玉繭物語3 〜生命の樹〜 著者:カワウニ ■00■ プロローグ 「……彼女が……もはや、止めるすべは…………誰か……あれは……遙かなパレルの意志に、あらず……誰か…………」  漆黒の闇の中、その声は力なく、微かに響き続けるのだった。 ■01■ バニシング・ジェネシス ”ゼロ、メロディー、ご飯よ!” 「怒鳴らなくたって聞こえるよ、母さん」  ゼロはトランシーバーから響く母親の声に苦笑すると、調査道具の地形プロッタをしまい、辺りを見渡した。 「ま、こんなとこか」  ゼロは両親の待つベースキャンプを目指して、樹海の中を飛ぶように軽快に走り始めた。磁石さえも効かないこのエルリム樹海の中で、ゼロはGPSコンパスも使わず、最短距離でベースキャンプへと戻っていった。幼い頃から父シドのフィールドワークに付き合わされてきたゼロとメロディーには、樹海の土地勘がしっかりと体に染み付いていた。周辺に住む村人も気味悪がり、分け入ろうとしないこのエルリム樹海が、ゼロとメロディーには、何故だかとても懐かしい場所に思えるのだった。 「楽勝楽勝。遅いよ、ゼロ」  一足先にベースキャンプへ戻ったメロディーは、肩で息をしながら得意げにゼロを見た。 「何だよ。お前の方が近かったんだろ?」  ムッとするゼロに、双子の妹であるメロディーが、自分の地形プロッタを見せながらニヤついている。 「アラ。男なんだから、このぐらいのハンデ、当然でしょ?」  地形プロッタを握るメロディーの右手の甲には、竜のアザがあった。 「ほら二人とも、ケンカしてないで手伝いなさい!」 「ハーイ」  一家は、毎年夏になると、この広大なエルリム樹海に長期キャンプを張り、樹海地形の調査を続けていた。父親のシドは地勢考古学を専攻する学者で、この惑星パレル最大の謎『バニシング・ジェネシス』の研究者であった。  『バニシング・ジェネシス』、すなわち『消失創世』とは、パレルの歴史上に横たわる巨大な空白期間を表す言葉である。今年はパレル歴2007年。世界中の国々が、このパレル歴を共通して使っている。だが、そもそもこのパレル歴が、いったい何を契機に始まった年号なのか、パレルという言葉自体、その語源は何なのか、まったく分かっていなかった。ハッキリしていることは、約千年前から二千数百年前までの期間、すなわち、パレル創世の頃から千年間、この星の歴史がポッカリと抜け落ちているという事実であった。  パレル人口17億。大都市から小さな村に至るまで、千年より過去に遡ることが出来ない。文献や石碑、建物や民間伝承に至るまで、千年より前を確実に語り継ぐ記録が、一切存在していなかった。あるのは只、千年前からそこに人々の営みがあったという事実だけで、歴史的にはまるで、総ての町や村が突然この世に現れたかのようであった。  世界中の歴史学者、考古学者が、このパレル最大の謎に挑んできた。数々の説が提唱されてきたが、どの説も決め手に欠け、未だバニシング・ジェネシスの謎は解かれていない。  シドは、地勢考古学、すなわち地形・立地が都市形勢に及ぼす影響を元に、過去に町が形成し得たであろう場所を分析し、失われた期間に存在した町を探す研究を続けていた。そして、その分析データの中から、ここエルリム樹海の特異性に着目し、ひとりこの地の研究分析に没頭し続けているのであった。千年前の記録をスタート地点にバニシング・ジェネシスを解明する研究者が大半を占める中、シドのように過去の地形からアプローチするやり方は、まるで博打だとして、学会でも冷遇されていた。大学でも変人扱いされ、出世を望むべくもない。だが、妻のフレアと双子の子供たちは、風評に構わず研究に没頭するそんな父親を理解し、尊敬していた。理解者こそ少ないが、シドの一家は、幸福に包まれていた。  密林の真ん中ともなると、さすがに娯楽も少ない。ゼロは興味もなく、短波ラジオのスイッチを入れた。 [──の衝突により、両連邦の軍事的緊張が拡大するのではと懸念されています。次のニュースです。シドラ海海底を調査しているクイン大学ケズラ教授の研究チームは、海底に直径500キロメートルを越えるクレーターの痕跡を発見しました。調査によると、このクレーターは──] 「ちょっとゼロ。ボリューム下げてよ。気が散るでしょ!」  数学の宿題をやっていたメロディーが、ゼロに文句を言った。 「何だよ、こんぐらい。どうせ母さんに手伝ってもらうんだろ?」  母親のフレアは、今でこそ専業主婦をしているが、元々はシドと同じ大学に勤めていた物理学者で、シドと違い、将来を嘱望された才媛だった。彼女の実力なら、高校2年の数学など、料理をしながらでも出来る。 「あなた達、またケンカ?」  シャワーを浴びてきたフレアが、長く美しい赤毛をタオルで乾かしながら、テントの中に入ってきた。 「ゼロ、あなたもシャワー使いなさい。そうだ。シャワーの出が悪いのよ。また吸水口に葉っぱが詰まったのね。明日掃除してちょうだい」 「ついでにやっとくよ」  ゼロはラジオのスイッチを切り、ランタンを手に取ると、テントの外へと出ていった。 「夜の川は危ないわよ。明日になさい!」  ゼロは母親の小言に煙たがるように右手をあげて答えると、河原の方へと歩いていった。上げられたゼロの右手の甲にもまた、メロディーと同じ竜のアザがあった。  フレアは溜め息をつき、シドの方へと近付いていった。シドは、そんなやり取りなど全く気にせず、子供たちが集めてきた地形データの解析に没頭していた。フレアは、モニターに集中するシドの横顔に、いつもと違う雰囲気を察した。 「何か見つかったの?」  モニターを覗き込むフレアに気付くと、シドは地形データを指さした。 「これは、今日子供たちが採ってきた東の丘陵地帯のデータだが、このエコー反応を見てごらん。かなり大規模な空洞地帯があるようだ。しかもその空間は、やけに規則的な反応を示している。まるで、通路か何かのようだ」 「あなた、それじゃあ……」  フレアは嬉しそうに夫を見た。  シドはただ闇雲にこのエルリム樹海に着目した訳ではなかった。この樹海の周辺にある村々には、樹海を逃れ移り住んだことを臭わせる伝承が、幾つも残されていた。しかも、どの村も共通してこのエルリム樹海に畏敬の念を持ち、禁忌の森として崇拝していた。そして、そんな村のひとつ、ネオサイラスには、かつてこの森の中に戦士たちが暮らす村があり、神との大いなる戦いがあったという民間伝承が伝わっていた。そして、樹海付近のどの村も、千年前から存続しているにも関わらず、村を維持するにはあまりにも立地が悪い土地ばかりであった。そのため千年の間に廃村となった村も多く、残る村も過疎が進み僅かな住民が暮らすばかりである。このような条件の土地は、世界的に見れば必ずしも少ないわけではない。だが、シドは、何故か特にこのエルリム樹海に興味を引かれ、徹底した調査を続けて来たのだった。  シドは、構造物の存在を臭わせるデータをジッと見つめながら、その場所に運命的な何かを感じていた。 「明日からみんなで、この場所を徹底的に調べよう」 ■02■ 魔攻衆壊滅  カフーがレバントの暴走を止めた『リリスの変』から、既に5年の歳月が流れていた。ケムエル神殿・玉座の間には、もはやかつての栄光の面影は無く、荒れ果てた戦火の跡を無惨に曝していた。中央にあった玉座は跡形も無く壊れ、頭上を飾っていたマーブ像も、肩から上がボックリと欠け落ちている。円形の壁面を飾る竜神ケムエルのレリーフは、業火に焼かれボロボロに焼け落ち、宝玉で飾られていた内装は、もはや見る影もない。左手のクマーリ門は、入り口の石壁が崩れ、ほころんだ結界から森の不気味な光がチロチロと漏れている。難を逃れた右手のカヤの門の前には、魔攻衆の手によって岩や丸太が積み上げられ、門を厳重に塞いである。  玉座の間の入り口付近には、クマーリ門を監視するためのバリケードが築かれ、常時数名の魔攻衆が、結界からの侵入者を昼夜を問わず見張っていた。クマーリ門の脇には、侵入した聖魔の死骸が無造作に積まれ、流れ出した血や体液が、すえた臭いを漂わせながら、床をドス黒く汚していた。  見張りの魔攻衆たちの顔には、明らかに疲れの色が出ていた。だが、彼らの鋭い眼光は、一瞬たりともクマーリ門から切られることは無かった。クマーリ門の向こうにある時空の狭間の森。そこはもはや、かつての森とはまるで異なるのだ。 「役目大儀。状況は?」  交代要員の魔攻衆を従え、三代目の神殿首座を拝命したばかりのバニラが訪れた。見張りの衆は、最敬礼で新たな指導者を出迎えた。バニラは、優雅な長い巻き毛をなびかせながら、彼らの労をねぎらった。  三代目ケムエル神殿首座バニラ。美少女アイドル魔攻衆ユニット・スイーツナイツの元メンバーだった彼女は、5年の歳月を経て、輝くばかりに華やいだ美女へと成長していた。歳はまだ十代ではあったが、色鮮やかな軽装の甲冑をまとったその姿は、既に堂々たる女王の貫禄を漂わせていた。ナムやココナたちが亡くなった今、バニラの実力は、カフーに次いで魔攻衆のナンバー2である。ヌメヌメ好きは相変わらずであったが、カフーに神殿首座を譲られ、その重責をまっとうしようと彼女なりに努力しているのだった。 「カフーから連絡は?」 「未だに、何も……」  カフーの指命は、容易い物ではない。そうそう消息は知れないことも重々承知している。カフーの実力なら、必ず無事に帰還するはずだ。バニラはカフーを信じつつも、不安を隠しきれずにいた。見張り役は、話題を変えようと、報告を続けた。 「今、森には3隊が哨戒に入ってます。あと、ジルさんとキュアさんが調査に……」 「エッ? キュアが?」  バニラは、憂いに瞳を曇らせながらも、クマーリ門から漏れる森の光を、ジッと見つめた。  崩れかけた結界の向こうに見える聖魔の森。時空の狭間にあるその地は、もはや5年前とは似ても似つかぬ場所になっていた。  かつて、繭使いの時代には、聖魔の森は、ごく普通の樹木に覆われた穏やかな森に過ぎなかった。だが、時空の狭間へ封印され、魔攻衆の時代となった頃には、聖魔も森も、異形の物へと変化していた。そして今、レバントが闇の森に消えてから僅か5年、聖魔の森は、更に荒々しい人外の地へと豹変していた。  カフーがレバントの跡を継ぎ、二代目の神殿首座となって数年の歳月が流れた頃、聖魔の森に新たな変化が始まった。赤子の声のような不気味な拗樹音が森全体に響き渡り、変貌の時を迎えたのだ。時空が激しくうねり、森の地形も生い茂る植物も、一夜にして変わってしまった。住んでいた聖魔たちにも変化が生じ、変異種や新種が次々と誕生した。  新種の聖魔の登場は、魔攻衆に深刻な問題をもたらした。新種の聖魔は在来種に比べ、力も強く、能力も高い。魔攻陣に配置すれば、有力な戦力となることは間違いなかった。だが、肝心の浄化をすることが極めて困難だったのである。  この事はすなわち魔攻衆の弱体化を意味していた。新種聖魔の補充もままならず、劣勢種による布陣での戦いを強いられた魔攻衆は、かつてのように自由に森に分け入ることが難しくなった。そして、そんな魔攻衆に、更に追い打ちを掛ける事態が発生した。メガカルマの登場である。  5年前、カフーたちは、聖魔より強力な敵、カルマと戦っていた。そして、その森の変貌に伴い、カルマもまた、更に強力な種へと進化したのだ。メガカルマは、力だけでなく、人間に近い知能も持っていた。メガカルマを倒すことは、一流の魔攻衆をしても困難であった。森での優位性を失った魔攻衆は、新たな打開策も見つけられぬまま、苦しい戦いを強いられたのである。  そして、今から約1ヶ月前、ついに恐れていた事態が訪れた。メガカルマによる組織的な大攻勢『ホワイト・ヴァイス』の発動である。  それは、メガカルマ部隊の襲撃から始まった。4つの森に散在していた魔攻衆たちは、各森ほぼ同時に、メガカルマ部隊の襲撃を受けた。偶然その時森に入っていたウーとシナモンの機転により、事態はすぐにケムエル神殿へと伝わった。事態を掌握したカフーたちは、直ちに救援部隊を編成。ナム、ココナ、ショコラ、バニラを各隊長とした主力の4方面部隊と、カフー,ジルを中心とした少数精鋭の遊撃部隊を森へ投入。力で圧倒し、一気に事態を収束させる作戦に出た。だが、それこそがメガカルマの罠だったのだ。  救援部隊が、森の奥深く分け入った頃、手薄となったケムエル神殿に、魔攻衆に化けたメガカルマの突入部隊が侵入し、神殿と結界を破壊し始めたのである。後方支援として待機していたキュアとミントが気付いたときには、玉座の間は既に炎に包まれていた。ふたりの奮闘空しく、クマーリの結界が徐々に効力を失い、ついには、そのほころんだ結界を突き破り、夥しい数の滅びの蟲『オニブブ』が、現世へと飛び出したのだった。オニブブは、そのまま周辺の村を次々と襲い、七つの里に目覚めぬ眠りを撒き散らしていった。  負傷したミントを避難させると、キュアは単身敵中突破を図り、森にいるカフーたちに危機を知らせた。こと此処に至り、メガカルマの罠を知ったカフーたちは、ケムエル神殿の奪還のため、危険を承知で逆走せざるを得なかった。魔攻衆は、傷付いた仲間を連れながら、神殿を目指した。そして、それを待っていたようにメガカルマの総攻撃が、敗走するカフーたちに襲い掛かったのである。カフーは、ジル、キュアと共に先行し、伏兵をなぎ倒しつつ退路を開き、神殿奪還へ急行した。主力部隊もまた、隊長以下精鋭がしんがりを務め、メガカルマの猛攻をしのぎつつ、仲間の脱出を助けたのだった。  カフーたちが神殿に到着し、その奪還に成功したことにより、事態は収束の方向へと向かった。だが、この撤退戦によって、魔攻衆は、その半数が戦死するという壊滅的な打撃を被ってしまったのだった。しんがりを務めたナム、ココナ、シナモン、ショコラは戦死し、ウーも重傷を負ってしまった。まさに、完敗であった。  崩壊寸前まで迫ったクマーリ結界ではあったが、神殿の奪還により、ある程度持ち直すことが出来た。村々を襲ったオニブブも、神殿から遠ざかると共に力尽き、やがて死に絶えていった。  カフーたちは、悲しみに暮れる間もなく、急いで魔攻衆の建て直しに着手した。だが、戦力の半数を失い、クマーリ結界も破損した今、新たなメガカルマの大攻勢を防げるだけの保証はどこにもない。頼みの綱である魔攻陣も、限界が見えている。だがそれでも、ナギ人も繭使いもいない今、森の脅威から人々を守れるのは、もはや魔攻衆しかいないのだ。絶望的な状況の中、生き残った者たちは、懸命に打開策を模索した。  ホワイト・ヴァイスに関する後の分析で、複数の魔攻衆の証言から、白い人型のメガカルマが、指揮を執っていたことが確認された。これまで全く見られなかった組織的な攻撃からも、メガカルマが組織化されていることは明らかだ。  カフーは、森でいったい何が起きているのかを調べるため、単身森深く潜入することを決意した。そして、神殿首座をバニラへと譲り、後背の備えを任せたのである。  ゲヘナパレ帝国の崩壊。繭使いの時代。かつてパレルの人々は、滅びの蟲『オニブブ』に怯えながら暮らしていた。そしてパレル歴999年。人々は再び、オニブブの襲来に恐怖することとなったのだ。 『みんな……がんばるッス』  バニラは、不気味に光るクマーリの結界を見つめながら、悲壮な決意を固めるのだった。 ■03■ オーバーラップ 「……何だ、ここは?」  エコーデータを元に、空洞空間へ降り立ったシド一家は、その異様な光景に唖然とした。彼らが丘陵地帯と思っていたその場所は、樹木によって作られた巨大なドームそのものだったのだ。根とも枝ともつかぬ巨大な木々が、梁のように幾重にも複雑に絡み合い、頑丈な天井を作っている。天井には、地上までの抜け穴がいくつも残り、そこから漏れる弱い光がドーム内部をうっすらと照らしている。いったいどうすればこのような地形が生まれるのか。そこはまるで、何者かが意図的にこの場所を樹木で覆い隠したかのようであった。  ドームの中には、明らかな町の痕跡が眠っていた。石畳の道に塀の跡。崩れてこそいるが、かつてそこに人々が住んでいたことは、もはや疑う余地がない。ドーム内の遺跡は、保存状態が極めて良好だった。これだけの樹木に覆われれば、落ち葉などの堆積が相当進んでいてもおかしくない。だがドームの中は、腐葉土はおろか、苔類の繁茂すら進んではいなかった。その様子はまるで、この樹木のドームが一瞬にして形成されたかのようであった。  一家は、道標のマーキング・タグを残しながら、慎重に奥へと進んだ。しばらくすると、巨大な建造物の跡にたどり着いた。屋根はドームの天井に届き、上部が崩れている。暗くて建物の全容は掴めないが、おそらく町の中心的な建物だったのだろう。ドームの所々から射し込む僅かな光と、手にしたランタンを頼りに、一家はその建物の中へと入っていった。  建物は、明らかに住居ではなかった。大広間のような場所がいくつもあり、大がかりな装飾を施した跡が、随所に残っている。食堂のような場所や、休憩所のような部屋もある。 「集会場か、神殿のたぐいかもしれないな」 「スッゲ〜! こりゃ大発見だね、父さん!」  ゼロは興奮しながら、辺りを見渡した。 「イヤ〜ン、何これ〜!?」  突然、メロディーがゼロに飛び付いた。ランタンを向けると、そこには2メートル近くもある太った鳥人間の像が立っていた。 「うわ、何だこりゃ?」  像は白いメノウのような岩で出来ていた。フレアもランタンを近づけ、間近に観察した。 「随分細かい細工の石像ね。今にも動き出しそうだわ」 「信仰の対象か何かだろう。でも、こんな鳥人像は始めて見るな」  勿論一家には、それが石像などではなく、鳥人キキナクのなれの果てであることなど、知る由もない。シドは像の場所にもマーキングを残すと、更に先へと進んだ。 「どうやら、ここが終点だな」  一家は、円形の大広間へ出た。シドは、頭の中で描いた建物の構造と照らし合わせた。本来ならば、ここが一番重要な部屋のはずだ。実際、床や壁面を見ると、相当細かい装飾がされていた形跡がある。だが、壁面などの傷み具合は、この部屋が一番悪かった。 「こりゃ、盗掘にでもあったのかな?」 「パパ!」  メロディーが壁面を指さした。ホコリの下には、すすけたような跡がある。 「……なるほど、火災が起きたのか。これが、ここを放棄した原因なのか……。いずれにしても、今後の調査課題だな」  シドは、部屋の中央で腰を下ろした。ゼロたちもそれにならい、小休止となった。シドは水筒の水を一口飲むと、みんなに話し始めた。 「保存状態がいいので判断しにくいが、ここの石組みにしても、そこそこ年代の経った物だろう。これを見てごらん」  どこで拾ったのか、シドは小さな錆びた鉄の小片を見せた。 「飾りか、鎧の一部か。鉄を使う文化があったようだ。過去千年間、この樹海の中に町があったという記録は無い。建物の造りから見ても、三千年以上前の建物ってことも無いだろう。もしかすると、こいつは当たりかもしれないぞ」 「やった!」 「それじゃあ?」  ゼロとメロディーが、はしゃぎ声をあげた。だが、シドは冷静に話を続けた。 「喜ぶのはまだ早いさ。千年以内の可能性も十分あるし、ぬか喜びだった例はこれまでにも山ほどある。ただ……気になるのは、ここを覆ってる樹木のドームだ。素人目に見ても、千年や二千年で出来る代物じゃないだろう。ドームの中に町を作ったのかとも思ったが、町自体、ドームを意識した作りにも見えない。いずれにしても、もっと大規模な調査隊を組んで、じっくり調べる必要があるな。とにかくこいつは、大発見には違いないだろう」  シドがニヤリと笑うと、一家は手を取り合って喜んだ。  * * * 「こいつだ……」  ジルは、祭壇のような巨大な茎の上に輝いている白い宝珠を、感嘆の眼差しで見上げた。  ホワイト・ヴァイスの約1ヶ月前、各森の中央に一株ずつ、オニカズラを遙かに上回る巨大な苞殻(ほうかく)植物が確認され始めていた。成長した苞の中は広いテントを思わせ、中央にはまるで祭壇のような茎がそそり立っていた。充分に成長を遂げると、その茎の頂上に透明な宝珠が現れ、その中に白い光が貯まっていく事までが確認されていた。その植物は、特徴から見ても、オニカズラやヒメカズラの変種であることは間違いなかった。ジルはその植物を、皇帝カズラと名付けた。  聖魔の森は、時空の狭間を漂ういくつもの島で形成されている。オニカズラとヒメカズラには転送装置のような能力があり、バラバラに浮遊する各島を繋ぐ役目を果たしている。ジルたちは、皇帝カズラにも何らかの能力があるものと予想し、その成長に注意を払っていた。  ホワイト・ヴァイスによって、調査は中断を余儀なくされていたが、先頃、哨戒中の魔攻衆が、偶然この森の皇帝カズラの異常に気付いたのだった。茎の頂上の宝珠は、まばゆいばかりの白い輝きを放っていた。他の皇帝カズラでも、光が7分目以上にまで貯まっていることが確認されている。ここの宝珠は、他に比べ多少成長が早かったらしい。輝きは猛烈なエネルギーを帯びているらしく、近くにいるだけで、ビリビリとパワーが感じられる。 「これは……力を蓄え終えた状態なのかな……。この後いったい何が起こるんだ?」  ジルは、不安な表情を浮かべている。だが、寄り添って立つキュアは、やさしく微笑みながら、静かに宝珠を見上げていた。 「わたしには、この輝きがとっても気持ちいいわ。……何だか、懐かしいような、愛しいような……ほら、感じない?」  キュアがそっとジルの腕を抱き、体を預けてきた。ジルはキュアの肩を抱くと、キュアの言葉に戸惑った。 「僕には、さっぱり感じないが……キュア、だいじょぶかい?」  急にキュアの顔色が青ざめ、辛そうに身を縮めた。実はキュアは妊娠しているのだった。ホワイト・ヴァイスが無ければ、ふたりは祝言をあげる事になっていた。だが、あの惨劇によって、それも無期延期となっていたのである。ホワイト・ヴァイスの後、キュアは自分が妊娠していることに気がついた。だが、彼女はまだ、そのことをジルに話せずにいたのだった。 「ううん、大丈夫。すぐに良くなるから」 「やはり、僕だけが来れば良かった」 「何言ってるの。あなた一人で行かせられる訳ないじゃない」  以前からカズラの中では、カルマと出会う頻度が高かった。皇帝カズラにおいてもそれは同様で、宝珠の調査には、常にメガカルマと遭遇する危険性が付きまとう。そして今、そのリスクが現実の物となってしまった。 「おや〜? 何だ貴様らは?」  迂闊にもジルたちは、敵の接近に気付くのが遅れてしまった。蛾のような人型のメガカルマが、ジルたちの背後に現れた。ジルは慌ててキュアをかばい、身構えた。 「あんだけ痛い目に遭いながら、また性懲りもなくリオーブを嗅ぎ回ってんのか? 許さんぞ、人間ども」 「リオーブ? あの宝珠はリオーブと言うのか?」  ジルは蛾のメガカルマの言葉尻を捕らえ、問いただした。メガカルマは、慌てて両手で口を押さえた。 「うっ、うるさいっ! リオーブはお前たち人間どもが触れていいものじゃないんだ! マテイ様にあれだけ叩きのめされたくせに、神聖な森をウロチョロするんじゃない!」 「マテイ? それはもしや、白いメガカルマのことか?」  メガカルマはジルの追い打ちに、露骨にしまったという表情をした。どうやらこのメガカルマは、あまり賢くないようだ。メガカルマは、動揺しながらも、開き直って話し始めた。 「フ、フン。マテイ様を我らなどと一緒にするな。冥土の土産に教えてやる。マテイ様は、我らメガカルマを統べる七聖霊のお一人だ。お前ら人間など、まるで相手にならん。森をウロチョロしていたお前たちの仲間を森からまとめて叩き出したのも、マテイ様のお考えによるものだ。あの時だって、マテイ様が手心を加えられたから、お前らは全滅しないで済んだんだぞ。有り難いと思え!」  ようやく威勢の戻った蛾のメガカルマが、ジルたちに対し身構えた。 「おしゃべりはここまでだ。さあ、かかってこい。ひねり潰してやる」  おつむの出来はともかく、戦闘力には自信があるようだ。ジルの本業は考古学者だが、魔攻衆としても十傑に名を連ねる猛者である。だが、そのジルをしても、メガカルマとの戦いでは2度に1度は敗走を強いられる。ジルは覚悟を決め、魔攻陣を展開した。すると、キュアもまた、ふらつく体を押して、魔攻陣を開こうと身構えた。 「キュア、今の君には無理だ! あいつは僕が引きつける。その隙に逃げるんだ!」 「そんな! 何を言ってるの?! あなたを置いてなんて行けないわ!」 「行くんだ、キュア!」  メガカルマが頭を掻きながら、呆れた声で怒鳴った。 「何をいちゃついてやがる。ふたりとも逃がしゃしないぞ」  そう言うと、蛾のメガカルマは、けばけばしい羽を広げ、ふたり目掛けて鱗粉を振りまいた。 「しまった!」  ジルは慌ててブラーブラーにフォバリーナを張らせた。炎の防壁がふたりの前に現れる。だが、メガカルマの攻撃が一瞬早かった。鱗粉の一部が、既にふたりを包み込んでいた。 「ゴホゴホ……ウッ」 「クッ、キュアッ!」  キュアは美しい顔をゆがめ、その場にひざまずいた。ジルは彼女を助けようとするが、彼もまた、手足が痺れ始め動けない。炎の防壁によって、何とか致死量の鱗粉までは防ぐことが出来たが、反撃できる状態ではない。 「フン。たわいの無い」  蛾のメガカルマが、炎の向こうで笑っている。防壁も、そう長くは保たない。どうやらメガカルマは、炎が消えるのをまって、ふたりにとどめを刺すつもりらしい。ジルはキュアをかばうように抱いた。ふたりを守る炎の壁が、少しずつ勢いを失っていく。 『これまでか!』  そう思ったとき、突然、うずくまるキュアの体から、淡い光があふれ始めた。 「キュア!?」  光がどんどん強くなり、鱗粉を浄化しながらふたりを包んでいく。とどめを刺そうとふたりに近付いたメガカルマが、いぶかしげに見ている。 「あ〜? 反撃でもしようってのか? 往生際のわ……ああ!?」  蛾のメガカルマは、ジルたちの頭上に輝くリオーブの異変に気が付いた。まぶしく輝いていたリオーブの表面から次々と光の帯が飛び出し、リオーブの周囲を回り始めた。光の帯が見る見る増え、リオーブを包み込んだ超高速回転する光球になった。その凄まじいエネルギーが森の空気を激しく揺らす。 「な、なんだありゃ? こんなこと聞いてないぞ!?」  蛾のメガカルマは、突然のリオーブの変化にオロオロするばかりだった。突然、キュアの光球から一筋の光のリボンが伸び、リオーブの光球に届いた。その途端、光球が雷鳴と共にリオーブから剥ぎ取られ、キュアたちの頭上へ落下した。 「ウワーッ!」  蛾のメガカルマは、目の前に落ちた光球の衝撃を喰らい、ひっくり返った。床に叩き付けられた光が、渦を巻いてかき消されていく。渦の中心に、四人の人影が浮かび上がった。 「あいててて……」 「おい、みんな無事か?」 「メロディー、ケガは無い?」 「うん。平気よ、ママ」  光のまぶしさに一瞬視力を奪われた四人は、お互いの安否を声で確認した。ゼロはショボショボする目をこすると、目の前にある何かに目をこらした。 「うわあ! 何だこれ?!」  ゼロの前に、尻餅をついたメガカルマがいた。 「なっ、何だお前! どっから湧いて出た?! うわー! リオーブが、リオーブの輝きが!!」  頭上に輝いていたリオーブからは、完全に光が失われていた。蛾のメガカルマは、慌てて起きあがると、ゼロに詰め寄った。 「おのれ、貴様らの仕業か! 死ねーっ!!」  蛾のメガカルマが、羽を大きく広げた。だがその瞬間、ゼロのすぐ後ろにいたメロディーが、すかさずケモノ除けの催涙スプレーをメガカルマに浴びせた。 「グオ──ッ!」  大きく息をしたメガカルマは、まともにガスを吸い込み、苦しみもがいた。 「この野郎!」  ゼロは、ケモノ除け用のスタンクラブを、メガカルマの足に叩き付けた。 「ギャ──ッ!!」  高圧電流がメガカルマの全身を走り、引きつりながらその場でのたうち回った。 「二人とも、どけ!」  背後からのシドの声に驚き、ゼロとメロディーは慌てて左右にどいた。ジルの魔攻陣に配置された聖魔ギガティランが、地属性の絶技『スーパープルーム』を放った。 「ウギャ──!!!」  メガカルマの体が一瞬激しく振動して浮かび上がり、そのままボロボロと土のように崩れていく。 「バケ……モノ?!」  奇妙な骨格を残し、メガカルマの体が崩れていく。ゼロとメロディーは、その光景に目を疑った。 「パパ! 何なの、今……の?」  ゼロとメロディーは振り返り、更に目を疑った。そこにいるのはシドとフレアではない。よく似ているが、全くの別人だ。だいたい服装が全然違う。 「え? あ、あの、あんた誰?」 「何言ってんだ、ゼロ。だいじょぶかい、母さ……?」 「ええ大丈夫よ……あなた、その格好……」  四人はしばし呆然とした。ゼロはゼロ、メロディーはメロディー。それは問題ない。だが、残るふたりは、ジルとキュアであった。 「あなたのその姿……そう、名前はジル。メロディー、鏡見せて」  メロディーは、ウェストポーチから携帯の鏡を取り出すと、恐る恐るそれを向けた。フレアらしきキュアは、覗き込むように自分の顔をジッと見つめた。 「あらやだ。若返っちゃったわ」  フレア=キュアは、コロコロと楽しそうに笑った。 「ママ!」  こんな反応を示せるのは、確かにフレアぐらいのものだろう。3人は母親の動じない性格に、改めて呆れるのだった。フレア=キュアは、平然とした表情で話し始めた。 「どうしてこうなったのかは分からないけど、さっきの光に包まれて、あの遺跡からここに運ばれてきたみたいね。この体の持ち主の名前はキュア。魔攻衆っていう戦士のひとり。さっきの化け物たちと戦ってるようね。いったいどういう世界なのかしら。不思議だわ……。あなた。あなたもジルの記憶が分かるでしょ?」 「あ、ああ……」  シド=ジルも、ジルの記憶を思い出してみた。 「僕も魔攻衆で……ゲヘナパレ王国付き錬金術師の末裔にして、考古学者!? まてよ? そんなバカな!」  シド=ジルは、ジルの記憶に愕然とし、頭を抱え震えだした。 「ここは時空の狭間にある聖魔の森。エルリム樹海じゃない。エルリム……森の神……実在した聖霊たち……古代超国家……神との戦い……ナギ人……ケムエル神殿……不死の戦士レバント……魔攻衆」 「あなた!」  フレア=キュアは、思わずシド=ジルの肩を掴んだ。 「何てことだ。今はパレル歴999年! これが、失われたパレルの歴史だってのか!?!」 「あなた、今は何も考えないで! ゼロ、メロディー、手を貸して。パパをここから連れ出すのよ。グズグズしてると、さっきの奴の仲間が来ちゃうわ!」  ジルは考古学者として、パレルの歴史に関する膨大な知識を持っている。シドは、その理解しがたい知識と自分の知識とがオーバーラップしたことにより、パニックを起こしてしまったのだ。一方キュアは、元々は水の竜の変異体で、5年前オーブの加護で人間となり、それ以前の記憶は消されている。そのため、キュアの持ち合わせている記憶と言えば、魔攻衆としての知識や日常的なものぐらいで、幸いにして、オーバーラップしたフレアを混乱させるほどではなかった。 「でも……逃げるって、どこへ?」  メロディーが当惑しながらフレア=キュアに聞いた。 「まずは魔攻衆が拠点にしているケムエル神殿に行きましょ。この森を出るには、それしか無いんですって」  ゼロはシド=ジルを担ぎ上げ、肩を貸した。メロディーは素早くみんなの手荷物をまとめた。フレア=キュアが先導役となり、四人は光を失った皇帝カズラから慌てて逃げ出した。 ■04■ ミッシング・リンク 「わたしはそろそろ戻るとしよう。見張り、頼んだぞ」  小一時間ほど玉座の間の詰め所に張り込んでいたバニラは、見張りの衆に後を任せ、その場を立ち去ろうとした。その時、クマーリ門の結界が急に光り始め、誰かが森から出てくることを告げた。見張りの衆に緊張が走り、いつでも魔攻陣が展開できるよう身構える。まばゆい光の中に、4人の人影が浮かび上がった。 「さあ、着いたわよ。ここまで来れば大丈夫」  フレア=キュアは、笑顔でゼロとメロディーに告げた。シド=ジルもだいぶ落ち着きを取り戻していた。メロディーがフレア=キュアに話し掛けようとしたとき、笑顔で近付いて来る女戦士の姿に気付いた。 「お帰りなさい、キュア、ジル」  メロディーは思わずフレア=キュアにしがみついた。 「ただいま、バニラ首座」  バニラはフレア=キュアの手を取ると、照れくさそうに笑った。 「その呼び方はやめて。それより無事で良かったッス。大事な体なんスから」  バニラも、キュアが妊娠していることに気付いていた。と言うより、ジルだけが気がついていないと言った方が正しかろう。 『なんスから、って……エ〜?』  ゼロは、バニラの華麗な容姿と言葉遣いのギャップに戸惑い、呆然と見つめていた。 「キュア。この子たちは?」 『この子って、2,3歳しか違わないんじゃないの?』  メロディーは、バニラの言葉にちょっとムッとしたが、メロディーもまた、彼女の年齢を見誤っていた。実際にはバニラとふたりの年齢は、一つしか違わなかった。日々聖魔と戦い、死線をくぐってきたバニラには、一流の戦士としての貫録がある。それに引き替え、ゼロとメロディーは、平和で裕福な2007年を生きてきた。バニラから見て、ふたりが幼く見えるのは、仕方のない事だった。 「この子たちは、はるばる訪ねてきたジルの甥っ子なの。聖魔の森がどうしても見たいっていうから連れてったんだけど、メガカルマが出ちゃってね。ちょっと危なかったわ」  フレア=キュアは、口裏を合わせるようにと、ゼロたちにウィンクした。ゼロもメロディーも、平然とキュアを演じる母親に呆れるのだった。 「素人を森に連れてくなんて、何て無茶を!」 「ゴメンね。その代わり、収穫もあったわ。ねえ、ジル」 「え? あ、ああ」  フレアは話をシドに振ってみた。まだ、まともに相手が出来る状態ではないようだ。 「ジル、どうかしたッスか?」  シド=ジルの様子を見て、バニラが尋ねた。フレア=キュアは、慌てて取り繕った。 「わたしたちを守ろうとして、ちょっとメガカルマにやられたの」 「そいつはいけないッス。すぐに医務室に」 「いや、僕なら大丈夫だ。それより早くジルの家に行って研究資料を調べたい」  シド=ジルはゼロの助けを解くと、フレア=キュアに近付き、話し掛けた。 「分かったわ。ここはわたしが何とかするから、先に”アナタ”の家に帰ってて」  フレア=キュアは、シド=ジルに軽くキスをすると、彼を一人で行かせた。シド=ジルは、記憶では慣れている初めての道を、まるで暗がりを歩くような足取りで歩いていった。 「えっと……キュアおばさん。ボクも父さ……ジルおじさんについてった方が良くないかな?」  ゼロは父親を心配して、母に尋ねた。フレア=キュアはニッコリ笑うと、ゼロのおでこを指で小突いた。 「キュア姉さんって呼んでちょうだい。ジルなら大丈夫よ。それより、森での収穫をみんなに知らせなきゃ。バニラ。主立ったメンバーをキキナクの所に集めてちょうだい」 「オ、オウ。お安い御用ッス」  バニラはジルとキュアの様子に妙な違和感を感じながら、みんなを率いて歩き始めた。  * * * 「申し訳ありません、マテイ様」  白い甲冑を身につけた聖霊が、白いローブをまとう聖霊マテイに対し、深々と頭を下げている。マテイは、光を失ったリオーブを見上げたまま、静かに答えた。 「過ぎたことは致し方あるまい。巡回のメガカルマは、おまえの第一軍に属したとはいえ新参者であろう。それに、これはその者の未熟で説明が付く現象ではない。気にするな、シャマイン」  マテイは、第一軍団長シャマインに向け、軽く手を横に振った。  頭上のリオーブは、完全に沈黙していた。輝きは枯れたままで、空気を震わすようなパワーも消滅している。だが、茎もリオーブを包む花弁も、瑞々しく生気を保っていた。 「どうなのだ、マハノン」  マテイは、隣でリオーブを見上げている女性の聖霊に話し掛けた。マハノンは、別段動じることもなくリオーブを見ていた。マテイの問いかけに、彼女は軽くため息をついて微笑むと、腰まで伸びた長い髪と純白のドレスを微かに揺らし彼の方を見た。 「案ずるには及びません。リオーブは花が散っただけのこと。また力を貯めまする」  そう告げると、手に持っている竪琴をそっとつま弾いた。優しい音色が立ちのぼり、リオーブへと届く。リオーブの芯に小さな光が灯った。  再びリオーブを見上げたマハノンは、ほんの少し表情を曇らせた。 「問題は、なぜ花が散ったのか……」  マテイは、けげんな表情をした。 「弾けてしまったのではないのか?」  マハノンは真剣な眼差しで光を貯め始めたリオーブを見つめながら答えた。 「それならば、この森も只では済みますまい。花は見事その役を果たし、散っておりまする」 「まさか、魔攻衆どもがリオーブを動かしたとでも言うのか!?」 「あるいは、誰かがここへやってきたのか……」  リオーブの中に、小さな光が蛍のように舞い始めた。 「フッ、まさかな。だが、意図的にせよ偶然にせよ、どこかにつながったことは間違いないということか……。他のリオーブまで散らされたのでは厄介だ。戻り、ゼブルに相談するとしよう。あいつなら何か分かるやもしれぬ。シャマイン。総てのリオーブ、警護を怠るな。これ以上、計画を遅らせる訳にはいかん」  マテイとマハノンは、ゼロたちを召還した皇帝カズラを跡にすると、森の奥へと消えていった。  * * * 「有り得ない! 有り得ないよ!」  キキナクは、小さな翼をバタつかせながら、駄々っ子のようにフレア=キュアの言葉を否定した。 「ジルが倒したメガカルマが、そう言ったのよ。白いメガカルマは聖霊だって」  神殿の中に設けられたキキナク商会のロビーには、魔攻衆の主立ったメンバーが集まっていた。居並ぶメンバーは手練れ揃いではあったが、それでも戦力不足の感は否めなかった。かつての魔攻十傑衆メンバーで出席しているのは、首座のバニラとキュアだけである。カフーは未だ森の中で、ウーとミントも傷が癒えていない。緊張の面もちで、全員がフレア=キュアとキキナクの会話に聞き入っていた。 「あのホワイト・ヴァイスは、七聖霊の一人のマテイという聖霊が、わたしたちを森から追い出すために立てた企てだって。キキナク、アンタも聖霊だったんでしょ。聖霊のことなら、アンタに聞くのが一番よね?」 「有り得ないよ! 生き残った聖霊は、ドロップアウトした僕とヤム一家だけなんだ。他の聖霊は全員死に絶えて、エルリムの奴も二度と聖霊を創れなくなったんだ。ハハッ、ざまーみろ! 聖霊の中で一番強くて一番賢くて一番美しい僕を、こんな姿にしやがって。当然の報いさ。もう聖霊は生まれっこないんだ!」  まくし立てるキキナクの顔に、玉の汗が流れる。聖霊の復活に、相当激しく動揺しているようだ。  キキナクは、神話の中にも登場する聖霊であった。かつて彼は聖霊アモスと呼ばれ、エルリムの命を受け、他の聖霊たちと共に様々な獣を創り出した。そして彼が座興に創った聖霊によく似た獣、それが人間だとされている。その後、聖霊マモンが人間に知恵を与えてしまい、エルリムはその知恵ある獣を忌み、アモスに交わることを禁じたという。だがアモスはエルリムとの契約を破り、人間と交わり、聖霊の力を持つ人間が生まれてしまった。その血族こそ、かつて聖魔を封じ、繭使いを支えたナギ人だとされている。契約を破ったアモスはエルリムの罰を受け、姿を変えられ鳥人キキナクとなった。そして知恵の聖霊マモンもまた、物欲に溺れたため、姿を変えられ追放された。それが森人ヤム一家だと伝えられている。  キュアもその伝説をジルから聞かされていた。だが、当然フレアは、それが真実ではないことを知っている。2007年の世界では、4000年前の遺跡も、人類の祖先の化石も発掘されている。森の神エルリムの神話も、聖霊による人類創造も、未来の世界には伝わっていない。今ここで語られている神話の世界は、わずか千数百年の期間の消失創世の中の話なのだ。 『この世界の人たちは、神話の話を周知の事実として受け止めている。オマケに目の前には、その生き証人までいる。これは一体、どういうことなの?』  フレア=キュアは、目の前の大きな矛盾に戸惑いながらも、キキナクの話を聞いた。 「聖霊は……あなたは本当に人間を創ったの?」 「失礼だよ、キュア。僕が土人形の君たちに命を吹き込み、人間を創ったんだ。まあ、数が多かったから、他の聖霊たちにも手伝わせたけどね。ごうつくのマモンに知恵を付けられた人間は、ゲヘナパレ帝国を作り、繁栄を謳歌したのさ。僕がこうして追放された後、エルリムと人間たちとの間にいざこざが起きて、その結果、総ての聖霊は死に絶えてしまった。ゲヘナパレも滅んだけど、エルリムの奴も、しもべである聖霊を二度と生み出せなくなったんだ。だから聖霊が再び現れるなんて事は、絶対に有り得ないよ!」  興奮し疲れたキキナクは、肩を落としてうなだれた。 「それでも森の神エルリムは、再び聖霊を生む力を取り戻した」 「そしてそれが、マテイたち七聖霊ってことッスね」  魔攻衆たちに動揺が走った。 「そんな神みたいな連中と戦って、勝つことなんて出来るんですかい?」  フレア=キュアは、それに対する一つの答えを持っている。未来には聖霊もエルリムもいないという事実を。だが、今それを言ったところで、混乱を増すばかりだろう。フレア=キュアは、ゼロとメロディーを見た。事情が良く飲み込めないふたりは、キョトンとした顔でこっちを見ている。フレア=キュアは肩をすくめると、みんなを落ち着かせるために話をまとめた。 「とりあえず聖霊の話は置いといて、今は皇帝カズラに不用意に近付かないようにしましょ。おそらくメガカルマ達の警戒が強まっているはずよ」 「そうッスね。カフーの帰りを待って、それから次の手を考えるしか無いッス」  バニラ首座の言葉で、その場はひとまず解散することとなった。  この場をしのいだフレア=キュアは、ゼロとメロディーを連れてケムエル神殿を跡にした。魔攻衆たちと別れると、メロディーが早速フレア=キュアに話し掛けてきた。 「ねえ、ママ。あのキキナクって、遺跡で見た……」 「あなたも気付いたのね」  フレア=キュアが微笑んだ。 「じゃあ、やっぱりここは過去なんだ」  ゼロは遺跡での記憶と照らし合わせながら、町を見渡した。パレル歴999年。バニシング・ジェネシス末期にあたるこの時代、森の神エルリムと魔攻衆の戦いが続くこの時代、おそらく何かが起きたのだ。白蝋化したキキナク、巨樹のドーム、無人の廃墟。この神殿町は森を切り開いた場所にあり、周囲を深い森に囲まれている。だが、見上げれば青空が広がり、肝心の町中には、ドームを築くような巨木は一本も生えていない。父さんが言うように、あのドームがこの後どうやって出来るのか。そもそもここが千年前の世界だということが、どうにもしっくりこない。こんな世界が本当に過去であり得るのか?  ゼロが釈然としない顔をしていると、フレア=キュアがふたりの肩に手を置いた。 「あなた達がもっと驚く物を見せてあげるわ」  ケムエル神殿から真っ直ぐに伸びた大通り。それはほんの半日前、ゼロたちが通った遺跡の路であった。そしてその通りの反対側の端に、市場のような大きな建物が見える。遺跡では、樹木のドームの外にあたる場所だ。 「キキナク・ステーション?」  キキナクをデザインした巨大な看板が掛かっている。周囲には様々な商店や屋台がひしめき合っている。店の主人やすれ違う人々が、次々とフレア=キュアに話し掛けてくる。彼女もまた、それに愛想良く応えた。声はそっくりだし、歳の差こそあれ外見もそっくりだ。だが、こうして過去の町にとけ込んでいる彼女の姿は、明らかにゼロとメロディーの知る母ではない。メロディーは急に不安を覚えた。 「ねえ、ママ。ママは、ママ……よね?」  フレア=キュアは、一瞬キョトンとすると、ニッコリ優しく微笑んだ。 「そうね。ママはあなたたちのママだけど、同時にキュアでもあるのよ。不思議なことに、キュアとわたしは、好みや感じ方も似ているみたい。勿論あなたたちがわたしの子供だって分かっているけど、おそらくキュアとしての感情でしょう、正直、ちょっぴり違和感も感じているわ。今はママの方が濃く現れてるけど、キュアも一緒にあなた達を見てるのよ」 「それって、混ざっちゃってるってこと?」  ゼロが不思議そうに尋ねると、フレア=キュアはニッコリと微笑んだ。 「まあ、そんなとこかしら。だから今はキュアとして、この町を案内してあげるわ」  ゼロとメロディーは戸惑いを覚え、顔を見合わせた。  フレア=キュアは、夕食の買い物をしながら、周りに怪しまれない程度にこの世界の生活をふたりに教えて歩いた。ゼロとメロディーは、フレア=キュアという最適なガイドによって、すんなりとこの世界に馴染んでいくことが出来た。不思議だったことは、学校の授業で教わった知識や時代劇の町に比べ、人々の服装や町の賑わいに奇妙な違和感を感じることだった。  巨大な市場のようなキキナク・ステーションの中に足を踏み入れる。 「おう、どいたどいた!」  ゼロとメロディーは、荷物を山積みしたその荷車を見て愕然とした。荷車という表現は正確ではない。何しろ車輪がないのだ。地面から30センチほど浮き上がり、滑るように移動している。  ドルルルルル……  奇妙な滑空音を残し、ホコリ一つ巻き上げずに、ゆっくりと通りへ出ていく。 「タイヤが無い。浮いてるよ、あれ」 「ヤダ、ウソ!」  今度はメロディーが壁の方を見て驚いた。一見、人がいる案内ブースの列だと思ったそれは、完全な三次元映像による通信施設だった。幾人もの商人たちが、空いたブースを見つけては、どこかの商談相手を呼び出し、交渉している。 「こっちはもっと凄いわよ」  フレア=キュアは、驚くふたりの肩を押し、建物の奥へと導いた。  ゼロとメロディーには、そこが何のための場所なのか分からなかった。何やら石とも金属とも付かない材質で出来た少し高い大きな台が、横一列に並んでいる。そこをキキナクの下僕であるトリ男たちが、何やら指示を出しながら行ったり来たりしている。 「ほら、あそこを見ててご覧なさい」  フレア=キュアが3番と書かれた大きい台を指さした。何もない台の上に光が現れ、それが台の上一杯に広がったかと思うと、中からさっきと同じ荷車が現れた。 「あれは他の町と繋がる転送装置。ここはキキナクがゲヘナパレの遺物を発掘して作ったターミナルステーションなの」  どれもこれも2007年には無い技術ばかりである。荷物を抱えた行商人や他の荷馬車が、次々と台に乗っては消え、また現れる。 「こんな過去なんて……」 「どうなってるんだ、いったい」  呆然とするふたりの肩を抱くと、フレア=キュアがため息混じりに笑った。 「その答はパパに聞いてみましょ。きっと今頃、夢中になって調べてるはずよ」  ジルの家は、研究資料で溢れかえっていた。 「考古学者ってのは、今も昔もおんなじだな」  ゼロは辺りを見回しながら苦笑した。石版、標本、タペストリー。ガラクタにしか見えない物が、所狭しと並んでいる。自分の家もシドの研究資料でごった返している。ゼロは、父とジルの共通点を見て、この家に親近感を覚えるのだった。 「ちょっと、ゼロ。アンタも手伝いなさいよ!」  メロディーは、フレア=キュアの手料理を運びながら、ゼロに怒った。  シド=ジルを研究室から連れ出し、夕食を囲んだ。家族四人、過去に飛ばされてから、ようやく持てたくつろげる時間だ。キュアのレシピにフレアのアレンジを加えたご馳走が、テーブル狭しと並んでいる。 「こういう時は、美味しいものを沢山食べて元気を出すのが大切なのよ」  ゼロもメロディーも、母の手料理を元気に食べ始めた。一家はこの家で暮らすことにした。キュアの家は別にあったが、まあ問題は無いだろう。当面の生活基盤が確保できたことで、一家の心配は当然今後のことに向けられる。 「それで父さん。ボクらの時代に帰る方法は、何か見つかりそう?」  ゼロはなるべく深刻にならぬよう、自然に質問した。シド=ジルはちょっと苦笑いした。 「そうだね。今のところ、これといった方法は見あたらないよ。ただ、ここの歴史を紐解くと、信じられないような出来事が沢山出てくる。古代超文明や神の力、聖魔や聖霊、それに異次元の森。きっとヒントになる物があるはずだ。どっちかというと、これはママの専門領域だけど、どう思う?」 「まずはあのリオーブね。わたしたちが光に包まれた遺跡の部屋、あそこはケムエル神殿の玉座の間に間違いないわ。そしてこの世界の玉座の間は、時空の狭間の森へと繋がっている」  フレア=キュアは、辺りを見回し紐を見つけると、それを両手でピンと張って見せた。 「2007年の世界とこの世界が、仮に時間という一本の紐にある二つの点だったとすると、この紐のまわりにあるのが時空の狭間。あのリオーブが、もしこの二つの点をくっつける力を持っているとしたらどうかしら?」  フレア=キュアは、紐をたるませ、つまんだ両手をくっつけて見せた。 「じゃあ、森に入ってリオーブを見つければいいんだ」 「でも、どうやって動かすの?」  ゼロとメロディーの疑問にシド=ジルが答えた。 「リオーブは森に沢山あるよ。ただ、その動かし方は分からない。ママ、あのときママの体から光が出ていたけど、あれは何かの術なのかい?」 「それが、キュアは何もしていないのよ。蛾男の攻撃で体が痺れて苦しんでいただけ」  食卓に重い空気が流れ始める。それを跳ね返すように、ゼロは勢いよく焼き魚にかぶりついた。 「ま、何とかなるさ。とにかく腹ごしらえは、しとこう。美味しいね、これ」 「そうそう。別にケガした訳でもないし。そのうち何か見つかるわよ。楽勝楽勝」  ゼロとメロディーは、残りの料理を美味しそうに平らげていく。シドとフレアは、愛するわが子たちを優しく見つめながら微笑んだ。 ■05■ パレルの記憶  夕食の後片付けを済ますと、シド=ジルは家族をリビングに集めた。 「さてと。これから何をするにも、みんなこの世界のことを知っておく必要があるだろう」  シド=ジルは、ゆっくりと噛み締めるように語り始めた。 「みんなも知っての通り、パレルには歴史の空白期間、バニシング・ジェネシスが存在する。前パレル歴500年頃からパレル歴1002年以前の千数百年間がそれだ。そして今、僕らはその末期に跳ばされて来たわけだが、この世界には、僕らの時代に伝わっていない別の歴史が存在している。偶然にも、ジルはこの世界の歴史を研究している学者でね。彼の研究によると、この世界には、『創世記』と『ゲヘナパレ正史』という二つの歴史書が存在している。『創世記』は、神話の民ナギ人のギという人物が記した物で、厳密には歴史書とは言えないが、神話の世界からナギ人の解放に至るまでの経過を予言した記録として伝えられている。そして『ゲヘナパレ正史』は、古代超国家ゲヘナパレ帝国の歴史を綴った物で、帝国の建国から滅亡までを記した物だ」  ゼロもメロディーも、物音ひとつ立てず、真剣な眼差しでシド=ジルの話に耳を傾けている。窓の外には2007年と変わらない月が、静かに浮かんでいる。シド=ジルは、ジルの研究成果にシドの考察を加え、知られざる歴史を語り始めた。  この世界の歴史は、大きく4つの期間に分けられていた。  第1期は、エルリムの天地創造からゲヘナパレ建国までの期間にあたる。2007年時点の研究成果では、バニシング・ジェネシスに最も近い遺跡は前パレル歴500年前後とされている。そしてジルの研究資料によると、パレル歴はゲヘナパレ建国を元年として制定された物だという。創世記や民間伝承では、森の神エルリムがこの世界を創り、聖霊たちに生物を創らせたと伝わっており、すなわち、わずか3、400年の期間に世界が出来たことになる。キキナクの証言にもあるように、知恵ある獣・人間は、この数百年の聖霊の時代に生みだされた。だが人間はすぐに理想郷を生み出せたわけではなく、創世記によると三度エルリムの怒りに触れ、滅びの蟲オニブブによって滅ぼされた経験を持つという。 「何だか、随分性急な話だな……」 「神話の世界って、千年とか二千年とか、もっとアバウトなものだと思ってたけど……」  ゼロとメロディーの素朴な疑問に、シド=ジルが苦笑いをしながら答えた。 「それは僕らがバニシング・ジェネシスの始まる時期を知ってるからだよ。勿論この時代の人々は、エルリムによる創世を、悠久の彼方のことだと思っているさ。このゲヘナパレ前期は、残念ながら具体的な証拠に乏しいんだ。だから、どこまでが史実なのかは、何とも言えない。ただ、キキナクの証言や、今も聖魔の森のどこかにいる森人ヤムの存在、一ヶ月前に再び現れたオニブブなど、ある程度は事実と見て間違いないだろう。そして、次の時代が、ゲヘナパレ帝国の時代だ」  第2期にあたるゲヘナパレの時代は、ゲヘナパレ正史により紡がれている。ゲヘナパレの帝国錬金術師の末裔であるジルは、代々の家宝として正史の写本を受け継いでいた。  前パレル歴110年頃、後のゲヘナパレ王朝始祖アザンが、その原型たる都市国家を樹立。各都市を次々と傘下に治めていった。そして、四代目グルバの治世に総ての都市を平定、ゲヘナパレ帝国が建国され、パレル歴が制定された。  ゲヘナパレ帝国の高度な文明は、錬金術師たちによって支えられていた。彼らは聖霊マモンをたぶらかし、高度な知識を引き出し、超文明国家を築き上げた。これにより、聖霊マモンは次第に物欲に溺れていき、ついにはエルリムの罰を受けてしまう。一方、聖霊アモスが人間と交わり、ナギ人の祖先を生んでしまったのも、ゲヘナパレ建国の前後と言われているが、肝心のキキナクの記憶が曖昧なため、定かではない。  パレル歴250年頃、帝国の文明は、そのピークを迎え、そして、腐敗が始まった。この頃から、帝国市民と異能者ナギ人の関係も、悪化を辿ることになる。そして、パレル歴383年、帝国皇太子メネクと、ナギの少女アルカナの悲恋の死が訪れる。アルカナ伝説の元となる事件である。  アルカナの悲しみを受け取り、森の神エルリムは森に聖魔を放ち、人間に制裁を加えた。神と人との戦い、聖魔戦争の勃発である。ゲヘナパレ帝国の錬金術師たちは、あらん限りの業を用い、これに応戦した。そして、エルリムの使徒たる聖霊を滅ぼし、一矢を報いた。だが、森の神エルリムは、ついには滅びの蟲オニブブを放ち、ゲヘナパレ帝国を葬り去った。 「え!? 聖霊を倒した?」  ゼロは思わず聞き返した。今より更に600年も昔、聖霊への対抗手段があったというのだ。 「それがあれば、マテイとかいう聖霊も、倒せるんじゃない?」  メロディーは思わずフレア=キュアの手を握った。だが、シド=ジルは、目を伏せ、首を横に振った。 「残念だが、その技術は残っていないんだ。ゲヘナパレの遺跡探しはキキナクが中心になって行っているが、肝心の首都ガガダダが発見出来ないんだ。どうやらガガダダは、エルリムの命を受けナギ人が封印したらしい。滅亡の直前、錬金術師たちは最後の力を結集して、聖魔の森をゲヘナの業で封印したそうだ。そしてその中に取り込まれたナギ人の聖地ケムエル神殿では、何故かナギ人たちが、エルリムの御神木の森を、更にカヤの結界とクマーリの結界で封印したんだ。それがエルリムを守るためなのか、人間を守るためなのかはハッキリしていない。だが、その後、繭使いレバントが聖魔の森を時空の狭間へと追いやったことを考えると、後者だったと見た方が自然だろう」  この繭使いの時代が、第3期となる。ゲヘナパレ帝国崩壊により、文明は一気に後退することとなった。ゲヘナの結界は時折ほころび、人々は点在する小さな村々で、聖魔の襲来に怯えながらひっそりと暮らしていた。そして、錬金術師に代わり人々を守ったのが、繭使いである。繭使いは、ナギの血を引く男子にしか出来なかった。繭使いとなった男は、ナギの女を妻にめとり、妻の浄化した聖魔の繭を武器に、聖魔から村を守り戦った。しかし、人々は、必ずしもナギの血族へのわだかまりを捨て切れたわけではなかった。退廃した帝国とはいえ、聖魔と正面から戦ったゲヘナパレへの人々の信望は厚く、錬金術師の末裔であるゲヘネストは、村々の中核に位置し続けた。そして聖霊の血脈であり、エルリムの従者でもあったナギ人には、数百年を経ても、しこりを残したのである。  そしてナギ人は、もう一つの悲劇を抱えていた。浄化の呪いである。繭使いの妻となったナギの女は、ナギの聖魔術により、夫が繭に封印した聖魔を浄化し、繭使いのしもべや、金に換え生活の糧とした。だがその時、浄化の呪いを受け、体に醜いアザが出来たという。繭使いが戦えば戦うほど、妻の体は呪いの刻印に蝕まれていく。  パレル歴700年頃、パレル最強とうたわれたサイラス村の繭使いリケッツは、浄化の呪いに疑問を抱き、聖魔の森へと姿を消した。そして、その息子レバントが、ナギの少女マーブをめとり、サイラス村の繭使いを継いだ。  若き繭使いレバントは、マーブの献身を受けながらも、ついには父リケッツと共に、ナギ人を呪われた運命から解放した。そして総ての聖魔はクマーリとカヤの結界の向こうへと封印され、森ごと時空の狭間へと流されたのだった。《玉繭物語》 「ナギの預言者ギの記した創世記には、このナギ人の解放までが記されているが、ジルは生前のレバントから証言録を取っていてね。それにも記録が残っている。エルリムの軛から解放されたナギ人は、安息の地を求め、いずこへと旅立ったそうだ。そして、この戦いによって不死となったレバントは、クマーリとカヤ2つの門の監視者として、妻マーブと共にケムエル神殿に残ったそうだ」  シド=ジルは喉を潤すため、フレア=キュアが入れてくれたお茶を飲んだ。 「その後しばらくすると、時空の狭間の森に変化が訪れたそうだ。拗樹音が響き、森の地形も聖魔の種類も以前と大きく変わってしまった。レバントはなかなか話してくれなかったが、その後、聖魔が再び人里を襲う事件が起きたようだ。そしてその時、妻のマーブが亡くなったらしい。レバントは悲劇を繰り返さないため、キキナクと相談して魔攻衆を結成した。聖魔を狩り、森の力を削ぐためにね」  こうして第4の期間、魔攻衆の時代となった。300年近い時が流れ、パレル歴994年、カフーがこの町に訪れ、魔攻衆となった。カフーは、偶然自分に取り憑いてしまったカルマを倒すため、聖魔の森を巡り、オーブを集めた。そして、ようやく封印したカルマを、今度はレバントが利用し、黒繭使いとなって森の破壊とエルリムの殺害を企てたのだ。カフーはエルリムの使徒となりレバントを倒し、彼の暴走を食い止めたのだった。《玉繭物語2》 「当時、カルマは他にも確認されていたが、あのときカフーに取り憑いたカルマは、それらとは明らかに一線を画す、高等なカルマだった。今思えばあれは、精霊のプロトタイプだったのかもしれない」  シド=ジルは、重苦しく告げた。彼の話はいよいよ終わりを迎えた。 「そして今から3年前、再び森に拗樹音が溢れたんだ。森も聖魔も更に凶暴な物へと豹変し、魔攻衆も苦戦を強いられるようになってしまった。やむを得なかったとはいえ、カフーはエルリムの使徒となりレバントを倒したことに、ひどく苦しむようになった。そして、自虐といえるほどの修行に明け暮れ、レバントに成り代わり、魔攻衆を率いてきたんだ」 「そして今から1ヶ月前、エルリムの使徒である精霊マテイの計略、ホワイト・ヴァイスによって、私たち魔攻衆は、大打撃を被ってしまった……」  フレア=キュアは、沈痛の面持ちでシド=ジルを見た。  千年を越える人類とエルリムの確執。その最終局面に、シド一家は巻き込まれたのだ。ゼロは父に一つ確認した。 「父さん。バニシング・ジェネシスの終わりに一番近い記録って、確か……」 「ああ。パレル歴1002年の記録が最も近いものだ。日食を記した記録で、3つの遺跡で確認されている」 「今年が999年だから……じゃあ、遅くとも3年以内には、この変な歴史が終わるのよね……跡形もなく……」  一家はただならぬ状況に、そのまま言葉を失った。  その夜は、みんな早めに眠ることにした。今日は余りにも目まぐるしい一日だった。寝室は両親に譲り、ゼロとメロディーは、リビングの片隅に寝ることにした。キャンプ生活に比べれば、家の中で寝られることは、遙かに恵まれたことだ。ふたりは横になると、すぐに深い眠りについた。  一方、シドとフレアは、まだ眠りについてはいなかった。ベッドの中で、シドは子供たちに聞かれぬよう、静かにフレアに尋ねた。 「ママ……もう一つ、大切なことを話していないね」 「わたしたちの体のことね」  ふたりには、奇妙な確信があった。自分たちの肉体は、未だにあの遺跡に残されていると。 「夕食の時には詳しく話さなかったけど……リオーブによって接触したこの時代と2007年とは、今、並行して時間が流れているような気がするわ」 「そして僕たちの本当の体は、今もあの場所に残され、同じ時間が流れている……」  フレアはシドの胸に顔を埋めた。シドは優しく彼女の肩を抱いた。 「帰る方法が見つかったとしても、おそらく僕たちの体は、その時までは保たないだろう。だが、せめて子供たちだけは、2007年に帰してやりたい。……賛成してくれるね」  フレアは小さく肩を震わせながら、静かに涙を流していた。 ■06■ 戦士誕生 「……ここまでか……」  未踏の森の皇帝カズラの中、カフーは、3体の植物怪人型メガカルマと無数の新種聖魔に囲まれていた。周囲にはおびただしい数の聖魔の死体が転がり、メガカルマにも重傷を負わせていた。だが、圧倒的な物量に圧され、倒しきるところまでは至らなかった。カフーの闘衣は皮膚ごと裂け、全身血まみれだった。途切れそうな意識の中、魔攻衆としての誇りだけが、かろうじてカフーを立たせていた。手持ちの聖魔は総て底を突き、もはや身動き一つ出来ない。頭上では、七分目まで光を満たしたリオーブがギラギラと輝いている。万策尽き、カフーは覚悟を決めた。 『バニラ、みんな……すまない……』 「手こずらせやがって、人間が。これで終わりだ!」  正面の植物怪人型のメガカルマが、鞭状になっている右手を大きく構えた。カフーは、朦朧とした意識でそれを見ていた。だがその時、カフーの前に光の裂け目が現れた。メガカルマたちは、予期せぬ出来事にたじろいだ。光が人の背丈ほどになり、中から黒いローブをまとった男が現れた。 「な、何だ貴様は!?」  メガカルマたちは、黒衣の男の登場に、改めて身構えた。男はゆっくりと頭にかぶるフードを脱いだ。年の頃は二十歳ぐらいか。精かんな顔立ちの若者である。男は左腕を前に構えローブの袖をまくった。腕には見慣れぬ魔操具をはめていた。 「テュテュリス、出ろ」  男の魔操具から光が飛び出し、サソリのような形の聖魔が現れた。トゲの生えた長い4本の足、昆虫のような透明の羽根。骸骨のような頭に血の赤の甲羅。長いしっぽと大きく鋭い毒針。大きさは人の背丈を越え、通常の聖魔より明らかに大きい。その姿のまがまがしさに、カフーは息を飲んだ。全く見覚えのない聖魔だった。  正面のメガカルマが、右手の鞭を浴びせてきた。だが、テュテュリスと呼ばれるその聖魔は、毒針の付いた尻尾で、あっさりとそれを弾き返した。 「グッ、グオー!」  メガカルマが右腕を押さえてうずくまった。毒々しい緑の鞭が見る見る血の色に染まり、ボトボトと腐り落ちる。鞭を弾かれたときに、どうやら毒針を打ち込まれたらしい。黒衣の男は、無表情のまま魔操具を構え、発動させた。 「憑着!」  テュテュリスが赤い光の渦に包まれ、勢いよく男の体にぶつかった。光の渦だけが後方へ吹き飛ぶと、そこには聖魔を甲冑のようにまとった男の姿があった。  一度はひるんだメガカルマと聖魔が、一斉に男に襲いかかった。だが男は、その攻撃が届く直前、火炎の壁で強烈なカウンターを加えた。体を焼かれながら弾き飛ばされた聖魔とメガカルマが、苦しみながらのたうち回っている。黒衣の男は腕を構え、頭上にギラギラと輝く炎の球体を作り出すと、思い切り両手を振り下ろした。球体が爆発し、無数の炎の矢となってメガカルマたちに突き刺さる。 「ギャー!!」  炎が体内を走り、体の節々から吹き上がる。カフーと男を取り囲んでいた一群が、一瞬にして掃討されてしまった。黒衣の男は聖魔一匹残っていないことを確認すると、表情一つ変えず、ゆっくりカフーの方へと振り返った。 『なんて……威力だ……』  カフーはその戦闘力に驚愕しながら崩れるように倒れ、そのまま意識を失った。  戦いが終わり、皇帝カズラの中に、静寂が訪れた。男はカフーに近づくと、ケガの応急処置をした。傷は酷いが命に別状はない。  その時、ふたりの前に光の裂け目が次々と立ち上った。全部で8本、横一列に並び、中から人影が現れた。光が消えると、そこには同じ漆黒のローブをまとった者たちが立っていた。中央に立つ少し背の低い者が、フードを取りながらカフーに近づいてきた。外見はせいぜい十二、三歳の少年に見える。黒衣の者たちの中で、明らかに一番若い。少年がカフーの脇に立つと、男は手当の手を止め、片膝を付き少年に対しうやうやしく頭を下げた。少年は男を意にも介さず、そのままカフーを見下ろした。 「このような粗末な魔操具で、単身、聖魔の森を彷徨するとは……。さすがは元エルリムの使徒と言うべきかな。……だが、それもこの辺りが限界であろう。ましてや魔攻衆どもでは、七聖霊はおろか、三軍の雑兵相手もままならん。そして、人敵エルリムは遙か彼方だ」  少年は、目の前にひれ伏す黒衣の男に命じた。 「サジバ。お前はこのカフーと共に、ケムエル神殿へ赴け。そして、我らの憑魔陣(ひょうまじん)を魔攻衆どもに伝えるのだ」  その言葉を聞き、居並ぶ黒衣の者たちがざわめいた。中程に立つ一人の男が、一歩前に進み出て進言した。 「予言者シ様。お言葉ではございますが、魔攻衆ごとき下賤の力など借りずとも、我らのみでエルリムを狩れましょう」  少年は振り返ると、冷ややかな笑みを浮かべた。 「せくな、タパナ。雑兵といえど、露払いぐらいは出来よう。それに、仮にも相手は神ぞ。用心に過ぎたるは無い」  予言者シと名乗る少年は、手にした杖をかざし、頭上に輝くリオーブを指し示した。 「見よ。リオーブが力を蓄え始めている。こちらから出向かずとも、じきエルリムの方から姿を現す。お前たち八熱衆が力を奮うのは、それからで十分だ」  シは再びカフーを見下ろすと、杖の先をカフーの胸に当てた。 「レバントでは叶わなかったが、このカフーの闇もまた深い。