ミニバイクレースに挑戦!

若井伸之(NobuyukiWakai)

ご存じでしょうか?
90年代前半のWGPを見ていた方は知っていると思います。
フラミンゴのシンボルマーク。小さなマシンに大きな体をのっけてアグレッシブなライディングスタイルが印象的なレーサーでした。
私がミニバイクサーキットを走るきっかけになった人物です。

チャリダーだった私がふとした思いつきで「バイクに乗ってみるか!」と思ったときに彼は世界を走っていました。
ひとまず原付の免許だけは持っていたので、「ひとまず原付ミッションから練習だな」と思ってバイク雑誌を舐めるように見ていた頃、某レース雑誌で存在を知り、直感的に憧れていました。
しかし、間もなく彼はスペインのヘレスの予選中に事故で亡くなってしまったのです。

5月の連休中に親戚宅へ遊びに行っていた時、背中で流れたいた18時のニュースで一瞬彼の名前が流れました。
ふと振り向いてTVを見てサーキットの映像が映った瞬間、別のニュースを報道していました。
「まさか...聞き間違いだよなぁ」と思いこみながら、次月のレース雑誌を見たときにやはり真実であることを知ました。
かなりショックでした。

それから迷わずレプリカメットと50Γを手に入れることになりました。
しばらくすると、レースの世界の断片を知ってみたくなり、ミニバイクサーキットに行ってみました。
ひとまず道具は揃っている...ツンギとブーツがあれば走れる。と思うといてもたっても居れなくなり、12回ローンでレプリカツナギを作ってしまいました。

何回か練習走行に行ったでしょうか。
自走で行く辛さと、さらに大きなバイクへの憧れもあり、いつしか通うことが無くなってしまいました。

あれから6年...
ふとしたきっかけでRSタイチ主催の2時間耐久レース(ミニバイク)の申し込みをする決心をしました。
2名タッグなのですが身近なツナギ持ちと言えば弟だけ。
しかし弟は参加することに迷わず返事してくれました。

なんだかんだで、カミさんのドノーマルNSR50で参加することになったこのレース。
しかも初参戦。しかも原付とサーキットのブランクが長い。(弟はサーキット未経験)
さらに追い打ちをかけるように3時間耐久に延長されていました。
さらにさらに参加台数が少ないため予選落ち無し。

えらいことになってしまいましたが、ようやくレースに参加することができました。
もう結構おっさんになってきたので、成績よりも完走を目標に走りました。
なかなか充実していました。くたくただったけど...

これで少しは故若井選手に近づけたのだろうか?
まぁ、初めの一歩というところですな(^^;

1999年9月12日 SUPER BAD BOY杯 3時間耐久レース