
アレオパゴス
| アテネは外国にいることを全く感じさせない町だ。街路を歩いていると、ふと東京かどこかの町を歩いているような錯覚に陥ることがある。狭くて混雑した道路、道路の舗装や汚れ具合、そこを歩く人々の秩序の程度、行き交う古ぼけた日本車…日本に似ている。何よりも日本とそっくりなのは、町中の道路という道路全てに無造作に張り巡らされた電線だ。
〈 居心地の悪いアテネ 〉
アテネは居心地の良い所ではない。第一に、食べ物がまずい。隣国のイタリアもトルコも、世界的に超一流の料理大国だというのに、その二つの国に挟まれたギリシァの料理は何故かくもまずいのか。私は不思議でならない。そして第二に、過密都市アテネの騒々しさと空気の悪さ。これには辟易してしまう。
そんな居心地の悪いアテネになぜ何度も行ったのかと言えば、アテネは中東やアフリカへ行く中継地として最も都合が良かったからだ。とりあえずアテネまで行ってそこで地中海を越えるチケットを手配し、帰りも再びアテネに戻って日本行きのチケットを手配する…ということになり、行きも帰りもアテネに立ち寄ることになるのである。
アテネの中心のシンタグマ広場近くのニキス通りには旅行代理店が軒を連ねていて、信じられないほどの安値でディスカウントチケットを売りさばいていた。ただし、それは何年か前までのことで、現在は、中東・アフリカ方面への中継地としてはイスタンブールの方が都合がよくなってしまっている。欧州経済統合の準備のためか、ヨーロッパ北部とギリシァとの経済的な差が縮まってきたのだ。今ではアテネよりもイスタンブールの方がずっと安いチケットが手に入るし、滞在費も格段に安く済む。最近は中東・アフリカへ行く旅行者の多くがアテネでなくイスタンブールを中継地とするようになっている。(海路で行く場合は現在も依然としてアテネが最も有利)
アティナス通りの大市場
アテネはこれと言って見るべきものは無い町なのに、日本人観光客はかなり多い。見るべきものが何もない、というのは私だけの偏見ではない。何人もの旅行者から同様の意見を聞いたことがある。アテネで何度行っても飽きないのは、アティナス通りの大市場位のものだろう。他にリガビトスの丘、アレオパゴスの丘は景色が良く気持ちの良い所だ。最も有名なパルテノン神殿は、あまりたいしたことはなく、建築美術に特別な関心がない限り、ここは一回行けばもうそれで十分という場所だ。
私がアテネをあまり良く思わないのは、居心地の悪さの他に、アテネが必要に迫られて行く場所で、そこでじっと待たねばならない場所だったからだろう。
その時、何もすることがないので、暇つぶしにアテネ発のエーゲ海一日クルーズというのに参加したが、これは大失敗だった。船に乗ってみると乗客の大半が日本人の団体客で、船内の案内放送は日本語、酒を飲んで大声を出して騒いだり、何人か集まってやたらと写真を撮り合ったりする騒々しい日本人ばかりだった。瀬戸内巡りをしているような感じで、わざわざギリシァまで出かけてきて何故瀬戸内巡りをしなければならないのだろうと一日中憂うつな時を過ごした。
ついでながら、エーゲ海の海と島を楽しむなら、あまり人の行かない遠い小島を選ぶに限る。エーゲ海は西へ行けば行くほど人が少なくてきれいだ。後に私はエーゲ海西端部のサモトラケ島で数日を過ごす機会を得たが、腰を抜かすほど美しく素晴らしいところだった。
その後もアテネにはアテネが目的ではなくて2回訪問している。いずれも滞在時間のほとんどはただ「待つ」ことだけのためにあった。
〈 アレオパゴス 〉 アテネの街の中心からパルテノン神殿に向かって歩いて行くと、パルテノンの手前、右手に奇妙な岩の固まりが目に付く。これがアレオパゴスだ。( 但し、団体で行くと、バスに乗って広い道を行くのでそこは通らないだろう)
アレオパゴス
アレオパゴスとは、軍神アレスに献げられた丘、という意味だそうである。私は夕方出るバスを一日中待つ場合などは、その丘の巨大な岩の上に座ってそこでずっと時を過ごした。カフェなどに入る金がなかったのがそうする理由の一つであったが、私にとっては、アレオパゴスはいろいろなことを思い巡らすことのできる素晴らしい場所だったのである。
アレオパゴスは由緒ある場所である。ソクラテスやプラトンが議論を闘わせた古代の市場(広場)の跡がすぐ眼下に見下ろせる。そして、使徒パウロが演説をした場所として、聖書に親しむ者にとっては特別な場所である。
パウロはこの丘の上で大演説をした。当時のアテネの知識階級と言える人々が、何か新しいことを聞こうとしてパウロをアレオパゴスに連れて行って演説を求めたのである。その時のことについては、新約聖書『使徒の働き』17章に書かれいる。
パウロは神について語りはじめた。パウロも十分にギリシァ文化の素養を身につけた知識人であり、彼の演説は理路整然とした素晴らしいものだった。おそらく集まった人々は一心に彼の話を聞いていたと思う。ところが、途中でパウロはアテネの知識人たちにとっては全くバカバカしいおかしなことを語り始めた。「神に遣わされた一人の人」が死人の中からよみがえったという話をし始めたのである。死者の復活のことを聞いた時、おそらく聴衆はすぐにざわめき始め、もはや聞く必要はないと判断して帰り支度を始めたことだろう。いくつものヤジが発せられたことだろう。 復活の話はギリシァ人の理性には理解し難いことであった。
その時の状況は聖書には次のように記されている。…「死者の復活のことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは『このことについては、いつかまた聞くことにしよう』と言った。こうして、パウロは彼らの中から出て行った。」
このパウロの演説は失敗であったのか ? 才人パウロは、復活の話をすれば人々からバカにされること位は初めから予想していたはずだ。しかし、彼は復活を語らずにはいられなかった。それが彼の信仰の核心にある[事実]だったからである。それが福音を伝える唯一正当な方法だったからである。そして、結果は…大成功であった。ほとんどの人々は彼の話をあざ笑ったが、「アレオパゴスの裁判官デオヌシケ、ダマリスという女」その他名前の残されていない複数の人々が彼の伝えた言葉によって新しい命を得、キリスト者としての新たな生を歩み始めたのである。
二千年近く前のパウロの時代でさえ、イエス キリストの死者の中からの復活は、人々にあざ笑われた奇妙な話であった。けれども、20世紀の今日でもはっきりと復活は宣言され宣べ伝えられている。なぜなら、それは事実だからである。自然科学的な知識をたくさん持った現代の人々は、よりいっそう背理的なことに耳を貸さなくなってきている。しかし、神の言葉は、はっきりと復活を宣言し、その事実を宣べ伝えることを要請している。そして、パウロの時と同じように、数は少ないけれどもそれによって新しい命を得て復活のキリストと共に歩み始める人が生まれているのである。 |
