一 期 一 会


    カトリック系のその病院、私が入っていた病棟には、シスターの姿があった。
   夏の暑い盛りにも、洋画で見るシスターのあの服装で配膳の手伝い、廊下のモップがけ、
  時には  患者に優しく声を掛けて回る。いつも笑顔で動き回るその姿は神々しくさえあった。
  又病棟のはずれには小さな礼拝堂があり、 そこでは常に二人のシスターが祈りを捧げていた。
  いつでも自由に入れる、心の落ち着く空間であった。
  退院を数日後に控えた或る夕方、私は、未だ一度も降りたことのなかった中庭に出てみようと
  思っていたその時、N看護婦さんに会う。 「ご退院ですね、おめでとうございます」
 「有難うございます・・・  中庭に出てみようと・・・」「じゃぁ、私がご案内します。私、今日は
 もう上がりなんです。着替えてきます。 一寸待ってて下さい」
  彼女は病院に隣接している寮にいたのだった。直に戻ってきた彼女、売店でアイスパインを
 買って庭に案内してくれた。
 整然とした気持ちのいい庭だった。適当なところにベンチが置かれ、夕涼みの人も何人かいた。
 我々もベンチでアイスパインを頂く。何を話したのか全く覚えがない。優しい看護婦さんだった。
 あの時、どんなことを話したのだろう?
  庭の奥まった処にマリア像があった。そこで彼女は膝を折り、十字をきり二言三言つぶやいた。
 私は目を瞑り胸で手を組んだ。あの情景を忘れない。 翌朝、私は礼拝堂へ行ってみた。そこに
 彼女の姿があった。祈る彼女の後姿!そしてそれが最後だった。
  退院の際、ナースステーションに彼女の姿がない。非番、遅番など不規則な勤務体制の中では、
 二日や三日顔を合わせないことは、しょっちゅうあること。外来でまた来ることだしと・・・・・
  二週間後の外来診察も終え、病棟へ行ったが彼女の姿が見えない。「病室でも回っているのか?」
  受付で聞いてみた。「Nさん、おやめになりました」「????」信じられない返事だった。
 「事務のYさん、ご一緒のお部屋(寮で)でしたからお話してみたら・・・・・」と言うことで、
 そのYさんにあった。仕事中なので詳しいことは話さなかったが・・・・・
  【Nさんは修道院に入ったということ。急にやめた訳でもなく、前々から決まっていたこと、
 周りの人達はみんな承知だった】らしい。丁度その半月ほど前に私が入院、そこで出会い、
 退院の数日前に初めて個人的に二人の時間を持ったということ。 普通なら、その日の勤務が
 終れば早く自由になりたい。ましてや真夏、シャワーでも浴びたいところであろう。
 「御案内しましょう」と言ってくれた彼女、その面影すらないのが悲しい。ただ、あの中庭での 
 事実だけが、忘れられない。マリア像の前で膝まづいた姿。今思うと、どこか何かが違っていた。
 静かなお人だった。
  病室以外で、病状・治療以外で、勤務を終えた病棟の看護婦さんとお話したなんて・・・・・たった
 一時間足らずだったが、こんなことって、そうあるものじゃぁ無い。
  その後、Yさんに教えられた修道院に手紙を出したが、音沙汰なし。二年ほど経った頃、便りが
 あった。神に仕えている身の幸せと感謝の気持ちが書かれていた。
  あれから五十年近くになる。どうしているだろうか? 立派なシスターになり、神に仕え、祈りの
 生活を送っているだろうか?それともどこかの病棟で病める人々にやさしい笑顔で安らぎを授けて
 いるだろうか?どんなお顔だったか、どんな会話だったのかは全然覚えはないが、あの夏の夜、
 S病院中庭での事実は、一生忘れられない静かな思い出だ。