短歌グループ環 最近の例会
10月30日 都内某所にて
出席者 5名
テーマ 『虚構の時代の果て』−オウムと世界最終戦争−
大澤真幸 著
五賀のレポートを以下掲載しますが、議論は、基本的なオウム真理教の事象に埋もれてしまった感があり、ひろく日本社会にとどまらず、時代の傾向を論じた本書に至らなかった。その点ではレポートも同様であったと反省している。
しかし「地下鉄サリン事件」のようなもの、あるいは、宗教といったものに個人が向き合うとき、学究的態度はかえってそのひとにとって危険であるというふうに私は思うのだ。魂の問題には、学者といえども、その魂のありかを明らかにして臨まなければならない。
とても個人的なことだ。
ある朝、ボクは会社に行こうとしていた。
いつもの経路で池袋から地下鉄に乗り、本郷三丁目駅に着いたとき、不思議なものを見た。それは濡れた新聞紙に包まれたふっくらとしたもので、駅員が掃除に使う、緑色の塵取りからはみだしていた。制服警官が二人、それを守るように立っていたが、ボクが通り過ぎようとしたとき、一人はかがみ込んでその袋の匂いをかぐようなしぐさをした。
そこから3分で会社。あれは何だったのか、考えながらお湯をわかしたりしているうちに、外の通りを救急車が何台も何台も走りはじめ、サイレンの音がいっこうに止まなくなった。職場のテレビをつけると、霞ケ関駅や築地駅で倒れている人が映し出された。
ボクは非常階段を2階分下りて営業部に行った。「ねえ、地下鉄に毒ガスが撒かれたらしいよっ」「○○が具合悪いって」「大丈夫?目は見える?」と言うと、その小柄で痩せた営業マンは「さっきから暗いんだよ」と泣きそうな声で答えた。
とても個人的なことの概要はそんなふうだった。
その日、サリンが地下鉄に撒かれた。
あれから、すでに3年以上がたち、実行犯の一人とされる林郁夫はすでに判決を経て服役中である。
ボクは事件の翌年、本郷の会社を辞めた。しかしあの物体のこと、あれが、サリンの袋であったこと(実行犯がうまく穴をあけられずに、たった1袋だけ無傷で残っていたのが本郷三丁目で回収されたものだった。サリン同定の決定的な証拠になった)を知ったときの気持ち、事件後のさまざまな出来事を、いまだに整理できないでいる。
この「虚構の時代の果て」を読むことで、あの当時自分が感じたことがはっきりするのではないか、と期待した。これから、それを検証してみるつもりだ。しかしなお、社会学的なところでさまざまな考察がなされたあとでも、個人的な次元で、納得できないでいる自分がいる。
1 悪意ある他者
ボクのいちばん最初の反応は、誰かが、見知らぬ奴らがボクの命を脅かしたということだった。テロリズムというものについて、なんて愚かな、という程度の認識しかなかったので、それが自分にふりかかってくることは想像を超えていた。
しかし、ボクが乗った地下鉄は、サリンがばらまかれたのの一本あとに発車したに過ぎなかった。犯人にとっても、どの車両、どの時間に乗るかは、選択の一つに過ぎなかったのだ。それはつまり、自分の命が狙われた、ということである。これは、だから、たとえば、総理大臣を狙って投げた爆弾が誤って無関係の通行人を殺傷した、ということとはレベルが違う。
この「他者」について大澤は執拗に考察している。オウムがいかに他者というものに蝕まれていったか、その他者が自分と見分けがつかないからこそ、その悪意が際立って感じられること、しかも他者を最大に受容することこそ、オウムの教義の核心であったこと。
しかしサリンを使い、自分を殺傷しようとした存在について、「それは自分自身なのだ」と言えるだろうか。
ボクはかなりいい加減な「自分」しか持っていない。「他者」と自分の区別は常にあいまいにしておきたい。しかし、サリンを撒いた人間は、ボクにとっては完全なる他者であった。そこに自他の区別の混乱はありえないような気がした。
