『短歌という爆弾』 穂村弘

レポーター:五賀祐子

 

0 精算

 

 先日、次のような発言をきいた。

「この10年、歌人はみんな悩みながらやってきたと思うんです。」

 ボクはそういう視点、いや、そういうもこういうも時間というものが把握できないので新鮮に聞いたが、そうなのか、みんな悩んで大きくなった!のかー、しかし、悩みの原点のあたりに、穂村弘の出現があったんじゃないかとぼんやり考えた。だから『短歌という爆弾』は穂村弘の10年間のみならず歌人すべての10年間を精算する伝票なのかもしれない。

 

 

1 解放

 

「内面自体に対する疑いを抱かず、それがあるものだとの楽天的な前提に立って

表層部分だけをなぞるようなところがある。」寺山修司

 

『短歌という爆弾』でいちばん印象的な言葉は、ボクにとってはこの引用文だった。

ごめんね『短歌爆弾』が面白くない本というわけではなく、とても刺激的だったこと、この本が出版されたことを喜ぶ気持ち、本当なんだ。そのうえで、やはり寺山の指摘は鋭くふかく届く。

短歌をつくりはじめて、ずっとずっと感じていたこと、嫌だったこと、それがこの短い文に言い尽くされている。掃いても掃いても降り積もる落ち葉のような「内面」。それを自分の歌からはずそうはずそうとする徒労のような日々と、どうしても納得させられない周囲の人々。

それを本当の意味で打開したのは穂村弘の仕事だったとボクは思う。『シンジケート』が出たときの気持ちを歌の文句で言えば

「もう二度と傷つかないで〜」(by中島みゆき)であった。

つまり、何が言いたいんだ。そう、『短歌という爆弾』のこの部分では、

「寺山が忌避した短歌の特質」は「穂村弘にとっては効果的にはたらいた」という論理構造になっていると思うが、寺山が渾身の力で否定しているもの、それは穂村さんが身を持って知った短歌の<私の補強>と、まったくイコールではない。むしろ、穂村さんの歌のちからは、寺山が「どうしても打ち勝てない」と感じた怪物を倒すための武器だったのではないか。

これからそれを検証してみよう。

 

2 寺山修司、その私

 

森駆けてきてほてりたるわが頬を埋めんとするに紫陽花くらし 寺山修司

 

寺山のこの「過剰にうったえてくる」感覚は何なのか、それでいて、読んだあとは一つの典型として機能するこの形。

美術の分野では「セルフイメージ」を題材にした膨大な作品があり、「私」を描くことはごく一般的なことだ。また自分自身をペイントする、画面を構成するパーツのひとつとして自分を置く、あるシーンを自分をつかって再現する、など単純な「自画像」ではないさまざまな試みが行われてきた。

短歌のすべてとは言えないが、かなりの部分がやはり「セルフポートレイト」であるとすれば、寺山のそれは、舞台をしつらえ、衣装を選んだうえでのものだろう。そこには演出による不自然さと高揚感が認められる。

役者であるだけなく、演出家でもあることにより寺山は二重に「内面」を回避しようとしていたように思う。それが短歌の「私」性を利用した彼のやりかただった。

このへんのことは穂村さんが「ミイラ製造職人のよう」でもとりあげている通りである。

ではなぜかれは吐き捨てるような言葉を残して去ったのだろう。

それはやはり、読者との関係に破れたからではなかったか。かれが最後の歌集『田園に死す』で設定した舞台、そのエンタテイメント性には、なかったはずの内面、回避したはずの内面を読者が簡単に読み取る道が開けているように見える、さらにいえばそれを作品が誘っているような印象がある。

石井辰彦氏の「母殺しの栄光−オレステースを演じた寺山修司」(『現代詩としての短歌』所収、初出は1993年)を見てみよう。石井氏は同書の「演じられる私」において

「作者の経験がそのまま作品化されたものが短歌である、といういささかプリミティブな<常識>が、短歌の世界では今なお通用しているのである。」

として、そのような単純な読みに疑問を呈している。

しかし「母殺しの栄光」ではそれが、

「なおその短歌には、俳句や演劇、映画などとくらべはるかに鮮やかに、作者の自画像が浮き出ていると言える。」

とされる。そして、寺山における重要なテーマである「母」について論じられるわけであるが、ここで、タイトルは「演じた」とされているのに引用文中では「自画像が浮き出ている」となっていることに注目する。

つまり石井氏は「寺山の内面を短歌作品から読もう」としているのであって、それこそ彼が「演じられる私」で批判した

「あたかもそれが告白(コンフェッション)ででもあるかのように」

読む行為にほかならないのではないか?