エルリムの使徒の力、せいぜい生かしてもらわねばな」  そう告げると、シはカフーに背を向け、再び黒衣の者たちの列へと戻った。 「しっかりね、サジバ。神聖なナギの名を汚すんじゃないわよ」  列の一人の女が、ひれ伏すサジバに、からかうように言葉を掛けた。シと7人の従者の体が、再び光の柱に包まれ、かき消すように消えた。主と高弟を見送ると、サジバは力尽き横たわるカフーをジッと見つめた。    * * * 「来ると思ったッス、ジルの甥っ子くん!」  バニラは、羽根飾りをふんだんにあしらったリラックスチェアーの仮玉座から起きあがると、ゼロとメロディーを両手を広げ出迎えた。 『しゃべらなければ、ゴージャスな美人なんだけどな〜』  ゼロとメロディーは、苦笑いをしながら握手した。ふたりはある決意の元、両親に内緒で、魔攻衆の長であるケムエル神殿首座のバニラを訪ねたのだった。バニラは二人の肩をポンポン叩きながら、満足げに頷いた。 「わかるッス、わかるッス。聖魔の森を見たがるような君たちッス。皆まで言わずとも、このバニラ様はお見通しッス」  バニラは玉座のサイドテーブルから2つの魔攻陣カプセルを取った。 「これが欲しいッスね?」  そうなのだ。一家は2007年に帰るには、聖魔の森に入り、リオーブの秘密を探らなければならない。両親は一応、一流の魔攻衆になっているが、危険を避け自分たちだけ後ろを付いて歩く訳にはいかない。だいたいここ数年、シドのフィールドワークで駆け回る役は、ゼロとメロディーが担ってきたのだ。  ふたりは高校でも特定の部活には入っていない。だがそれは、運動が苦手だからというわけではなかった。ふたりは運動神経抜群な生徒で、あらゆる運動部の助っ人をやっているくらいであった。オマケに頭脳の方は、学者の両親を持つ折り紙付きである。子どもの頃から連れ回され、ふたりにとっては父の仕事を手伝うことが、もはや一番の楽しみになっているのだ。  ふたりはどちらから言うともなく、魔攻衆になることを決めていた。それはもはやふたりにとって、必然と言ってよい。ふたりはカプセルを受け取ると、バニラの説明を聞きながら、左前腕に装着した。 「最近の聖魔やメガカルマは強力だから、甲冑を身につける必要があるッス。魔攻陣で戦うときはカプセルを構えたポーズになるのと、森での動きやすさを考慮して、左半身(はんみ)の甲冑を着ける者が多いッス」  バニラは軽く構えるポーズを取り、自分の甲冑で説明した。肩から上腕、前腕へと、動きを妨げぬようシールドされている。手にも、何かの皮か甲羅を用いた手っ甲が当てられている。だがその装いは、実用性もさることながら、非常にきらびやかで、まさに女王の甲冑であった。手入れも充分に行き届いているのだろうが、目立った傷も見あたらない。だがそれは、決してお飾りを意味するわけではなかった。バニラは魔攻十傑衆に名を連ねるエースであり、傷の少ない甲冑は、バニラが類い希な実力を持つ戦士であることの証であった。 「ふたりの甲冑は、後で工房に注文しておくとして、さっそく魔攻陣の使い方を練習してみるッス」  バニラがふたりの肩を押し部屋を出ようとすると、行く手を遮るように人影が現れた。 「その役目、わたしにやらせて下さい」 「ミント! まだ傷が良くなってないんじゃ……」  そこには、包帯の上から魔攻衆の装備を調えたミントが立っていた。ミントは先のホワイト・ヴァイスで重傷を負い、未だに療養中のはずであった。バニラは慌ててミントに近付き、その手を取った。 「敵の正体が掴めたのに、いつまでも寝てはいられないでしょ?」  元気に微笑んで見せてはいるが、さすがに傷つき弱った体は隠せない。痛みをこらえる細面の美貌が、白鷺のようなか細い印象を与えている。だがその瞳は、復讐に燃える強い光を帯びていた。 「そのふたりが、ジル先生の甥っ子ね。リハビリついでに、わたしが教えてあげます。よろしくね」  バニラほどではないにせよ、ミントも魔攻十傑衆の一人である。実力のほどは、そこらの荒くれの比ではない。病み上がりとはいえ、ゼロとメロディーの教官には申し分ない。早速ふたりは、ミントによってしごかれることとなった。 「あなたたち、何てことを!」  フレア=キュアは、腕に魔攻陣カプセルを付けて帰宅したゼロとメロディーを見て、真っ青になって叫んだ。血の気が引きよろけた体を、シド=ジルが背後から抱き止める。ゼロとメロディーは、すまない顔をして立っていた。だが、ふたりの決意の強さを、体中の生傷が、はっきりと物語っていた。 「これは命がけの戦いなのよ! 戦争なのよ!」  泣き崩れるフレア=キュアをシド=ジルがしっかりと抱きしめる。ゼロは母親を気遣いながら、冷静に答えた。 「黙っててゴメン。言ったらどうせ、止められただろ? でも、ボクらの時代に帰るには、聖魔の森に入るしかないんだし、父さんたちに任せて、ボクたちだけが戦わないなんて訳にはいかないよ」 「大丈夫よ、ママ。心配しないで。バニラもミントも、筋がいいって言ってたわ」  メロディーは、母親をなだめるように静かに答えた。ゼロもメロディーも自慢の子供たちである。その場の勢いで軽はずみな行動をする子ではない。またそうでなければ、樹海の中を駆け回ることなど出来はしない。だがそれでも、ふたりを魔攻衆にするとなると話は別だ。 「ふたりとも……本気なんだな?」  シド=ジルは、ふたりの目をジッと見つめた。ふたりの目には、一点のくもりもない。シド=ジルは魔攻十傑衆のひとりとして、ふたりの決意を推し量った。 「誰に似たのか、ふたりとも言い出すと聞かないからな。魔攻衆の戦いは、樹海のフィールドワークとは訳が違うぞ。ふたりとも、ここでは素人だということを忘れるな」 「アナタ!」 「確かに今は、少しでも戦力が欲しい。僕らの時代に帰るにも、ふたりの協力は不可欠だ。子供たちを信じてみよう。ふたりとも、無茶をするんじゃないぞ」  ゼロとメロディーは、両親の了解を何とか取り付け、ホッと胸を撫で下ろした。メロディーは腰に手を当て、明るく答えた。 「わかってるわよ、パパ。アタシたちも、すぐに力を付けて、パパとママの穴を埋めてみせるわ。だから、パパは帰る方法探しに専念して。ママも妊娠した体じゃ、これ以上戦えないでしょ?」 「エ!?」  一同はメロディーの発言に驚いた。 「キュア、妊娠してるんでしょ、ママ。それくらい見れば分かるわよ」 「本当かい、キュア?!」  ジルは思わずキュアの顔を見た。キュアは頬を染め、小さく頷いた。 「どうして言ってくれなかったんだ。やった! やったぞ!」  ジルは嬉しそうに笑いながら、キュアの体を持ち上げて喜んだ。メロディーは意外な顔をしてふたりを見た。 「ジル……知らなかったみたいね」 「お前、よく分かったな」 「男のアンタじゃ、分かんないわよ」  メロディーは、唖然としているゼロを鼻で笑った。  ふたりの自信は、はったりではなかった。魔攻陣のトレーニングを始めて一週間。ふたりは異常なスピードで上達していった。  魔攻陣は、火、風、水、地の4つのエレメントを持つ正方陣によって出来ている。前後左右、斜めに、計8体の聖魔を配置でき、4つの面に各3体までの聖魔が布陣することになる。熟練するほど多くの聖魔を扱えるようになり、ベテランの魔攻衆は、皆8体の聖魔を配置している。森の凶暴化に伴い、魔攻陣の扱い方についても、研究、改良が加えられてきた。通常、魔攻陣は、構えた正面に対してのみ効果を発揮するが、十傑衆など一流の魔攻衆になると、複数の面を同時に扱える者も少なくない。これにより、素早い相手や、挟撃にあったときなどにも、対応できるようになる。ミントもまた、複数面を同時に扱う技術を持っている。この一週間、ミントは2面を使いゼロとメロディーを同時に相手する事により、自らもリハビリを続けていた。  だが、超一流の戦士であるミントにとっても、ふたりの上達スピードは予想外だった。昨日はついに、ゼロが8体フル装備の魔攻陣を扱えるところまで迫ってきたのである。後れを取ることはないにせよ、フル装備の魔攻陣相手の2対1ともなると、さすがにミントも気を抜くわけにはいかなくなる。  闘技場には、噂を聞きつけた魔攻衆が押しかけていた。中央のフィールドで、ゼロとメロディーがミントに2体1の模擬戦を挑もうとしている。ギャラリーの中には、シド=ジルやバニラの姿も見える。以前はこの闘技場では、魔攻衆の技術を競う大会も度々開かれていたが、ホワイト・ヴァイスが起きてからというもの、そんなゆとりもなく、ご無沙汰となっていた。それだけに、変則マッチとはいえ、ふたりのニューカマーと十傑衆ミントの模擬戦は、ちょっとした話題になっていた。  模擬戦のジャッジは、闘技場を管理する、巫女のムーが仕切ることとなった。 「サイキョーですか──? それじゃあ、おふたりさん。準備はいい?」 「もちろん。いつでもOKよ!」 「そろそろ、1回ぐらい勝たないとな」 「ヘー。言うようになったわね、ふたりとも」  ミントは楽しそうに笑っている。だが、ふたりの実力が決して侮れなくなってきたことは、ミントが一番よくわかっていた。ゼロとメロディーは少し離れ、ミントに隣り合う2面を使わせる位置を取った。この位置だと、ミントはどちらかの攻撃には、2体の聖魔しか使えないことになる。ミントの魔攻陣は、確実性を重視した隙の少ない聖魔の布陣だった。リスクを取らない、指導用の布陣と言える。次に、メロディーが魔攻陣を展開した。彼女の魔攻陣も、8体フル装備になっていた。ゼロに触発され、一人で練習していたようだ。メロディーは得意げにゼロを見た。だが、ゼロが開いた魔攻陣を見て、唖然とした。ゼロの魔攻陣には、聖魔が5体しか配置されていなかった。しかも、各面が必ず2体ずつになる変則陣形である。ギャラリーにも動揺が走った。自分の正面に盾となる聖魔がいない面もある。甲冑があるとはいえ、魔攻陣としては、余り見慣れない陣形だ。 「ちょっと、何なのよ、それ? なんで8体使わないのよ?」 「まあ……今のところ、これが限度なんでね」  ゼロは意味深な台詞を吐くと、苦笑いした。  ムーの合図で、模擬戦が開始された。まずは双方とも、探り合いの攻撃を繰り出した。聖魔の数で言えば、それぞれ2面5体の聖魔で戦う構図となっている。ハンデ戦とはいえ、この状況でミントが負ける要素はない。 「ヘー。さすがはジルの甥っ子。なかなかやるッスね〜」  バニラはシド=ジルに話し掛けた。シド=ジルは苦笑いをし、フレア=キュアは首をかしげた。実際にはゼロとメロディーは、ジルの甥っ子でも何でもない2007年の人間なのだ。そのふたりが、類い希な適性を発揮していることに、シドとフレアが一番驚いているのだった。  まず何よりも驚かされるのは、ふたりの聖魔の扱いぶりだった。まるで、よく訓練された愛犬のように、確実に操っている。魔攻陣には、聖魔の配置など、戦術的な要素が多分にあり、ぽっと出のふたりとミントとでは雲泥の差がある。だが、そんな経験の差を、的確な聖魔のコントロールによって埋め合わせることにより、ミントとの模擬戦を何とか成立させているのだった。  そして、それは突然起こった。ミントが、メロディーをフィールド系の術で圧し、ゼロにシュート系の技を仕掛けてきたとき、ゼロが予想外の行動に出た。 「跳べ!」  咄嗟にゼロは両手を広げ低く構えると、聖魔たちを押すかのように、魔攻陣ごと横っ飛びをしたのである。そして、すれ違うミントの攻撃をすり抜けながら、すかさずシュート系の技で逆襲したのだった。 「なにっ!」  ミントは勿論、見る者総てがゼロの動きに驚愕した。展開したまま魔攻陣を動かすことが出来るのは、魔攻衆の中でも、カフーとバニラだけなのだ。たった5体の陣形とはいえ、魔攻衆になったばかりの新人に出来るような技ではない。 「ジル! 何てことッス〜!」  バニラは思わず武者震いをした。  流石にミントも対応が遅れてしまった。ゼロのカウンターをまともに喰らい、聖魔がよろける。慌てて反撃に移るが、そこへメロディーがすかさずつけ込んだ。ゼロの動きの特性を一瞬で見抜いたメロディーが、援護をするため、フィールド系の術でミントの魔攻陣を硬直させたのだ。 「ゼロ!」  この機を逃さずゼロが攻撃する。そして、苦し紛れに放たれたミントの攻撃を、再び魔攻陣を動かしてかわし、更に追撃。ミントの魔攻陣に、聖魔4体分の攻撃が襲いかかった。 「しまった!」  攻撃を喰らい、ミントの魔攻陣の一角が、完全に崩壊した。 「それまでっ! 勝者、ゼロ&メロディー!」  ムーの制止が入り、勝敗は決した。ゼロとメロディーの快勝である。 「ヤッター!」  ゼロはガッツポーズを取り、メロディーは飛び上がって喜んだ。歓声が沸き起こり、人々は新たな戦士の誕生を祝うのだった。 ■07■ 憑魔陣 「スゴイッス、スゴイッス、何てことッス──!」  バニラたちは興奮冷めやらぬまま新たな戦士たちに駆け寄った。ハンデ戦とはいえ、十傑衆の一人であるミントを、たった1週間の訓練で破ったのである。ゼロとメロディーの才能が尋常ならざる物であることは、誰の目にも明らかだった。 「ここまでやるとは。ジル、鼻が高いッスね〜!」  バニラは思い切りシド=ジルの背中を叩いて笑った。 「まさか魔攻陣を動かすなんて……。メロディー、あなたの判断力も素晴らしかったわ。わたしの完敗ね」  魔攻陣を解いたミントが、笑顔でふたりに話し掛けてきた。メロディーはちょっと照れながら答えた。 「これもミント先生のおかげです」 「ミントでいいわ。わたしも、うかうかしていられないな」  ミントは汗の輝く笑顔でゼロを見た。ゼロは言葉を返せず、ただただミントの顔を見つめていた。 「ゼロ、何赤くなってんのよ?」 「え、あ、いや……」  メロディーに脇腹を小突かれ、ばつが悪そうにしている。ゼロは、模擬戦のとき以上にドキドキしていた。 「ゼロ?」  その時、闘技場の入り口の方からざわめきが起こった。 「カフーさんだ!」 「カフーさん!」 「お帰りなさいまし!」  いかつい魔攻衆どもが、波のように素早く道を空ける。 「カフー!」 「みんな。元気そうだね」  カフーが闘技場の中央に歩いてきた。カフーの後ろには、黒いローブをまとった見慣れぬ男がついてくる。 「カフー……」  バニラはそっと手を伸ばし、ボロボロのカフーの闘衣に触れた。この数週間、カフーがどれほど苦しい戦いを続けていたのか、その姿を見れば尋ねるまでもない。 「無事で……良かったッス……」  バニラはカフーの胸に顔をうずめ、堪えきれず涙を流した。カフーはバニラを優しく抱いた。 「心配かけたな……」  カフーの後ろに立つサジバは、無表情で辺りを見渡していた。シド=ジルは、その黒衣の男を観察しながらカフーに話し掛けた。 「カフー、彼は?」  カフーはバニラを優しく離すと、みんなにサジバを紹介した。サジバは前に進み出て、自己紹介した。 「我は予言者『シ』様のしもべ、八熱衆が壱の者、サジバと申す。シ様の命により、ケムエル神殿守護の方々への加勢に参上した次第。シ様は、エルリムの復活は近いと仰せです」  サジバは、バニラたち主立ったメンバーの紹介を受けると、闘技場に集まった魔攻衆を前に語り始めた。 「かつて、レバント殿、リケッツ殿、ふたりの繭使いの活躍により、森の神エルリムは聖魔の森と共に、時空の狭間へ封印された。そして、ナギの民も使命を終え、その力を失った。だが、現世と森を永遠に断ち切るまでは叶わず、その係累たるふたつの路は、未だこの地に残り続けている。カヤとクマーリ、その路を塞ぐ二つの門は、偉大なる予言者『ギ』様の残しし血の結界。この地の監視をレバント殿に預け、シ様はエルリムを倒す術を、模索し続けておられました」  シド=ジルが驚いて尋ねた。 「君はナギの末裔なのか?」 「如何にも。レバント殿が神殿を守ると共に、シ様もまた、真の安寧を得んがため、数百年の時を生き続けておられます。しかし、レバント殿が闇の森へと発たれた今、邪神エルリムはその力を取り戻そうとしている。時空の狭間に姿を隠し、聖霊を産み、復活の時をうかがっている。貴公らも既に感じ取っておろう。まもなく森は再びその牙を剥く。さすれば世界は再び蟲に覆われ、創世の無に帰するであろう。我は憑魔陣を伝えるため、ケムエル神殿へと参った次第」  闘技場を埋め尽くす魔攻衆たちは、サジバの言葉を声を殺して聞いていた。 「そも聖魔とは蟲の一つの形。蟲、聖魔、カルマ、そして聖霊。総ては創造神エルリムの使い。エルリムは、パレルの地を創り、人を創りし畏怖すべき存在。なれど、人増えし今、我らはパレルをこの手に譲り受け、その御手を振りほどかねばならぬ。エルリムあるかぎり、人の世に真の平安は無い」  静まり返る中、シド=ジルは全員を代表し尋ねた。 「エルリムを……聖霊を、君たちは倒せるというのか?」 「無論だ。レバント殿亡き今、その役は我らの使命。だが、シ様が立たれるまでは、今しばらく時がいる。それまでの間、非力といえど魔攻衆の方々に助力願うほか無い」 「何だと?」  取り囲む猛者たちがいきり立つ。サジバは意に介さず話を続けた。 「貴公らの魔攻陣は、今や明らかに力不足。このままでは、エルリムの使徒どもを止めるのはおろか、せいぜい犬死にがおち。ケムエル神殿と二つの結界、そう容易く落ちてもらっては困るのだ」  ベテランの魔攻衆たちが、怒りも露わにサジバに詰め寄った。 「ふざけるな!」 「俺たち魔攻衆は、ずっとここを守って来たんだ!」 「よそ者にデカイ顔されてたまるか!」  サジバはフッとため息を吐くと、漆黒のローブを脱いだ。 「やむを得ぬ。もののふなれば、体で知るも良かろう」  ローブの下には、漆黒のプロテクターを着ていた。所々、岩の割れ目のような亀裂があしらわれ、その底は溶岩色にギラギラと輝いている。サジバは闘技場の中央に立った。数人の魔攻衆が、相手を買って出る。 「一人二人など話にならん。まとめてお相手しよう」  模擬戦の第2ラウンドが始まった。サジバの周囲を、5名のベテラン魔攻衆が取り囲む。サジバは終始無表情のまま、憑魔甲をはめた左腕を振り下ろした。光が飛び出し、テュテュリスが姿を現す。 「まさか、あの聖魔は!」  シド=ジルは、その聖魔に心当たりがあった。かつてレバントから聞いた、炎の使徒の聖魔にそっくりだ。 「馬鹿な! テュテュリスは闇の使徒の聖魔だぞ!? まさか、黒繭を紡いだというのか!?」  サジバはテュテュリスと融合し、戦闘態勢を取った。人型の異形となったサジバに、見る者は皆、動揺した。 「おい、あれじゃまるでメガカルマじゃないか!」  だが、よく見ると、メガカルマとは異なり、呪文のような模様を持つ円盤が、うっすらと光りながらサジバの周りを回っていた。 「ゼロ、あれ」 「ああ……あの円盤が、聖魔との合体を支えてるんじゃないかな?」 「魔攻陣の円陣みたいな物かしら?」  ゼロとメロディーは、サジバの憑魔陣を、注意深く観察した。サジバは5人の魔攻衆に囲まれながら、悠然と構えている。 「さあ。いつでも参られよ」  魔攻衆たちは、まるでメガカルマのようなサジバの姿に驚きながらも、自らの魔攻陣を展開し、攻撃態勢を取った。残りの者たちは慌てて彼らから離れた。これだけの魔攻衆がぶつかるとなると、どれほどの術の応酬になるか分からない。 「それじゃあ、始め!」  ムーは戦闘開始を合図すると、後方へ飛び退いた。先手必勝とばかりに、魔攻衆たちが一斉にサジバに攻撃を浴びせる。炎と地響き、凄まじい気流がサジバを包み込んだ。 「やったか!?」  だがサジバは、直立したまま微動だにしない。サジバはゆっくりと瞼を開くと、低い声で吐き捨てた。 「ぬるいな、魔攻衆。この程度の力で、我が聖地の守護を名乗るか!」  サジバはマントでも脱ぐように、まとわりつく攻撃をいっぺんに振り払った。そしてそのまま両手を構え、炎の光球を作った。光球のまぶしさに過剰な攻撃力を見切ったカフーは、慌てて叫んだ。 「よせ! サジバ!」  光球が爆発し、無数の炎の矢が取り囲む魔攻陣に降り注いだ。魔攻衆もろとも、総てが焦土と化そうとしたその時、彼らを守るように氷の壁がそそり立ち、砕けながら炎の矢を打ち消していった。  炎の矢と氷壁が消え去ると、5人のベテラン魔攻衆は、傷つき苦しみながら倒れていた。手ひどくやられたが、致命傷では無い。勝敗は一瞬にして決した。取り巻く者たちは、みな目の前の現実に言葉を失っている。そこへ、負傷した魔攻衆の背後から、車椅子に乗った老戦士ウーが現れた。 「おぬしのその力……邪が漂うな」 「……カフー以外にも、少しは使う者がいるか」  サジバは憑魔陣を解除し、元のプロテクター姿に戻った。魔攻衆たちが負傷した仲間を運び出していく。 「ウー老師!」  シド=ジルは、ウーの元へ駆け寄った。ウーもまた十傑衆の一人で、先のホワイト・ヴァイスで両足に重傷を負ったのだった。 「見物に来て良かったわい。こんな体でも、役には立つものよ」  ウーはシド=ジルに自分の魔攻陣カプセルを示しながら、笑って見せた。元気な様子に胸をなで下ろすと、シド=ジルはみんなを代表して、サジバに向かって尋ねた。 「確かに大した力だ。君は憑魔陣を伝えると言っていたが、さっきの技が憑魔陣かい?」  言葉にトゲトゲしさはないが、シド=ジルは明らかに警戒してサジバを見ている。取り囲む魔攻衆たちの雰囲気も、およそ好意的とは言えなかった。カフーはふたりの間に割って入った。 「非礼は僕から詫びよう。サジバは命の恩人なんだ。サジバ。君もやり過ぎだ。僕らは敵ではないだろう」 「この程度で死ぬるようでは、どのみち聖霊との戦いにも生き残れまい」  シド=ジルは、サジバをジッと観察しながら話し掛けた。 「確かに僕らの魔攻陣では、新種聖魔の相手さえ苦しくなりつつある。だが君のその力も、憑魔陣の威力があればこそじゃないのか?」  シド=ジルはサジバの左腕に装着されている憑魔甲を指さした。サジバはシド=ジルの挑発とも取れる質問を、無表情のまま認めた。 「無論だ。だがこの憑魔甲、そう容易い物ではないぞ」  憑魔甲は、繭使いの技を模した魔操具であった。繭使いは、聖魔に自分の意識を憑依させ、自ら聖魔となって戦う戦士だった。そのため、異能者であるナギの血を引く者でなければ、繭使いにはなれなかった。だが、『集結の時』を迎え、異能者の力が失われると、如何にナギの末裔といえど、もはや繭使いの技は使えなかった。予言者シは、薄れゆく力でもエルリムに対抗しうる手段として、憑魔甲を作り出したのだという。聖霊の血を引くナギの特性を生かし、聖魔と肉体融合することにより、繭使いのように聖魔の力を手に入れたのである。  一方、魔攻衆はただの人間に過ぎない。だが、聖魔を操り、森に馴染んでいることで、憑魔陣を扱える可能性があるという。サジバの使命は、魔攻衆の中から憑魔陣を扱える者を探し出し、ケムエル神殿の戦力強化を図ることにあった。 「俺たちは、お前らのために戦ってる訳じゃねえ!」 「家族や仲間を守るために、ここで踏ん張ってるんだ!」  魔攻衆たちの反発はもっともだ。だが、戦力不足である現実は、否定のしようがない。サジバは淡々と告げた。 「無理にとは言わぬ。カフーは適応出来たものの、ナギの血を引かぬ貴公たちに、憑魔甲を扱える保証は無い。どんな副作用が出るかも分からぬ。挑むも挑まぬも、貴公たちの自由だ」  魔攻衆の間に、重苦しい空気が流れる。バニラはケムエル神殿首座として、その場を治めるように全員に告げた。 「その件はまた日を改めるとしよう。サジバ殿もお疲れであろう。まずはゆっくり逗留されよ。カフーも体を休めてくれ」 「やはりどう考えても妙だな……」  シド=ジルは、家族との食事の席で、サジバの話を思い起こしていた。 「妙って、何が?」  ゼロは、フレア=キュアの手料理を頬張りながら聞いた。シド=ジルは、ジルの知識と照らし合わせながら、見解を述べた。 「レバントから聞いた話には、予言者シなどという人物は一度も出てきた事が無いんだ。シがサジバの言うような人物なら、何らかの記録が残っていても、おかしくないはずなんだが……」  レバントの証言録では、エルリムの軛から解放されたナギ人は、不死となったレバントにケムエル神殿を預け、衰えゆく異能者として残された時を過ごすため、族長ニに率いられ安息の地を求め旅立ったという。 「族長ニは、予言者ギの血を引くナギ人の総本家とも言うべき血筋の者で、ナギ人を束ねる人物だったそうだ。そして彼の家系が代々守ってきたケムエル神殿を、ナギ人の力が失われるのに合わせ、最後の後継者として不死のレバントに預けたんだ。以来300年、レバントはケムエル神殿を守り続けていた訳だが、もしも共闘すべき予言者シという人物がいたとすれば、レバントがその事を知らぬはずはないし、交流があってもおかしくない。第一、レバントが黒繭使いとなって単身エルリムを殺そうとした、5年前の『リリスの変』の説明がつかない」  シド=ジルは、釈然とせぬまま食事を続けた。 「でも……あのサジバという戦士も、嘘をついているようには見えなかったわ……。だいたい、彼、どこから来たのかしら? 聖魔の森の入り口は神殿にしかないし、クマーリの門を通ったのなら、誰かが気付いてもおかしくないわ。それが、森の最深部でカフーを助けるなんて……」 「森に入る別の方法があるんじゃない? ほら、キキナク・ステーションにあるゲヘナパレの転送装置みたいな」  フレア=キュアの疑問に、メロディーはあっさりと答えた。 「そういえば、伝説の民にしちゃあ、随分あか抜けた感じのプロテクターだったよな〜。あの憑魔甲ってのも、何となく魔攻陣カプセルに似てるし。ゲヘナパレ帝国と何か関係があるのかな?」  ゼロもメロディーも、この世界の歴史に実感がない分、ゲヘナパレの時代も繭使いの時代も同列に捕らえている。その時間感覚の希薄な意見が、シド=ジルにインスピレーションを与えた。 「ゲヘナの業……そうか、魔操陣か!」  魔攻陣カプセルは、普通の人間にも聖魔を扱えるようにするために、レバントがキキナクと相談して開発した魔操具である。そして、その心臓部には、ゲヘナパレの技術が使われている。憑魔甲も、力を失ったナギの末裔のために作られた物ならば、魔攻陣カプセルと共通の技術を応用した可能性は高いだろう。 「ゲヘナパレの遺跡は、ナギ人が封印したんだ。予言者シが、ゲヘナの業を使った可能性は充分あるな」  魔攻陣カプセルは、かつてゲヘナパレの錬金術師たちが聖魔戦争で用いた『魔操陣』という道具を参考にした物だという。魔操陣に関する詳しい資料は現存していないが、かつて錬金術師たちは、聖魔に対抗するため、『ゲヘナの僕』と呼ばれる造魔を作り出したと伝えられている。そして魔操陣を用いて造魔を操り、ついには聖霊を滅ぼしたという。キキナクは僅かに残された魔操陣の資料を参考にしながら、造魔の代わりに浄化した聖魔を用いる魔攻陣カプセルを開発したのである。 「魔操陣に関する資料は、僕もあまり持っていないんだが……ほら、これだ。造魔というのは、ゲヘナパレの錬金術師たちが生み出した人造生命の一種で、まあ、生体部品で出来たロボットみたいなものだったようだ。なんでも、造魔を乗り物代わりにしたり、鎧のように直接まとったり、集団で動かしたりしたそうだ」  食事を終えると、シド=ジルはゲヘナパレ正史写本を持ち出し、魔操陣について書かれた部分を家族に見せた。 「これが魔操ブレスレット?」 「魔攻陣カプセルに比べると、随分小さいね」  写本には、左腕に付けたイラストが描かれていた。 「それだけ高度な文明を持っていたという事だろう。ゲヘナパレでは、造魔と魔操陣はかなりポピュラーな技術だったようで、もともと武器としてより人々の日常の暮らしの中で役立てられていたようだ」 「そんな高度な技術を持った国が神の怒りに触れるなんて、ちょっと不思議だね」 「いや、高度だからこそ、人間は戒めなければならないということだろう。享楽に溺れた者の末路なんてのは、今も昔も変わらないということさ」  シド一家が暮らしていた2007年も、ゲヘナパレのような超技術は無いにせよ、宇宙ステーションの建造に着手するほどの科学技術を有している。だが一方では、地上のどこかでは常に戦火が絶えず、恒久的平和など語るべくもない。一家は、ゲヘナパレ帝国の記録を見ながら、2007年に思いを馳せた。 ■08■ 終末の足音  翌日、バニラ以下主立ったメンバーは、カフーとサジバを迎え、対策会議を開いた。ふたりのもたらした情報は、魔攻衆を震撼させた。  聖魔の森の最深部では、既に大規模な変動が始まっていた。数多くの島で皇帝カズラが光を満たし、森そのものも増殖を始めていた。巨大化した島では、細胞分裂のように新たな島が生まれ、そんな島の中には、ヒメカズラが多数群生する島も発見された。ヒメカズラには、島と島とを結ぶ転送装置の能力があり、通常各島に1,2株しか存在しない。それが群生しているということは、その島は交通の要所であることを意味する。カフーたちは、このようなヒメカズラが群生する島を、ジャンクションと呼ぶことにした。  カフーの縦走調査の間、エルリムの御神木は勿論、特別な物は何も発見できなかった。だが、たった一度だけ、カフーは聖霊に会うことに成功していた。 「それは純白のドレスを着た女の聖霊だった……」  * * * 「可哀想に……何と言うことを……」  戦いが終わった皇帝カズラの中、肩で息をするカフーの背後に、突然その聖霊は現れた。魔攻陣の聖魔は既に消耗している。カフーは素早く予備の繭に換装すると魔攻陣を再展開し、攻撃態勢をとった。一連の動作を隙無く一瞬で行えるのは、カフーの実力故である。だが、切り替えた魔攻陣に、カフーは違和感を覚えた。 「クッ、何だ!?」  魔攻陣が安定しない。聖魔たちが聖霊を見て動揺しているのだ。カフーは何とか聖魔を落ち着かせようとした。だが、それを聖霊が妨げた。 「案ずることはない。争う気はありませぬ。お前たちもお下がり」  聖霊が軽く手を振ると、魔攻陣に配置した聖魔たちが総て戦闘不能になり、繭へと帰ってしまった。やむなくカフーは魔攻陣を解除すると、腰に差した短刀に手を掛けた。 「君は誰だ?」 「……我はマハノン。生命と豊穣を司るエルリム七聖霊の一人。知恵ある獣よ。汝らは何故エルリム様の加護を拒むのか?」 「加護だと!?」  マハノンは悲しげにため息を吐いた。 「多くの仲間を失われましたね。さぞお悲しみでしょう。されど画策したるマテイもまた、審判の聖霊としてその使命を全うしたまでのこと。本来、エルリム様は破壊も殺戮も望みませぬ。只々、パレルの平安を願っておいでです」 「人間を滅ぼしてもか!」 「滅するのではありませぬ。創世に返し、歴史をやり直すのです」 「余計なお世話だ!」  カフーは短刀ひとつでマハノンに斬りかかった。だがマハノンは、羽虫でもはらうかのように軽く手を振り、突進するカフーの動きを止めた。 「ウッ」 「カフー、そなたも一度はエルリム様のご加護を受けた身なれば、そのお心お分かりでしょう。3軍の者たちに見つかっても面倒です。この場は早々に立ち去りなされ」  マハノンはカフーの正体を見抜いていた。カフーはかつてエルリムの使徒となり、黒繭使いとなったレバントを止めた。だが今やカフーは、自ら堕ちたレバントの心を痛いほど理解していた。黒繭使いは悪しき存在と忌み嫌われたが、一方では闇の義賊とも呼ばれていた。カフーにも今ならばその意味が充分に分かる。そしてその思いが、レバントを倒した事への後悔を産み、カフーを苦しめていた。 「ガハッ!」  気力で無理矢理金縛りを溶くと、カフーは血を吐いてその場に跪いた。全身が鉛のように重い。 「まもなくこの聖魔の森は、時空の狭間よりパレルの地へと帰ります。願わくは、穏やかに我らの帰還を迎えておくれ」  マハノンはまぶたを伏せ、カフーに背を向けて静かに去っていった。 「待てっ!」  カフーの手が空しく宙を掴んだ。  * * * 「森が……帰る!?」  それはすなわち、カヤとクマーリ2つの結界が破られることを意味する。かつて存在したゲヘナの結界も、今はもう残っていない。封じるすべを失った今、復活した森は、もはや誰にも止められない。  サジバの情報により、聖魔の森の復活には、リオーブが関わっていることも分かった。リオーブには膨大なエネルギーが蓄えられ、無理に破壊すれば島ごと吹き飛んでしまうことも伝えられた。 「いっそ、結界が破られる前に、リオーブを全部破壊しちまえば!」 「それを成す者は、島と運命を共にするしかないぞ。いったい幾つ島があると思っとるんじゃ」  血気にはやる魔攻衆を老戦士ウーがいさめた。シド=ジルは、サジバに尋ねた。 「破壊は出来ないまでも、リオーブを発動させないようにする方法は無いのかい?」 「光が満たされぬ限り、発動することは無い。だが残念ながら、一度光を満たしたリオーブから、その光を奪う方法は、全く分からぬ」  考えを巡らすシド=ジルに代わり、後ろに控えていたゼロとメロディーが発言した。 「聖霊は、魔攻衆を森から追い出そうとしたんですよね。もしかするとリオーブは、直接操作する必要があるんじゃないかな? そのために、森にいる魔攻衆が邪魔だった」 「そっか。聖霊は7人しかいないし、メガカルマたちに操作を手伝わせるのかもね」  魔攻衆たちが二人の意見に感心していると、それをフレア=キュアが補足した。 「そうね。島みたいな超質量を異次元空間から通常空間にジャンプさせるとなれば、膨大なエネルギーがいるはずだし、それを蓄えたリオーブを扱うには、相当デリケートな制御が必要でしょうね。メガカルマに任せられるくらいに簡略化されているとしても、私たちに邪魔されながら出来るような作業じゃないはず……え?」  バニラ以下魔攻衆全員が、目を丸くしてフレア=キュアを見ていた。キュアは元々、魔攻陣の扱い以外、難しい話はからっきしダメで、こういう場では、ジルにちょっかいを出すか、居眠りしているのが常なのだ。 「キュア……ツワリが脳に来たッス?」 「え!? ツワリィ?」  呆気にとられたバニラが、つい口を滑らしてしまった。突然のキュアの妊娠話に一瞬話が逸れたが、閑話休題、シド=ジルが今後の対策へと話を戻した。 「とにかく! 少なくとも僕らが勢力下に置いている島は、結界の外には出られないわけだ。まずは、なるべく多くの島を支配下に置けるようにしよう。そのためには、ジャンクションの確保が重要になるだろう」  シド=ジルの提案に、サジバが横槍を入れた。 「下らぬな。島など押さえずとも、エルリムを葬れば、総てが終わる」 「勿論それが一番だろう。だがこれまで時空の狭間では、エルリムもその依り代である御神木バオバオも、誰一人として発見していない。エルリムを見つけることが出来なければ、倒すことも出来ないし、その前に創世に還されれば、総てはお終いだ。そこで、もう一つ探す目標があるんだが……」  シド=ジルは、ゼロとメロディーを見た。 「滅びの蟲」 「オニブブの巣ね?」  ゼロもメロディーも、シド=ジルの考えを理解していた。シド=ジルは頷くと話を続けた。 「人類を創世に還すというなら、エルリムは間違いなく滅びの蟲オニブブを使うはずだ。だが僕たちもレバントさえも、森でオニブブを見たことがない。オニブブの襲来は度々記録されているし、空を覆うほどの大群で襲ってくると言われている。だがそんなに沢山いるにも関わらず、その所在は誰も知らないんだ。おそらく、一カ所に群を成して住んでいるんだろう。巣を見つけ叩くことが出来れば、エルリムの企てを阻止できるかもしれないし、オニブブの居所には、何か秘密があるような気がする」 「うまくいけば、オニブブの弱点も見つかるかもしれないわね」  フレア=キュアの意見に、シド=ジルは笑顔で頷いた。ようやく反撃の糸口を掴み、魔攻衆たちの士気は高まった。バニラは握り拳を作って立ち上がると、全員に号令した。 「そうと決まれば、さっそく行動開始ッス! まずはベテランメンバーを中心に、憑魔甲の適応検査をやるッス。サジバ殿は憑魔甲の量産をお願いするッス。不測の事態に備えて、周辺の村々に森出現の警告を伝令。それと魔攻衆の募集も忘れずに。キキナク商会に応援を要請するッス。哨戒班はジャンクションの捜索と、エルリム、御神木、オニブブに関する情報収集。いいッスね、みんな。散会!」  各々が自分の使命を胸に、それぞれの役目へと散っていった。  闘技場に、憑魔甲の適応検査を受ける最初のメンバーが集まった。サジバは予備の憑魔甲を並べた。 「憑魔甲は、キキナク商会の工房を使って量産する。だが、肝心の扱う人間が揃わねば意味がない。憑魔陣は聖魔との融合ゆえに術者の体に負担が掛かる。我らナギとて、憑魔陣の扱いは容易くはない」  サジバの説明を受け、カフーが前に進み出た。 「みんな聖魔は持ってきたね。僕の経験では、憑着できる聖魔には相性があるようだ。いろいろ試す必要は有るが、とりあえず普段よく使う聖魔で試すのがいいだろう。まずは誰から……」  カフーの言葉が待ちきれなかったように、バニラが目をキラキラさせながら勢いよく名乗り出た。 「ヌメヌメとの合体! 至福の瞬間ッス!」 「やっぱり……」  全員が思いきり脱力した。バニラのヌメヌメ好きだけは、誰にも理解出来ない。バニラは説明を受けると、ワクワクしながら中央に立った。憑魔甲から光が飛び出し、バニラの前に一番のお気に入り聖魔ギヌゴンが姿を現した。ギヌゴンの外見は、まさに二足歩行するデブのオオサンショウウオである。一方バニラの容姿は、バラが似合う華麗な女王である。見る者は皆、めまいを覚えた。 「憑着ッ!」  光が後方へ吹き飛び、融合は一発で成功した。そこには、カラフルなギヌゴンが立っていた。ただ、その大きな口はアングリと開き、その中からバニラの顔が覗いていた。 「き、着ぐるみ!」  ゼロはその姿を唖然と見つめ、メロディーはゼロの背後で必死に笑いを堪え藻掻いていた。さすがに誰も、神殿首座であるバニラのことを笑うわけにはいかない。他の者たちも、口を押さえたり視線を逸らして必死に笑いを堪えている。バニラは短い足でピョコピョコと歩き、用意しておいた大きな姿見に全身を映した。 「オー! ラブリー!」 「ブワッハッハ!」  とうとう我慢できず、闘技場が爆笑の渦に包まれた。 「何がおかしいッスー!」  憑着を果たしたバニラが、腰に手を当てみんなを指さして怒った。カフーは笑いを堪えながら、大事なことを確認した。 「まあまあ。それよりバニラ。体調は大丈夫かい?」 「ホ? グレイト、グレイト。パワー爆発ッス!」  重量級聖魔だけに、振り回す腕には力がみなぎっている。サジバが、理解できないという顔をしながら近付いてきた。 「さすがに神殿首座だけのことはある。聖魔との相性もいいようだな。だが、憑魔陣は無限に続けられるわけではない。自分の限界を見極められよ」  サジバはバニラの周りを回っている青く透明の円盤を指さした。 「この円陣はシギルと言う。シギルは憑着の状態を表し、この青い光は、聖魔の属性を表す物だ。見ての通り今は安定しているが、憑着を続ければ徐々に体に負担が掛かり、シギルの回転が不安定になる。どの程度の連続使用が可能かは個人差があるので、いろいろ試すのが良かろう」 「さて、次は誰がやる?」  バニラが感触を確かめる傍ら、カフーが次の挑戦者を募った。 「僕がやろう」  シド=ジルが名乗りをあげると、フレア=キュアも名乗ろうとした。だがそれをバニラが止めた。 「キュアはダメッス。お腹の子にどんな影響が出るか分からないから。それとミントもやめた方がいいッス。傷が開いたら大変ッスよ。こいつ、結構ハードッスから」  バニラの顔に汗がにじみ、シギルも少しふらつき始めていた。 「初めから無理をするな。徐々に体を慣らせばいい」  カフーの言葉を受け、バニラは憑魔陣を解除した。代わってシド=ジルとベテラン魔攻衆が準備する。シド=ジルが聖魔を出し、憑着を掛ける。だが次の瞬間、光を放ち暴発してしまった。 「うわっ!」 「大丈夫、アナタ!」  フレア=キュアたちが思わず駆け寄った。幸いケガは無いようだ。 「イテテテテ。なるほど、こいつは一筋縄じゃいかないな」  一方、魔攻衆の方は、何とか憑着に成功した。だが、シギルは激しくうねり、到底使える状態ではない。 「グヌヌ、クソーッ! こいつさえ使えれば仇が討てるんだっ!」 「よせ! 無茶をするな!」  カフーは慌てて止めに入った。 「グワーッ!」  弾けるように憑着が解けた。服が破れ、剥き出しの肌は腫れ上がり、シューシュー音を立てて白い煙をあげていた。取り巻く者たちは、その姿に動揺した。 「無茶はせぬことだ。無理に憑着を続ければ、やがては体に癒着し、聖魔に取り込まれるぞ」  サジバは表情を変えず憑魔甲を回収すると、新たな挑戦者を募った。他の者がたじろぐ中、ゼロとメロディーが名乗り出た。 「ボクがやるよ」 「アタシも」  止めに入ろうとオロオロする両親を他所に、二人は見よう見まねで憑魔甲の準備をした。憑魔甲の中央には、8つまで繭を格納できるターレットホルダーが付いている。ゼロとメロディーは、自分たちの魔攻陣カプセルから繭を移し入れた。ホルダーを回し、使う繭を正面に据えると、憑魔甲を前方に構え聖魔を出現させた。ゼロは、角と牙を生やした鬼のようなナックルチューを出した。一方メロディーは、耳と目が大きくリスを彷彿させる妖精のようなミミリーナを選んだ。ゼロはそれを見て文句を言った。 「何だよメロディー。合体するからって、外見で聖魔を選ぶなよな〜」 「余計なお世話です〜」  緊張感のないふたりに、フレア=キュアが怒った。 「こら、アンタたち。遊びじゃないのよ!」 「ハーイ」  勿論ふたりとも遊びのつもりなど無い。憑魔甲に右手を乗せ発動させると、ふたりともアッサリと成功させた。ゼロは重厚な甲冑を着込んだ大男のようである。試しにパンチを繰り出してみる。重そうなこぶしが唸りを上げて空を引き裂く。岩ぐらい粉々に砕きそうだ。見る者はそのパワーに圧倒された。逆にメロディーの方は、極めてスリムな出で立ちであった。足取りは羽根のように軽く、頭には仮面のような物をかぶっている。総てを見通す大きな複眼と、どんな小さな音でも聞き分ける耳を持っていた。 「そんな太い腕、当たんなきゃ全然意味無いわよ」  メロディーはゼロの周囲を飛び回り挑発した。ゼロはメロディーを捕まえようと腕を伸ばした。だがミミリーナの力を得たメロディーは、ゼロの腕の軌道を完全に見切り、からかうようにすり抜けて見せた。 「こいつ!」  ゼロはムキになって捕まえにかかった。だが、俊敏な動きのメロディーに翻弄されてしまう。 「何て動きだ」 「すげえ、目がついていかねえ!」 「これなら確かに、新種聖魔もメガカルマも目じゃねえな!」  魔攻衆の面々は、憑魔陣の威力に改めて肝を潰した。サジバは、ゼロたちの適性を見て取ると、ふたりに近付いて言った。 「お前たちは、だいぶ使えそうだな。今度は、縛装を試してみろ」  縛装とは、憑着した上から別の聖魔を装備する技である。憑魔陣の真骨頂は、どの聖魔をベースに装備し、どの聖魔で機能強化するか、その組み合わせにある。縛装には、上下半身、両腕、武装が選択できる。ふたりとも、ターレットホルダーには、まだ繭が残っている。 「おい、サジバ。いくら何でも縛装はまだ無理だ」  カフーが止めに入った。サジバも実はそう考えていた。憑魔陣が甘くないことを教えるために、ワザとふたりにけしかけたのだ。だが、そんなサジバの予想を、ゼロとメロディーは覆してしまった。 「縛装!」  ゼロは、最速の飛行型聖魔ゴージェットを上半身に追加した。肩から背中にかけて、まるでジェット機のような翼が付いた。メロディーは刀の生えた巨大キノコの聖魔タケゾーを右腕に追加した。刀の生えた大きな円形のシールドが、華奢な右腕に装着された。ふたりのシギルには、聖魔の文様が追加されていた。 「お? うわ! 何だ──?」 「やだ、ちょっとコレ重い〜!」  ふたりとも、縛装した聖魔の力をコントロール出来ずにいた。ゼロは大きな体を翼の推進力に振り回され、メロディーは重い右腕に身動きが取れなかった。だが、上手く扱うことは出来なくても、ふたりのシギルは、変わらず安定して回っていた。 「この──!」  ゼロは力ずくでコントロールしようとジタバタ飛び跳ねている。一方メロディーも、何とか動かそうとするうち、円形のシールドが回転し始め、闘技場内を走り始めてしまった。 「ウワ──!」  見物人たちは逃げまどい、大混乱が起きた。カフーは慌てて自分の憑魔甲から狼男のようなブルメンを呼び出し、漂着した。続けて、人型のタコのようなタッコンキューを呼び出し、左腕に縛装する。飛び跳ねるゼロを力で押さえ込み、左腕の触手でメロディーを絡め取る。 「よし、二人とも、憑魔陣を解除するんだ」  何とかコントロールを取り戻したふたりは、ようやく憑魔陣を解除した。シギルが弾け、元の姿に戻ると、勢い余ってそのまま地面に転がった。 「アイテテテ……」  カフーはホッと溜め息を吐くと、自分も憑魔陣を解除した。 「まったく。いきなり縛装を使うなんて。どこもケガは無いかい?」  カフーはふたりの手を取り、助け起こした。その時、ふたりの手の甲にある竜のアザが目にとまった。 『おや? この紋章……どこかで……』  カフーの脳裏に、かつて自分が魔攻衆になった頃に聖魔の森で出会った、水の竜のカルマだったキュアの姿が浮かんだ。青い肌をしたカルマ・キュアの額には、ゼロたちと同じ紋章が描かれていた。 『まさか。ただの偶然だな。このふたりはジルの甥だし、そもそもキュアには血縁も無いんだから』  カフーは、一瞬脳裏で重なったカルマ・キュアとゼロたちを、疑うことなく否定した。 「ありがとう。一時はどうなるかと思っちゃった」  メロディーは苦笑いをしながら、自分の頭をコツンと叩いた。ギャラリーもようやく落ち着きを取り戻した。だがそんな中、サジバは真剣な表情でゼロとメロディーをジッと見ていた。 『バカな。いかな魔攻衆と言えど、ナギでない者が、これほど容易く聖魔に馴染めるというのか!?』  サジバは、ゼロとメロディーの示した適性に、異様なものを感じるのだった。  そしてサジバ以上に驚いていたのは、シドとフレアであった。ふたりは周囲に聞かれぬよう、小声で疑問を口にした。 「あのふたり……いったい、どうなってるの?」 「まさか僕らは……偶然ではなく、呼ばれるべくしてここへ来たとでも言うのか?」  ふたりは子供たちのあっけらかんとした様子を見つめながら、一家を覆う運命の影を感じ、恐怖するのだった。 ■09■ 旅立ち 「ゼロ!」 「ジェットスラッシュ!」  ゼロは、ミントの術で動きを固められたメガカルマに向かって高速で突っ込んでいくと、すり抜けざまに閃光の刃を浴びせた。メガカルマの体が、絶叫と共に胴で真っ二つになる。高々と跳ね上がった上半身が、リオーブの光に照らされながら力無く落下する。皇帝カズラの床に転がったむくろが、光の泡を立てながら消滅していく。 「ま、こんなとこか」  急旋回し上空からメガカルマを倒したことを確認すると、ゼロはそのままミントのそばに滑るように着陸した。 「お見事、ゼロ」  ミントは魔攻陣を解除し、微笑みながらゼロに近付いてきた。ミントもようやく包帯が取れ、戦線に復帰した。派手なバニラとは対照的に、ミントの闘衣は、清楚で華奢な印象を与えている。ただ、左半身がしっかりとガードされているせいか、右半身は胸元など案外露出度は高い。腰には細身の剣を下げ、左腕には愛用の魔攻陣カプセルを装備している。ミントも憑魔陣の練習を始めているが、まだ実践に使えるレベルではない。病み上がりということもあり、ミントはゼロとメロディーのコーチとして、チームを組んで森の哨戒にあたっていた。 「もうすっかり一人前ね」 「ミントのアドバイスがあるからだよ。これでもいっぱいいっぱいなんだぜ」  ゼロは憑魔陣を解除すると、照れくさそうに頭を掻いて笑った。ふたりの様子には、くつろいだ雰囲気さえ見て取れる。  ゼロもメロディーも、初陣から間もないにもかかわらず、既にその実力を発揮し始めていた。縛装は、まだ聖魔1体が限度だが、ある程度安定して使えるようになってきた。  ゼロにメガカルマを任せ、メロディーも残りの新種聖魔を掃討し終わっていた。憑魔陣を解除し、不機嫌な表情でゼロとミントを見ている。メロディーは、笑顔で語り合うふたりを無視するように、ズカズカと近付いていった。 「楽勝楽勝。メガカルマも片付いたし、そろそろ神殿に戻りましょ」 「あ、ああ」  メロディーは、ぶっきらぼうにふたりの間を割って歩くと、そのまま戦いの終わった皇帝カズラから出ていった。  神殿に着きミントと別れると、メロディーはゼロを物陰に追いやり詰め寄った。 「ちょっとゼロ。アンタまさか、ミントに気があるんじゃないでしょうね?!」 「な、何だよ、いきなり」  ゼロは赤くなり、ジッとにらんでいるメロディーから視線を逸らした。 「アンタ、分かってんの? ここは過去なのよ? アタシたちは未来に帰るんだからね」 「お、お前の方こそ、帰る時のこと、ちゃんと考えてんのかよ?」 「帰る時?」  メロディーは、ゼロの切り返しの意味が分からなかった。ゼロは仕切り直すと、抑えた声で話し始めた。 「お前、ボクらが帰れるとしたら、いつの時点に帰ると思う? こっちに来てそろそろ3週間になるけど、今もし帰るとしたら、ドーム遺跡で光に包まれた直後か、それともその3週間後か、どっちだと思う?」 「どっちって言われても……」 「直後に帰るなら、大して問題はないさ。だけど、もし3週間後だったら、おそらく向こうに残されてる父さんたちの体は、そのまま3週間経ってることになる。エルリムを倒した後になれば、もっと先になるんだぜ」  メロディーは、ゼロの指摘に動揺した。もしこの時代と2007年が並行して時間が流れてしまうとしたら、体ごとタイムスリップしたメロディーたちはともかく、体を残してきた両親は、帰還が即ち死を意味する。 「もしそうだとしたら、父さんたちは帰れないことになる。父さんも母さんもこのことには触れないけど、帰るときが来たとき、多分ボクたちだけを帰すつもりなんだと思う」  メロディーは、思わず口を押さえ青ざめた。彼女はそこまでは考えていなかった。 「ボクはこの時代は嫌いじゃないよ。それに父さんも母さんもいるわけだし。結論を出すには早いけど、お前もそれなりに覚悟しておけよ」  ゼロはメロディーの考えが落ち着くまでしばし待つと、ひとつため息を吐いて歩き始めた。 「そろそろ、行こうぜ」  メロディーの中で、様々な不安が渦巻いた。  ふたりは無言のまま、生命の間へと向かった。魔攻衆としての経験が浅いふたりは、ここで様々な聖魔を借りて試しているのだ。 「いらっしゃい。ふたりとも精が出るッスね〜」  生命の間に入ると、繭を管理しているトリ男がふたりを出迎えた。トリ男は慣れた手つきで繭棚を開け、ゼロたちに示した。 「今日はどのあたりを試すッス?」  元々、生命の間では、魔攻衆一人一人の繭を預かっている。ホワイト・ヴァイスによって大勢の魔攻衆が命を落としたことで、彼らの残した繭がそのまま大量に残されていた。在来種の聖魔が手に入り難くなった今、残された繭は貴重な遺産であった。バニラたちは、余った繭を整理し、魔攻衆の予備の繭として貸し出すことにしたのである。残された繭の中でも、十傑衆の物は鍛え抜かれた優秀な聖魔が多い。ゼロとメロディーは、バニラのはからいで、それらを自由に使うことが許されていた。  ふたりが繭を選んでいると、トリ男たちがバタバタと騒ぎ始めた。部屋の奥のとばりから淡い光が射し、生命の間の主である巫女のラーが姿を現した。ラーは、全身をスッポリと覆うローブを羽織り、杖を頼りに弱々しく歩いている。少し高い位置にある巫女の座に登ると、頭を覆うフードをゆっくりと外した。 「ようこそ、若き戦士たち」  ラーは素肌を人目につかせぬよう、手には手袋を着け、口元さえも覆っていた。目元に僅かに覗く白い肌は蒼く透き通るようで、彼女の体調が普通でないことを物語っている。ラーは挨拶を交わすと、か細く微笑みながらふたりに話し掛けた。 「期待のニューフェイスが、いつもお下がりの聖魔ばかりでは可哀想ですね。今日は体調も良い。あなた方に新種の聖魔を授けましょう」 「ラー様。大丈夫ッスか?」  トリ男が、ラーの体を気遣いながら、卵の棚を開けた。そこには孵化させることが出来ずストックされた新種聖魔の卵がびっしりと並んでいた。 「遠慮せず、好きなのを選びなさい」  ゼロとメロディーは戸惑った。ふたりとも、ラーの体調が尋常ではないことを知らされていたからである。  これまで、繭使いも魔攻衆も聖魔を武器に戦ってきた。繭使いはその術で直接聖魔を繭に封印し、術の使えない魔攻衆は聖魔の卵を集めることで必要な聖魔を手に入れてきた。だが、どちらの方法でも、そのままの状態では聖魔を僕として使うことは出来なかった。聖魔を使えるようにするには、聖魔が帯びている呪いを浄化する必要があるのだ。繭使いの時代には、その役目を繭使いの妻であるナギの女が行っていた。そしてその代償として、ナギの女たちの体には、呪いの刻印が刻まれたのである。一方、ナギ人が消えた魔攻衆の時代になってからは、聖魔の浄化と繭への封印の仕事は、巫女のラーが一手に引き受けてきた。元々、ラーとムーの姉妹は人間ではなく、レバントのためにナギの秘術によって作られた生きた人形であった。  これまでラーは、浄化の呪いを受けることなく聖魔の浄化を続けることが出来た。だが、新種聖魔の登場が、事態を一変させてしまった。新種聖魔の浄化は、人形巫女のラーをしても容易ではなく、ついに彼女の身にも呪いの刻印が刻まれ始めたのである。魔攻衆全員分の聖魔を扱うラーの負担は尋常ではなかった。そして、ひと度狂った浄化の能力は、在来種の聖魔でさえ扱うことを難しくしてしまったのである。 「ボクはいいよ。幼体から育てなきゃなんないんだろ。メロディーだけ貰えよ」 「でも……」 「そうだ。この前カフーが持ち帰った珍しい卵があります。それを差し上げましょう」  ラーの指示で、トリ男が奥から卵を大事に抱えて持ってきた。それは、まばゆいばかりに純白に輝く新種聖魔の卵だった。ラーは卵を据えると、聖魔術を施した。卵が浄化されつつ孵化する。光の中から、灰色の雛が現れた。 「キャー、可愛い〜!」  メロディーはひと目で気に入ってしまった。雛はメロディーを見上げ、ピーピーと可愛い声をあげている。聖魔が繭に収まると、メロディーは嬉しそうに手に取った。 「ありがとう、ラー」  ラーを見上げたメロディーの顔が、一瞬にして青ざめた。浄化を終えたラーの体がゆっくり前のめりに倒れ、そのまま巫女の座から落下した。 「ラー!!」  ゼロとメロディーは慌てて駆け寄り、ラーを抱き起こした。ラーは完全に意識を失い、全く反応がない。 「ラー! しっかり、ラー!!」 「ウッ! これは!?」  口元を覆っていた布が外れ、胸元までが露わになった。彼女の白い肌には、ドス黒いヒルのようなものが無数に這い回っていた。いや、這っているのではない。それは動くアザであった。4,5センチの長さのヒルのようなアザが、おびただしい数、ウネウネとラーの白い肌に蠢いているのである。 「それが呪いの刻印だよ」  気がつくといつの間にか、シド=ジルが駆けつけていた。 「パパ!」  シド=ジルは、人差し指を口に当てた。彼は、ふたりが生命の間に向かったとミントから聞き、立ち寄ったのだった。 「どうやら気を失っているだけのようだな。……残念だが、浄化の呪いだけは、どうすることも出来ないんだ」 「そんな……」  メロディーは涙を流しながら、手袋を着けたラーの手を取った。3人が何も出来ずラーを見守っていると、そこへムーがやってきた。妹であるムーは、ラーの異常に気付き、とんできたのだ。 「ラーなら大丈夫。私たちはふたりでひとり。私の命はラーの命でもあるから。……ラー、しっかり」 「……ムー」  ムーが声を掛けると、ラーが意識を取り戻した。抱きかかえるゼロとメロディーが、ホッとため息を吐いた。 「ごめんなさい、ラー。アタシが卵を孵化してもらったばっかりに……」  メロディーはラーの手を優しく撫でながら、涙を流し謝った。ラーは弱々しく微笑むと、首を横に振った。ラーの顔色が徐々に良くなってきた。 「気にすることはありません。これがわたしの仕事。わたしこそ、驚かせてごめんなさい。もう大丈夫です。おかげで楽になりました」  そのラーの言葉は、実際にお世辞ではなかった。ゼロとメロディーに介抱され、事実、呪いの刻印が薄れ始めていたのだ。だが服に隠されていることもあり、残念ながら、誰一人その事実に気付いてはいなかった。ラーは起き上がると、ムーの手を借りながら、生命の間の奥へと下がっていった。 「ありがとう、ラー。この聖魔、大事に育てます!」  メロディーはラーの後ろ姿を見送りながら誓うのだった。  数日後、シド=ジルはカフー、ウーと共に、神殿首座の部屋を訪ねていた。現在の状況を打開するために、ある提案をするためである。 「ガガダダを探そうと思う」  バニラたちは、シド=ジルの提案に驚いた。何故なら、ジルは以前、ゲヘナパレ帝国首都ガガダダの捜索を断念していたからである。カフーはジルに尋ねた。 「サジバから、何か情報を得たのか?」 「いや。彼は何も語ってはくれなかった。これまでにキキナク商会が発掘した遺跡と、ジル……僕の資料を再検討してみたんだが、まだ見落としている部分があると思ったんだ」 「確かに、かつて聖魔の森を封じていたゲヘナの結界の秘密でも手に入れば、森の復活にも対抗できるじゃろう。憑魔陣の配備の方は、どうじゃ?」  バニラはウーの問いかけに、首を横に振った。 「まだ時間が掛かるッス」  憑魔陣を実戦装備しているメンバーは、バニラを含めてもまだ5名しかいなかった。適性を示したメンバーは、ミントを始め他にも10人ほどいるが、実戦配備にはほど遠い状態だった。シド=ジルも適性を示せず、足を負傷しているウーもまた、使うことは出来ない。ウーは、シド=ジルの提案に賛成した。 「打てる手は、総て打っておくべきじゃろう。それに、ワシはあの憑魔陣には、どうも嫌な予感がする。予言者シと八熱衆とかいうのも、得体が知れんしの」 「僕も同意見です。予言者シの存在は、レバントからも聞いたことが無いし、共闘を持ちかけながらも、憑魔甲の提供以外、特に動く様子もない。使者であるサジバも、森の復活に危機意識は無いようだ。カフーには悪いが、僕も彼らには疑問を感じているんだ」  ウーとシド=ジルの指摘に、カフーはフッと笑みを浮かべた。 「ふたりとも流石ですね。実は僕も完全に信用している訳じゃありません」  カフーは先の単独捜査の時、しばしば何者かの視線を感じていたという。初めは、それが聖霊による監視と考え、接触するため気付かぬ振りをしていた。だが、マハノンと出会ったことにより、それは否定された。 「おそらくあれは、予言者シだったんでしょう。彼らは何らかの目的で僕に接触してきた。それが何なのかは分からないが、憑魔陣のパワーは魅力的です。憑魔甲自体はサジバの物と同じだし、我々も使える物は有効利用するまでです」  カフーの危うい判断に、一同驚かされた。 「この事、他言せぬがよかろう。これ以上、動揺の種をまく訳にもいかんし、我らだけで警戒するしかあるまい。しかしそうなると、なおさら手をこまねく訳にはいかんの」 「それで、ガガダダ捜索の人選はどうするッス?」  シド=ジルは、キュアとメロディーを連れて行くことを提案した。実は前の晩、この人選を相談した際、フレアはゼロも同行させることを強硬に主張していた。ふたりが戦士としてメキメキ成長していくと共に、フレアは危機感を覚えていたのだ。だが、新戦力をふたりともケムエル神殿から遠ざける訳にはいかない。結局シドは、ゼロを戦場に残すことを決断したのだった。 「予言者シの動きも気になる。念のため、ガガダダ捜査のことは伏せておくのが良いじゃろう」  ウーの助言に全員が頷いた。 「明日、出発するよ。必ずガガダダを見つけて対抗手段を探してくる。それまで、神殿のことは頼んだよ」  翌朝早く、シド=ジルとフレア=キュア、メロディーの3人は、ゼロひとりを残し旅立つ事となった。ジルの家を出るとき、フレアは泣きながらゼロを抱きしめ、離そうとしなかった。何が起きようといつも悠然と構えているフレアが、これほど取り乱したことは今まで一度もない。 「大丈夫だよ、母さん。カフーやバニラだっているんだし。魔攻衆のみんなと待ってるからさ」 「ゼロ。ゴメンね、ゼロ!」  シド=ジルは、優しくフレア=キュアの肩を掴みながらゼロに話し掛けた。 「必ず手がかりを見つけてくる。それまで、無茶をするんじゃないぞ」 「わかってる。父さんたちこそ、気をつけて」  ゼロは父親に笑って応えた。メロディーは、そんな笑顔のゼロに、言い得ぬ不安を覚えた。ゼロがどこか遠くにいるような、奇妙な距離感を感じる。母親の取り乱した様子も、不吉な何かを感じているからではないのか。メロディーはこの世界を、現代に帰るまでの仮の宿だと自分に言い聞かせている。母親譲りの楽天的な性格が、例え今は方法が無くても、現代に帰れると確信を与えてくれる。だが、双子の兄であるゼロは、必要以上にこの世界に関わろうとしている。そんな気がしてならない。 『そんなはず無い。考えすぎね』  メロディーが不安を振り払うと、ゼロが近づいてきた。 「森から離れるからって、憑魔陣の練習さぼんなよ」  ゼロとメロディーは、竜のアザのある右手をパチンとタッチした。ゼロはジルの家の留守を預かり、家族の出発を見送った。  シド=ジルたち一行は、キキナク・ステーションの転送装置を使い、旅立っていった。表向きは、身重のキュアをジルの実家に預けるという名目になっている。一行はカムフラージュのため、2つの町に転移した後、改めて進路を変更した。彼らはまず、キキナク商会が発掘したゲヘナパレ遺跡群へと向かった。 ■10■ エルリム樹海  メロディーたちは、キキナク商会が用意したフロートバギーを受け取ると必要な物資を整え、最初の発掘ポイントへと向かった。  フロートバギーもまたゲヘナパレ時代の遺物で、乗用車ほどの大きさの浮かぶ乗り物である。操縦は極めて簡単で、ドライバーはメロディーが担当することとなった。軽量なため2メートル近く浮かび上がることが可能で、数メートルの幅さえあれば、森の中でも自由に移動できる。座席には幌も付いており、身おものフレア=キュアにとっては具合がよい。  メロディーはフロートバギーを運転しながら、改めてゲヘナパレの科学力に驚いた。いったいどういう仕掛けなのか、フロートカーは、燃料のいらない完全メンテナンスフリーの乗り物だった。エネルギーゲージが赤くなるまで一昼夜は走り続けることができ、たとえエネルギーが切れても、しばらく放置しておけば、また走れるようになる。生体センサーのような物も実装しているらしく、障害物なども容易に察知し、回避できる。そもそも、600年も昔の機械が、まるで新品のように動いているのだ。メロディーは、そのあまりに時代を無視した科学力に、ただただ唖然とするのだった。  メロディーはシド=ジルの指示で、人気のない旧道を走っていた。しばらく見通しがよいのを確認すると、会話の意図を気取られぬように、楽しそうに話し掛けた。 「これだけでも2007年に持ち帰れたら、きっと大騒ぎね、ママ」 「多分ね。もっとも、向こうに持って帰っても、動く保証は無いんだけどね」  フレア=キュアは、意味深な笑みを浮かべながら答えた。 「持って帰るには、こいつは大きすぎるだろ。僕ならこれだな」  シド=ジルは、荷物の中からホタル石を取り出した。ホタル石は、この世界では一般的な照明道具で、ゲヘナパレ帝国は勿論、繭使いの時代から魔攻衆の時代に至るまで、人々の間で広く用いられてきた。通常は10センチ程度の石板状にして使われ、熱を持たない白色光をほぼ無限に放ち続けることが出来る。松明台のような網かごに入れて使われることが多く、パレルの庶民の明かりとして、暗い夜を照らしてきた。 「あら、アナタ。それも多分、向こうじゃ光らないわよ」 「そうなのかい、ママ? そりゃ残念だな〜」  がっかりするシド=ジルを見て、フレア=キュアがクスクスと笑っている。彼女の赤い髪が、心地よく風になびいていた。  メロディーはふたりの会話に疑問を持った。どうやらママたちは、何かこの世界の秘密に気付いているらしい。でも、そのくらいは当然のことだろう。何故なら両親は、メロディーも尊敬する優秀な科学者なのだ。そしてもうひとつ。メロディーはふたりのやり取りにホッとしていた。少なくとも、今の会話を聞く限り、ふたりとも帰ることを心配してはいないようだ。勿論、メロディーの意図を察しての演技という可能性もある。だが、そもそもシドは嘘が下手だし、フレアも隠し事をするたちではない。メロディーにとっては、それだけで充分だった。 『やっぱりゼロの思い過ごしよ』  メロディーはハンドルを握り直すと、軽快にフロートバギーを走らせた。  最初の目的地に着いたとき、陽は既に傾き始めていた。森を切り開いた発掘現場に着くと、シド=ジルは早速荷物の中から赤いリュックを取り出した。それは、あの聖魔の森に転送された際に、メロディーが持っていたバッグだった。 「お前達が調査道具を持っていてくれて、ホントに助かったよ」  シド=ジルは、ガサゴソとリュックの中をあさりながら、何やらフレア=キュアと話している。メロディーはバギーから降り、人気のない発掘現場を見渡した。  そこはサッカー場程度の広さしか無かった。森を切り開き、地面を4,5メートルの深さまで掘り起こしてある。穴の中には崩れた建物らしき跡があり、石畳の一部は、今でも周囲の森の下に続いているようだ。その光景はまるで、森林が建物のあった場所に乗り上げていたかのようにも見える。メロディーの脳裏に、一瞬、2007年にエルリム樹海で発見した遺跡の光景が浮かんだ。  既に発掘は終わっているらしい。辺りには、作業の様子を伝える物は、何も残されていない。ここに来る途中も、近くに民家や集落は見かけなかった。おそらくこの遺跡は、発掘が終わると同時に放棄撤収されたのだろう。崩れた建物の跡には、もはや瓦礫しか残っていない。この建物の跡から、転送装置のような遺物が持ち出されたに違いない。メロディーは穴の底に降りると、壊れた建物を調べようとした。だがその時、穴の上からシド=ジルが彼女を呼んだ。 