<< Back

Carles Rexach

Date : 2000.12.14 00:25:49


バルセロナの第2監督という経歴を持つレシャックがフリエの監督に 就任したのは98年。ちなみに当時の第1監督はクライフ。レシャックは クライフの片腕と評されていた。

98年、フリエはゴール裏のチケット料金が1000円、しかも出来たばかりの 横浜国際をホームにしており、サンパイオや山口、楢崎など代表クラスを 揃えていたので何回か見に行ったことがあった。

注目のレシャックの初采配はJ開幕戦、横浜ダービーだった。フリエのスタメンは GKが楢崎、DFが前田、サンパイオ、アンデルソン、MFは山口、 遠藤、瀬戸、永井、FWは波戸、大島、三浦淳。 当時主力だった服部、薩川、佐藤一などをベンチにおき、大島、遠藤と 高卒ルーキーを開幕スタメンに抜擢、さらにボランチのサンパイオをCBに 使うのはまだしも、アンデルソンはFWの選手・・・。
当時おおいに驚愕したことを覚えている。

そしてフォーメーションを見て、さらに驚いた。完全な3ー4ー3なので ある。マリノスがボールをキープしている間、最前線の中央に大島、 そしてサイドに三浦と波戸が張っており、まったく守備に参加しない。 いつも8、9人で守るところを7人で守っているのである。ボール支配率は 圧倒的にマリノスだったが、フリエはボールを奪うと長いボールを逆サイドに 通し、そこから守備を崩しにかかる。これは今までJリーグでは見たことの なかった斬新な戦術だった。

しかしレシャック率いるフリエは開幕戦こそ延長勝ちをおさめたが、 その後5連敗。やや持ち直して1stステージを9位で終えるが 2ndステージも序盤でつまづき、8節のベルマーレ戦1ー3で 敗れ、4連敗を喫して2勝6敗になったところで辞任となった。

レシャックはフリエを無理矢理バルサの型にはめようとしか感は否めない。 そして型にはまらなかったという結果を残し、日本を去っていった。

バルサのスタイルはユース年代からの一貫した育成、高い戦術理解能力、 そして100年という歴史が積み上げてきた「結果」であり、簡単に 移植できるものではない。言うまでもないがバルサに留学していた反町さんが 監督になったからといって、アルビがバルサになるなんてことは絶対にない。 バルサはバルサであって、アルビはアルビなのである。