京都市立芸術大学日本画科を卒業。平成2年「廃屋」で日展に初入選、平成7年に神戸の震災を描いた「黒いアーケード」で日展特選のほか、平成10年にも日展特選の偉業を達成した。そのほか、平成9年に山種美術館賞展優秀賞、平成14年に東山魁夷記念日経日本画大賞展入選、平成17年に菅楯彦大賞展大賞など、数々の素晴らしい賞を受賞した。
愛する神戸を描き続け、各美術展に意欲的に出品しているほか、神戸や京都、東京で個展を開催し、日本画を通じて神戸の素晴らしさを広くアピールした。また、日展日本画部門審査員をはじめ、全関西美術展、兵庫県展、神戸市展、その他兵庫県下の市町で多数の審査員を務め、自ら主宰する真率会で日本画の指導を行うなど、地域の美術文化の振興に貢献している。
アメリカのハーバードアートスクールでステンドグラスを学び、昭和47年に分厚いガラスをハンマーでカットして、エポキシ樹脂をつないでいく新しい技法「ロクレール」を確立。光と影の力強い表現は、新しい現代芸術として世界の注目を集め、アメリカ、ドイツ等の美術館に収蔵された。
以降、アメリカ、ドイツをはじめ、国内外において展覧会や講演を行っているほか、美術館、学校、病院、その他公共施設にステンドグラス作品を設置するなどの功績を残している。また、昨年まで日本ステンドグラス協会会長として後進の指導育成に尽力した。神戸市内においても、原田の森ギャラリーでの展覧会を開催したほか、元町一番街のラ・ルーチェ(アーチ)、神戸市立フルーツ・フラワーパーク、兵庫県庁等に作品を設置するなど、グラスアートを通じた美術文化の振興に貢献している。
関西有数のテノール歌手として数多くのオペラに出演し、主役から三枚目役まで幅広い役柄を好演したほか、リサイタル十数回、第九交響曲や宗教曲等のソリストとして出演、その他数多くのコンサートへの出演など、めざましい演奏活動を展開している。
また、「身近な人々にクラシックを」をテーマに、小・中学校等の行事や地域イベントに積極的に参加し、交流を深めながら音楽の楽しさを感じてもらえる取り組みを続けている。
大阪教育大学講師、神戸山手女子高等学校講師などを歴任するとともに、神戸コンセルヴァトーリオ院長として後進の指導育成に尽力しているほか、平成18年からは神戸音楽家協会代表幹事を務めるなど、神戸を中心とした地域の音楽文化の振興に貢献している。
6歳より花柳芳五三郎師(現五三朗師)に師事。昭和38年に兵庫県舞踊文化協会へ入会、舞踊家として研鑽を重ねる傍ら、協会の要職を歴任し、「名流舞踊の会」「ふれあいの祭典・日本舞踊の祭典」での創作舞踊や振付・演出など、日本舞踊の普及や後進育成に取り組んできた。
昭和42年から民踊「紫月会」の振付を担当、シンセサイザーと邦楽を融合させた作品を発表するなど、現代的日本舞踊を創造している。昭和45年からは舞踊公演「五三輔会」を開催し、研究の成果と新しい創作舞踊を披露するとともに、新進舞踊家研鑽の場として大きな成果を上げている。
また、フェスピック神戸大会閉会式での総合演出など地域イベントにも協力したほか、文化使節団としてハバロフスク、ロッテルダム等で日舞を披露するなど国際文化交流にも貢献している。
昭和53年に藤田佳代舞踊研究所を設立。一貫して「命をつなぐ」をテーマとした毎年の創作ダンスの発表会、若手振付家育成のための創作実験劇場、ソリストのためのリサイタル、藤田佳代作品展など、数多くの公演の開催を通じて、次代を担う優秀なダンサーや作舞家を世に送り出している。
兵庫県洋舞家協会で理事の要職を務め、全国的にも評価の高い「こうべ全国洋舞コンクール」では初回から企画・運営に携わるとともに審査員として活躍しているほか、兵庫県主催のふれあいの祭典やのじぎく兵庫国体式典前演舞などの振付や演出に積極的に取り組んでいる。
また、舞踊を通じた児童教育・情操教育にも尽力しており、神戸の地でモダンダンスを切り拓くとともに、地域文化の発展育成に寄与している。
昭和44年からほぼ40年にわたって、神戸大学工学部建築学科・同大学院工学研究科建築学専攻において建築・都市設計・都市計画に関する第一線、最先端の研究と教育に尽力してきた。
その傍ら、神戸市都市計画審議会、神戸市都市景観審議会、神戸市建築審査会、神戸市すまい審議会などの神戸市の主要な審議会等の会長や委員を歴任し、地域に根ざした実践的な研究と幅広い専門知識を活かし、「神戸市景観形成基本計画」の策定や「神戸市震災復興総括・検証報告書」のとりまとめなど、神戸市の都市政策・都市計画と地域まちづくりの推進に貢献した。