「メロディー、飛行タイプの聖魔を憑着して、これを持って上空に上ってくれ。明るい内に調べたいことがあるんだ」  シド=ジルは遺跡には目もくれず、調査道具をメロディーに示した。小型のトランシーバーとレーザー測量器。どちらもメロディーが2007年から持ってきた物だ。ふと見るとフレア=キュアも、六分儀を使って太陽の位置を確認している。メロディーは、シド=ジルの意図が理解できぬままミミリーナとゴージェットを憑着し、調査道具を受け取った。シド=ジルはメロディーに、調査の内容を指示した。 「このまま真っ直ぐ上空に、行けるところまで慎重に飛ぶんだ。もし異常が起きて上昇出来なくなったら、トランシーバーで知らせてくれ。予備が無いから、なるべく電池は消耗させないように。わかったね」  見上げると空には雲ひとつ無い。聖魔でどこまで上がれるか、見当も付かない。ままよとばかりにメロディーは、勢いよく飛び立った。ゴージェットの推進力で一気に上昇していく。どのくらい飛べばいいのだろう。そう考えた直後、突然憑魔陣に異変が起こった。シギルが急に悲鳴を上げ、憑着した聖魔の体が、パラパラと光を放ちながら崩れていく。 「え!? ちょっと、やだ!」  ゴージェットの翼がバキバキと音を立てて砕け、ミミリーナのスーツもボロボロに破れていく。加速していたメロディーの体は、突然推進力を失い、そのままポーンと放り上げられ、自由落下を始めた。メロディーは慌てて憑魔陣を解除し、繭ホルダーを回した。えり好みしている時間は無い。代わりの飛行型聖魔として、メロディーはラーにもらった新種聖魔を選んだ。聖魔は純白の小鳥に成長していた。急いで憑着すると、体が羽根のように軽くなり、ふわりと空中に静止した。何とか墜落は防げたようだ。 「フ〜、ビックリした」  メロディーは、純白のコスチュームをまとっていた。背中には小さな4枚の翼がパタパタと動いている。下からシド=ジルの大声が聞こえた。 「メロディー! 大丈夫か!?」  父親は魔攻陣を展開し、彼女を受け止める体勢を取っていた。見下ろすと高度は残り100メートルもない。 「大丈夫、大丈夫!」  メロディーは元気に手を振ると、今度は慎重に上昇を始めた。しばらく昇ると再びシギルが不安定になり始めた。メロディーは高度を保てるギリギリの高さで静止すると、トランシーバーでシド=ジルに情況を報告した。 「よし。それじゃあ、そこから測量器で地上までの高度を測ってくれ」  地表に向けてレーザーを飛ばし、距離を測る。高度は300メートルそこそこしか無かった。メロディーは更に周囲を飛び回り、何が起きたのか確認した。 『天井がある!』  高度はそれ以上あげられなかった。試しに聖魔をもう一体出してみる。限界高度の付近から、聖魔の体がパリパリと砕け始める。聖魔は、この見えない天井の下だけでしか、存在することが出来ないのだ。メロディーはシド=ジルの所へ舞い降り、体験した現象をつぶさに報告した。  シド=ジルとメロディーは、バギーに掛ける形で野営用のテントを作った。2007年とは違い、さすがに便利なキャンプ道具が揃っているわけではないが、シドにはこれくらいお手の物である。 「明日は少なくとも3カ所は回りたい。朝早く出発するぞ」  シド=ジルの言葉に、メロディーは目を丸くした。 「朝って……ここを調べるんじゃないの?」  見たところ、周辺にはまだ何か埋まっている可能性がありそうだ。憑魔陣を使えば、土木作業も楽にこなせる。メロディーはてっきり、発掘現場を更に掘り起こすとばかり思っていたのだ。だが、シド=ジルは笑って答えた。 「そんな時間があるわけないだろ。それに、こんな所を掘ったところで、ガガダダのヒントなんて出てきやしないさ」  シド=ジルは、確信を持ってメロディーに答えた。  簡単な夕食を済ますと、シド=ジルはエルリム樹海の地図を広げた。これもまた、2007年から持ってきた物だ。シド=ジルはフレア=キュアと共に、メロディーに説明を始めた。 「この世界には、フロートカーのような技術はありながら、正確な地図は存在していないんだ。だが、幸い僕らは正確な地図を持っている。2007年と地形は大差ないと仮定すれば、観測で自分たちの正確な位置が特定できる」 「太陽や星の運行を調べた結果、ケムエル神殿の位置はわたしたちが発見した遺跡と、緯度経度共に完全に一致したの。時期も、わたしたちは1008年過去の同じ日に飛ばされてきたことが分かったわ」  メロディーたちが魔攻衆の修行を続けている間、科学者夫婦は無為に時を過ごしていたわけではない。彼らは、時計やコンパス、六分儀などを駆使し、この世界の分析も行っていたのだ。  エルリム樹海は、東西150キロ、南北200キロの広大な面積を有している。ケムエル神殿は、そのほぼ中央に位置しており、現在メロディーたちがいる発掘地点は、神殿から西南西に40キロほど離れた場所にあった。シド=ジルは、明日から回るポイントのだいたいの位置を示した。そのルートは、ケムエル神殿の南側を迂回するほぼ半円状のルートだった。 「それぞれの場所への行き方は調べてあるが、実際、ジルもいったことがあるわけじゃない。時間的に全部は無理だが、なるべく多く、広範囲に回りたい。このルートで遺跡の特定が終わったら、その次はこう北上して、ホワイト・ヴァイスで全滅した村々を回る」  シド=ジルは、半円状のルートから更にケムエル神殿を反時計回りに回り込むコースを示した。 「それが済んだら、初めの町に戻って最初の行程は終了だ。ほんとはサイラス村にも寄りたいんだが、今は時間が無い」  メロディーは改めてルートのチェックをした。地図には遺跡群や村のだいたいの位置が鉛筆で記されている。位置の特定が終わっているケムエル神殿は、赤ペンで○印が付けられ、この発掘地点は×印で示されている。印の横には、上昇限界高度も書き加えてある。広大なエルリム樹海には、断層状の地形や、丘陵地帯、大きな川も存在する。サイラス村のある東側は、山脈によって遮られている。メロディーは、予想される遺跡位置とルートを横切る等高線を読んだ。見たところ、それほどやっかいな障害は無さそうだ。川についてもフロートバギーなら、気にせず横断することが可能だろう。場合によっては、道路代わりに川面を下る手もある。街道もあるようだが、こうして地図に照らし合わせると、必ずしも最短ルートとは言えないようだ。メロディーたちは、2007年の樹海の地形を思い出しながら、なるべく最短となる走行ルートを検討した。  次の日、調査の要領を得たメロディーは、憑魔陣をも駆使し、軽快にゲヘナパレ遺跡を走破していった。森を突っ切るときはパワー型の聖魔が威力を発揮し、方角に迷うときや遺跡に接近したときは小鳥の聖魔で上空からルートを探し出す。そして目的地に到着すると、テキパキと測量作業をこなし、上昇限界高度や、現在位置を割り出していく。ひとつ、またひとつと、遺跡の場所が地図に書き込まれていく。発掘現場の規模は、どの遺跡も大差はなかった。 「それにしても、樹海の中からこんな遺跡、よく見つけられたわね」  メロディーは素朴な疑問をシド=ジルに尋ねた。 「それは、転送装置のおかげだよ。転送装置は、ジャンプする両側に必要だろ。ひとつあれば、ジャンプ先に使える転送装置をサーチすることが出来るんだ。生きてさえいれば接続を試みる事が出来るし、遺跡のだいたいの場所は古文書から割り出すことが出来た。あとはトリ男が反応のある場所を掘り起こしたってわけだ」  予定していた遺跡群の特定を順調にこなし、一行はケムエル神殿の北方に点在する滅亡した村々へと進路を取った。村の規模は、どこも大きくはなかった。この辺りにはかつて聖魔の森があり、レバント親子が時空の狭間へ分離、封印したことで、残された森であった。聖魔などの異形がいなくなったため、その後に、徐々に人々が入植したのである。  村は、完全にもぬけの殻だった。僅か2ヶ月前まで、そこには人々の暮らしがあったのだ。オニブブに襲われた村では、人間だけが目覚めぬ眠りに墜ち、村はそのままの姿で残されている。メロディーは、今にも誰かと出会いそうな生々しい廃墟に、滅びの蟲オニブブの恐ろしさを実感するのだった。  ケムエル神殿を出発して1週間。一行は樹海の中を一周し、フロートバギーを受け取った町へと戻っていた。神殿の西方にあるこの町には、聖魔の森の特産品を扱う貿易商が建ち並んでいた。いわばここは、キキナク商会の玄関とも言うべき場所である。ここから宝石や薬草などの特産品を他の都市へと売りさばき、巨万の富を築いてきたのである。  メロディーたちは商会の手配した宿屋に入ると、さっそく調査結果の分析を始めた。地図に目印が増えていくにつれ、メロディーはシド=ジルが何を導き出そうとしているのか、その目的がだんだん見えてきていた。テーブルにエルリム樹海の地図を広げると、シド=ジルはまず、ケムエル神殿やオニブブに襲われた7つの村を取り囲む大きな円を描いた。 「この円は、かつてゲヘナの結界が掛けられていた範囲だ。つまり、繭使いの時代の、聖魔の森があった場所だ」  描かれた円の南側には、弧を描くように遺跡群が点在している。シド=ジルはゲヘナパレ正史写本を開き、記述と照らし合わせながら考察を始めた。 「この遺跡群は、かつてゲヘナパレが、聖魔の森から妖精の繭や薬草を集めるために作ったキャンプ地なんだ。アルカナ伝説の悲劇に関わった施設だな。結果として、繭の乱獲に抗議したメネク皇太子は獄死し、恋人のアルカナもウバン沼に身を投げた。そしてエルリムの怒りを買ってからは、聖魔が総ての町を襲い、聖魔戦争へと突入していく。かろうじて聖霊を滅ぼしたゲヘナパレの錬金術師たちは、このキャンプ地を足がかりに、エルリムに最後の特攻を掛け、森にゲヘナの結界を張ったんだ」  シド=ジルは、正史写本の記述を指さしながら話を続けた。 「ウバン沼はこの結界の中にあったらしい。そこにはたくさんの巨木が生い茂り、エルリムの仮の姿である御神木も、その中にあったと言われている。そしておそらくそれは、この辺りだろう」  結界の円の中、7つの滅びた村を取り囲むように、小さな円を描いた。メロディーは、7つの村の上昇限界高度に注目した。この辺りの上昇限界は遺跡群などより明らかに高い。シド=ジルが描いた円も、一番高度がありそうな地点を中心に描かれている。 「おそらくここが、かつてエルリムがいた場所、この世界の根幹となる地点だ。ホワイト・ヴァイスのとき、クマーリの門を突破したオニブブは、ケムエル神殿町には目もくれず、何故か北方の村々を襲った。ジルにもその理由がわからなかったんだが、こうして位置を記すとよくわかる」  フレア=キュアもその意味を理解しつぶやいた。 「森の帰還……リオーブが発動し、聖魔の森が地上へと帰ったとき、エルリムがここに現れる」 「地図上で見れば造作も無さそうだが、実際に御神木にたどり着くのは容易いことではないだろう。ゲヘナパレの時代にも、エルリムの御神木を見たことがあるのは、ナギ宗家の予言者ギだけだったという話だ。おそらく御神木の周囲には、次元の迷路が張り巡らされているんだと思う」  御神木の位置からケムエル神殿までは、あまりにも近い。元々、ケムエル神殿もゲヘナの結界の中にあったのだから当然ではあるが、もしエルリムが帰還すれば、魔攻衆はひとたまりもないだろう。3人は、状況の厳しさを再認識した。  メロディーは、地図を改めて見渡した。御神木が現れる場所は、上昇限界高度が1000メートル近くある。そこから離れていくにつれ、どんどん高度が下がっていく。プロットする予定地は無いが、このまま離れて行くとどうなるのか。メロディーはその事を聞いてみた。 「お前が不思議に思うのは当然だな。この世界には『ワールドエンド』があるんだ」  シド=ジルは更に、地図上に記された総ての町や遺跡を取り囲む、直径100キロ近い大きな円を描いた。 「お前が調べた上昇限界は、丁度お椀のように樹海の中央を覆っていて、その縁は地上に接する。それがこの円だ。この範囲、これがエルリム樹海の中で、この世界の人間が活動できる範囲なんだ。そしてこの円にあたる場所は、ワールドエンドと呼ばれていて、その先に行くことは、誰にも出来ないんだ」 「え? でも、ジルの故郷のセラミケは、樹海の中には無いはず……あ、転送装置!」  シド=ジルが頷いた。 「この世界では、おそらくこのエルリム樹海と同じように、町をスッポリ覆う見えない結界が、まるで島のように幾つも存在しているんだと思う。そしてそれらは『回廊』と呼ばれる転送装置で繋がれている。その構造は、ちょうど時空の狭間にある聖魔の森と同じだと思っていいだろう」  シド=ジルは更に話を続けた。 「セラミケは険しい山に囲まれた山岳の町だが、かつてはそこにも聖魔の森があり、繭使いが住んでいた。レバント親子が御神木を時空の狭間へと追いやったことで、各地の聖魔の森も消滅した。ゲヘナパレ帝国が滅亡するとき、錬金術師たちはエルリムの力を削ぐために、聖魔の森を、火・水・風・土の4つのエレメントに分離して、ゲヘナの結界を張った。その影響は、聖魔の森が時空の狭間へと追いやられても残っていた。だが今や森はその構造を大きく変化させ、本来の力を取り戻し、帰還の時を伺っている。森が帰還するということは、ここエルリム樹海だけでなく、総ての町が、再び森の危険に曝されるということなんだ」  メロディーは、この異常な世界構造をようやく理解した。自分たちの知っている惑星パレルの地上に、巨大なドームのような結界が幾つも存在し、それらが回廊によって結ばれている。そしてコロニーとでも言うべき結界のドームには、かつてそれぞれ聖魔の森が存在し、森の神エルリムの力が、隅々にまで行き渡っていた。ゲヘナパレ帝国はその支配と戦い、繭使いはついにエルリムを地上から追いやることに成功した。だが今、そのエルリムが、再び復活しようとしているのだ。 「ねえ、パパ。結界の外には……上昇限界の外には、人間はいないの?」  メロディーは、素朴な疑問を口にした。シド=ジルはひとつため息を吐くと、否定的な答えを口にした。 「おそらく、結界の外には人間はいないだろう。もしいるなら、何らかの痕跡が残っていたはずだ。バニシング・ジェネシスの事実が、それを証明しているよ」  歴史上の空白期間である千数百年の間、人類はこのエルリムの鳥かごの中にしか存在していない。それが考古学者シドの導き出した結論だった。  そして今から数年後には、世界中で何事もなかったかのように歴史が再開する。いったいなぜ、こんな世界が生まれたのか。森の神エルリムとは何なのか。謎は深まるばかりであった。 「何にせよ今は調査を続けるしかない。そしてガガダダを見つけ、エルリムを倒す手段を探すんだ。明日からは回廊を渡って、他のコロニーを調べるぞ」  シド=ジルは、調査を次の段階に進めるために、明日からの計画を話し始めた。 ■11■ 涙 「ハーッ!」  ゼロは、自ら放った火球を追うように突っ込んでいった。右腕に生えた剣を構える。火球が命中し炎が砕け散る。その中心目掛け、ゼロは剣を振るった。 「やったか!?」  手応えがあった。炎の壁を突き破りすり抜けると、ゼロは背中の翼をひねり急旋回した。だがその瞬間、全身に炎の弾幕が浴びせられた。撃墜されたゼロは、そのまま勢いよく床を転がった。ゼロが斬り裂いたのは、盾代わりに出された石板だった。 「アチチチチ!」  闘技場の床でのたうつゼロに人影がかかる。水流が浴びせられ、炎がいっぺんに消された。 「ゴージェットは速度が出る分、軌道が読まれやすい。聖霊相手では通用せぬぞ」  サジバはゼロをたしなめると、憑魔陣を解除した。 「だが、今の攻撃は良い連携であった。次からはわたしも縛装を使う必要がありそうだ。ミントの方はまだ実戦には使えぬが、焦らぬことだ」  憑魔陣を解除したゼロを、ミントが助け起こす。ゼロは訓練をつけてもらったサジバに礼をすると、大きくため息を吐いた。 「有り難うございました。でも、これじゃあ、聖魔を8体全部使えるようになるのは、まだまだ先だな〜」  ゼロのぼやきを聞いてサジバが笑った。 「8体総て使うことなど出来はせぬ。憑着する基本体に、上半身、下半身、左右の腕と武器が2つ。7体が限度だ」 「え? じゃあ、8体目は?」  ゼロは憑魔甲のターレットホルダーを見た。 「予備の聖魔だと思えばよい。憑魔陣は組み合わせ方によっては無意味な場合もある。状況に合わせ、聖魔を使い分けるのだ」  サジバは自分の憑魔甲をセットしながらゼロたちから離れ、闘技場の中央に立った。 「ゼロ、お前は筋が良い。見せ物ではないが、憑魔陣の最終形態を知りおくのもためになろう。よく見ておけ」  テュテュリスを正面に、自分の聖魔を7体、周囲に一斉に出現させる。憑魔陣を一気に発動させ、総ての聖魔を憑着する。光が爆発し、中から超重装備のサジバが現れた。両手に持った武器を繋ぎ、巨大な剣に変える。周囲で見ていた魔攻衆たちは、おもわずその威容に後ずさった。サジバは大剣をゆっくり構えると、演武を始めた。身の丈を越える大剣を、まるで小枝のように自在に振り回している。刃がうなりを上げて空を切り裂き、剣圧がビリビリと闘技場に響く。見上げるほどの重装備でありながら、その動きは目で追えぬほど鋭い。手合わせなどせずとも、その圧倒的な力は十二分にわかる。居合わせた者は皆、その迫力に言葉を失った。演武が終わり大剣を納めると、サジバはゼロの方を向いた。 「我とて、この姿ではそう長くは戦えぬ。この姿となるのは、聖霊にとどめを刺すときとなろう」  憑魔陣が解除され、聖魔の武装が光を発し吹き飛ぶ。さすがにサジバの顔にも、汗が流れていた。ゼロは興奮しながらサジバに駆け寄った。 「スゴイ! スゴイよ、サジバ! サジバも一緒に戦ってくれれば、メガカルマなんて目じゃないよ」  だがその言葉に、サジバの表情が曇った。 「それは出来ぬ。我が動くは、シ様の命あってのこと」 「なぜ? 一緒にエルリムを倒せばいいじゃないか」  戸惑うゼロから目をそらし、サジバは淡々と語った。 「ナギは長きにわたり、俗世より忌み嫌われ虐げられてきた。繭使いと共に戦ったは、偉大なる予言者ギ様の戒律あればこそ。だが300年前、聖魔の森を時空の狭間へと追いやった後、人は何をしたか! お前たちの祖先は、安息の地であるナギの里を襲ったのだ! 我らはシ様によって救われ、長き眠りについた。エルリムを倒すは、ただただナギ復活のため。ゲヘナの末裔などと迎合するためではない!」 「ナギの里を襲っただなんて、そんなバカな!」  ゼロが食い下がろうとしたとき、闘技場に血相を変えた魔攻衆が転がり込んできた。 「来てくれ、サジバ! ラダが、ラダの奴がぁ!!」  玉座の間は、黒山の人だかりだった。サジバ、ゼロ、ミントの3人は、人混みを押し分け、その中心に出た。人の輪の中心には、二人の魔攻衆に付き添われながら、若い魔攻衆の戦士ラダが苦悶の表情を浮かべて横たわっていた。彼の腰から右足にかけて、シューシューと白い煙が上がっている。破れたズボンの下から、青い鱗が見えていた。サジバは駆け寄ると、ズボンの生地を裂いた。ラダの右足は、聖魔の皮膚でビッシリと覆われていた。 「これは! 無謀な憑着は禁止したはずだぞ!」 「すまない……サジバ……」  ラダは苦しみながら謝った。だがそれを遮るように、付き添ったふたりの魔攻衆が、両手をついて謝った。 「違うんだ、サジバ! ラダは、俺たちを助けようとして」 「俺たちが功を焦って深追いしたばっかりに……サジバ、ラダを助けてくれ! お願いだ!!」  ふたりは泣きながら、石畳に額をこすりつけて頼み込んだ。  ラダはゼロと同じ、最初の憑魔陣適応者の一人だった。憑魔陣適応者は、言うまでもなく対メガカルマ戦の中核をなす。現在魔攻衆は、カフー隊、ミント隊、バニラ隊の3隊から編成されており、ラダはバニラ隊に所属していた。主力のカフー隊、ミント隊が戦果を上げるのに対し、バニラ隊は神殿首座であるバニラが容易に出撃できないため、あまり戦果を上げられずにいた。そしてその分、バニラ隊に所属するもう一人の適応者であるラダに、負担がかかっていたのだ。 「ラダ!」  知らせを聞いて、首座のバニラも駆けつけた。 「首座殿、カラバス草はあるか? 煎じた湯を布に含み、癒着した皮膚を覆うのだ。急がれよ!」  バニラは早速部下たちに指示した。 「痛むが、我慢しろ」  サジバは細身のナイフを取り出すと、切っ先を鱗のついた足にゆっくりと突き刺し、こそぐように抜いた。傷口から紫色の血が流れた。ナイフの先端も、完全に紫の血で濡れている。 「ラダの傷は? 直るのか?」  バニラの問いかけに、サジバは目を伏せ、首を横に振った。 「痛みは止められるが、右足はもはや、完全に聖魔と癒着している。もはや出来ることは、進行を止めることのみだ」  その時、ラダがサジバの腕を取った。 「サジバ……俺はまだ戦えるか?」 「馬鹿を言うな! これ以上憑魔陣を使えば、癒着が進行してしまうぞ!」  ラダは腕を更に強く握り、悔し涙を浮かべて頼み込んだ。 「戦わせてくれ! ホワイトヴァイスで、シナモン隊長は、俺たちを逃がすために死んだんだ。仇を討つためなら、俺はどうなってもいい!」  サジバはラダを落ち着かせると、無言で癒着した右足を見ていた。しばらくすると、カラバス草の湯と布が到着した。サジバは手際よくラダの右足を治療した。 「……絶対に無茶はするな。我も出来る限り手を尽くそう」  それはこの若い戦士の死期を早めることを意味する。だがサジバには、それを止めることは出来なかった。  ゼロとミントは、ラダの悲壮な覚悟を目の当たりにして、言葉を失っていた。  死んだ十傑衆のシナモンは、ミントの実の姉である。姉の死を受け、ミントも勿論、ラダに劣らぬ覚悟で、自分の隊を率いている。そんな彼女にとって、憑魔陣は喉から手が出るほど欲しい能力である。自分も憑魔陣を使えるようになり、仮にラダと同じ運命をたどったとしても、その事に後悔はしない。ラダの決意は、ミントにも痛いほどよく分かる。  だが、ゼロがそうなったらどうだろう。ミント隊で唯一憑魔陣を扱える戦士。最近ではその実力は完全にミントをしのぎ、もはや隊のエースとなっている。その彼が、聖魔に取り込まれてしまったら。厳しい表情のゼロを見て、ミントは心臓を捕まれるような息苦しさを覚えた。  ゼロは、ジッと見つめるミントに気付くとその心配を察し、ニッコリ笑って囁いた。 「大丈夫。どーってことないさ」  ミントはゼロの腕を、すがるようにギュッと掴んだ。  * * *  空は虹色に揺らめいている。巨木が生い茂る広大な沼地の中、深い碧を写す水面から、幾つもの大きな根がうねるように顔を出している。その根のあちらこちらに、純白に輝く7人の聖霊が集まっていた。中央の根の上には、審判の聖霊マテイが、白いローブを羽織り立っている。マテイの傍らには、生命と豊穣の聖霊マハノンが腰掛け、静かに竪琴を爪弾いている。七聖霊が一堂に会するのは、重要な決定を下すときに限られる。今日のこの集まりは、審判の聖霊マテイに対する事実上の弾劾に等しかった。  マテイから少し離れた根の上に、知の聖霊ゼブルが窪みに体を預けるように腰掛けていた。ゼブルは木の根で作った杖をかざし、中央の水面に聖魔の森の立体地図を出した。百を優に超える島々が、ヒメカズラの径によって、巨大な繭を形作っていた。その複雑な網の目の一部に、赤く色づいた部分があった。それは、ケムエル神殿に近い島々であった。ゼブルはそれらを杖で指し示した。 「ここに来て魔攻衆どもが、再び勢力を盛り返してきよった。九つの島は彼の者の手に落ち、繋がる十四の島もまた、小競り合いが続いておる。賢明にもリオーブには手を触れぬようだが、少数とはいえ、これ以上侵入を放置するわけにもいくまい」  巨木の根元の少し高い場所には、エルリムに直接仕える聖霊アラボスが立っていた。アラボスはマテイを見下ろしながら、ゆっくりと口を開いた。 「先のホワイト・ヴァイス、どうやら手ぬるかったようだな」  森の神エルリムは、これまで四度、知恵ある獣である人類を導いてきた。人類が堕落し、世界が荒廃する度に、エルリムは滅びの蟲オニブブを使い、歴史をやり直させてきた。そしてその長い道のりにおいて、エルリムは聖霊たちに、知恵ある獣の無益な殺生を禁じていた。  だが四度目の歴史であるゲヘナパレの時代、人類はエルリムに反旗を翻し、下僕である聖霊を滅ぼした。オニブブによってゲヘナパレ帝国も滅んだが、エルリムもまた聖霊の揺りかごを破壊され、下僕である聖霊を生み出せなくなってしまった。そしてついには時空の狭間へと封印され、四度目の歴史に終止符を打ち、五度目の新たな歴史へと人類を導くことを妨げられてきたのである。  ようやく新たな聖霊を生みだし、パレルの地への帰還が果たされようとする今、その障害となる魔攻衆は、充分排除に値する存在である。人類に荷担した裏切り者の聖霊アモスとマモン、即ち鳥人キキナクと森人ヤムも同罪と言える。  マテイは、殺生への戒めとエルリム復活という使命の狭間で、少ない打撃による最大効果を狙い、一撃で魔攻衆を半数まで叩くホワイト・ヴァイスを立案し、実行した。だが結果として、森の帰還を果たすより早く、魔攻衆は息を吹き返してしまった。マテイは、目算の甘さを認めざるを得なかった。  ゼブルは、そんな議論には興味がないというように手を振り、話を進めた。 「過ぎたことは致し方あるまい。所詮は獣のやること。読み切れぬのも無理はない。肝心なのは次の手をどうするかじゃ」  知の聖霊ゼブルは、あくまでも中立の立場をとっていた。ゼブルの言葉を聞き、片膝をつき下座に控えていた女の聖霊が顔を上げた。第二軍の軍団長ラキアである。 「やはり魔攻衆どもを根絶やしにするしかありますまい。今こそ我らにお命じ下さい。我が第二軍をもってすれば、魔攻衆など一瞬にして葬ってご覧に入れます」  ラキアは自信に満ちた笑みを浮かべ、四天使に進言した。隣の根の上では、第3軍軍団長のサグンが表情ひとつ変えず、会話の成り行きを見守っていた。ラキアの進言を聞いて、マハノンは竪琴の手を止め反論した。 「いにしえより、知恵ある獣を無益に殺生することは禁じられておる。お前やサグンを使わなかったマテイの心が分からぬか」 「されどマハノン様。今はエルリム様の復活こそが大事なとき。たかだか残り100名にも満たぬ魔攻衆を葬ったところで、無益な殺生とは思えませぬ。先のホワイト・ヴァイスでも、気弱なシャマインなどお使いになるから、魔攻衆どもがつけあがったのです。我らが出陣しておれば、このような事態には」  別の根の上に控えていたシャマインが、憤りキッとラキアをにらんだ。だが、シャマインが反論するより早く、マテイがラキアを制した。 「シャマインを侮辱することは許さん。お前たちの軍では加減が効かぬ故、第一軍を用いたまでのこと。あの一撃で魔攻衆の心を折れると踏み臨んだが、量りきれなかった。総てはわたしの誤算によるものだ」  マテイは毅然として自らの過ちを認めた。マテイの視線を受け、ラキアは思わず下を向いた。ゼブルは、そんなやり取りに関心を示さず、事実のみを淡々と告げた。 「オニブブさえ使えれば、無益な殺生などせずとも知恵ある獣に終末を与えることが出来る。だが、僅かに使えたオニブブは、先のホワイト・ヴァイスのおり、エルリム様の御座所のために使い果たした。重要なことは、エルリム様に一日も早くパレルの地にご帰還戴き、お力を取り戻して戴くこと。さすればあのオニブブとて我らの自由となり、総てに決着が付く。いたずらに殺生が長引けば、知恵ある獣にも憎しみが増し宿されるのみじゃ」  全軍に総攻撃を命じるのは容易い。だがそれでは、あまりに愚作に思える。厳しい表情をすると、マテイは話し始めた。 「蛇を殺すには頭を潰せばよい。今一度、策を講じる。シャマイン、軍団を整えておけ。第一軍を押し出す。ラキア、サグン。お前たちは控えておれ。効果が無ければ、その時こそお前たちを使うと約束しよう」  ホワイト・ヴァイス以降、聖霊軍の前線を任されてきた第一軍は、既に少なからず消耗している。新たな命を受け、シャマインは身命を賭すことを誓った。 『またシャマインか!』  ラキアはうつむいたまま、悔しさに歯ぎしりした。  方針が決まったことを受け、アラボスは全員に告げた。 「エルリム様の瞑想は、今少しかかる。そして瞑想があけたときこそ、森の帰還の時となろう。それまでの猶予、くれぐれも手抜かり無きように。これにて散会とする」  聖霊たちが、それぞれの持ち場へと帰っていく。マテイはひとりその場に立ちつくしていた。マハノンはいったんはその場を去ろうとしたが、思い悩むマテイを振り返ると、そっと彼のそばに戻ってきた。沼には、マテイとマハノンのふたりだけが残った。 「マテイ……」 「さっきはすまなかった。ラキアの言い分はもっともだ。それはわたしも理解している」  マテイは微動だにせず、ただジッと虚空を見つめている。 「魔攻衆は知恵ある獣の尖兵に過ぎぬ。彼らを倒したとて、次なる者たちが現れよう。それでは、いたずらに死者を増やすだけだ。抗う意志を挫く事こそ、最善の策となろう。だからこそ、わたしはホワイト・ヴァイスを発動した。……だが、本当にそうだったのか」  マテイは手のひらを見ると、それを握りしめた。 「確かに、知恵ある獣を殺すことは、いにしえより禁じられている。だが、エルリム様復活の大儀を前に、それを守る価値など本当にあるのか。笑ってくれ、マハノン。審判を司るわたしが、自らの判断に迷いを覚えているのだ。これは本当に正しい判断なのか。何故かは分からぬが、あのときわたしは、古き掟に臆したのではないのか」  マハノンは、マテイの隣りに並び立つと、優しく答えた。 「マテイ……私は、あなたを信じまする。ラキアは生来血気にはやる性分。気に病むことはありませぬ」  かつてウバン沼と呼ばれた巨木の沼に、静かに風が流れている。沼の水面に、大きな魚が揺らめくように現れては消える。マハノンは次の戦いに思いをはせ、表情を曇らせた。 「次の戦い……魔攻衆の幹部を狙うのですね」  知恵ある獣の損害を最小限にとどめるには、当然の策と言える。だがマハノンには、ひとつ気掛かりがあった。そしてマテイは、既にその事に気付いていた。 「カフーのことならば案ずるな。魔攻衆といえど、一度はエルリム様の使徒として力を尽くした者。無傷というわけにはいかぬが、命までは取るまい。だが、ヘブンズバードの卵まで与えるとは、少々やっかいな事をしたな」  マハノンは、マテイの指摘に驚き、思わず下を向いた。彼女は、先にカフーと会見したおり、気取られぬようそっと純白に輝くヘブンズバードの卵をカフーのそばに残したのである。 「安心しろ、マハノン。別にその事を責めたりはしない。だいたい、カフーにあれが扱える保証も無いのだからな」  マテイはフッと笑みを浮かべた。だが、如何に聖霊といえど、ヘブンズバードが、カフーではなくメロディーの手に渡り、しかも何事もなく飼い馴らされていることまでは、知る由もない。マテイは、マハノンに竪琴を奏でてくれるよう頼んだ。 「マハノン、またあの曲を聴かせてくれぬか」  それは、ホワイト・ヴァイスのときに浮かんだ曲だった。仲間を助け、必死に抵抗しながら死んでいく魔攻衆たちを見続ける内に、マハノンの心の奥底からこみ上げるように現れたのだ。彼女は近くのコブに腰掛けると、そっと竪琴をつま弾き始めた。それは、静かで、優しく、どこかもの悲しいメロディーだった。  湖面に竪琴の音色が流れていく。マハノンは、その曲に特別な思い入れを持っていた。記憶に存在しない、自分の奥底に眠っていたメロディー。それが、エルリムから与えられた物なのかは分からない。だが、自分の総てが、そこから始まっている。そんな思いを抱かせるメロディーだった。マハノンは、繰り返しその曲を弾き続けた。 「何だ……これは……?」  マテイが低く呟いた。マハノンは顔を上げ、マテイを見て驚いた。マテイの両目から、涙が止めどなく流れていた。 「これは……涙か? わたしはなぜ泣いているのだ?!」  マテイには理由が全く分からなかった。審判の聖霊であるマテイは、一度も涙を流したことなど無い。涙が出ることすら知らなかった。その彼が、頬を濡らすものに驚き、狼狽しているのだ。 「いったい、何が起こっているのだ」  マテイの涙は、その曲がやむまで、止まることはなかった。  * * *  皇帝カズラの中で、ゼロは四体目の聖魔を出現させた。 「縛装!」  聖魔が日本刀のような細身の剣になって、彼の右手に収まった。ゼロの全身に痛みが走り、骨が軋む。 「ウオ――ッ!!」  二体のメガカルマの攻撃を、滑るようにかわしながら突っ込んでいく。二体の間に割って入り、攻撃できなくなった一瞬の隙を突いて、右のメガカルマを下段から一気に斬り上げ、返す刀で左のメガカルマを袈裟斬りにした。二体のメガカルマは、絶叫をあげ、閃光と共に爆発した。輝きが縮むように消えると、そこには戦いを終えたゼロが、刀を杖のように突き立てて肩で息をしながら立っていた。皇帝カズラの中には、ゼロとミントだけが残った。 「やれやれ……まあ、こんなとこか」  憑魔陣を解除すると、ミントが近づいてきた。ゼロは背筋を伸ばすと、彼女の方を向いた。  パチ――ン!  ミントの平手が、ゼロの頬を叩いた。 「どうしてそんなに無茶をするの!? そんなにわたしは足手まとい!?」  ミントはポロポロと大粒の涙を流していた。何故こんなに頑張ってしまうのか、ゼロは自分の気持ちに気がついた。 「……ミントにケガをして欲しくないんだ。ぼくは、ミントが好きだから」  ミントは、ゼロの告白に驚いた。思わず胸が熱くなる。だが同時に、心に刻まれた復讐心が、ミントの心を覆い始めた。彼女は後ずさりすると、ゼロから目を逸らした。 「わたしは……ケガなんて恐れていないわ」  突然ミントは左半身を守る甲冑を外し、ゼロに構わず上半身の服を脱いだ。露わになった肌を見て、ゼロは驚いた。美しい右の乳房とは対照的に、左の乳房は醜く焼け落ち、緑色に変色している。それはホワイト・ヴァイスでケムエル神殿を守ろうとした時に受けた傷であった。ミントの体が復讐心に震えていた。 「わたしは、死んだシナモン姉さんや仲間たち、そしてこの傷に誓ったの! たとえこの身がどうなろうと、必ず聖霊を倒し、仇をとるって!」  ミントは白い肩を震わせながら、苦悶に美しい顔を歪め涙を流し続けた。そんな傷ついたか細い体を、ゼロは優しくしっかりと抱きしめた。 「それでもボクは、君を守る!」  力が抜け、体の震えが止まった。ミントは総てをゼロにゆだねながら、静かに涙を流し続けた。 ■12■ 仮説  メロディーたちの調査は、第2段階に入った。朝早く玄関町を出発し、樹海を切り開いた広い街道をフロートバギーで西に向かう。一行は程なく西の回廊入り口へと到着した。街道を塞ぐようにそびえ立つそれは、渦を巻きながら青白い光を放っていた。メロディーは、街道の路肩にバギーを止めた。  それはまるで、端を縦に切り取られた巨大な丸いサボテンだった。切り口にあたる回廊入り口の光は、聖魔の森の転送装置であるヒメカズラの光とよく似ている。おそらくどちらも同じ原理で動いているのだろう。正面に立つと、青白く光る入り口には距離感が感じられず、平面にも、無限に続く光の洞窟にも見える。丸みを帯びた後ろ側は、緑の肉厚な質感を持ち、何本もの太い根が地中にガッチリと食い込んでいた。メロディーが回廊入り口の正面で不思議そうに眺めていると、突然青い光が大きくなってきた。 「メロディー、危ないからどきなさい!」  シド=ジルの声に慌てて横にどくと、溢れだした光に包まれて荷物を満載した大型のフロートカーが飛び出してきた。メロディーは思わず回廊入り口の後ろ側を見た。頭では理解しても、やはり目で見ると驚かされる。明らかにここからどこか別の場所に繋がっているのだ。  気が付くと、フレア=キュアはメロディーに構わず、現在位置の観測を始めていた。回廊入り口はワールドエンドのそばにあることがこの世界の常識となっているため、上昇限界高度を測る必要はなかった。だがメロディーは、自分の目で確認しようと憑魔陣を使ってみた。20メートルも上らないうちに、目に見えない上昇限界に達した。メロディーはそこから、回廊の先の方角を見渡した。眼下には、深い森が延々と続いているだけで、人々を閉じこめるような結界の形跡はどこにも見あたらない。だが、シド=ジルの話では、人々を寄せ付けないワールドエンドは、すぐそこに確実に存在するという。メロディーは狐につままれたような気分になった。腕とあぐらを組み、首を傾げながら上空をフワフワと漂っていると、下からシド=ジルの呼ぶ声が聞こえた。いよいよ回廊を渡るのだ。  メロディーはフロートバギーをゆっくりと光の渦の中に進めた。バギーの周囲を、青白い光が後方へと流れていく。バギーをゆっくりと走らせているはずなのだが、風はまったく流れず、走っている感覚がない。光の流れによって、空間ごと運ばれている感覚だ。数分も経っただろうか。前方に小さく草原の風景が見えたかと思うと、見る見る大きくなっていった。視界全体が草原に変わったとき、一行を乗せたフロートバギーは、回廊から抜け出していた。メロディーは慌ててバギーを街道の脇に止めた。そこは明らかにエルリム樹海ではなかった。うっそうとした森など何処にも見あたらない。メロディーは呆然としながら、キョロキョロと辺りを見回した。  メロディーにとっては総てが初めての経験だ。だが、ジルとキュアの記憶を共有している両親にとっては、何も珍しいことではない。ふたりはメロディーに構わず現在位置を調べた。シド=ジルはエルリム樹海を含んだ縮尺の荒い地方地図を広げると、現在位置をプロットし、エルリム樹海側の回廊入り口と直線で結んだ。 「200……240キロ! 随分飛ばされてきたな!」  そこはエルリム樹海から西南西にある内陸の土地だった。メロディーは地図を見て、更に目を丸くした。 「このコロニーには小規模の町が3つほどある。回廊はここの他に2カ所あるから、その3点を円で結べば、このコロニーのだいたいの大きさが分かる。僕の調べでは、コロニーと断定できる場所が20以上ある。残念だが、それらを全部調べる時間は無い。行き先は調査を進めながら指示するから、運転頼んだぞ、メロディー」  こうしてメロディーは、ひたすらフロートバギーを走らせることとなった。1番目のコロニーの規模は予想よりも小さく、直径30キロ程度の円になった。残り2つの回廊も転送距離は短く、どちらも100キロ足らずしか無かった。シド=ジルはあらかじめ、コロニー分布の予想図を作っていた。町と街道を描いた略図に回廊を書き加え、コロニーの境界線をまとめた物である。そのコロニー予想図と実測した地図とを照らし合わせ、次に進むべき方向を決定していくのである。  いくらフロートバギーの運転が楽だとは言っても、連日走り詰めというのは流石にきつい。エルリム樹海ほど大きいコロニーこそ無かったが、コロニーの規模や回廊数もまちまちで、おまけに行ったり来たりを繰り返す場合もある。回廊については、見落としがないかを地元の町で確認し、入り口を目指して不慣れな道を走り回るのである。このコロニー特定調査は、想像以上に骨の折れる作業であった。 「こういう事は、ホントはゼロの管轄なんだけどね。まあ、何とかなるか。楽勝楽勝!」  ケムエル神殿ではみんなが帰りを待っている。自分の代わりに残ったゼロは、今も戦っているはずだ。へこたれてなどいられない。両親が測量をしている間、メロディーは体操をして、運転で凝り固まった体をほぐした。  シド=ジルとフレア=キュアが、何やら地図を見ながら話している。メロディーは近づいていくと、横から地図を覗き込んだ。一行はこの数日間で既に8つのコロニーを走破していた。走破したコロニーは、エルリム樹海の南西に集中し、回廊が網の目のように張り巡らされている。メロディーは地図を眺めると、素朴な疑問を口にした。 「ねえ、パパ。こんな森の西側ばっかでいいの? 北とか東にもあるんでしょ?」  シド=ジルとフレア=キュアは少し驚くと、興味深そうに娘の顔をじっと見つめた。メロディーがふたりの反応に戸惑っていると、シド=ジルがゆっくりと質問を始めた。 「なぜ西側だけだと思ったんだい?」  メロディーは父親の質問にけげんな表情をすると、書き加えられたコロニーの位置を指さした。 「なぜって、西側にしかないし、回廊もちゃんと調べたし……」  シド=ジルが書いたコロニー間の略図と照らし合わせてみる。走破したコロニーには、調べ忘れた回廊は見あたらない。地図を見ても、回廊は交差することなく、隣接するコロニーとの間を網の目状に結んでいる。フレア=キュアがうっすらと笑みを浮かべ、話し始めた。 「これは、とても大切なことなのよ。回廊は、二つの地点を結ぶ異次元トンネルのようなもの。だから本来、両端の物理的な位置関係は気にしなくてもいいはずでしょ。それが、隣接するコロニー間だけを結ぶように、規則性を持って使われている。だとすれば、片側を特定することで、反対側のコロニーの位置を絞り込む事が出来るのよ」  確かに転送装置ならば、どの地点を結んでも問題はないはずだ。だが、これまでの調査結果を見る限り、回廊の張り方には明らかに規則性が存在している。 「コロニーも回廊も、おそらく森の神エルリムが聖霊たちに作らせたんだろうが、この世界に住む人間には、コロニーが地理的にどれくらい離れているかなんて気付くはずがない。我々はこうして地図を持っているからそれを認識できるだけだ。本来、町を作るときには、何らかの規則性を持つものなんだ。それが地形による制約であったり、作る者の意図であったり。だから実際には、ランダムに回廊を結ぶなんて事は、可能性としては極めて低い。メロディー。お前が無意識に感じた規則性は、この世界を作るときに生まれた、都市計画の方向性を示しているんだよ」  地勢考古学者シドの仮説はこうであった。  エルリムは惑星パレルの各地にコロニーを作り、それを繋ぐ交通網として回廊を張り巡らせた。回廊がコロニー間を網の目状に結んでいるのは、総てのコロニーを優劣無く扱った結果だろう。そしてエルリムは、各地のコロニーに何らかの目的で人間を集めた。当初、各コロニーには聖魔の森が置かれ、エルリムはそこを通じて人間世界に影響を及ぼしていた。現在、時空の狭間にある森は、百を優に超える島で形成されている。おそらく惑星パレル全土にも、百を超えるコロニーが点在しているに違いない。ゲヘナパレの時代以降、確認できる往来可能なコロニーは20程度しかない。残りのコロニーの状態は不明だが、それらのコロニーとの間も、未発見の封鎖された回廊によって同じようにネットワークされている可能性がある。 「何となく分かるけど……でも、それとガガダダ探索とどんな関係があるの?」  メロディーは、ふたりの真意が分からず聞き返した。シド=ジルは正史写本を取り出し説明した。 「僕らが目指しているガガダダも、どこかのコロニーに存在したはずだ。記録にある近隣の町の名前から判断すると、少なくともここと、あとふたつのコロニーと回廊で繋がっていた可能性があるんだ」  シド=ジルは、走破したコロニーの中から、南側にある3つを指し示した。その隣接する3つのコロニーからは、更に南方へと延びる回廊が存在しなかった。 「帝国滅亡の後、ナギ人がガガダダを封印した方法とは、回廊封鎖だったんじゃないかと思うんだ。なんたってガガダダは、ゲヘナパレ帝国の首都で、大きな王宮もあったというからね。回廊封鎖が、一番簡単な方法だ。これら3つのコロニーには、かつてガガダダに続いていたと言われる古道が残されている。以前ジルは、そこを調べたんだが、ガガダダの遺跡は発見されなかった。帝国崩壊直後は、相当な混乱状態にあったようで、残念ながら回廊封鎖を示す確証は残されてはいない。何しろここの住人にとっては、回廊も道路の一部に過ぎないからね」  シド=ジルは改めて地図を指さした。 「ガガダダが別のコロニーに存在しているなら、ワールド・エンドに阻まれている以上、ここの住人にはその場所を特定することは出来ない。だが、回廊の張り方に規則性があるなら、僕たちにはその場所が特定できる可能性が出てくる」  シド=ジルは正史写本のページをめくり、そこに記された図を見せた。 「ガガダダの南には、海が広がっていたらしい。海産物が主な交易品になっていて、宮廷料理や庶民の食事にも海の幸が多く使われていた。また、海に注ぐ大河もあったようだ。だが、海の沖には巨大な滝が無限に続き、漁は沿岸でしか出来なかったらしい。大河も対岸が切り立った巨大な崖で阻まれ、それが東のワールドエンドになっていたと記録されている」  メロディーは改めて地図を見た。3つのコロニーと隣接し、海のそばで東に大河がある。特定できそうな場所は、一つしかない。メロディーはそこを指さした。だが、海の沖に滝などがあるはずはなく、大河も崖下を流れているような川ではない。 「どうやら3人とも同じ意見のようだね。ガガダダと近隣の町とは、時差があったという記述もないし、気温についても同様だ。これまでの結果から判断すると、この辺りに首都ガガダダがある可能性は極めて高い。巨大な滝と崖の記述が謎として残るが、次はその謎を解いてみよう」  シド=ジルは地図を片付けると、出発の準備を始めた。 「まだ陽も高い。このコロニーにあるガガダダ古道へ行ってみよう。以前ジルも調べた道で、ここからそれほど遠くない。600年前から使われていないだけに荒れ放題で道と呼べないほどだが、古道をたどれば当時の回廊入り口が見つかるはずだ」  ジルの記憶を頼りに、3人はかつてガガダダに繋がっていた回廊の入り口探しに出発した。  * * *  ゼロとミントのペアは、めざましい戦果を揚げていった。憑魔陣を使ったゼロがフォワードを務め、魔攻陣を使ったミントがバックアップする。ふたりの一糸乱れぬ連携は、カフーでさえ舌を巻くほどであった。  小競り合いの続いていた島でメガカルマを掃討し、ゼロとミントは部隊の仲間たちと共にケムエル神殿に凱旋した。クマーリの門を抜けると、玉座の間に人だかりが出来ていた。見るとそこでは、サジバがラダの体に鎖を結んでいた。 「何やってるんだ、サジバ!」  驚いてゼロとミントが駆け寄った。ラダはふたりに気付くと、自分から話し始めた。 「俺がこうしてくれって頼んだんだ。ときどき自分を失って、暴れるようになってきた。みんなにケガをさせるわけにはいかないからな」  ラダは笑いながら鉄の首輪をはめ、手かせ足かせに鎖を繋いでもらった。床に腰を下ろし、壁に寄りかかる。サジバは調合した薬を取り出し、ラダに飲ませた。 「ありがとう。少し眠くなってきた……」  ラダは穏やかな笑みを浮かべ、そのまま静かに眠りについた。ラダの体は、既に半分以上聖魔の皮膚に覆われていた。サジバは、ラダに毛皮を掛けてやると、無言でその場を立ち去った。ゼロとミントは、聖魔に浸食されていくラダを見つめ、言葉を失い立ちつくしていた。  * * *  ジルの調査記録が残っていたとはいえ、600年前の道をたどるのは容易ではなかった。メロディーは上空から地形を読み、木をなぎ倒し、草を焼き払って先へ進んだ。そしてついに、光を失った回廊入り口を発見した。 「これだな……間違いない」  シド=ジルは、地図にその場所を書き加え、それがガガダダへと続く回廊の遺跡だと確信した。絡み付くツタをはがし、下草を焼き払う。3人は隅々まで調べたが、動かす方法は見あたらない。機械とは違い、制御装置があるわけではなかった。 「まあ、動かせないと予想はしていたがね。こうなるとやはり、ワールドエンドを越えるしか無いな」  3人はフロートバギーに戻ると、林の中をゆっくりとガガダダの方角へ向けて進ませた。 「アラ? アララララ」  百メートルも進まぬ内に、突然フロートバギーのエネルギーゲージが減り始め、警告音が鳴り響いた。メロディーは慌てて急停止させた。左腕の憑魔甲も反応がおかしい。メロディーはそこが、上昇限界が地上に接する場所、ワールドエンドであることに気がついた。だが、前方を見ても、これまでと何も変わらない。明るい林が続いているだけだ。メロディーは両親に話し掛けようと、後部座席を振り返った。 「ねえ、パパ……」  メロディーはふたりの様子を見て驚いた。シド=ジルもフレア=キュアも、目を見開き、顔をこわばらせ、ガタガタと震える体を必死に押さえ込もうとしているのだ。明らかにふたりは何かに恐怖している。メロディーはとっさに身構え、慌てて辺りを見回した。だが、聖魔の姿は勿論、危険なものは一切見あたらない。木漏れ日が優しく降り注ぎ、小鳥のさえずりがのどかに聞こえてくるだけだ。メロディーはフロートバギーを回廊入り口近くまでバックさせた。後部座席を見ると、両親が大粒の汗を流しながら、ハアハアと肩で息をしていた。バギーの警告音もやみ、憑魔甲も何事もなかったように機能を回復した。 「パパ、ママ、大丈夫? いったいどうしちゃったの?」  自分には気付かない何かが、あの場所に有ったのだろうか? メロディーはバギーを降り、愛用のナタを抜いた。試しに小鳥の聖魔を出してみる。聖魔は既に、8枚の翼を持った純白の大鳥へと成長していた。邪魔な下草をナタで刈りながら、慎重に前へと進む。 「アレ? どうしたの、ピーちゃん?」  大鳥の聖魔が急に前に進むことを拒み、すね始めた。やはりここは上昇限界の接地点なのだ。 「ピーちゃん、ゴメンね」  メロディーは聖魔を繭へと戻すと、一人でさっきの位置まで歩いた。地面には、停止したバギーが草を押しつぶした跡が、ハッキリと残っている。その中央に立ち、改めて辺りを見渡してみる。だがメロディーには、何も異常は感じられない。憑魔甲だけが、今にも光を失いそうに明滅している。メロディーは両親が残るバギーの位置を確認すると、二人から死角にならないように更にガガダダの方角へと歩き始めた。5メートル。10メートル。何も変わった様子はない。左腕の憑魔甲だけが、完全に機能を停止した。 「メロディー!!!」  突然背後から、フレア=キュアの絶叫が響いた。慌てて振り返ると、フレア=キュアがシド=ジルに体を支えられながら、こっちを見て立ち上がっている。メロディーは大きく手を振って応えた。 「大丈夫よ、ママ! 何ともないわ!」  メロディーは、何が起きているのか、だんだん分かってきた。シド=ジルは、ワールドエンドの先には誰も行けないと言っていた。聖魔も存在できないし、フロートバギーも使えない。今の両親の肉体は、ジルとキュアの体だ。おそらくこの世界の人々には、ワールドエンドという幻覚の壁が見えているに違いない。そして自分だけが、2007年から来た人間、この世界の常識の外にいる存在なのだ。 「パパ、ママ、そこでちょっと待っててね! 直ぐに戻るから!」  メロディーは下草をなぎ払いながら、確信を持って更に先へと走り始めた。  シド=ジルは、フレア=キュアの体をしっかりと抱きしめた。ふたりもまた、メロディーと同じ仮説を立てていたのだった。 「大丈夫。あの子は必ず答えを見つけてくれるよ」  ふたりの目には、メロディーが炎に包まれ燃え尽きたように見えていた。彼らの目には、大地が裂け、溶岩が噴き出す灼熱の林が映っているのだ。  ジルも、キュアも、この世界の住人は、ワールドエンドに近付こうなどと考えもしない。だが、千年間もそれを疑わないなどということがあり得るだろうか? ガガダダの記述にある巨大な海の滝と川の崖。崖ならまだしも、海に無限に続く滝があるなど、2007年の人間なら誰一人信じない。それが本当に見えるのであれば、この世界の人間は幻覚を見ていることになる。千年もの歳月があれば、そこを越えることに挑戦する無鉄砲な人間もいただろう。それでも越えられないとするならば、それらは単なる立体映像などではないに違いない。  この問題に対し、物理学者フレアは別のアプローチから仮説を立てていた。  この世界には聖魔のようなモンスターが住み、火を吐いたり、魔法のような技が使える。フロートバギーやホタル石のような、2007年では実現不可能な道具も存在する。だが、ここが過去という現実である以上、このファンタジー世界を成立させる秘密が何かあるはずだ。  これまでに、聖魔もゲヘナパレの技術も、上昇限界という結界の中でのみ機能することが確認できた。物理学者であるフレアは、この世界は未知のエネルギー場によって満たされており、無意識の内にそれを利用することで、この世界が成立しているのではないかと考察した。つまりコロニーとは、上昇限界という壁によって遮断されているのではなく、エネルギー場が及ぶ限界が即ち上昇限界となる特殊な空間であると推論したのである。そして回廊は点在するエネルギー場を繋ぐために存在し、そこに暮らす人々には、このエネルギー場の影響範囲から出られないよう、エネルギー場の影響限界をワールド・エンドという幻覚として認識する遺伝的な処理が施されていると仮説を立てたのである。キキナク自身が証言するように、この世界に住む人々は、かつて聖霊たちが創り出した知恵ある獣の子孫だという。それならば、そのとき人々の体内に、エネルギー場の効果が及ぶ仕掛けが施された可能性は充分考えられる。  シドとフレアは、この仮説を立てたからこそ、エルリムのいない2007年から来たメロディーを、この調査に同行させたのであった。ふたりは科学者として、自説に強い確信を持っていた。だが頭では幻覚だと分かっていても、愛娘が炎に焼かれる姿は、想像以上に辛い光景であった。 「あなた……」  ふたりはフロートバギーから降りると、メロディーが燃え尽きた辺りを見つめ続け、その帰りをじっと待った。  どれくらい時間が経っただろう。突然前方に白い煙のような光が揺らめき、メロディーの姿となって忽然と現れた。ずっと走り詰めだったのだろう。両親の元に辿り着くと、肩で息をしながら呼吸を整えた。メロディーは汗の光る笑顔を、両親に向けた。 「何もおかしな所は無かったわ! ここから先も、林や草原が続くだけ。人が暮らす様子もない。水も、土も、空も、当たり前の自然が延々と続いているだけだったわ!」  フレア=キュアは涙を浮かべながらメロディーの体を抱きしめ、シド=ジルはメロディーの肩をポンポン叩いた。 「よくやったぞ、メロディー! これでこの世界の構造が裏付けられた。いよいよあとは、ガガダダを目指すだけだ!」  2007年から来た二人の科学者は、この世界を支配する森の神エルリムの秘密を、一つ解き明かしたのだった。  * * *  小さな勝利に酔いしれている時間など無い。ゼロとミントは玉座の間を後にするとそのまま闘技場に向かい、二人で憑魔陣の特訓を始めた。ミントもようやく憑魔陣を扱えるようになってきた。短時間で、かつ、聖魔1体が限度ではあるが、思い通りに技を繰り出せるようになった。一方ゼロも、安定して4体の聖魔を扱えるようになっていた。基本体に両腕、上半身に聖魔を装備し、ミントの練習相手を買って出る。 「ミント! ボクなら平気だから、もっと本気で打ち込んでくるんだ!」  憑魔陣では、受けたダメージは装備している聖魔に蓄積され、クリティカルヒットでない限り、通常は術者が負傷することはない。ゼロはミントの攻撃を見切り、紙一重のところでいなし、自分が受けるダメージを最小限に食い止めていた。そうすることで、ゼロ自身もまた、憑魔陣による防御の腕を磨いているのである。  ミントのシギルが、徐々に不安定に揺れてきた。ゼロにしても、森で戦ってきた直後だけに、最大装備を長時間維持することは難しい。ふたりは憑魔陣を解除して、練習を切り上げた。  ゼロとミントは巫女のムーと挨拶を交わし、闘技場を出ようとした。その時、負傷し血糊も乾かぬ数人の魔攻衆が、仲間の助けを借りながら厳しい表情で廊下を足早に横切っていった。更にその後を、幾人もの魔攻衆が慌ただしく追っていた。二人は近くにいた魔攻衆に声を掛けた。 「バニラ隊の哨戒班が、ジャンクションを発見したらしいんスよ。今、バニラ首座に報告に行くって……」 「何だって!?」  ゼロとミントは、哨戒班の後を追って神殿首座の間へと急いだ。 ■13■ スリーパー  陽は既に傾き始めていた。この回廊遺跡からガガダダ予想地点までは、直線距離で100キロ近く離れている。フロートバギーが使えない以上、ガガダダを目指すには徒歩で向かうしか無い。そのための装備も調える必要があるが、その前に、ワールド・エンドを越えることが、ジルやキュアの体で果たして可能かどうか、確認しておく必要がある。シド=ジルは荷物の中から包帯の束を取りだすと、メロディーに話し掛けた。 「今日の所は、ワールド・エンドが越えられるかを確認したい。こいつで目や耳、手や皮膚の出ている部分を覆うから、お前は父さんの手を引いて歩いてくれ。ワールド・エンドの幅はどれくらいあるか分からんが、父さんの反応を見てお前が判断するんだ。この程度の細工で誤魔化せるほどちゃちな仕掛けじゃないだろうが、ガガダダに行くためには、どうしてもワールド・エンドを越えなきゃならない。何があっても、真っ直ぐ父さんを連れて行ってくれ。頼んだよ」  シド=ジルはフレア=キュアの手を借りて、体に包帯を巻き始めた。メロディーは急に不安になった。 「何があってもって……これって危険な事なの?」  シド=ジルに代わってフレア=キュアが答えた。 「今も私たちの目には、灼熱の林が見えているの。勿論視覚だけでなく、熱や音もね。ワールド・エンドは場所によって見え方が異なるんだけど、おそらく私たちの脳や神経に、直接ニセの情報が送り込まれているのよ。だから、こうして感覚器官を閉ざしても、幻覚を完全に防ぐことは、多分出来ないでしょう」 「それじゃあ、火傷とか、しちゃうの!?」  フレア=キュアは、不安を押し殺し話を続けた。 「分からないけど、おそらく痛覚は有るでしょうね。でも、危険であることをわざわざ見せている点を考えると、この幻覚は危害を加えるのが目的では無いはず。だからこそ、突破できる可能性も出てくる。……そもそも、なぜエルリムは人間を閉じこめているのか、その目的が分からないのよ。記録を調べても、人間から何かを搾取している様子もないし、生け贄を求めている訳でもない。三度滅ぼされたという記録はあるけど、それすら人間が堕落した事が直接の原因とされている。まるで、エルリムにとっては、人間社会を成長させること自体が目的であるかのようにも見える。その謎を解くためにも、どうしても挑戦する必要があるのよ」  フレア=キュアは包帯を巻きながら、自分に言い聞かせるように答えた。  ようやく準備が終わった。目は完全に塞がれ、耳も微かにしか聞こえない。ミイラ男さながらのシド=ジルは、包帯越しのくぐもった声で出発を告げた。メロディーは包帯が巻かれた父親の手をしっかりと握りながら、さっき自分が調べた道を、再びゆっくりと歩き始めた。バギーが止まった場所まで来ると、早くもシド=ジルの体が緊張し始めた。メロディーは父親の様子を窺いながら、そのままゆっくりと手を引いていった。 「ウグッ!」  突然、シド=ジルがうめき声をあげる。 「パパ!」  メロディーは父親の様子に動揺した。後ろを振り返ると、フレア=キュアが顔を背けている。おそらく今シド=ジルは、幻の炎に体を焼かれているのだ。 「構うな、メロディー! 早く、前に進むんだ!」  メロディーはシド=ジルの体を支えるように肩を貸すと、再び前に進み始めた。シド=ジルの足がもつれ、苦しそうにうめく。 「進め、メロディー! 前に……」  うわごとのように呟く。シド=ジルは今、必死に偽りの感覚と戦っているのだ。メロディーは涙をこらえながら、賢明に父親を導いた。  100メートルも歩いただろうか。メロディーはシド=ジルの反応が変化し始めたことに気が付いた。苦痛によるうめき声は幾分弱まり安定してきた。足取りはむしろ力強くなっている。だがその進む方向は、右へ右へと逸れ始めた。 「パパ、そっちじゃない。パパ!」  メロディーは真っ直ぐ進ませようと、シド=ジルの体を賢明に押して誘導した。シド=ジルの足は、いよいよハッキリと、エネルギー場に戻ろうとしている。 「こっちか? 違う! メロディー!」 「しっかりして、パパ! そっちじゃない!」  メロディーはシド=ジルの体にしがみつきながら、必死にワールド・エンドの外を目指した。 『戻りなさい!』  その時、絶対的な響きを持つ女の声が、シド=ジルの脳を鷲掴みにした。彼は途切れそうな意識で賢明に抗った。 「ググ……ガガガ!」  父親の様子がおかしい。メロディーは、それがワールド・エンドを抜け出す前兆であると悟った。 「パパ! もう少しよ! しっかりして!」  木々の間から優しく西日がこぼれている。のどかな風景にしか見えない林の中で、シド=ジルは賢明にエルリムの鎖を引き千切ろうと戦っている。メロディーは涙の溢れる目を必死に見開きながら、父親の体を押し続けた。 「ガ――ッ!」  絶叫を上げたかと思うと、急にシド=ジルの体から力が抜けていった。必死に抗っていた足取りも治まり、押されるままヨロヨロと前へと進んでいく。メロディーは、ワールド・エンドを超えたことを確信した。 「やった。やったわ、パパ!」  メロディーは嬉しそうに父親の耳元で叫んだ。だが、反応が無い。弱々しい足取りがついには止まり、シド=ジルは硬直したまま倒れ始めた。メロディーは慌てて彼を支え、地面に寝かせた。 「ウ……」  横たわると、シド=ジルはそのまま動かなくなった。 「パパ! しっかりして、パパ!!」  メロディーは慌てて顔を覆う包帯をほどいた。包帯の下から、眠っているシド=ジルの顔が現れた。 「パパ! 起きて、パパ!」  体をいくら揺すっても、全く反応が無い。メロディーは、それが普通の眠りではないことに気がついた。彼女の脳裏に、オニブブに襲われ眠り続けている村人の話がよぎる。 「戻らなきゃ!」  これ以上前に進むわけにはいかない。メロディーは背後からシド=ジルの両脇を抱えるように持ち上げると、引きずりながら必死に来た道を戻り始めた。16歳の女の子には重労働だが、弱音を吐いてるヒマなど無い。早く戻らなければ、シド=ジルは永久に目覚めないかもしれないのだ。 「パパ、もう少しよ! しっかりして! もー! エルリムっていったい何なのよ──!!」  メロディーは泣きながら、父親をフレア=キュアの元に連れ帰った。 「あなた、しっかりして! あなた!」  フレア=キュアとメロディーは、眠り続けるシド=ジルに賢明に呼びかけた。 「ウ……ウウッ……」 「あなた!」 「パパ!」  金縛りが解けたかのように一瞬痙攣すると、シド=ジルがようやく意識を取り戻した。フレア=キュアとメロディーは、ヘナヘナと脱力して座り込み、大きく安堵のため息を吐いた。 「ママ……メロディー……」 「よかった〜!」  目覚めたシド=ジルには、何の異常も無かった。肉が焼け、骨が灰になる感覚に襲われたのだが、体には火傷の痕跡一つ残っていない。あれほど自由がきかなかった体も、今では何事もなかったように動くことが出来る。ワールド・エンドがもたらしたリアルな幻覚は、あくまでも意識の中だけの産物であった。  だがそれでもフレア=キュアとメロディーは、念のためシド=ジルをそのまま休ませ、ふたりで野営の準備をした。陽は陰り、空が紫色に変わっていく。たき火を起こし湯を沸かすと、フレア=キュアは薬膳茶がわりにヨモギ茶をいれ、シド=ジルに勧めた。パンと干し肉をあぶり、簡単な夕食を用意する。メロディーは憑魔陣を使って飛び回り、バラ苺など野生の果物を集めてきた。たき火とホタル石の柔らかい灯りの中、三人は和やかに夕食を取った。シド=ジルはワールド・エンドでの体験を話し、メロディーはその時の様子をつぶさに補足した。 「そういえば……意識が途切れる前、声が聞こえたような気がするんだ。女性の声だったような……聞き覚えのない声だった。あれはもしかすると、エルリムの声だったのかもしれないな」 「そのあと、パパの力が急に抜けたのね。たぶん、眠り始めていて、フラフラ歩いてって、とうとう倒れちゃったのよ。パパが起きなくなった時には、ホントに焦ったんだから」  メロディーはデザートのバラ苺を口に放り込みながら、ホッとした表情で父親を見た。フレア=キュアも、メロディーの言葉に頷いた。彼女もすっかり平常心を取り戻し、科学者として体験の分析を始めていた。 「パパが眠っていた時の様子は、オニブブに襲われた村の人たちと、よーく似ていたわ。それだけに、目覚めないんじゃないかと随分心配したのよ」  ジルもキュアも、オニブブに襲われた七つの村の救出作業を手伝っていた。目覚めぬ眠りに落ちてしまった人々は、全員ケムエル神殿町に運び込まれ、キキナク商会が管理する救護施設で今も眠り続けている。 「眠り人……スリーパーか。まったく、危ないところだったな」 「私が連れ戻すのがもう少し遅かったら、危なかったのね」 「それはちょっと違うと思うわ」  メロディーの解釈を、フレア=キュアは否定した。 「この世界の人間の体には、コロニーを満たすエネルギー場に反応する何かがある。それはおそらく、エネルギーの薄いところでは濃い場所へ戻るように作用し、エネルギーが途切れると眠らせて活動を停止させるように作用するんでしょうね。パパが目覚めることが出来たのは、再びエネルギーの濃い場所へ戻ってきて、その何かが活動を再開したからだと思うわ」 「じゃあ、スリーパーは?」  メロディーとシド=ジルは、興味深そうに尋ねた。 「おそらくエネルギーの伝達が遮断されているんじゃないかしら。オニブブは村を襲うとき、鱗粉のような物を振りまくでしょ。それを体に浴びることによって、エネルギーの受信が出来なくなり、その結果、目覚めぬ眠りを引き起こすのよ」 「なるほど〜!」  ふたりはフレア=キュアの推理に感心した。  夕食を片付け、お茶を回す。陽はすっかり暮れ、空にはこぼれんばかりの星空が広がっている。メロディーは火のそばに腰掛けると、素朴な疑問を口にした。 「スリーパーって、ずっと眠ってるのよね。お腹とか空かないのかな?」  オニブブに襲われたという確かな記録としては、ゲヘナパレ滅亡の他には、集結の時の前にサイラス村を襲った記録がある。その時にも、目覚めぬ眠りに落ちた人々は、飲まず食わずのまま、ただただ眠り続けたという。ケムエル神殿町の救護施設に眠る人々も、体には何の変化も無く眠り続けている。 