サリンが撒かれた、その不可逆性の行為により、地上には自他の区別が回復したように思う。それは、ボクのような、被害者に近い者にとってだけなのであろうか。それとも、すべての人にとって、そうなのだろうか。
それにしても、自我の消滅をめざすということ、それが究極「サリンになる」ことであったとは。
2 無差別ということ
大澤も言及しているように、無差別で大量の死は、生き残った者に「それは私でも有り得た」と認識させずにはいない。
このような偶有性は、たぶん、人が人を大量にしかも殺す人は姿を見せないで、その意味では自然災害を真似て、殺すようになった近代戦争を通じてひろく認識されるようになっただろう。それで、現在では、地震にまである凶意が感じとられるということは、本書の冒頭で述べられている。
では「私でも有り得た」と認識したあと、はどうだろうか。
阪神淡路大震災のあとたくさん語られた、生と死を分けたものはたった数十センチだった、とか、たまたま夜明けに尿意をもよおして、とかの「偶有性逸話」があった。これは、たまたまその日、サリンの車両に乗らなかったということと、似ている。
しかしボクがその話を聞いたときは、大震災からの生還は「まるで何かに導かれたように」起こった、という印象を受けた。そこに、何か、自分に「生きよ」と示す力があったかのような。それに比べて、自分が体験したサリンの偶有性は、非情で、救いのないものだった気がしてならない。生き残ったということが、何の祝福にも値しない、それがサリン後なのじゃないだろうか。
そのような世界はしかし、サリンによって突然現出したのではないと思う。大澤がかなりページを割いているように、世界は資本をすり減らしていき、ついにあとは恐慌しかないところにきたのだ。恐慌のあとでは、死者だけが安らかだ。
3 死ぬことは敗北なのか
それでも、今なお、生きることは、何にもまさる最重要課題である。
サリンが、私たちに見せた穴はたちまち塞がれ、華麗なニュースショーが映し出された。そこには「死の恐怖」と書いてある。
本当に死に近いところには、かえって「死の恐怖」はない。というか、それをこえてオーバーヒートしなければならないものがある。しかし、この「資本」主義社会では、死はすべてを失うことであり、究極の敗北である。それはまさに、すべて死なない人はない、ということを覆いつくさんばかりだ。いや、死が普遍であり、自分の一部であるからこそ、人はそれを憎み、他者として排除しなければならないのだろう。
地震があった。どこに起こらないとも限らない。じゃあ、水や食料を確保しよう。
こういうのは、何だか正常な反応のように思う。では、これはどうか。
サリンが撒かれた。次は自分の家の上空で撒くかもしれない。どうしたらいいか。サリンは水に弱いという。じゃあ、風呂に水をためて、家族で一日、水に浸かって、ときどき潜っていよう。
これをばかばかしいと思う人たちも、もし、同じ町内に「反オウムジャーナリスト」が住んでいたとしたら、同じ反応をしたのではないか。
実際、これは私が近所の友人から夜中に受けた相談の内容だった。彼女は、その「オウムウォッチャー」の子供が狙われる、という噂を伝え、うちの子は学校にやらずに風呂に入れておくべきだろうかと考えている、と言った。ボクが笑いをこらえていると、友人は「馬鹿だと思ってるでしょ」と言った。まったくそのとおりだ、あんたがそこまで愚かだとは思いもよらなかった、とは言わずにおいたが、そう思っていた。ボクたちのなかに、眠ってはいても確かにあるはずだった「人間の威厳みたいなもの」はすり減ってしまったのだと感じた。
ただ、あの濡れた物体を見ていなかったら、ボクも同じように考えたかもしれない。あれを見たあとでは、お風呂に浸かってとかいう「夢物語」は無意味だ。そういうことを信じる人たちはオウム集団と同じ虚構のなかにあり、同じように、そのばかばかしさを知らないわけではないのに、与えられた課題に真面目に取り組んでしまう。
