(1)お経のエスペラント
般若心経は5千7百余巻の日本の仏教の経典の中でも「お経の中のお経」「天下第一のお経」として、我が国では最も親しまれている経文である。日本の13宗58派8万4千の法門において、般若心経は日蓮宗と浄土真宗を除く全ての宗派で読むことの出来る経文であり、お経のエスペラントの如き存在である。
釈尊の死後、仏教の教団は20余りの教派に分裂し、過去の経典に対する訓古学ばかりが盛んになった。それに対して在家の信者達から「原始仏教の精神に帰れ」という革新運動が紀元前後に起こった。この運動の中で作られた多くの経典の中の一つが、大般若経である。この大般若経は大変な分量で、漢訳されたものは600巻にもなる代物である。これが物凄い分量である事を示す面白いエピソードがある。南北朝時代に追っ手に追われてお寺に逃げ込んだ護良親王が、隠れるところが無かったので、仕方なく「大般若経」の入った木箱から中味を取り出して、その中に隠れたという。護良親王は大変に体格の良かった方だったそうであり、つまり体格の良い大人が一人すっぽり入るくらい分量の多いお経だった、ということなのである。
これでは如何せん多過ぎて、およそ実用的ではない為、この「大般若経」のダイジェスト版として編纂されたのが、いわゆる般若心経である。(そして「大般若経」と「般若心経」と、教えの内容は全く同じだそうである。)なおこのサンスクリット語(梵語)で書かれた般若心経の原本は、現在インドにも中国にも東南アジアにも無く、何と我が日本の法隆寺に、唯一その写本が残っている。
この般若心経は中国でもさかんに漢訳され、現在でも7種類が伝えられているが、その中でも有名なのは西遊記の三蔵法師のモデルとなった玄奘三蔵が649年に漢訳したものである。この漢訳は、原本と独立した価値が有ると言われるほどの名訳であり、我々が今日「般若心経」と呼んで親しんでいるのは、この玄奘訳である。
(2)般若の意味
それでは般若とは、一体どういう意味であろうか。我々がこの言葉を聞いて先ず思い浮かべるのは、恐ろしい鬼女の能面であろう。又、般若湯と言えば坊主の隠語で酒のことだし、奈良には般若寺というお寺がある。
般若とは、インドのパリー語「パンニャー」の音訳で、「知恵」を意味する。それも悪知恵や浅知恵ではなく、良い知恵・正しい知恵・深い知恵のことである。ついでながら鬼女の能面を般若と言うのは、昔、奈良と京都の境の般若坂に般若坊という有名な面打ち(能面の製作者)がいて、彼の作る鬼女の能面が余りにも素晴らしかったので、いつの間にか般若が鬼女の面の代名詞になってしまったのであって、本来の般若の意味とは全く関係が無い。(この様に代表的な商品名が一般の製品名となってしまう事は、ジープ等他にいくらでも例があり、例えば我々が「ホッチキス」と呼んでいるのは実は特定の商品名であって、あの器具は正しくは「ステープラー」と呼ぶのである。)
(3)般若心経の構成
般若心経は、それがお経である事を割り引いても、かなり奇妙な文章である。何しろわずか262文字の中に、「空」が7回、「不」が9回、「無」に至っては何と21回も出てくる。否定形のオンパレードなのである。仏教の主要な概念である「空」について解説しているから、こんなバランスの悪い文章になってしまっているわけである。「空」の概念は「因縁」と並んで仏教の教えの主要なポイントなのであるが、それは又「公開せる秘密」と言われるほど、わかりづらく理解の困難な概念でもある。
それから心経の中に音訳の部分がある事は、注意を要する。般若は「パンニャー(知恵)」、波羅蜜多は「パーラミタ(彼岸に達する・完成する)」の音訳である。玄奘は「5種不翻」の説を唱え、1インドにあって中国に無いもの、2一語で多義のもの、3秘密のもの、4昔からの習慣に従うもの、5訳すと原語の価値を失うもの、の5種類については、音訳することにしたのである。有名な「ぎゃーてい、ぎゃーてい、はーらーぎゃーてい…」も音訳の当て字であり、こういった部分はいくら漢字の字面を眺めてみても意味がわからない。
なお文中に「舎利子」という言葉が2度出てくるが、これは釈尊の10大弟子の一人であった舎利弗(シャーリプトラ)のことである。つまり般若心経は「舎利弗よ」と、釈尊が弟子の舎利弗に語りかける形式をとっているのである。この舎利弗は、10大弟子の中でも目蓮と並んでトップに位置し、この二人はキリスト教のペテロ・パウロに当たる存在である。舎利弗は智慧第一と言われて釈尊の信頼も厚く、釈尊の一人息子ラゴラの家庭教師役を任じられている。彼等がペテロ・パウロと違うところは、教祖の死後に教祖の教えを広めるどころか、教祖より先に死んでしまったことである。
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