「おそらく、体内にある何かによって、基礎代謝そのものが、停止に近いほどゆっくりとした周期に抑えられているんだと思うわ。例えるなら、とても深い冬眠状態ってところかしら」 「それじゃあ、ガガダダの人たちも、今もそのまま眠り続けているのかしら?」 「そいつはどうかな」  シド=ジルは、ジルの伝承記録の中から、オニブブに関する部分を広げて見せた。伝承の中には、オニブブに滅ぼされた村の人々が、オニブブによってどこかへ運ばれて行ったという言い伝えもある。 「当時のガガダダに関する記録は無いが、全員どこかに運ばれてるんじゃないかな。まあ、ガガダダに行ってみれば分かることだが……」  シド=ジルは地図を広げて話題を変えた。 「それにしても、ワールド・エンドを越えると眠ってしまうのには困ったな〜」  シド=ジルは地図を見ながら唸った。せっかくワールド・エンドを突破できることが分かっても、そこから先で動けるのがメロディーだけでは話にならない。ゼロもいるならまだしも、眠るふたりを連れて、道無き道を100キロも旅するなど、メロディーだけではさすがに無理だ。  シド=ジルが頭を抱えていると、地図を見ていたメロディーが、フレア=キュアに質問した。 「ねえ、ママ。ガガダダでは、今でもエネルギー場が存在していると思う?」  コロニーを出てしまうと眠ってしまう以上、ガガダダにもエネルギー場が存在することは大前提である。シド=ジルもフレア=キュアも、当然それを信じた上で、コロニー横断を考えている。 「100%とは言えないけど……時空の狭間にある聖魔の森が各コロニーに戻ることを考えれば、エネルギー場は今も生きていると考えていいんじゃないかしら。でなきゃ、森の聖魔は戻った途端に全滅しちゃうでしょ?」  母親のその言葉を聞くと、メロディーは地図上の一点を指さした。 「この川を下れないかな?」  それは隣のコロニーを流れる川だった。地図上を下っていくと、ガガダダ東部を流れる大河に合流する。 「船か大きなイカダを作れば、パパとママを乗せて一気にたどり着けるんじゃないかしら?」  地図はあくまでも千年後のもので、現在も同じであるとは限らない。だが、他に有効な手だてが有るとも思えない。 「どうやら、これしか手は無さそうだな……」 「でもメロディー。あなた、船は扱えるの?」 「カヌー部の助っ人なら、やったことあるわ」  この時ばかりはメロディーも、運動部の助っ人をやっていることに感謝した。とはいえ、本格的にやりこんでいる訳ではない。向こうに着いたときのためにフロートバギーも持っていきたいが、あまり大きい船では扱うことも難しい。そもそも、そんなイカダをどうやって作るかが問題だ。だが、その点については、シド=ジルにアテがあった。 「明日はバスバルスに行こう」  シド=ジルは、目標の川があるコロニーの大きな町を指さした。 「ジルの知り合いがいるんだ。説明すれば力になってくれるはずだ」  今度こそガガダダにたどり着ける。ガガダダ捜索の旅は、ようやく先が見えてきたのだった。  * * *  ジャンクション発見の翌日、ケムエル神殿では、緊急の作戦会議が開かれた。大広間には、魔攻衆がほぼ全員集まっていた。入り口では、サジバが壁により掛かりながら、会議の様子を見守っていた。  バニラ隊哨戒班が包帯姿で壇上に立ち、ジャンクション発見の報告をした。ジャンクションは、多数の聖魔の森へと繋がる交通の要衝となる島である。森の帰還を阻止するためにも、重要な戦略拠点であると言える。 「緑水晶の森・第三層だって!?」 「あんな近くに?」 「あそこは調べ尽くしたはずじゃないのか?」  大広間に動揺が走った。そこは森の変異後に奪還した勢力範囲の中央に位置する島だった。哨戒班の報告によると、緑水晶の森・第三層の島に新しいヒメカズラを発見し、それがジャンクションへと繋がっていたというのだ。  ジャンクションの中央には、ドームが花びらのように開ききった皇帝カズラがあった。光で満たされたリオーブの塔がそそり立ち、ギラギラと辺りを照らしていた。そしてその塔を中心に、12のヒメカズラが時計の文字盤のように並び、青い入り口を輝かせていた。  哨戒班がリオーブの塔に近づくと、すぐにメガカルマが現れた。確認しただけでも三体のメガカルマがいたという。報告を第一と考えた哨戒班は、攻撃を受けながらも、何とか脱出することに成功した。メガカルマも、ジャンクションを離れてまでは追撃してこなかった。こうして哨戒班は、この重要情報を持ち帰ることが出来たのである。 「お前たち、本当によくやった。後はゆっくり休んで、早くケガを治すッス」  神殿首座のバニラは、哨戒班の労をねぎらうと、傷を気遣い退出させた。全員が落ち着いたところで、バニラは意見をウーに求めた。 「老師。どう思われるッス?」  ウーは椅子に腰掛けたまま腕を組み、難しい表情をして唸った。ウーの足の傷はだいぶ癒え、今は杖をついて歩けるところまで回復している。 「儂にはどうも、聖霊どもの意図が感じられてならんの〜」 「やはり罠ですか?」  ゼロは思わず尋ねた。ウーは肯定も否定もせず、そのまま考え込んだ。ウーに代わり、カフーが答える。 「たとえ罠であろうと、ジャンクションは見過ごすわけにはいかない。奪えれば反撃の拠点となるが、逆にそこから攻め込まれれば、我々は森に手が出せなくなる」 「やるしか無いわね」  早くもミントは決意を固めた。バニラは立ち上がると全員に指示した。 「大人数ではかえってやりづらい。わたしとカフー、ゼロ、ラダ。憑魔陣チームを先頭に、精鋭部隊を編成するッス。魔攻衆部隊の指揮はミントにお願いするッス。ウー老師は神殿の警護を。残りの者はジャンクションから神殿までを結ぶ各島で警戒。急襲への備えと退路の確保を。ジャンクション奪取は、明朝決行するッス!」 「オーー!!」  士気は高まり、全員が大広間を後にする。ゼロはサジバを見つけると駆け寄った。 「サジバ。やっぱりサジバは、加わってはくれないのかい?」  特訓の成果で、カフーとバニラは何とか7体の聖魔までフル装備出来るようになっていた。だがそれでも、その実力では、サジバに一日の長がある。彼が参戦してくれれば、この上もない戦力となる。だが、予言者シへの忠節を誓ったサジバの決意は固かった。 「神殿で待つのが……我の務めだ」  サジバはゼロと目を合わせることなく淡々と答え、自室へと去っていった。  * * *  2007年9月2日、クイン大学本部棟教務課で、物理学教授のラングレイクは、職員に呼び止められた。 「ラングレイク先生。シド先生に、来週の授業どうするのか、聞いていただけませんか? 相変わらず連絡がとれないんですよ」  長身で面長のラングレイクは、笑って教務課の女性に答えた。 「またですか。どうせ樹海でのバカンスが長引いているんでしょう。構わないから休講にしておいて下さい。学生だって、シドのバカンス明け最初の授業があるなんて、誰も信じちゃいませんよ」 「そりゃそうですけど。今年は言い訳のメールすら来てないんですよ、まったく」  教務課の女性は、ブーブー不平を漏らしながら、自分の席へと戻っていった。ラングレイクはタメ息を吐き、自分の研究室へと足を向ける。だがその時、ふと教務課職員の残した言葉が引っかかった。 『言い訳のメールすら来ていない』  一家で樹海に入るようになってからは、シドは必ず衛星通信装置を持って行くようにしている。太陽電池を使った装置なだけに、常時使えるわけではないが、電子メールの送受信ぐらいなら問題はないはずだ。  ラングレイクは、シドとは学生の頃からの親友で、お互いの行動パターンはよく心得ている。シドは若い頃、鉄砲玉のように世界各地を飛び回っていた。そして一度研究対象に飛び込むと、消息さえも分からなくなるのが常だった。それだけにラングレイクも、樹海入りしたシドに、自分からちょっかいを出す事は少なかった。  研究室に戻り、メールソフトを確認する。シド一家がキャンプを設営したとき、通信装置のテストを兼ねてラングレイクに送ってきたメールがある。彼はそのメールに、短い応援メッセージを付けて返信していた。そして、その送信記録を確認して疑問を持った。 「妙だな。開封した形跡がない」  近況を知らせてこないことは、それほど珍しくはない。だが、通信確認メールだという事が気にかかる。少なくともシドは、装備のチェックには手抜かりのない男だ。ラングレイクは消息を尋ねるメールをシドに打つと、彼の研究室へと向かった。  シド地勢考古学研究室。彼の研究室は狭く、学生も4,5人しかいない。中には既に研究生や学部生が集まっているようだ。ラングレイクはドアを開けると、直ぐに様子がおかしいことに気がついた。 「あっ。ラングレイク先生!」  研究生が不安げな表情で近づいてきた。彼らもシドとコンタクトを試みているのだという。後方支援を頼んでいるガイドにも確認したところ、そこでも消息が掴めなかった。ラングレイクは、シドの情報について、分かっていることを総て聞き出した。  シドは後方支援の拠点として、エルリム樹海に接しているネオサイラス村を利用していた。彼らはいつも、そこから愛車のランドクルーザーを運転して樹海に入っている。車が進めなくなるとそこに乗り捨て、そこから徒歩で物資をキャンプ地まで運んでいる。後方支援とは言っても、サバイバル技術に長けた一家にとっては、機材の不足や故障の時ぐらいしか頼むことはない。昨年などは、ゼロとメロディーが、途中に乗り捨てたランドクルーザーを運転して、前触れもなくひょっこりネオサイラス村まで補給に来たくらいである。勿論、ふたりとも無免許だが。  だがそれでも、村からの無線の呼びかけぐらいには、返事をしてくれるものだった。それがこの1ヶ月、全く連絡が取れていないという。なまじシドたちがサバイバル技術に長けているだけに、事態の異常に気付くのが遅れてしまったのだ。  あの一家に限って、しかも全員の身に何かが起きるなど考えにくい。だが、シドとは長い付き合いのラングレイクにとっても、今回はいつもと違い妙な胸騒ぎがする。 「教務課には私から話しておくから、直ぐに現地入りする手はずを整えてくれ。私も行こう。まあ、シドのことだ。心配はいらないと思うがね」  ラングレイクは研究生に指示を残すと、本部棟へと向かった。 「あいつに何かあるわけないじゃないか。フレアに何かあるわけないじゃないか」  ラングレイクは、早速エルリム樹海入りする準備に取りかかった。このとき彼は、そこでふたりの信じられない姿を目にすることになるなど、知る由もなかった。 ■14■ 消滅  翌朝、メロディーたちは回廊遺跡を後にすると、バスバルスへと向かった。バスバルスは、このパレル世界で最大の都市である。具合の良いことに、メロディーたちが使おうとしている川も、バスバルスのそばを流れている。大きな橋を渡り、中央通りを西へ向かう。道の両脇には、貿易商や市場がズラリと並ぶ。メロディーは、ケムエル神殿町を遙かにしのぐ賑わいに、何だかウキウキしてきた。 「随分大きな町ね、パパ」 「このパレルで一番大きな町だからね。そうだ。その通りを右へ行ってごらん。いい物を見せてあげよう」  言われるままにフロートバギーを進めると、すぐに大きな窪地が両側に見えてきた。野球場ほどもあるすり鉢状の土地が幾つも連なっている。それは、巨大な発掘現場だった。底の方には倉庫のような大きな建物が並び、大勢の人々が作業をしている。 「ここは、現存するゲヘナパレ最大の遺跡なんだ。とは言っても、古代都市の跡じゃない。掘り出されているのは、ホタル石やフロートカーなど、我々の生活必需品ばかりだ」 「え? どういうこと?」  メロディーは斜面の縁にバギーを止めると、発掘現場を見渡しながら不思議そうに聞き返した。 「ここには元々ゲヘナパレ帝国の物資集積場があったんだが、帝国末期に、帝国崩壊を予見した錬金術師たちが、後の時代の人々のためにこれらの物資を備蓄埋蔵しておいたらしいんだ。帝国滅亡後、ここを託された生き残りのゲヘネストがそれを掘り起こし、パレル全土の人々の暮らしを支えたのさ。その結果、ここバスバルスは交易の中心地となり、大きな町が出来たわけだ」  シド=ジルはバギーを降りると、感慨深げに発掘現場を見渡した。その時、前から近づいてきたフロートカーの車列が突然停止し、中央のフロートカーから女性が飛び出してきた。 「ジル!? ジルじゃないの!」  サファリジャケットを着たその女性は、満面の笑みを浮かべシド=ジルに抱きついた。 「や、やあ、シャンズ」  シド=ジルは少し困った笑みを浮かべ、チラッとフレア=キュアを見た。  メロディーたちは大きなバスバルス市庁舎の貴賓室へと通された。内装は押さえられたデザインで華美というわけではないが、床の絨毯から天井の装飾に至るまで、最高級の造形であることは一目で分かる。広い室内の中央に置かれた豪華なソファーに腰掛けながら、メロディーたちはそわそわしながら待っていた。 「……ねえ、ママ。さっきの人、キュアも知ってるの?」 「いいえ、始めて会う人よ。キュアも全然知らないわ。いったいジルの何なのかしら?」  メロディーとフレア=キュアは、横目でシド=ジルを見ながらヒソヒソと話をしている。シド=ジルは視線を泳がせながら、ちょっと困った表情でジッと座っていた。彫刻を施した重厚な扉が開き、先ほどの女性が供を連れて現れた。シド=ジルは慌てて立ち上がった。 「待たせたわね、ジル。どうぞリラックスして。わたしとあなたの仲じゃない」  律とした気品漂う彼女は、三人の前に笑顔で腰掛けた。秘書官が下がった位置に座り、メイドたちがお茶を配り下がると、シド=ジルはお互いを紹介した。 「このふたりは、キュアとメロディー。僕と同じ魔攻衆だ。彼女はバスバルス市長のシャンズ。ここの埋蔵遺跡を任せられたゲヘナパレ錬金術師の末裔で、パレル全土を束ねる由緒正しいゲヘネストだ」 「由緒正しいのはあなたの方でしょ、ジル。あなたこそ、栄えあるゲヘナパレ錬金術師工房長の子孫じゃない」  メロディーとフレア=キュアは、ふたりの会話をキョトンとしながら聞いていた。 「工房長って、偉いの?」 「さあ……」  ゲヘナパレ帝国の知識が無いふたりには、ピンとこないのも無理はない。ゲヘナパレ帝国錬金術師工房の長といえば、ゲヘネスト総ての頂点に位置する人物である。  だが、そんな昔話など相手にもせず、メロディーとフレア=キュアの興味は、目の前に座っているシャンズ個人へと集中していた。栗色の長い髪に、力を帯びた切れ長の瞳。シンプルなデザインの絹のブラウスに包まれた体は、女らしい豊かな曲線美を描いている。年齢はジルと同じぐらいだろうか。市長としての風格を持つ、堂々たる美女である。ジーッと観察しているメロディーとフレア=キュアに気づき、シャンズは思わずクスッと笑った。 「わたしとジルとの関係が知りたいみたいね。ジルはわたしの初めての男。プロポーズもしたわ」 「ブッ! いや! あれはその!」  シド=ジルは飲んだお茶を吹き出すと、慌ててその場を取り繕おうとした。その様子にシャンズは吹き出して笑うと、少し寂しそうな笑みを浮かべた。 「でも、ふられちゃったけどね」  メロディーとフレア=キュアは、驚きながらもシャンズの気持ちを察した。シャンズは一口お茶を飲むと、話を続けた。 「あなたの噂も聞いてたわよ、ジル。キュアさん、おめでたなのね」 「そんな事まで知ってるのかい!?」 「バカね。あなたたちの様子を見れば分かるわよ」  シャンズは座り直し姿勢を正すと、話題を切り換えた。 「そんな事より、本題に入りましょ。ケムエル神殿の戦況は聞いてるわ。わたしに頼みがあって、ここへ来たんでしょ?」  メロディーは川沿いにフロートバギーを南下させ、ワールド・エンドまでシャンズ一行を先導した。彼女の協力を得るためにも、真実を見せるべきだと考えたのである。メロディーはシド=ジルの指示でフロートバギーを停止させた。シャンズ他重臣たちを乗せた後続のフロートカーがそれに倣う。  メロディーはバギーを降りると、ぐるりと辺りを見渡した。澄んだ広い川が、浸食によって作られた低い崖の下を、心地よい水音を立てながら穏やかに流れている。バギーを停めた場所は、膝下ほどの高さの草に覆われた見渡す限りの草原だ。目の前には緩やかな丘が続き、草の風紋が流れている。稜線の向こう側までは分からないが、どう見ても清々しい風景だ。メロディーは気持ちよさそうに伸びをする。青空にはゆっくりと白い雲が流れていた。  振り返ると、シャンズたちが近づいてきた。シャンズはともかく、重臣たちは恐る恐る近づいてくる。彼らにはワールド・エンドの幻覚が見えているのだろう。メロディーはシド=ジルに質問した。 「ねえ、パ……ジル。みんなにはここがどう見えているの?」 「炎に包まれた砂漠だよ。ここも既に焼けただれた地面になっている」 「焼けただれたって……」  メロディーは改めて足元を見た。青々とした深い草に覆われ、地面自体が見えない。彼らの見ている幻覚は、触覚さえも打ち消すほどに支配的なのだ。  シャンズは幻覚の熱気を感じながら、シド=ジルに問いただした。 「こんな所に連れてきて……いったいガガダダとどんな関係があるの?」  シド=ジルは炎の揺らめく砂の丘の方角を指さして答えた。 「ガガダダは、この遙か向こうに存在する」  シャンズはシド=ジルの言葉に驚くと、真っ向から否定した。 「バカな! ここは世界の縁、ワールド・エンドよ!?」 「確かに僕たちにとっては、ここは世界の縁だ。だがこれは、エルリムが僕たちを閉じこめておくために作り出した幻覚だったんだよ。僕たちはそれを確認し、そして、この向こうに行く方法にも目処が付いた」  シャンズの重臣たちが騒然となった。 「これのどこが幻覚だというのです!?」 「これの向こう側だって!?」 「無茶だ! 炎に焼かれてしまう!」 「陸路は行かないわ。いかだを組んで、向こうの川を下るのよ」  メロディーが平然とした表情で答えた。 「川だって!?」 「あの大穴が見えないのか! 粉々になって奈落の底へと落ちていくぞ!」 「穴? そんなものどこにも無いわよ! 泳ぎたいくらい綺麗な川じゃない」  シド=ジルは苦笑すると、メロディーの肩を叩いた。 「幾ら口論しても始まらないよ。実際に見せてあげなさい」  シド=ジルはトランシーバーをメロディーに渡した。 「それは?」  シャンズが尋ねると、メロディーはピョンとシド=ジルから少し離れ、トランシーバーに向かって話し始めた。 ”アーアー、聞こえますか〜? これはトランシーバーというものです。離れたところでも声が聞こえまーす”  シド=ジルが手にしているもう一台のトランシーバーから、メロディーの声が聞こえてくる。シャンズたちは、始めて見る機械に驚き、不思議そうに見つめた。 「それじゃあ、メロディー。向こうの丘に向かって歩いてくれ」 ”オッケー! じゃあ、行ってきまーす!”  メロディーは敬礼すると、火炎の砂漠に向かって、元気に歩き出した。 「危ない! 戻れ!」 「焼け死ぬぞ!」 「ジル! 早くやめさせて!」  シャンズたちは血相を変えて呼び止めた。メロディーはクルリと振り返ると、ニッコリ笑いながら手を振った。シド=ジルとフレア=キュアのふたりは、平然とメロディーを見送っている。さすがに三度目ともなると、幻覚にも慣れてくる。メロディーは、草に覆われた小高い丘を登り始める。シド=ジルたちの目には、炎が走る砂の丘にしか見えない。炎がメロディーの体に巻き付き、メラメラと燃え上がる。シャンズたちは、その姿を見て動揺している。シド=ジルはトランシーバー越しに、メロディーに尋ねた。メロディーは振り返り、大きく伸びをした。 ”清々しい草の香りでいっぱい。風がとっても気持ちいいわよ” 「僕らには、お前が今、炎に焼かれ藻掻き苦しんでいるように見えるよ」 ”やだ〜、何それ〜”  メロディーは更に先に進んだ。シド=ジルたちの目では、メロディーの体が焼け落ち、砂に消えてしまった。 「メロディー。お前の姿が見えなくなったよ。今、どの辺だ?」 ”まだ丘を登ってるところよ” 「これは……いったい……」  シャンズたちは、トランシーバーから聞こえてくる声に驚いている。シド=ジルは、フッと笑うと更に話し掛けた。 「メロディー。何かしゃべりながら丘の上まで歩いてくれ」 ”え〜? じゃあ……。1番、メロディー。歌いま〜す”  メロディーは歌を歌い始めた。  なぜその歌を選んだのか。メロディーは無意識のうちにそれを歌った。それは、幼い頃フレアが枕元で歌ってくれた子守歌だった。代々フレアの家系にのみ歌い継がれてきた、独特な子守歌だ。    緑萌ゆる永遠(とわ)の都(みや)    栄え打つ時の槌(つち)    黄金(こがね)砂とて    明日あれパレル遙かに 「何だって、子守歌なんか」  シド=ジルは、トランシーバーから流れてくる子守歌を聴いて苦笑した。そしてふとフレア=キュアを見て驚いた。フレア=キュアは、目を見開いたまま両腕を抱き、小刻みに体を震わせていた。 「この歌……知ってるわ……」 「そりゃあ、君が歌って聞かせた歌じゃないか」 「違うの! キュアがこの歌を知っているの!」  シド=ジルは彼女の言葉に驚いた。だが同時に納得もしていた。ジルとキュアが、他人のそら似などではないだろうと、薄々感じていたのだ。シドにしてみれば、ジルとキュアが祖先である事実より、フレアの子守歌がバニシング・ジェネシスと繋がっていた事の方が、むしろショックであった。まさに灯台もと暗しである。シド=ジルはため息を吐いた。だがその時、フレア=キュアの目から、ポロポロと涙が流れ出した。 「いったい、どうしたんだい?」 「……分からない。でも、悲しいの。とても、とても……どうしようもなく悲しいの!」  かつてカルマであったキュアには、魔攻衆となる以前の記憶は、エルリムによって消されている。だがこの子守歌の記憶は、その空白の記憶の更に奥底から湧き出してくる。いったい何が、なぜ悲しいのか、キュアにも全く分からない。ただただ、圧倒的な悲しみが、フレア=キュアを支配しているのだった。  そしてふたりは知る由もないが、この子守歌のメロディーは、七聖霊のマハノンが奏で、マテイが謎の涙を流したあの曲と、全く同じだったのである。  一見、パレルの繁栄を願う歌に聞こえる子守歌。だが、よくよく聞くと、いったい何のことを歌っているのか、曖昧な歌詞になっている。バニシング・ジェネシスから唯一継承されている歌。この時シドはうかつにも、この子守歌の存在を、軽視してしまったのだった。 ”ワーッ、すごーい!!”  突然メロディーは歌うのをやめ、大声を上げた。トランシーバーの電源が切られ、音声が途絶える。どうやらメロディーは、何かを見つけたようだ。  子守歌が止んだことで、フレア=キュアの涙もようやく治まった。彼女が平静を取り戻したことにホッとすると、シド=ジルは再びメロディーが消えた場所を見つめた。 「シャンズ。みんな。あそこをよーく見ててごらん」  シド=ジルが指さす。全員が見守っていると、不意に白い光が煙のように立ちのぼり、メロディーの姿へと変わる。両手いっぱいに花束を抱え、こっちに元気よく走ってくる。シャンズたちは、信じられないという表情で呆然と見つめていた。メロディーはみんなの所へたどり着くと、こぼれるほどの花束をシャンズに渡した。 「あの向こう凄いのよ! 見渡す限りのお花畑。とっても気持ちよかったわ!」  むせ返るほどの花の香りが、これこそが真実だと告げている。シャンズは穏やかな笑顔で香りを胸いっぱいに吸い込むと、シド=ジルに協力を申し出た。 「船の件は任せて。ゲヘネスト・ネットワークを総動員して、丈夫で扱いやすい物を大至急用意するわ」  こうしてシド=ジルはシャンズの全面的な協力を得て、コロニー間横断の準備に取りかかった。船が用意されるまでの僅かの間、メロディーは川下りの特訓に励むのだった。   * * *  カフーとバニラが率いる精鋭部隊がジャンクションへ向けて出撃した後、ケムエル神殿玉座の間では、老戦士ウーと新米の魔攻衆たちが、クマーリの門からの敵襲に備え陣を張っていた。 「ホワイト・ヴァイスの二の前はご免じゃからな」  ジャンクションとケムエル神殿を結ぶ各島を中心に、魔攻衆下級戦士の斥候部隊が非常線を張り、メガカルマの急襲に備えている。玉座の間は、その最終防衛地点である。再びここを突破され傷ついたクマーリ門を攻撃されれば、結界の崩壊は避けられないだろう。老戦士ウーに与えられた使命は極めて重い。 「そう堅くなるな。備えはしてある」  ウーは杖で不自由な足を支えながら、新米魔攻衆の肩を叩き、緊張をほぐして回った。ウーは老練な戦士らしく、不安を招くそぶりは一切見せない。だがもしもメガカルマの襲撃があれば、今の状態では防ぎきるのは難しかろう。ウーは重々それを理解し、胸の奥で覚悟を決めていた。  ウーたちがジッとクマーリ門を見張っていると、そこへサジバが現れた。黒のローブを軽く羽織ってはいたが、八熱衆のプロテクターをキッチリと着込み、手には大きななたを思わせる肉厚な剣を下げ、明らかに戦闘態勢を整えていた。サジバは無表情のままウーに告げた。 「ウー老師。そのお体では辛かろう。ここは拙者が詰める故、奥にて休まれよ」 「サジバ殿……」  ウーは、その若く屈強な戦士を見上げ、ニッコリと笑った。サジバは視線を逸らすようにクマーリ門を見た。 「神殿を出るわけにはいかぬが、ここならば差し支えない。拙者も少々退屈していたところだ」  サジバは肉厚な剣を石畳の床に突き立て、クマーリ門の正面に立った。新米の魔攻衆たちから安堵のため息が漏れた。憑魔陣の使い手であるサジバが玉座の間を守る。これほど心強い援軍はない。魔攻衆たちの士気が上がった。ウーはサジバの横に並び立つと、笑顔で話し掛けた。 「やれやれ。どうやらここは安泰のようじゃな。これからもカフーたちの力になってやってくれ」 「勘違いされるな。此度は気まぐれに過ぎぬ。我らナギは、人と戯れたりはせぬ」  サジバはクマーリの結界を見つめたまま、愛想無く答えた。  かつて若いレバントとその父リケッツが聖魔の森を時空の狭間へと封印したとき、エルリムの軛を解かれたナギ人たちは、ケムエル神殿をレバントに預け、終末を迎える安住の地を求め、去っていった。そして彼らはナギの隠れ里を作り、そこで静かに暮らすはずだった。 「もはや微かにしか覚えておらぬが、我はこの目で見たのだ。人間たちによって里が炎に包まれ、多くの同胞たちが殺されていったのを。我も傷つき、炎に焼かれようとしたとき、シ様がお救い下されたのだ。シ様は、僅かに生き残った我らを時の洞(ホラ)へとかくまわれた。そして総ての現況であるエルリムを倒すために憑魔甲を作られ、復活した我らに託されたのだ」 「その力、人に向けようとは思わなんだのか?」  ウーの問いかけに、サジバはフッと笑みを浮かべた。 「ナギを軽く見られるな。シ様はその力をエルリムへ向けよと仰せられた。エルリムを倒せば、自ずと我らの力は示せよう」  ウーはサジバの話に奇妙な違和感を覚えた。ナギの隠れ里のありかは、勿論知られていない。だが、それが知られていたとしても、本当に起こりえた悲劇であろうか。ウーは疑念を胸の奥にしまったまま、自分の話を始めた。 「儂は流浪の民の末裔での。祖先は、かつて水の里と呼ばれたゴランという村の民じゃった。繭使いの時代、ゴランの民もまた聖魔の森に怯え、暮らしておったそうじゃ。そしてゴランには、コリスという名のリケッツとごする繭使いが住んでおった」  コリスは水の里にふさわしく、水属性の聖魔の扱いに長けた繭使いで、通称『青の繭使い』と呼ばれていた。コリスの働きにより、ゴランには聖魔の脅威が及ぶことはなかった。人々はコリスの雄飛をたたえたが、それも長くは続かなかった。聖魔の脅威が薄れた村人たちの目は、やがて彼の妻へと向けられていった。コリスの妻は、ナギ族長ニの長女ラーであった。清楚な気品漂うラーは、村一番の美女であった。だが、コリスが繭使いとして活躍するに従い、彼女の白い肌にも、呪いの刻印が刻まれていった。そしてその美しい顔すら隠さねばならなくなったある日、呪いの刻印のおぞましさを恐れた村人たちは、コリスの留守中にラーを火炙りにしたのである。  焼け爛れたラーの亡き骸を抱きながら、コリスは村人を呪い、繭使いとナギの宿命を呪った。そしてその夜、コリスはゴランを捨てたのである。青の繭使いがいなくなり、聖魔の森は一気に息を吹き返した。瞬く間にゴランは聖魔の森へと飲み込まれ、ついにはオニブブによって滅び去ってしまった。  命からがら逃げ落ちた人々は、自らの行為を悔い呪った。そして、ナギと繭使いの犠牲に二度と頼らぬことを誓い、聖魔の驚異に身を曝しながら、安住の地を持たぬ流浪の民となることを選んだのである。 「確かにコリスのことを恨む者もおった。じゃが、儂らゴランの民は、決してナギ人を憎んだりはせん。……カフーもここに来た頃は、繭使いに憧れる少年じゃった。お主の怒りも分かるが、人間にもナギ人の味方が大勢いることは覚えておいてくれ」  ウーは穏やかにそう告げるのだった。サジバもまた、ケムエル神殿での暮らしの中で、その事を感じ始めていた。  ふたりは静かに玉座の間を守りながら、カフーやゼロの凱旋を待つのだった。   * * * 「くそう、なんて数だ!!」  ジャンクションは、おびただしい数の新種聖魔で溢れていた。ゼロたち突入部隊がそれらを掃討し中央のリオーブの下までたどり着くと、今度は周囲を取り囲むヒメカズラから、次々とメガカルマが現れた。敵の狙いが物量に物を言わせた消耗戦そのものだと気付いたときには、既に遅かった。先鋒を務めたゼロとラダの体力はもはや限界に達し、ふたりの聖魔も疲弊しきっている。カフーとバニラにはまだ若干の余力があったが、それでも状況を打開するにはほど遠かった。撤退をするにも、退路のヒメカズラの前ではミント率いる魔攻衆部隊もメガカルマ部隊の包囲を受け、退路が塞がれてしまった。 「ガハッ!」  ゼロとラダの憑魔陣が限界に達して弾け、ふたりの体が地面に叩き付けられた。ふたりは血反吐を吐き、立ち上がる事すら出来ない。カフーとバニラはふたりを援護し、助け起こした。  こうなっては、もはや撤退さえも難しい。カフーたちの所へミントの隊も合流し、生き残った者たちで円陣を作った。カフーが苦悶の表情を浮かべている。  その時、頭上に、純白に輝くローブをまとった人影が現れた。審判の聖霊マテイである。マテイの下では、メガカルマたちが道を空け、純白の甲冑をまとった聖霊シャマインが現れ、その奥には、純白のドレスをまとったマハノンが、悲しい目をして見守っている。 「聖霊かっ!」  攻撃がやみ、静寂が訪れる。マテイは空中に立ったままカフーたちを見下ろすと、通る声で話し掛けた。 「魔攻衆の精鋭たちよ。これまでよくぞ戦った。その力、新たな創世の世に生かせぬのが残念だ。もうすぐ我らはパレルの地へと帰る。次の世が平和で豊かな時代となるよう、お前たちも祈ってくれ」  聖霊マテイが全軍に最後の攻撃を指示する直前、その一瞬の間隙にそれは起きた。ミントが憑魔甲に換装して飛び立ち、単身マテイ目掛けて突っ込んでいったのだ。 「よせ! ミント!!」  ゼロには何も出来なかった。 「シナモン姉さんの仇!!!」  剣を構えマテイを襲う。マテイは、顔を向けることさえせず、左腕をミントの方へ向けた。彼の左手が一瞬にして巨大な槍へと変わる。鋭く伸びた切っ先が、ミントの心臓を正確に貫き、風船のように破裂させた。ミントの剣は、マテイにはまるで届いていない。ミントは血を吐きながら気力だけで胸を貫く槍をたぐり寄せ、必死にマテイに迫ろうとした。だが、大槍を掴む両手は血糊でむなしく滑り、もはや1ミリも近づくことは出来なかった。白い大槍から真っ赤な大量の血が雨だれのようにしたたり落ちる。ついにミントは、姉の仇を討てなかった。 「ゼロ……」  血の涙を流しながらゼロを見ると、ミントは力尽き、串刺しの無惨な姿で死んだ。 「ミントォォォォ!!!」  ゼロの慟哭が響き渡ったその瞬間、突然ゼロの憑魔甲から漆黒の闇が迸った。風が巻き起こりカフーたちを弾き飛ばす。ゼロの周囲に、憑魔甲にセットされた8体の聖魔総てが、まるでドス黒い亡霊のように出現し、闇に飲み込まれるようにゼロの体へ圧縮される。闇が弾け、そこに黒いシギルを帯びた黒い聖魔獣が出現した。石柱のような腕、分厚い装甲のような甲羅、巨大な翼。どれをとっても、7体の聖魔を憑着した超重装備を更に凌駕している。黒一色に彩られた圧倒的な威容に、周囲にいたカフーたちも言葉を発することさえ出来ない。 「ウオォォォォ!!!」  獣の雄叫びを上げ聖魔獣が飛び立つ。一瞬にしてマテイの目の前まで詰め寄ると、手にした大剣で襲いかかった。マテイは槍で防ごうとした。だが、串刺しにしたミントの体が邪魔になり、一瞬動きが遅れる。漆黒の大剣が轟音と共にマテイを襲い、槍となった左腕を根元からバッサリと切り落とした。 「グアアッ!!」  マテイは苦悶の表情を浮かべ、弾けるように落下する。聖魔獣はマテイを追った。悲しみと憎しみに墜ちたゼロは、聖魔獣の核となり、もはや意識すら無い。ゼロから生まれた殺意の衝動だけが、聖魔獣を動かす総てだった。  大剣が再びマテイを襲う。だがその一瞬、マテイの体を押しのけ、聖霊シャマインが割って入った。切っ先が、マテイをかばうシャマインの腹を貫いた。 「グウッ!!」  背骨がへし折られ、下肢が力無く垂れ下がる。シャマインは血を吐きながらもゼロをにらみつけ、大剣を握る聖魔獣の腕を鷲掴みにした。硬い甲羅が砕け、シャマインの指がガッチリとめり込む。 「マテイ様、お逃げ下さい! マハノン様、マテイ様を早く!!」  地面に墜落したマテイに、マハノンが駆け寄る。マテイは血の吹き出る傷口を右手で押さえながら、シャマインを見上げ絶叫した。 「シャマイン!!!」  シャマインは左腕を巨大なカギ爪に変えると、聖魔獣となったゼロを抱え込むように掴み、万力のように締め付けながら動きを封じた。聖魔獣の甲羅が砕け、カギ爪の歯が音を立ててめり込む。 「貴様のその力、生かしておくわけにはいかん!!」  シャマインはゼロを抱えたままリオーブの前まで飛翔し、右手をリオーブに向けた。聖魔獣が暴れ、腹に刺さった大剣がはらわたをグチャグチャに掻き回す。シャマインは途切れそうな意識を必死にたぐり寄せながら、右手にパワーを集中させた。眩しい光球が生まれ、うなりを上げる。最後の力を使ってリオーブを破壊し、ゼロを道連れに自爆する気だ。 「シャマイン!!!」 「マテイ、早く!!」  マハノンは傷ついたマテイを抱え、ヒメカズラに向かって敗走する。メガカルマたちもジャンクションから逃げるため、慌てて走り出した。 「みんな、逃げるんだ!」  カフーは全員に号令すると、ラダに手を貸しながら退路のヒメカズラへと全員を導いた。ミントの亡骸は地面に横たわったままだ。上空では黒いゼロと白いシャマインが、充満するエネルギーの放電に包まれ、バチバチと音を立てている。 「カフー! ゼロを助けなきゃ!」 「無理だ! 間に合わん!!」  カフーたちは、逃げまどうメガカルマを押しのけ、退路のヒメカズラへと飛び込んだ。  シャマインの右手から光球が発射され、エネルギーの充満したリオーブを貫いた。巨大な宝石のようなリオーブが粉々に砕け散り、真っ白な閃光が、ゼロを、シャマインを、ジャンクションの総てを包んでいった。  大地が激しく鳴動し、雷鳴と共に崩壊する。上下の感覚のない時空の狭間で、ジャンクションを構成していた聖魔の島が粉々に砕け、夥しい数のメガカルマを巻き添えに、陽炎のように消滅していった。憑魔陣第八の封印によって聖魔獣となってしまったゼロは、時空の狭間で消えてしまった。 ■15■ 兆し  突然、クマーリ門が光り始めた。ウーとサジバは微動だにせず、光の正体を見極めようとジッと見つめた。光の中に大勢の人影が現れる。どうやらカフーたちのようだ。ウーは杖を手に進み出た。だが、帰還した彼らのその姿に、思わず息を呑んだ。  カフーたちは疲れ切り、苦しそうにうつむいていた。甲冑はひしゃげ、血に染まった闘衣はボロボロに破れている。神殿守備隊は皆、声を発することも出来ない。ウーは振り向きざま、新米魔攻衆たちを一喝した。 「ぼさっとするな! 怪我人に手を貸すんじゃ!」  玉座の間の時間が再び動き出す。守備隊は一人残らず負傷者を運び始めた。 「無事で何よりじゃった」  ウーは、カフーとバニラを労った。手を取り玉座の間から連れ出そうとすると、背後にサジバが近付いてきた。 「ゼロとミントの姿が見えぬが、しんがりに残したのか?」  カフーはウーの手を振りほどくと、サジバの胸ぐらに掴みかかった。 「貴様、何故隠していた!!」  カフーは、ジャンクションでの出来事を搾り出すように語った。 「あんな力があると分かっていれば、ボクが……」  カフーは涙を浮かべ悔しがった。黒い憑魔陣の存在は、サジバ自身にも全く知らされていない。隠されていた憑魔陣の最終型。伸び盛りの弟子のようなゼロとミントの死。サジバは愕然とし、立ちつくした。 「ふたりの弔いは後じゃ。まずは生き残った者の手当をせねばの」  ウーはカフーをサジバからそっと引き剥がすと、バニラと共にその背を優しく押した。  三人が玉座の間を立ち去ろうとしたとき、突然背後に絶叫が響いた。薬湯を満たした杯が砕け散り、介護についていた魔攻衆が吹き飛ばされる。見るとそこには両腕を抱え苦しみのたうつラダの姿があった。 「グアアアアア!!」  聖魔の癒着が急激に進行し、ラダの全身が音を立てて豹変していく。異形の皮膚が顔までも覆い始めた。もはや体の感覚もない。ラダは暴れだす体を必死に止めようとした。 「グウッ、もうダメだ! 頼む! 俺を殺してくれ!!」  僅かに残った右目から口元までの人の姿で仲間に訴える。だが、誰にもどうすることも出来ない。ラダの肉体は既に聖魔化し、メガカルマになりつつあった。 「誰か早く! 早く殺せ! バニラ首座!」  苦しみ訴えるラダに対し、バニラは命令を下すことが出来なかった。その時、サジバがバニラを遮るようにラダの前に立ちはだかった。ラダの右目が、魔攻衆として最後の覚悟を告げている。サジバは無言のまま左腕を構えると、超重装備へと憑着した。 「やめて、サジバ!!」  バニラの叫びを背にしながら、ラダの正面に立つ。聖魔の防衛本能が、サジバに攻撃を浴びせてきた。だが、超重装備の姿には、傷ひとつ付かない。サジバは左手でラダの肩をしっかりと掴むと、抜き手で一瞬にしてラダの胸を貫いた。急所を捉えた鋭い爪が、ラダの背中から突き抜ける。 「あ……ありがとう……」  ラダは最後に残された右目から涙を流し安らかな笑みを浮かべると、サジバに抱き留められながら、眠るように息を引き取った。  玉座の間が重く静まりかえっている。憑着を解除し、勇敢な戦士の亡骸を静かに横たえる。全員がラダの死に身動きできぬ中、サジバはひとり振り返ると、無言で玉座の間を後にした。  自室へ戻り、ベッドへ鉛のように腰を落とす。漆黒のプロテクターに、紫色のラダの血が付いていた。ふと顔を上げると、作業台に置かれた作りかけの憑魔甲が目に留まった。  サジバはこれまで、何の疑いもなく憑魔甲を扱ってきた。聖霊に対抗しうる手段として予言者シから賜り、エルリムを倒すために腕を磨いてきた。シの命を受け憑魔陣を魔攻衆に伝え、戦力の強化に手を貸した。そして事実、憑魔陣を用いたゼロは、聖霊を倒し手傷を負わせた。  だがその代償として、ゼロもミントもラダも死んだ。彼らは不慣れな憑魔陣を駆使し、戦士としてその生を全うしたのだ。人間を仇と信じるサジバの心に、彼らの死が抜き難い楔となって打ち込まれた。  サジバが何も手を着けられずに腰掛けていると、突然部屋の隅に光の裂け目が現れた。サジバは慌てて床に片膝をついて出迎える。光の裂け目から、漆黒のローブをまとった予言者シが現れた。シはフードを外しながらサジバに歩み寄り、上機嫌に話し掛けた。 「魔攻衆もやるではないか。よもや聖霊を倒すとはな。憑魔甲を授けた甲斐があったというものだ。でかしたぞ、サジバ」  サジバはうつむいたまま尋ねた。 「ご存じであらせられましたか」 「聖霊どもが、わざわざ島を持ち出し罠を掛けていたからな。わたしも成り行きを見物していたのだ」  シは総てを知っていた。だがその情報は、サジバには全く与えられていなかった。そもそもシがケムエル神殿を訪ねてきたこと自体、これが初めてであった。 「……魔攻衆も、優秀な戦士たちを失いました」 「魔攻衆など何人死のうが構わん。所詮、連中は捨て石だ」  予言者シは、楽しそうに笑った。 「では、8体の聖魔を使う力については……」  サジバは表情を隠しながら、わだかまりをぶつけてみた。シから一瞬にして笑みが消え、見下した目でサジバを睨み付けた。 「第8の封印か……。あれは万が一の備えだ。お前が気にすることではない!」  シは引き続き魔攻衆に憑魔陣を伝えることを命ずると、光の裂け目を使い何処かへと消えていった。予言者シにとって、八熱衆にとって、魔攻衆は使い捨ての駒に過ぎない。それは分かっているはずだった。部屋に一人残されたサジバは、やるせない思いに歯ぎしりした。わだかまりが抑えがたい熱を帯びる。プロテクターに付いたラダの血を指でぬぐうと、骨がきしむほど握りしめた。サジバは八熱衆のプロテクターを脱ぎ捨て、魔攻衆の闘衣に身を包んだ。  * * *  数日後、船の準備が整うと、メロディーたちは直ちにガガダダを目指し船出した。シャンズの政治力は凄まじく、翌日にはパレル中から船大工など名工が集められ、あっと言う間に最高の装備が用意された。船は浅瀬を考慮し双胴船をベースに作られ、コロニー内限定だがエネルギー場を利用した水中モーターも装備している。短期用途なのでキャビンなどは一切省かれ、中央にはシド=ジルたちを運ぶための棺と簡単な帆を掛けたマストが付けられていた。  バスバルスとの高低差はそれほど高くない。川幅も水量も十分にあり、川下り自体は容易だろう。問題は地図と流れの違いと、帰りの方法にあった。護岸工事もない自然の大河ともなると、どこを流れているか分からない。支流の選択を誤らぬよう、慎重に進む必要がある。そして横断に成功しても、帰りの川上りがメロディーに可能かどうかも分からない。ケムエル神殿を出て既に二週間。もはや一刻を争う。ガガダダ行きは、想像以上にリスクが大きかった。  船の準備が出来るまでの間、科学者であるシドとフレアは、孤軍奮闘しなければならないメロディーのために、あらゆるケースを想定して対応策をまとめた。一方、メロディーも、いつでも迅速に判断できるよう、地図を頭に叩き込んでいた。こうして三人は、僅かな準備時間を限界まで利用し、ワールド・エンド横断に挑んだのである。 「行っくぞー!」  メロディーは拳を振り上げ、自らを奮い立たせた。 「大丈夫よ、メロディー。必ずうまくいくわ」  フレア=キュアが微笑みながら励ます。 「あと30分でワールドエンドだ」  シド=ジルは六分儀をメロディーに渡した。メロディーは、ガガダダを発見できなかった場合には、ふたりをその場に残してゼロと共に2007年に帰る方法を探すよう言われていた。メロディーは思い切ってゼロの懸念を両親に尋ねた。ふたりは顔を見合わせると、少しだけため息を吐いた。 「パパもわたしも、何故かは分からないけど、2007年に置いてきた体の感覚があるの。そして向こうでもこっちと同じ時間が流れている。おそらく今2007年に帰ったら、向こうも同じ時間が流れているでしょうね」 「この時代に来てもうひと月以上経つが、普通なら向こうの僕らの体は死んでいるはずだ。食料はともかく、水分補給無しでは、人間はそんなに長く生きられないからね」 「わたしたちの体も、きっとスリーパーみたいに保存されているんだと思うの。だから、心配する必要はないわ。四人揃って2007年に帰りましょ」  フレア=キュアは、ニッコリとメロディーに微笑んだ。彼女は更に、彼女が立てた仮説を話し始めた。 「時間が螺旋構造をしていると想像してちょうだい。エルリム樹海の遺跡で光に包まれたとき、私たちがいた2007年の時間の流れとこっちの時間の流れが、リオーブの力によってあの場所で接触してしまい、併走しているのよ。そしてパパとわたしは半分だけ999年側に来てしまった。わたしたちは丁度二本の糸が絡んだ点のようになり、2つの時間の流れを同時に感じているんだと思うわ。だからわたしたちがいる限り、正確に2007年に帰ることが出来るはずよ」  メロディーは、フレア=キュアの併走時間仮説に目を丸くした。 「じゃあ、あっちじゃもう学校が始まっちゃってるの?」 「あらやだ、そうねえ。パパの授業も無断休講になっちゃうわね」 「今頃、教務課はカンカンだろうな」  三人は川面の心地よい風を受けながら、和やかに笑うのだった。 「さて。そろそろだな」  シド=ジルは棺の蓋を開け、横断の準備を始めた。フレア=キュアは、導眠作用のある薬湯をシド=ジルと共に飲むと、棺の中に入り、暴れぬよう自分の体を拘束した。 「頼んだぞ、メロディー」  シド=ジルとフレア=キュアは、総てを愛娘に託し眠りについた。メロディーは棺の蓋を静かに閉じると、パンパンと頬を叩いて気合いを入れた。エネルギー場の効果が薄れ、モーターが完全に推進力を失う。メロディーは風を読むと元気よく帆を広げ舵を握った。優しい風が、ポッカリ浮かんだ雲と共にメロディーの船出を後押しする。メロディーは高々と前を指さした。 「ガガダダ目指して、しゅっぱーつ!」  * * *  バスバルス市長執務室。シャンズは大きな窓を背に市長席に腰掛けながら重臣たちの報告を聞いていた。 「各地自警団の準備状況ですが、未だ人数が揃わないのが実状です。不足分は機動力で補うよう、現在、各主要都市部を中心にフロートカーの配備を増強中。機動兵団の編成を急がせています」 「フロートカー発掘作業は、本日より人員を更に5割増やし、必要数を確保する予定です」 「続いて住民の避難状況ですが、聖魔の森出現予想地域の85町村の内、避難完了が12、避難中37。まだ半数近くが避難を開始しておりません」 「集落に含まれない少人数の居住区を含めば、対象住民の避難率は3割にも満たぬものと思われます」  シャンズは年代物の机の上で指を組むと、苦り切った表情で呟いた。 「300年も太平が続けば、無理からぬことか……。発掘作業を急がせなさい。他の作業は総て止めて構いません。各市長に避難地区を援助するよう再度通達。強制してでも住民を避難させなさい!」  指示を受けた重臣たちが執務室を退出しようとすると、そこへ補佐官が入ってきた。 「ケムエル神殿の情報が入りました。魔攻衆は要衝確保のために大規模な作戦を展開。聖霊1体を含む多数のメガカルマを掃討した模様です」 「聖霊を?」  思わずシャンズは身を乗り出して立ち上がった。だが、続く報告に息を飲んだ。 「一方、魔攻衆側も、突入部隊が甚大な被害を被り、十傑衆一名を含む隊長クラス十数名が戦死したそうです。現在、部隊を再編成していますが、これ以上攻勢を掛けることは困難な模様で、森の出現を防ぐことは、もはや不可能と思われます」  シャンズは拳を握りしばし考え込むと、補佐官に指示した。 「引き続き情報収集を。キキナク商会に通信網の拡充を要請して。駐在員との連絡を密にするのよ。それと、我が市の遊撃部隊の隊長たちを至急召集してちょうだい」  シャンズは全員を下がらせると、ひとり窓の外を眺めた。遠くに川の流れが見える。 「そろそろワールド・エンドを越えた頃ね……。ジル……急いで……」  聖魔にまともに対抗できるのは魔攻衆しかいない。自警団を組織したところで、充分な戦力とはならないだろう。シャンズはジルたちの無事を祈り、まだ平和な風景をじっと見つめるのだった。  * * *  ラングレイクは大学にシド一家の捜索を申し出ると、シドの研究室の学生と共にエルリム樹海に向かった。ネオサイラス村でシドのガイドと合流し、樹海に入る。シドから唯一送られてきた通信テストメールには、キャンプ地の緯度経度が記されている。ラングレイクたちはGPSを頼りに、真っ直ぐにその地点を目指した。  キャンプ地には人気は全く無かった。荒らされた形跡も残っていない。燃料や食料など、消耗物資もほとんど使われていなかった。 「ラングレイク先生!」  研究生が地図に残された記述から調査の足跡を洗い出した。 「ここの調査に出かけて消息を絶ったのかもしれないな」  ラングレイクたちは移動を開始した。シドが残したマーキング・タグに導かれながら、丘陵地帯の地下に眠る大空洞に足を踏み入れる。 「こりゃ、凄い!」  一行は、地下空間に眠る町の遺跡に唖然とした。 「こんな所に町があるなんて……」 「スゲー! 大発見だ!」 「シド先生は、とうとうやったんですね!」  研究生たちは、巨木のドームの下に延々と続く家並みを見て興奮している。だがラングレイクは、そんな彼らを一喝した。 「喜んでる場合か。とにかくシドの跡を追うんだ」  マーキング・タグの反応が、大通りに沿って続いている。一行は巨大な神殿跡に到着し、その中へと足を踏み入れた。 「いったい、ここで何があったんだ?」  ラングレイクはついに玉座の間にたどり着いた。 「何だ、これは?!」  広間の中央には、巨大な青白い光球が、微かな唸りをあげて浮かんでいた。暗がりに慣れてしまった目がようやく光球の輝きに馴染んだとき、その中にあるものを見てラングレイクは愕然とした。 「シド!! フレア!!」  直径が4メートルはある光球の中心に、シドとフレアが眠るように横たわっていた。呼びかける声にも、全く反応しない。青白い光に包まれながら、完全に眠り続けているのだ。  辺りには、光を発生させている仕掛けは何も見あたらない。研究生が光に手を伸ばそうとすると、ラングレイクは慌ててそれを止めた。棒を拾い、ゆっくりと光に近づける。光球に触れても、特に手応えはない。更に棒を押し入れてみる。だが透明な光球の中には、差し込んだ棒の先端が見えない。棒を引き抜いてみると、光球に差し込んだ棒の先端部分がそっくり無くなっていた。研究生は先の消えた棒を見て青ざめた。物理学者であるラングレイクは、光球の周りをゆっくりと回り観察した。だが、これが何なのか、全く理解することが出来なかった。 「死にたくなかったら、絶対にこの光球には触れるな。今は出来る限りデータを集めるんだ。シドの子供たちの姿が見えないことも気にかかる。とにかく、この遺跡を立ち入り禁止にして、大学に連絡だ。政府に応援要請する必要もあるだろう」  ラングレイクは緊張した面持ちで、じっと横たわるふたりを見つめた。 「必ず……助けてやるぞ!」  * * *  聖霊マテイは、選りすぐった十体のメガカルマを潰し巨大な腕を作ると、マハノンの力を借りて失われた左腕にくくりつけた。 「やはり、エルリム様に直していただくべきではありませぬか?」  マハノンは両手を継ぎ目の部分にかざし、マテイの体に馴染ませている。 「シャマインを死なせたのだ。何の立つ瀬があろうか」  マテイはウバン沼の畔に腰掛けながら、己に憤りをぶつけていた。マテイの作った左腕は地面に届かんばかりに長く太く、硬い甲羅と巨大な爪を持っていた。沼の水面が微かにざわめく。マテイとマハノンの傍らに、第2軍団長ラキアと第3軍団長サグンが跪いて現れた。マテイは彼らに向き直ることなく、厳しい表情で告げた。 「もはや策などいらぬ。軍団を率い、魔攻衆を殲滅せよ」  ラキアは沸き立つ笑みを抑えながら、胸を張って答えた。 「お任せ下さい、マテイ様。シャマインの無念、我らが晴らしてご覧にいれます」  そう告げると、ラキアの姿が一瞬にして消え去った。後には白い残像と甲冑の音が微かに流れた。サグンは、嬉嬉として去ったラキアを気にも留めず、マテイたちにゆっくり一礼すると、終始無言のまま歩いてその場を立ち去った。  * * *  異形の植物が混じる原生林を、その男は歩いていた。瞑想する場所へと向かうためだ。草木で染めた色鮮やかな衣装をまとい、首や腰には玉や木の実で作った飾りを下げている。それはまるで、何か呪術的な道具のようにも見える。  時折、道ばたや木陰に聖魔の姿が見える。聖魔たちはその男に気づくと、そそくさとどこかへ隠れてしまう。男は聖魔を気にもとめず、確かな足取りで目的の場所へ歩いていった。歳は二十代後半ぐらいだろう。中肉中背だが手足に余分な贅肉はかけらもなく、草食動物のような引き締まった体をしている。顎は細く華奢に見えるが、落ち着き鋭い眼光には、真実を見定める覚悟が宿っていた。  樹海を抜け、ポッカリと空いた広場のような場所に出る。男はいつもその真ん中で瞑想をするのだ。だがその日は、瞑想には向かなかったようだ。いつもの場所には、黒こげの塊が置かれていた。近づくとそれは、大きな異形の獣だとわかった。表面は完全に炭化し、動く気配はない。男はどかそうと、頭の部分に手を掛けた。甲羅のような表面が音を立てて砕け、板切れのように剥がれる。その下から、気を失った青年の姿が覗いた。始めて見る若者だ。男は胴の部分、足の部分と、注意しながら剥がしていった。全身大けがをしているが、今ならば助かる。男は若者を持ち上げようと右腕を掴んだ。そのときふと、手の甲にある竜のアザが目にとまった。 「ケムエルの紋章……」  男はしばしその文様を見つめると、改めて青年の顔を見た。 「ようこそ参られた。縁(えにし)ある者よ」  空は青く澄み渡っている。甲高い鳥の声が、どこからか聞こえてくる。男はゼロを軽々と肩に担ぐと、樹海の中へと消えていった。 ■16■ ゲヘナパレ 前編  メロディーの川下りは天候にも恵まれ、拍子抜けするほど順調に進んだ。コロニーの外は手付かずの自然が続いていた。夜は無理をせず船を岸に着け、テントを張って一夜を明かす。星を読み現在位置を地図で確認する。川は多少蛇行しているが、2007年の地図とのズレはそれほど大きくはない。ガガダダのあるコロニーの規模は不明だが、このまま行けば午前中には圏内に入るに違いない。 「まあ、うまくいって当たり前か。エルリムも聖霊も、もうじき倒せることは歴史上決まってるんだし、もうすぐ方法も見つかるって事ね。楽勝楽勝」  エルリムのいない後世の歴史を知っているメロディーは、旅の成功を楽観視し、ぐっすりと眠りについた。だが後日、その考えの甘さを思い知らされることになるとは、まだ知る由も無かった。  翌朝、メロディーは、朝日と共に出発した。風が逆方向に吹き始めたため帆は使えなかったが、川の流れは充分にあり、船は快調に進んでいく。川幅も広くなり、300メートルぐらいありそうだ。六分儀を使い現在地点を割り出そうとしたとき、突然、川面が大きくうねり始めた。風も穏やかで天気は良いのだが、目に見えて流れが乱れ、船が右に左にと首を振る。川下から波頭が向かってきた。メロディーは必死に舵を取ったが、小さな船は木の葉のように振り回された。 「もー! 何よ、これ〜!」  波しぶきが船を洗う。揺れが激しく、まともに操舵できない。メロディーがギャーギャー騒いでいると、突然背後から声が響いた。 「慌てるな! 大丈夫だ、メロディー」  棺の蓋が開き、シド=ジルとフレア=キュアが出てきた。いつの間にかコロニー領域に入り、ふたりが目覚めたのだ。シド=ジルは、水中モーターを再起動させると、メロディーに代わって舵を握った。推力で水のうねりをねじ伏せ、ようやく船が安定した。 「これは海嘯だな。満潮の時間にぶつかったんだろう。この川は勾配の緩い感潮河川だから、影響が上流まで及ぶんだ」 「あなた、あれ!」  棺の縁に掴まっているフレア=キュアが、前方の川岸を指さした。そこには、草に覆われた石組みの塔が立っていた。 「昔の灯台のようだな。脇に小さな支流が見える。行ってみよう」  シド=ジルは舵を切ると、灯台跡が示す支流へと船を入れた。そこは石垣で護岸工事された広い運河だった。600年の歳月で石垣はかなり崩れていたが、航行に支障はない。 「ガガダダの宮殿には堀があったらしい。もしかすると、このまま都市部まで行けるかもしれないぞ」  水は澄み、川魚が沢山泳いでいる。運河の両側には雑木林が迫り、長く人の手が離れていることを物語っていた。どれくらい進んだだろうか。突然木々がまばらになり、視界が開けた。 「町だ!」  運河の両脇には船着き場が並び、その向こうには倉庫のような崩れた建物が続いている。おそらく昔は、海運の拠点だったのだろう。更に船を進めると、遠くに高い塔が見えてきた。シド=ジルは慌てて正史写本を取り出すと、王宮の図を確認した。 「あった、これだ! ゲヘナパレ錬金術師工房、ゲヘナの塔!」  一行は船を岸壁に着けると近くの高台に登り、そこからゲヘナパレ帝国首都ガガダダの全容を望んだ。そこには、バスバルスを遙かに凌ぐ、廃墟の古代都市があった。町の建物はことごとく破壊され、草木に覆われている。ゲヘナの塔も上半分が失われ、背後に続く王宮は見る影もない。聖魔戦争の結果であることは間違いなかった。 「こりゃ酷い……」 「パパ。あれ、何かしら?」  メロディーは、全長が20メートルはある紫色の蜘蛛のような物を指さした。頭は無く、蟹のような鋭い甲殻の足が、中央の胴体の周りに何本も生えている。構造的には、外骨格を持ったヒトデと言った方が近そうだ。小山のような胴体には、レンズのような目が幾つも並んでいる。シド=ジルは正史写本をめくり、該当する記述を探した。 「あれは……破滅の蟲ヨブロブだ!」  帝国の終焉を綴った記述に、襲来の様子が描かれている。帝都最後の日、空を無数のオニブブが覆い、地上ではヨブロブが破壊の限りを尽くし、ガガダダは廃墟と化したという。目の前に見えるそれはとうに死に絶えており、破壊された町と共に瓦礫のように朽ちていた。よく見るとヨブロブの死骸は、町中に存在した。ゲヘナの塔の影にも、王宮の向こうにも見える。おそらく、夥しい数のヨブロブが帝都を襲い、町を破壊した後、死に絶えたのだろう。これは明らかに、エルリムがゲヘナパレに下した神罰の跡だ。 「これがエルリムの……神様のやることなの?」  これまでメロディーはエルリムに対し、漠然とした危機感しか持っていなかった。だが今、目の前にあるかつての惨劇を目の当たりにして、メロディーはエルリムに対する疑念と強い憤りをいだくのだった。 「半壊とはいえ、ゲヘナの塔が残っていたとはラッキーだな。錬金術師工房なら、聖霊を倒した当時の技術が残っているかもしれない」  シド=ジルは、メロディーとフレア=キュアの肩を叩くと、ゲヘナの塔を目指して歩き始めた。  雑草やツタに覆われた瓦礫の街を歩いていく。昆虫や鳥以外、動く物は何もない。通りにはひしゃげたフロートカーや豪華な彫像の列が続き、かつての繁栄を彷彿させる。ゲヘナパレ帝国400年、この都市は栄華を誇ったのだ。そしてパレル歴383年、アルカナ伝説にあるメネク王子とアルカナの死をきっかけに、エルリムは森に聖魔を放ち、聖魔戦争が勃発した。パレル歴389年、反撃に転じた帝国錬金術師たちは、聖霊の殲滅に成功したが、森の神エルリムを倒すまでには至らず、エルリムが放った滅びの蟲オニブブと破滅の蟲ヨブロブによって、ゲヘナパレ帝国は崩壊したのである。  メロディーは、漠然とした疑問を感じていた。そして廃墟の町を通るうち、それは明確な疑念へと凝固していった。 「ねえパパ。これだけの破壊の跡なのに、死体が全然見あたらないわ」 「そりゃあ、オニブブが眠らせた人々を持っていったからだろう」  メロディーは歩みを止め、シド=ジルに向き直ると、改めて尋ねた。 「それって変じゃない? オニブブを使えばみんな眠らせることが出来たんだし、町を壊す必要なんて無いじゃない。だいたいガガダダは、回廊封鎖で封印されて、復興することも出来なかったんだし。ゲヘナパレ以前の文明は、オニブブで3回も滅ぼされているのに、どうしてゲヘナパレ帝国だけ、聖魔やヨブロブを使ったのかしら?」  シド=ジルとフレア=キュアは顔を見合わせた。廃墟の様子を見ても、壊さなければならない特別な物があったとは思えない。そもそも、オニブブに対する対抗手段は当時にも存在せず、錬金術師たちにもゲヘナの結界以外打つ手が無かったのだ。そしてその事は、魔攻衆についても同じで、オニブブの襲撃を受ければ為す術はない。にもかかわらず、現在の七聖霊も、オニブブではなく聖魔やメガカルマを使っている。 「オニブブは、エルリムでさえも、そう簡単には扱えないということなのかな……」 「オニブブには、何か特別な意味があるのかもしれないわね」  勿論、シドにもフレアにも、その答えは分からない。三人は、謎を解くためには、何かとても重要なピースが欠けていると感じるのだった。  メロディーたちは崩れた大門を抜け、ゲヘナの塔へと続く大広場へ出た。王宮地区の前面は、ゲヘナパレ帝国を支えた錬金術師たちの総本山であるゲヘナの塔がそびえており、ここが事実上のゲヘナパレ帝国中枢であった。 「パパ!」  メロディーは塔の基部に繋がる建物を指さした。無数の石柱の陰から、ぞろぞろと何か出てくる。人型のもの、四つ足のもの、鳥のようなもの。数十体はいるだろう。緩く広い石段を、ゆっくりこちらに向かって降りてくる。 「聖魔? いや、違う。あれは、造魔だ!」  生物を模してはいるが生き物ではない。石とも金属ともつかぬ材質で出来たロボットだ。メロディーは両親を守るように咄嗟に前に飛び出すと、憑魔陣を発動させた。 「メロディー!」  前面にいた数体の造魔が襲いかかってくる。メロディーは縛装した鋭利なヨーヨーを巧みに操り、造魔の攻撃をかわしながら次々と切り刻んだ。最初の集団を瞬時に撃退すると、メロディーは塔の下に向かって叫んだ。 「あんた誰? 出てきなさいよ!」  石柱の陰から、顎髭を蓄えた赤毛の男が現れた。戦士の風格漂う堂々たる男だ。だが、彼には足が無かった。腰から下には、自分の足代わりに造魔の下半身が付いていた。 「良い腕だ。だが、その程度では、塔に近づくことはできんぞ」  達人だ。男の自然体の構えから、桁外れの実力がビリビリと伝わってくる。メロディーの憑魔陣は、まだ聖魔5体が限度だ。それでもここはやるしかない。メロディーは両親を下がらせると、自分に出来る最大の装備に縛装した。男はサックスのような大きな笛を取り出し、奏で始めた。その途端、男の姿が蒼い翼竜聖魔へ変わり、付き従っていた造魔たちも聖魔と合成された姿に変わった。シド=ジルは、その奇妙な術に驚いた。 「あれじゃまるで繭使いの術じゃないか! ……まてよ。あの大きな縦笛、顎髭……まさか、そんな……だが……」  見覚えがあるわけではない。ジルの記録に、特徴のよく似た人物が一人いるのだ。だがその彼は、300年も前の人物だった。  メロディーが突進すると、合成造魔たちが迎え撃った。合成造魔の攻撃は、先ほどとは比べものにならない。メロディーの攻撃は跳ね返され、逆にジリジリと押されていく。メロディーは防戦一方になり後退していった。だが、ある程度下がると、合成造魔たちも攻撃を止め、男の元へと下がり始めた。見ると聖魔を憑依した男は、石段の下から動こうとしない。メロディーは再び攻撃を仕掛けた。するとまた合成造魔が反撃に転じ、押し返される。激しい攻撃にメロディーのシギルがぶれ始めた。よろけ、地面に転がったメロディーに合成造魔が襲いかかった。 「メロディー!」  だが、合成造魔の攻撃は僅かに手前で空振りし、再び男の元へと戻っていった。 「どういうこと? ……まさか」  メロディーは不安定になった憑魔陣を解除すると、腰のナタに手を掛けながら男の方へ歩き始めた。再び合成造魔が襲ってくる。メロディーは素早く背後に飛び退き、さっきの場所で止まった。合成造魔の攻撃はギリギリ届かず、メロディーの目の前で空を切る。メロディーは確信しスックと立つと、ジッと男を見た。男は憑依を解き、フッと笑みを浮かべた。 「ほう。もう見切ったか。如何にもこの術はそこまでが限度。私もこれ以上前には進めない。今はこの塔の守護がわたしの役目。これでお前たちも、塔には辿り着けないとわかったろう。戻ってシゼに伝えろ。用があるならお前自身が来いと」 「シゼ? シゼって誰よ?」  メロディーは聞き返した。男は怪訝な表情をすると付け加えた。 「あれからもう300年。ナギの里もとうに滅んだはず。シゼの手下以外、この地を訪れるはずが無かろう」 「300年だって!?」  シド=ジルは思わず身を乗り出した。 「まさか、君は青の繭使いコリスか? レバントの師匠だったという。僕たちはケムエル神殿から来た」  メロディーたちは、ゲヘナの塔のテラスへ案内された。見晴らしが良く、ガガダダの町を一望できる。おそらくかつては、ここで錬金術師たちが、くつろぎながら議論を戦わせていたのだろう。ジルの意識が感慨深げに辺りを見渡している。丸いテーブルを囲み、造魔が出してくれた昼食を取りながら、シド=ジルはケムエル神殿で起きたこれまでの出来事、この旅の目的をコリスに語った。 「まさかレバントが死んだとは……」 「集結の時を迎えて、レバントは竜神ケムエルの力を得て不死となったと聞いたけど、あなたはなぜ不死となったんです? それに、さっきのシゼというのは……」  シド=ジルの問いに、コリスは悲しげな笑みを浮かべた。 「君たちに憑魔陣を伝えたという予言者シだが、シの俗名はシゼと言う。偉大な祖先ギにあやかって予言者などと名乗っているのだろうが、宗家の者ではあっても予言者などではない。もっとも、あいつも不死となり、それなりに力を身に着けたのは事実だが」  コリスは、集結の時の後、いったい何が起きたのか、メロディーたちに語り始めた。  * * *  300年前、親子の繭使いリケッツとレバントが、それぞれ「闇の選ばれし者」「光の選ばれし者」として相まみえ、「光と闇の鎮魂曲」を奏で、聖魔の森を時空の狭間へ封印した。そして時空の狭間への入り口となったケムエル神殿を、不死となったレバントに預け、力を失ったナギ人は、族長ニに率いられ安住の地へと旅立ち、ナギの隠れ里を作った。隠れ里には、多くの繭使いも同行した。繭使いはナギ人との血縁者が多く、レバントの両親であるリケッツ、フィオ夫婦や、青の繭使いコリスも、隠れ里に移り住んだ。  族長ニには、息子が一人残っていた。もともとニには、四人の息子と四人の娘がいた。だが、長兄三人は、黒繭を紡いで闇の使徒となり、「闇の選ばれし者」リケッツの下僕となって運命に殉じた。