4 生の醍醐味
あの包みがサリンだったと知り、たぶん、微量のそれを吸い込んでいたと理解したとき、途方もない生命力のようなものがボクの身体の奥のほうから沸いてきた。それはたぶん、副腎皮質ホルモンが脳の命令に基づき多量に放出されたのだ。生命が危険にさらされたときの反応。アドレナリンが血管を絞め上げる感触。
あれは確かに、生の実感、であるとともに、もっと生きたい、存続したいという強い欲求だった。しかもそれは、原始的な憎悪に彩られていた。
生きている実感が薄いと嘆く人にとって、その実感は、こうした直接的な身体的侵襲によって回復するのだろうか? 本書の考察に従えば否である。
ボクたちの人生は、先の先まですでに喰われてしまっているのだから、いま、生きているように見えても、それはなんていうか、巻き戻したビデオを再生しているようなものだ。ただ、最初に見たように、強力な「悪意ある他者」は、その垂れ流されている画像を一瞬止め、生気を吹き込む。それを生きている限り続けていくという生き方は、まさに、オウムがやってきた道だ。
その後、インドに対抗する形で核実験を行ったパキスタンの人々をテレビで見た。そこにはまさしく、生命を謳歌する自分がいた。核をめぐるさまざまなこと、ここにも「虚構の時代」があり、それを生きているたくさんの人がいる。
5 先取りされた時間
どうして高校生があんなに老けてるんだろ、って思っていた。なんで小学生はゲームばっかりやってるんだろ。なんでみんな、まずケイタイひっつかんでいるんだろ。そういう疑問いろいろは、本書で解けた(気がした)。
そうか、先取りしているんだ。だから、中学生の男子はピアスしてるんだ。それはまるで、20歳になった暁には、もうすべて終わっているがごときだ。
思い出した。ボク、15歳からあとは闇ってほんとうに感じていた。でも、化粧しようとは思わなかった。なぜだろう。
いま、一生懸命眉を整えている高校生は、それが楽しくてやっているようではない。先取りは自明のこととなってしまっているのだ。みんな、今しかない、と思っていて、しかも、幸せは未来にある、とも思っているのだな。その矛盾を先取りが紛らわしてくれる。
しかし、本書では、なにものも、悪者はいないよね。なるべくしてなった「虚構の時代」が、終わろうとするとき、そこに生きている人々は、大きな挽き臼でグラインドされているようなものだね。それがなにか、自然現象のように語られているのは、気になった。
9 おわりに
そうして、もし実行犯や麻原がすべて死刑になったとしても、ボクのこの憎しみは解消しないだろうと思っていた。死刑?そんな楽な、やさしいことで許してやっていいのか?もし殺すなら、自分の手で首絞めてやりたい。
それは、悪意を温存、増幅する手段でしかないということが今はわかる。
でも世界中で、憎しみを糧に生きている人々を思うとき、人間をつつむこの深い黄昏をいまは進むしかないような気がする。
どうすればいいのか、「他者を受け入れる」と大澤は言うけど、それがキーワードとして有効だったエイズ啓蒙時代はすでに過ぎ、それでも、朝、起きて、夜、眠る、この日常をきっちり続けてゆくしかないのだろう。
もう、サリンの袋を見たってことを特権みたいに語るのはよそうと思う。でも、これからもその位置からものを見ていくことになるのだよ、それは受け入れていくしかない。
一週間後、出社してきた同僚は「暗いのはまだなおらないんだけど」と言った。
「着てた服とか、捨てたほうがいいんだってよ」「うん、スーツはね、もう捨てたんだ。でもコートは、高かったしね。いちおうビニール袋に入れてあるけど、捨てられなくてさ」
彼の言葉を思い起こすと、それはまるで、自然災害にあった人のように静かだ。ほんとうの被害者は、声高には語れないし、憎しみさえも失っているのだ。
了
五賀祐子の短歌ページへもどる