ともなっています。
テルアビブにはたくさんの博物館があります。中でも是非一度行ってみるべき重要な博物館はディアスポラ博物館です。日本の普通のガイドブックには載っていないので、ほとんど日本人で訪れる人はありませんが、たいへん重要な博物館で、エルサレムのヤッド・バシェム(虐殺記念館)よりもかなり充実しています。
住所はKlausner St. Ramat Avivとなっていますが、これは、市街地の南にあるテルアビブ大学の構内で、テルアビブ大学を目指してバスまたは乗合タクシー(シェールート)に乗っていけば簡単に着きます。キャンパスは広くてたくさんの門があります。その中の MatatiaGate という門を入ると、ディアスポラ博物館の前に出ます。古代イスラエルからユダヤ人の離散の歴史と近代史を立体的に把握することができます。
ヤッフォ(ヤッファ、ヨッパ)
「しかしヨナは主から逃れようとして出発し、タルシシュに向かった。ヤッファに下ると、折りよくタルシシュ行きの船が見つかったので、船賃を払って乗り込み、人々に紛れ込んで主から逃れようと、タルシシュに向かった。」 (ヨナ1−3)
「ペトロが皆を外に出し、ひざまづいて祈り、遺体に向かって、『タビタ、起きなさい』と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。ペトロは彼女に手を貸して立たせた。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。このことはヤッファ中に知れわたり、多くの人が主を信じた。ペトロはしばらくの間、ヤッファで皮なめし職人のシモンという人の家に滞在した。 (使徒9−40〜43)
「翌日、この三人が旅をしてヤッファの町に近づいたころ、ペトロは祈るために屋上に上がった。昼の十二時ころである。彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りてくるのを見た。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。そして、『ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい。』という声がした。… (使徒10−9〜)
テルアビブの南に町が続いています。これが古くからあるヤッファです。テルアビブの中心からバスで10分位です。3km程度なので、歩いても行けます。海岸地区は観光用に古来からの石造りの町並みがたいへん美しく再現されていて、その地区の狭い路地の中に「皮なめしシモンの家」とされているところがあります。
ヤッファはかつてヨナがタルシシュへ逃れようとして出港した所、そして新約聖書ではペトロがしばらく滞在し、異邦人伝道に目を開いた場所です。
イスラエルの自然環境は実に変化に富んでいて、それを見るだけでもイスラエルの旅行は他の地域以上に面白いのですが、とりわけヨルダン渓谷から死海には、他では体験できない世界があります。
死海は世界中で最も低い場所にある不思議な湖です。ヨルダン川の水は、イスラエル北端のヘルモン山麓から湧き出て上ヨルダン川を流れてガリラヤ湖に入ります。ガリラヤ湖は標高マイナス200m位、そして水はさらにイエス様が洗礼を受けた下ヨルダン川に流れ出て、マイナス400m位の死海に注ぎ込みます。ここからはどこへも水は流れ出ません。蒸発するだけです。
死海の水は様々な塩類(えんるい)を含む、普通の海水の10倍の濃さの塩水です。35%。是非一度この中で泳いでみてください。ぽっかり浮かびます。
死海の周辺はひじように厳しい自然環境です。人間の住む地域はほとんど無く、野生動物の宝庫となっています。
死海は聖書の中では「塩の海」と呼ばれることが多く、その他申命記3−17、ヨシュア3−16で「アラバの海」、エゼキエル47−18で「東の海」とも表されています。
新約聖書には出てきていないようです。死海は聖書では位置を示す他は重要な意味を持って出てきません。ソドム・ゴモラが死海周辺にあったはずですが、どこだったかは今となってはわかりません。現在のソドムは必ずしも創世記のソドムと一致しません。
クムラン
クムランは聖書の中には出てこない場所ですが、聖書を読む者にとってたいへん重要な場所です。20世紀最大の大発見…「死海写本」が1947年にクムランの洞窟の中から発見されたのです。旧約の正典・外典の最古の写本が発見されました。死海写本について手軽に読める新書版の本を次に記しますので、興味のある方は読んでください。
白水社 文庫クセジュ708 『死海写本』 ラペルーサ著/野沢協訳
エルサレムからの数路線のバスがクムランを通っています。約1時間で着きます。クムランは国定公園として整備されています。
エン・ゲディ
「ダビデはそこから上っていって、エン・ゲディの要害にとどまった。」 (サムエル上24−1)
エン・ゲディはダビデがサウルから逃れるために隠れていた場所としてサムエル記に出てきます。
エン・ゲディには泉があり、泉や滝があります。美しい場所で、国定公園となっています。ここも、エルサレムからのバスが数路線通っており、エルサレムから約1時間15分です。
マサダ
死海西岸の山で、四方を断崖に囲まれてそそり立つ自然の要害となっています。紀元前25年にヘロデ大王が冬の宮殿を完成させ、その跡が今も残っています。また、ここは紀元70年に始まったユダヤの対ローマ抵抗戦の最後の砦となったのがこのマサダです。千人近くが立てこもり、マサダの砦は2年以上持ちこたえました。しかし西側の丘からのローマ軍の巨大な投石機による攻撃が始まり、ついに最後には7人の子どもと女を残して全員自害して終りました。
マサダの要塞跡にはケーブルカーで登ることができます。また徒歩で登る道は、ケーブルカーの乗り場の近くと、反対側(西側)からの道とがあります。
マサダはエン・ゲディの南にあり、エルサレムからはバスで1時間半位です。
ソドム