そして四人の姉もまた、繭使いの妻となって皆非業の死を遂げている。  ナギ宗家を継ぐ者として唯一生き残った末子のシゼは、七人の兄姉の死を深く悲しみ、エルリムを呪い、人間を呪っていた。シゼは、隠れ里で穏やかに死を待つ事に我慢できず、父ニと衝突を繰り返していた。まだ13歳と幼いシゼを憂い、族長ニは義理の兄にあたるコリスにシゼを預けた。そしてコリスは、シゼを連れて旅に出たのである。  コリスは故郷ゴランの遺跡などを回り、シゼの姉たちの墓に花を手向けた。道中、コリスは妻ラーの思い出話や人間たちの暮らしについて語り、シゼに世界の広さを教えた。そしてふたりは、偉大なるナギの祖先予言者ギが若い頃に暮らしたゲヘナパレ帝国首都ガガダダの遺跡を訪れた。 「ギ様も若い頃はナギと人との融和を願い、ここで錬金術師たちと学ばれたという。錬金術師たちは、聖魔や聖霊と戦い、そしてエルリムに敗れた。ギ様がケムエル神殿に2つの結界を作られたのも、もしかすると錬金術師たちの意志を引き継いだ故かもしれないな」  コリスはゲヘナの塔から廃墟の帝都を望みながら、古人の決意に思いをはせた。だが、まだ少年だったシゼには、コリスの思いは伝わらなかった。むしろ彼の興味は、工房に残されたゲヘナの業に向いていた。そしてシゼはコリスの忠告を無視して遺跡を探り、「賢者の石」を見つけたのだ。  賢者の石は、ゲヘネストの英知を蓄積したライブラリーであった。かつて錬金術師たちは、獲得した知識をこれに集め、お互いの脳に直接流し共有することで、科学技術を加速的に進歩させていた。シゼは賢者の石がまだ動くことを知ると、密かにそれに触れ、ゲヘナの業に関する膨大な知識を手に入れたのだ。シゼは、その力に驚喜した。獲得した知識を元に次々と古代の技術を紐解くにつれ、まだ幼いシゼの中に、純真な野心が膨らんでいった。 「何をしている!」  コリスはシゼがゲヘナの秘術「時騙しの鏡」を動かそうとしているところを見つけ、それを止めようとした。そしてその時、揉み合うふたりは時騙しの鏡の光を浴び、不死となってしまった。 「不死となったナギ宗家のボクがゲヘナの業を使えば、もはやエルリムだって恐れることはない。ボクは神になったんだ!」  造魔とナギ宗家の能力を操るシゼは、力でコリスを圧倒した。シゼはコリスを出し抜き、錬金術師たちがエルリム封印のために研究していた結界装置「時空のアギト」へ閉じこめようとした。間一髪それに気付いたコリスだったが逃げ切ることができず、下半身だけ閉鎖時空の中へ取り込まれてしまった。 「シゼ!!」  もはやシゼを止められないと悟ったコリスは、ついに彼に繭使いの技を放った。だがコリスには、シゼを殺すことは出来なかった。シゼは傷ついた体を引きずりコリスから逃れると、ガガダダを去り何処かへと消えてしまった。  * * *  コリスは話し終えると、メロディーたちを工房の研究室へ案内した。研究室の中は、跡形もなくメチャメチャに破壊されていた。 「酷い……」 「シゼは逃げるとき、わたしが追ってこれぬよう、ここを破壊していったのだ」  メロディーはその光景に愕然とした。英知の集大成である賢者の石は、粉々に砕け散っていた。他の装置もことごとく壊されている。広い研究室の中にあるのは、瓦礫の山だけだった。メロディーは時騙しの鏡の残骸の前に立ち、ふてくされて呟いた。 「不死の技術まであったなんて、どんだけ進んだ文明よ」  コリスは、破片を手にしながら説明した。 「時騙しの鏡は、厳密には失敗作だったようだ。錬金術師たちは聖霊の不死を研究してこれを作ったようだが、人間には効果が無かったらしい。だが、聖霊の血を引くナギ人には、効果があったがね」  コリスはここで300年の間残された遺跡を調べ、断片的ながら多少のゲヘナの業を会得していた。だがそれでも、時空のアギトを解除する方法までは見つけられなかった。 「これが時空のアギト……」  フレア=キュアは唖然としながらそれを見つめた。模様が描かれた黒曜石の台の上に青白い光球が浮かんでいる。そしてその中に、コリスの下半身だけが囚われていた。シド=ジルたちは知る由もないが、その球体は大きさこそ違うものの、2007年の玉座の間でシドとフレアが囚われている球体とよく似ているのだった。 「わたしはシゼを闇から救うことが出来なかった。シゼを止めるのはわたしの責任だ。だが、これがある限り、わたしの体はゲヘナの塔から離れられない。そのため、わたしはこうしてシゼが舞い戻った時のために、ここで番をしているのだ」  コリスは沈痛の面持ちで語った。  メロディーは辺りを見回しながら途方に暮れた。工房がこの有様では、どうやって聖霊やエルリムを倒す方法を見つければいいのだろう。ケムエル神殿では、ゼロたちが帰りを待っている。もしかしたら、森の帰還が始まっているかもしれない。神殿を出て既に2週間。もう時間はほとんど残されていなかった。 ■17■ ゲヘナパレ 後編  ゼロは白い闇の中にいた。濃い霧が手足に絡みつき、その存在を霞ませる。足下には濡れることのない水面が広がっている。 「ここは……」  霧の中、陽炎のようにミントの姿が浮かび上がった。涼やかなドレスを纏い、穏やかにゼロに微笑んでいる。 「ミント! 無事だったのか!」  ゼロは駆け寄ろうとした。だが、逃げ水のように近づけない。ミントはゼロを見つめながら、静かに語りかけた。 「ありがとう、ゼロ。最後にあなたに会えて良かった」 「ミント!」  ゼロは必死に手を伸ばした。目の前にいるのに、無限の彼方に思える。ゼロの体に、鈍く痛みが走り出す。 「ゼロ、あなたは生きて。わたしの分も生きて。そしていつの日か……」  ミントの姿が滑るように霧の中へと消えていく。ゼロは必死に走った。全身の痛みが鐘のように広がる。 「ミント! 行くな!」 「ゼロ……ありがとう……」 「ミント――――!!!」  宙を掴み体がはぜる。激痛に総ての感覚が甦る。うめき我に返ると、そこは見知らぬ部屋に変わっていた。体中に包帯が巻かれ、毛皮を敷いた狭いベッドに寝かされている。どうやらここは、巨木の洞に作られた部屋のようだ。窓の向こうには木々が穏やかに生い茂っている。ゼロは静かに流れる音楽に気がついた。石を弾いたような澄んだ心地よい音色だ。 「この曲……」  それは、子供の頃に母フレアが歌ってくれたパレルの子守歌だった。穏やかなメロディーが、窓から森へと流れていく。 「母さん?」  ゼロは軋む体を音の方へひねった。 「気がついたか」  少し離れた床に、その男は胡座をかいて座っていた。水晶のような石棒が何本も生えた奇妙な楽器を前に置き、両手をかざし澄んだ音色を奏でている。麻を編んだゆったりとした着物をまとい、鮮やかな飾り帯を巻いている。外見は若いが、仙人のような静かな風格が漂っている。男は穏やかに微笑むと演奏の手を止め、用意した薬湯を手に近づいてきた。大きな石英の首飾りがシャリリと鳴った。 「これを飲め。傷に良い」 「あなたは?」  ゼロはベッドから起き上がろうとした。だが、痛みで思うように動けない。 「わたしはギア。まずは傷を癒すことだ」  ギアはゼロに手を貸し薬湯を飲ませた。見た目に違わず酷く不味い。息を殺し一気に飲み干す。胃袋に重い液体が届くと、小さな泡が全身に染み渡り、弾けるように痛みを消してくれた。体が落ち着くと、ゼロはお礼を述べ、改めて自己紹介をした。 「ここはケムエル神殿町ですか? そうだ。魔攻衆のみんなは?」  ギアはゼロの問いに一瞬硬直すると、目を伏せゆっくりと首を横に振った。 「ここは君のいた時代ではない。ここは御神木の森の外れ。そして今はパレル歴389年だ」 「389年!? そんな!」  ゼロは愕然とした。ジャンクションの森で聖霊シャマインを倒したとき、ゼロだけが爆発したリオーブの力によって、この時代まで吹き飛ばされてしまったのだ。呆然とするゼロを見て、ギアは穏やかに告げた。 「案ずることはない。君は縁(えにし)あってここへ来たのだ。元の時代へは、わたしが責任を持って送り届けよう」  ギアの言葉には、静かだが説得力があった。ゼロはホッと胸をなで下ろした。 『アレ? だけど何故ボクがここの時代の人間じゃないって分かったんだろう。それに、縁っていったい……』  ゼロは男に尋ねようとした。だがその時、突然外から怒鳴り声が響いた。入り口のすだれを跳ね上げ、若いガッシリした男が入ってきた。 「ギア! 音色が聞こえたから来てみりゃ、まだ逃げてなかったのか! ここはもうすぐゲヘナの結界に包まれるんだぞ!」  男は科学者とも軍人ともつかぬ裾の長い制服を着ていた。歳も背恰好も、ギアと同じくらいだ。だが印象は、静のギアに対し、動の印象を受ける。ゼロはその男にジルの面影を感じた。 「やあ、ジン。わたしに構うなと言ったろう。ゲヘナの結界は、我らナギ人には影響しないよ」  ゼロはふたりの会話を聞きハッとした。 「ゲヘナの結界……パレル歴389年! まさかここは、ゲヘナパレ滅亡の年!?」  驚いたジンはゼロの前に立ち問い詰めた。 「滅亡の年だと? お前、何を知っている? おい、ギア。こいつは何者だ?!」  ギアは沈痛の面持ちで目を伏せた。  ゼロは、ジルの記録から知ったゲヘナパレ滅亡から999年までの歴史をふたりに語った。ジンとギアは、床に腰掛けたまま黙ってゼロの話を聞いている。ゼロは魔攻衆の戦いまでを語ると、未来を語るのはタブーではないかと急に不安になった。だが、ジンとギアは予想外の反応を示した。 「やはりそうだったか……。ギア、お前にも見えていたんだろ? メネクとアルカナが死んで、お前がガガダダを去ったあのとき、帝国の滅亡と、俺の死が」 「ジン……」 「メネクとアルカナって……まさか、アルカナ伝説の?」  静かに語るジンとギアに、ゼロは驚いた。  ジンは、ゲヘナパレ帝国カリス王の庶子でメネク王子の兄にあたる。しかも現在は、帝国錬金術師工房長、即ち、ゲヘネストの頂点に立つ人物であった。一方、ギアも、ナギ宗家の跡継ぎで、アルカナは彼の妹であった。  アルカナ伝説。それはこの世界に聖魔が溢れ、人間との戦いが始まった最初の出来事である。ナギの娘アルカナとゲヘナパレ帝国皇太子メネクが恋に落ち、カリス王の欲望によってふたりが死に追いやられ、そしてそれを怒ったエルリムが人類へ制裁を加えたという伝説だ。ゼロは今、その伝説の真実を知ることとなった。  * * *  ゲヘナパレ帝国の繁栄も、やがて文化の退廃に蝕まれていった。特に、聖霊の力を持つナギ人への偏見とねたみは強く、いさかいも増すばかりであった。そんな中、若いジンとギアは人間とナギ人との融和を願い、親交を深めていった。ふたりは共に錬金術師養成学校で学び、常に主席の座を争った。ジンは王族。ギアはナギ宗家の嫡子。ふたりの出会いは腐敗の進む帝国の中にあって、志ある者の光となった。  カリス王には、ジン、メネク、ラムスという母親の異なる3人の息子がいた。ジンは長兄ではあったが側室の子で、王位継承権は一番低い。だがその人柄、実力共に、もっとも慕われ信頼される人物で、ふたりの弟も大いにジンを頼った。  ギアの母が亡くなったとき、その葬儀に出るジンに弟のメネクも同行した。そしてウバン沼で水葬を終えたとき、メネクはギアの妹アルカナに出会ったのである。葬儀の場で芽生えた恋に、周囲の者は不吉と眉をひそめたが、ジンとギアは大いに喜びふたりを祝福した。メネクとアルカナは静かに愛を育んだ。だが、それも長くは続かなかった。アルカナが送った織物がきっかけで、カリス王は妖精の繭の乱獲を始めた。父の行為にメネクは抗議したが、カリス王は逆にメネクを幽閉し、王位継承権を剥奪して末子のラムスに渡してしまった。ラムスはカリス王の後妻の子で、妖精の繭の乱獲も、メネクの投獄も、王女の企みと噂された。  ジンはギアの力を借り、メネクを助けようと奔走した。だが、時既に遅く、メネクはそのまま獄中で毒殺されてしまった。反逆者の汚名を着せられたメネクの死を知り、アルカナもまた、ウバン沼に身を投げてしまった。  ジンは自ら王位継承権を破棄すると、心で王と王女を呪いながら、純真無垢な弟ラムスに忠誠を誓い、錬金術師工房長の座についた。一方、ギアには、「時読み」の力が発現していた。ギアには元々勘の鋭い一面があったが、妹アルカナの死によって、それが開花したのだ。時読みの力を得たギアの目には、聖魔の襲撃と、ゲヘナパレ帝国滅亡の様子が映っていた。そしてその戦いの中、親友であるジンが死ぬことまでも見えてしまったのだ。ギアは沈黙を守ったままジンと別れ、ガガダダを跡にしたのだった。そして程なく聖魔が人里を襲い始め、聖魔大戦が始まることとなった。  * * *  ジンはさばさばした顔で告げた。 「この世界は創造主エルリムが作り出した世界だ。ケンカを売っても、勝ち目のある相手じゃないさ。だが、飼い犬に噛まれる事だってある。俺は諦めるつもりはないぜ。例え死ぬと分かっていてもな」  ジンは立ち上がるとゼロを見た。 「来て良かった。たかだか600年にせよ、俺たちゲヘネストの意地が、ちっとは報われると分かったんだ。あとはお前たちが少しでも楽になるよう、せいぜい派手に暴れてやるさ」  そう言い残しジンが立ち去ろうとしたとき、ゼロはいたたまれず真実を告げた。 「少しなんかじゃありません。エルリムはもうすぐ倒されます!」  ジンとギアは、驚いてゼロを見た。 「ボクは、エルリムのいない世界、2007年から来た人間です!」  ギアの時読みの力は、ナギ宗家の血の力によって成立していた。彼には、999年より先の時代までは、感じ取ることが出来なかった。ゼロはふたりに、エルリムなどいない未来の惑星パレルの話を語って聞かせた。 「ボクたちの時代では、エルリムもゲヘナパレもナギ人も一切伝わっていません。この時代のことは誰も知らず、バニシング・ジェネシスと呼ばれていて、ボクの父さんも研究していたんです」 「じゃあ、お前はどうやって帝国滅亡の歴史を知ったんだ?」  ジンは不思議そうに尋ねた。ゼロは、一家でエルリム樹海を探索していたこと、密林に隠されたケムエル神殿の遺跡から999年に飛ばされてきたこと、そしてそこでジルの持つゲヘナパレ帝国正史写本からこの時代を知ったことを告げた。 「正史写本だと!? そのゲヘネスト、どこの生まれだ?」  ジンはゼロに詰め寄った。 「確か……セラミケって……」  それを聞くと、ジンは体中から喜びが込み上げるのを感じ、笑い出した。 「やった……やったぞ! 俺の子孫は生きのびたんだ!」  今度はゼロが驚いた。帝国正史写本は、皇太子以外の王子だけが持つことを許されているものだった。メネクの死後、それを持っているのはジンだけで、帝国滅亡を予見したジンは正史写本を妻子に持たせ、密かにセラミケへ避難させたのだ。つまり、ジルはゲヘナパレ帝国王室の血を引く人間だったのである。そしてゼロは気付いてはいなかったが、ゼロにとっても目の前にいるジンは、遠い祖先にあたるのだった。 「ゼロ、俺と一緒に来い! こうなったらお前たちのために、あらゆる協力をしてやる!」  ジンは力強くゼロの手を握った。それを見るとギアは傍らからゼロの憑魔甲を取り出した。 「君の魔操具を直しておいた。悪しき仕掛けも除いてある」  ギアが差し出したそれを、ジンが代わりに手に取った。 「随分雑な作りの魔操具だな。よし。俺がゲヘナの業を総動員してチューンしてやる」  外には大きなフロートバイクが停まっていた。ジンが手を貸し後ろにゼロを乗せると、ギアが薬を入れた包みを差し出した。 「わたしは君が戻るまでに、999年に帰るための準備をしておく。ジン、そっちは頼んだぞ」  ジンはギアと拳をぶつけ別れの挨拶をすると、フロートバイクを発進させ、そのままガガダダ目指して転送させた。  * * * パレル歴999年、ゲヘナの塔。破壊し尽くされた研究室で、メロディーは途方に暮れていた。 「どうしたの、冴えない顔して」  フレア=キュアが笑顔でメロディーの肩を叩いた。 「僕等の職業を忘れたのかい?」 「誰もそんな都合良くいくなんて、考えてないわよ」  シド=ジルもフレア=キュアも、平然とした顔でメロディーを見た。確かにメロディーだけならともかく、専門家の両親がついている。本当の調査はこれから始まるのだ。 「これだけ高度な文明を持ってたんですもの。装置の予備はともかく、知識データベースのバックアップがあったって不思議じゃないわ」 「ゲヘナの塔の中枢部からあたるべきだな。まずは工房長の執務室から探してみよう」  コリスの説明を元に塔の構造を分析した結果、残念ながら工房長執務室や議事堂は失われた塔の上半分に有ったことが判明した。シド=ジルは続いて工房長の官舎を探した。高位の錬金術師たちの家は、塔の基部から伸びる官舎区画にあった。コリスは時空のアギトのせいでその場所までは行けなかった。3人は乗り物代わりに造魔を借りると、ゲヘナパレ帝国錬金術師工房長の官舎跡へと向かった。  そこは思ったよりも質素な住居だった。退廃する帝国の中、錬金術師たちは帝国を支える者としての誇りを胸に、自分たちを戒めていたのだろう。工房長の人柄が伺える。幸い、ヨブロブやオニブブによる被害も少なく、建物はほぼ完全な形で残っていた。 「工房長の日記か手帳のような物があれば嬉しいんだがな」  3人は書斎らしき細長い部屋へと足を踏み入れた。左右の壁には天井まで届く本棚が並び、夥しい書物や巻物でビッシリと埋まっている。一番奥には大きな机が置かれ、その先にはテラスが続いている。シド=ジルとフレア=キュアは、そのあまりに膨大な資料に唖然とした。 「やれやれ。こんなにあるとは想定外だったな」 「これじゃ、役立つ資料を見つけるだけでも大仕事ね」  両親が手近な資料からチェックを始めると、メロディーはひとり奥の机に近づいた。机は木製で重厚な作りをしている。年数が経っただけにかなり朽ちているが、崩れるほどではない。机の上には、ホタル石のランプが置かれていた。白化した表面を磨いてやると、今でも淡く光を放つ。椅子の方へ回ると引き出しが見えた。壊さぬよう慎重に開けてみる。そこには大きな封筒が入っていた。メロディーはその宛先を見て背筋が寒くなった。 「パパ! ママ! これ見て!」  宛先にはハッキリとこう書かれていた。 『親愛なるシド父さん、フレア母さん、メロディーへ ゼロより』  シド=ジルは慎重に封筒を開けた。中からは、厳重に包装された1枚のシートが出てきた。 「こいつはメッセージシートだ。……動くぞ」  乳白色のシートに大きな丸が現れる。それに触れると、パスワードを求めるメッセージが流れた。 『父さんの誕生日は?』 「ゼロ!」 「まさか、そんな!」  メッセージはまさしくゼロの声だった。血の気が引きよろけたフレア=キュアを、シド=ジルが慌てて抱き止める。父に代わりメロディーが誕生日を入力した。シートの表面が突然映像画面に変わる。そこにはゼロの顔が映っていた。 「父さん、母さん、メロディー。みんなならきっと、このメッセージを見つけてくれると思う。みんなが出かけた後、神殿では大きな戦いがあってね。……そこでミントが戦死した。ボクも憑魔甲の仕掛けが元で、過去に飛ばされちゃったんだ。あ、でも心配しないで。そっちに帰る方法は、もう見つかってるから」  それは過去からの贈り物だった。ゼロと共にガガダダに戻った工房長のジンは、600年後に訪れるシド=ジルたちのために、錬金術師工房が誇る最新鋭の装備を残してくれたのだ。3人はシートの案内を頼りに古い石切場に隠されたその装備を受け取った。それは転送移動機能まで装備した最新鋭のフロートシップだった。大型トレーラーを2台並べたぐらいの大きさで、内部には8台のフロートバイクも搭載している。小さいながらも工作設備も持ち、移動工房としての機能も持つ。そして何よりも3人を喜ばせたのは、賢者の石のバックアップを搭載していることだった。  メッセージの最後には、見慣れぬ人物が登場した。 「おい、正史写本を受け継いだゲヘネスト。そこにいるか? 俺はゲヘナパレ帝国錬金術師工房長のジン。お前のご先祖様だ。俺はもうすぐエルリムに対し特攻をかける。倒せないことは、ゼロからも聞いてるさ。せいぜい大暴れして、エルリムに一泡吹かせてやるつもりだ。ゼロと相談して、お前のために最高の装備を残した。あとはお前たちで何とかしろ。お前なら出来る。なんたって俺の子孫だからな。頑張れよ!」  メッセージは、ジンのエールで終わっていた。シド=ジルはフレア=キュアと顔を見合わせた。 「こいつは参ったな。最高の贈り物だ」 「これでもう、負けるわけにはいかないわね」  早速、フレア=キュアは賢者の石を試してみた。ゲヘネストの英知の総てが、彼女の脳に流れ込む。その圧倒的な知識にめまいを覚えた。ゲヘナパレの科学力は異常に偏った物だった。聖霊から会得した物だけに、パレル世界のエネルギー場を前提とした物が多く、肝心の根本的な原理・理論は曖昧だった。フレアは2007年の科学知識と照らし合わせ、その欠落した部分に仮説を立てながら、残された知識を理解しようとした。 「これの理解は、なかなか骨が折れるわね。メロディー、あなたはこっちの石だけ使いなさい。このフロートシップを操縦できるわ。パパはこっちの石。ゲヘナパレの歴史が記されてるわ」  フレア=キュアは、賢者の石システムのメモリーバンクにあたる透明な石板をふたりに渡した。 「時空のアギトの解除方法も分かったわ。これでコリスも解放される。時間が惜しいわ。直ぐにガガダダを出発しましょ」  これでガガダダ探索の目的は達成された。エルリムを倒す方法は見つかっていないが、聖霊への対抗手段は手に入った。ケムエル神殿では、首を長くして3人の帰りを待っているはずだ。メロディーはフロートシップを起動させると、コリスの待つゲヘナの塔へ向かった。 ■18■ 繭塚  ゲヘナの塔からコリスを救出したことで、帰路の問題は一気に解決した。彼は、聖霊やナギ人が使う専用の転送回廊『ナギの路』を扱えるのだ。300年前、回廊封鎖されていたガガダダにシゼとふたり来ることが出来たのも、ナギの路を使ったからであった。  フロートシップやフロートバイクには自立転送移動能力があり、対となる転送先の装置は必要としない。だが、転送先の座標を特定するためには、各転送装置間で共有されている転送ネットワークに機体を認識させ、転送座標を入手する必要があった。地図のないこの世界では、いくら緯度経度が分かっていても、そもそも絶対座標が通用しないのだ。フロートシップには、24本の仮設ビーコンが搭載されていた。仮設ビーコンは、登山のハーケンのように転送座標を簡単に増設できる装置で、それ自体に転送能力は無いが、自立転送が可能なフロートシップやフロートバイクの移動目標として転送網を拡張することが出来た。  ナギの路が使えるコリスと合流したことで、彼にフロートバイクで仮設ビーコンを向こう側のコロニーに設置してもらえば、メロディー達を乗せたフロートシップは、簡単にコロニー間をジャンプすることが出来るのだ。  帰りのルートは、バスバルス経由ではなく、ナギの隠れ里を経由することとなった。 「里が人に襲われたとは考えにくい。それに、シゼが率いる八熱衆というのが気にかかる。ナギの里は既に滅んでいるはずだが、行けば何か分かるかもしれない」  ケムエル神殿へは急ぎたいが、聖霊への対抗手段を準備するのにも時間はいる。それにシド=ジルにとっても、ナギの里は興味深い。一行はコリスの帰還ルートを受け入れることにした。  コリスのナビを受けながら、メロディーはガガダダを発進した。フロートシップは、コロニーのエネルギー場がある限り、陸も海もお構いなしの乗り物であった。数十メートル浮上することができ、森の上を、まるで緑の海原を走るように進むことができた。操縦方法を熟知したメロディーは、意気揚々とナギの路を目指した。  一方その間、シド=ジルとフレア=キュアは、賢者の石により獲得した知識の解析に専念した。真実の歴史と想像を絶する科学力に触れたふたりの表情は、徐々に険しくなっていった。 「うへ〜! あっつ──い! どこよ、ここ?」  最初の転送移動を果たすと、メロディーはあまりの暑さに驚いた。体感気温が10℃以上も上昇している。 「おそらくここは赤道付近だな。おまけにだいぶ東に移動したようだ」  キャビンから出てきたシド=ジルは、早くも手際よく現在位置の観測を始めていた。フロートシップのバイクデッキでは、仮設ビーコン設置のため先行したコリスが戻り、フロートバイクを格納している。 「パレル世界で、赤道直下らしき土地の話は聞いたことが無い。間違いなくここは、パレル世界の外にあるコロニーの一つだ。日もだいぶ傾いてしまった。今日は無理をせず、ここで野営しよう」  翌朝、メロディーは、バナナの葉っぱで作った帽子を被りながら、ジャングルの緑の海原にフロートシップを走らせた。しばらく進むと、左手の山の合間に、丸く白いドームのような地形が見えた。 「何だろ、あれ?」  小さな岩山ほどの大きさがあるが、妙に滑らかな形をしている。まるで山の間に巨大な白いクリームを盛ったみたいだ。メロディーは気になったが、寄り道するには少々遠回りすぎる。コリスに尋ねたかったが、あいにくキャビンで休んでいる。メロディーはとりあえず先を急ぐことにした。フロートシップは、更に2つのコロニーを渡った。その間もメロディーは、たびたび同じ白い地形を目にしていた。どうやらあれは、パレル世界の外の未開コロニーでは、よく見られるものらしい。  途中、休憩のためフロートシップを草原に停めると、ずっと工作室に詰めていたフレア=キュアが、少しやつれた顔で出てきた。彼女は不眠不休でゲヘナの業を研究し、対聖霊用にメロディーの憑魔甲を改造していたのだ。 「何とか形になったわ。材料も足りないから、ゲヘナパレの魔操具のようにはいかないけど、これならキキナク商会でも量産できるはず。メロディー、ちょっといらっしゃい」  フレア=キュアは、メロディーに新しい憑魔甲の使い方を教えた。早速、憑着を試してみる。体にかかる負担は、以前に比べかなり軽くなっていた。 「憑魔甲は元々ナギ人用に作られた物だったから。魔攻衆でも楽に扱えるように改造したのよ」  メロディーは、いっぺんに聖魔8体を装備してみた。多少の負荷はかかるが、扱えないほどではない。しかも、8体フル装備した姿は、ゼロで起きたような聖魔獣ではなく、洗練された戦士の姿を維持していた。 「ほう。これは凄いな」 「コリス。ちょっと相手をしてもらえる? 未調整でパワーの加減が効かないから、まともに攻撃を食らわないよう十分注意してね」  メロディーと手合わせしているだけに、コリスはフレア=キュアの忠告を真に受けなかった。だが、それが間違いであったことを、直ぐに思い知らされた。パワーもスピードも、コリスの繭使いの技を遙かに圧倒していた。パワーバランスが悪いため、攻撃が大味で切れに欠け、何とか直撃は避けられる。だが、もしこれで切れも備わったとしたら。コリスは背筋が寒くなった。 「ママ。例の対聖霊用の武器は?」  模擬戦とはいえ、激しく閃光を散らすふたりを見ながら、シド=ジルはフレア=キュアに尋ねた。彼女はニッコリと微笑んで答えた。 「そろそろ使うわよ」  コリスの放った火球がメロディーを捉える。だが、それは残像だった。メロディーは一瞬にして攻撃を避けると、新憑魔甲を構えた。 「メタルゾーン!」  突然、周囲が凍結するように結晶化していく。金属のような光沢が広がり、青竜姿のコリスまでもが結晶化する。 「こっ、これはメタル化かっ!?」  コリスは一切の魔法が使えなくなってしまった。しかも、体の動きは本来のメタル化とは逆に酷く鈍い。 「クッ!」  一瞬にして間合いを詰めたメロディーが、自由に動けぬコリスに鋭いパンチを浴びせた。 「グワーッ!」  体が思い切り吹き飛ばされる。繭使いの術が解け、勝敗は決した。新憑魔甲を装備したメロディーの圧勝であった。  メタル化とは、聖魔に極めてまれに発生する突然変異で、繭使いや魔攻衆の間でもその存在は知られているが、実際にメタル化した聖魔を目にすることは極めて難しいレアな現象であった。そしてメタル化した聖魔には、耐久力を犠牲に素早さが増し、自他共に魔法を一切無力化してしまう特徴があった。  ゲヘナパレの錬金術師たちは、聖魔大戦の中、聖魔についての研究を重ね、このメタル化現象に着目したのだった。そしてメタル化を人為的に引き起こすことにより、聖魔や聖霊の能力を無力化し、ついには聖霊を全滅させたのである。 「まさか、こんな技術があったとは……」  コリスは打ち付けた腰をさすりながら驚いた。メタルゾーンは、効果が3分間しか続かず、かつ、大量のエネルギーを消費する。そのため、憑魔甲にエネルギーをチャージする必要から、一度使用するとしばらくは使えない。だがそれでも、極めて有効な武器となることは間違いなかった。 「これで聖霊も怖くないわね。エルリムだって、楽勝じゃない?」  メロディーは上機嫌でフレア=キュアに尋ねた。だが、彼女は逆に暗い表情を見せた。 「逆よ。むしろ、余計エルリムを倒すことが難しくなったわ」  フレア=キュアは、ゲヘナの業の解析から導き出された真実について語り始めた。  コロニーという閉鎖空間は、2つの技術により成り立っていた。一つは既に推論したエネルギー場の存在である。そしてもう一つは、この空間がナノモジュールによって満たされているという結論だった。  ナノモジュールとは、原子レベルで組み上げられた機能モジュール群で、多様な組み合わせによって、まるで魔法のように様々な現象を実現してしまう神の領域の文明技術である。地中や大気、そしてこの世界に住む住人の体内までも満たしており、繭使いや魔攻衆の術も、その根本原理は、経験則に基づくナノモジュールの無意識活用の産物であった。  また、エネルギー場の発生源についても、地中に巨大な装置が埋まっているわけでは無かった。エネルギーの発生源は、ナノモジュールによって構築された微細な発生システムの集合体で、地中に無数に存在し並列化することで、エネルギー空間を構築しているのだった。  そして聖魔自体もナノモジュールで作られた一種の人工生命体で、パレル世界の人々に起きるワールド・エンドの幻覚反応もまた、体内にあるナノモジュールが引き起こしている現象だった。 「メタル化は、ナノモジュールが機能不全を誘発する状態になって結晶化した、一種のバグみたいなものなの。でも結局、憑魔陣もメタルゾーンも、エネルギー場とナノモジュール空間の恩恵の上に成立している技術。要するにわたしたちは、完全にエルリムの手のひらの上にいる存在なのよ」  メロディーは唖然とした。 「だけど、エルリムはもうすぐ倒せるはずでしょ?!」 「本当にそうならいいんだけど……」  フレア=キュアは、エルリムが倒せない可能性があることに気付いていた。だが彼女は、その考えの恐ろしさから、そのことは口に出来なかった。 「わたしには何のことかよく分からないが、とにかく今は、ケムエル神殿を目指すしかあるまい」  コリスは、深刻な表情を浮かべるメロディー達を励ました。  日が傾きだした頃、いよいよナギの隠れ里があるコロニーに入った。すぐに前方に、白いドーム状の地形が見えた。今回は、操縦席のそばにシド=ジルもコリスもいた。シド=ジルがあれを目にするのは、今回が初めてだった。 「コリス、あれは何だい?」 「ああ、あれはケムエルの繭塚と呼ばれている。メロディー、迂回するルートを取ってくれ」 「ケムエルの繭塚!?」  メロディーとシド=ジルは、思わず聞き返した。賢者の石にもジルの記録にも、そんな物は存在しない。 「いったいどんな物なんだい? 丁度進行方向だ。寄ってみよう」  シド=ジルの提案に、コリスは青ざめて叫んだ。 「バカを言うな! ケムエルの繭塚は、ナギ人でも近づく事が出来ない禁忌の場所だぞ!」  ケムエルの繭塚は、ナギ人誕生の頃からエルリムと契約された不可侵の場所で、その実態はおろか、近づくことさえ出来ないという。 「メロディー。フロートシップを停めろ。停めるんだ!」  白いドームが迫ってくる。コリスの表情がこわばり、汗がにじむ。  メロディーはフロートシップを転進させドームから充分遠ざけると、原っぱに停止させた。コリスは脂汗を流し、大きく肩で息をしていた。 「なるほど。ワールド・エンドと同じ仕掛けか……」 「ねえ。ジルは何ともないの?」 「ああ。ボクは何も感じないよ。僕等のいるコロニーじゃ、あんな物は無いからね。そもそも警告対象になっていないんだろう。あれが未開コロニー特有の物だとすると、何かこの世界の謎を解くヒントがあるかもしれないぞ」  フレア=キュアは工作室で新憑魔甲の量産に着手している。シド=ジルはフレア=キュアに留守番を頼むと、メロディーと共にフロートバイクを駆り、ケムエルの繭塚調査に向かった。  ふたりは白い崖の前でフロートバイクを降りた。 「これは石というよりは卵の殻だな……」  シド=ジルに促され、メロディーは愛用の鉈を取り出した。耳を当て、柄の部分で表面を叩いてみる。音が軽い。強度もそれほど無さそうだ。鉈の刃を軽く突き立ててみる。サクッとあっさり刺さった。欠片を剥がすと、シド=ジルに手渡した。表面こそならされているが、中は気泡だらけのスカスカだ。 「随分脆いな。それに軽い。自重でよく潰れないもんだ」 「ねえ、パパ。もしかしたら、中は空洞なんじゃない?」  メロディーは憑魔陣を装備すると、まるで角砂糖でも削るように横穴を掘った。4,5メートルも掘っただろうか。突然、ボコッと穴が空いた。中は暗くてよく見えない。穴を充分に広げ、シド=ジルがフロートバイクを乗り入れる。ヘッドライトを点けると、中の光景が浮かび上がった。 「何だ、これは?」  シド=ジルはフロートバイクから降りると、唖然としながら頭上にそびえる異様な構造物を見上げた。メロディーの予想通り、白い外壁の中は巨大な空洞になっていた。そしてその中には、何層にも重なった棚状の構造物がそびえていた。1段毎の隙間は3メートルほどあり、まるで外壁のないビルのようだ。だがその材質は岩か土のような物質で、明らかに人が作った物ではない。 「まるで、スズメバチの巣の中みたいだ」 「いったい、何なのここ?」  首の後ろがチリチリする。不気味な感覚を覚えたメロディーは、用心のためヘブンズバードの憑着を解かずに構造物に近づいた。ホタル石のランタンを手にしながら、1段目の棚に登ってみる。棚の床には、2メートルほどの細長い窪みが延々と続いていた。どれも蜜のようなもので満たされている。 「どうも嫌な予感がするぞ……」 「パパ! これ見て!」  メロディーが、窪みの中を覗いて叫んだ。琥珀色の透明な物質の中には、人間が入っていた。男、女、老人に子供。総ての窪みに人間が眠っている。満たされている物質は半固形化しており、相当長い年月が経っているようだ。ランタンを近付け、中に眠る人間を観察する。 「もしかして、ガガダダから連れ去られた人じゃない?」 「いや、違うな……。メロディー、もっと上の棚も見てみよう」  メロディーはシド=ジルを抱えると、背中の翼を操りゆっくりと上昇した。どの棚も同じ光景が続いている。100メートル以上あがっただろうか。途中の棚に降りてみる。やはりそこでも、光景は全く同じだった。人間が眠っている窪みが闇の奥へと続いている。シド=ジルは何かを確信すると、眠っている人間を指さした。 「この人達の肌の色や顔の特徴を見てごらん。この人達は、元々この地方に住んでいた人達だよ」  メロディーはシド=ジルの言葉に戸惑った。 「え? でも、未開のコロニーには、人は住んでいないって……」  シド=ジルは、歴史の真実と目の前の現実から、一つの結論を導き出していた。 「コロニーの中だけじゃない。この人達は、バニシング・ジェネシス以前にこの地方に住んでいた人間だ。服を見てごらん。このパレル世界よりも明らかに昔の物だ。おそらく紀元前500年頃の人間だろう」  これまでのコロニー座標の測量結果から、シド=ジルは惑星パレル全土のコロニー数を、300前後と推測した。そして各コロニーには、バニシング・ジェネシス以前にその周辺地域に住んでいた人間が集められていると考察したのである。 「この繭塚で、おそらく1万人近い人々が眠っているだろう。バニシング・ジェネシス直前のパレルの人口は、700万人程度と言われているから、こういう繭塚が総ての未開コロニーに存在しているなら、人間が見あたらないのも説明がつく。ゲヘナパレやケムエル神殿町の人間は、きっと繭塚から目覚めた人々だ。だから向こうのコロニーには、繭塚が残っていないんだ」  ゲヘナパレの歴史の記述に、帝国の版図拡大に関する記述がある。その多くは、敵対する小都市を併呑していったものだが、帝国の政治が安定し始めた中期になると、未知の土地が帝国に組み入れられたという記録がいくつか残っていた。ある日、聖霊が新しい土地の人々を導き、ゲヘナパレに組み入れたというのだ。シド=ジルは、それが未開コロニーだったと結論づけたのである。 「この人達を見てごらん。今にも起き出しそうだ。おそらくこの人達は、ここで常温冬眠させられているんだろう。そしてガガダダやバスバルスの人間は、先に目覚めさせられた人間というわけだ」  これまで人類は、エルリムによって三度歴史をリセットされている。まさにエルリムは、コロニーを実験国家として、人間に理想郷作りを課してきたのだ。だが、状況は解釈できても、肝心の根本的な謎が解かれていない。 「でも何故? どうしてバニシング・ジェネシス以前の人間を集めて、コロニーの繭塚で眠らせる必要があったわけ?」  釈然としないメロディーに返せる答えは無い。シド=ジルは肩をすくめた。 「そこまでは分からないよ。エルリムの気まぐれか……そもそもエルリムとは何なのか……。お前も分かっていると思うが、そもそも実体としての神なんて存在しない。森の神エルリムが実体として存在しているなら、それは神を語る何かだ。そいつを突き止めないことには、倒しようも無いがね」  その時、メロディーの背後の柱が動いたような気がした。ランタンを掲げると、シド=ジルの顔から血の気が引いた。 「ギギギ、カカカカ……」  柱に見えたのは、滅びの蟲オニブブの体であった。オニブブがゆっくり体の向きを変え、メロディーの方を見た。顔はアリかカミキリ虫のようで横開きのフォークのような牙を持ち、体は鋭角な作りでツノゼミのような三角に尖った外骨格を持っている。その大きな背中の突起を天井にぶつけぬよう体を畳みながら、巨大な爪と足を器用に使い、棚の隙間を這っている。  メロディーは思わず身構えようとした。だがそれをシド=ジルが止めた。 「待て、メロディー! 刺激するな! オニブブは群れで行動する。恐らく仲間がいるはず……」  周囲を照らして驚いた。そこかしこにオニブブがうずくまっている。次々とこちらに気づき動き始める。 「とにかく、慌てず、ゆっくりこっちに来るんだ!」 「そんなこと言ったって!」  窪みのあぜ道を伝い、少しずつシド=ジルの方へ移動する。だが、オニブブの動きは、予想以上に速かった。大きな顔がメロディーに迫る。聖魔と違い、蟲であるオニブブにはメタルゾーンも通用しない。 「え〜! どうすればいいの!?」  鼻先に付いた触角がピクピクと振られ、メロディーの体を調べ始める。一気に飛んで逃げたいところだが、オニブブに囲まれる中、シド=ジルを連れて脱出するのは極めて難しい。メロディーがどうすることも出来ずにいると、オニブブの触角がメロディーの右手に近づいた。一瞬反応が止まり、詳しく右手を調べ始める。 「カカカ、ココ……」  メロディーの顔をジッと見たかと思うと、突然オニブブはメロディーへの関心が無くなったかのように向きを変え、再びうずくまって動かなくなってしまった。他のオニブブ達も、何事もなかったように動きを止めた。 「帰っても……いいのかな……?」  オニブブの反応に戸惑うメロディーに、シド=ジルが静かに駆け寄った。 「この隙に、ここを出るぞ!」  ふたりは音を立てずに棚の縁まで下がると、メロディーの翼をつかって静かに棚から飛び降りた。 「パパ、見て! 出口が!」  メロディーが開けた穴に、数匹のオニブブが集まり、穴を塞いでいる。 「見ろ。バイクは無事だ」  メロディーはオニブブを刺激せぬよう、フロートバイクのそばに木の葉のように着陸した。シド=ジルはメロディーをバイクの後ろに乗せると、外に置いてあるバイク位置を転送先に指定し、静かにフロートバイクを発進させた。  殻の外に転移する。バイクを止め、息を殺して様子を伺う。殻の外にはオニブブはいなかった。メロディーが開けた穴は、内側から完全に閉ざされようとしていた。 「やれやれ。どうやら追ってこないようだな。まさかこれが、オニブブが作った物だったとはな。あの様子なら、数百匹はいたはずだ。追っ手が掛かったら、ひとたまりも無かったろうよ」  シド=ジルは上空や周辺を見回し安全を確認すると、大きく安堵のため息を吐いた。 「しかし、来て良かった。これでバニシング・ジェネシス以前とこの世界の繋がりが見えてきた。それともう一つ。ここがエルリムの繭塚ではなく、ケムエルの繭塚と呼ばれていること。うかつだったよ。竜神ケムエルについては、エルリムの使い魔程度にしか考えて来なかったが、もしかするとエルリムとケムエルという2大神なのかもしれない。とにかく、戻って状況を整理しよう」  メロディーは憑魔陣を解除すると自分のバイクに跨った。ハンドルに手をかけると、ふとさっきのオニブブの反応が気になり、自分の右手を見た。手の甲にはゼロとお揃いのアザがある。 『このアザのせい? ……まさかね』  メロディーは、そのアザが『ケムエルの紋章』と呼ばれることをまだ知らない。ふたりはフロートバイクの転送座標をフロートシップに合わせると、ケムエルの繭塚から帰還した。 ■19■ エルリム降臨  緑にむせぶウバン沼を抜け更に分け入った最深部に、それは静かに威厳を放ちそびえていた。辺りの草原は枯れ、赤土の剥き出した地面には、葉の落ちた無数の太い枝が這っている。岸壁のような巨大な幹が天へと伸び、空を支える太い根を千姿万態に這わせている。逆さまの巨大樹、すなわち、森の神エルリムの依り代、御神木バオバオである。  御神木のふもとの石舞台に、エルリムの従者・聖霊アラボスがひれ伏している。森の神エルリムがついに最後の瞑想から目覚めたのだ。大地を貫く枝々がざわめき、荒野に砂塵が舞い上がる。アラボスの頭上、幹に巨大なこぶが盛り上がり、テラスへと変わった。無数の繊維が波のように踊り、幹の奥へと開いていく。光が溢れ、純白に輝くうろが現れる。その中央に、ひとりの女性が静かに横たわっていた。外見は四十歳ほどの女性の姿だが、どれほどの歳月を生き抜いてきたのか計ることは叶わない。瑞々しさこそ失い掛けているが、威厳と妖艶さを湛えた高雅な美女である。彼女こそが、このパレル世界を生み出した根源、森の神エルリムその姿であった。  エルリムは、気だるそうに立ち上がると、ゆっくりと光のうろから歩み出た。テラスから額をこすりかしずく聖霊アラボスを見下ろすと、彼に向けて右手をかざした。アラボスは、彼女の瞑想中に起きた出来事総ての記憶を差し出した。エルリムは力強い通る声でアラボスに告げた。 「分かっています。シャマインのこと、人間は侮れぬということです」  既に総てのリオーブが、力を蓄え終えている。アラボスは僅かに顔を上げると、当然命ぜられるであろう帰還の命を無言で待った。 「森は……還します」  エルリムの決定がアラボスの脳へと流れ込む。アラボスは、その命令に驚いた。 「まだ終わってはおらぬ。『彼の者』の心、折れぬ限り……。だが、それもこれが最後となるでしょう」  エルリムは、決意みなぎる瞳で、聖魔の森を見渡した。  * * *  ナギの隠れ里入りは明朝とし、シド=ジルはバニシング・ジェネシスの謎への仮説をまとめ上げ、メロディーとフレア=キュアに語って聞かせた。  惑星パレルの歴史の空白期間『バニシング・ジェネシス』。紀元前500年頃からパレル歴1000年頃までのおよそ1500年間、この星に何が起きていたのか、一切の歴史的記録が残されていない。バニシング・ジェネシスを研究する考古学者シドとその一家は、まさにこの空白期間最後の年へとタイムスリップし、歴史の真実を知ることとなった。  紀元前500年頃、忽然と現れた森の神エルリムは、ナノモジュールの技術を使い惑星パレル全土に300近い閉鎖空間『コロニー』を作りだした。そして夥しい数の滅びの蟲オニブブを放ち、パレル全土に住む人類700万人総てを眠らせ、コロニーに作ったケムエルの繭塚に収容した。  その後、エルリムの依り代・御神木バオバオのあるコロニーを拠点に、エルリムは下僕である聖霊たちに命じ、幾つかの近辺コロニーに眠る人間を目覚めさせた。聖霊の監視の元、目覚めた人類は初期の国家を築く。だが、その内容に不満を持ったエルリムは、オニブブを使いその国を滅ぼしてしまった。人類を目覚めからやり直させ、再び国作りをさせる。だが、2度目の創世も長くは続かず、3度目もまた滅びを迎えた。  そして4度目の創世。紀元前112年、ガガダダに生まれた都市国家がその版図を拡大。ついにゲヘナパレ帝国を建国しパレル歴が制定される。ゲヘナパレは順調に繁栄を続けた。聖霊から数々の知識を引き出すことにより、部分的には2007年の世界を遙かに凌駕する超文明国家を築き上げた。  だが、帝国の栄華にもやがて終末が訪れる。過剰な繁栄は文化の退廃を呼び、王室はもとより帝国全土を蝕んでいった。表向きそれは、エルリムの不興を買うには充分な変質であった。エルリムの代弁者であるナギ人との確執も、悪化の一途を辿っていた。  一方その陰で、帝国を支える錬金術師たちは、このパレル世界がエルリムの鳥かごに過ぎないことに気付き始めていた。飛行型造魔の開発は空が有限であることを教え、ワールド・エンドの研究はこの世界を満たすエルリムの力を思い知らせた。錬金術師たちはエルリムからの自立を夢見ながら、空高くそびえるゲヘナの塔を築いた。  だがそれをエルリムは許さなかった。錬金術師に過度に知恵を与えた聖霊マモンを森人に変え、アルカナの悲劇をきっかけに、ゲヘナパレの粛清が始まった。聖魔大戦の勃発である。錬金術師たちは、勝ち目のない戦いを不屈の闘志で戦い抜き、ついには聖霊を滅ぼし、聖霊の揺りかごをも破壊した。聖霊を生み出せなくなったエルリムは、最後の手段として破滅の蟲ヨブロブと滅びの蟲オニブブを繰り出し、帝都ガガダダを破壊し封印した。 「こうして、パレル歴389年、ゲヘナパレ帝国は滅亡した。今、ゼロが行っている時代だ。だが不思議なことに、ゲヘナパレはオニブブによって滅んだが、パレル世界総てが4度目の眠りを迎えたわけではなかった」  シド=ジルは話を続けた。  聖霊の揺りかごを破壊されたエルリムは、ケムエル神殿にあるクマーリとカヤ、2つの結界の奥へと退いた。そしてゲヘナパレ錬金術師の最後の切り札であるゲヘナの結界によって、残された聖魔の森も封印された。だが、錬金術師たちもほとんどが戦死し、もはや帝国を再建する力は無かった。僅かに生き残ったゲヘネストたちは、帝国滅亡後の不毛な争乱を防ぐため、各地の町や村へと散っていった。  文明は一気に後退し、時折ゲヘナの結界のほころびから溢れた聖魔が村々を襲った。そして、錬金術師に代わり人里を守ったのが、繭使いとナギの女たちだった。聖霊の血族でもあるナギの女たちは、呪いの刻印に体を蝕まれ、人々の迫害を受けながらも、夫である繭使いと共に人里を聖魔から守り続けた。  そしてパレル歴700年頃、パレルの獅子と謡われたサイラス村の繭使いリケッツと、父の跡を継いだ繭使いレバントの活躍により、ついに総ての聖魔の森が、ケムエル神殿の結界の向こう、時空の狭間へと封印された。集結の時を迎え、エルリムの軛から解放されたナギ人たちは、その呪われた血の歴史に終止符を打つこととなり、人々の知らない未踏のコロニーに隠れ里を作り、静かに終末を迎えることとなった。  一方、竜神ケムエルの力により不死となったレバントは、ケムエル神殿に残り、再び人間に危害が及ぶことの無いよう、時空の狭間を漂う聖魔の森を監視した。封印されながらも、聖魔の力は徐々に強くなっていった。危機感を募らせたレバントは鳥人キキナクと協力し、繭使いに代わり聖魔を狩る戦士たち『魔攻衆』を創設した。以来、約300年、今度は魔攻衆が聖魔の脅威の盾となった。だが聖魔の森にも、より強力な敵『カルマ』が現れた。そしてついにはレバントが命を落とし、若いカフーやバニラが彼の意志を受け継いだのである。  だが、聖魔の森は衰えるどころか、更に牙を剥きだした。カルマはより高等なメガカルマへと進化し、聖魔も浄化が困難な種へと進化していった。この結果、旧種聖魔に頼る魔攻衆は、徐々に後退を余儀なくされた。そしてついに、メガカルマたちを統べる新世代の聖霊が登場した。森の神エルリムは、時空の狭間の奥深くで力を蓄え、失われた下僕たちの新生を図っていたのだ。七聖霊の一人、マテイの策略により、魔攻衆はその半数が戦死する甚大な被害を被り、聖魔の森から駆逐されてしまった。エルリムは、いよいよ時空の狭間からパレルの大地への帰還を実行に移そうとしているのである。  そしてこのパレル歴999年、バニシング・ジェネシスの最晩年に、エルリムも聖魔も存在しない2007年の未来から、シド一家が何者かの力によって召還された。 「そういえば、竜神ケムエルのことは?」  メロディーは、ケムエルの繭塚からの帰路でシド=ジルが口にした言葉を思い出した。 「竜神ケムエルは、もしかするとエルリムとは考えを異にする独立した存在なのかもしれない。ケムエルの名は、エルリムと一線を画すようなケースで度々使われている。言い伝えでは、御神木バオバオを守護する存在とも言われているが、それも見方によってはエルリムを監視する存在だとも受け取れる。それに、ケムエル神殿とレバント……」  ケムエル神殿のカヤとクマーリの門は、実質的に、聖魔の森を時空の狭間へ封印する結界になっている。そんなエルリムを隔離する存在が、なぜ竜神ケムエルの名を冠するのか。そして、かつてリケッツ・レバント親子が聖魔の森を時空の狭間へ封印したとき、竜神ケムエルはその力をレバントに与え、彼を不死に変えている。森を監視し、ついには森の破壊を企てたレバントを、ケムエルはなぜ不死にしたのか。これは明らかに、森の神エルリムに反抗する行動だと言える。 「ケムエルの繭塚に、オニブブが沢山いたことについても疑問が残る」  ゲヘナパレ帝国の崩壊では、帝都ガガダダこそ全滅させられたが、それ以外の都市ではオニブブによる損害は無かった。その後、繭使いの時代にも散発的にオニブブが人里を襲っているが、創世に返す規模にはほど遠い。現に、ホワイト・ヴァイスの時、神殿を突破し北の村々を襲ったオニブブの数も、繭塚一つにいる数よりも少なかった。 「だいたい、バニシング・ジェネシス以前の人間を集めたことを考えれば、コロニー内でしか生きられない聖魔と違い、オニブブはどこでも自由に飛び回ることが出来るはずだ。事実、ゲヘナパレの錬金術師たちも、オニブブには効果的な対抗手段を持ち得なかった。ナノモジュールとエネルギー場に依存していないため、メタルゾーンも効果が無かったんだ」 「それじゃあ、わざわざケムエル神殿を突破しなくても、繭塚から幾らでも飛んできて、みんなを眠らせることが出来るってこと?」  驚くメロディーに、シド=ジルは肩をすくめた。 「滅びの蟲オニブブは、本来は竜神ケムエルの配下にあるんだろう。そしてケムエルとエルリムの間には、何らかの確執が存在する。オニブブが散発的にしか襲ってこないのも、エルリムには自由に出来ないからじゃないかな」  突然、メロディーは笑顔で立ち上がった。 「だったら、竜神ケムエルを味方に付ければいいんじゃない! ケムエルならきっと、エルリムを倒す方法を知ってるわ!」  シド=ジルとフレア=キュアは一瞬呆気にとられ、愛しい娘の顔を見ながらクスクスと笑った。 「まったく、簡単に言ってくれるな」 「でも、この子なら案外やれそうじゃない、アナタ」  竜神ケムエルがどこにいるかも分からない。それにガガダダを襲ったもう一つの存在、破滅の蟲ヨブロブの正体も気に掛かる。更には、もっと切実な問題、2007年に帰る方法も探さねばならない。一家の前には、あまりにも多くの難問が立ちはだかっていた。  だが、この子たちなら、総てを解決してしまうかもしれない。ゲヘナパレ時代まで行ってしまったゼロも、もうすぐこっちに帰ってくる。シドとフレアは、どんな状況にもへこたれないふたりに、目を細めるのだった。  シド、フレア、ゼロ、メロディー。四人はまだ運命の糸の総てに気付いたわけではない。ゲヘナパレ帝国王室の生まれで、ゲヘネストの頂点に君臨した錬金術師工房長のジン。ジンの子孫でシドの意識が融合してしまった魔攻衆ジル。フレアの意識が融合した魔攻衆キュア。そしてキュアが身籠もっているジルの子供。彼らは総て、シド一家の祖先である。  更には、魔攻衆キュアは、かつてはケムエルの紋章を持つ新聖霊のプロトタイプで、魔攻衆カフーがかつてエルリムの使徒としてレバントと闘った時に、エルリムの力により人間になったのだった。その事を知っているのは、カフーだけである。  だが、かつてキュアも持っていたケムエルの紋章を、シドとフレアの子供、双子のゼロとメロディーが受け継いでいた。そして工房長ジンの親友であるナギ宗家の男ギアも、ケムエルの紋章を知っていた。  また、フレアの家系だけに伝わってきたパレルの子守歌は、キュアから受け継がれた歌であったが、その曲を、ナギ人ギアや、七聖霊のマハノンまでもが知っていた。  肉体を2007年に残してきたシドとフレア、体ごとタイムスリップしたゼロとメロディー。時空の狭間へ封印された聖魔の森は、帰還が目前に迫っている。ナギ宗家の生き残り・予言者シゼと八熱衆は、エルリムに取って代わるべく密かに機会を伺っている。パレル世界の外では700万人類の大半が、オニブブに監視されたまま未だに眠り続けている。ガガダダより聖霊に対抗する手段こそ持ち帰ったが、エルリムの手のひらから逃れる術はようとして知れない。そして新たに浮かんだ竜神ケムエルへの疑問。ケムエルの紋章は、ゼロとメロディーに何をさせようとしているのか。  バニシング・ジェネシスの最終局面、運命の歯車はシド一家を巻き込みながら、音を立てて動き始めていた。  * * *  パレル歴2007年、クイン大学キャンパス仮設ヘリポート。物理学教授ラングレイクは、シドとフレアが囚われている青い球体分析のための調査機材・物資を、政府への支援要請によってチャーターした軍用輸送ヘリに詰め込んでいた。 「よし。もう積み残しは無いな。それじゃ、出発するぞ!」 「ラング!」  その時、真っ黒に日焼けした初老の男が走ってきた。ラングレイクは慌てて彼を出迎えた。 「ケズラ先生! いつシドラ海調査から戻られたのですか」 「ああ、昨日な。それより、シドのことを聞いた。儂も連れてってくれんか」 「ええ、喜んで! どうぞ」  ラングレイクは、恩師でもある宇宙物理学者ケズラ名誉教授をヘリへと案内した。彼らを乗せた輸送ヘリが、エルリム樹海へ向けてフライトを開始した。  ケズラ教授は、まさにシド一家が999年へとタイムスリップした前の晩、ゼロが聞いていたラジオで偶然流れた海底クレーター調査に関するニュースに紹介されていた教授である。ケズラはこの数ヶ月、シドラ海海底のクレーター調査で大学を離れていた。  硬い軍用ヘリの椅子に膝を寄せて腰掛けながら、ラングレイクはシド発見時の資料をケズラに示した。 「この青白く光る球体については、正体は全く分かっていません。物体と言うよりは、4,5メートルの球状に切り取られた別空間のような感じでした。当然、触れることも出来ません。試しに棒を入れてみたら、まるでこちらの空間ごと切り取られたように、差し込んだ部分が消滅してしまいました」 「それで、君はシドたちがどうしてこうなったと考えるかね?」  ケズラは、ラングレイクの撮ってきた写真をジッと見つめながら、彼の仮説を聞いた。 「恐らくふたりは、この球体に入ったのではなく、何らかの理由によって青白い空間に包まれたのだと思います。呼びかけにも全く反応はありませんが、ふたりとも生きています。微かですが動きがあり、まるで深く眠っているみたいです」 「いつから、こんなことに?」 「遺留品の記録から、8月1日ごろと推測されます。既に2ヶ月近く経っている……」  ラングレイクは、苦しそうに視線を落とした。 「ということは、ふたりは一種の冬眠状態にあるということか……」 「それと、子供たちの行方が分かりません。今朝の連絡では、遺跡周辺には何の痕跡も見つかっていないそうです。球体に捕らわれているのはシドとフレアだけですし……」  ケズラは、ラングレイクを励ますように力強く告げた。 「いや。そう判断するのはまだ早いぞ。この球体が異空間なら、今見える外観が総てとは限らん。どこかへ繋がっている可能性も充分ある」 「なるほど……ふたりはその向こう側にいると……」 「とにかくまずは、この青白い球体の正体を調べることが先決じゃな」  眼下では既に集落もまばらになっている。機長のアナウンスが、到着まであと1時間と告げた。 「そう言えばケズラ先生、シドラ海調査の方はいかがでしたか?」  ラングレイクは、重々しい雰囲気を変えようと、ケズラの調査へと話題を振った。だが、その結果返ってきたケズラの説明は、思いも寄らぬ内容であった。 「これはまだ一部にしか公表しておらんのだが……あの海底クレーターを作った物は、おそらく、ただの隕石などではない」  ケズラの表情が、シドの話にも増して険しくなった。彼の話によると、シドラ海海底にある直径500キロの円状地形は、かつてよりクレーターではないかとの説はあったという。ただ、一般的なクレーターと比べ異常に平坦で、形状からはクレーターと断定することが出来なかった。 「隕石落下の衝突モデルが通用しないんじゃ。まるで直径数十キロもある円盤状の物体でも墜ちたかのように、広範囲にエネルギーがかかっとる」  ケズラは手のひらを隕石に見立ててその様子を説明した。 「しかも衝突に要した時間が異常に長い。丁度、巨大なクッションに受け止められるように落下したらしい。少なくとも何か衝突を和らげる力が働いたのは確かじゃろう。そういう衝突シミュレーションでないと、あの形状のクレーターは出来ん」  ラングレイクは、ケズラの話が信じられず、疑問を口にした。 「それは海底海流か何か、長い年月の浸食でそうなったのではありませんか?」  ケズラは、良い質問だと言わんばかりに、ラングレイクの目を覗き込んだ。 「儂もそう思い、徹底的に年代測定を行った。そして、その結果出た答えは、約2700年前。僅か紀元前700年の出来事と分かったんじゃよ!」  ラングレイクは、驚いて応えた。 「まさか! たった2700年前にそんな大衝突が? そんな記録はどこにも……あ、バニシング・ジェネシス!」  ケズラは大きく頷くと話を続けた。 「そういうことじゃ。その頃からの歴史的記録は、一切何も残っておらん。現在、地質学のフェールズ君にも大衝突の痕跡が無いか調査を頼んだところじゃが、そもそもこの話、シドのバニシング・ジェネシス研究と大いに関わりがありそうな気がしての〜」  ケズラは、そのシドが事件に巻き込まれていることに、ため息を吐いた。  ケズラの調査では、落下した隕石の質量は、最大で数十兆トンもあったと試算されている。それが猛烈な勢いで減速しながら落下したという。それでも落下物の中心部分は、地殻深く数千メートルもめり込んでいる。 「それだけの大衝突なら、極めて深刻な天変地異を引き起こしたはずだ。それこそ、ほとんどの生命が死に絶えるような大絶滅が起きても不思議じゃない。しかし、そんな痕跡はどこにも……」  ラングレイクには訳が分からなかった。ケズラもそうだと言わんばかりに頷いている。 「こんな分析結果は、とてもじゃないが公にできん。だが、データは確実にそれを物語っている。紀元前700年にいったい何が起きたのか。もしかすると、儂らはとんでもない物を見つけちまったのかもしれん」  シドたちを包む謎の光。バニシング・ジェネシス直前に起きた大衝突。ラングレイクとケズラは、偶然重なった二つの事件に、言い得ぬ息苦しさを覚えた。しかし、そう感じるのはまだ早すぎた。ふたりが向かうエルリム樹海には、三つ目の事件が待っていたのだった。  ヘリが遺跡上空に到着した。ラングレイクは眼下の様子に驚いた。シドたちのキャンプ脇の河川敷には、強化プラスチック板を並べて作った仮設ヘリポートが4機分も整備され、その一つには小型の最新鋭VTOL連絡機が着陸している。周辺の森にも数台の重機が入れられ、森林を伐採し整地が進められている。まるで、百人規模の駐留キャンプを作る勢いだ。勿論、作業を進めているのは大学のメンバーではない。彼らは政府への応援要請によって派遣された陸軍部隊である。 「応援が多いのはいいが……こいつは、ちと大がかり過ぎやせんか?」  ケズラとラングレイクは、思わず顔を見合わせた。  ラングレイクたち大学スタッフは、ヘリから機材を降ろすと、兵士たちの力を借りて直ちに遺跡へと向かった。地下入り口には歩哨が立ち、内部にも照明が入れられている。神殿遺跡に入り、シドたちの待つ部屋へと向かう。ラングレイクたちが中にはいると、見知らぬ男が青白い球体を見上げながら立っていた。 「ようこそ。お待ちしてましたよ、ラングレイク教授、ケズラ教授」  男はふたりに気付くと、笑顔で近づき握手を求めた。歳はシドやラングレイクと同じぐらいだろう。浅黒い爽やかな表情と、スラリと引き締まった体をしている。革靴にダークスーツ。どう見ても発掘現場に似つかわしい姿ではない。 「初めまして。わたしは国家安全保障局・調査部学術顧問、サガと言います。ヘリの定時連絡でお二人がこちらに向かったと知りましてね。急ぎ駆けつけましたが、わたしの方が先に着いてしまったようだ」  サガは白い歯を見せ人当たりの良い笑顔で笑っている。ラングレイクは彼の所属に驚いた。 「国家安全保障局?」  確かにシド救出にあたっては、政府関係機関への応援要請を出している。青い光球を調べるには、クイン大学の力だけでは不可能だとも感じた。だが、なぜ国家安全保障局なのだ。ラングレイクは、急に不安になった。サガはそれを見透かすように説明した。 「安保局とはいっても、わたしは学術顧問です。教職にこそ就いていないが、あなた方と同じ研究者です。今回わたしが来たのは、シド教授が捕らわれているこの球体が、現在世界各地で起きているある現象と関連があるのではないかと睨んだからです」  サガは再び青白い光球を見上げた。 「こうして目の当たりにして確信を深めましたよ。こいつはブルーアイランドと何か関係がある」 「ブルーアイランド?」  サガはニッコリ微笑むと、壁際にあるテーブルへとふたりを誘った。  サガは数枚の写真を取り出すと、ふたりに示した。町外れや麦畑、工場の上空。どの写真にも、青白いモヤのような物が写っている。透明でぼんやりとした光の固まりで、まるで心霊写真のようだ。ラングレイクは、その薄い青白い光が、シドたちを包んでいる光に似ているような気がした。 「これはいったい何ですか?」  ラングレイクの問いかけに、サガは真剣な表情で話し始めた。 「これは、数週間前から世界各地で報告され始めている蜃気楼現象です。町中や山間部、農村上空や海岸線、昼夜を問わず突然浮かび上がっては掻き消すように消える。初めは青白い霧や林を見たという目撃情報だったんですが、それが各地で報告されだしたんです。中には、森を歩くモンスターを見たという証言までありました。情報を整理したところ、これらの目撃情報は直径数キロの範囲内に同時に発生している。つまり、これらの写真は、巨大な青白い幻影の一部を見た物だということが分かってきました」  ラングレイクは更に別の写真を示した。そこには丘を覆うように出現した巨大な青白い森が写っていた。 「こっちの遠景写真を見て下さい。木がうっそうと茂る島のように見えるでしょう。場所によって見える幻影は異なっているようですが、どれもこのような森林の一部を写し出した物だと分かりました。我々はこの巨大な森の幻影をブルーアイランドと呼んでいます。これが何なのかは、まだ分かっていません。無用な混乱を避けるため、今のところ各国ともその存在を認めず、情報を抑えながら調査を進めている段階です。しかし最近、このブルーアイランドが、頻繁にハッキリと見えだして来ました。マスコミもだんだん騒ぎ始めた。我々の調査も、急がねばならないというわけです」  サガは、ラングレイクが提出したシド救出に関する協力要請資料を示し話を続けた。 「そんなとき、偶然この光球の報告を聞きましてね。出現時期はブルーアイランドより1ヶ月ほど早いが、この光球が呼び水になったと見ることも出来る」  ラングレイクは一つの懸念を覚え質問した。 「まさか、そのブルーアイランドでも、空間の切断現象が起きているのですか?」  もしも全く同じなら大惨事になる。だがサガは、落ち着けと言わんばかりに微笑んだ。 「いえ、そこまでは一致しません。ブルーアイランドはあくまでも幻影で、触れることが出来ないだけです。ただ、これからもそうとは限らない。この光球は、ブルーアイランドに比べ、非常に強いエネルギーを感じる。もし総てがこれと同じになったら、その時は世界中が大パニックになるでしょう」  サガはシドたちを包む青白い光球に近付くと、それを背にするように振り向いて告げた。 「事態はもはやシド教授一家だけの問題ではありません。本件は国家安全保障局の管轄下に入ります。おふたりには機密保持と徹底的な調査をお願いします。政府も協力を惜しみません。必要な人員・物資・機材、何なりとおっしゃって下さい。事態は一刻を争います」  ラングレイク、ケズラ、サガの三人は、迫り来る得体の知れない危機に、背筋を凍らせるのだった。 ■20■ 森の帰還  翌朝、メロディーたちはナギの隠れ里に入った。300年を経て畑は雑草深く消え、轍を見分ける術もない。コリスはフロートシップ上部デッキの舳先に立ち、風景を記憶と照合しながらメロディーに進路を指示していた。 「変だな……朽ちたとはいっても、石垣ぐらいは残ると思うが……」  茂みの奥から、ようやく集落の跡が現れる。