宇宙最後の希望

             
不意の電話が、俺を心地よい夢の中から引き戻した。反射的に時計を見たが、すでに昼を過ぎてだいぶ経つ。これでは相手に直接文句を言う訳にもいくまい。虚空に向かって悪態をつきつつ、受話器をとった。

「レイジかい?」

「そうだけど、その声はおやっさんか。久々に仕事かい?」

眠気は吹っ飛んだ。ここんとこごくまっとうな仕事ばかりだったので、おやっさんの持ってくる、厄介だがやりがいのある仕事に飢えていたのだ。

俺の仕事はフリーの運び屋だ。もちろん地べたを走り回るちんけなものではない。今日はアンドロメダ星雲、明日はメシェ星雲、星々を渡り歩く星間輸送だ。

「そうさ。悪いが急ぎの仕事だ。承知ならすぐに客をそっちにやる。目的地は地球で、報酬は5,000万クレジットだ」

「そいつは破格だな」

頭の中で経費の計算をしながら、俺は言った。

「客が客だからな」

「え、どんな客なんだい」

「会ってからのお楽しみさ。賭けてもいいが、おまえも驚くぜ。まあ、信用できる相手だとは言っておく」

「やけに思わせぶりじゃないか。わかったよ。おやっさんの持ってくる仕事に外れはないからな。この仕事、受けたぜ」

「そう言ってくれると思ってたよ。客は30分くらいで着くさ。報酬はいつもの口座でいいな?」

「ああ」

電話を置いて30分、おやっさんの言葉は大いに想像力をかきたててくれた。しかし俺の部屋を訪ねてきた相手は、想像の域を遥かに超えた意外な人物だった。

「レイジ・アンドウさんですね。私はシーラ・グリフィスです。ジョン・スミスさんからの紹介で来ました。」

ジョン・スミスって言うのはおやっさんのことだ。あまりにも平凡な名前だから、俺は偽名だと睨んでいる。もっとも、偽名なら逆にもっと変わった名前にするのかもしれないな。それはともかく、目の前に立っていたのは間違いなく、全宇宙に知れ渡った歌姫、シーラ・グリフィスその人だった。そういう方面にはとんと疎い俺でも、顔くらいは知っている。なにしろとびっきりの美人なのだ。確か歳は俺より三つ下のはずだが、奇妙な威厳を漂わせている。

「私を地球まで連れていって欲しいんです」

狭苦しい部屋だが、一応、応接セットは揃っている。座り心地がいいとはお世辞にも言えないソファーに座るや否や、宇宙のセイレーンはそう言った。ふだんの声もとても魅力的だ。

「目的地と報酬は聞いてる。それについては俺も文句はない。けど、地球に行く理由を聞かせてくれないか」

まことに遺憾なことだが、彼女は一人ではなかった。えらく存在感のないマネージャーがついてきており、彼女の隣に座っている。歳は俺と同じくらいで、後藤とだけ名乗った。そいつが口を挟んだ。

「貴様にそれを話す必要はない。あんたは我々を運べばいいんだ。条件に満足するなら、すぐに仕事にかかってくれ」

「これも仕事のうちだと思ってくれ。今をときめく有名人が通常のルートでなく、いかがわしい個人営業の貨物船をチャーターしようっていうんだ。訳ありだってのは分かっている。警戒するのは当然だ。しかし俺にも事情が分かっていれば、いくらかの危険は事前に回避できる」