その他、県下の多くの自治体の総合計画や景観計画などの都市政策の計画立案とその運用などにも関わり、地域社会への貢献は高く評価されている。
武蔵野音楽大学を首席で卒業後、ドイツ国立トロッシンゲン音楽大学院を最高点で修了、同校在学中にユンゲスフィルハーモニシェスオーケストラ・シュトゥットガルトメンバーとしてドイツ各地で演奏・録音、フィンランド・ヨエンスウ市立管弦楽団の首席フルート奏者を務めるなど、めざましい音楽活動を展開している。
帰国後は、平成8年に室内オーケストラ「アンサンブル・神戸」を結成し、松方ホールを拠点に気鋭の演奏家を起用して地域密着型の演奏会を開催するとともに、平成14年には、神戸市民からなる「神戸21世紀混声合唱団」を組織し指揮者として指導するほか、小・中学校や老人ホームなどへ出向いての演奏活動も精力的に行うなど、地域の音楽文化の普及と向上に貢献しており、今後もさらなる活躍が期待されている。
7歳でバレエを始め、平成11年に英国の名門ロイヤルバレエスクールに留学、平成13年にロイヤルニュージーランドバレエ団に入団し、全公演にプリンシパル・ソリストとして出演。帰国後は、貞松・浜田バレエ団でプリマ・バレリーナとして、「眠れる森の美女」などの全幕公演での主役をはじめ、芸術祭大賞作品「DANCE」での即興ソロ、その他数々の公演で主要パートを踊り活躍しているほか、コンテンポラリー・モダンダンス(創作バレエ)の振付にも積極的に取り組んでいる。
これまでに、アジア・パシフィック国際バレエコンクール(シニア部)1位、第63回全国舞踊コンクール(パ・ド・ドゥ部門)1位など、数々のコンクールで素晴らしい成績を収めるなど、日本を代表するバレリーナとして今後ますますの活躍が期待されている。
未生流中山文甫会会長の中山景甫氏の長男として生まれ、平成2年から本格的に華道を始める。以降、5年ごとに開催の流展へ毎回出瓶するとともに、展覧会の企画・運営やいけばな指導に尽力している。また、視覚障害者のいけばな教室「むらさきつゆくさの会」を主宰するほか、各種イベントでの舞台花の制作、歌や和菓子などの他分野とのジョイント活動も積極的に行っている。
「日本いけばな芸術展」や大丸ミュージアムKOBEでのいけばな展、兵庫県公館での「選抜作家いけばな展」等に毎年出瓶するなど、いけばな芸術の振興に寄与している。また、神戸ビエンナーレ2007では「いけばな未来展」実行委員会副委員長として企画運営等に携わるなど、地域のいけばな芸術の振興にも取り組んでおり、若手作家の代表として今後も活躍が期待されている。
幼少のころから俳句の創作に親しみ、昭和51年に俳句月刊誌「貝の会」(創刊者:澤井我来氏)に入会し、本格的に創作活動を始めた。平成12年から同会の主宰を継承し、多くの門人を輩出するとともに、自身も俳句研究年鑑・俳句年鑑等に毎年作品を発表し、俳句の質の向上に尽力している。
また、こうべ市民文芸をはじめ、兵庫県ふれあいの祭典俳句祭などの多くの俳句大会において選者を務めるほか、「こうべ芸文アンソロジー」の概観執筆、読売神戸文化センター俳句教室講師を務めるとともに、数多くの句集等の発刊、俳句雑誌への寄稿、各種俳句大会や講演会の神戸市内での開催など、地域に根ざした創作活動を行い、神戸俳壇の質の向上と発展に貢献している
民間企業などの勤務を経て、昭和41年以降は作画に専念。「刻」をテーマに、人形でもない器械じかけの"第三の人形(ロボット)"を描く独創的な創作スタイルは、美術評論家から評価されている。
これまでに、全関西美術展関展賞一席、同二席、日仏現代美術展二席、同フィガロ賞一席、安井賞展入選5回。二紀展では昭和49年に初入選、その後、女流画家奨励佐伯賞、田村賞、会員賞などを受賞。平成11年には、兵庫県芸術文化協会が女流洋画家を顕彰する「亀高文子記念−赤艸社賞」を受賞するなど、女流画家として実力を認められている。
また、神戸市内在住の二紀会会員として、市内等で行われる展覧会へ精力的に出品を行うなど、絵画創作を通じた地域の文化振興に尽力している。