入り口を示す朽ちた門の外にフロートシップを停め、四人は徒歩で集落跡へと入っていった。辺りには、草木に埋もれるように小さな家の痕跡が、小山となって残っている。だが四人はすぐにその朽ち方が不自然なことに気づいた。メロディーは近くの住居跡に駆け寄ると、絡まる蔦や葉を鉈で剥がした。出てきたのは、真っ黒に焼け崩れた柱の跡だった。コリスとシド=ジルも、他の住居跡に駆け寄った。木と土で出来た建物は、皆ことごとく破壊され、無惨に焼け落ちている。 「これは只の火事じゃないな……」  シド=ジルの足下には、壊された土壁が散乱していた。振り返ると、コリスは更に決定的な物を見付けていた。背中が怒りでワナワナと震えている。 「シゼ!」  コリスの手には、破壊された造魔の破片が握られていた。もはや疑う余地は無い。ナギの隠れ里をシゼ本人が襲ったのだ。造魔の壊れ方から、繭使いたちが里を守り抵抗したことが見て取れる。突然、コリスは何かを思いだし、走り始めた。メロディーたちも慌てて彼の後を追った。 「リケッツ! フィオ!」  コリスは一軒の住居跡へと飛び込んだ。そこもやはり、天井が焼け落ち、深い草に埋もれていた。陶器の破片や焼け残った籐細工が散乱している。ここはレバントの両親、リケッツ、フィオ夫婦の家だ。コリスは、ささやかな住居の真ん中に、呆然と立ちつくした。 「コリス、これ見て!」  メロディーは、家の脇にある茂みの中に、白骨化した遺体を見付けた。手を合わせ、遺体を覆う草を払う。衣類と体格から、女性の遺体のようだ。背中を丸め、うずくまるように倒れている。 「フィオ……」  コリスは傍らにガックリと膝を折り涙を流した。それは、レバントの母、フィオの遺体だった。優しく物静かで美しい女性であった。 「アラ? 手に何か持ってる」  メロディーは、か細い白骨の指で大切に包まれた若葉色の石に気が付いた。それは、5,6センチの大きさの、玉を削って作られた像だった。メロディーは、その女性像をそっと取るとコリスに手渡した。コリスは涙を拭くことも忘れ、目を見開いてその像を見た。 「これは、人形(ひとがた)だ!」 「人形?」 「多分、レバントの妻マーブのためにフィオが作ったものだろう。ナギの聖魔術師は、人形に魂を残すことが出来る。まさか!」  その時、人形の表面が淡い光をまとい始めた。光が大きくなりながら近くの木陰に伸び、人の形を結んでいった。そこに、陽炎のようにフィオの姿が浮かび上がった。 「コリス……よくぞ無事で……。もはや、誰も訪ねぬものと諦めていました」  フィオの瞳に涙が浮かんでいる。コリスは人形を手にしたまま、フィオの前ににじり寄った。 「フィオ、これはシゼの仕業だな!」  フィオの魂は、悲しげに指を組み、ナギの隠れ里を襲った悲劇について語り始めた。 「あの日、突然シゼが造魔の群れを従え里に戻りました。そして、エルリムを倒し、パレルを手に入れる事を宣言すると、我らに決起を迫ったのです。族長ニ様が諫めようとなさいましたが、シゼはニ様を殺し、里を炎で包みました」  フィオは組んだ両手を広げた。光が溢れ、惨劇の映像が四人を包んだ。里を襲う造魔の群れ。燃え上がる家々。必死に抵抗する繭使いたち。シゼは幾人ものナギ人を捕らえ、従わぬ者はことごとく殺した。灰じんと化した里で、シゼはナギの男達に無理矢理黒繭を紡がせ不浄の聖魔を生み出し、彼らを異形の贄(にえ)へと変えていった。 「非道い! シゼはナギ人の宿命を憎んでたはずでしょ!」  メロディーは、その酸鼻を極める光景に涙が止まらなかった。コリスは抑えがたい怒りに全身を震わせながらフィオに尋ねた。 「リケッツはどうした! あいつがやられるはずがない!」  惨劇の映像が消えると、フィオはゆっくりと首を横に振った。 「あの人の行方は分かりません。他にも何人も連れ去られました」 「それじゃ、八熱衆の正体は!」  シド=ジルは怒り宿る瞳をコリスと合わせた。フィオの体を作る光が、徐々に薄れ始める。5年前、レバントを救おうとしたマーブの魂がそうであったように、人形を抜け出た魂は元には戻れず、新たな寄り代が無い限りそのまま消滅するほか無い。フィオはやすらかな笑みを浮かべると、最後の別れをコリスに告げた。 「待ち続けた甲斐がありました。コリス、頼みます。もしもあの人に出会うことがあれば、どうか救ってあげて……」  コリスはじっとフィオを見つめ、死を賭した誓いを立てた。 「ああ、約束する。我らナギの定めは、わたしが必ず終わらせる!」  フィオは、総てを託し安堵の笑みを浮かべると、優しい風と共に静かに天に昇った。メロディーは、ナギ人の背負ってきた重すぎる軛に、涙が止まらなかった。  四人は質素な墓を作り、人形と共にフィオの亡骸を弔った。 「出来ることなら他のみんなも弔いたいが、今はシゼを止めるのが先だ」  コリスはフィオとの別れを終えると、里を見渡しながら呟いた。 「それじゃ……ケムエル神殿に向かいましょうか」  フレア=キュアは、泣いているメロディーの肩を抱きながら、シド=ジルたちに語りかけた。シド=ジルは、コリスにもう一カ所だけ、調べる場所を提案した。 「念のため、族長の家も調べてみないか?」  コリスはシド=ジルの提案に頷くと、みんなを族長ニが住んでいた屋敷跡へと案内した。  * * *  それはまさにメロディーたちがナギの隠れ里へ到着した時刻に始まった。  グオ──ン!  ゴゴゴゴゴゴ!  シャンズが書類に目を通していると、突然猛烈な反響音と地響きがバスバルス市長執務室を揺らした。 「何だ!?」  慌てて外の様子を見た秘書官が、真っ青になって西の空を指さした。シャンズはテラスへ飛び出し、その光景に愕然とした。直径が軽く数キロはある青白い光の円盤が忽然と空中に現れ、渦を巻きながら唸りを上げてゆっくりと地上へ降りてくる。ここからは10キロは離れているが、ビリビリと圧力が伝わってくる。円盤の底は青白い光が渦を巻き、上部は青白い透明なドームになっている。そしてそのドームの中には、異形の草木が生い茂る聖魔の森が浮かんでいた。 「始まったか!!」  シャンズは唇を噛み、帰還を開始した森を為す術もなく睨んだ。  円盤の底が地上に接触する。青白い渦が、切れ味鋭いカミソリのように、木々を地面を削っていく。とうとう聖魔の森がパレルの大地へ帰ったのだ。シャンズは茫然自失の部下たちを一喝した。 「直ちに全市に戒厳令を発令しなさい! 現場付近の避難状況を再確認。偵察部隊は直ちに現地に急行し情報収集を。ただし、戦闘は絶対に避けるように。森帰還の情報を全市へ連絡。ゲヘネスト・ネットワークを総動員して各地の状況を確認しなさい。急いで!」  シャンズは矢継ぎ早に補佐官たちに指示を出した。市全域が直ちに戦時体制へと移行し、準備したシナリオの実行に入る。 「バスバルスは準備が整っているからまだマシだが……他の市は……」  シャンズは今まさに始まろうとしている600年ぶりの第2次聖魔大戦に、祖先のゲヘネスト以上の絶望感をいだくのだった。  数時間後、シャンズの元に次々と情報が集まってきた。唯一の救いだったのは、予想に反し、まだ聖魔の森が帰還していない地域も数多く残っていた事だった。森出現の報を受け、遅ればせながらそれらの地域でも住民避難が始まり、多くの命を救うことが出来た。だがそれでも、今後次々と森が帰還することは間違いない。バスバルス市長シャンズは、この僅かに出来たゆとりが少しでも役に立つことを祈るしかなかった。  時空の狭間にある聖魔の森は、既にリオーブのエネルギー充填を完了し、エルリムの命令一つでいつでも全島が帰還できる状態にあった。だが、今回実際にパレルの大地に帰還したのは、300以上ある島の内、まだ3割程度に過ぎなかった。ガガダダやメロディーたちがいるナギの隠れ里のコロニーでは、森は姿を現していない。そのためメロディーたちは、まだ森の帰還に気付いていなかった。  そしてもっとも深刻な問題は、人類唯一の希望であるケムエル神殿に聖魔の森が帰還したことだった。  * * *  ケムエル神殿玉座の間では、カフーが数人の魔攻衆と共に、森に入る準備をしていた。そこへ、魔攻衆の闘衣を着て戦闘準備を整えたサジバが現れた。 「サジバ! 君は今日は休むように言っただろう!」  カフーは慌てて彼を止めた。 「拙者なら心配無用。今、手を弛めるわけにはいくまい」  サジバは厳しい表情で答えた。だが、連日の出撃で、サジバの疲労はピークに達していた。  聖霊ラキア率いるメガカルマ第2軍の猛攻により、魔攻衆が支配する聖魔の森はもはや無くなり、主戦場はケムエル神殿に隣接する僅か3つの森にまで後退していた。 「これ以上、エルリムの自由にさせるわけには」  サジバが疲労を押し気勢を上げようとしたその時、ケムエル神殿を揺るがす轟音が響いた。外の様子を見た魔攻衆が、血の気を失い玉座の間に飛び込んできた。 「大変だ! 森が! 森の帰還が始まった!」  カフーとサジバは、急いでケムエル神殿の外に出た。神殿前の広場には、既にバニラを始め多くの魔攻衆が愕然としながら北の空を見上げていた。神殿町に住む総ての住民が外に出て、北の空に浮かぶ青白い光の渦を呆然と見上げている。  空には大小幾つもの森が出現していた。元々ケムエル神殿のある御神木の森は、パレル世界最大の聖魔の森があった場所である。そこへ、分割された島が次々と帰還を開始したのだ。一番近くに見える島までは1キロと離れていない。大地をえぐりながら、聖魔の森が着陸していく。 「ちくしょー! もうダメだ!」 「何を言ってる! 神殿には魔攻衆がいるじゃないか!」 「だけど、その魔攻衆も!」 「急いで避難を!」 「逃げるって、どこに逃げるんだよ!」  町中が騒然とし、パニックに陥る。 「みんな、落ち着いて!!」  バニラは民衆に向けて叫んだ。 「避難誘導をするから、今は戸外に出ずに避難の準備をして! キキナク! 商会で手はず通りに住民の誘導をしてちょうだい! 魔攻衆は直ちに戦闘準備!」  バニラ首座の一喝により、一斉に人々が動き始めた。魔攻衆たちも非番の者や怪我人までも応戦の準備に動き出した。 「バニラ! 儂は一足先に町の北側の防備を固める! お前たち、続け!」  ウーはいち早く新米魔攻衆の部隊を整え先行した。バニラたちも、急ぎ神殿に引き返した。途中、カフーはサジバに告げた。 「サジバ。君は部隊を再編して、いつでも出撃できるよう準備してくれ。ボクはクマーリ門の偵察に出る。現れた森も心配だが、裏をかかれて神殿を落とされたら、それこそ取り返しが付かない」 「心得た。おぬしも無茶はするな」  サジバはひとり分かれると、各隊へ指示するため闘技場に向かった。一方、玉座の間へ向かうバニラは、不安な表情を浮かべカフーの腕を掴んだ。 「結界の偵察ならわたしも!」  カフーは立ち止まりニッコリ微笑むと、バニラの両肩を優しく抱いた。 「首座の君までここを離れるわけにはいかないよ。みんなが君を頼りにしている……このボクも」 「カフー……」  ふたりはジッと見つめ合った。その瞳には、戦士としての絆以上の熱い思いが通っていた。  カフーとバニラが玉座の間に到着すると、突然何の前触れもなく、玉座が置かれていた場所に4つの光の裂け目が現れた。そして同じ光が、闘技場や神殿入り口など、更に4つ出現していた。眩しく光る裂け目から、漆黒のローブをまとった者たちが現れた。 「その姿……八熱衆!」  カフーは咄嗟にバニラをかばうように身構えた。カフーたちは魔攻衆に転身したサジバによって、予言者シが魔攻衆を捨て石にしている事実を知らされていた。光の裂け目が消えると、漆黒の者たちはローブの前を開き、深く被ったフードを外した。4人の内3人は、八熱衆のプロテクターを着ていた。3人とも胸板の厚い堂々たる体格をしており、その立ち姿だけからも相当な手練れであることが伺える。2人は仮面を着けており表情は読めない。残る1人は自信に満ちた顔で、カフーたちを見下すように眺めている。そして、3人の戦士に守られるように立つ最後の1人は、うって変わって小柄な少年の姿をしていた。サジバから話を聞いていたカフーたちは、その少年こそが八熱衆の主、予言者シであることを理解した。  聖魔の森の帰還と予言者シの出現。元々、シと八熱衆は、森の帰還を防ぐことには関心が無かったはずだ。それが何故、よりによってこのタイミングで目の前に現れたのか。カフーとバニラは、尋常ならざる危険を感じ取っていた。  予言者シは、一歩前に進み出るとカフーや玉座の間に詰めていた魔攻衆たちを一瞥し、通る声で一方的な宣言を告げた。 「ご苦労だった、魔攻衆の諸君。僅かなりとも聖霊どもに損害を与えたこと、誉めておこう。だが、聖魔の森の帰還も無事に始まった。これでエルリムも、もはや隠れることは出来ぬ。後は我らがエルリムを狩り、取って代わるのみだ」 「エルリムに取って代わる? どういう事だ!」  カフーはシが何を言っているのか理解できなかった。予言者シは、嘲る笑みを浮かべた。 「鈍いな。魔攻衆は用済みということだ。カフー、お前だけは、まだ役立ってもらうがな。アビーチ、プラタナ」  予言者シが、軽く右手を挙げた。仮面を着けた2人の八熱衆が進み出て、憑魔甲を構える。その時、八熱衆3人目の男が、予言者シに進言した。 「シ様。カフーを捕らえる役目、このタパナにお命じ下さい。エルリムの使徒となった者の力、試してみとうございます」 「ん? まあ良かろう。わたしは神殿の中を見て回る。残りのゴミ共も始末しておけよ」  シが仮面の八熱衆を従えて出口の方へと歩き始めた。その時、カフーの後ろにいたバニラが素早く憑着し、一瞬の隙を突いて予言者シを攻撃した。だが、成功したと思った次の瞬間、八熱衆八之者アビーチが予言者シを攻撃からあっさりと守り、七之者プラタナがバニラのことを攻撃していた。 「キャー!!」 「バニラ!!」  バニラの憑魔陣は砕け散り、壁に叩き付けられた。たった一撃で、バニラは重傷を負ってしまった。カフーは慌てて駆け寄り、バニラを抱き起こした。予言者シは見向きもせず、玉座の間から出て行った。1人残った八熱衆六之者タパナは、呆れ顔でカフーに告げた。 「カフーよ、無駄なことはよせ。どうせ直ぐに殺すのだ」  カフーはバニラの盾となるよう向き直ると、憑魔甲を構えた。今やカフーは、サジバと互角の力を持つようになっていた。だが、そのサジバは、八熱衆の末席に位置し、高弟たちは皆強大な力を持つという。しかも目の前にいるタパナは八熱衆のナンバー3だ。カフーが勝てる見込みは全く無い。憑魔甲第8の封印が使えれば勝てる可能性も出てくるが、未だに発動のさせ方は分かっていない。  だが、ここで自分が敗れればバニラは殺される。出口の向こうから絶叫が聞こえてくる。仲間たちが次々と殺されているのだ。カフーは決死の覚悟で憑魔陣を発動させた。 「ほう。少しはやりそうだな」  タパナも憑魔陣を発動させた。正面に立つ基本となる聖魔は、かつて繭使いリケッツが使った最強の聖魔クシードラだった。  一方、闘技場でもサジバが八熱衆弐之者カーラと対峙していた。カーラは唯一の女戦士で、サジバより少し年上であった。 「な〜に、その格好? 魔攻衆なんかのマネをして」  カーラは呆れてサジバを笑った。 「我は魔攻衆。仇なす者は、たとえカーラ様でも容赦はせぬ!」  サジバは緊張した面持ちで憑魔甲を構えた。真っ赤なテュテュリスがサジバの前に現れる。居合わせた魔攻衆たちも、全員サジバに加勢する。 「目を掛けてあげたつもりだったのに、寄りにもよって魔攻衆なんかに感化されるなんて。せめてもの情けに、楽に死なせてやるよ」  カーラも憑魔陣を発動させた。正面には、4本腕の青い上体に蛇のような下肢を持つ闇の使徒の聖魔セティリアンが現れた。火属性を主体としたサジバの憑魔陣は、水属性を主体としたカーラに対し、ただでさえ分が悪い。しかも、腕はカーラの方が上であり、体調も万全ではない。仲間の加勢を受けたところで、カーラを倒すことは至難の業だ。サジバは絶望的な状況を前に戦いを挑んだ。  予言者シは、まるで無人の廊下を進むようにケムエル神殿の中を歩いた。応戦に出た魔攻衆は、まるでアリでも潰すかのように、アビーチとプラタナによって殺されていく。 「まったく。ナギの聖地がすっかり低俗に汚されている。人間などに預けるものではないな」  シは生命の間に気付くと、その中へ入っていった。トリ男たちは、慌てふためき奥へと逃げていった。巫女の座では、肌を覆い苦しそうにするラーを、ムーが抱きかかえるように守っている。シは巫女の座へと上っていき、2人の前に立った。  人形巫女のラーとムーは、元々族長ニの長女と次女、即ちシゼの姉を模して作られている。シゼは手を伸ばすと、ラーの顔を隠すフードを引き剥がした。怯えるラーの美しい顔には、呪いの刻印がおぞましく蠢いていた。シゼの顔から一気に血の気が引き、抑えがたい怒りが噴き上がる。 「死してなお、我が姉を辱めるか!!」  シゼは、手刀でラーとムーを切り上げた。2人の胴がザックリと裂け、傷口から光の泡が噴き出し天に昇った。2人の体が見る見る退色し、生気を失い白蝋化する。そのままゆっくり背後に傾き、巫女の座から落下した。聖魔を浄化し魔攻衆を支えてきた人形巫女のラーとムーは、とうとう死んでしまった。  カーラの攻撃により、サジバの両腕が消し飛んだ。 「勝負あったわね!」  カーラの氷の剣がサジバの胸を切り上げる。超重装備の装甲が、真っ白に凍り付きながら粉々に砕けた。夥しい血が噴き上がり、サジバはカーラの目の前で、前のめりに倒れた。 「まったく。手こずらせてくれるじゃないか」  サジバの攻撃も通用しなかった訳ではない。だが、重傷を負わせることはついに出来なかった。カーラはサジバの首をはねるため脇に立つと剣を構えた。 「サジバ──!!」  まだ息のある魔攻衆たちが、サジバを助けようとカーラを攻撃した。だが、全く効果がない。 「ええい、うるさい蝿どもだね!」  カーラは氷の剣を薙いだ。切っ先から無数のつららが飛び、魔攻衆たちを1人残らず貫いていく。 「やめろ……やめろ──!!!」  その時、サジバの命の炎が失われた右腕から噴きだし、剣となってカーラの体を貫いた。 「なにぃ!?!」  渾身の剣がカーラの心臓を焼き尽くす。カーラは何が起こったのか理解できぬまま崩れるように倒れ、そのまま絶命した。カーラとサジバの憑魔陣が砕け散る。カーラの栗色の巻き毛が、血の池に沈む。まばたきせぬ青い瞳が、血の涙を流しながらサジバを見ていた。突然、サジバの頭の中で、記憶の枷が砕け散った。予言者シによって無理矢理封じられた真実の記憶が、走馬燈のように蘇る。隠れ里を襲う造魔の群れ。穏やかな里の暮らし。そして温かい家族……。 『いつまでも泣くんじゃないよ、男だろ!』 『強くなったね……。今やお前はナギ最強の戦士だ。繭使いも目じゃないさ』 「あ……姉上……」  目の前に横たわる八熱衆カーラ。それはサジバの実の姉であった。サジバは、藻掻くように這い、カーラに近づいた。 「姉上……姉上!! おのれ、シゼ──!!!」  サジバは血の涙を流しながら、予言者シへの憤怨をあげ、無念の形相のまま息を引き取った。  サジバがカーラと差し違えたのと同じ頃、玉座の間では、カフーがバニラを守りながら全身血まみれになって仁王立ちしていた。 「もう少し歯ごたえがあると思ったんだが……エルリムの使徒もこの程度か。まあ、気力だけはたいしたものだが」  八熱衆タパナの体には、傷一つ付いていない。カフーに加勢した魔攻衆は全員死亡し、生き残っているのは唯一カフーに守られたバニラだけである。タパナは頭をかいてカフーに告げた。 「さーてと。これ以上やったらお前は死んじまうから手を出せんが、ゴミを始末しておけとも言われてるしな。邪魔しようなどと思うなよ」  タパナは重傷を負って動けぬバニラに狙いを定めた。その時、予言者シが玉座の間に戻ってきた。 「タパナよ。カフーが死にそうではないか」  タパナはカフーを気にもせず予言者シの方を向くと、片膝を付いて謝った。 「ハッ。申し訳ございません。なかなかに往生際が悪いもので」 「当然だ。それぐらいでなければ、エルリムの使徒は務まるまい」  シは笑ってタパナを諫めた。  カフーは、失血し朦朧とする意識で考えた。もはや勝つ術など無い。せめてバニラだけでも助けられれば。そのためには……。 「さて、そろそろ終わらせよ」  シの命を受け、タパナが再びカフーに向き直る。その時、カフーは憑魔陣を解除して短剣を抜き、切っ先を自分の首に突き立てた。 「神殿から手を引け! さもないとボクは命を絶つ!! お前たちの目的は、ボクだけのはずだ!」  カフーは最後の賭に出た。切っ先が皮膚を裂き、首から一筋血が流れる。 「貴様、この期に及んで!」  タパナが動こうとする。だがそれを予言者シが制した。 「お前がわたしに服従するというなら、ケムエル神殿には手を出さぬと約束しよう」  シが傍らに大きな光の裂け目を作った。 「……わかった」  カフーはひと目だけバニラを見ると、ナイフを首に突き立てたまま光の方に歩き始めた。アビーチとプラタナがカフーの両側に並ぶ。 「よし。エルリムを狩りに行くぞ」  シは八熱衆に撤収を命じた。血に染まったケムエル神殿から、漆黒の男達が消えていく。  バニラは傷つき動けぬ体で、カフーの背を追うように手を伸ばした。赤く染まったか細い手が、むなしく宙を掴む。 「カフー!! カフー!!!」  涙の向こうで、カフーがシや八熱衆に伴われ、光の中へと消えていった。ケムエル神殿玉座の間には、ただひとり残されたバニラの号哭だけが、いつまでもいつまでも木霊した。 ■21■ 新魔攻衆誕生  ナギの隠れ里の一番奥に、ひときわ大きな住居跡が残されていた。中に入ると、族長ニに仕えた従者らしき白骨死体が幾つも横たわっていた。メロディーたちは辺りを注意深く観察しながら進み、大広間の跡へと足を踏み入れた。正面の祭壇には、白く滑らかな光沢を放つ石で作られた等身大の4人の巫女像が立っていた。 「これは族長ニ様の四姉妹を彫った像だ」  コリスは妻ラーの像の前に立ち、悲しげにその美しい姿を見上げた。その時、突然ラーとムーの彫像の胸に、音を立てて亀裂が走った。ふたりの像の瞳から、ポロポロと涙が流れだす。 「これは、いったい!」 「パパ、あれ見て!」  メロディーはシド=ジルの腕を引っ張り、隣りに並ぶ三女と四女の巫女像を指さした。シューシュー音を立て表面に光の泡が生まれる。純白の像が見る見る色付き、生身の姿へと変わっていく。メロディーたちが唖然と見つめる前で、ふたりの像に血色が宿り動き始めた。 「ン、ン──ッ!」  凝りをほぐすように手足を回し、ピョコンと祭壇から飛び降りる。ふたりの巫女は、メロディーたちに気が付いた。 「アンタ、誰?」  メロディーとふたりの巫女は、同時にお互いを指さした。三女の巫女が一歩進み出て、自己紹介をした。 「わたしはルー。そしてこっちは妹のミー。姉貴のラーとムーが倒れたときのバックアップとして、族長のオヤジが用意した人形巫女よ」  驚いたシド=ジルは詰め寄って尋ねた。 「待ってくれ! ラーとムーが倒れたって、どういうことだ?」  ルーとミーは顔を見合わせると、傷ついたラーとムーの像を見上げて告げた。 「たった今ケムエル神殿で、ラーとムーがシゼのバカに殺されたの。外では聖魔の森の帰還も始まってるみたいよ」 「何だって!?!」 「しまった!!」  4人は愕然とした。急いでケムエル神殿に帰らねば! 「メロディー、神殿まで飛ばすぞ!」 「任せといて!」  メロディーたち一行は、ルーとミーという新たな仲間を加えて、ケムエル神殿へ急行した。  * * *  いよいよ389年から999年へ帰る日が訪れた。ゼロはジンと別れ、単身ギアの庵へと戻っていた。ジンたち錬金術師は、もうすぐエルリムに対し、最後の作戦を実行する。あえて死へ赴くジンを思い、ゼロの表情は暗かった。 「嘆くな。ジンは笑っていただろう?」  ギアはゼロの肩を叩いた。 「お前は我らに、希望の光をくれたのだ。もはや悔いは無い。ジンがそうするように、わたしもお前も出来ることに最善を尽くす。それで良い」  ギアはゼロを連れて外に出た。 「ゼロ。わたしからもお前に良い物を贈ろう」  ギアは一つの繭を取り出した。繭から光が飛び出し、一体の聖魔が現れる。それは白く輝く甲羅を持つ大きな亀だった。 「これは竜神ケムエルから賜った神聖魔ヘブンズトータスだ。たとえ聖霊の攻撃だろうとビクともせぬ。神聖魔は人を選ぶが、お前には扱える。向こうへ戻れば、必ずや大きな力となるだろう」 「か、亀?」  ゼロは戸惑った。どんなに防御が堅くとも、鈍重な聖魔では攻撃もままならない。だがギアは笑って告げた。 「只の亀と思うな。それに、お前の腰に下げている飛行型造魔は、ジンの最高傑作スカイハイではないか。鉄壁の防御と無敵の翼を持てば、お前を阻める敵など無い」  ゼロは繭を受け取ると、新憑魔甲にセットした。ゼロの腰に下げたベルトには、聖魔の繭にあたる造魔プレートがぶら下がっている。ジンがチューンしてくれたおかげで、ゼロの憑魔陣は聖魔と造魔の混合が可能となったのだ。 「この聖魔なら、エルリムを倒せますか?」  ゼロは率直に聞いてみた。ギアは目を閉じると、ゆっくり首を横に振った。 「分からぬ。だが、我らは共に縁(えにし)ある者。為すべき事を為せば、道は自ずと開けよう」  ゼロはその言葉を思い出した。 「そうだ。縁ある者って、いったいどういう意味ですか? あなたはまるで、前からボクのことが分かってたみたいだ」  ギアは静かにゼロの目を見た。そしてゆっくり右手を開き、手のひらを見せた。そこにはゼロと同じ竜のアザがあった。 「え!?」  ゼロは思わず自分の右手の甲をみた。 「これはケムエルの紋章という。竜神ケムエルと縁ある者だけが持つ紋章だ」 「ケムエルの紋章? そんな! 2007年の世界には竜神ケムエルなんていませんよ?」  驚くゼロに、ギアは静かに語った。 「紋章は血を渡ることもある。ナギでないお前は、誰か私とは別の紋章を持つ者の血を受け継いでいるのだろう。お前がわたしの前へ現れたことも、お前の家族が999年に召喚されたことも、紋章の力を表す何よりの証拠だ。竜神ケムエルは、我らを試しているのだよ」  ゼロは愕然とした。ギアやジンとの出会いも、神殿遺跡からタイムスリップしたことも、そしてもしかすると、一家でエルリム樹海の調査をしてきたことも、総てが竜神ケムエルの縁で結ばれていたなんて。ゼロは、一つの疑問をギアに投げかけた。 「ギア。ジンはエルリムからの解放を夢見て戦ってきたし、ボクもエルリムを倒したい。そしてあなたも……。竜神ケムエルは、それを願ってるのかな?」  だがギアにも、そこまでの答えは無い。 「ジンは紋章を持たぬが、わたしも彼と志を共にしてきた。ケムエルはエルリムを守護すると言われているが、我らが紋章を持っている事実もまた、ケムエルの意に反することではないのだろう」  森の神エルリムと共にあるはずの竜神ケムエル。ゼロは、竜神ケムエルに会ってみたくなった。 「竜神ケムエルがどこにいるかは分からぬ。だがお前の意志がケムエルに添うのであれば、出会いはきっと訪れるだろう」  ギアはそう告げると、ゼロの肩を叩いた。  ギアはゼロを伴って、森の奥へと入っていった。途中、ゼロは自分の紋章を見つめては、運命の歯車の不思議を感じるのだった。どれほど歩いただろう。突然森が開け、目の前に円筒形のビルのような岩山が現れた。 「これは、ケムエル神殿!」  それはまだ建設途中のケムエル神殿であった。巨大な岩をくり貫き、神殿へと作り替えているのだ。まだ外観にはほとんど手が加えられておらず、999年の姿とはだいぶ異なる。多くのナギ人が汗を流し、その聖地を築いていた。 「これは、ギ様」 「お帰りなさいませ、ギ様」  ナギの人々がギアに畏敬の念を払い挨拶する。ゼロは、人々が呼ぶその名を聞いて驚いた。 「ギって……じゃあ、まさか予言者ギは!」  ギアはゼロに振り向くと、静かに微笑んだ。神殿の巨大な入り口がゆっくりと開く。ギアは歩きながらゼロの疑問に答えた。 「ナギ宗家の男は、真音を持って生まれる。それを真名(まな)とし、仮名と繋ぎ俗名となす。ギアは俗名で、わたしの真名はギという」  予言者ギとその妹アルカナ。工房長ジンと弟メネク王子。アルカナとメネクの死が呼んだ聖魔大戦。そしてゲヘナパレ帝国の滅亡とケムエル神殿の建設。パレルの歴史の転換期を目の当たりにして、ゼロは改めてケムエルの紋章の導きに驚くのだった。  ふたりは玉座の間へ到着した。クマーリとカヤふたつの門は、まだ聖魔の森へと通じてはいない。代わりに白と黒の石版がそれぞれの道を閉ざすように立っている。その表面にはタリスマンが、ギアの血を使って描かれていた。  玉座の間の中央には、12個のオーブが円を描くように並べられている。巨大な宝石のようなオーブが、色鮮やかにフワフワと浮かびながら玉座の間を照らしていた。ギアはオーブの輪の中心に立つと、呪文を唱えながら短刀を左の手首に突き立てた。 「ギア、何を!」  ゼロは驚いて叫んだ。ギアは微笑むとゼロに告げた。 「わたしの血は、時を越える力を持っている。これでお前を元の時代へ帰す」  ギアは溢れる血を指先に導き、円形に並んだオーブの内側に魔法陣を描き始めた。 「ゼロ。お前に頼みがある」  ギアは魔法陣を描きながら、これから起きる悲劇について語り始めた。 「お前も知っての通り、まもなくジンは、森の神エルリムに手傷を負わせ、そして命を落とす。聖霊の血を引くナギ人は、聖霊に成り代わり、エルリムを守護する定めを負う。わたしはこのケムエル神殿を用い、傷ついたエルリムを御神木の森ごとクマーリとカヤの結界に納め、外界との繋がりを絶つつもりだ。しかし……」  ジンの表情が暗くなった。 「わたしの力で出来るのはそこまで。聖魔の森を時空の狭間へ飛ばすには、白と黒の獅子、即ちふたりの繭使いレバントとリケッツが現れるまで待たねばならない。それまでは、錬金術師に代わり繭使いが、聖魔から人里を守る役目を負う。だがそれはナギに悲愴の歴史を歩ませることとなる」  突然ギアが、苦悶の表情を浮かべた。 「そして長く苦しい悲しみの果てに、我が血族にひとりの悪鬼が生まれる。子孫に悪鬼が生まれるのは、総てわたしの責任だ。だが、わたしにはそれをどうすることも出来ぬ」 「悪鬼って……まさか、予言者シ」  魔方陣が完成した。立ち上がり手首の傷を布で縛ると、ギアはゼロをジッと見つめた。 「シは俗名をシゼと名乗るはずだ。頼むゼロ。我が悪鬼を滅してくれ!」  ゼロは予言者ギの血によって描かれた魔法陣の中央に立った。 「ありがとう。本当にありがとう。予言者シは必ずボクが倒します。そしてジンとあなたの意思を継ぎ、このパレルをエルリムの元から解放します!」  ギアは満足そうに微笑むと、聖魔術を施した。12個のオーブの力が解放され、赤い魔法陣が青へと変わる。青白い光が立ち上り、ゼロの体を包んでいく。力強く渦を巻くと、つむじ風のように消えていった。ひとり玉座の間に残された予言者ギは、ゼロが飛び去った虚空をジッと見つめた。 「ゼロ……頼んだぞ!」  * * *  青い光に包まれながら、ゼロは999年目指して時の流れを飛翔していた。眼下には、歴史の姿が走馬燈のように流れていた。  傷つきながら聖霊の揺りかごを破壊したジン。帝都ガガダダを襲うヨブロブとオニブブの群。発動するゲヘナの結界。エルリム守護の名目でカヤとクマーリの門を開く予言者ギ。 「ジン……ギア……」  ゼロは涙をぬぐい、更に時を飛んだ。ゲヘナパレ帝国の消滅により、人々の生活を支えた数多くの知識が失われた。後を託されたゲヘネストが、バスバルスに隠されたホタル石を掘り起こし、人々の暮らしを夜の闇に沈める事だけは免れた。だが、文明の後退は、もはや避けようがなかった。  錬金術師たちが残してくれたゲヘナの結界も、完全とは言えなかった。時折ほころびが生じ、そこからはぐれ出た聖魔が、近隣の人里を襲った。各地へ散った生き残りのゲヘネストたちでは、そんな僅かな聖魔でさえも、もはや対抗手段を持ち得なかった。そしてそんな人里を救ったのが、繭使いとナギの女であった。聖霊の血を引くナギ人に、人々の視線は冷たかった。だがそれでも繭使いたちは、予言者ギの教えに従い、人々を守り続けた。  それはまさに辛い戦いであった。戦いに傷つき、時には人間の手によって非業の死を遂げる繭使いとナギの妻たち。族長ニの長女ラーは火炙りにされ、次女ルーもまた切り刻まれ村の周囲に結界として血肉を撒かれた。三女ルーは聖魔に敗れた夫に代わり森に入り、傷つき力尽きた。四女ミーは呪いの刻印に全身を覆われ、ついには心を病み狂気の中絶命した。長兄は自らも聖魔を狩るため禁じられた黒繭を紡ぎ、次男三男もそれにならった。その結果三人は闇の使徒へと変わり果て、冥界の森深く彷徨うこととなった。 「兄上!! 姉上!!」  独り唯一残された末子シゼは、七人の兄姉の運命に心焼かれ、慟哭の果てに消しがたい復讐心をその身に刻んだ。 「シゼ……あれが、予言者シ……」  ゼロは、シゼの境遇に同情を禁じ得なかった。  その頃、御神木の森にほど近いサイラス村では、パレルの獅子と謳われた繭使いリケッツが、妻フィオを蝕む呪いの刻印に心を痛めていた。そしてリケッツは、村の守りを青の繭使いコリスに託し、聖魔の森の謎を解くため、単身森深く消えていった。数年後、滅びの蟲オニブブがサイラス村を襲ったのをきっかけに、リケッツの息子レバントが、父に代わり繭使いとなり森に入った。そして幼い妻マーブと共に戦い、ついには闇の使徒を従えた父リケッツと、光と闇の戦いを為し、聖魔の森総てを、時空の狭間へと封印した。  エルリムの軛の消えたナギ人たちは、もはや子孫の残せぬ体となった。しかし、苦しい戦いの歴史から解放され、人間の通わぬ隠れ里で、静かに残りの人生を送ることとなった。  だが、心に悪鬼を宿したシゼだけは、その生涯を受け入れることが出来なかった。コリスと旅に出たシゼは、ゲヘナパレの英知を手に入れ、総てに復讐する決意を固めた。自らナギの隠れ里を焼き払い、ケムエル神殿に新たな戦いの火種を起こし、マーブを死に追いやった。 「シゼ、君は間違ってる!」  悪鬼に喰われたシゼの姿に、ゼロは静かな怒りをいだいた。彼を止めなければ! ゼロはナギ人総ての思いを受け取り、ギアとの誓いを新たにした。  * * *  ケムエル神殿は、絶望に包まれていた。神殿から昇る火の手を見て、ウーは慌てて神殿に戻り、その惨劇の跡に愕然とした。満足に戦える魔攻衆は、もはや神殿町北部に展開し難を逃れたウー以下6名だけだった。神殿で生き残った魔攻衆は、バニラの他5名だけで、全員重傷を負い、とても戦える状態ではない。これでは聖霊の侵攻を食い止めるどころか、もはやケムエル神殿すら守ることは出来ないだろう。キキナクとトリ男たちは、いち早く隠れたため難を逃れたが、当然彼らにもどうすることも出来ない。神殿町の住民は勿論、パレル全土の人々が、魔攻衆の救援を待っているというのに、戦える者がいないのだ。傷の手当を受け一命を取り留めたバニラは、魂の抜け殻のように首座の間に横たわっていた。ウーには掛ける言葉が見つからなかった。 「また……老人が生き残ってしまった……」  ウーがどうすることも出来ず立ちつくしていると、そこへトリ男がけたたましくやってきた。 「大変ッス、大変ッス! ジルが帰ってきたッス!!」  フロートシップを神殿に横付けすると、メロディーたちは取る物もとりあえず中に駆け込んだ。巨大な入り口から、むせ返るような血の臭いが噴き出す。 「こんな……酷い!」  雅な神殿の内装は、魔攻衆たちの血しぶきで真っ赤に染まっていた。廊下にも部屋にも、八熱衆に殺された仲間の死体が、累々と横たわっている。遺体にはトリ男たちによってムシロが掛けられていたが、到底数が足りなかったのだろう、無惨な姿を曝した遺体も数多く横たわっている。 「うっ!」  身ごもっているフレア=キュアは、たまらず吐き気を覚えた。 「ママ! しっかり……。メロディー! お前もあまり見るんじゃない!」  シド=ジルはフレア=キュアを抱きかかえながら、メロディーに注意した。メロディーは青ざめながらも、気丈に答えた。 「平気よ、パパ。カフー! バニラ首座! 誰か返事をして!」  遺体を片付けていたトリ男たちは、帰還したメロディーたちに気付くと、慌てて首座の間へ案内した。 「ジル! キュア!」  ウーはシド=ジルの手をがっしりと握り、神殿の置かれた状況を苦しそうに吐き出した。シド=ジルは総てを了解すると、ベッドに横たわるバニラのそばに近付いた。 「遅くなってすまない。たった今、ガガダダから帰還した。聖霊を倒す方法も手に入った。これでようやく反撃できるぞ。カフーも僕らが必ず助ける。だから君は安心して傷を治してくれ」  シド=ジルの言葉に、バニラは嗚咽を漏らすのみだった。代わりにウーが悲嘆に暮れ答えた。 「じゃがもう、戦える者がおらんのじゃ。巫女のラーも殺され、もはや聖魔を浄化することも出来ん」  ウーは悔しそうにうつむいた。だが、そんな暗い雰囲気を吹き飛ばすように、新顔のルーとミーが名乗り出た。 「聖魔の浄化のことなら安心して! わたしたちはルーとミー。ラーとムーを継ぐ者よ!」  続いてコリスが名乗り出る。 「わたしの名はコリス。予言者シを倒す者。亡くなられた魔攻衆の英霊に誓い、必ずや八熱衆を殲滅する」 「コリスじゃと? まさか、青の繭使いのコリスか?!」  ウーはその名に驚いた。ウーの失われた古里ゴラン。そのゴランを捨てた伝説の繭使いと出会うことになるとは。 「そういえば、ゼロはまだ戻ってないみたいね」  メロディーは辺りを見回した。ウーは悲しそうに告げた。 「ゼロならば、先の戦いで戦死しておる」  だがその言葉に、メロディーもシド=ジルたちも動じない。その時、突然首座の間に声が響いた。 「ボクなら死なないよ。エルリムを倒すまで、やられるもんか!」 「ゼロ!?」  メロディーはゼロの気配を探した。 「メロディー、その手は!?」  シド=ジルがメロディーの右手を指さした。竜のアザが光っていた。アザから光が伸び、部屋の片隅に輪を描く。輪の中心に青白い光が現れ、みるみる大きくなっていった。渦を巻いた光の繭がかき消すように消える。そこに、389年から帰還したゼロが立っていた。 「お帰り、ゼ……」  メロディーはゼロに駆け寄ろうとしたが、思わず足が止まった。シド=ジルもフレア=キュアも、ゼロの雰囲気がまるで違うことに息を呑んだ。真新しいゲヘナパレ帝国錬金術師の闘衣に身を包むゼロは、もはや陽気な高校生のゼロではなかった。ジンとギアの意志を継ぎ、ナギ人総ての悲しみを受け取ったゼロの顔には、この世界を包む総ての悲劇を終わらせる強い決意がみなぎっていた。たった1ヶ月ほど離れて暮らす間に、ゼロは多くの経験を積み、運命的な出会いを体験したのだ。シドとフレアは、大きく成長した我が子に、思わず目を細めた。 「ただいま、父さん、母さん、メロディー。どうやら贈り物は、無事届いたみたいだね」  近付くゼロをフレア=キュアが抱きしめ、シド=ジルも笑顔で肩を叩いた。 「父さんじゃと? おぬしたちは、いったい……」  ウーにはゼロが何を言ってるのかさっぱり分からなかった。ゼロは父親に向かって頷くと、総てを話し始めた。 「今こそ真実を伝える時だね。実はボクたちは、エルリムのいない2007年の未来から来た人間なんです」  ゼロはみんなに真実を語った。エルリムも、聖霊も、予言者シも、もうすぐ倒せる。その事実は、ウーたちを心から勇気づけた。だが、聖魔やメガカルマの数は依然圧倒的だ。このままでは多勢に無勢なのではないか。  その時、首座の間にトリ男がけたたましく駆け込んできた。 「た、大変ッス! マッチョな連中が、おもてに大勢押し寄せてるッス!」  外に出ると、神殿前広場の両脇にはフロートカーが何十台もビッシリと並び、神殿正面には数百人の屈強な男たちが整然と隊列を組んで待っていた。リーダー格の男がゼロたちの前に歩み出る。 「我らはバスバルス遊撃部隊。シャンズ市長の命を受け参上しました。魔攻衆のお歴々にお願いしたい。どうか我らに、聖魔と戦う力をお与え下さい!」  後方を見ると、キキナクステーションの方から更に続々と戦士たちが集まってくる。バスバルス以外の町からも集まり始めているのだ。 『これで魔攻衆は再建できる!』  代表してシド=ジルが前に進み出ると、集まった新たな戦士たちに向かって大きな声で告げた。 「こちらからもお願いする! みんな、力を貸してくれ!」 「オ──ッ!!」  ケムエル神殿前広場が、大地を揺らすときの声に包まれた。 ■22■ 誤算  重傷のバニラに代わりウーが新たな神殿首座を務め、さっそく魔攻衆の再建が始まった。八熱衆が聖魔の森で暴れ始めたせいで、幸いにも帰還した聖魔の森からの組織的侵攻は無く、今のところ予想に反し散発的な衝突に留まっている。予言者シの動きは依然気になるが、聖霊もそう易々とやられはしないだろう。両陣営の潰し合いは、魔攻衆の再建にとって、都合の良い時間稼ぎとなった。  ゼロもコリスも、ひとまずは神殿の警備に徹し、魔攻衆の再建に力を尽くした。新憑魔甲を操るゼロ,メロディー,コリスの力はもはや圧倒的で、瞬く間に神殿付近の聖魔の森を掃討し、新魔攻衆の練習場に変えてしまった。 「オラオラ、トリ男! ドンドン卵のお代わり持ってこんかい!」  生命の間は、新巫女ルーが仕切ることとなった。ルーは清楚なラーとは正反対の性格だった。だが、聖魔の浄化能力はラーを遙かに凌ぎ、今まで浄化できずに貯めてあった新種聖魔の卵も、呪いの刻印に犯されることなく片っ端から浄化し、新魔攻衆の戦力に換えていった。  一方、フレア=キュアは新型憑魔甲の早期配備を可能にするため更に改良を加え、より簡単に扱える量産タイプを開発していた。使用する聖魔数を半数に減らし、威力はフルスペックの物に若干劣るものの、使用者への負担も少なく、簡単なレクチャーで実戦配備が可能であった。キキナク商会では、フレア=キュアの指導の下、総動員体制で量産型憑魔甲を大量生産した。  戦士たちへの戦い方の指導,聖魔知識の教育は、ウーやシド=ジル、そして闘技場を仕切る新たな巫女ミーが担当した。続々と集まる戦士たちも、元々腕には自信のある者ばかりである。経験が物を言う魔攻陣に比べ、憑魔甲はすぐに実戦配備が出来る。ウーたちは彼らをいきなり聖魔の森へ連れ出し、聖魔を相手にしながら実戦で戦い方を学ばせた。早くも数日後には、才能ある者たちから正式に魔攻衆として認められ、遊撃部隊の第一陣をバスバルスに送り出すまでになっていった。四代目神殿首座のウーは、出発する新たな戦士たちを前に訓示した。 「よいか。まずは聖魔を相手に技を磨け。メガカルマを相手にするのはそれからじゃ。運悪く戦わねばならぬときは無理をせず、必ず3対1になるようにするんじゃ。先走って死んだのでは何にもならんからの!」  実際、量産型とはいえ、新憑魔陣の威力は絶大だった。対聖魔戦では初心者の彼らでも、危なげなく対処することが出来た。熟練すればメガカルマであろうと後れを取ることはないだろう。 「ある程度戦い方に慣れたら、聖魔自体も合成強化する必要がある。手持ちの聖魔が物足りなくなったら、集めた卵を持って神殿まで来るんじゃ。皆、くれぐれも命を粗末にするな。武運を祈る!」  こうして次々と戦士たちが各地へ救援に向かい、また各地の戦況情報と共にケムエル神殿に集まった。こうしてバスバルスを初めとするパレル世界は着々と防備を固め、ケムエル神殿と魔攻衆は、急速にその勢力を挽回し始めたのだった。  目の回る忙しさの合間を縫って、簡素ではあるが、命を落とした戦士たちのために葬儀が執り行われた。その中には、サジバの姉である八熱衆カーラも含まれていた。 「ありがとう。姉弟一緒に弔ってもらえて、ふたりも感謝しているだろう」  コリスはウーたちに礼を述べた。 「ふたりは戦士の家系の出なのだ。その力は、わたしやリケッツにも引けを取らなかった。彼らが八熱衆として力を出し切らなかったのは、シゼに操られた事への最後の抵抗だったのだろう」  墓碑を見つめるコリスに、ゼロが尋ねた。 「他の八熱衆も、何とか救うことは出来ないのかな」 「無理だな。ナギ宗家の力はナギの血を束ねるものだ。真実を知らせぬ方が、せめてもの救いになるだろう」 「コリス……」  コリスは既に、自分が最後のナギゆかりの者となる覚悟を決めている。そしてその時が訪れた時、もしかするとコリス自身も……。  パレルの歴史の中、多くの者たちがエルリムの紡ぐ運命に翻弄され、抗い、挑み、そして死んでいった。ゼロは英霊の墓碑を前に、このパレル世界に幕を引く決意を新たにした。 『ミント……必ずこの戦いの歴史を終わらせるよ』  * * * 「エルリムめ……どういうつもりだ」  予言者シは、虹色に輝く時空の狭間の空を見上げていた。そこへ、偵察に出た八熱衆六之者タパナが戻ってきた。報告によると、大半の森が未だにパレルへの帰還を果たしていないという。カフーも手に入り、ついに自らエルリム狩りに乗り出した予言者シであったが、肝心のエルリムの居場所が特定できぬ以上、迂闊に動くことはできなかった。たとえエルリムを討つ力があろうと、たどり着く前に森ごと時空の狭間へパージされれば、如何に予言者シといえどどうすることも出来ない。だが、エルリムもまた、このまま時空の狭間に留まり続けるとは思えない。 「タパナよ。森を揺さぶり、聖霊をいぶり出すのだ。エルリムも、聖霊が失われるのを黙って見ているとは思えぬ。行け!」  思惑こそ外れたが、予言者シは本格的にエルリムへの戦いを開始した。八熱衆はその力を遺憾なく発揮し、聖魔の森を警備するメガカルマを、ランダムに次々と撃破していった。そしてそのゲリラ戦術によって、第二軍軍団長の聖霊ラキアが、罠の待つ前線へ姿を現したのである。  聖魔の森の一角で、聖霊ラキアは窮地に立たされていた。 「クックックッ。聖霊も、大したことはないな」  八熱衆四之者ラウラバと伍之者マウラバが、ラキアを取り囲み笑っている。最速の女性型聖霊ラキアは、迂闊にもラウラバ,マウラバの罠にはまり、彼らの卓越した連携攻撃によって脇腹に重傷を負ってしまった。純白の甲冑が見る見る真っ赤に染まっていく。従えていたメガカルマも、1体残らず倒されている。ラキアは苦悶の表情ではみ出す腸を抑えながら男達を睨み付けた。 「き、貴様ら、魔攻衆ではないな! 何者だ!」 「あのようなカスどもと一緒にするな。我らは八熱衆。エルリムを狩る者」  そう告げると、マウラバは手にした巨大な鎌を構え、とどめを刺そうとした。だがその時、突然背後から声がした。 「ほう、そうかね」  突然マウラバの背後に光の裂け目が現れ、巨大な爪を持った白い腕が飛び出すと、超重装備に武装しているマウラバを鷲掴みにした。 「ギャ――!!」  巨大な白い爪が、まるでトマトを握りつぶすようにマウラバを圧殺する。爪を握りしめたまま、ゆっくりと光の裂け目から聖霊マテイが姿を現した。 「チイッ!」  形勢は逆転した。ラウラバは光の裂け目を作ると、慌ててその場から姿を消した。 「なるほど。逃げ足も速いな」  マテイは握りつぶしたマウラバの死体を打ち捨てると、傷ついたラキアのそばに近づいた。安堵したラキアの体が力なく崩れる。マテイは彼女を抱きとめた。 「マテイ様。不覚を取りまして申し訳ございません」 「気にするな。お前は下がり、傷の手当てをせよ」  マテイは応急処置をすると、光の裂け目を作りラキアをウバン沼の畔にいる聖霊マハノンへと送った。  戦いが終わった森で、マテイはゆっくりと立ち上がり、傍らに転がるマウラバの死体に近づいた。 「この者……ナギの戦士か。ナギ人はとうに滅んだと聞くが。先ほどの技も、シャマインを死なせたゼロとかいう魔攻衆が使っていた技と同じようだったが……。この者たちが魔攻衆に伝えたものか」  マテイはマウラバが使った聖魔の残骸を見た。それはかつて大地の闇の使徒が使った聖魔デルファネルであった。 「封印せし常闇の聖魔を扱うか。なるほど、我ら聖霊と伍するのも頷ける。だが、この程度の力でエルリム様を倒せると思うなら、八熱衆とやらもとんだ凡愚に過ぎぬ。それとも、何か他に策でもあるというのか?」  マテイはゆっくり辺りを見渡した。八熱衆も確かに厄介だが、マテイにはもっと気がかりな事実があった。それは前線に出ている軍団のことであった。ラキアが突出し第二軍のメガカルマが多くを占めるのは分かる。だが、マテイは第三軍軍団長のサグンにも出撃を命じており、当然それ相応の布陣がされていてもおかしくない。特に第三軍を構成するのは冥界の森のメガカルマであり、八熱衆を倒せぬまでも、第二軍と共に物量で押せば、これほど一方的にやられることは無いはずだ。だが実際には、第三軍のメガカルマは、ほとんど森には見あたらなかった。  シャマイン,ラキア,サグンの率いるメガカルマ3軍は、現在はマテイの指揮下に置かれている。だが、その経緯における因縁により、サグンは少なからずマテイにわだかまりを抱いていた。 「サグン……何を考えている……」  聖魔の森全島の帰還が遅らせられた理由も知らされていない。新たな謎の敵・八熱衆の登場も気にかかる。本来ならば結束してパレルへの帰還を進めるべきこの時期に、次々と不可解な状況が生まれている。マテイは、メガカルマの軍団総てを直接指揮し、自らこの状況を打開する決意を固めた。  マテイは光の裂け目を作ると、指揮系統を再編するため、いったんウバン沼へと後退した。眩しい光がかき消すように消え、戦いの終わった聖魔の森に静寂が訪れた。そこにはもはや、動く者は聖魔一匹いない……はずであった。  低木の重なる茂みに、存在しないはずの気配が陽炎のように現れる。安全が訪れたことを確認すると、その気配が茂みからヒョッコリと顔を出した。それは森人ヤムであった。 「フー。危なかった〜」  森人ヤムは鳥人キキナク同様追放された元聖霊で、かつては知恵の聖霊マモンと呼ばれていた。森における森人の能力は恐ろしく高く、七聖霊でさえもヤムを捕らえることは至難の業だった。 「もっと安全な場所へ隠れなきゃ。でも、いつまで逃げればいいんだよ〜!」  ヤムは茂みから這い出ると、イガ栗のようなコロコロした体をヒョコヒョコと揺らしながら、慌てて他の森へと逃げていった。  * * *  魔攻衆の再建が始まって2週間が過ぎた。既に優に200人を超える戦士たちが魔攻衆として正式に量産型憑魔甲を与えられ、ケムエル神殿は、充分にその戦力を取り戻した。神殿首座ウーはいよいよ反撃の決意を固め、全員に告げた。劣勢の中、壮絶な死を遂げた戦士たちに成り代わり、新たな戦士たちはエルリムと予言者シの打倒を誓うのだった。 「新たな力を得たとはいえ、お前達はまだ初心者じゃ。コリス、ゼロ、メロディー。お主たちが中心となり、彼らを導いてやってくれ。くれぐれも無理な突出はせぬように。頼むぞ!」  ウーに続きフレア=キュアが発言する。 「フロートシップは本来、ゲヘナパレ錬金術師をサポートするために作られた支援戦闘艦なの。今はまだ工房機能が必要なので出撃させる事は出来ないけど、対エルリム戦には戦力として必要になるでしょう。それまでは前哨戦と考えてちょうだい」 「そうだね。何と言っても相手は神だ。みんな、心してかかってくれ。大丈夫。僕たちは必ず勝つ!」  最後はシド=ジルが全員を鼓舞した。  ケムエル神殿を始め各地に展開する魔攻衆は、防衛警戒範囲を超えて、一斉に聖魔の森への再侵攻を開始した。ケムエル神殿からも、神殿町北方に出現した森やクマーリ門の向こうへと、戦士たちが次々と出撃する。コリスは、急成長する若手十数名を従え、前線を一気に押し上げる縦走戦闘を敢行した。再編が始まったばかりのメガカルマたちは、新生魔攻衆の反攻に為す術もなく敗走した。  ゼロとメロディーは、フレア=キュアの指示で一旦戦闘を切り上げ帰還した。その日の晩は、久しぶりにジルの家で4人揃って食事をした。楽しい夕食が終わると、居間でくつろぎながらゼロとメロディーは戦況を話した。 「憑魔陣は不慣れでも、やっぱりみんな強者揃いだよ。敵の力の見切りもいいから、無茶な戦闘も無いし」 「これなら案外早くエルリムを倒せるかもね」  ふたりのくつろいだ雰囲気に、後片付けを終えたフレア=キュアが、厳しい表情で近付いてきた。だが、ゼロもメロディーも以前のふたりではない。母親の顔を見ると、ゼロは穏やかな表情で話し掛けた。 「分かってるよ、母さん。油断するつもりなんて無いさ。エルリムを倒せると分かっていても、ボクたちが無事だという保証は無いからね」  だがフレア=キュアは、苦しそうに頭(かぶり)を振った。 「いいえ、あなたたちは全然わかってないわ! エルリムは倒せないかもしれないのよ!」 「まさか! それはどういうことだい、ママ?」  みんながフレア=キュアの言葉に驚いた。 「エルリムはこの時代を去り、2007年に出現するかもしれないの!」  驚くシド=ジルの目を、フレア=キュアは悲しそうにジッと見つめた。 「わたしたちが2007年と999年の結び目になっている事は話したでしょ。おそらくエルリムなら、この歴史交差に気付いている。もしエルリムがリオーブの時空跳躍能力を使って2007年に向かってしまったら、パパが研究してきたように1000年から2007年までエルリムがいない事も説明が付く。もしかするとわたしたちの時代は、かりそめの人間だけの歴史を歩んできただけなのかもしれないのよ!」  一家は言葉を失った。フレア=キュアは自身の辿り着いた結論を話し始めた。  賢者の石に残されていたゲヘナパレ帝国のテクノロジーはとてつもなく高度な物で、それに比べれば2007年の科学力など稚戯に等しかった。もしもエルリムが2007年に出没すれば、例え世界中が束になって戦っても、まるで歯が立たないだろう。唯一対抗できる者がいるとするなら、それは同じ技術を用いている魔攻衆だけなのだ。 「これほど高度な科学力がこの星で生まれたとは考えられないわ。おそらくエルリムは、異星人かロボットか、想像できないほど高度な文明を持った星から来た来訪者よ。わたしたちがエルリムに勝てるかどうかは、全く分からないのよ」  重苦しい空気が一家を襲う。だがゼロとメロディーは、すぐにそれを跳ね返した。 「な〜んだ。結局なんにも変わらないんじゃない。要するに、わたしたちがエルリムを倒せばいいんでしょ」 「予言者ギが言ってたよ。ボクらはそのために、竜神ケムエルに召喚されたって」  ふたりは右手のケムエルの紋章をかざした。もはや歴史の事実など関係ない。ゼロとメロディーの双肩には、ジンやギア、繭使いや魔攻衆たち総ての願いが託されているのだ。フレア=キュアの疑念にも、ふたりの決意は微塵も揺らぐ事は無かった。  フレア=キュアはふたりを見つめると、呆れ顔でため息を吐いた。 「そうね……そうだったわね」  彼女は立ち上がると奥の部屋へ行き、細長い板のような物を持ってきてふたりに渡した。 「これはブレード・チャンバー。わたしが考案した、あなたたちの新しい装備よ」  それは腰の両脇に長い翼のような板が下げられているベルトだった。自動的に姿勢制御する仕組みで、動きの邪魔になる事はない。メロディーは嬉しそうに笑った。 「凄いわママ。新しい魔攻衆の装備なのね?」 「いいえ。それは、あなたたちにしか使うことが出来ない装備よ」  ふたりはその言葉に息を呑んだ。 「もしもブレード・チャンバーを使わなければならない時が来たら、それで魔攻衆のみんなを助けてあげなさい」  ふたりはブレード・チャンバーの使い方を教わると、早速試そうと外へ向かった。シド=ジルとフレア=キュアは、穏やかな表情でふたりの後ろ姿を見送った。だがその時、突然、シド=ジルとフレア=キュアの体に、予想もしない異変が起こった。 「ウグッ! こっ、これはいったい!」 「ゼロ! メロディー!」  ゼロとメロディーが振り返ったとき、シド=ジルとフレア=キュアの体が青白い光を帯びていた。ふたりはそのまま意識を失い、崩れるように床に倒れた。  * * *  パレル歴2007年、エルリム樹海神殿遺跡。  ラングレイクとケズラは、助手たちを指揮して装置の稼働準備を急いでいた。玉座の間は、物々しい機材の山によって、びっしりと埋まっている。シドとフレアを取り込んだブルーボールは、ぐるりと超電導磁石によって取り囲まれている。壁際には、磁場の制御装置や様々な観測装置が並び、分析結果を刻々と弾き出している。玉座の間の入り口は、外から引かれた夥しい量のケーブルによって、人ひとりすれ違うのがやっとの隙間しか空いていない。その隙間から、数日ぶりに国家安全保障局のサガが現れた。 「ようやく組み上がりましたね、教授」  サガは笑顔でラングレイクたちと握手した。サガの言葉は誇張などではなかった。国家安全保障局の指揮の下、あらゆる組織が動員され、国家予算が惜しげもなく投入された。ドーム遺跡の外には大規模な支援キャンプが設営され、急造の変電設備も完成している。ネオサイラス村を中継地点に樹海を縦走する送電ケーブルも接続が完了し、いつでも大容量の電力供給が可能な状態にあった。遺跡内部の設備についても、ラングレイクとケズラの要求通りの物資が遅滞なく集められ、僅か2週間の準備期間で、総ての機材が整ったのである。  これまでの調査により、ブルーボールの周囲には微弱ながら磁場が観測されていた。彼らは得られた観測結果を基にブルーボールの構造を解析し、その正体を推論した上で、その効果を中和する装置を考案したのだ。3人は、計算式がびっしりと書き込まれたホワイトボードの前で議論した。 「ということは、ブルーボールの中は時間軸だけがこちら側と等しく動き、3次元としての物質空間と分離されていると?」  サガは真剣な表情でケズラ教授に尋ねた。 「おそらく中にいるシドとフレアは、エネルギー的には全く変質することなく、時間の経過だけを受けているはずじゃ。大雑把な言い方をするなら、常温のコールドスリープといったところかな」  ため息を吐くケズラに続いて、ラングレイクが説明した。 「このブルーボールは、一種のクライン空間として向こう側の世界に繋がっていると考えられる。そしてそちら側とは時間軸だけが交差し、連動しているんだろう。この惑星パレル上の別の地点か、どこか別の宇宙か、ひょっとすると過去や未来の世界なのか……。シドたちは、向こう側とこちら側を繋ぐ『へその緒』になっているんだ」  ケズラが書き殴った数式を示して説明する。 「ブルーボールの表面は次元断層のような界面になっており、こちらの空間を球状に切り取っている。そして、内表面には信じられんほど強力な磁場が発生しているようじゃ。周囲に観測された磁場は、次元界面の外表面に生じた僅かな空間の歪みによるものじゃ」 「そこで、逆にこちら側の空間から強力な磁場を与えることでブルーボール内に歪みを誘発し、ブルーボール内で分離されている物質空間と時間軸を同調させると……」  サガは書かれた数式を読み解き、その導き出された答えを口にした。ラングレイクは緊張した面持ちで、その効果について推論を述べた。 「我々の予想が正しければ、シドとフレアの肉体は時間の流れを取り戻す。危険な賭だが、うまくいけば彼らの意識を回復させ、我々と会話をすることが出来るはずだ」 「会話だけ? ブルーボールを消滅させ、彼らを救出する事は出来ないのか?」  サガはラングレイクの説明に驚いた。ラングレイクは別の数式を指し示した。 「こちら側の磁場がまるで足りない。こんな未開の地に送電線を引いてもらっておいて悪いんだが、ブルーボールを消滅させるには、この数百倍の規模の設備と原子力発電所を1ダース以上揃える必要がある。今、僕らに出来ることは、何とかシドたちの意識を取り戻させて、いったい何が起きたのか、それを突き止める事だけだ」  サガとラングレイクが言葉を失う。ケズラはふたりの肩をポンと叩いた。 「この遺跡の年代測定をさせたところ、ここは世界で初めて確認されたバニシング・ジェネシスの遺跡だそうだ。今まで誰も発見していない時代の遺跡で、シドとフレアがこのブルーボールに取り込まれた。バニシング・ジェネシスとブルーボール。何か関連があると見て間違いなかろう。シドはバニシング・ジェネシスの専門家で、フレアは優秀な物理学者じゃ。捕らわれているのがふたりであったことは、むしろ不幸中の幸いかもしれん。彼らならきっと答えを知っているはずじゃ」  ニッコリと微笑むケズラ教授に促され、3人は装置の最終チェックに取りかかった。  装置の準備が終わり、ラングレイクとケズラは軍から支給される夕食を胃袋に納めた。 「軍隊も案外美味いもんを食っとるもんじゃな。こんな樹海の奥地じゃ、食事だけが唯一の楽しみだ」  ケズラはラングレイクの差し出すコーヒーを受け取ると、美味そうに飲んだ。 「明日はいよいよ稼働ですね。何とか無事に、ふたりが目覚めてくれればいいが……」  ラングレイクがブルーボールに眠るシドとフレアを見上げていると、そこへ厳しい表情のサガが足早に戻ってきた。サガは食事も取らず、緊急の呼び出しで遺跡の外に設置された支援本部に行っていたのだ。 「ラング! ケズラ教授! 直ちに装置を稼働させて下さい。もはや猶予はありません!」 「直ちにって。稼働は明日のはずじゃないのか?」  ラングレイクが驚いて立ち上がると、サガが彼の肩を掴み、ケズラと顔を寄せ小声で話し始めた。 「世界各地でブルーアイランドがハッキリと見えるようになりました。今までのような断片的な陽炎なんかじゃない。まるで立体映像のようにハッキリと。ブルーアイランドが重なった都市部などでは、ちょっとしたパニックが起きています。今から10分ほど前、政府も公式にブルーアイランドの存在を発表しました」  3人は、サガが収集した情報を元に、ブルーアイランドについても分析を始めていた。そしてブルーアイランドは、一つ一つが向こうの世界に存在するブルーボールに似たクライン空間の影であると結論づけていた。 「ハッキリ見えてきたってことは……向こうの空間が落ちてくるぞ!」 「大変だ! 早くこの事を全世界に伝えなきゃ!」  ラングレイクとケズラは、迫り来る危機に声を荒げた。だがそれをサガが制した。 「避難勧告は出します。ですが、今はまだ情報開示は出来ません」 「バカを言うな! 向こうの空間が出現したら、そこにある町も家もそっくり消滅するんだぞ!?」  ラングレイクは思わずサガの胸ぐらを掴んだ。 「これは政府の決定です。ここで得られる情報は、最大限我が国で押さえる。いずれ他国もここの存在に気づくでしょう。それまでに出来るだけ多くの情報を手に入れる必要があります」 「こんな時まで国益優先か!」  ブルーアイランドが世界中に出現する。しかもその後何が始まるのか、誰にも全く分からない。こんな世界的な危機においても既得権を主張するのか。ラングレイクは、サガが国家安全保障局の人間であることを改めて思い知った。  全員防寒ジャケットを着込み、稼働の秒読みに入る。変電設備が唸りを上げ、電力が注ぎ込まれる。冷却装置が稼働し、冷気が噴き上がる。超伝導磁石が一斉に稼働を開始し、シドとフレアが眠るブルーボールを強力な磁場で包み込んだ。  ついに、シドとフレアの強制送還が始まった。 ■23■ ブルーアイランド  メロディーは狼狽し涙を流している。ゼロは意識を失っている両親をひとまずベッドへと運んだ。そっと横たえ、改めて眠るふたりの様子を観察する。 「青い光に包まれている事以外は、スリーパーとよく似た症状だな。とりあえず、命に別状は無さそうだけど……」  ようやく涙の止まったメロディーが、濡れた頬を拭きながらゼロに問いかけた。 「あんた……よく平気でいられるわね」  ゼロは弱い笑みを浮かべると、右手をメロディーに差し出した。掴むと微かに震えていた。 「こんなに心細いのは生まれて初めてだよ。だけどボクは男だからね。こんな所で怖じ気付いてたら、大祖父さんのジンにぶん殴られるさ」  ゼロは両手でパンパンと頬を叩き気合いを入れた。メロディーも改めて眠る両親をじっと見つめた。 「オニブブもいないのに、どうしたのかしら」 「メロディー。この青い光、ボクがこの時代に帰ってきたときの光と似ていると思わないか? この光は、時間の横断に関係している気がする。もしかすると、2007年に残された父さんたちの体に、何か起きたんじゃないかな。ボクたちがこの時代に来てから、もう2ヶ月になる。向こうでも同じ時間が流れてるんなら、そろそろ異常に気付いてる頃だろう」  メロディーはゼロの考察に目を丸くした。双子だというのに、ゼロが随分と大人びて感じる。メロディーはちょっとムッとした。ゼロは腕組みをして考えた。 「ラングレイク先生なら気付いても不思議じゃない。それに先生は物理学者だ。父さんたちの身に何が起きたのか突き止めて、対策を講じてるのかもしれない」  メロディーはハッとなった。 「それじゃあ、その対策が成功してパパとママの意識が2007年に帰ったら……青い光が消えてジルとキュアが元に戻ったら!」 「その時は、2007年との繋がりが解けて、ボクたちは置いてきぼりだね。そうなる前に、エルリムとの決着をつけなきゃ。まあ、何とかなるさ」  ゼロは首をすくめ苦笑いした。メロディーは不意に一つの案を思い出した。 「そうだ! 竜神ケムエルを探しましょうよ。わたしたちを召還したんなら、帰り方だって知ってるはずだし、パパたちの事も分かるんじゃない?」 「そっちはお前に任せるよ。ボクはとにかく聖霊を倒してエルリムを探す!」  ふたりは明日からの戦いについて話し合った。シド=ジルとフレア=キュアの体は、ケムエル神殿に預ける事にした。エルリムを倒せないかもしれないというフレアの仮説は、魔攻衆のみんなには伏せておく事に決めた。  魔攻衆は勢力を取り戻した。予言者シと八熱衆もエルリムとの決着を急ぐだろう。そして聖魔の森の帰還も始まった。ゼロとメロディーは、残された時間がそう多くはない事を予感するのだった。  * * *  ラングレイクとケズラは、シドたちを見下ろす櫓の上で、ブルーボールの観測データを睨みながら議論していた。 「くそう! 確かに反応は出てるんだが」 「やはり、出力が足りんのか……」  一方、サガはふたりから離れ、ホワイトボードに記された数式をジッと見つめていた。 「まてよ……そうか!」  