シーラは真剣に俺の目を見つめた。緊張した雰囲気は、すぐに解けた。

「わかりました。お話します。あなたはスミスさんの言葉以上に信じられる人みたいですね」

ぶ、あいついったい何を言ったんだ。

後藤はまだぶつぶつ言っているが、シーラはそれを無視して話しはじめた。

「一月ほど前でした。差出人の名前のない手紙が届きました。脅迫状です」

彼女が差し出した手紙にはつぎのように書かれていた。

『星間家の秘宝を渡せ。さもないとコンサート会場で大勢死人が出ることになる』

あんまり知的とは言えない文章だな。簡単明瞭ではあるけど。

「星間っていうのは?」

手紙を返しながら俺は言った。

「私の母の姓です。母は死ぬ間際に一枚の地図を渡してくれました。『これには最後の希望の隠し場所が描かれている』と言って。

 それが何かは母も知りませんでした。母も祖母から、同じ言葉とともに渡されただけだそうです」

「そのことを知っていたのは?」

「誰もいないはずです。私自身、脅迫状が来るまで忘れていました」

俺は考え込んだ。

「不思議だな」

「ええ。地図はずっと母の形見の宝石箱に入れてあったんですけど、その地図が地球のネオ・シンジュクを示していたんです」

「秘宝を渡すより、地図そのものを渡す方が安全じゃないか?」

「渡すつもりなんかありません!」

俺は目を丸くした。

「それが何かを見極めて、渡してはいけないものだったらそれを絶対に守ります」

彼女の瞳には固い決意が宿っていた。気に入った。華麗な外見とは裏腹に強い女性のようだ。

「わかった。この仕事引き受けた。アフターケアーもばっちりやってやるぜ」

「え?」

「『最後の希望』を守るはめになったら、俺も全力で手伝うってことさ」

シーラは笑顔を浮かべた。

 

まったく拍子抜けしたことに、なんの妨害もないまま地球にたどり着いた。脅迫犯は意外と小規模だったのかな。というわけで、俺たちは今、地図の指し示す場所に立っている。目の前にあるのは不思議な光景だった。ネオ・シンジュクは昔から時代の最先端の街であった。もちろん今も宇宙で1、2を争う近代的な都市だ。その真ん中にぽつんと、3世紀以上も前の建物が建っていた。木造の2階建てのこぢんまりした住居だ。壊れてはいないのだが、かなり年を経ているように感じられた。

「都会の真ん中によくこんなものが残ってたな」

俺は言った。

「ほんとね」

シーラが同意する。が……。

「なんのことだ」

後藤が言った。シーラと俺は後藤を見た。

「あれがわからないの?」

「あれっていうのはそもそもなんだい」

「家だよ。古い家。木造の2階建てで……」

「俺には20階未満の建物は見えないぞ」

シーラと俺は顔を見合わせた。

俺は後藤の手を引いて、家に近づいた。途中でなにやら奇妙な抵抗感を感じた。それを過ぎるや否や、後藤が驚きの声を上げた。

「なんだこれは?」

「今度は見えるみたいね」

考え込みながらシーラは言った。

「今いきなり現れたんだ」

「俺とシーラさんは最初から見えていたぜ」

なんとも言いようのない沈黙が下りた。

「とにかく、入ってみましょう」

シーラが歩き出し、俺も後を追った。

その時、不意の衝撃が背後から俺を襲った。

 

「やってくれたじゃねえか」

俺は頭を振って起き上がった。後藤はレイガンでシーラを脅して家の中に入っていった。俺の生死を確認しないで行ってくれてよかった。無防備の頭部をレイガンで一撃、俺が妖怪でなかったら死んでるぜ。

そう、俺は妖怪なのだ。宇宙を人間が飛び回るこの時代に、と思われるだろうが、事実なのだからしかたない。だいぶ前の先祖に妖怪がいたらしく、その先祖帰りで生まれたのが俺だ。

おっと、のんびりしてはいられない。二人を追わないと。

次の瞬間、俺は二次元の影と化した。この状態だとレイガンの攻撃には弱冠弱くなるが、携帯のものならば、威力が弱いから影響を受けることはないだろう。そっと家の中に進入する。すぐに後藤の声が聞こえてきた。

「いったい秘宝とはなんなんだ?」

「わたしだって知らないわよ」

よかった。シーラはまだ無事なようだ。

「それよりどうして秘宝のことを知ったの?」

後藤は嫌な笑いを浮かべた。

「俺の家にも伝わっていたんだ。星間という家に『最後の希望』なる宝が伝わっていると。どうやら、俺の先祖は星間家とじっこんだったらしい。まさかその星間家の血を引くのが、シーラ、あんただったとは思わなかったが」

俺はちょっと二人から目を放して、辺りを見回した。秘宝らしきものは見当たらない。家の中にあるものといったら、本棚にびっしりと詰まった本だけだった。まさか、これが秘宝なのか?

