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乾の局。吉田尉女。
春日井郡大森村の百姓の娘。
徳川義直の側室となり光友を産む。
子供の頃聞いた民話があった。
あるお殿様が狩りの途中とある農村を通過した。
百姓達はあわてて土下座をする。
百姓がお殿様の顔を見たり、顔をあげたりすることが不敬とされる時代である。
ところが、ある農家ではちょうど家の前で爺さまがたらいに水を張り行水をしていたのである。
爺さまは病で身体が思うように動かない上、あわてているのでおろおろするばかり。
お殿様の前で百姓が裸で座ってるなぞ、その場で打ち首にされても文句は言えまい。
爺さま娘も手伝おうとするが、お殿様はもうすぐそこまで来てしまっている。
もう間に合わない。
すると娘、
えい。っと、たらいごと爺さまを持ち上げ家の中に隠してしまった。
ところが、それでもやっぱり間に合わなかったのである。
お殿様に爺さまを乗せたたらいを運ぶ姿を見られてしまったのだ。
しかし、お殿様は逆にそれをたいそう喜ばれ、こういうおなごが丈夫なやや子を産むのじゃ。
と、娘を召しお殿様の奥方となったのである。
この昔話が実話だったことを最近知った。
娘は吉田尉女。
たらいの爺さまは彼女の父甚兵衛。
現・名古屋市守山区の大森村での出来事である。
お殿様というのは尾張藩主徳川義直。(家康の八男。御三家尾張徳川家の初代藩主。)
「其の風姿活発骨格のたくましき様、丈夫も及ばざるものあり、義直之れを見て生子の勇武を望み、
請得て侍妾となさんと欲す。
侍臣其の意を告ぐ。
未だ婚せず、且つ納采の約なきを以て、遂に城中に入れ乾の局と称せしむ。
寛永二年七月二世光友を生み、而して後同十一年歿す。」
二世光友とは尾張藩2代目藩主のことである。
つまり、百姓の娘から尾張の太守の側室となり、次期太守の母となったのである。
いつの世も女性はたくましいほうがいい。
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