ホワイトボードマーカーを手に取り、数式に修正を書き加えていく。 「分かったぞ、ラング!」  叫ぶとそのままコンソールに取り付き、超電導磁石の出力を絞り始めた。割り出した同調ポイントを慎重に探り出す。ブルーボールの輝きが僅かに鈍った。 「う……あ……」  シドとフレアの意識が戻り始めた。 「おお! シド! フレア!」 「聞こえるか? 返事をしろ!」  ケズラとラングレイクは身を乗り出して横たわるふたりに呼びかけた。 「ここは……」  ふたりがゆっくりと目を開く。ケズラとラングレイクは手を取り合って喜んだ。  シドとフレアは、何とか会話が出来るようになった。ふたりの語る真実は、にわかには信じがたい物だった。森の神エルリムの存在、転送装置で結ばれた閉鎖空間に生きる人々、ケムエルの繭塚に眠る古代人、聖魔や聖霊、時空の狭間に浮かぶ聖魔の森、そして聖魔と戦う魔攻衆。  半信半疑ながらも、ケズラは自分の研究との関連性を指摘した。 「確かにそのエルリムが他の星から来た超文明の存在だとすれば、儂の調査結果と符合するかもしれんな」  ケズラはシドラ海海底クレーターの調査結果をシドたちに語った。 「もし、2700年前の大衝突がエルリムが乗ってきた宇宙船の墜落事故だったとすれば、眠っている古代人はその時助けられた避難民かもしれん」 「閉鎖空間で文明の再建を促したというのも、人間を破壊された自然界から隔離し、自然界の再生を並行していたと想像する事も不可能じゃないが……」  ラングレイクは、我ながら想像が過ぎるかと苦笑いした。だがシドは身動きの取れぬ不自由な体でラングレイクの話を支持した。 「なるほど……それならバニシング・ジェネシスの説明がつく……しかし問題は……その後のエルリムの動きだ……エルリムは人類の管理を……手放してはいない」 「どうやらハッキリしてきましたね」  サガはブルーアイランドの映像をシドたちに見せた。 「間違いない……聖魔の森だ……」 「やはり……2007年に向かっているのね……わたしたちがこのブルーボールに……囚われている限り……エルリムを止める事は出来ない……」 「何とか、対抗手段はありませんか?」  サガはフレアに尋ねた。だが、フレアが語る聖魔の正体は、サガたちを絶望へと突き落とした。 「聖魔の体は、おそらく高次元構造体……わたしたちの存在を平面に例えると、聖魔は立体……わたしたちが攻撃しても、壊せるのは面の部分だけ……しかも、面に受けた攻撃のエネルギーを立体部分の本体が取り込み……再生や攻撃に利用する……例え世界中の軍隊が束になっても、聖魔1匹倒すことは出来ないわ……聖魔を倒すことが出来るのは、同じ聖魔を扱う魔攻衆だけ」  サガたちは愕然とした。魔攻衆のいない現代では、ブルーアイランドの出現が世界の崩壊に繋がりかねないのだ。 「人類を助けたかも知れないエルリムが、本当に支配のために現代へ来るんですか?」  サガは思わず声を荒げた。フレアは淡々と事実だけを語った。 「分かりません……999年も現在も、エルリムの文明に比べれば原始時代に等しい……目的が何であれ、エルリムはそれを望むでしょう……唯一の希望は……子供たちが……」 「ラング……声が……だんだん眠く……」  サガは冷静に2人に告げた。 「心配ない。ここの装置では君たちと会話できるのは72時間周期になるんだ。ありがとう。続きは次の時に」 「もう聞こえないよ」  ラングレイクは観測装置から2人が眠りについた事を確認した。ケズラは呆然としながら呟いた。 「何という事じゃ……。世界の危機が迫っとるというのに、儂らにはどうする事もできんというのか……」 「いや、まだ我々に出来る事はありますよ」  サガは毅然として告げた。 「わたしはこれからブルーアイランドの情報収集に向かいます。世界中にどれくらいの数が出現しているか。2人の話では999年の世界にも聖魔の森は出現しているというし、総てがこちらに向かっている訳でも無さそうだ。それに、何故1000年前に忽然と人類の歴史が再開したのか、その原因が分からない。わたしたちが何も出来ずに惚けていたら、シドたちが次に起きたときに笑われますよ」  サガはニヤリと笑うと、ブルーボールを見下ろす櫓から駆け下りていった。 「待ってくれ、僕も行こう! ケズラ先生、2人をお願いします!」  ラングレイクはケズラに後を託すと、サガと共に連絡機の待つヘリポートへと向かった。  * * *  シド=ジルとフレア=キュアが意識を失って数日後、バスバルス市庁舎では対策会議が開かれていた。 「昨日、セラミケ南部、オロー東部にも、聖魔の森が出現したとの報告です」 「これで、27のコロニー総てに聖魔の森が出現した訳ね」  会議室の壁には、シド=ジルの助言を元に作成したコロニー分布地図が貼られている。市長のシャンズは聖魔の森の記号で埋まった地図を見てため息を吐いた。補佐官たちは、更に各地の最新情報を報告した。 「各地で聖魔の森の浸食が進んでいます。ガニシム市では市街地の大半が森に埋没。幸い、避難は完了しており、人的被害は免れました。現在、避難民は隣のキャブール地区へ移動中です」 「遊撃部隊の増強により大規模な被害こそ防げていますが、各地での聖魔被害、メガカルマの襲撃は増加傾向にあります」  バスバルス以外にも各市から戦士たちがケムエル神殿を目指し、魔攻衆の増強も進んでいる。だがそれでも、こと物量に関して言えば、27のコロニー総てを守りきることは難しい。シャンズは背筋を伸ばすと、補佐官たちに告げた。 「とにかく、ケムエル神殿の戦果に期待しましょう。それまで我々は、各地の防御に全力を尽くす。いいわね!」  全員、厳しい表情で頷いた。だが、全員が決意を新たにした矢先、対策本部に凶報がもたらされた。 「たった今、ゴラン地区が壊滅したと報告がありました!」  かつて水の都と呼ばれたゴランの聖魔の森は、ケムエル神殿のある御神木の森に次いで2番目に大きい。聖魔の森が時空の狭間に封じられた後、多くの人々が入植したが、中核となるゴランが崩壊していたため、小さな村が多数点在することとなった。そのため、住民避難も困難を極め、シャンズは救援のため遊撃部隊30名を派遣していた。だが今、メガカルマの大攻勢により、増援部隊もろともゴラン地区総ての村が壊滅してしまったのだ。シャンズは悔しさからこぶしをテーブルに叩き付けた。 「エルリムも、いよいよ本気になったということね。生存者を出来る限り救出して。残存兵力を総て回しなさい! ゴラン地区は放棄します。全コロニーに警戒を怠らぬよう再度通達しなさい!」  如何に憑魔甲の配備が進むとはいえ、戦いが長引けば不利な事は明らかだ。シャンズは厳しい戦いになることを痛切に感じていた。  * * *  ゴラン攻略を完了した聖霊マテイは、ウバン沼へと帰還した。傷の癒えたラキアとマハノンが彼を出迎える。御神木の森を除くパレル世界26コロニーへの聖魔の森の帰還も総て無事終了した。ラキアはマテイの手際を称えたが、マテイはまるで無関心に告げた。 「言うも愚かな。エルリム様の威光を今一度示すには、この程度の神罰は当然のこと。そんな事より、サグンはいったいどこへ行ったのだ?」  マテイが怪訝な顔をしていると、そこへ沼の奥からアラボスが宙を滑るように現れた。 「サグンは勅命を受け、冥界の森へ行っておる」 「冥界の森?」  冥界の森は闇の森とも呼ばれ、そこに巣くう聖魔やメガカルマは、破壊と殺戮を好む凶暴なものばかりである。サグンは主にその冥界の森の管理を任された聖霊で、彼の率いる第三軍はこの森のメガカルマで構成されている。ケムエル神殿とは封印されたもう一つの結界・カヤの門で繋がっているが、人間の統治を目的とするマテイもまた、破壊と殺戮しかもたらさないこの森の開放については否定的だった。  第三軍のメガカルマは、現在マテイの指揮下にある。その上でサグンを冥界の森に向かわせる。マテイはその意味を考え、急に疑念をいだいた。 「アラボスよ。まさか、エルリム様は」 「思慮に及ばず! お前は魔攻衆の駆除のみを成せばよい!」  アラボスはマテイを制した。如何に四聖霊の一人といえど、マテイはエルリムに直言することは出来ない。大御言を得るにもアラボスを介する必要がある。マテイは人間世界のためにも、魔攻衆の掃討を急ぐ必要がある事を理解した。 「ラキア、マハノン、行くぞ!」  マテイは厳しい表情で告げると、ふたりの女性型聖霊を従え、再び森の中へと消えていった。静寂の支配するウバン沼に、凍てつく風が流れた。  * * *  人々が聖魔の森の脅威に怯えて暮らす中、ケムエル神殿の魔攻衆はエルリム討伐のため進撃を続けた。コリスは次々とメガカルマを撃破し、メロディーは竜神ケムエルの手がかりを得ようと森をしらみ潰しに調査していた。そんな中、ゼロは一つの考えを思いつき、神殿首座ウーに進言した。 「カヤの門を開くじゃと?」  5年前、当時の神殿首座レバントが森の破壊のために開いたカヤの門。冥界の森でレバントは黒繭を紡ぎリリスを蘇らせようとした。 「これまで、クマーリ門の向こうでは、誰もエルリムの御神木を見たことが無い。エルリムを倒すなら、冥界の森も避けるわけにはいかないでしょ?」 「それはそうじゃが……」  カヤの門を開くことは戦線の拡大に繋がる。ウーは悩んだが、ゼロの案を受け入れることにした。  玉座の間で左にあるクマーリ門と対を為す右のカヤの門。ゼロたちは門を塞ぐバリケードを取り除き、結界の鍵を使った。黒い光が溢れカヤの結界が開く。 「それじゃ、行ってきます」  ゼロは数人の魔攻衆を従え、門の中へと入った。闇が一行の周囲を流れ、門の出口へと彼らを運ぶ。急に視界が開け、門の反対側へ出る。 「待て!」  その光景に、ゼロは慌ててみんなを止めた。森が無い! 結界からもぎ取られるように森が消え、門の出口は直ぐに崖になっていた。目の前には時空の狭間の異空間が広がっていた。 「うわあ!」  勢い余った魔攻衆のひとりが崖から落ちる。とっさにゼロは憑魔陣を使うと、崖から飛び降りた。 「ブレードチャンバー!」  ゼロの体が淡い光に包まれる。彗星のような光跡を曳きながら飛翔し、落下し自由の利かない魔攻衆を捕まえる。そのまま弧を描くように崖の上に舞い戻った。 『やっぱり。森が無ければ憑魔陣は使えない。助かったよ、母さん』  ゼロは腰のブレードチャンバーに触れ、フレア=キュアに感謝した。  先に進めぬ一行は、この事実を報告すべく引き返した。戻り際、ゼロは森のない時空の狭間を振り返り、それが何を意味するのか考えた。 「森はどこへ行ったんだ? まさか……」  不幸にも、ゼロの不安は的中していた。  * * *  サガとラングレイクは、ブルーアイランドを見下ろす丘に設置された観測所で測定データを睨んでいた。町をスッポリ覆った森の影が、まるで実態のように見る見るハッキリしてくる。ドーム状の青い光が激しく渦を巻く。 「エネルギーがどんどん上昇しているぞ!」 「ラング! あれを見ろ!」  サガは森の影の中から顔を出していたビル群を指さした。高層ビルが立ったまま粉々に砕け、蒸発するように消滅していく。青い光が空に向かって噴き上がり、急速に薄れていく。ビルの建ち並ぶ町が消え、代わりにむせそうな緑を湛えた深い森が現れた。ついに聖魔の森が2007年に出現したのだ。  町が消滅する映像は、直ちに世界中に配信された。サガのノートパソコンに、次々と森出現の報告が集まる。 「12……16……世界中に出現しているぞ!」  政府は国連を通じ、各国にブルーアイランド出現地域からの住民の退去を進言していた。だが、限定的な情報開示が災いし、森の出現から逃げ遅れた地区も少なくなかった。そしてそれは、更に次なる悲劇を生むこととなった。各国の軍隊が救援部隊を編成し、聖魔の森へ突入を開始したのである。 「調査チームを派遣するだと? フレアの忠告を忘れたのか!」  ラングレイクは驚いてサガの腕を掴んだ。 「森の危険性は充分分かっているさ。だが、聖魔の森が何の目的で出現したのか確かめないことには、今後の対策も立てられない。君はここに残るか?」 「行かいでか!」  ラングレイクは機材を掴むと、サガと共に観測所を飛び出した。  完全武装したレンジャーの1個小隊に伴われ、サガとラングレイクは出現した聖魔の森に足を踏み入れた。 「守られていてこんなことを言うのも何だが、我々の武器は聖魔相手には通用しないんだぞ」  ラングレイクは、キョロキョロと辺りを見回しながらサガに囁いた。サガはフッと笑うと、落ち着いて告げた。 「勿論、隊長以下全員に伝えてあるさ。聖魔を発見しても、決して刺激しないようにともね。それに、攻撃は通用しなくても、防御なら出来るんじゃないか?」  サガは羽織っているジャケットを示した。少し重く、ごわごわと動きにくいが、耐熱耐電耐刃性能を備えている。シドとフレアのもたらした聖魔に関する情報を元に用意された、聖魔の森探索用の装備である。勿論、これで攻撃を防げる保証は無い。だが、無いよりは遙かにましだ。 「こりゃ〜、植物学者も連れて来るんだったな」  ラングレイクは周囲の草木を見て唖然とした。確かに植物には違いないのだが、自分たちが見慣れた物とはまるで異なる。パレルの植物でない事は明らかだ。ラングレイクとサガは、移動しながら聖魔の森分析のためのサンプル資料やデータの収集を続けた。 「シドの話では、聖魔の森の植物は、だんだん異形の物へと変化していったという。パレルの植物をベースに、徐々に変化させていったんだろう。これは想像だが、この光景はエルリムが住んでいた星に近いんじゃないかな」  サガの推測に、ラングレイクは声を荒げた。 「この星の生態系を、上書き出来るというのか!?」  サガが答えようとしたとき、レンジャーの隊長がふたりを止めた。指さす先に動くものがある。 「聖魔か?」  大きなトゲの生えた甲羅を持つカマドウマのような生物が現れた。大きさは大型犬ほどもある。隊員たちが周囲に向けて銃を腰だめに構えた。2匹、3匹、5匹。茂みの奥から次々と同じ聖魔が現れる。隊長が後退の合図をした。全員が慎重に下がり始める。だが、それを見た聖魔が、巨大な脚力で一斉に飛びかかってきた。  戦端は開かれた。隊員たちは飛びかかる聖魔に向けて銃弾を浴びせた。総ての聖魔を確実に捉え、ゴツゴツした甲羅が砕け散る。 「やった」  だが次の瞬間、蜂の巣にされた聖魔が、何事も無かったようにムックリと起き上がった。砕かれた甲羅が、まるで乱れた映像が直るかのように、元通りに復元していく。 「後退、後退だ!」  部隊は来た道を一気に撤退した。再生した聖魔の群れが追撃を開始する。聖魔の放つ火球が隊員たちを襲う。必死に防戦するが、まるで効果がない。しかも、聖魔の再生速度がだんだん速くなっている。 「やはり! こっちの攻撃力を再生エネルギーに変えているんだ!」  サガも、効果がない事を承知で、銃で応戦した。 「とにかく森を出るんだ! 森の外ならエネルギー場も無い!」  気がつけば左右からも別の聖魔が襲ってきた。グレネードで吹き飛ばし間合いを稼ぐ。 「急げ! 急ぐんだ!」  森の外で銃声を聞きつけた支援部隊が加勢し、調査チームの後退を助ける。戦闘ヘリが周辺に攻撃を加え、聖魔の動きを攪乱する。 「いかん! 高度が低い!」  サガが叫んだが遅かった。樹木を抜けて飛行型聖魔が飛び立ち、ビームのような光る矢を次々と放った。炎を上げた戦闘ヘリが落下する。ギリギリまで操縦桿をきり、幸いにもパイロットは森の外へと脱出した。ラングレイクたちも何とか聖魔の森から脱出する事が出来た。防備のおかげで死者こそ出なかったが、かなりの怪我人を出してしまった。 「サガ、大丈夫か?」 「ああ、かすり傷だ」  サガは破れたジャケットの上から、腕の傷を押さえている。医療スタッフが駆けつけ、直ちに傷の手当てをする。 「聖魔の攻撃力がこれほどとは思わなかったよ。これで雑魚だって言うんだから、メガカルマが出たら、それこそ手に負えないな。まったく、聖魔が森から出られなくて助かったよ」  サガは、穴の空いたジャケットを見ながら苦笑いした。だがラングレイクは、厳しい表情で森を見ながら呟いた。 「サガ。森の中には町の痕跡は全く見あたらなかった。町はどうなったと思う?」  サガは一瞬その問いかけに戸惑った。 「そうだな。時空の狭間に飛ばされたか、エネルギーとなって消滅……」  サガはラングレイクが何を考えているのか気づき、背筋が凍った。ラングレイクの顔が恐怖に引きつっていく。 「まずい……みんな、森から離れるんだ! 早く!」  異形の森の周囲に次々と植物が生え始め、成長しながら森の版図を広げていく。それはまるで時計を早回ししたような猛スピードの成長であった。ツタが触手のように伸び、逃げ遅れた装甲車を絡め取る。聖魔の森が、町を飲み込んで獲得したエネルギーを使い、爆発的に成長し始めたのだ。  森の面積は、瞬く間に3倍以上に広がった。丘の上に設置された観測所も撤収を余儀なくされたが、苦労しただけの甲斐はあった。ラングレイクは集めた資料を収めたジュラルミンケースを示しサガに告げた。 「僕はこれから先端研でナノモジュールの確認と構造解析を行ってみる。まったく、あそこの空気中に分子レベルの部品群が充満しているなんて、未だに信じられないよ。フレアの情報がなかったら、絶対に気が付かないな」 「僕はブルーアイランド対策本部へ行く。各国の対応状況が気掛かりだ。また、ブルーボールで落ち合おう」  ラングレイクとサガは固く握手を交わすと、それぞれ連絡機に乗り込み飛び立っていった。 ■24■ 回合  聖魔の森の帰還は一段落し、均衡状態に達した。カヤの門より続いていた冥界の森はそのほとんどが2007年へと移動し、クマーリ門より続く森も、半数が999年のパレル世界へと帰還した。この結果、300近く存在した聖魔の森は、時空の狭間、パレル世界、2007年へと3分割されたことになる。特に、パレル世界に帰還した森は、時空の狭間へ残る森と往来が可能であり、結果としてケムエル神殿のカヤとクマーリ2つの結界は事実上その効力を失った。予言者ギの残した遺産は、ここにその役目を終えたのだ。  一方、999年のパレル世界の住人にとっては、冥界の森の行方は知る由もない。カヤの門、クマーリの門、それぞれの結界から続く森は、互いに独立した存在だった。かつて繭使いリケッツとレバントが活躍した時代にも、先のリリスの変でレバントが黒繭を紡いだときも、直接横断する道は存在していない。唯一2つの森が交わる場所、それは御神木のたもと、即ちエルリムがいる場所であった。フレア=キュアは、エルリムが2007年へ出没する事を予見した。冥界の森が2007年に出現した今、エルリムはまさに2つの時代に手を下せる場所にいる事になる。残された時間が少ないというゼロとメロディーの予感は、まさに正鵠を射ているのだ。  エルリムの計画が着々と進行する中、新生魔攻衆も決して後れを取ってはいなかった。ケムエル神殿の魔攻衆は、日を追う毎に攻勢を強め、特に青の繭使いコリス率いる部隊の進撃は凄まじかった。そしてその結果、ついに新生魔攻衆は、先行する八熱衆の背後を捉えたのである。  ある森を合流場所に十数名の魔攻衆が集結していると、偶然そこへ八熱衆参之者サムガが現れた。魔攻衆たちは多くの負傷者を出しながらもメタルゾーンを効果的に駆使し、サムガを徐々に追い詰めていった。そしてついにサムガの第八の封印が発動し聖魔獣と化したところへ、コリスが駆けつけたのである。 「案ずるな。わたしも後から行く」  コリスは自我崩壊し狂獣と化したサムガを倒し、死にゆくかつての同胞に別れを告げたのだった。  損害を被りながらも八熱衆の一人を倒した事は、魔攻衆の士気をいよいよ高めることとなった。ウー以下新生魔攻衆は、エルリム討伐への確かな手応えを実感したのである。  そしてコリスがサムガを倒したのと丁度同じ頃、メロディーは竜神ケムエルの手がかりを探すため、単身辺境の聖魔の森を巡っていた。大きな森から時空の狭間を飛び越え、一本道の小さな森へと差し掛かった。辺境のせいか、聖魔の姿さえ見あたらない。 「ここも何にも無さそうね……アラ?」  道から少し外れた森の中に、大きな骨が見える。近付いてみるとそれは、巨大な蛇か何かの骨のようだった。半分土に埋まった肋骨のアーチが続いている。 「ワー、スゴーイ!」  メロディーは背骨の連なりを見上げながら、骨のアーチの中を歩いていった。 「なにアレ?」  不意に前方に大きなイガ栗のようなものが見えた。メロディーより少し小さいその固まりが、モゾモゾと動いている。 「あ、森人ヤム!」  メロディーはヘブンズバードを憑着し、一気に近付いていった。 「ウワ! やべ! 見つかった!」  突然飛来した純白の人影に、イガ栗が慌てて逃げ出した。ポッカリ空いた原っぱに出る。メロディーはイガ栗の周囲を旋回し逃げ場を封じると、彼の前に着地した。進退窮まったイガ栗は、いきなりその場にひっくり返り、手足をジタバタさせながらだだっ子のように泣き出した。 「ウワー、ヤダー! 死にたくない! 死にたくないよー!!」 「ちょっと。誰も殺しやしないわよ」  メロディーはその反応を呆れながら見下ろした。イガ栗のようなずんぐりした体。飾りの付いた粗末な槍。間違いない。ジルの記録にあった森人ヤムだ。キキナクと同じ元聖霊で、聖魔の森を熟知している。メロディーはヤムを落ち着かせるため話し掛けようとした。バタつかせる短い足が目に留まる。そのプヨプヨした足の裏を見て、メロディーはハッとした。思わず足を掴み土をはらう。 「これは! ケムエルの紋章!」  なんと、ヤムの右足の裏にも、メロディーたちと全く同じケムエルの紋章が刻まれていた。くすぐったがりジタバタしているヤムを問い詰める。 「アンタ、ヤムよね。元はエルリムの聖霊だったアンタが、何でケムエルの紋章を持ってるのよ?」 「ウヒャヒャ、ウエ?」  メロディーは憑魔陣を解除し、右手のケムエルの紋章を見せた。ヤムは跳ねるように起き上がるとメロディーの紋章をジッと見つめた。瞳いっぱいに涙を浮かべると、泣きながらメロディーに抱きついた。 「ウワ――ン!!」 「ちょっと……どうしたのよ?」  一向に泣きやむ様子がない。仕方なく、メロディーはその場に座り込むと、そのままヤムを優しく抱いてやった。外見とは異なり、トゲだらけのヤムの体は、フエルトのように柔らかかった。 「ピーちゃん、誰か来たら教えてね」  周囲を警戒するため、ヘブンズバードを近くに放す。こんな所を聖霊や八熱衆に襲われたら大変だ。ヘブンズバードは、メロディーの回りをうろうろ歩き回り、近くの枝にとまった。  どれくらい泣き続けただろう。ヤムは泣き疲れ、そのままウトウトと眠り始めた。メロディーはヤムの頭を優しく撫でながら、パレルの子守歌を歌ってやった。    緑萌ゆる永遠(とわ)の都(みや)    栄え打つ時の槌(つち)    黄金(こがね)砂とて    明日あれパレル遙かに  それはまったくの偶然だった。小さな森の反対側から、聖霊マハノンが現れたのだ。しずしずと小道を進むと、森の奥でキラキラと輝く純白の光に気がついた。 「……あれはヘブンズバード。もしや、カフー?」  気付かれぬようそっと近付く。だが、ヘブンズバードの主はカフーではなかった。そしてマハノンは、風に乗って聞こえてくるその子守歌に愕然とした。  突然ヘブンズバードが気配を察知し、メロディーたちを守るように舞い降りる。 「どうしたの、ピーちゃん?」  ヘブンズバードが威嚇する先に、純白のドレスを着た聖霊マハノンが現れた。メロディーはヤムを起こすと、すかさず憑魔甲を構えた。 「待って! 争うつもりはありませぬ」  マハノンは戦う意志がない事を告げると、メロディーを刺激せぬようそっと近付いてきた。 「私はマハノン。生命と豊穣を司る聖霊。貴方と是非、お話がしたいだけ。……座ってもよろしいかしら?」  マハノンはシロツメクサの絨毯に、そっと腰を下ろした。メロディーはまだ警戒を解かない。彼女の背中には、怯えたヤムがしがみついている。マハノンは小さくため息を吐くと竪琴を取り出し、そっとつま弾き始めた。 「え!? この曲は……」  それはパレルの子守歌であった。メロディーが戸惑っていると、マハノンが竪琴を奏でながら話し始めた。 「これはエルリム様より賜りし大切な曲。しかし、歌詞はありませぬ。貴方は先ほど、この曲を歌われていました。魔攻衆の貴方が何故この曲を? それに、その神聖魔ヘブンズバードは、誰にでも懐く聖魔ではありませぬ」  メロディーはマハノンに戦う意志がない事を理解すると、再びその場に腰を下ろした。そしてマハノンの演奏に合わせ、パレルの子守歌を歌い始めた。    緑萌ゆる永遠の都    栄え打つ時の槌    黄金砂とて    明日あれパレル遙かに  メロディーはハッとした。マハノンが竪琴を奏でながらハラハラと涙を流し始めたのだ。演奏が終わっても、マハノンはまだ涙を流していた。 「なぜ……泣いてるの?」 「分かりませぬ。ただ、その歌がどうしようもなく悲しいのです」  メロディーは改めて自己紹介をした。 「この曲はママが歌ってくれた子守歌よ。ピーちゃんは、卵をカフーから譲り受けただけ」  しばしふたりは、和やかに会話をした。 「よく森人を見つけられましたね。森人は我ら聖霊でも探せませんでした」  ヤムがメロディーの背中にギュッとしがみつく。マハノンは優しく微笑むとヤムに告げた。 「ご安心なさい。他の聖霊はともかく、私は貴方を害するつもりはありませぬ」  生命と豊穣を司るマハノンは、元々平和を愛する聖霊であり戦いは好まない。メロディーは彼女との会話でその事を実感すると、この戦いを平和に終わらせる事は出来ないかと切り出した。マハノンもまたその考えに共鳴し、ふたりはその方法を模索し話し合った。だが、ゲヘナパレ帝国の聖魔大戦より600年。それは容易い事ではない。 「私の力ではエルリム様に進言する事は出来ませぬ。しかし、同じパレルの子守歌を継ぐ者同士、これ以上血を流すことなく平和を迎える道は必ず見つかるはずです」 「とにかく、また話し合いましょ。この次はわたしの双子の兄も連れてくるわ。あいつも子守歌を継ぐ者だし。仲間は多い方がいいでしょ」 「はい。私も仲間となる者を探してみます」  魔攻衆と聖霊は分かり合える。メロディーとマハノンは固く握手を交わし、平和のために力を尽くす事を誓い合った。  再会の約束をしマハノンを見送ると、メロディーは原っぱの真ん中で新しい希望を噛み締めていた。今までエルリムを倒すことだけを考えていたが、確かに話し合いで決着する可能性もある。そしてそれが最も望ましい結末を迎えられることは言うまでもない。 「よーし、やるぞ──!」  こぶしを振り上げ興奮冷めやらぬメロディーは、裾を握ったままこちらをジッと見上げているヤムに気が付いた。 「そうだ。竜神ケムエルも話し合いなら絶対力になってくれるわよね。あんた、森に詳しいんでしょ? ケムエルの縁(えにし)ある者なら、当然竜神ケムエルの居場所も知ってるわよね」 「ケムエル?」  ヤムはキョトンとすると、裾を掴んだまま来た道を戻り始めた。 「ケムエル、死んじゃった」  ヤムは、先ほどメロディーが通った巨大な骨を指さした。 「やだ、ちょっと……冗談でしょ!?」  メロディーは背骨に沿って走り出した。ツタに覆われた茂みの中に、巨大な龍の頭蓋骨が横たわっていた。 「そんな! あたしたちを呼んどいて、いったいどういう事よ!」  希望は瞬く間に不安へと変わった。頼みの綱の竜神ケムエルが既に死んでいるなんて。ヤムの話によると、300年前、繭使いリケッツ,レバント親子が聖魔の森を時空の狭間へ封印するとき、竜神ケムエルはその力を使い果たしたのだという。そして死ぬ間際、最後の力でレバントを不死に変え、辺境のこの森で静かに息を引き取ったのだ。 「それじゃもう、エルリムに対抗できる力は存在しないの? ケムエルの繭塚もオニブブも、エルリムの自由になっちゃうの?」 「メロディ?」  心配そうにヤムがメロディーを見上げている。メロディーは、ヤムをギュッと抱きしめた。  * * * 「爆撃計画だって!?」  ブルーアイランド対策本部を訪れたサガは、対策会議の席上で軍部の提出した計画に驚いた。 「君の情報通り、ブルーアイランドにはドーム状の有効高度が存在する事が確認できた。モンスターが森の中では無敵なのであれば、その見えないドームの上空から絨毯爆撃を加え、森ごと焼き払ってしまえばいい」  軍参謀の言葉に、サガは激怒して立ち上がった。 「森が増殖した報告を読まれてないんですか! 爆撃なんかしたら、それこそ火に油を注ぐようなものだ!」 「サガ君。君の懸念はもっともだ」  大統領補佐官がサガを制した。 「無論、増殖のリスクは承知している。だが、我が国としても、足並みを揃えぬ訳にもいかんのだ」 「足並みを揃える?」  サガの疑問に、補佐官が話を続けた。 「国連の非公式協議により、各国とも明朝をもって聖魔の森への一斉攻撃を行うことが決定された」 「まさか! 増殖の可能性について警告しなかったんですか!?」 「我が国には例のブルーボールがある。ブルーアイランドが世界中に出現したのも、シド教授があの遺跡を発見した事がきっかけではないか。我が国としても、あらぬ嫌疑を掛けられぬためにも、不用意な情報開示は絶対に避けねばならん」  サガはその言葉に愕然とした。いまやシド夫妻は、世界に危機をもたらした元凶として見られているのだ。これが真実を解き明かした者への仕打ちだというのか。サガは崩れるように椅子に座った。  翌朝、国内7つの森に対し絨毯爆撃が開始された。攻撃は数時間に及び、森は完全に炎に包まれた。サガは大統領補佐官たちと共に軍用ヘリに乗り込み、焦土と化した森の視察に向かった。 「各国とも、無事に森を焼き払えたようだ。どうやら、増殖の心配は無用だったようだな」  上機嫌な補佐官を前に、サガは未だ不安をぬぐえずにいた。 『この程度で済むはずがない!』  前方に、黒こげになった聖魔の森が見えてきた。火は未だくすぶり続け、もうもうと黒煙を上げている。サガは双眼鏡で地上の様子を見た。焼けこげた異形の樹木が続いている。確かに、地上に動く物は見あたらない。 『聖魔がいない。高次元構造体の彼らが、この程度の炎でやられるとは思えない。やはり森が消失した事で、エネルギー場を維持できなくなったという事なのか?』  サガは疑問に思った。フレアの推論では、エネルギー場は地中に浸透したナノモジュールによって生み出されているはずだ。表土が焼けた事で、ナノモジュールも破壊されたのだろうか。 『そういえば、各国から収集した情報でも、聖魔は確認できたが、メガカルマは1体も確認されていなかった。超文明を持つエルリムが、この程度の攻撃でやられる聖魔の森を、何故送り込んできたんだ? それとも……』  その時、煙の中に何か大きな物陰が見えた。サガは思わず叫んだ。 「機長! 10時方向、煙の中に何かある!」  ヘリが風上へと回る。煙の中に、紫色のタケノコのような物が見える。高さは20メートル近くありそうだ。 「爆撃する前には、あんな物は見られなかったが……おい! 伸びるぞ!」  まさにタケノコのように、地中からメキメキと伸び始める。その姿はまるで、紫色の三角帽子を積み重ねたようだ。 「1段、2段、3段……何なんだ、あれは?」 「おい! あっちにもあるぞ!」 「あ! 向こうにも!」  森のあちこちから次々と生え始めていた。高い物では100メートル以上に成長した。積み重なった三角帽子の形状が徐々に変化してきた。端の部分に何本も亀裂が走り、傘の骨のように別れていく。頂上部分は小山のように丸みを帯び、側面には青いレンズのような出っ張りが次々と浮き出てくる。サガは自分の目を信じたくなかった。 「あれは……まさか破滅の蟲ヨブロブ!?」  地面から生えだした突起は、ヨブロブが積み重なったものだったのだ。人類は、最悪の敵を呼び起こしてしまったのである。 「サガ君、あれは何なのだね?!」 「あれは最強の生物兵器です! どうやらエルリムは、我々の文明を滅ぼすつもりらしい。補佐官、直ちに非常事態宣言を! あいつは森に関係なく自由に活動できます!」  サガたちを乗せた軍用ヘリは、直ちに全速力で帰投した。  * * * 「その聖霊、本当に信用できるのか?」  翌日、辺境の森の同じ場所で、メロディーはゼロを伴いマハノンが来るのを待った。 「彼女は信用できるわ。竜神ケムエルが死んでる以上、彼女を頼るしか方法がないでしょ」  メロディーは気乗りがしないゼロに答えた。今日はヤムの姿はない。メロディーはヤムに、来ないように告げておいたのだ。  ヘブンズバードが気配を察知した。どうやらマハノンが来たようだ。森の中から2つの白い人影が現れる。 「メロディー。お待たせしてごめんなさい」  マハノンは連れてきたもう一人の聖霊を紹介しようとした。だがその瞬間、ゼロとその聖霊の血が沸騰した。 「マテイ!!」 「ゼロ!!」  ふたりは一瞬にして戦闘体勢を取り飛び立った。マハノンとメロディーが制止する間も無く、空中でゼロの剣とマテイの巨大な爪が激突した。力は互角だった。ふたりの凄まじい剣圧に、お互いの背後の森がズタズタに吹き飛んだ。メロディーとマハノンは慌てて鍔迫り合うふたりを止めた。 「止めるな、メロディー!! こいつはミントの仇だ!!」 「何のマネだ、マハノン!! シャマインの死を忘れたか!!」  マハノンとメロディーは、マテイとゼロを羽交い締めにして押さえた。 「承知しています。ですが、ここは私に免じて、どうか剣を納めて下さい!」 「落ち着きなさいよ! 今日は話し合いをするんだって言ったでしょ!」  ふたりの必死の制止に、ゼロとマテイはようやく戦うことを止めた。  小さな原っぱの中央で、2度目の会談が始まった。メロディーとマハノンは相方を押しとどめるように座っている。メロディーが目配せすると、マハノンは竪琴を取り出しパレルの子守歌を奏で始めた。 「その曲はよせ、マハノン!」  マテイは憮然として告げた。だがその竪琴の音色に、メロディーが歌を重ねた。メロディーは肘でゼロの脇腹を突き、一緒に歌えと促す。ゼロも渋々歌い始めた。    緑萌ゆる永遠の都    栄え打つ時の槌    黄金砂とて    明日あれパレル遙かに 「この歌は……」  マテイの心の奥底から、大いなる悲しみが込み上げてくる。瞳に涙が押さえようもなく溢れ出す。マテイはたまらず口元を押さえ、横を向いた。エルリムをも超える力強い願いが、マテイの体を締め付ける。 「これは……いったい何なのだ!」  その優しくももの悲しい歌に、4人はしばしの間身をゆだねた。  マテイは厳しい表情で告げた。 「人間は欲望にその身を翻弄される。ねたみ、憎しみ、裏切り。エルリム様は、浅ましき人間どもに平安の世を築かせるべく導いてこられた。だが、幼きお前達はその度に煩悩に焼かれ、パレルの大地は血と涙に塗られた。エルリム様はやむなく三度も終末をお与えになり、そしてようやくゲヘナパレ帝国が建国された。だが、エルリム様の願いが届いたかと思えば、またしても人界は欲望にただれていった。あげく、恐れ多くもエルリム様を遠ざけ、蛮行を繰り返してきたのだ。お前達はそれでも、エルリム様の加護無しで生き続けられるというのか!」  身にまとったゲヘナパレ帝国錬金術師の闘衣から、ジンたちゲヘネストの矜持がこみ上げる。ゼロはひるむことなくマテイの指摘に真っ向から反駁した。 「確かに帝国は腐りきっていた。だが、腐敗する帝国にあっても、錬金術師たちはより良い国へと変える熱意を常に抱いていた。その子孫はエルリムのいないパレルを受け継ぎ、こうして600年生き続けてきた! それに……」  ゼロは更に、自分たちの秘密を明かす覚悟を決めた。 「ボクたちふたりは、1000年後の未来から来た人間だ。確かにボクたちの時代でも、殺人も戦争も無くなってはいない。だが人間は、自ら滅びを選ぶほどバカじゃない! 2007年の未来では、既に17億にも増えた人類がこの星で生き続けている。そしてこの先の1000年間も、エルリムも君たち聖霊も存在していない。人間にエルリムの加護は必要ない!」 「馬鹿な! 我らがもうすぐ消えるだと?」  マテイは思わず立ち上がろうとした。マハノンが慌ててそれを止めようとすると、マテイは分かっているとばかりにその手を遮り腰を降ろした。 「自ら滅びかねぬ危うい世界にあっても尚、エルリム様の御加護を拒むというのか」 「例えこれからもどれほど血を流すことになろうとも、人間は自らの手で未来を繋ぐ。それが後世を受け継いだボクたちの使命だと思う。それでももし、人間が滅びてしまったのなら、それはボクらが愚かだったというだけだ。神の手助けはいらない!」 「話にならん!」  マテイとゼロの意見は、完全に平行線で終わった。だがそれでも、ふたりの意識の中には、お互いを尊重する思いが芽生え始めていた。  会談をこのまま決裂させたくはない。場の雰囲気を和らげようと、マハノンとメロディーはわざと話題を変えた。 「それにしても、聖霊の私が知っている曲が、パレルの子守歌として1000年後にも歌い継がれていようとは。まったく、不思議なこともあるものですね」 「うちの家系だけに伝わっている歌みたいよ。キュアという魔攻衆がこの歌を知っていて、彼女がわたしたちのご先祖様らしいの」  ふたりは何気なくパレルの子守歌へと話題を振った。だがそれに対し、ゼロは思いも掛けない真実を告げた。 「それほど不思議な話じゃないさ。キュアは元々、聖霊のプロトタイプだったんだから」  メロディーは驚いてゼロを見た。 「キュアが聖霊のプロトタイプ? どういうことよ、いったい?」  ゼロはマテイたちをジッと見つめ、何かを考えながら話を続けた。 「ボクが予言者ギの力でこの時代に帰ってきたとき、たまたま5年前のキュアを見たんだ。父さんがカフーに取り憑いた聖霊のプロトタイプの話をしていただろ。当時はカルマと呼んでいたけど。男のプロトタイプと対をなす女のプロトタイプとして、おそらくエルリムはキュアを生み出したんだ。そしてカフーがレバントを倒したとき、失敗作と思ったのか、エルリムはキュアを人間へと変えた。それが魔攻衆キュアの正体さ」  その話を聞き、マテイはフッと笑った。 「なるほどな。それでキュアとやらもあの曲を知っており、子孫であるお前達も受け継いだということか。聖霊の血を引くのなら、神聖魔が従うのも頷ける」 「そいつはまだ分からないよ」  ゼロはマテイの理解にくさびを打った。ゼロは、マテイとマハノンのその姿に、大きな疑問を感じているのだ。 「ボクたちが聖霊の子孫と呼べるかどうかは、まだわからない」  マテイもマハノンも、メロディーでさえも、ゼロが何を言いたいのか理解できなかった。ゼロはゲヘナパレ帝国で見てきた事実を語り始めた。 「ボクはゲヘナパレ帝国に飛ばされていた2週間の間に、錬金術師工房長のジンに連れられ残存聖霊の掃討作戦に参加した。そこで見た聖霊は、体つきは人間と同じだったが、表情はむしろライオンに近かった。その後、ジンはエルリムに特攻をかけ、聖霊の揺りかごを完全に破壊した。かつては聖霊アモスだったキキナクも、エルリムは二度と聖霊を生み出せなくなったと言っている」 「貴様……何が言いたい」  マテイは怪訝な表情で次の言葉を待った。 「ボクもキュアが先祖と知って正直驚いた。ボクたちも聖霊の子孫なのかってね。だが今こうして君たちを見て確信したよ。5年前、キュアは人間にされたんじゃない。人間に戻されたんだ」  マテイとマハノンはゼロの言葉に愕然とした。 「マテイ。君たちは元々人間なんじゃないのか?」 「貴様!」  マテイの鋭い爪が伸び、ゼロの喉に突きつけられる。だがゼロは微動だにせず、じっとマテイの目を睨んでいた。 「マテイ。ボクからもお願いする。戻ってエルリムに伝えてくれ。人間はあなたを必要としないと!」 「クッ……」  マテイは唇を噛み、ゼロを睨み返した。マハノンが突きつけた左腕にそっと手を添えている。マテイは視線を切り爪を元に戻した。審判の聖霊に相応しい森厳な表情に戻ると、すっくと立ち上がった。 「残念だが、もはや寄るべきものは無い。帰るぞ、マハノン」  マテイは純白のローブを翻し背を向けると、少しだけ振り返りゼロに告げた。 「次に会うのは戦場だ。その時まで、その命預ける」  そう告げると、マテイは会談の場を後にした。マハノンは何も告げられずひと目メロディーを振り返ると、森へと消えていくマテイを追った。メロディーは立ち上がると、マハノンの背中へ叫んだ。 「わたし、諦めないからね! マハノン、あなたも諦めないで!」  ふたつの純白の人影が、深い森の中へと消えていった。メロディーは呆然と見送ると、不意に振り向いてゼロの頭をパカンと殴った。 「あいた!」 「何やってんのよ、アンタ! せっかくのチャンスだったのに!」  ゼロは頭をさすりながら立ち上がった。 「仕方がないだろ〜。ボクらも神殿に帰ろうぜ」  こうして会談は決裂した。だが4人は、それぞれの心に僅かな兆しが芽生えた事を感じていた。  4人が去った小さな原っぱに、静かに風が流れた。不意に、原っぱの中央に、黒い闇が水溜まりのように広がる。 「いっちゃった」  闇の中から、ゆっくりと森人ヤムが姿を現す。その背中には、ガリガリに痩せこけた少年を負ぶっている。少年は、途切れそうな意識の中、顔を上げる力もない。だがその表情には、笑みが浮かんでいた。 「……これは……最後の希望だよ、マモン……」  少年は、柔らかい森人ヤムの背中で、再び気を失った。 ■25■ 戦渦  ブルーアイランドへの空爆は、破滅の蟲ヨブロブの誕生という最悪の結果をもたらした。対策本部へ戻ったサガは、直ちに迎撃態勢に入った。大統領が非常事態を宣言し、全軍に命令が下る。第一波の攻撃が羽化途中のヨブロブへと浴びせられる。だが、サガの予想通り、攻撃は全く通用しなかった。  帰還したサガのところに、聖魔の森の資料を分析していたラングレイクからの報告が届いた。分析の結果、それが自然物質ではないことまでは理解できたが、どのような原理で動いているのか、その構造も含めついに解き明かすことは出来なかった。 「こいつを作った連中は、僕等から見れば実質的に神と同じだよ。どんだけ進んだ文明か見当も付かん!」  モニター越しのラングレイクは、憔悴しきった顔で告げていた。今我々が戦わなければならないヨブロブは、まさに神獣と呼ぶにふさわしい敵なのだ。  夥しい数のヨブロブが、焦土と化した聖魔の森から溢れ出す。各国とも全軍を上げてこれを迎え撃ったが、攻撃は通用しないばかりか、その圧倒的な破壊力によって蹴散らされてしまった。2007年の科学力では、ヨブロブの足を止める事さえ不可能なのだ。都市は炎に包まれ、かつての帝都ガガダダ以上の惨劇が世界を包んでいった。  そんな絶望的な状況の中、サガに国連への出頭命令が告げられた。 「ブルーボールの情報が漏れた、我が国としても、これ以上隠しておく事はできん」  大統領の言葉に、サガは終始無言だった。専用機に乗り込み、国連へ向かう。サガは、最悪の結末が近づいている事を予感した。  * * *  ウバン沼への帰路、マテイはゼロの告げた話について考えていた。  自分たち聖霊が人間から創られたという話は、マテイにも腑に落ちる所がある。次々と生まれいく聖魔やメガカルマと異なり、自分たち聖霊は忽然と誕生した。そして後継となる聖霊は未だ生まれず、自分たちの出生もまた知らされていない。だがマテイは、その事に動じてはいなかった。自分たちが人間から創られたとしても合点がいくし、むしろ人間を越え人間を導く存在となったことに誇りさえ感じる。  気がかりは、森の神エルリムの加護無しに人間が1600年繁栄を続けたという事実であった。 『人間は神を必要としない!』  その言葉は、自分たちの存在への楔となる。永遠の繁栄をもたらすはずの森の神エルリム。その復活のために魔攻衆を排除し、再びパレルの地へと降り立つ。卑しき人間に神罰を下し、浄化の世を築きあげる。その行為そのものに迷いの種が植えられたのだ。  マハノンは穏やかな表情でマテイの隣を歩いていた。会談は決裂したが、マハノンはマテイの微かな仕草から、会談が決して無駄ではなかったことを感じていた。 「わざわざ、命預けるなどと。あの者たちをお認めになったのですね」  マハノンの囁きにマテイは振り向くことなく答えた。 「勘違いするな。わたしはこの手で決着をつけたいだけだ」  マハノンは嬉しそうにクスクスと笑った。  ふたりの前にウバン沼が見えてきた。ラキアは八熱衆を追っており、沼には誰もいないはずである。だが畔の木陰に、純白の甲冑が立っていた。第三軍軍団長のサグンである。マテイは驚くと、サグンを問い詰めた。 「サグン。今まで何をしていた!」  サグンは無言でその場に片膝を付き頭を垂れた。だがそれはマテイへの礼ではなかった。木陰から純白の甲冑をまとうもう一人の男が現れた。 「久しぶりだな、マテイ」 「お前は、ケリフォス!!」  それは聖霊の列席から追放された堕聖霊ケリフォスであった。  森の神エルリムは、新たな下僕として8人の新聖霊を生み出した。ケリフォスは、シャマイン,ラキア,サグンの三軍を統べる元帥で、死と破滅を司る聖霊であった。マテイは、破壊と殺戮を愛するケリフォスを聖霊の列席に加える事に反対し、彼を冥界の森深く幽閉した。だが、そのケリフォスが今、マテイの目の前に立っている。 「何だ、その醜い腕は。無様なものだな」  ケリフォスは前髪を掻き上げながらマテイの左腕を笑った。 「ケリフォス。貴様、何故ここにいる?!」  マテイはマハノンをかばうように立ちはだかると、巨大な左腕を構えた。だがその時、ウバン沼の奥から聖霊アラボスが現れた。 「エルリム様の命により、ケリフォスを聖霊の座へ戻す」  マテイとマハノンはその決定に愕然とした。 「馬鹿な! パレルを血に染めようというのか!」 「アラボス! どうかお考え直すようエルリム様をお諫めして!」  だがアラボスはふたりの言に耳を貸さず、逆にマテイとマハノンを弾劾した。 「お前達こそ、こそこそと魔攻衆などとざれ合い、いったい何を企んでいる。よもやエルリム様を裏切るつもりではあるまいな?!」 「何を言うか!」 「我らはこれ以上無益な血を流さぬようにと」  マテイとマハノンは釈明しようとした。しかしその瞬間、ケリフォスがふたりに術を放った。ギラギラと輝く光の螺旋がふたりの体を締め上げる。  苦悶の表情を浮かべる二人に眉一つ動かさず、アラボスは湖面に手のひらをかざした。ウバン沼の水面が盛り上がり、水中から巨大な繭が姿を現した。繭はうっすらと明滅し、誕生が間近な事を告げていた。 「まさか! 四象獣まで?!」 「嗚呼、エルリム様!」  森の神エルリムは総てを無に帰する決定を下したのだ。これまで何のために思慮を巡らし戦ってきたのか。マテイとマハノンは絶望に打ちひしがれ、唇を噛んだ。  アラボスはゆっくりと四象獣ケルビムの繭に降り立つと、マテイたちを見下ろしてエルリムの命令を告げた。 「三軍と我ら四聖霊は、この日のためにある!」  * * *  マテイたちが捕縛された頃、上位四聖霊の一人である知の聖霊ゼブルはウバン沼から少し離れた記憶の島で、先代の聖霊たちが残した創世の記憶を紐解いていた。  森の神エルリムと竜神ケムエルは、涙に暮れながらパレルの地へ降り立った。焼けただれた大地。煮えたぎる海。御神木バオバオは無数の枝を地に伸ばすと、深い深い森を産んだ。無数の森が世界を覆い、黄金のオニブブがパレルを癒す。エルリムは揺りかごを揺らし聖霊を産んだ。 「ケムエルよ。パレルに生命の息吹を与えておくれ」  緑が赤い大地を覆い、ケムエルは空を駆け聖霊を率いた。花は咲き、鳥は歌う。聖霊はあまたの獣を産み、名を付けた。 「今こそパレルに創世をなそう」  竜神ケムエルはバオバオの根に降り立ち、森の神エルリムへ告げた。ケムエルは一つの繭塚を祝福すると、聖霊長アモスに人間を生み出させた。 「その獣、汝らを惑わす知恵ある獣。交わること、決してまかりならぬ」  エルリムは聖霊に契約を課し、最初の創世が始まった。  エルリムの庇護の元、豊かな恵みに人間の村々は栄えた。だが人界は瞬く間に麻の如く乱れ、無益な殺戮に大地は血に染まった。嘆いたエルリムは創世からやり直す事を決めると、竜神ケムエルにオニブブを放つ事を命じた。  二度目の創世もまた、苦渋に満ちた物となった。一つの繭塚を開き、平安の世を築けたかに見えたが、二つ目の繭塚を開くと、熟した実が落ちるように乱世へと変わってしまった。  第三の創世では、同時に3つの繭塚を開いた。竜神ケムエルも今まで以上に人界に関わり、有為転変の世ながらも繁栄が始まった。だが遅々として混沌の晴れぬ人界に、エルリムは三度目の終末を与えることを決めてしまった。竜神ケムエルはこれに異を唱え、エルリムとケムエルの間に、聖霊をも巻き込む千日の不和が訪れた。人界の繁栄は腐臭へと変わり、エルリムが自ら終末を為す決意をすると、ケムエルはやむなくオニブブを放った。  そして第四の創世が訪れた。竜神ケムエルは七つの繭塚を開くと、人界を聖霊に任せ、影を潜めた。エルリムの目が及びにくい中、聖霊アモスは契約を破り、ナギ人が生まれてしまった。その一方、人界には初めて堅固な都市国家ゲヘナパレ帝国が誕生した。エルリムはパレル歴を開くことを許すと、帝国は順調に繁栄を続けていった。聖霊たちは新たに繭塚を開き、帝国は益々繁栄を謳歌した。しかし、暖衣飽食の陰に、腐敗もまた忍び寄っていた。四百年の繁栄を経て、帝国中枢の腐乱が目に余る物となると、エルリムはケムエルに問うことなく聖魔を生み、人界に神罰を加え始めた。  だがゲヘナパレ帝国は、公然と反旗をひるがえした。知の聖霊マモンより多くの知識を与えられ、帝国錬金術師たちは、聖霊をも凌ぐ力を備えていたのだ。エルリムはマモンを森人に変えて罰すると、聖霊たちに人界への制裁を命じた。だがついには聖霊は錬金術師に破れ、滅ぼされてしまった。そして錬金術師たちは、森の神エルリムにさえも戦いを挑んだのである。  激怒したエルリムは錬金術師たちを滅したが、御神木バオバオの一部、聖霊の揺りかごを失ってしまった。そして破滅の蟲ヨブロブを放ち、ゲヘナパレ帝国の殲滅を図った。見かねた竜神ケムエルはついに滅びの蟲オニブブを放ち、帝都ガガダダを消し去った。 「こうしてゲヘナパレは滅んだが、エルリム様もまた、手足となる聖霊を失われた。そしてエルリム様は竜神ケムエルの進言を受け入れ、ナギ人ギの作りし結界の奥へとその身をお隠しになられた。だがその後、聖魔のみ残った森は、繭使いと竜神ケムエルの力により、時空の狭間へと追いやられてしまった。今にして思えば、竜神ケムエルは、始めからエルリム様を人界から遠ざけるつもりだったのであろう」  聖霊の記憶を読み解き、ゼブルはそこまでの先史を確信した。だが、そこからが分からない。 「この時、竜神ケムエルは力尽き、死を迎えた。我ら聖霊も復活した今、もはやエルリム様に異を唱える者はいない。にもかかわらず、エルリム様はこれまで以上に慎重になっておられる。まるで何かを恐れるように……」  その時、不意にゼブルは、自分を見つめる気配に気付いた。 「マテイか?」  ここに来られるのは、エルリムの使徒だけのはずである。だが視線の先にあったのは、黒いローブの男であった。 「おぬしは?……そうか、カフーか」  杖を手に立ち上がる。その時、カフーの背後から、更に3人の黒い人影が現れた。仮面の八熱衆アビーチとプラタナ、そして予言者シであった。 「でかしたぞ、カフー。知の聖霊ゼブルとは上出来だ」  身の危険を感じたゼブルは杖を構えようとした。だがその瞬間、既に両脇からアビーチとプラタナに押さえられていた。そのまま強引に地面に跪かされる。見上げると目の前に予言者シが立っていた。 「貴様、何者?!」 「我は予言者シ。エルリムに取って代わる者」  そう告げると、シはゼブルの頭を鷲掴んだ。ゼブルの記憶が吸い出される。 「グア――!」 「見つけたぞ! とうとうエルリムの居場所を見つけたぞ!」  用が済むと予言者シはそのまま手のひらから黒い光を放ち、ゼブルの頭を吹き飛ばした。上半身までえぐられたゼブルの体が、丸太のように地面に転がる。 「これで我らの勝ちだ。ハハハハハ!」  勝ち誇る笑いを残し、予言者シは八熱衆とカフーを伴い、再び森の中へと消えていった。  * * *  魔攻衆、八熱衆、聖霊。三つ巴の戦いは、いよいよ終盤の様相を呈していた。  聖霊ラキアは八熱衆ラウラバを探し当てると、ついに雪辱を果たした。重傷を負い敗走するラウラバの跡をつける。 「お前達の主の元へ案内してもらうぞ」  だが、その追跡を、八熱衆タパナが遮った。 「死してシ様の礎となれ!」  タパナはラウラバの第八の封印を解放し、ラキアを討たせた。島一つ崩壊させる激闘の末、ラウラバとラキアは命を落とした。そしてタパナが逃げた一瞬の隙を突き、その戦いに気付いた青の繭使いコリスがタパナを仕留めたのだった。  コリスは下肢の千切れたタパナの胸ぐらを掴み問い詰めた。 「シゼは、予言者シはどこにいる!」  タパナは消えゆく最後の意識で笑いながら告げた。 「ハハハハハ。御神木バオバオの在りかは知れた。もはや誰も、シ様を妨げることは出来ぬ。見るがいい!」  タパナは血反吐を吐きながら森の奥を指さし、そのまま絶命した。コリスはタパナを地面に下ろすと、その方角を見上げた。樹海の奥に、巨大な黒い繭が顔を出していた。 「な、何だあれは!」 「隊長!」  コリスが唖然と繭を見上げていると、彼の部隊の魔攻衆たちが追いつき、集まってきた。  ゴゴゴゴゴ……!  バキバキバキ!  役目を終えた繭が、音を立てて壊れていく。中から、巨木を遙かに超える巨大な竜が姿を現した。それは予言者シの切り札、四象獣リヴァイアサンであった。  一方、ケムエル神殿も戦雲の激震に包まれていた。バスバルス市長のシャンズより、陥落したコロニー・ゴランにメガカルマの大部隊が集結中との連絡が入ったのだ。 「何でよ? 何でゴランなんかに集結してるわけ?」  コリスの部隊を除くほぼ全軍がバスバルスへの増援準備に追われる中、メロディーはゼロやウーに問いただした。 「知るもんか! よし! 準備の出来た隊から出発してくれ!」  ゼロはフロートカーへの搭乗の終わった部隊から発進を指示した。メロディーがウーの腕を掴むと、ウーは思慮を巡らし答えた。 「地の利は向こうにある。わざわざこれ見よがしにゴランを集結地に選んだのには、何か理由があるんじゃろう。陽動か、それとも罠か……」  ゼロは振り返ると吐き捨てるように告げた。 「考えてもしょうがないさ! 大部隊に自由に動かれたら、それこそコロニーを守りようが無い。罠があろうと、奴らが動く前に突入して、指揮している聖霊を叩くだけだ。今度こそ、マテイと決着を付けてやる! ウー老師、神殿の守りをお願いします。行くぞ、メロディー!」 「あっ! ちょっと、待ってよ!」  ゼロとメロディーはフロートバイクに跨ると、神殿主力部隊と共にシャンズの元へ急行した。  * * *  国連での不眠不休の協議を終え、サガはケムエル神殿遺跡へと帰ってきた。明日はシドたちに5度目の目覚めが訪れる日だ。幸いにして、ヨブロブはエルリム樹海には現れていない。専用機から降りると、樹海には夕闇が迫っていた。玉座の間へ入ると、一足先に到着したラングレイクと、留守を預かったケズラ教授が出迎えた。シドたちを見下ろす櫓の上で、3人は再会の握手を交わした。 「ふたりとも、ご苦労じゃった!」  聖魔の森が2007年に出現してからというもの、サガもラングレイクも睡眠すら満足に取っていない。二人の表情から、疲労が限界に達していることは容易に見て取れる。だがその目はギラギラと力を帯び、並々ならぬ覚悟がひしひしと伝わってくる。 「それで、国連はどんな決定を?」  ラングレイクはサガに尋ねた。サガは直ぐに答えようとせず、腕時計を気にしていた。サガが切り出せずにいると、ケズラが代わりに口を開いた。 「ここを核攻撃するんじゃないかね?」  その言葉に、サガとラングレイクが驚いた。 「一昨日、ふたりの4度目の目覚めの時、フレアが言っておったよ。ヨブロブを止めるには歴史交差を切り離すしかない。そのためには、核爆発の電磁場を使ってブルーボールを圧縮消滅させるしかないとな」  ラングレイクは唇を震わせると、サガの胸ぐらを掴んだ。 「本当か、サガ?!」  サガは沈痛の面持ちで答えた。 「その通りだ。ふたりが目覚める時間に最も歴史交差が弱まる。そのタイミングに合わせ、遺跡の周囲に配置した64発の核爆弾を同時に爆発させる。作業チームが既にこちらに向かっている」  ラングレイクはサガを離すと、櫓のフェンスに怒りをぶつけた。 「くそう! どうすることも出来ないのか!」  サガは無表情で続けた。 「もう時間がないんだ。国連の分析では、あと3日もすれば、世界中の都市は総て廃墟に変わる」 「じゃが、たとえ歴史交差を解くことが出来ても、ヨブロブが本当に活動を停止する保証は無かろう」  ケズラは疑問を口にした。ブルーボールが消滅し時代交差が解消したとしても、自立兵器であるヨブロブが活動を停止する保証はない。その事は関係者の誰もが理解している。理解した上で、2007年の人類には、ブルーボールの消滅に賭ける事しか出来ないのだ。  冷却装置の冷気が、玉座の間を重く凍らせる。サガは意を決すると、ケズラとラングレイクに一つの提案をした。 「ここの施設を停止させてはどうだろうか」  ふたりは驚いてサガを見た。 「装置を止めればシドとフレアの意識は999年に戻るはずだ。フレアがそこまで理解しているなら、この危機を伝えてくれるんじゃないか?」  確かに999年の側でエルリムを倒すことが出来れば、ヨブロブも活動を停止するに違いない。だが、核攻撃まで24時間しか無いことは、999年の側でも変わりはない。ブルーボールが消滅すれば、シドとフレアの肉体も失われてしまうだろう。また、消滅の如何に関わらず、装置を停止させる事は明らかな反逆行為と言える。だがそれでも、3人は現代を救える可能性は、999年のすう勢にあると判断した。 「ゼロとメロディーには無茶を頼むことになるが……」 「それしか方法は無いじゃろう」  3人は頷くと櫓から駆け下りた。磁場発生装置の制御板に取り付き、停止シークエンスの入力を始める。だがその時、武装した兵士達が玉座の間へ突入してきた。 「3人とも装置から離れて下さい」  銃口が3人を取り囲む。隊長らしき男が一歩進み出て告げた。 「ここの施設は現状をもって凍結します。装置には手を触れないでいただきたい」  続いて作業班が装置のコンソールを封印していく。ラングレイクが歯ぎしりしていると、サガは兵士の包囲を振り切り、メイン電源のブレーカーに手を伸ばした。  パーン!  1発の銃声が玉座の間に響いた。今一歩のところでサガの手は空を切り、そのまま肩を押さえて床に転がった。 「手間を掛けさせないでいただきたい。お三方は本件の専門家だ。これ以上手荒な事はしたくありません」  サガ、ラングレイク、ケズラの3人は、万策尽きてしまった。  * * *  その夜、ケムエル神殿は静けさに包まれていた。コリスの隊はまだ森から帰還しておらず、神殿には、首座直営の神殿守備隊が残るのみであった。  当番の2匹のトリ男が、ホタル石のランプ片手に薄暗い神殿の中を見回っていた。 「静かッスね〜」 「ゼロたちはシャンズ市長と合流した頃ッスかね〜」  トリ男たちは、小声で話しながら病室などを見て回った。 「アレ?」  一匹が、その異変に気付いた。その部屋には、ジルとキュアが眠っていた。 「いま、ジルが動かなかったッス?」 「そんな事あるわけ……ウワ!」  青い光に包まれたジルの腕が、ゆっくりと宙を掴んだ。 「う……あ……」 「た、大変ス!」 「ウー様! ウー様!」 「ジル! キュア! 分かるか? わしじゃ、ウーじゃ!」  ウーはふたりが横たわるベッドの脇に立ち呼びかけた。ジルもキュアもうっすらと目を開いているが、何も見えてはいなかった。シドとフレアの意識が2007年へ引き寄せられたことで、ジルとキュアは目覚めぬ眠りに落ち、動けぬはずであった。だが今、ジルとキュアの意識は総ての気力を振り絞り、メッセージを伝えるために目覚めたのだ。 「……ウー。シドとフレアが……未来が危ない……」  ジルの言葉にウーは驚いた。 「なんじゃと? 未来がどうしたんじゃ!?」 「エルリムが……ヨブロブ……2007年……世界が燃えている……」 「明日の日没までに……エルリムを倒して……ゼロとメロディーに……早く……」 「おい、ジル、キュア! しっかりせい!」  そこまで話すと、ジルとキュアは力尽き、再び動かなくなってしまった。  未来が危ない。ウーはふたりのもたらしたメッセージに愕然とした。明日の日没までにエルリムを倒す。だがエルリムは、その所在さえ掴めていない。  ウーが呆然としていると、そこへトリ男がけたたましく飛び込んできた。 「大変ッス! コリス隊が戻ったッス! 血だらけッス!」  ウーは慌てて玉座の間へ向かった。重傷の魔攻衆が次々と担ぎ込まれる。これほどの被害は、新生魔攻衆となってからは初めてのことだ。クマーリ門から腕の傷を押さえながらコリスが帰還した。 「コリス! これはいったいどうしたんじゃ?!」 「ウー老師。予言者シがエルリム狩りに動き出した。我々だけでは戦力が足りない。急いで全軍で追わなければ!」  だがウーは困惑した表情で、神殿主力部隊がゴラン攻略に向かったこと、そしてジルたちのメッセージを伝えた。コリスは愕然とし、その場に立ちつくした。ふたりが言葉を失っていると、力強く通る声が静寂を破った。 「フロートシップを出撃させましょう!」  バニラが闘衣に身を包み、ふたりに近付いてきた。 「バニラ! 傷はもういいのか?」 「もう寝てなどいられないわ。コリス隊と直営守備隊を再編してフロートシップを核として出撃しましょう。ゼロたちにはトリ男を伝令に出して。ゴランのメガカルマを撃破したら、掃討はシャンズに任せて一刻も早くこちらに合流するよう伝えるのよ。ゼロたちには無茶をさせることになるけど、わたしたちもギリギリまで彼らとの合流を待って、予言者シを叩きましょう!」  バニラの言葉に、ウーとコリスは力強く頷いた。 ■26■ 来同  朝日が紫天を切り裂く中、バスバルス・ケムエル神殿混成軍は、ゴラン地区の聖魔の森に突入した。樹海の中には夥しい数の聖魔やメガカルマが待ち構えていた。 「雑魚には目もくれるな! 聖霊さえ叩けば、総てが終わる!」  ゲヘナパレの技術力を獲得した新生魔攻衆は、確実にメガカルマを凌駕する力を獲得している。だが、迎え撃つメガカルマもこれまでになく強力な者ばかりとなっており、如何に新憑魔陣が強力とはいえ、圧倒的な物量差を前に長期戦は明らかに不利だ。ゼロとメロディーはフロートシップに搭載されていた8台のフロートバイクを用い、精鋭によるフロートバイク部隊を編成し、聖霊軍後方を横断し指揮系統を攪乱する作戦に出た。聖魔の森深く駆け抜けるフロートバイク部隊に、聖霊軍は為す術もなく切り崩されていった。攻撃目標が定まらず聖魔やメガカルマが右往左往するところへ、新生魔攻衆の主力部隊が雪崩を打って襲い掛かった。組織的に動けぬ聖霊軍は瞬く間に各個撃破されていく。 『何か、おかしい……』  敵を自在に翻弄しながらも、ゼロとメロディーは胸騒ぎを覚えた。聖霊軍は先に集結しておきながらあっさりと魔攻衆に先手を許した。陽動のための囮部隊かとも警戒したが、それにしてはあまりにも数が多すぎる。正面決戦を挑んできたのだとしても、聖霊軍に策らしい策は見当たらない。 『脆すぎる。聖霊の力は、こんなもんじゃないはずだ!』  魔攻衆全部隊が突入し、津波となってメガカルマを蹴散らしていく。このままの戦況なら、昼を待たずして勝敗が決するに違いない。だが、本当にこのまま決着するのか。  不安を拭えぬゼロとメロディーはフロートバイク部隊の進撃を弛めると、一旦本隊と合流する事を決めた。フロートバイクをふかし、転進しようとしたまさにその時、部隊に無数の光の矢が降り注いだ。ゼロとメロディーは、すかさず周囲に衝撃波を張り巡らし、小石を弾くように光の矢を遮った。部隊の全員が一瞬にして戦闘態勢を取る。周囲の樹木の間から次々とメガカルマが現れる。正面の巨木の陰から純白の甲冑を纏う戦士が現れた。 「聖霊か!」 「我は第3軍軍団長サグン。ここが魔攻衆の墓場と知れ!」  サグンの直営部隊が一斉に襲い掛かった。ゼロたちはフロートバイクの力を解放した。ゲヘナパレ帝国の錬金術師たちが残したフロートバイクは、一種の造魔であった。憑着し戦闘形態となった魔攻衆を乗せる高機動の戦闘獣と言っても良い。ゼロたちは機動性を活かしメガカルマに包囲されることなく散開した。乱戦状態に陥れば、同士討ちしやすい分メガカルマが不利になる。フロートバイク部隊は、こうして敵中を切り裂いてきたのだ。  聖霊直営の部隊だけあり流石に戦闘力も桁違いだ。だが、数的優位を活かせないメガカルマたちは、1体、また1体と撃破されていった。そしてついに、ゼロの刃が聖霊サグンを捉えた。 「降参しろ! もはや聖霊は、魔攻衆の敵じゃない!」 「ほざくな!」  サグンは戦闘形態へと姿を変えた。背中から8本の腕が伸びゼロを襲う。神聖魔ヘブンズトータスの力を獲得したゼロはその攻撃をことごとく跳ね返し、逆にサグンに浴びせた。 「ムウッ!」  屈強な巨人姿のサグンがよろける。そこへヘブンズバードの力で一瞬にして間合いを詰めたメロディーが襲い掛かった。光のリボンをサグンの全身に風のように絡めると、視界を奪いながら頭上を飛び越え、リボンを一瞬にして巻き上げる。鉄塊の巨体がズタズタに切り刻まれながら大きくのけ反り、がら空きの懐にゼロが飛び込んだ。無数の光るパンチがサグンの戦闘形態を粉々に砕いた。吹き飛ばされたサグンの体が巨木をへし折り、地面に叩き付けられた。満身創痍で這いつくばるサグンの前に、ゼロとメロディーが立ちはだかった。  直営部隊のメガカルマも大半が倒された。森の奥からは魔攻衆本隊の鬨の声も迫ってくる。もはや勝敗は決した。ゼロとメロディーは改めてサグンに降伏を迫った。 「もう一度言う。降参しろ。そしてこの世界から去るようエルリムに伝えるんだ!」 