マイナー武将列伝・全国編 




 明石全登 
 あかし てるずみ 
 生没年   不詳   主君・所属   宇喜多秀家 
主な活躍の場  関ヶ原の戦い・大阪の陣 
 
 明石掃部全登。 洗礼名ジョバンニ・ジュスト。
 明石景親(元浦上宗景の臣、宇喜多直家に内応)の子。
 熱心なキリスト教信者で十字架の旗を用いたという。
  (さながら十字軍・・・)
 関ヶ原の戦いでは主君宇喜多秀家とともに参戦、8千の前衛部隊をひきいて福島正則隊と激突した。
 西軍の敗戦となると捲土重来をはかって脱出、秀家はやがて捕まり流刑に処せられるが全登は備中に潜伏し時を待った。
 大阪の冬の陣で突如として現れる。
 夏の陣で大阪城が落ちると、また逃げる。
 一説には自刃したというが遺体はない。 ましてや彼はクリスチャンである。
 (基本的に自殺が禁じられている。)
 徳川家康も明石全登を野放しにしておくのは危険と「明石狩り」を断行するが、最後まで行方はしれなかった。

  補足   




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