最北端のならず者

北海道はでっかいどう!なんて旅行会社のキャッチみたいだけど、初めて北海道を旅したものはこのフレーズを口ずさみ、
遥かなる大地、牧草地の向こうまで続く道、さえぎるものが何もない場所を旅している自分をイメージするものだ。
実際このときの僕もそうだった。1987年夏2ヶ月近い行程の旅を計画した。初めての北海道の旅だ。
このときすでにバイクの免許も持ってたし、バイクも持っていたが、あえて初めての北海道はチャリンコで、と決めていた。

そう言えばこのとき青森から函館までの青函連絡船が最後の年だった様な気がする。今思えば安かったし、
あの独特のどらの音が旅愁をかもしだし、なかなかのものだった。

函館から最北端の宗谷岬まで行き、オホーツク海を東に走り、屈斜路、阿寒、根室、再び札幌に帰ってくる
一周コースが今回の計画だ。しかし学生の身、当然金がない。バイトをしながらの旅となった。
札幌、富良野、旭川を1週間がかりで通過、旅人達との出逢い、別れを重ねいよいよ第1目標最北端が近づいてきた。
稚内へはサロベツ原野を通り利尻富士を左に見て走るコースだ。ここに来て初めて北海道らしい風景と出会うことになる。
はじめのうち、とうもろこしと牛乳を買いこれぞ北海道定番メニューとばかりに1人ではしゃいでいた。
しかしそう喜んでいられるのも最初のうちだけだった。

北海道の広さにいいかげんうんざりしながら、やっとの思いで稚内へと到着。そこから再び夢にまで見た日本最北端、宗谷岬を目指す。

函館から実に10日がかりで最北端に到着!感慨深いものがあったがその気持ちも最北端の土産物屋から流れる
BGMでかき消された。擦り切れた尻の痛みを引きずり宗谷からの景色を楽しむ。オホーツクを見てると何か
さびしい気持ちになる。北の果てにたどり着いた気分をしみじみ味わい、今日のネグラを探す。
道をはさんで岬の向かいに屋根つき、ドアつきのバス停を発見。さすが最果ての地、バス停もしっかりしている。
最終のバスが行くまで近くで時間を潰すがとにかく寒い。信じられないと思うが夏だと言うのに土産物屋ではストーブをたいている。
風も有ったし体感温度は1桁台だろう。ありったけのものを着込み寒さをしのいだ。

うろうろしてると次々に最北端を目指してきた旅人がやってくる。何人かと会話をし今日の酒宴の仲間を募った
。その結果、本日最北端で野宿するのはチャリダーが7人、アメリカンバイクに乗ってるツアラーが1人だ。まだ夜が来ないうちに
一升ビンを買い込み酒宴の始まりとなった。夕方、皆で最北端の記念碑で写真を撮ろうと言う事になった。
普通じゃつまらないので全員上半身裸で撮ると言うのだ。この寒空に。。。詰め所(この後このバス停は
ならず者の詰め所と命名された。)を全員出動!記念碑まで走る。写真を2〜3枚撮り、
即効で詰め所に戻ろうとしたそのとき、どこからか、天使のような声が聞こえてきた。

なんと女の子だ!お〜!こんなとこでこんな綺麗なおねーさんたちに会えるとは。。。。
(注:長く旅しているとどんなおねーさんでも綺麗に見えてしまう)。そしてこの時、誰もが自分に魅力があるのだと勘違いしていた。
年にして19〜20歳の大学生か何かのグループだろう。5人のおねーさんチームだった。
向こうから一緒に記念写真を撮りたいと声をかけられたのだった。獣のようなならず者は期待に大きく胸を膨らまし、寒さなど忘れていた。





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