独自の手法によりリアルな「アートフラワー」を確立し、昭和45年に"オリジナルフラワー"「ミモザグループ」を結成。自身を「創花人」(つくりばなびと)として、家の中や卓上からイベント会場での装飾花など、様々な可能性を追求し独自の世界の確立に努めている。
ミモザグループでのグループ展、元町画廊での個展など、地域に密着した創作・展示活動を展開しているほか、教室活動により有望な後進の指導に努めるなど、アートフラワーの技術向上と地域文化の振興に尽力している。
また、服飾アクセサリーにも創作活動を展開し、国内外のファッションショーにも参加、ファッション界の振興・発展にも寄与している。
仮名を西谷卯木氏、漢字を村上三島氏に師事。長年にわたり精力的な創作活動を展開し、灘区役所や長田区役所、神戸空港、神戸文化ホールなどの市内の公共施設各所には揮毫した特大額を寄贈している。
長田区で開設している鶴山書道院では、昭和23年の開設以来、地域の方々へ親身で高度な指導を続け、修了生は1万人を超えている。また、昭和58年には神戸の優秀な書家をまとめ友墨会を結成し、会長として会の発展と後進の指導にあたっている。
昭和60年からは毎日新聞(兵庫県下)書道紙上展審査委員長に就任し、現在に至るまで22年間にわたり、毎月紙上に優秀作品を紹介し、的確な審査で好評を得るなど、地域における書の普及発展と指導に力を注いでいる。
地元神戸においてニュース・記録映画カメラマンとして勤めた後、昭和40年に米田フォトを設立。長年にわたって、商業写真家として活躍する傍ら、神戸の港・船・近代洋風建築を撮影し、「まちの記録者」としての信念をもって、神戸のまちの表情を記録することに尽力してきた。特に、阪神・淡路大震災時に瓦礫のまちを撮影した作品群は、貴重な資料として(財)阪神・淡路大震災記念協会に保存されている。
これまでに、「海・風・景」展、「震災と美術‐1.17から生まれたもの‐」展、「震災を描いた作家たち展〜あの頃、その時、そして10年〜」、「神戸・まちかどの光陰」展など、神戸をテーマにした個展の開催・展示会への出品等を通じて、地域における地道な文化振興活動を展開している。
株式会社串乃家代表取締役社長として事業に携わる傍ら、平成10年に、阪神・淡路大震災復興支援チャリティーと世界平和を願い、神戸市で第一回「1000人のチェロ・コンサート」を開催、そのディレクター、プロデューサーとして奔走した。また、平成12年には「NPO国際チェロアンサンブル協会」を設立し、同代表に就任した。
その後も、平成13年に、5人の世界的なソロチェリストを招き、また、平成17年には、チェロ界の三巨匠(ロストロポーヴィチ、シュタルケル、グリーンハウス)を集め、「International Cello Congress in Kobe2005」を開催し、神戸の地から平和を願う文化・芸術を世界に発信するとともに、チェロを通じた音楽文化の振興に尽力している。
元町商店街を中心にして、神戸市民による神戸市民のための手作り音楽祭を開催することを目的に、平成10年2月に設立された。
平成10年の「第1回元町ミュージックウィーク」を初めとして、毎年、30〜40のプロ演奏家によるホールコンサート、100グループ以上が出演するストリートコンサートなど、気軽に市民が集う商店街のストリート、ホール、喫茶店、店舗などを舞台に多彩なジャンルの演奏を繰り広げている。平成20年で11回目を迎え、今日では秋の音楽イベントとして神戸市民に定着している。
「新開地ミュージックストリート」などの創設への先駆的役割を果たした音楽祭として、また「神戸ジャズストリート」とともに神戸を代表する音楽祭として、地域の音楽文化の振興に貢献している。
15歳で本格的にバレエの道に進み、素質と努力でソリストの地位を確立するとともに、米国への留学などを経てさらに研鑽を積み、現在でも現役バレエダンサーとして活躍している。
昭和36年に藤井喜代子バレエ研究所を設立。初回公演の「バレエファンタジー」以来、「白鳥の湖」「ジゼル」「カルメン」「白雪姫」などの名曲の公演を含む、三十数回の公演活動を行い、神戸を拠点にしたバレエ芸術の発展と後進の育成に積極的に貢献している。
また、兵庫県洋舞家協会に所属し、洋舞合同公演、洋舞スプリングコンサート等の企画・出演・振付などを積極的に展開するとともに、全国的にも評価の高い「こうべ全国洋舞コンクール」には初回から参画し、企画の推進や審査員を務めるなど、地域の文化振興にも寄与している。