死海の西海岸(イスラエル側)は、リゾート地としての開発がさかんで、いくつもの施設が点在しています。ソドムはその南の端の方にあります。旧約聖書のソドムはこことは少し場所は違い、おそらく現在は死海の南の湖底だろうと言われていますが、確かなことはわかっていません。現在のソドムには団体バスまたは車で乗り付ける旅行者のためのホテル以外には何もありません。
初めてイスラエルに行った時に死海のほとりで団体で泊まったホテルはこのソドムにある高級ホテル「モーリア・ガーデン」でした。2回目の時はマサダのユースホステルで、千円位でした。途中まで同行したアメリカ人グループは野宿でした。死海のほとりでは野宿が十分可能です。治安は極めてよく、多くの旅行者が寝袋を並べています。
エリコ
「エリコは、イスラエルの人々の攻撃に備えて城門を固く閉ざしたので、だれも出入りすることができなかった。そのとき、主はヨシュアに言われた。『見よ、わたしはエリコとその王とその勇士たちをあなたの手に渡す。あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。七人の祭司は、それぞれ角笛を携えて神の箱を先導しなさい。七日目には町を七周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさい。…』 (ヨシュア6−1〜)
「一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群集たちと一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、『ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください。』と言い始めた。…イエスは『何をして欲しいのか。』と言われた。盲人は『先生、目が見えるようになりたいのです。』と言った。そこで、イエスは言われた。『行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。』盲人は、すぐに見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。」 (マルコ10−46〜)
「イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人かを見ようとしたが、背が低かったので、群集に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りをし、いちじく桑の木に登った。…イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。『ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。』 (ルカ19−1〜)
エリコは海面下250から290mにある古代からのオアシスの町です。町は時代とともに少しずつ移動していて、旧約時代のエリコと新約時代のエリコは2km近く離れています。
現在の町の中心には商店、ホテルなどが並んでいます。パレスチナ暫定自治が始まって以来、エリコは暫定自治政府の首都となっていて、ちょっと複雑な状況となっています。通常は旅行者は境界線を自由に行き来できます。時々問題が起こるとエリコの町の中に入れなくなることもあるようです。普通のイスラエル側の「封鎖」の時は外国人旅行者は出入りできます。
かつてはガリラヤ湖に向かうイスラエルのバスが町の中心を通っていたので、それを利用するのが最も早かったのですが、現在は町を迂回するので、アラブのバスまたは乗合タクシーで行くしかありません。バスはエルサレムのダマスカス門近くのアラブのバスステーションから、乗合タクシーはやはりダマスカス門近くで簡単に見つけることができます。バスは発車時間が不正確ですが、動き出せば45分ほどでエリコに着きます。(かつてのイスラエルのバスだと30分。途中どこにも止まらなかった。)
町の郊外に古代のエリコの要塞の跡、テル・エ・スルタンがあり、古代の城壁などが発掘されててます。ここも国定公園となっています。また、道を挟んだ向かい側に「エリシァの泉」と言われる泉があります。これは、列王記下2−19の記事によって命名されたものです。
テル・エ・スルタンから一旦市街に戻り、東へ2km程行くと、新約聖書時代のエリコがあります。ここにはヘロデの冬の宮殿跡があって、現在発掘中です。
ベエル シェバ
「アブラハムは答えた。『わたしの手からこの七匹の雌の子羊を受け取って、わたしがこの井戸を掘ったことの証拠としてください。』それで、この場所をベエル シェバと呼ぶようになった。二人がそこで誓いを交わしたからである。(創世記21−30)
現在の町の中心街はオスマン・トルコ時代にできた町で、聖書時代のベエル シェバは町の北東5km程の所にあります。
町の中心にアブラハムの井戸と呼ばれている井戸がありますが、聖書記事のその井戸である可能性はあまりありません。
ベェル シェバから南はネゲブの荒野です。
エイラート
「ソロモン王はまたエツヨン・ゲベルで船団を編成した。そこはエドムの地の葦の海の海岸にあるエイラトの近くにあった。」 (列王記上9−26)
エイラートはイスラエル南端の町で、イスラエル最大のビーチ リゾートとなっています。世界一美しい紅海のエイラート湾(アカバ湾)のほとりです。世界中からこの美しい地を目指して観光客が集まり、独特の雰囲気のある町となっています。
エイラートへはテルアビブ、エルサレムなどから長距離バスが出ていて、エルサレムから5時間位です。エイラート行きのみバスは指定席で、事前の予約が必要です。
国境を越えてエジプト領のシナイの荒野に出て行くツアーの拠点でもあり、いくつもの旅行代理店でたくさんの種類のものを扱っています。


図5 死海西岸


ベエル シェバへはエルサレムからバスで3時間かかります。あまり見るところはないので、エルサレムを朝出て日帰りで帰ってくることもできます。ベエル シェバに宿泊する観光客はあまりいません。
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