アルテミスとトロイア戦争


ギリシア神話中もっとも大きな出来事といえばトロイア戦争ですが、この物語にアルテミスはあまり関わってきません。せいぜいイーピゲネイアの物語でアカイア勢の出港の邪魔をしたことと、イーリアス中でヘーラーに逆らおうとして逆に泣かされて帰ったことくらいでしょうか。
トロイア戦争のきっかけとなったもっとも美しい女性を選ぶパリスの審判は、ヘーラー、アプロディーテ、アテナの間で行われアルテミスは抜き。けれど別なところでも触れましたが、「もっとも美しい女性」とはアルテミスの称号なのです。

アルテミスがごひいきの私としてはとても悔しいので、アルテミスがパリスの審判に関わってこなかった理由をちょっと考えてみると次の3つが考えられます。

1 そもそもアルテミスは自分の美しさに重きを置かない。(個人的にはこれが理由と考えたい)

2 古代ギリシアでは、アルテミスへの信仰は他の女神ほど盛んでなかったのでのけ者にされた。(個人的にはこれが理由であってほしくない)

3 本当は美しさを競ったのがメインではない。神話の意味付けとして、3女神の与えうる御利益のうち人間がどれを選ぶかに意味があった。(アテナイの街を賭けてポセイドンとアテナが行った勝負と似てる)アルテミスの御利益といえば豊富な狩の収穫か子沢山、確かに他の女神のものほど魅力的じゃないかも。

おそらく2と3が妥当なところでしょうがそれは無視して、もうひとつぶっとんだ仮説を提示しましょう。

アルテミスはちゃんとパリスの審判にでてきているのです。

パリスの審判にはもっとも美しい女性がもうひとりでてくるのにお気づきでしょうか。そう、アプロディーテによってパリスに報酬として提示されたヘレネーこそがアルテミスの化身なのです。
ちょっとヘレネーの誕生を思い出してみましょう。ヘレネーは白鳥と化したゼウスとレーダーの間に生まれました。ところがこのレーダーという女性、元は小アジアの地母神で、アルテミスを産んだレートーと同じ起原を持つのです。すなわちヘレネーとアルテミスの両親は一致するのです。ヘレネーもアルテミスも、ゼウスとレートーの間に生まれた二人の姉弟(あるいは兄妹)の女性の方なのです。(注1)
ヘレネーの母はレーダーではないという異説もあります。異説によるとヘレネーの母親は復讐の女神ネメシスとなります。あるときゼウスはネメシスに言い寄りました。ネメシスはこれを拒み、いろいろなものに姿を変え逃げ回りました。ゼウスもそれを様々に姿を変え追いました。最後にはがちょうになったネメシスに白鳥になったゼウスが追いつき、ネメシスは卵をひとつ産みました。レーダーがその卵を見つけ暖めました。そこから生まれたのがヘレネーであるというのです。
これと似た話が他にもあるのをご存知でしょうか。レートーの姉妹アステリアーもやはり、様々に姿を変えゼウスから逃げ回りました。最後にはうずらの姿となり海に落ちて島となりました。オルテュギュアー(うずらの里)と呼ばれる島で、レートーは他ならぬこの島でアルテミスを産んだとされます。
この二つの神話、とても似ていると思いませんか? さらにもうひとつ、アルテミスとしばしば同一視されるヘカテーはアステリアーの娘であることを付け加えておきましょう。
トロイア戦争に関わる前のヘレネーのエピソードがひとつあります。ヘレネーはあるときアルテミス神殿(注2)からさらわれました。この時さらったのはテセウスとペイリトオスで、彼らはそれぞれゼウスの娘を妻にしようと考え、テセウスはヘレネーを、ペイリトオスは冥界の女王ペルセポネーを手に入れようとしました。先にヘレネーの方をさらいそれには成功したのです。ペルセポネーの方は失敗して二人は長く冥界に捕らえられることになりました。このとき、ヘレネーはテセウスとの間に娘をもうけたという説があります。この娘こそ誰あろう、後にアルテミスと深く関わってくる女性イーピゲネイアです。もちろん彼女はアガメムノンとクリュタイムネストラの間に生まれたという説が一般的ですが、このヘレネーの娘という説も興味深いものがあります。
アルテミスの神話に似たものがあります。ポセイドンの息子とされるアローアダイと呼ばれる双子は、ヘーラー(もしくはアテナ)とアルテミスを奪おうとオリュンポスに登りました。「二人の女神を奪う二人連れの男、しかもその男たちはそれゆえに身を滅ぼす」という共通したモチーフがあります。そしてこの話はトロイア戦争にも関わっていきます。アローアダイを倒したのはアルテミス(アポロンという説もある)ですが、その方法とはアルテミスが鹿と化して二人の間を駆け抜けるというものでした。二人は鹿に魅了され、鹿を捕らえようとして槍を投げました。けれど鹿にはあたらず、結果的に二人はお互いを刺し貫いたのです。
トロイア戦争におけるヘレネーの役割とは、まさしくアローアダイに対したアルテミスと同じなのではないでしょうか。トロイア戦争は増えすぎた人間を減らすために起こりました。そのためにアルテミスはヘレネーという名の美しい鹿と化してアカイアとトロイアの間を駆け抜けたのです。アカイアとトロイアは互いに戦いお互いの数を減らすことになりました。
以上のことから、わたしはヘレネーはアルテミスの化身であったのではないかと考えます。

ここに書いたことは学問的にはなんの価値もないかもしれません。けれどこうして神話を想像力で補うのはとても楽しい作業です。みなさんも自分だけの神話を語ってみてはいかがでしょうか。
ちなみに私はここに書いたことをネタにして小説めいたものを書きました。中学生のときから書き始めて完成は高校のときです。それもすでに昔のこととなってしまいました。今読み返すとひどい文章です(今もひどいかもしれませんがそれ以上ひどい)。気が向いたら文章を直しつつこのホームページに書き込むかもしれません。

(注1) レーダーは4人の子供を産みましたがゼウスの子は二人だけです。

(注2) アルテミス神殿からさらわれたという事実もヘレネー=アルテミス説の根拠としたいところだけれど、これはアルテミスの庇護下、すなわち子供の領域から引き離されたことの象徴かもしれない。