深 川 め し


 クラス会を毎年するようになったのは何時頃からだろう。卒業当時は新しい社会生活が
面白く、それなりに忙しくもあった。クラス会も余り無かったように記憶している。
子育ての時代を経、子等が自立し始めたその頃あたりからか?孫に振り回され、嬉し忙しい
ヤング婆ーバになりし頃か?
如何にせよ、歳と共に昔が、学生時代が懐かしくなってくるのでは
なかろうか?三年に一回、二年に一回、今では毎年になっている。
去年は支障あって欠席、
今年はどんな顔ぶれが集まるのかと楽しみに出かけた。最近では大方メンバーが決まっている
ような感が無くも無い。

クラス会での話題も歳と共に変わっていく。自分のことから、夫、お姑さん、子供、孫のこと。
自慢やら不満やら。誰だったか、いつかお見合い写真まで持ってきた人あったと思う。今では
自分の身体、健康、いや病気の話。昔、洗面所ではお化粧直しに余念のなかった面々も、
いつ頃からか、あっちが痛いこっちが痛い「貴女も?私も・・・」と、こっちも入れ歯の手入れを
しながら耳に入るのは色気の無い話ばかり・・・そして今では年老いた親の介護のこと。
最近欠席の人も「親の介護で・・・・・」が多い。いつだったか、ある友人が言った言葉
私、未だお嫁さんやってるのよ・・・
我々自身、高齢者になってきているし、鬼籍に入った人も何人かいる。

 そんなこんなで乾杯の後は近況報告となる。その中で【奥の細道】を歩いたと言う友がいた。
勿論何回かに分け、今回はA〜Bまで、次回B〜Cへと歩いたそうだ。隣の友が言う。
「ね〜歩かない?」と・・・・・
「一人じゃつまらない、一緒に歩かない?」
彼女、かなり気が入っていたようだった。

「そう言えば(・・・・・ 鳥啼き 魚の目は泪 )っていう句、上の句なんだっけ?」
「なんだっけ?なんだっけ?」二人して出てこない。「ナントカや よね」
「そう、なんだっけ???」・・・・「アッ!思い出した!(行く春や)よ!」
私はやっと思い出した。一件落着!だが、このあと、
行く春や 鳥啼き 魚の目は泪 
この句が頭から離れない。解散した後もずっと、 行く春や 鳥啼き 魚の目は泪 だった。
東京駅コンコースでは全国の駅弁を販売していた。「そうだ!夕飯に買って行こう」いい匂い!
美味しそう。「何にしよう?ああ、面倒だ。いっそ駅降りてスーパーのお弁当に・・・・」
と、その時、目に入った。【深川めし】!決まり! 未だ温かいのも嬉しい。 
これも芭蕉の、奥の細道の感化か?もともと深川めしは好きであるが・・・・・。