そのような読みすべてが無効というわけではないが、ここでは、論じるべきこと、あるいは論じられるだろうと期待したことから、「プリミティブな」方向へ視点がずれているのを感じないわけにいかない。。

しかしそれを石井氏だけの錯誤というべきではないだろう。「母恋」という道筋を自宅の玄関に誘導している寺山にだれが抵抗できるだろうか。

こうして、演じること、そのために自分の心を暴くこと、が、内面の自然な発露と混同され、自分でも区別がつかないという状態があらわれる。演劇だったら「神がかり」といわれるところであろうが、歌人は永久にその役からおりられない。

だから寺山は歌人をおりたのだ。捨て台詞をのこして。

 

 

3 開いた瞳

 

では、穂村弘はどうやって「内面」に立ち向かったのか。それは『シンジケート』出版後の歌人たちの反応から分析できる。

こんなにも「人格」を攻撃されるとは、と穂村さんも言っているが、そういう反応、感情的な拒否感が広がっていた。かれらは「穂村短歌はおれたちを無にする」と言っていると思えた。

短歌の後ろにいる「人格」を信頼できないこと、これが歌人たちにとってどんなに恐怖だったことか。たとえば寺山修司であれば、ちょっと信用できない感じはあるものの、ヘビーな存在感がある。穂村弘の歌において、内面はきれいに拭き清められ、人格は拡散してしまっている。歌のうしろに、生身の男がいる、という感じがない。誤解をさけるために言っておくと、作中にはもちろん、泣いたりさびしかったりする男がいるわけだが、そのことは「問題にすべきではない」のである。誰にでもそれがわかる。そこにあるものは歌にたいして開いた瞳、というようなもの、つまり穂村さんの言う「私の補強」である。これがある限り、どんなに嫌だと思っても、「歌が駄目」といって否定することはできない。人格攻撃は、「問題にすべきではない」ことをわかっていながら無視しようとした結果あらわれた。

もちろん「私の補強」は穂村さんの発明発見ではなく、誰でも感じていることだと思う。しかし従来そのちからは「内面」をもつ人物に歌が収斂するという<常識>のもとではじゅうぶんに発揮されてこなかったのではないか。

短歌のもつちからを、個人を解消する方向に使うことが、穂村短歌の革新性であった。しかしまたそのことがつよい抵抗を生むことにもなったのである。

 

 

4 そしてふたたび内面の帝国が

 

現在、ほとんどの歌人が穂村弘を「好き」ではないにしても許容しているし、表立った人格攻撃は影をひそめ、主要な短歌の雑誌に頻繁に名前が載るようなメジャーな作家になった。それじゃ、短歌における「内面」はもはや乗り越えられたのか?といえば、そうではないだろう。

危惧されるのは、穂村さん自身がそれを求めているように見えることだ。

『短歌という爆弾』について加藤治郎さんは「「心を一点に張る」といった価値観は、近代短歌のものではないのか?」という主旨の感想を寄せた。

それに対し穂村さんも「僕も自分のそういう部分には驚いている」と答えていた。

しかし、近代短歌が追求していたもの、それこそ「強固な内面」にほかならないのではないか?

いろいろな歌をあげているなかで、穂村さんは「本当にあったことを歌っている感じ」にかなりこだわっていて、これはもちろん、「生の一回性」に関係してくるわけだがそれにしても、それを表現するときに「本当にあった」という言い方はないだろう、と思う。

穂村さんのような「私の補強」や集中力の使い方は、かれ自身の生活が目に見えてしみじみと改善したりこころが豊かになるような効果は持たないだろう。読者がまるごとその恩恵を受ける仕組みになっているんだから。しかし、ほかに詩人が本当に幸福になる方法なんてあるのかな。

 「かけがえのなさ」や「一回だけの人生」を、「自分自身」や「一般的な人の生」に結びつけて語るのは間違ってる。それは必然的にそれらをすべて無にする圧倒的な力を求めてしまうし、その力がほかでもない自分を助けてくれると信じがちだ。そういうものの総体が、誰かと誰かが短歌を媒体にしてやりとりしている内面というものの正体じゃないのか。

 

 

5 時は乱れて

 

穂村弘と短歌の関係については、以前、韻律に対する自然で揺るぎない感覚を持っており親和性が高い、と分析したことがあった。その親和性は穂村さん自身が短歌を続けてきた内的な要因のひとつでもあったと思う。しかし幸福な関係は、最近の作品に、短歌のかたちについての試行、つまり意識的なかなりの程度の破調がみられることからも変わってきているのではないか。

穂村さんの定義による「インプット型歌人」は、一般に短歌のかたちについてあまり悩まないように見える。たぶんそれが気になってしまうときは、別のジャンルの表現がよくなってしまうときなのだろう。

ついに穂村弘もそのような悩みの時に突入したのかもしれない。

自分のことを振り返ってみると、あまり悩んだという記憶はないが表現はさまざまに揺れ動いてきた。自分を支えて短歌を作らせているものは何か、その答えはしかし20年以上まったく変わっていない。それこそ『短歌という爆弾』の帯にも「世界を覆す呪文を唱えよう」とあるように、言葉が世界を変容させる可能性を信じることに他ならない。この部分に関するかぎり、ボクの答えは100%Yesでありつづける。

 

                                    了


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