「マテイとマハノンはどうしたの? もう戦いは終わらせようとしていたはずでしょ!」 「グウッ……裏切り者の事など知るものか!!」  サグンはボロボロになった姿で捨て身の攻撃に出た。ゼロとメロディーはサグンの攻撃を見切り、とどめのカウンターを加えた。甲冑が粉々に砕け散り、真っ赤な鮮血が噴き上がった。戦闘形態も砕け、死を悟ったサグンは、朦朧とした意識でヨロヨロと森の奥へと後ずさった。 「ケリフォス様……力及ばず、申し訳……」  何かにすがるように宙を掴むと、サグンはそのままゆっくりと倒れて絶命した。総てのメガカルマも片付き、フロートバイク部隊のメンバーが集まる。ゼロとメロディーは森の奥からこれまでになくまがまがしい気配を感じた。 「誰かいる!」  ゼロたちは、その方角へ走った。小さな原っぱが現れ、その中央に煌びやかな純白の甲冑を着た堕聖霊ケリフォスが立っていた。追いついた本隊前衛の魔攻衆と共に原っぱを取り巻くように包囲する。次々と増えていく魔攻衆を前に、ケリフォスは全く動じることなく笑い出した。 「ハハハ。こいつは凄い。サグンがああも易々と屠られるとは。マテイの奴が片腕を失うのも当然だな」  ケリフォスは薄笑いを浮かべながら包囲する魔攻衆を見渡した。肩には巨大な鍵を担いでいた。  魔攻衆がジリジリと間合いを詰める。突然、ケリフォスの足下に魔方陣が浮かび上がった。 「うぬぼれるな、虫けらども!」  ケリフォスは巨大な鍵を、魔方陣の中心に突き立てた。鉄塊が砕けるような甲高い音をあげて鍵が回る。魔方陣が爆発するように閃光を放ち、中心から光の波が波紋のように広がった。 「何だ!?!」  魔攻衆の足下を波が一瞬にして洗っていく。波紋は森を越え、ゴラン全域へと広がった。 「グワ――ッ!!!」  突然、魔攻衆全員が絶叫をあげて藻掻き始めた。頭を押さえ、喉を掻きむしり、ミミズのようにのたうち回る。 「クックックッ、ハッハッハッハ!」  ケリフォスは、一斉に藻掻き苦しむ魔攻衆を前に、大声を上げて愉快に笑った。 「家畜の分際で、聖霊に勝てると思ったか!」  苦しみだしたのは魔攻衆ばかりではない。聖魔もメガカルマも一匹残らず体が砕け始め、聖魔の森の外にいたゴラン中の人間が一人残らず藻掻き始めた。ケリフォスはゴランのエネルギー場そのものを切ったのだ。体内に仕込まれたナノモジュールによってワールドエンドの幻覚が襲い、一人残らず体の自由が奪われる。 「これで魔攻衆はおおかた片付いた。メガカルマなど、また幾らでも作ればいい。さーて。面倒だが、残りの雑魚どもも始末してくるか」  薄笑いを浮かべ、ケリフォスはその場を立ち去ろうとした。だがその時、ケリフォスの体を二つの閃光が貫いた。 「グハッ!」  口から鮮血が噴き出す。二つの軌跡が大きく弧を描き、ケリフォスの前で静止した。それは、ブレードチャンバーを発動させたゼロとメロディーであった。 「家畜は貴様だ!」 「わたしたちにワールドエンドは効かないわ! マハノンから聞かなかった?」  ブレードチャンバーが発するエネルギーフィールドによって、ふたりの憑魔陣はびくともしていない。 「きっ、貴様ら!」  ケリフォスは慌てて両手を剣に変えた。ゼロはケリフォスを指さし告げた。 「エネルギー場が無ければ、聖霊の力も使えないな!」  飛道具に頼れないのはゼロたちも同じである。だが、空気中のナノモジュールも活動を停止した今、戦闘形態に移行できないケリフォスに対し、憑魔陣を使えるゼロとメロディーは圧倒的に有利だ。 「マテイとマハノンはどうしたの?」 「フッ。裏切り者とて、聖霊には聖霊の役目がある!」  メロディーの問いに吐き捨てるように答えると、ケリフォスはふたりに襲いかかった。しかし手負いの体で繰り出す剣は虚しく空を切る。ゼロとメロディーは紙一重でケリフォスの攻撃をかわし、渾身の一撃を加えた。 「グワ――!!!」  ケリフォスの体は甲冑ごと切り裂かれ、その衝撃に砕け散った。ゴラン会戦はここに終決した。ゼロとメロディーはケリフォスの死を見届けると、地中に差し込まれた鍵に駆け寄った。 「ウーン! くそう、ダメだ!」  ゼロは縛装した太い腕で鍵を元へ戻そうとしたが、全く動く気配が無い。どうやらこの鍵は、聖霊にしか扱えない物らしい。藻掻き苦しんでいる魔攻衆の動きが次々と止まっていく。目覚めぬ眠り、スリーパー化を起こしたのだ。 「ちきしょう! こんな所で魔攻衆が全滅するなんて!」  ブレードチャンバーに圧縮されたエネルギー残量も残り少ない。ゼロとメロディーは憑魔陣を解除すると、全く動かない鍵を前に途方に暮れた。  その時、動くものの無いはずの森の中から足音が聞こえてきた。 「あれは……ヤムだわ!」  森人ヤムがこっちに歩いてくる。背中には痩せ衰えた少年を負ぶっていた。  元聖霊である森人ヤムもまた、エネルギー場の影響は受けない。ヤムがふたりの前まで来ると、背中の少年が弱々しく目を開いた。 「……大丈夫……」  枯れ枝のような手をヤムの右腕にかざす。ぷよぷよしたヤムの腕が光に覆われ、しなやかな腕へと変わっていく。ヤムはその手で地中に差し込まれた鍵を掴むと、易々と回した。  ガシュッ!  力強い音と共に魔方陣が反転する。再び光の波紋が走り出す。 「アッ!」  ふたりの憑魔甲が息を吹き返した。腰のブレードチャンバーもチャージを始めた。地中のナノモジュールが活動を再開したのだ。エネルギー場さえ戻れば、魔攻衆のみんなも目覚めるはずだ。 「ありがとう! キミはいったい……」  ゼロとメロディーはヤムに背負われた少年に近付いた。少年は苦しそうに微笑んでいる。その時、遠くからふたりを呼ぶかん高い声が響いてきた。 「ゼロー! メロディー! どこにいるッス――!」  羽根をばたつかせながらトリ男が飛んでくる。 「大変ッス、大変ッス!」  息を切らせながら、トリ男は、コリスたちが出撃した事、未来に危機が迫っている事を伝えた。ゼロとメロディーは迫り来る事態に奮い立った。 「行こう、メロディー!」 「トリ男。わたしたちは先に行くから、あんたはみんなを起こして急いで合流するように伝えて!」  ふたりが立ち去ろうとすると、少年が弱々しい手で一つのペンダントを差し出した。 「これを……きっと役に立つ……」  メロディーに手渡すと、少年は力尽き、そのまま気を失った。 「ちょっと。しっかり!」  メロディーが慌てて声を掛けると、ヤムが代わりに告げた。 「だいじょうぶ。疲れて気を失っただけ。気を付けてね、メロディ」  ゼロとメロディーはフロートバイクに跨り、本隊を待つフロートシップを追って全速力で走り出した。  * * *  パレル歴389年。ここにゲヘナパレ帝国は滅亡した。工房長ジン率いる錬金術師部隊は、聖霊を破りエルリムに戦いを挑むも、今一歩の所で力尽き全滅した。だが森の神エルリムもその代償として、御神木バオバオの一角にあった聖霊の揺りかごを失った。竜神ケムエルの仲裁の元、エルリムは聖霊の血を引くナギ人ギの造ったクマーリ・カヤの結界の奥へとその身を隠したのだった。  預言者ギは、放棄された聖霊の揺りかごを訪ねた。辺りは跡形もなく破壊され、そこかしこに錬金術師たちの亡骸が激闘の後そのままに曝されていた。壊れた揺りかごの中には、誕生を間近に死した聖霊たちが、人型になれず朽ちていた。だが不思議と腐臭は漂っていない。 「霊気のせいか……。エルリムがやったのか? いや、竜神ケムエルか……」  預言者ギは小高い揺りかごの中央部へと登っていった。心臓部たるその場所へと足を踏み入れたとき、そこに友は待っていた。 「ジン……」  7本の槍に貫かれながら、まるで自分がそこの主であるかのようにドッシリと腰掛けて死んでいた。その顔は満足そうに微笑み、一片の迷いも無い。友のあまりにも彼らしい最後に、ギアも安らかな笑みを浮かべた。  瓦礫を椅子にジンの前に腰掛ける。掛けられた術のせいだろう。半分白蝋化したジンの体は、まだ生前の姿を留めている。ギアは酒を取り出した。 「ナギの酒だ。うわばみのお前には気付けにもならんがな」  ギアはジンに飲ませ、自分も杯をあおった。 「エルリムはナギの結界に退いたよ。ゲヘナの結界も無事動いた。足りない分は、我らナギ人が人界を守る。安心してくれ」  ギアはジンの亡骸と酒を酌み交わしながら話を続けた。 「そうそう。ゼロも送り届けておいたぞ。ついでに、ナギの歴史に決着をつけてくれと頼み事もしたがな。わたしの時読みが変わらないところを見ると、ナギの歴史にも決着がつくのだろう。あとは森の神エルリムだが……」 『あいつらなら大丈夫さ。俺たち人間の子孫だぞ』  ギアはハッとなり顔を上げた。そこには、ジンの笑顔が輝いていた。 「そうだ……そうだな」  ギアはジンと共に未来を確信し、祝杯を酌み交わした。  * * *  ウーたちは尾行に残した魔攻衆の手引きで、預言者シを追って未知の森へと入った。 「こんな森は始めて見るな」  そこは一際大きな木が生い茂る聖魔の森であった。足下はぬかるみ、あちこちに沼が点在している。むせ返る緑の大気が、御神木バオバオが近いことを告げている。その巨木の連なりの中、まるで枯れ草でもなぎ倒したように、巨獣が通った跡が大通りのように続いている。明らかにシゼの四象獣リヴァイアサンが通った跡だ。  キキナクによって、コリスたちが惨敗した巨獣が四象獣と呼ばれる怪物であることが判明した。彼によると、完全体の四象獣は無敵であり、聖霊が束になっても太刀打ちできないという。 「ウー老師。シゼの四象獣はもう目と鼻の先だ。わたしは先行して様子を見てくる」  停船したフロートシップのデッキで、コリスは居ても立ってもいられず船を降りようとした。 「コリス、焦るでない。斥候は出しておる。この戦いはタイミングが重要じゃ。予言者シには、エルリムの場所まで案内してもらわねばならんし、我らの戦力も充分とは言えぬ。今は本隊の到着をギリギリまで待つんじゃ」  ウーが制止すると、バニラが助け船を出した。 「わたしも一緒に行くわ。なまった体を少し動かしておきたいし。ゼロたちが着くまで、絶対に手出しはしないからいいでしょ?」  ニッコリ微笑むバニラに、ウーはため息を吐いた。 「ふたりともカラバス草で傷は癒えたとはいえ、病み上がりには代わりはない。絶対に無茶はするなよ」  コリスとバニラは飛行型聖魔を憑着すると、風のように最前線へと飛翔していった。  予言者シの四象獣リヴァイアサンは、巨木をなぎ倒し着実に進んでいた。守備に残る聖魔やメガカルマが必死に応戦するが、攻撃はことごとく跳ね返され、食い止めることが出来ない。7つの頭を持つリヴァイアサンは、左右の6つの頭から熱線を吐き、雲霞のごとく群がる聖魔やメガカルマを蹴散らしていった。  コリスとバニラは斥候部隊と合流した。リヴァイアサンに気付かれぬよう充分に距離を保ち追跡する。 「あんな化け物と戦うの!?」 「悔しいが、弱点を見つけぬことには太刀打ちできん」  コリスはほぞをかみ、巨獣を見上げた。巨木の間から大きなウバン沼が見えてくる。いよいよエルリムのお膝元へ近付いたのだ。 「コリス、見て!」  バニラが沼を指さした。水面が大きく盛り上がり、湖面から巨大な天使が姿を現した。四象獣ケルビムである。リヴァイアサンと互角の巨体を持ち、右手には炎が揺らめく大剣を握っている。ウバン沼の畔に、2体の四象獣が対峙する。リヴァイアサンから予言者シの笑い声が響いた。 「クックックッ。やはり最強の四象獣ケルビムを持ち出したか。だがそれも火・水・風・土の四象を司る完全体であればこそ。四聖霊の一角を欠いて、我がリヴァイアサンに勝てるのかな?」  ついに四象獣同志の戦いが始まった。リヴァイアサンが大きく立ち上がり、左右の6つの口から熱線を放つ。ケルビムは炎の剣で受けきると、そのまま剣を振り上げ襲いかかった。灼熱の刃が鱗にめり込む。リヴァイアサンの鱗は硬く、切り裂くまでには至らない。予言者シの読み通り、力を十分に発揮できないのだ。リヴァイアサンは、鋭い爪を持つ前足で、ケルビムの胸をえぐった。弾かれ地面に転がったケルビムに、リヴァイアサンがのしかかる。7つの口で噛み付き、至近から熱線を放つ。ケルビムも左手にエネルギーを蓄え、光る拳でリヴァイアサンの下腹部をえぐった。巨体が木々をなぎ倒して横転する。双方体勢を立て直すと、一歩も引かず大地を揺るがす激闘を繰り返した。 「スゴイ……」  バニラたちは唖然としながら巨獣の戦いを見つめた。無敵を誇る四象獣といえど、四象獣同志の戦いとなれば話は別だ。四象獣もまた、ヨブロブをも凌ぐ複雑な高次元構造体を持ち、倒すことは並大抵ではない。しかし今、同じ四象獣同士の戦いにより、ケルビムもリヴァイアサンも深く傷ついていった。リヴァイアサンは左右の6本の首の内3本までもが失われ、強靱な鱗に覆われた体もズタズタに切り裂かれた。そしてケルビムに至っては、巨大な翼は根本からもぎ取られ、左腕は焼け落ち、腹から右足にかけて深すぎる傷を負っていた。 「なかなか手こずらせてくれるな」  リヴァイアサンがジリジリと詰め寄る。 「ナギ人ごときにやらせはせん!」  ケルビムから聖霊アラボスの声が響いた。ケルビムの全身からオーラのようにエネルギーが噴き出す。いよいよ最後の勝負に出る気だ。 「ふん」  リヴァイアサンもまた、総ての鱗が逆立ち、黒い炎を全身から噴き出す。 「見て! あそこ!」  バニラはケルビムの額を指さした。兜が割れ、輝く部分がある。そこに、下半身が埋もれた3人の人影が浮かんでいた。 「あれは聖霊だわ! あそこで四象獣を操ってるのよ!」 「ならばシゼもリヴァイアサンのどこかに……あれか!」  中央の大きな頭に、ケルビムと同様の場所がある。リヴァイアサンの斜め後方にいるためハッキリとは確認できないが、4人の人影が見えた。 「フロートシップを出そう! ウー老師に伝えてくれ。この戦いはもうすぐ決着する。その時がチャンスだ!」  コリスの言葉に頷くと、バニラはフロートシップへと引き返した。  * * *  鳥人キキナクは、ひとりケムエル神殿で留守番をしていた。自身の羽根からトリ男たちを産み出し、暴飲暴食にすっかり肥え太ってしまった彼は、今ではとても戦いに出られる体ではない。キキナクは無惨に荒れ果てた玉座の間に立っていた。  正面の玉座は既に跡形もない。そこはかつてナギ宗家の族長が代々受け継いできた場所だ。神殿創始者の予言者ギに始まり、300年前の集結の時を最後に族長ニから繭使いレバントへと譲られた。一緒に魔攻衆を創設したレバントは、深い悲しみの後にエルリムへの復讐のために闇に落ち、世界のことわりを知らずエルリムの使徒となった若き魔攻衆カフーに破れ、闇の森深く消えた。その闇の森も今は消え、右手に光るカヤの門は既に役目を失っている。息を吹き返したエルリムは新たな聖霊を産み、多くの戦士たちが命を落とした。レバントに変わり二代目神殿首座となったカフーは、三代目首座のバニラを守ってナギ宗家の生き残り予言者シに連れ去られた。そして今、生まれ変わった魔攻衆は四代目首座ウーに率いられ、予言者シを追って森へ向かった。キキナクは崩れ掛けた左手のクマーリの門をじっと見つめた。 「ナギ人か……。ボクが人間と恋に落ちたことが始まりだったっけ。ボクがまだ聖霊アモスだった頃。そう、あれは確かゲヘナパレ王朝の始祖となったアザンの妹だった。可愛かったなあ。そのくせ、アザンがたじろぐほど気が強くて、随分苦労させられた。アザンたちとは、人間世界の未来について随分語り明かしたなあ。人間は人間の力で理想郷を創らなきゃダメだって。そうだよ。竜神ケムエルもボクらを応援してくれた。……ケムエル。あの時ボクは、あの竜を依り代にした神に会ったんだ。……なんて名前だっけ?」  1500年も生き抜いたキキナクにとって、昔の記憶はもはや霞んでしまっている。はつらつとした笑顔の少年。その面影だけが、ぼんやりと記憶の底に輝いている。そして自分の大きなお尻にケムエルの紋章があることも、既に忘れてしまっていた。キキナクは昔を懐かしみながら、気付かぬうちにパレルの子守歌を口ずさんで泣いていた。  * * *  大地を揺らす四象獣の激闘は、待機するフロートシップまで響いている。 「ウー様……ホントに勝てるッス?」  甲板の上では、船員を務めるトリ男たちが青ざめた顔でウーを取り囲んでいる。狼狽するトリ男たちの頭を、新巫女ルーが木琴のようにポカポカと殴った。 「何びびってんのさ! やらなきゃ世界の終わりなんだよ! シャキッとしな、シャキッと!」  ルーは腰に手を当て目を三角にしている。その後ろでは、ミーがクスクスと笑っていた。つられるようにウーも楽しそうに笑った。 「そうとも。儂らは勝つ。ルーやミーも来てくれた。未来からはゼロやメロディーも加勢しておる。そしてこの船はゲヘナパレからの贈り物じゃ。これだけの縁が集まって、儂らが負ける訳が無かろう!」  力強いウーの言葉に、根が単純なトリ男たちは一斉に気勢を上げた。その時、フロートシップの周囲で出陣を待っていた魔攻衆たちがざわめきだした。 「ゼロだ! ゼロとメロディーが来た!」  ふたりはフロートバイクを大きくジャンプさせると、ウーたちが集まる上部甲板に着艦した。 「オオ! ふたりとも無事じゃったか!」  3人は駆け寄ると、固く握手を交わした。 「ゴランの聖霊軍は全滅した。本隊もこっちに向かっているよ」 「それで、予言者シは?」  ゼロとメロディーの問いに、ウーは指さして告げた。 「今、向こうで予言者シと聖霊の四象獣同士が戦っておる」  ウーが指さす先から、大きく翼を広げ、バニラが飛んで来る。 「ウー! フロートシップ発進! 攻撃のチャンスよ!」  ついに、決戦の時きたる。 ■27■ 決戦  白いオーラをまとう四象獣ケルビムと、黒いオーラをまとう四象獣リヴァイアサンが、ウバン沼の畔で最後の激闘を繰り広げている。文字通り背水の陣となったケルビムは、リヴァイアサンの攻撃に圧倒されながらも、怯むことなく詰め寄った。最後の力を振り絞り炎の剣を腰だめに構えるとリヴァイアサンに突進した。炎の剣が回転し、迸る炎が円錐状に渦巻く。リヴァイアサンの攻撃を跳ね返し、ついに炎の剣がリヴァイアサンの胸を捉えた。分厚い鱗が砕け、血肉が飛び散る。切っ先が体の中心目掛け突き刺さる。だが、あと少しのところで剣の動きが止まってしまった。もはやケルビムには、リヴァイアサンを貫くだけの力は残っていなかった。リヴァイアサンは皮膚を焼きながら左腕でがっしりと炎の剣を受け止めると、ついに真っ二つにへし折った。よろけ後ずさるケルビムに、リヴァイアサンが突進する。焼けただれた左手でケルビムを捕まえ、黒い炎に包まれた右腕でケルビムの胸を力一杯貫いた。爆光を放ち、ケルビムの胸に大穴が空く。ケルビムは断末魔の咆哮を上げると、ゆっくり仰向けに倒れた。白い巨体が轟音と共にウバン沼に没し、動かなくなった体がそのまま沼深く沈んでいった。 「クックックッ、ハッハッハッ。これでもはやエルリムを守る者は無い。わたしの勝ちだ!!」  リヴァイアサンは傷だらけの体で大きく天を仰ぎ、聖魔の森を揺らす雄叫びを上げた。その時、えぐられたリヴァイアサンの胸を鋭い閃光が貫いた。木々をなぎ倒し、巨体が仰向けに倒れ込む。 「な、何だ!?!」  予言者シは、一瞬何が起きたのか理解できなかった。 「命中! 2発目行くよ!」  戦闘態勢を取ったフロートシップが、巨木の上を滑るように迫る。甲板や側舷には造魔を応用した機銃が並び、船底全体がワニの口のように主砲の砲門を開いている。主砲砲手は巫女ルーが担当し、操舵を巫女ミーが、銃座をトリ男たちが受け持っていた。主砲にエネルギーがチャージされていく。全長20メートル近いフロートシップだが、全長が200メートルを超えるリヴァイアサンに比べれば、力の差は歴然である。手負いとはいえ、主砲の1,2発で倒せるような相手ではない。 「クッ……ゲヘナパレのオモチャか! こしゃくな真似を!」  予言者シはリヴァイアサンの体を起こした。如何に四象獣といえど、ここまで消耗が酷くては再生もままならない。直ちに反撃に出ようとしたが、そこへ魔攻衆が蜂の群れの如く襲いかかった。傷口に取り付き次々と攻撃を加える。一人一人の力は小さいとはいえ、体中の傷をえぐる攻撃にリヴァイアサンが藻掻きだした。 「ほ〜ら2発目! みんな除けな!」  船体を流れるように回し、リヴァイアサンの胸の傷に2発目の主砲を叩き込んだ。血肉が飛び散り、傷口が溶岩のように焼けただれる。たまらずリヴァイアサンの巨体が再び倒れた。 「お、おのれ!」 「シゼ! 今日こそ決着を付ける!」  予言者シの上空にコリスが立ちはだかった。リヴァイアサンの頭部にある魂の座は、未だに露出したままだ。コリスは渾身の力を込め熱線を放った。だが攻撃は予言者シの頭上であっさりと跳ね返された。魂の座は強力なバリアで守られていた。 「つけ上がるな!」  リヴァイアサンの体中の鱗から光の刃が撃ち出され、襲いかかる魔攻衆を蹴散らした。神殿守備隊とコリス隊だけでは、余りにも数が少なすぎた。自由になった1本の首が砲撃体制に入ったフロートシップに狙いを定める。 「ミー! 軸線そのまま! 発射!」  ルーが放った主砲がリヴァイアサンを直撃する。だが、リヴァイアサンもまた、ひるむ事無く熱線を放った。ミーが船体をロールさせ緊急回避する。熱線がフロートシップの左舷をかすめ、側舷を銃座ごと焼き飛ばした。フロートシップが黒煙を上げて樹海の中に沈んでいった。 「くそう!」  コリスにゼロとメロディーも加勢したが、バリアはびくともしなかった。リヴァイアサンの額の部分にある魂の座には、腰まで埋まった四人の人影が前後左右に並んでいる。一番奥が予言者シ。左右に仮面の八熱衆アビーチとプラタナ。そして一番手前には黒いフードの男。 「カフー! あれはカフーよ!」  コリスの元へ飛んできたバニラが、黒いフードの男を指さした。男に意識は無く、動かない。 「カフー! 返事をして、カフー!」  必死に叫ぶバニラを、予言者シが笑った。 「ハハハ、無駄無駄無駄。カフーは我が手に堕ちた。目覚めることなど」 「……バニ……ラ……」  動かないはずのカフーの体が動き始めた。 「バッ、バカな!」  カフーの意識が予言者シの術を強引に振り解く。魂の座を守るバリアに揺らぎが生じる。 「カフー!」  バニラは思わずカフーのそばへと舞い降りていった。 「チイッ!」  魂の座の周囲から無数の触手が伸びバニラを襲う。 「いかん!」  コリスは慌ててバニラをかばい、剣を振るった。 「グフッ!」  1本の槍のような触手が、コリスの体をしたたかに貫く。ゼロとメロディーは慌てて迫る触手を薙ぎ払うと、コリスとバニラを抱えて上空へ退避した。バニラは必死に手を伸ばし叫んだ。 「カフ――ッ!!」 「バニラ……バニラ――!!」  カフーの意識が予言者シの呪縛を跳ね返した。異物となったカフーによって、魂の座のバリアが激しく揺らぐ。この期を逃さずゼロとメロディーが突進した。 「おのれ!」  予言者シはリヴァイアサンの首を大きく揺らし、無数の触手で防戦した。 「くそう!」 「キャア!」  今一歩のところで、ふたりは大きく弾き飛ばされた。 「アビーチ、プラタナ! カフーを押さえ込め!」  予言者シは、リヴァイアサンの体勢を立て直そうとした。その時、リヴァイアサンの傷だらけの体に、無人のフロートカーが次々とミサイルのように激突した。 「ウォ――!」 「奴を潰せ!」  ついに魔攻衆本体が到着した。数百名の魔攻衆が、次々とリヴァイアサンに取り付いていく。 「ミー! このまま傷口に突っ込め!」  リヴァイアサン正面の木々の間から、火を噴くフロートシップが浮かび上がった。 「イケ――!!」  フロートシップがリヴァイアサンの胸の傷口に突き刺さり、ゼロ距離射撃で主砲を放った。最後の一撃がリヴァイアサンの体を貫通した。 「ウォ――ン!!」  瀕死の重傷を受けリヴァイアサンが崩れるように横転する。だがそれでもまだ、リヴァイアサンは死んではいない。 「くそう! どうした、アビーチ、プラタナ!」  予言者シは焦った。だが、ふたりの八熱衆は命令に全く従わなかった。ふたりは仮面の上から血の涙を流していた。フロートシップが大爆発を起こす。振動が魂の座を揺さぶり、アビーチとプラタナの仮面が落ちた。 「あれは……リケッツ、レバント!」  血の噴き出る傷口を押さえながら、コリスはふたりの正体に驚いた。ふたりの視線が真っ直ぐにコリスを呼んでいる。魂の座のバリアが音をたてて砕け散った。 「ウォ――ッ!!!」  コリスは剣を構え、青い流星となって予言者シへ突っ込んだ。触手の攻撃を吹き飛ばし、ついに予言者シの胸深くコリスの大剣が貫いた。 「ウワアアアア!!!」  コリスは虚しく宙を掴むシゼの体を左腕で抱きしめると、そのまま右手の剣でシゼの内臓を切り裂いた。  バニラもカフーの元へ舞い降りた。ふらふらのカフーの体が、魂の座からズルリと抜ける。 「バニラ、カフーを連れて行け」  レバントがバニラに微笑んだ。リヴァイアサンの体中で爆発が始まる。再び駆けつけたゼロとメロディーがバニラとカフーに手を貸す。 「コリス!」  ゼロはコリスにも手を差し伸べた。背を向けるコリスの憑魔陣が弾ける。腰から肩までぶち抜かれた傷口によって、コリスの全身は血まみれだった。 「すまぬ……わたしはここまでだ。あとの事は任せたぞ!」  魂の座が崩れだし、火柱が上がる。 「コリ――ス!!」  ゼロたち四人が魂の座から離れる。炎の中で、ナギ人千年の歴史が最後の時を迎えた。 「コリス……にい……さん……」 「シゼ、わたしも一緒だ」  リケッツとレバントに見守られながら、コリスは義弟のシゼを力一杯抱きしめた。魂の座が光の中に消えていった。 「退避――! 全員退避じゃ――!!」  魔攻衆を指揮していたウーが、声をからして退去を告げる。リヴァイアサンの体から無数の光が噴き出す。大地を揺らす轟音と共に、無敵の竜の巨体が崩壊していった。  ついに予言者シの狂気と共に四象獣リヴァイアサンは倒された。魔攻衆にもかなりの損害が出たが、その士気はいよいよ高まった。 「ウー様、ウー様!」  トリ男たちがウーの元へ駆けつける。フロートシップの乗員たちも無事に脱出していたようだ。 「聖魔のへたった奴は持っといで! まとめて面倒見てやるよ!」 「憑魔甲が壊れた人は? 今の内に直すわよ!」  ススだらけの巫女ルーとミーが呼びかける。 「いよいよエルリムと決戦じゃ! 時間が無いぞ!」  ウーが檄を飛ばす。怪我人の手当、部隊の再編が急ピッチで進む。  憑魔陣を解いたゼロは、肩で大きく息をした。朝から戦い詰めの体が悲鳴を上げている。ここ時空の狭間では時間の感覚が掴みにくいが、日没までにはまだ時間がありそうだ。ウバン沼を抜ければ御神木バオバオまでは一直線だという。エルリムとの最終決戦は近い。  ゼロは辺りを見回しメロディーを見つけた。メロディーはウバン沼の方をじっと見つめていた。 「どうした、メロディー」 「ゼロ……あれ見て!」  大きなウバン沼の向こう岸で、傷だらけの白い巨人が水中から姿を現した。 「ケルビムよ!」 「生きていたんだ!」  ゼロとメロディーは一瞬にして漂着すると、ケルビム目指し飛び立った。聖霊アラボスは死んだふりをして沼の底を逃げていたのだ。瀕死のケルビムを操り、何とか岸に這い上がる。 「待て――っ!」  ゼロとメロディーが迫る。背後には追撃する魔攻衆が雲霞のごとく押し寄せてくる。ケルビムは胸に大穴の空いた体で、地面に這いつくばっている。 「くっ、来るな――!!」  アラボスは無理矢理ケルビムを起き上がらせると、巨大な光の裂け目を作り、ケルビムを飛び込ませた。魔攻衆本体が駆けつけると、ケルビムを飲み込んだ光の裂け目は、陽炎のように消えてしまった。ゼロとメロディーと共に。  寒風に枯れ草の平原が揺れている。空中に光の裂け目が現れ、満身創痍の四象獣ケルビムがよろけながら飛び出した。2,3歩進むと、右足が根元から千切れ、その場にへたり込むように尻餅をついた。聖霊アラボスは、魔攻衆の追撃からとりあえず逃げおおせた事に安堵のため息を吐いた。ケルビムの魂の座には、拘束され気を失っているマテイとマハノンがいる。アラボスは舌打ちし、ふたりをののしった。 「お前たちが聖霊の責務を果たせば、こんな無様な事にはならなかったのだ! とにかく今は、ケルビムの回復を急ぐしかあるまい」  その時、アラボスの頭上から声が響いた。 「逃がしはしないぞ!」 「観念しなさい!」  見上げると、完全武装したゼロとメロディーが浮かんでいた。 「フ、フッ。お前たちだけで何が出来る!」  アラボスは一瞬ひるんだが、すぐにふたりを笑った。魔攻衆本体が辿り着くまでには時間が掛かる。完全ではないにせよ、蹴散らす程度には回復するはずだ。アラボスは、かろうじて動かせる右手を使い、ゼロたちの攻撃を凌いだ。羽根1枚1枚が聖魔となってふたりを襲う。 「くそう! これじゃ、ケルビムに取り付けない!」  蹴散らすことは出来ても、次から次へと襲い来る聖魔に、完全に足止めを喰らってしまった。 「そうだわ!」  メロディーは、ゴランの森であの少年に貰ったペンダントを思い出した。それは小さく滑らかな瑠璃色のペンダントだった。軽く押すと蓋が開き、中には一人の老女と二人の子供の写真が入っていた。そして澄んだ不思議な音色が流れ始めた。 「この曲、パレルの子守歌だわ!」  それは不思議なオルゴールだった。淡い音なのだが、戦いの中でも確実に聞こえる。辺りにいる者の脳へ直接響いてくる。 「な、何だ、この音色は?!」  アラボスが頭を抑え藻掻き始めた。聖魔も活動をやめ、羽根に戻り舞い落ちていく。ゼロとメロディーは頷くと、オルゴールに併せパレルの子守歌を歌い始めた。    緑萌ゆる永遠(とわ)の都(みや)    栄え打つ時の槌(つち)    黄金(こがね)砂とて    明日あれパレル遙かに 「ウウ……」 「……これは」  拘束されていたマテイとマハノンが目を覚ます。メロディーは思わず叫んだ。 「マハノン! 戦いをやめさせて!」 「おのれ!」  アラボスがマテイとマハノンに再び術を掛ける。激しい衝撃がふたりを襲った。 「アアッ!」 「クッ……ゼロ! 我らを討て!」  マテイが身を切る衝撃に耐えながら叫んだ。 「我らごと魂の座を破壊しろ! ケルビムを葬るにはそれしかない!」  マテイは身動きの取れない体のまま渾身の力を振り絞り、魂の座のバリアを破壊した。 「メロディー! 早く!!」  マハノンも必死に抵抗しながら叫ぶ。 「そんな! 何とか出来ないの、マハノン?!」  メロディーは真っ青になって叫んだ。アラボスの術が効き始め、少しずつバリアが復元し始める。 「何をしている!! 早くしろ!!!」  思わずメロディーはゼロを見た。ゼロは覚悟を決めるとブレードチャンバーのエネルギーを一気に解放した。膨大なエネルギーがゼロの体を包み込む。メロディーも覚悟を決めるとゼロに倣った。  ふたりの体が激しい輝きの中に消えていく。二つの太陽をマテイとマハノンは穏やかな表情で見上げた。眩しい二つの輝きが落下し、魂の座を貫く。一瞬の静寂の後、ケルビムの体中から閃光が噴き出した。 「ウオ――――ン!!!」  ケルビムの巨体がゆっくりと倒れ、巨大な光の中で崩壊した。  岩と枯れ草の連なりが静寂に包まれる。巨人の亡骸の中央で、白い灰をかき分けゼロとメロディーが立ち上がった。腰のブレードチャンバーは折れ、憑魔甲も聖魔の繭ごとボロボロに壊れている。メロディーが手にしていたオルゴールも、壊れて二度と音を奏でない。 「ゼロ……あれ」  魂の座のあった辺りにアラボスの死体が見える。近付いていくと、更にマテイとマハノンの遺体が見えた。ふたりは言葉を失った。胸から下の無いマテイとマハノンが、穏やかな笑みを浮かべ手を繋いで横たわっていた。 「ウウ……」  メロディーは泣き崩れた。ゼロはふたりの安らかな死を祈ると、彼方へと真っ直ぐに目を向けた。視線の先に、天に根を張る御神木バオバオがそびえていた。 「メロディー」  ゼロはメロディーの肩に手を載せた。ふたりはバオバオをじっと見つめると、真っ直ぐに歩き始めた。  壊れたブレードチャンバーを外し、憑魔甲を捨てる。ふたりにはもはやナイフ一本残っていない。錬金術師、繭使い、ナギ人、魔攻衆、そして聖霊。もうこれ以上誰も死なせはしない。多くの尊い犠牲を背負い、強い意志だけがふたりを突き動かした。エルリムに「去れ」と伝えるために。  幹の周囲だけで1キロ近くあるだろう。見上げれば目の眩む高さだ。とうとう御神木バオバオに辿り着いたのだ。バニシング・ジェネシス、世界の謎の中心、森の神エルリムが住まう場所だ。  ゼロとメロディーはバオバオの根元から巨大な幹を見上げた。ふたりの十数メートル頭上で幹の一部が膨らみ、大きなこぶが生まれた。こぶの上半分が割れ、テラスとなる。奥から淡い光が溢れ、ゆっくりと人影が現れた。長い髪、端整な顔立ち、総ての生命を畏怖させる高雅な美女、森の神エルリムその姿であった。 ■28■ 決着 「よくぞここまで辿り着いた、未来からの使者よ。私がエルリムです」  エルリムは無表情で告げた。 「人間の身で私の元まで辿り着いたのは、お前達が初めてです。その功績に免じ特別に、お前達に言を許しましょう」  エルリムは光のテラスからじっとゼロとメロディーを見下ろしている。  エルリムが神などではない事はふたりにも分かっている。いや、神かどうか、その呼称にさえ意味が無い。この世界の創造主、絶対的な存在であることに変わりはないのだ。それでもゼロとメロディーは、臆することなく毅然とした態度で宣言した。 「エルリムよ。人間はあなたを必要としない。直ちにこの星から去れ!」 「総ての人間を解放して! そして未来からも手を引きなさい!」  エルリムは瞳を閉じ、しばしの沈黙の後ゆっくりと話し始めた。 「それは出来ぬ。私はお前達人間に永遠の繁栄を与えるため、この新たなるパレルの地へと降り立ったのです。私には、お前達がみすみす滅びへと進まぬよう正しく導く使命があります」  エルリムの言葉にゼロが憤る。 「世界を滅ぼす事が導きだと言うのか!」  ジンやレバント、倒れていった総ての勇者たちの意思が、ゼロを奮い立たせる。エルリムの表情がピクリと歪む。 「お前達は瞬く間に数を増やす。そして、星の海へと乗り出していくでしょう。しかし今のお前達では、それはいたずらに悲劇を大きくするだけの事。戦乱の地平を拡大するに過ぎません。それを防ぐためには、より良き創世を与えねばならぬ。明日の数億、数十億の死を防ぐため、私は今、数百数千の死を与えねばならぬのです!」 「そんなの詭弁だわ!」  メロディーもまた、ナギの女たちやマハノンの悲しみを背に、真っ向から反駁した。エルリムの表情が苦悩に歪み始める。 「これをご覧なさい」  エルリムは空中に手をかざした。空中が巨大なスクリーンとなり、2007年の映像を映し出した。  市街地を進むヨブロブに核ミサイルが撃ち込まれる。巨大な閃光が広がり、街を蒸発させていく。だが次の瞬間、まるでフィルムを巻き戻すかのように閃光がヨブロブに吸い込まれていった。ヨブロブの体がメキメキと大きくなり、何事もなかったように焼けた大地を進んでいく。  エルリムは眉を寄せると、再びゼロたちを見下ろした。 「僅か千年。お前達は満足に扱えもせぬ火を弄んでいる。お前達のその危うさを、私は認めぬ! 滅びの種を抱くことを認めぬ! なればこそ、私はお前達に死を与えねばならぬのです!!」  エルリムの感情が高ぶっていく。 『何かおかしい』  ゼロとメロディーは違和感を覚えた。エルリムの言葉は、ふたりにではなく、むしろ自分自身に向けられているように聞こえる。全能のエルリムには迷いが有るのだ。ゼロは最初から存在する一つの疑問を、あえてエルリムにぶつけてみた。 「滅びの種を認めぬと言うなら、エルリムよ、何故お前はこれから人間を解放するんだ?」  ゼロの問いかけに、メロディーが更に追い討ちする。 「そうだわ! もうすぐバニシング・ジェネシスは終わる。そんなに創世をやり直したいのなら、今すぐやり直せばいい。これから先の千年間、あなたは何故姿を消すの?」 「そっ、それは……」  エルリムがあからさまにたじろぐ。これこそエルリムが長い時間を瞑想に割かねばならなかった最大の疑問なのだ。そしてエルリムには、ついに満足のいく答えを導けなかったのである。ゼロはエルリムを指さし告げた。 「答えられなければ、ボクが言おう。ボクたちは最初から分かっていた。エルリム! お前は今この場で、ボクたち人間に屈するんだ!」 「黙れ……」  メロディーがエルリムの目を睨む。 「あなたの負けよ、エルリム! わたしたちに屈し、あなたの時代は終わるのよ!」 「黙れ!」  突然雷鳴が轟き、エルリムの雷槌(いかづち)がふたりを打った。だがふたりはその衝撃に耐え、膝を屈しはしなかった。 「ボクらを殺したければ殺すがいい。だが、お前の負けは変わらない!」 「もうすぐ魔攻衆の本隊も来るわ。あなたの負けよ、エルリム!」  ボロボロになりながらも、ふたりはエルリムを睨み返した。 「ええい、黙れ!!」  再び雷鳴が轟き、目も眩む雷撃がふたりを打った。だがそれでもなお、ゼロとメロディーは倒れなかった。たとえ命尽きようとも、倒れまいと心に誓った。ふたりの強い瞳が真っ直ぐにエルリムの意志を射抜く。エルリムの決意が挫けそうになる。 『もうおやめなさい』  エルリムの心の奥底から忘れられていた声が響く。 『やめるのです、エルリム!』  優しくも力強い声が、エルリムの心を掻き乱す。 「私はやらねばならぬ!! 成し遂げねばならぬ!!!」  無数の雷鳴が天空を覆う。 『だが、何のために?』  エルリムは折れそうな心を必死に繋ぎ止めるように、空を覆う雷槌を束ね、ゼロとメロディーに打ち下ろした。総てを消し去る雷撃がふたりを襲う。ふたりは手を繋ぎ、じっとエルリムを見据え続けた。  バリバリバリバリ!!!  視界が真っ白になる。ゼロもメロディーもエルリムさえも、何が起きたのか理解できなかった。まるで見えないバリアに守られるかのように、ゼロとメロディーの頭上で雷槌が四散し、地平の彼方へ消えていく。 「お、おのれ!!」  再び雷槌を落とす。だがその力は、先ほどには遠く及ばない。 「何故だ?! どうしたというのだ!!」  エルリムは何度も雷撃を呼んだ。だが瞬く間にその力は衰え、ついには全く出せなくなった。 「何だ?」 「どうなってるの?」  ゼロもメロディーも何もしてはいない。ふたりは唖然と光のテラスを見上げた。  狼狽するエルリムの目が、ゼロたちの後方に釘付けになった。美しい顔が、見る見る恐怖にひきつっていく。ゼロとメロディーは、エルリムの視線の先へと振り返った。荒野の向こうから、あの少年が森人ヤムに背負われて近付いてくる。ミイラのように痩せこけた顔に、見る見る血色が宿っていく。瑞々しい肌、柔らかな金色の髪。 「あっ! あの子は!」  メロディーは壊れたペンダントを見た。品の良いおばあさんと一緒に写る少年と少女。彼はその少年であった。ゼロたちのそばまで来ると、少年はぴょんとヤムの背中から飛び降りた。 「ありがとう、マモン」  ヤムの隣に立つと、ヤムの体を撫でるように右手をかざした。イガ栗のようなヤムの体が光の泡に包まれる。穏やかな獅子の顔、均整の取れたしなやかな体。森人ヤムが聖霊マモンへと戻った。 「マモン、ふたりを」  少年は穏やかな表情でマモンに告げると、滑るように光のテラスへと飛んだ。マモンは傷だらけのゼロとメロディーを軽々と両脇に抱え、静かに少年の後に続いた。  少年がテラスに降り立ち、マモンたちがそれに続く。 「くっ、来るな──!」  怯えるエルリムが後ずさる。尻餅をつき、術を放とうと必死に両手を振る。だがエルリムにはもはや何も出来なかった。 「同じ依り代にさえいれば、キミはボクに逆らえない。キミはそんな事まで忘れてしまったの?」  少年はエルリムの前まで来ると、悲しそうに彼女を見つめた。 「やめろぉ!! 私は!!!」 「おやすみ、エルリム」  少年は手のひらをエルリムの額に当てた。彼女の体から力が抜け、崩れるように眠ってしまった。  聖霊マモンがエルリムを抱き上げ、傍らにあるベッドへそっと横たえる。ゼロとメロディーが呆然と見ていると、少年が微笑みながら近付いてきた。 「ありがとう、ゼロ、メロディー。やっとエルリムを止めることが出来たよ」  少年はふたりを見上げ、握手を求めてきた。 「キミは……いったい……」 「ボクはエルガム。エルリムと共にこの世界に残された、贖罪をなす者」  ゼロとメロディーが何から聞けばいいのか戸惑っていると、エルガムはふたりをテラスへと誘った。 「話は後だ。まずは後始末をしなきゃ」  エルガムは両手を広げた。 「バオバオよ! エルリムに成り代わり、我エルガムが告げる。我に従え!」  ブオ――ン!  御神木バオバオが微かに震える。 「天空に根を、地には枝を、大地に祝福の花を!」  バオバオが金色の輝きを放つ。大地を這う枝へ生命の息吹がほとばしり、赤い荒野が緑を取り戻していく。鮮やかな花々が爆発するように咲き乱れ、甘い香りが大気を洗う。風が優しい音色を奏で、生命への賛歌を歌う。 「スゴ──イ!」 「これが御神木バオバオの真の姿……」  ゼロとメロディーはテラスから身を乗り出し、天国と見まごう祝福の大地を見渡した。  エルガムは空に向けて大きく手を振った。空中に無数の映像が浮かぶ。繭塚、聖魔の森、ヨブロブの群。 「まずは未来からだ」  * * *  2007年、エルリム樹海遺跡に夕闇が迫る。総ての核爆弾の最終調整が終わり、遺跡脇の支援本部に退避命令が下った。司令室の片隅、自動小銃を構える兵士に監視されながら、ケズラとラングレイクはうなだれていた。肩の応急手当をされたサガは、じっとしながらもモニターに映る情報に目を凝らし、盗み見ていた。  司令官が真っ直ぐに近付いてくる。 「そろそろここを撤収します。皆さんもご同行願います」  ケズラとラングレイクは、返事もせず力無く立ち上がった。その時、急にサガが呼びかけた。 「ちょっと待て……様子がおかしい!」  サガは兵士や司令官を振りきり、コンソール画面の一つに取り付いた。そこにはヨブロブを捉えた映像が幾つも映されていた。どんな攻撃も通用しなかったヨブロブが、一斉に活動を停止し動かなくなった。 「司令! 直ぐに情報収集を! 状況が変わるかもしれない!」  撤収準備を進めていた兵士たちが、慌てて司令室の機能を復元する。サガは国家安全保障局へオンラインを繋ぎ、情報収集を始めた。 「攻撃が止んだ……」 「いったい、どうしたんじゃ?」  ラングレイクとケズラは、不思議そうにモニターを覗き込んだ。進撃を停止したヨブロブが、次々と飛び立ち撤退を始めた。世界中から状況照会を求めるメッセージが集まりだす。サガは機関銃のように複数のコンソールを操り、世界中へ指示を送った。 「全軍直ちに攻撃を中止! ヨブロブを刺激せず、追跡と飛行経路情報の収集を! おそらく……もうヨブロブは攻撃してこない」 「何じゃと!?」  サガはモニターに一つの地区のヨブロブの位置情報を示した。 「見て下さい。総てのヨブロブがブルーアイランドに帰っていく」  ブルーアイランドの映像が届く。焼け落ちた森の中央に、集まったヨブロブが次々と折り重なっていく。青い目から光が失せ、そのまま二度と動かなくなる。見る見る紫色の死骸の山が築かれていった。 「ヨブロブが活動を停止したということは……まさか!」  驚くラングレイクに頷くと、サガはブルーボールの情報画面を示した。 「エネルギー値が!」 「ああ。歴史交差が解かれていく。おそらく、ついにやったんだ」 「ゼロたちがエルリムを倒したのか?!」  サガは立ち上がると告げた。 「司令。もう遺跡爆破の必要は無い。その目障りなカウントダウンを止めて下さい。もはや危機は去った。行きましょう。ふたりにも意見を聞きたい」  玉座の間のブルーボールは輝きを失おうとしていた。シドとフレアが目覚め、ゆっくりと降下を始める。シャボン玉が最後の瞬間を迎えるように、ブルーボールの表面が渦を巻き、かき消すように消滅した。玉座の間の中央には、シドとフレアだけが静かに立っていた。 「シド! フレア!」  ラングレイクたちが駆け寄る。シドとフレアの表情は、どこか悲しげだった。 「ケズラ先生、ラング、サガ……あの子たちはとうとうやったんだ」 「でも……これで時を結ぶ糸が切れてしまった」  それはゼロとメロディーが帰る術を失ったことを意味する。フレアははらはらと涙を流した。シドは愛する妻の肩を優しく抱いた。 「まだ、そうと決まった訳ではないでしょう」  サガはふたりを力づけるように明るく告げた。 「ヨブロブは攻撃をやめ、ブルーアイランドに帰って行きました。何者かがヨブロブに撤退を命じたんだ。あなた方のご子息は、そんな芸当まで出来るんですか?」  フレアは涙を拭くと、シドと顔を見合わせた。999年で何かが起きたのだ。そしてそれは素晴らしいことに違いない。ケズラはニッコリ頷くと、ふたりの肩を叩き優しく告げた。 「みんなで待とうじゃないか。若き勇者たちの帰還を!」  * * * 「さてと。次は聖魔だ」  エルガムは聖魔の森に巣くう生命に終焉を与えた。総ての聖魔やメガカルマがその場で静かに眠りにつき、かき消すように消えていく。荒れ狂う異形の植物が、穏やかな樹海へと変わっていく。エルガムはフーッとため息をつくと、ゼロたちに振り向いた。 「これで君たちを脅かす者は総て消えた。後はコロニーと繭塚だけど、少し時間をくれないか」  ゼロとメロディーは安堵のため息をすると、笑顔を見合わせた。 「ほら。迎えが来たよ」  エルガムが指さす先にウーたち魔攻衆がやってくるのが見える。 「オ──イ!」 「みんな──!」  ゼロとメロディーは仲間たちに向かって笑顔で大きく手を振った。  * * *  パレル中がお祭り騒ぎに包まれた。魔攻衆は人々の歓呼を持って迎えられ、祝宴は一週間以上続いた。ジルとキュアも、キキナク商会で保護していたスリーパーも全員目を覚まし、難民となった人々も愛しい我が家へと帰っていった。  ゼロとメロディーはパレードの主賓としてパレル中を引き回された。バスバルスのシャンズ市長は全市を代表しふたりに感謝し、その功績を讃えた。  散々揉みくちゃにされ、ようやくケムエル神殿へと戻ったゼロとメロディーは、久しぶりにジルの家を訪れた。 「お帰り、ゼロ、メロディー」  ジルとキュアがふたりを暖かく出迎える。 「はじめましてって言うべきなのかな」  ゼロとメロディーは照れくさそうにふたりと握手を交わした。  多くの命が失われた。ミントを始め初代魔攻衆のほとんどが戦死し、新生魔攻衆もまた、平和の代償として多くの犠牲を払った。コリス、レバント、リケッツ、サジバ。繭使い、そしてナギ人も、エルリムの創世と共にその幕を閉じた。人間の力を信じたジン、そして予言者ギ。ゲヘナパレ帝国の錬金術師たちも、ついにその死を報われた。2007年の世界でも、過去からの侵略に敢然と立ち向かい、夥しい犠牲を払ったに違いない。ゼロとメロディーは、残された者としてその重みをひしと感じていた。 「ゼロ、メロディー。お前達は本当に良くやった。亡くなった英霊たちも、みんなお前達を祝福している」 「そうよ。胸を張って未来へお帰りなさい」  ジルとキュアは、やさしくふたりに微笑んだ。シドたちと体を共有したふたりは、これから起こることをよく理解していた。 「とうとうバニシング・ジェネシスが終わる。出来ることなら君たちのことは忘れたくないが……未練だな。向こうに帰ったら、シドとフレアによろしく言ってくれ。君たちを知って嬉しかったと」 「エルガムにもよろしく伝えてね。わたしたち人類は、決して滅びたりはしないと」 「ジル、キュア……」  パレル中を旅したこのお祭り騒ぎの中、ゼロとメロディーは心の中で人々に別れを告げていた。バニシング・ジェネシスが終わり、これから何が起きるのか。その事実を語ったところで、無益な混乱を生むだけだ。ウーもバニラもその事に気付いていたが、ふたりもこっそり別れの挨拶を交わすだけで、ゼロとメロディーに優しく微笑んでいた。  たった三ヶ月の出来事であったが、それはゼロとメロディーにとって掛け替えのない物であった。別れは辛く寂しいが、笑顔で胸を張って未来へ帰ろう。ふたりは精一杯の笑顔で、ジルとキュアに感謝の言葉を述べた。 「ありがとう」 ■29■ 旅人  翌朝早く、ゼロとメロディーはこの時代へ来たときの服を着ると、気づかれぬようにそっとジルの家を出た。朝靄に包まれる町を抜け、ケムエル神殿のクマーリ門からそっと森へ入る。しばらく歩くと、聖霊マモンが出迎えた。 「お待ちしてました、ゼロ、メロディー。どうぞこちらへ」  ふたりはマモンの案内で御神木バオバオを再び訪れた。 「やあ。そろそろ来る頃だと思ってたよ」  花畑に入るとエルガムが笑顔で待っていた。 「ようやく、この時代を終わらせる準備が出来た」  ふたりを案内しようとすると、ゼロが尋ねた。 「その前に聞きたいことがあるんだ」  エルガムは振り返ると、ニッコリ微笑んだ。 「わかってる。そのためにも、キミたちに会わせなきゃならない人がいるんだ」  エルガムは、こっちだよと大きく手を振ると、嬉しそうにふたりを案内した。花の回廊を抜け、生命の息吹溢れるバオバオが迫る。 「アラ? この歌は……」    緑萌ゆる永遠(とわ)の都(みや)    栄え打つ時の槌(つち)    黄金(こがね)砂とて    明日あれパレル遙かに  花の香りに乗って、優しい歌声が流れてくる。エルリムからマハノンへと伝わり、キュアからフレア、メロディーへと伝わったあの曲。傷ついたゼロの傍らで予言者ギが奏でていた曲。メロディーは今、その核心へ近付いている予感に胸が高鳴った。  回廊を抜けると、小さな花で満たされた原っぱに出た。断崖のようなバオバオの幹を背に、草の上に一人のおばあさんが座っていた。涼やかな衣装を身に纏い、クリスタルのような楽器を静かに奏でている。ゼロとメロディーに気付くと、彼女は演奏の手を止め、ふたりに前に座るよう勧めた。エルガムは彼女の隣に来ると、キョロキョロと辺りを見回した。おばあさんは困った笑みを浮かべ、エルガムに告げた。 「あの子は出てこれずにいるのよ。エルガムや。エルリムを連れてきておくれ」 「うん!」  エルガムは大きく頷くと、飛び跳ねるように探しに行った。 「エルリム……」  もはやエルリムは無害となっているはずだ。だがそれでも、ゼロとメロディーは少し緊張した。 「早くおいでったら!」  花の壁をかき分け、エルガムがエルリムの手を引いて戻ってきた。ゼロとメロディーはその姿を見て唖然とした。先日見た威厳溢れる美女ではない。現れたのは、エルガムと共にあのペンダントに写っていたもう一人の可愛い女の子だった。二人の子供はおばあさんの所まで来ると、その両脇に座った。少女のエルリムは少し怯えた表情でおばあさんにしがみついている。 「いったい……どうなってるの??」  驚くゼロとメロディーに、おばあさんが微笑み掛けた。 「改めて自己紹介をしなくてはね。私の名はエテルナ。そしてこの子たちはエルリムとエルガム。死んだ私の意志を継ぐもの」 「死んだ私!?」 「驚かせてごめんなさい。この私の姿は、生前の意識を再現して作り出した実態映像なの。あなたたちと会話をすることは出来ても、体は既に1700年前に死んでいるのです。そしてこの子たちは、この星を守り再生するために残した亜生体。分子レベルで組み上げられたロボットと言えば分かるかしら」  エテルナはエルリムの柔らかな金色の髪を撫でながら、悲しそうに話を続けた。 「私たちはあなた方この星の住人に、深く詫びねばなりません。元を辿れば、私たち聖パレル人のエゴが招いた悲劇。この子にも辛い思いをさせた事が災いし、あなた方人類に更なる過酷な歴史を歩ませてしまいました」  エテルナがスーッと手のひらを持ち上げると、回りの風景が宇宙空間へと変わった。 「あなたたちにその総てを話しましょう」  惑星パレルより遙か七千万光年の彼方にある銀河団。その一角に、十億年の繁栄の歴史を持つ聖パレルは存在した。極限まで進歩したその文明では、時間移動、素粒子加工、多次元利用など、神に等しい科学技術を用い繁栄を謳歌していた。  だが、そんな聖パレルに、突然終焉が訪れた。母なる星聖パレルより生まれしあらゆる生命体が、場所や老若を問わず次々と死滅していったのである。 『進化樹壊死』 それは聖パレルに生まれた全生命の終焉であった。  聖パレルの人々は、死の運命から逃れようと必死に手を尽くした。未来や過去へ逃れても、その軛は外れなかった。他の銀河に離れても同様である。人々も、草花や動物たちも、次々と死を迎えるのみだった。  そんな中、運命に抗う人々は、超長距離移民宇宙船を建造した。母なる星聖パレルから出来る限り遠く離れる。それが、最後の儚い希望だった。 「それが無駄な足掻きであることは重々承知していました。しかし私たちは、静かに運命を受け入れることが出来なかった」  エテルナたちの乗る超長距離移民宇宙船が星の海を進んでいく。それは全長が千キロにも及ぶ緑溢れる大陸だった。周囲は次元断層で包まれ、その姿はまるで時空の狭間へ浮かぶ聖魔の森を巨大化したようだった。銀河団を渡り、聖パレルから遠く遠く離れて行く。だが、その船の中でも、次々と生命は死に絶えていった。    緑萌ゆる永遠(とわ)の都(みや)    栄え打つ時の槌(つち)    黄金(こがね)砂とて    明日あれパレル遙かに  仲間が一人また一人と死を迎える中、エテルナはエルリムとエルガムにパレルの子守歌を歌って聞かせた。 「それじゃあ、パレルの子守歌は……」  メロディーはその真実に涙した。豊かな繁栄も高度な文明もいらない。唯々生命を育んで欲しい。パレルの子守歌は滅び行く星への思いを歌った歌だったのだ。  七千万光年の旅路の末、移民船の前方に、若く生命溢れる星が現れた。移民船の大陸は既に生命の消えた赤い大地となり、聖パレルの生き残りもエテルナ唯一人となっていた。 「何と美しい星か。あの星でこの旅を終えましょう」  エテルナは船に指示を与えた。だが、進路が定まると共に、移民船に異変が起こった。限界を超えた長旅によって、船の制御が効かなくなってしまったのだ。 「このままでは、あの星を破壊してしまう!」  移民船を覆う次元外装はあらゆる物質を飲み込み、太陽さえも貫いて進む。エテルナはエルリム、エルガムと共に、進路を変えようと必死に機能の回復を試みた。だが、人々の死と共に船を直す知識も失われ、下僕となる亜生体もそのほとんどが死に絶えていた。 「もはやこの船を破壊するしかありません。それでも、核の部分の衝突までは避けられないでしょう。エルリム、エルガム。お前たちは先にあの星へ降り立ち、落下するこの船を破壊しなさい。私もここで、被害を少しでも少なくするよう手を尽くします」 「そんな!!」 「イヤよ、エテルナ!!」  泣きじゃくるふたりを、エテルナは優しく抱いた。 「私はもう充分生きました。聖パレルのエゴに、若いあの星を巻き込むわけにはいきません。お行きなさい、エルリム、エルガム。あの星の危機を救い、平和で豊かな星となるよう尽くすのです!」  エルリムとエルガムは、防衛システム「バオバオ」と救難システム「ケムエル」と共に、高速艇でその若い星へと降り立った。  ふたりが地上へ降り立った映像を前に、エルガムが語った。 「防衛システムの運用は、エルリムの方が得意だったんだ。彼女は自身の機能を限界を超えて増殖させ、エテルナの乗る移民船を攻撃した。そして、その事が、彼女の機能を狂わせてしまったんだ」  巨大移民船は、次元外装を逆転させ、縮退崩壊を始めている。エルリムは泣きながら無数のヨブロブを展開させた。地上から衛星軌道まで重厚な防衛陣を敷き、落下する移民船に攻撃を加えた。惑星一つなど簡単に破壊するエネルギーが、身を挺したヨブロブの群によって相殺されていく。  一方、エルガムはケムエルを駆り、夥しい数のオニブブで惑星を覆い、全生命の救助を続けた。 「ボクにはエルリムのメンテナンスの役目もあったんだけど、あの時は人々の救助で手一杯で、エルリムの異常には気づけなかったんだ」  辛くも滅亡を防いだふたりは、この星をパレルと名付け、再生に着手した。エルリムはバオバオで聖霊を産み出し、エルガムは彼らを率い、荒れ果てた惑星を癒していった。自然が回復していく中、エルリムは世界中に作った避難場所「コロニー」を用い、文明を創世させる事を提案した。 「結局、ボクがエルリムの異常を確信したのは、三度目の創世の時だった」  エルリムをメンテナンスする能力を有するとはいえ、如何にエルガムでも、防衛システム・バオバオの中にいるエルリムに手を出すことは出来なかった。エルリムを説得することが出来なかったエルガムは、四度目の創世において、エルリムを止めるための策を、密かに聖霊たちに施した。 「そうか!」 「それがケムエルの紋章だったのね!?」  ゼロとメロディーはお互いの右手の甲を見た。エルガムはちょっと肩をすくめて笑った。 「ナギ人が生まれてしまったのは計算外だったけど、聖霊長アモスは、人間自身に事態打開の可能性を感じたんだろう。事実、マモンの与えた知恵を使い、ゲヘナパレの錬金術師たちは聖霊を滅ぼしたし、予言者ギはバオバオの封印に成功した。これは到底アモスとマモンだけでは出来なかった事だ」  メロディーは、もう一人の紋章を持つ聖霊についても尋ねた。 「それじゃあ、キュアにも?」  エルガムは頷いて告げた。 「聖霊のゆりかごを失い、時空の狭間へ幽閉されたエルリムは、新たな聖霊を産み出すため人間に目を付けた。既にケムエルを失っていたボクには、それを阻止することが出来なかった。幸い、プロトタイプは不完全だったため、ボクは森人となったマモンの協力を得て女性型プロトタイプのキュアに紋章を刻むことが出来た。もっともそのキュアが、リリスの変で人間に戻されたときには、ボクも呆然としたけどね」  何という皮肉か。結局、ケムエルの紋章は人間キュアに受け継がれ、更にそれを受け継いだゼロたち人間がエルリムを追い詰めたのである。  エルガムの話に、エルリムがべそをかいている。エテルナはエルリムの髪を優しく撫でてやった。 「罪は消えないけれど、この子も決して悪気があったわけではないのよ」  エテルナは背筋を正すと、真っ直ぐにゼロとメロディーを見つめた。 「この星は、この星の人たちのもの。私たちが干渉すべきではない。でも、あなたたちの時代へのせめてもの償いに、贈り物をさせてちょうだい」  2007年のヨブロブの死骸が砂山へと変わり、中心に吸い込まれるように小さくなる。紫の砂の中から白い塔が姿を現す。エテルナは復興の手助けに、永久機関とも言うべき次元流エネルギー炉を未来へ送った。ゼロとメロディーには、その使い方が与えられた。 「さあ、それでは始めましょう」  エテルナはエルリムとエルガムの背中を優しく押した。ふたりは元気良く立ち上がると、天に向かって大きく手を広げた。 「パレルに、歴史の解放を!」  花畑に無数の聖霊が現れ、世界を復元するために次々と飛び立って行った。マモンもゼロたちに礼をすると、彼らと共に去っていった。繭塚のオニブブたちが金色に輝きだし、最後の役目を開始する。ケムエル神殿町も、バスバルスも、パレル中の人々が、安らかな眠りに落ちていく。バニシング・ジェネシスを忘れ、パレルの歴史をやり直すために。  時の歯車がゆっくりと回り始める。メロディーはそっとエルガムに話し掛けた。 「これから……あなたたちはどうするの?」  エルリムとエルガムはニッコリ微笑み、エテルナと手を繋いだ。 「ボクたちはエテルナの記憶と一緒に、この時空の狭間からパレルの行く末を見守っているよ」 「ありがとう、ゼロ。ありがとう、メロディー。あなたたちの事は、決して忘れないわ!」 「いつの日か、キミたちの子孫が訪ねて来たら、話してあげるんだ。パレルを救った勇者たちの物語を!」  * * *  2007年。ケムエル神殿遺跡玉座の間で、シドとフレアは静かに待っていた。ケズラ、ラングレイク、サガの三人は、そんなふたりを不思議そうに見ていた。 「シド、本当に今日帰ってくるのか?」  ラングレイクの問いかけに、シドが頭を掻きながら振り向いた。 「いや、まあ……そんな気がするというか……」 「帰ってくるわ。わたしには分かる」  フレアは確信の笑みを浮かべ答えた。  突然、玉座の間の中央に青い光が灯り、だんだん大きくなっていく。激しく渦を巻き、一瞬の煌めきと共にかき消すように消える。玉座の間の中央に、999年から帰還したゼロとメロディーが立っていた。 「ただいま、父さん」 「ただいま、ママ」 「おかえり」  両親の腕にしっかりと抱きしめられる。ケズラたちも笑顔で駆け寄り、無事の帰還を祝福した。  ゼロ、メロディー、シド、フレア。一家の旅が、今ようやく終わった。 ■エピローグ2007■  メロディーとフレアが、おしゃべりしながら夕食の用意をしている。 「それにしても、どうしてキキナクは、最後に聖霊アモスに戻らなかったのかしら?」  フレアは包丁の手を止め遠くを見つめると、メロディーの疑問に優しく答えた。 「キキナクは、最も深く人間に関わった聖霊ですもの。最後はきっと、人間の友達のまま、命を全うしたかったんでしょう。そして千年後に再び出会うわたしたちを待って、神殿遺跡にその姿を残したんじゃないかしら」 「ママ……」  メロディーは、今頃になってキキナクの事をちょっと見直した。 「メロディー。お皿を取ってちょうだい。パパの分はいいわ。別けておくから」 「パパ、今日も遅いの?」 「そうね。なんたって今や、バニシング・ジェネシス研究の第一人者ですもの」  フレアはため息を吐いたが、その表情は嬉しそうだった。  そんな母を見ながら、メロディーには一つの疑問があった。メロディーは、あの賢者の石システムで身に付けたフロートシップの知識を、今もはっきりと覚えている。そして、あの時フレアは、ゲヘナパレの科学技術総てを手に入れている。999年に残るキュアはバニシング・ジェネシスの終焉と共に記憶を失ったはずだが、目の前にいる母は、その超技術の総てを覚えているのではないか? 「ねえ、ママ。……ママはもしかして、ゲヘナパレの知識を覚えてるんじゃない?」  メロディーは恐る恐る聞いてみた。 「ン――、そうねえ。イー・イコール・エム・シー・スクェアの……忘れちゃったわ」 「ママ!」  明るく答えるフレアに、メロディーが抱きついた。そこへ、運動部の助っ人から帰ってきたゼロが入ってきた。 「腹へった〜! 母さん、飯まだ〜? ……何やってんだ、お前?」 「ベ――ッ!」  変な顔をするゼロに、メロディーが思い切り舌を出す。フレアはそんなふたりを見て、楽しそうに笑った。 ■エピローグ999■  ネオサイラス村。ジルの家に大勢の人が集まっている。リビングのとばりの向こうでは、キュアが出産の時を迎えていた。 「ジル。少しは落ち着かんか! 男がジタバタしても始まらんじゃろ〜」 「はあ……」  床に腰掛けたウーが、とばりの前をウロウロするジルに、ここに座れと指さした。 「ジル! 生まれたかい?」  そこへ、服を返り血で染めたカフーが飛び込んできた。 「何じゃ、カフー! 血生臭い格好で入るでない! けがれるじゃろうが!」  ウーは飛び上がると、すごい剣幕でカフーを追い出した。 「キュアにも栄養付けてもらわなきゃと思って、みんなで大猪を獲ってきたんだ。それじゃあ捌いて、先に宴の用意でもしてるから」  カフーたちは、荷馬車から落ちそうな大猪を、村の広場へと押していった。 「まったく。ワシまで血生臭くなってしまったわい」  ウーがぶつぶつ言いながらリビングに戻ると、突然背後から怒鳴られた。 「長老、やはりここでしたか! 長老が不在では開墾計画の決議が出来ないではありませんか!」 「今度はマテイか。お前がまとめとるんじゃ。ワシなどいなくても問題なかろう」 「何を仰います! ネオサイラスの長老として威厳を示していただかねば困ります!」  何時如何なる時でも折り目正しいマテイの態度に、ウーはげんなりしてため息を吐いた。  その時、とばりの奥から赤子の泣き声が響いてきた。 「う、生まれたぁ!!」  ジルがガバッと立ち上がった。全員の視線が声の方へと向けられる。固唾を呑んで見守っていると、厚いとばりが開き、バニラがヒョコッと顔を出した。 「生まれたッス、ジル!」 「オオ! 男か? 女か?」  ウーたちも駆け寄る。バニラはイヤらしい目つきでクスクスと笑っている。 「どっちでもいいッスよ」 「どっちでもいい?」  とばりをくぐり、ジルが中へと入る。キュアの隣りに、ふたりの赤ん坊がスヤスヤと眠っていた。 「お兄ちゃんと妹よ。母子共に健康」  助産婦を務めたマハノンが、ジルに場所を譲った。感動に震えながら、ジルが枕元に座った。 「やった……やったな、キュア!!」 「ジル……」  涙を浮かべるキュアの手を、ジルは優しく握った。 「オー、双子か!」 「シッ!」  居たたまれず覗き込むウーたちを、マハノンが唇に指を当てて制した。ジルは我が子を愛しそうに見つめている。 「この子たちの名前だけど……どうしても一つしか思い浮かばないんだ」 「わたしもよ、ジル」  ふたりは見つめ合い、その名を口にした。 「お兄ちゃんがゼロで」 「妹がメロディー」  ウーたちもそっと近付いてきた。 「ゼロとメロディーか。何だか嬉しいような懐かしいような、いい名前じゃな」 「村を継ぐ若者として、早速わたしがビシビシ鍛えましょう!」 「早速って、今生まれたばっかッスよ!?」  新しい命を幸せな笑いが包み込む。ふたりの赤子は、平和な笑みを浮かべ、心地よさそうに眠っている。ふたりの可愛らしい左手の甲には、竜の形をしたあざが刻まれていた。 玉繭物語3 〜生命の樹〜 終わり (c)kawauni,2007-2009 玉繭物語3掲載ホームページ 「カワウニ文庫」 URL:http://www2s.biglobe.ne.jp/~fdc/ カワウニブログ「カワウニの巣穴」 URL:http://kawauni.at.webry.info/ ※「玉繭物語」「玉繭物語2・滅びの蟲」は、株式会社ゲンキの著作物です。 ゲンキURL:http://www.genki.co.jp/