まあいい。それは後のことだ。俺は後藤のすぐ後ろで元の姿に戻った。あえて気配を殺さなかったから、後藤はすばやく後ろを振り向いた。後藤が事実を認識する間もなく、レイガンを奪い取る。

意外と後藤の反応は速かった。俺にレイガンを構える暇を与えず掴みかかってきた。身をかわしレイガンをシーラに放る。それから人間には不可能な速さで後藤の背後を取り、腕を締め上げた。後藤は苦痛の声を漏らしつつもがいたが、俺の腕はびくともしない。

「なぜおまえが生きている」

後藤が苦々しげに言った。

「悪いな。人より丈夫なんだ」

それからシーラに向き直った。

「なにか縛り上げるものを探してきてくれ」

シーラは頷いて部屋を出ると、合成繊維の紐を持ってすぐに戻ってきた。後藤を縛り上げると、それ以降俺たちは完全に彼を無視した。

「よかった。本当に」

「はっはっはっは。ヒーローは死なずってとこか」

「冗談はいいわよ。あなた、どうして生きてるの?」

「正直に言っても信じてもらえないさ。それより、目的のものを探そう」

「そうね。あなたの正体については後でゆっくりと聞かせてもらうわ」

シーラは本棚に目をやり、大きく1と書かれた本を引き出した。声を出して最初を読み上げる。

「私、星間総司は最後の希望としてこの本を記す。

最近我が友たる妖怪がだいぶ少なくなってしまった。殺されたもの、いつのまにかいなくなってしまったもの、自ら姿を消したもの、すべては何人かの関係者の記憶に残るのみだ。妖怪は人々の想いから生まれ、人々の記憶に残る限り復活する。けれどさらなる文明の発展が、人々の想う力を弱め、妖怪たちの記憶すら薄れさせていくように思えてならない。

そこで私は彼らの記憶を書物に残し、失われることのないようにするつもりだ。もし人間の手に余る重大な危機が訪れたら、彼らが最後の希望となってくれるだろう。

書物を残す家には、知り合いの妖怪に頼んで、本を保存する術と永久的な人払いの妖術をかけてもらった。知る限りの妖怪にはこの家のことは知らせてある。彼らはここに手を出さないだろう。

我が子孫はここを発見することができる。私の妻は人魚で、我々の子孫は妖怪の力を色濃く受け継ぐことになるそうだ。

これを読む者よ、最後の希望となる力を正しく使ってくれ」

シーラは本を閉じて俺の方を見た。

「これ、信じられる?」

俺はもちろん信じないわけにはいかない。少なくとも、妖怪の存在だけは……。

「俺もこの家を見ることができたろう。その意味、わかるかい?」

「まさかあなたも妖怪の血をひいているとでも?」

俺は頷いた。

「現にレイガンで頭を撃たれても死ななかったろう」

そう言って影に変わって見せた。シーラはパニックしかけたが、意志を振り絞って冷静さを取り戻した。

「知らなかった。本当に妖怪がいるなんて」

俺は元に戻った。

「君の歌声も、妖怪の能力が混じっているのかも知れない。あ、もちろん君の実力を疑っているわけじゃないよ」

「そうかもね」

シーラは少し考え込んだ。

「これが必要になることってあるのかしら」

「たぶんないんじゃないかな。君のご先祖は間違っていたと思うよ」

「どうして?」

「俺みたいのもいるし、今でも妖怪は生まれてると思うんだ。周期的に妖怪ブームがあるし、なにより人間が『想い』をなくしたとは思えない」

「そうね。人間が『想い』をなくすなんてこと、あるわけないよね」

シーラの顔に、最高の笑みが浮かんだ。

「そうさ。そして『想い』がある限り、きっと妖怪も生まれ続けるのさ」

俺たちは最後の希望が眠る家を後にした。